「…は、は、はぁ」
小走りで夜の澄んだ空気を肺に送りまた吐き出す。
漏れるその吐息は白く染まり外気の寒さが伺える。
いつもより少しだけお洒落をしたおかげで幾らか予定していた時間を過ぎてしまった。
連絡は済ませてあるが焦る気持ちが抑えることができず、こうして足早に行動に移してしまったがそれもあと少しの辛抱だ。
『うん、バッチリ〜! 頑張ってねわっしー』
『あとで結果教えろよー!』
親指を立てて送り出してくれた親友たち。
その時は恥ずかしくてうまく返答することができなかったけれど、いつも奥手の自分の背中を押してくれる彼女たちの存在に感謝の念が尽きない。
今日は人々にとって特別な日。
以前の自分だったら何を浮き足立っているのやら、と半ば呆れ気味な対応をとっていたが、どうやらいつのまにか自身もその枠にはまってしまっているようだった。
「……あっ!」
待ち合わせのツリーの下。
その大きさや飾り付けに目を奪われそうになるが、同時に視界に入る人物の一人に視線は引き寄せられていく。
「…祐樹さんっ!」
「やぁ、須美。待ってたよー」
厚手のコートに身を包む想い人が小さく手を振りながら立っていた。
頰が自然と緩む。
「すみません、お待たせしてしまって…!」
「いやいや。まだ待ち合わせ時間より前だし気にしないでよ」
「少し家でバタバタしてしまって…本当はもっと早く着く予定だったのに……いえ、言い訳はよくないですね」
「須美は相変わらずだねぇ。でも僕はたまにはこういうのも悪くないかなーって思ってるよ」
「なんでですか?」
訊ねると、二、三回と視線を泳がせる彼を見て首をかしげる。
「えと…なんていうかその。こうやって二人で待ち合わせするのってなんだか特別な感じがして浮き足立っちゃうというか」
「……、」
「周りの雰囲気もあるのかもしれないけど、ソワソワもするし…あはは。何言ってるんだろ僕は」
「…ふふ」
「笑わないでよー」
彼の反応が可笑しくて、可愛くて小さく笑ってしまう。
彼の両頬は寒さ故か気恥ずかしさなのか赤く染まっていた。
こほんと咳ばらいを一つすると、彼は頭上を見上げた。
「…クリスマスツリー、綺麗だよね」
「──ええ。本当に」
「せっかくだから写真撮ろうよ須美」
「しゃ、写真ですか!? こ、こんな往来の中で…あぁでも祐樹さんとなら」
「すみません、一枚撮ってもらっていいですか?」
ごにょごにょと独り言のように呟いている最中に彼は道行く人に声をかけて手持ちの端末を手渡した。
「ささ、須美もこっちに」
「へっ!? ゆ、祐樹さん」
「ほら笑って」
「あ…こ、こうですか」
肩を引き寄せられて密着する形になる。瞬間に寒さを忘れるような熱が身の内から溢れてくるが、それとは別の暖かな温もりが身体を包んだ。
目の前の端末に目をやり何とか平静を整えていく。
撮りますよー、と端末のカメラのシャッターが切られる。
「ありがとうございましたー」
お礼を言うと彼はこちらに再び戻って来る。
「ほら、バッチリ撮れてるね!」
「恥ずかしいです」
「そ、そう言われると確かに…はは、じゃあこの写真須美のにも送るよ」
「あ、ありがとうございます」
すぐに端末に画像データが送られてきた。自分と彼。二人が寄り添っているその写真を見て口角が緩んでしまう。
速攻保存して待ち受けに設定。これは大事にせねば、と一人決意を済ませた。
「じゃあ改めて行こうか」
「はいっ!」
こうして二人はイルミネーションに彩られた道を歩き始める。
いつもは見知ったその道も隣を歩く彼と今日という日を含めて、まるで別世界にでもきたかのような錯覚になってしまう。
「結構本格的だよねこのあたりのイルミネーション」
「あの辺りなんて気合い入ってますよ祐樹さん! わっ! 見てください」
「おー、まさかのサンチョかこれ。園子が喜びそうだ」
「ふふ…そのっちに写真撮って送ってあげよ」
しゃがみ込んで須美はサンチョを撮影する。
その横顔を祐樹は眺める。辺りの光に照らされて彼女のその姿はどこか幻想的にすら思える。
だから自然とその姿をシャッターに収めてしまうのは仕方ない。
カシャリ、と一枚を撮る。
「〜〜♪」
「やばいな。可愛い…」
「どうかしましたか祐樹さん?」
「いや、なんでもないよ。あ、あそこに違う色のサンチョがあるよ」
「ほんとだ。こっちも綺麗ですねー…かわいい」
何枚かを写真に収めて次の場所に移動する。
「それにしても良かったよ。須美はこういうのあまり好きじゃないと思ってたから」
「もう祐樹さん私のことなんだと思ってるんですか…」
