story1『わたしの気持ち』
────あなたのことが、好きです。
本に登場する主人公、ヒロインたちはこの一文をきっちり言葉にして表現することができる。
過程やら何やらと様々なものの果てに行き着く一つの結果がこの言葉。とても憧れるしいつかはわたしもその言葉を口にする場面が訪れるのかもしれないと、小さな淡い期待を抱いて日々を過ごしている。
「うしゃー! またゆーきに勝ったぞ!! なっはっは」
「くぅ…。千景に特訓してもらってるのになんで上手く行かないんだ……さてはなにかイカサマをしてるのか球子っ!」
「私の才能が羨ましいか! だぁーがまだまだ爪が甘いようだな」
「ぐぬぅ。もう一戦だっ!」
「何度でも受けて立つ! 来タマえゆーきッ!」
一室で騒ぎ立つ二人のうち一人目の名前は親友であり、まるで姉妹のような関係を持つ土居球子。通称タマっち先輩。世界が破滅に向かいつつある今の世の中で奇跡的な出会いを果たした一人であり、一番わたしと近しい存在だ。
そしてもう一人がそうして集まり一緒に戦う戦友とも言うべき存在にて、唯一の男性である高嶋祐樹先輩。
最後にわたし────伊予島杏。この三人が近頃よく一緒に行動を共にしているのだ。
今はその二人がテレビに食いつく勢いで対戦ゲームをしており、わたしはその後ろで小説を読みながら観戦している状態。戦績として高嶋先輩は負けているのか悔しげな表情を浮かべながらタマっち先輩を恨めしそうに見ており、タマっち先輩もその彼を見て勝ち誇った笑みを浮かべているのがよく分かる。
(……悔しげな顔もいいですね。先輩)
パラっと一枚ページをめくりつつ、わたしは高嶋先輩を横目で見つめる。こうやって三人で過ごす時間が自然と増えてきて、出会った頃と比べたらたくさん彼の表情を見てきた気がする。今見てる悔し顏、怒った顔、悲しい顔、嬉しい顔、笑った顔、エトセトラと…。
こうやって思い出に耽り、彼を見つめているとわたしの心臓の鼓動が早くなる。とくん、とくんと。苦しいものとは異なる心地の良い心音を聴きながら読む恋愛小説は最近のお気に入り。より一層その世界観に入り込むことができるし、密かに書いている『趣味』の創作性が掻き立てられるからだ。
でも、なによりもこの瞬間が嬉しく思うのが……彼への恋慕の情がどんどん膨らんでいくこの感覚。とても苦しくて、けれど嫌ではなく、想い膨らむこの気持ちがとても愛おしいのだ。
「伊予島、キミもゲームやる?」
名前を呼ばれる。その瞬間に大きく脈打つ心に従ってわたしは小説から視線の全てを彼に向けた。皆に気がつかない微細な唇の震えを抑え、緊張を押し殺してわたしは普段通りを演じていく。
「わたしは二人みたいに上手く出来ないからここで見てるだけで充分です」
「このゲーム意外と初心者でもやれる作りだし、そろそろ球子とやるのも変化がなくてつまらないから参加してくれると助かるなぁ」
「負けてる癖に口だけは一丁前だな、ゆーき」
「だまらっしゃい!」
「ふふ。確かに高嶋先輩さっきから負けっぱなしでしたもんね。それならわたしももしかしたら勝てるかも?」
わたしの言葉に先輩はキョトンとした顔をしている。あぁ、その表情も素敵です。そうしてすぐに近くにきたタマっち先輩からコントローラーを渡されて彼の隣に腰を落ち着かせる。距離は辞書一冊分。日常ではこれ以上ないくらい近くに彼がいる。とても、心地がいい。
「操作はタマが教えてやるからゆーきなんてコテンパンにしてしまいタマえ!」
「ゲームだから容赦しないぞ伊予島」
左にタマっち先輩、真ん中にわたし、右に高嶋先輩。なんてことのない、誰も気にしないこと。でもわたしの心音は聴こえてしまわないかヒヤヒヤしてしまう。ゲームの説明を先輩たちからされるけど、擬音やら身振り手振りばかりで正直意味がわからないよ。だから画面に表示されている説明をよく読んでプレイすることにした。
「いけ、そこだ杏っ! いいぞー!」
「なっ……う、上手いっ!?」
「感覚とかまだ慣れないですけどなんとかやれますね。というかタマっち先輩耳元でうるさいよぉ」
観戦しているのにもかかわらず、まるで同じようにプレイしている感を感じさせるタマっち先輩はわたしの肩に手を置いて応援してくれている。右にいる先輩は負けまいと必死にボタンを入力する様はまるで愛玩動物のような……はっ、いけないいけない。
ゲームのキャラクターはわたしのように病弱なわけでもなく、縦横無尽に駆け回ることが出来るのでわたしにも参加することができた。きっと二人が気を利かせてくれたんだろうなと考えてみたら嬉しくなった。
「ぐ!? この、よっ! ほっ──」
高嶋先輩はキャラクターの動きに合わせて身体を右へ左へ揺らしてプレイしている。そのためか定期的に彼の肩がわたしの肩にちょんと触れるのだが、その度にときめいてしまうわたしの脳内は大分花を咲かせているに違いない。
ゲームをしている時のドキドキじゃなく、彼との細やかな触れ合いにドキドキを覚え、少しばかり大胆にわたしから肩をちょこんと当ててみたりしてみたり。きっと先輩は気がつかないだろうけどもし意識してくれてたりすると嬉しいな。
ゲームの結果としては五分五分といったところ。まったくの初心者であるわたしと肩を並べてしまえる先輩のゲームスキルはタマっち先輩に慰められるレベルのようだ。でも別にゲームが出来る出来ないに限らず彼の魅力は損なわれない。純粋に物事に取り込んでいる、そんな姿がとても愛おしいのだ。
「なははー! ゆーきはへっぽこ魔人決定だな」
「う、うるせーやい。どうせゲーム下手くそだよぉーだ!!」
「まーまー。二人とも落ち着いて」
いがみ合う二人を見てわたしはクスリと笑ってしまう。一先ず宥め終えたわたしは立ち上がって傍らに置いてあった本を数冊抱える。
「お、杏。どこかにいくのか?」
「ちょっと図書室に。読み終わった本を返しに行ってまた新しいのを借りようと──」
「あー! タマは用事を思い出したぞ!! でも杏を一人にさせるわけにはいかないからゆーき付き添いにいってきタマえ!」
「ぼ、僕が?」
「い、いいよ悪いし。高嶋先輩も迷惑じゃ……」
「迷惑なんてことはないよ伊予島。球子に命令されたのが気になっただけだから。本いくつか持つよ」
「ありがとうございます先輩。タマっち先輩はこれからどうす……るってもういない!?」
「……ほんとこういうことになると一目散にって感じだよね」
「……ですね。じゃあその、お願いします」
「うん」
わたしは本を何冊か手渡して二人して部屋を後にする。まさか成り行きとはいえ二人っきりになるとは思わなかったわたしは緊張で足元がふらつく。向かう場所は図書室。よくある図書館や学校のような立派なものではない一室ではあるけれど、勇者たちのためか大社がそれなりの量を仕入れてくれるお気に入りの場所なのだ。
主な利用者はわたししかいないけどね。
他の仲間のみんなは今日は思い思いの休日を謳歌している。タマっち先輩は恐らく若葉さんのところか友奈さんの所に顔を出しに行ったのだろう……迷惑かけてなければいいけど。
「それにしても結構な量だね。さすが読書好き」
「い、一日で読むわけじゃないですからね。気がついたらこんなに溜まってたんです」
「何かに熱中できるのは凄く素晴らしいことだと思う。僕も本を読んでみようかなーなんて」
「……っ!? 本当ですか! そしたらおススメしたいのがいくつかあるんで是非っ!」
「う、うん。伊予島に薦められたやつなら間違いなさそうだ」
やった。共通の話題を持つチャンス到来とはこのこと。内心ガッツポーズしながら図書室に到着するとわたしたちはそのまま室内に足を運ぶ。
室内はわたし好みの空間。本の匂いが充満しているこの場は安らぎを覚えるほどだ。この手狭い空間がいいんだけどタマっち先輩はいつもついてくると退屈そうにしちゃってるから困り者だ。高嶋先輩は抱えていた本をテーブルに置いて物珍しそうに本棚にある数々の本を眺めていた。
「正直来るのは初めてだけど……へぇー思っていたより本の数があるんだね」
「高嶋先輩は本は好きですか?」
「比率としては球子や千景とかから借りる漫画の方が多いけれど、本自体は興味あるよ。伊予島はどんなジャンルが好きなの?」
「わたしは恋愛小説にハマってますね。創作物や実話、実体験を元にしたものなんかも好きです。先輩に紹介しようとしたやつも恋愛ものなんですけど……」
「それってこの返却しようとしたコレ?」
「は、はい。いかがでしょうか?」
紹介してみたものの…………お、男の子に恋愛ものって受けがあるんでしょうか? そう考えたら若干の不安を覚えてしまう。
「うん、せっかくの伊予島のおすすめだから読んでみるよ。今ここで読んでも平気なのかな?」
「大丈夫です……その、男の人ってあんまりこういうジャンルは好きじゃないかなーって今更ながら考えちゃったんですけど……」
「まぁでもほら、これを機にハマるかもしれないし。なによりさ……伊予島がとっても真剣に読んでいる姿を見てたら興味がでてくるというか……ぁ」
「……えっ?」
今先輩はなんて言ったの? わたしを見てたら……って聞こえた気がするけど。そう思って顔を上げて彼を見てみると先輩は顔を赤くして目線を反らしていた。
その反応を見てわたしも同じように熱を帯びてきた。え、え……ど、どどどういう意味なんですかそれは!?