「ザ・大和撫子って感じの女の子?」
「どうして疑問形なんですか。むぅ…別に嫌いってわけではないです! 祐樹さんと一緒だから楽しいんですよっ!」
「…え、えっとありがとう。僕も須美と一緒に来れて嬉しいよ」
「……はっ!!? い、今のはナシ! ナシでお願いしますっ!!」
無意識で言っていたのか慌てて訂正する須美。
その仕草を見てつい笑ってしまう。
「──祐樹さんのイジワル」
「ええ…僕のせいなのかい」
「そうです。祐樹さんはずるいんです! もう私はそのっちの言葉を使うならプンプンなんだから」
「プンプンの須美はどうしたら機嫌が直ってくれるんだ?」
「…なら私の言うことを一つきいてください。それで許してあげます!」
「──僕のできる範囲ならなんでもいいよ」
「────っ!?」
「須美?」
ぐらりと体を揺らして須美は頭を抑え始めた。
一瞬、体調が悪くなってしまったのかと不安になるがそんな様子を察してか彼女はその手で自分を制止して止めた。
片手で顔を抑えているが、隙間から見えるその頬は朱に染まっているようにも見える。
「だ、大丈夫です。問題ありません」
「本当に?」
「はい! あっ、あそこに出店のうどん屋がありますよ祐樹さん食べませんか?」
「お、寒いしちょうどいいかもね! 行こう」
この時期だからだろうか、ちらほらと出店を構えているところが見られた。
小腹も空いたので丁度良かったのかもしれない。
並んで二つ頼むとそのうちの一つを彼女に渡す。
「はい、どうぞ須美」
「ありがとうございます! あそこのベンチが空いているので座りましょう」
「うん」
丁度よく二人組の男女が席を空けたのでそこに座ることにした。
腰を落ち着けて一つ息を零す。
「なんだかんだ人混みがすごいなぁ」
「みんな楽しみにしてたんですよ。さぁ、祐樹さん冷めないうちにいただきましょう」
「そうだな。いただきます」
パチンと割り箸を割って汁を啜る。
それだけで冷えた体が溶けていくような、この熱さが癖になりそうだ。
隣を座る須美もうどんを堪能している様子。
「外でうどんを食べるのもたまにはいいね」
「そうですね。これは格別です」
イルミネーションを眺めながら熱々のうどんをすする。
なんと贅沢なことか。
ものの数十分で完食し終えると、二人はそのままベンチで風景を眺める。
「こうやって改めて観ていると、私たちは人々の笑顔を……この場所を守っているんですよね」
「──そうだね」
「いつか……このお役目も終わる時がくるのかしら」
「……キミたちならきっと出来るさ。僕は此処で帰りを待ってる」
彼は三人のように戦う力を持たない。けれど、非日常から戻ってくる彼女たちを待つ日常が必要だ。
それはとても大事なこと。だから僕は彼女が帰ってくるのを待ち続ける。
それでもこの子はきっと不安が拭いきれないことだろう。だから、
「──はい、須美」
「え? ……これは」
リボンでラッピングされた小さな小箱を手渡した。
須美は不思議そうにこちらを見てくるが、開けてもらうように促す。
「──指輪」
須美の瞳に映るのはシンプルな銀の指輪だった。
呆然とする彼女をよそに祐樹は言葉を続ける。
「……クリスマスプレゼント。つけてもらえると嬉しい」
「祐樹、さん……」
嗚呼、どうしてこの人はいつも……。
須美は自分でも分かるぐらい頬が熱を持つ。
「…はは。ちょっとプレゼントにしては重かったかな」
「そんなことないです! あの…お願いがあります」
「──うん」
「この指輪。祐樹さんが私につけてもらってもいいですか?」
どこか不安げにこちらを見つめる彼女。
────そんな
「……さっきお願いをきくって約束したからね」
「じゃ、じゃあ──!」
そう言って須美の視線は
だがすぐに首を振って頭を俯かせる。
恥ずかしい。だけど前に進まなくては、と内の勇気を奮い立たせる。
「須美?」
「な、なにも言わずにここに……お願い、します。うぅ……」
「わかった」
そっと彼女の手を取って指先に触れる。
小箱から指輪をとり、それを嵌めていく。
須美は薄く瞼を開けてその手を視界に収めると、眼尻には涙が浮かび始めた。
「……ありがとうございます祐樹さん。私きっとお役目を果たしてみせます……だからその時は────」
その時の彼女の表情は今も忘れない────。
ふと、目が覚める。
「────ぁ」
ぼんやりと視界が晴れるとうたた寝してしまったことを理解する。
身体を起こすと自分の身体から布のようなものがするりと落ちた。
(…毛布?)