「あ、あの先輩今のことって──」
「あーあー! 表紙からして面白そうだなぁー! さっそく読ませてもらうよ伊予島」
露骨に話題を逸らして席に着いた先輩は宣言通りに読み始めてしまった。その姿を見てわたしは頰を膨らまして抗議の意を示すが目を合わせてもらえず、仕方ないと小さく息を吐いてわたしは本を棚に戻していく。
(ずるいですよ先輩……そんな思わせぶりなこと言って)
本を戻しながら彼の姿を見る。読み始めてしまえばその表情は真剣なものに変化してパラ、パラっと捲っている姿は様になっていた。
ああ、カッコいい……じゃなくて。もうもう……先輩はなんでそんなにわたしの心を乱すんですかぁ!
首をぶんぶん振って雑念を振り払い、わたしは気になっていた本を手に取って彼の居る席に足を運ぶ。
そして対面に座って同じようにわたしも読み始めることにした。二人だけの空間で本を静かに読み耽る。なんて良い時間なのだろうか。
タマっち先輩には悪いけど、今この時は彼に一緒に行くように仕向けてくれて感謝している。
「────ん。どうしたの伊予島?」
「い、いえ……なんでもないです」
「そう?」
今どのあたりを読んでいるのかな。どこまで見たのかなと考えてしまう。早く話を共有したい…なんて身勝手な思考回路はどうにかしないといけない。
ふと、あることを思い出す。
「先輩…一つ訊いてもいいですか?」
「なーに?」
「先輩って他の人たちには名前で呼んでいるのにわたしだけなんで名字で呼んでるんですか? なにか理由でも」
「う……それは………なんとなく、かな。流れというかその…な?」
読む手を止めて先輩はぽつりと理由を話していく。曰く、それは自分も感じていたが今更変えるのもおかしいかなと考えていたらしい。
「球子とかにからかわれそうだし……それで伊予島が迷惑になっちゃうならそのままでもいいかなって思ってさ」
「先輩って──」
「う、うん?」
「──可愛いですね」
「は、はぁ!? なんでそうなるんだ!」
だってそんなわたしのことを気にして、それで恥ずかしがっていたなんて聞いてこう思わずにはいられないじゃないですかぁ!
それにこのシチュエーションは小説で似たような展開を見たことがあります。その時もああやって顔を真っ赤にしてる主人公がいてその心の内は……とか。
……それは高望みしすぎかな。
「わたしは構わないですよ……先輩に名前で呼ばれるの」
言った。上面は平静を保っているが今心臓はとてもどきどきしてます。
膝の上で両手を握り返答を待つ。振り返ればほんの一瞬の出来事だけど、無限大のように思えて時が止まってしまっているのだろうかと錯覚してしまう。
目をぱちくりさせた先輩は直後に表情を朱に染めていた。
「ばっ……っ。今、ここで?」
「は、はい」
「……あ、杏。これでいい、かな?」
「────……。」
「杏? どうしたぼーっとして……大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶですぅ……」
「杏っ!!?」
あ……これは破壊力がやばいよぉ。ふわふわの噛み噛みになってしまうぐらい、どうしようもないくらい耳に入る音が幸せなものだった。
たった名前を呼んでもらう。ただそれだけでこうもなってしまうとはいやはや『恋心』という心情は奥が深いです。
「杏がみたことない表情に……保健室にいくか?」
「いえ、ちょっとトリップしてしまっただけで……お気遣いありがとうございます先輩♪」
「そ、そう?」
「はい!」
「…………なら、さ。杏、僕も一ついいかな?」
舞い上がっている中で先輩が口元をもごもごさせて何かを言おうとしています。首をかしげてわたしはその様子を眺めていると意を決した先輩がこちらに向き直る。
「…僕のこともその、高嶋じゃなくて……下の名前で呼んで欲しいかなーって。ダメ?」
「────っ! 先輩のなまえ……ゆ、祐樹さん」
「う、うん」
「祐樹さん……祐樹先輩」
「お、おう……」
「祐樹しゃぁん♪」
「またトリップした!?」
だって……だってぇ。今日は一体全体どうしちゃったんですか先輩。積極的すぎませんか、と感じてしまうぐらいなんです。
でもこれで一歩前進しましたよね? この調子なら近い将来先輩と────
(──って流石に夢見過ぎですかね。わたしなんかよりずっと魅力的な人たちがたくさんしますし。はは…)
わたし以外の女性陣たちは誰も綺麗で、可愛い人たち。病弱で本の虫であるわたしなんて足元にも及ばない。
でも、でもね先輩……それでもわたしはあなたのことが好きなんです。なんてことない名前一つ呼ばれるだけでトリップしてしまうほどなんです。
「────あなたのことが好きです」
いつか口にしたい言葉。それもちゃんとロマンチックな場所で、目の前の彼に想いを告げたいという小さくも大きな願い。
「杏……あのさ」
「……? どうしましたか祐樹先輩?」
自分の心の整理をしていたところで祐樹先輩から声を掛けられる。顔を真っ赤にして……え、なんで赤くなっているんですか?
「その……今の言葉って」
「今の言葉、ですか……? んー……んんッ!!?」
ちょ、ちょっと待ってください!? もしかして今の口に出して言っちゃってましたか!?!!
意味を理解すると先輩の表情にも納得がいき、トリップしていたせいで現実と妄想の境界線があいまいになっていたせいだ絶対ぃぃ。
てことはもしかしなくても今のセリフは紛れもない『告白』と受け取られても過言ではない状態で。自分の顔がとても熱くなるのがわかる。沸騰しそうだ。
「その────こくは……」
「い、いいいい今のは小説のセリフの一部で! つい思い出して口走ってしまったというか……そのぉーはい!」
「しょ、小説のセリフ? もしかして今読んでいるこれの?」
「そ、そうで……すぅ。だからえっと────」
「び、びっくりしたよ。そっか、小説のセリフだったか……」
誤解だけど誤解じゃないこのセリフ。自分で否定してしまって勝手に胸の奥がチクりとなってしまう。今のを誤魔化さずに言える女の子になりたいって思うけど、やっぱり心の準備が整っていない今はハードルが高すぎるのだ。
ほら、先輩もあんなにガッカリして────し、て?
(あれ、先輩……もしかしてちょっと落ち込んで、いる?)
乾いた笑みを浮かべてまるで自分自身に言い聞かせているような、そんなように見えるのはわたしの勘違いなのだろうか。日頃から先輩のことを目で追っていてたくさんの表情を視てきたわたしの目には、今の彼はお預けをくらった子犬のような哀愁を漂わせていた。
どちらの意味で? いい意味、それとも悪い意味で? まさかの反応にわたしの心は不安に揺れてしまう。
「な、なんだか暑いな。夏じゃないのになんでだろ? 杏は大丈夫か」
「え、えっと……はい。わたしもちょっと暑いですね。あはは」
『…………、』
この空気はどう捉えればいいのー!? 読めそうでまるで読めないこの場の雰囲気は、でもなぜだかまったく嫌なものではなかった。
「ねえ杏。今の言葉が小説のセリフならさ。その言葉を受け取ったその人は何て答えたの?」
「そ、それは」
「知りたいな。その告白の答えを」
チラッと目を動かせば彼の視線とぶつかる。薄っすらと朱に染まっている頬となにかを求めている瞳。わたしはもちろんその『答え』を知っている。
「────秘密です」
「秘密…?」
席を立ってわたしは微笑んだ。
「小説のネタバレは禁止なんです♪ その答えは祐樹先輩自身で確かめてみてください。ささ、新しい本も借りたので行きますよ先輩」
「あ、待ってよ杏ー!」
わたしは数冊の本を抱えて歩き出すと、慌てて荷物をまとめて祐樹先輩も立ち上がってわたしの横に並び歩く。
その横顔はちょっと煮え切らない様子。ふふ、イジワルしてしまってすみません。
(でも、もうちょっとだけ────)
もう少しだけ、先輩後輩という関係で居させてください。あなたを想っての『初恋』という芽は、一度きりのものなのだから。
大切に、大事に育んであなたに届けたい。
「祐樹せーんぱい!」
「……どした?」
「くすっ……呼んでみただけです♪」
だってわたしは────あなたのことが好きなんですから。