落ちたものを拾う。
「あっ、起きた?」
目の前からかけられる心地の良い声。
視線をそちらに移すと、窓の外を見ていたのか車椅子に乗る少女が一人そこに居た。
ニッコリとほほ笑んでこちらが起きたことを彼女に知らせる。
「うん。ごめんね急に寝ちゃって。毛布、ありがと」
「いいのよ。とても気持ちよさそうにしてたもの……いい夢でもみれた?」
笑みを浮かべると同じように返して答えてくれる。
僕は静かに頷いてみせた。
「懐かしい夢かな。うん、とてもいい夢だ」
「ふふ。寝ている時の祐樹くんの顔、可愛かったわよ」
「えーずるい。僕だって東郷の寝顔みたいのに…」
「残念でした! そう簡単に乙女の寝顔は見させられないわ」
彼女の首元から覗く銀のネックレスが輝く。
「ねえそれより見てみて祐樹くん」
「外がどうかしたのか? …おー!」
「今日はすごく寒かったしこうして降るのも納得するわね……雪」
「ああ。今年はホワイトクリスマスだね」
隣に歩み寄って外を眺めると白い粒が天から降り注いでいた。
「あ、ふふ……みんなも気がついたみたい。こんなに書き込みがきてるわ」
「これは積もったら雪合戦が始まりそうな勢いだな。友奈とかすごいはしゃいでそう」
「きっとそうね」
顔を見合わせ合い笑う。
「じゃあ丁度いいからこれを祐樹くんに…はい」
「え!? 僕にくれるの」
「もちろんよ。受け取って」
綺麗にラッピングされた長方形のケースを彼女から受け取る。
許可をもらって丁寧に包みを開けるとその中身に思わず声が漏れた。
「これって──!」
「たまたま同じような物を見つけたのよ。これで二人お揃いね!」
「東郷……ありがとう」
すぐに首に取り付ける。
「似合ってる?」
「ええ、カッコいいわよ祐樹くん」
「僕もなにか渡さないとな」
「大丈夫よ。いつも色々な物をたくさんもらってるもの」
「そうはいかないさ……今度はコレをキミに持っていて欲しいんだ」
言いながら彼女の手にあるものを渡す。
東郷はそれを見て目を見開いた。
「……指輪」
「そう。これをキミのネックレスにつければ……完成」
手に触れるのは一つの指輪。
「この指輪は?」
「僕の大切な思い出の品。宝物というやつだね」
「そんな大事なものを私がもらっていいの?」
「キミだからこそだ」
「…………、」
東郷は何かを考え始める。
その様子を不思議そうに眺めていると、徐に車椅子を操作し始めて引き出しを漁り始めた。
「東郷?」
「……これ、代わりと言っては何だけど受け取ってくれる?」
「あっ……」
手渡されたものを見てとても驚いた。
「形は歪になっちゃったけど…私も同じような指輪を持っていたの。この髪飾りと一緒に……」
目頭が熱くなるのがわかる。
そんな奇跡があっていいのだろうか。
唇を気づかれないように噛んで耐えてみせる。
なるべく平静に、口調もいつも通りに。
「そうなんだ。そしたら僕もこうして──うん、これで
「受け取ってくれるの?」
「もちろんだよ。ありがとう、大切にする」
「ええ。私も……大切にするわね」
二人はお互いの手を握る。
今度はきっと大丈夫だ。
この想いも、絆も離れはしないと誓える。
「東郷……メリークリスマス」
「メリークリスマス。祐樹くん」
これはきっと夢のような出来事。
雪降る夜の、小さなお話────。