近頃の夜は冷え込むことが多くなってきた。
こんな日は暖かいものでも食べて明日のために英気を養いたいものだ。
そういえば彼は一人で食事をするときはいつもどうしているのだろうか。
────気になる。
…そうだ、ならウチに招待してあげればいい。
付き合うことになったのだからなにも気にする必要はない。
一人より二人、二人より三人だ。
あたしは端末を手に取り、彼に連絡をとった────。
犬吠埼風は自宅のキッチンでエプロンを付けて料理をしていた。
秋になり、夏の暑さも何処へやら。肌寒い日も増えて日の沈む時間も早くなってきた今日のこの頃。
窓の外を覗くと、夕日もあっという間に沈み徐々に夜の顔をのぞかせている。
「~~♪」
野菜を切りつつ、鍋もコトコトと音を鳴らしている。
思わず鼻歌を歌ってしまうほど、彼女は上機嫌だった。
「──お、帰ってきたわね!」
今日は彼を招いての食事会だ。
彼は一人暮らしをしているので、家での食事は必然的に一人の場合が多い。
最初の時は少し誘うのは恥ずかしかったが、せっかくの恋人同士になった以上は毎日ちゃんと食べているのか気になってしまうのだ。
パタパタとスリッパの音を立ててリビングのドアを開けると、大好きな彼と最愛の妹である祐樹と樹が姿を現した。
「おかえりなさい二人とも」
「ただいまお姉ちゃん! 頼まれていたもの買ってきたよ」
「ありがとう樹。祐も付き添い助かったわ」
「いいって、ご馳走になるんだから。それに樹ちゃん一人で行かせるのも心配だったしね」
「もー、先輩それはどういう意味ですかー? わたし一人でも買い物ぐらいできますよ」
「まさか。女の子だから心配って意味だよ」
「ならいいです!」
このように妹との関係も良好だ。
「寒かったでしょ祐……手も冷たいわね」
「今日は一段と寒かったよ。あぁ、風の手暖かい…」
「お、ほっぺも冷んやりしてるわ! 料理してたから熱冷ましに丁度いいわぁ」
祐の頰に両手で当てて堪能する。意外と柔らかいその感触に夢中になっていると、横にいる樹がじとーっといった感じで視線を送ってくる。
「おねーちゃん、先輩。イチャつくなら全部片付けてからのがいいんじゃないですかー?」
『……あっ』
樹の言葉に二人で我に帰る。咄嗟に手を離し乾いた笑みを浮かべて誤魔化すことにした。
「しまった! 鍋放置してた。二人とも手を洗って待ってて、もうすぐ出来るから」
「はーい! 先輩行きますよー」
「お、おう」
荷物を受け取り風は急ぎ足でキッチンへと足を運ぶ。
さて、ちゃっちゃと作ってしまおう!
◇
それからしばらくして料理が完成する。
二人は待ってましたと言わんばかりの食いつきぶりで、あたしの持ってきた鍋を見てくる。
さながら餌を待つひな鳥のような気がして少し面白く思った。
テーブルの中央にセットしていたカセットコンロに鍋を置いてその蓋を開けると、『おぉ!』と言葉を漏らしていた。
作り手としてはこのような反応をしてくれるのは嬉しいものである。
「すき焼きかぁ…いい匂いだなぁ」
「ですよね~♪ 流石お姉ちゃん!」
「この時期から鍋物が美味しく感じてくるし、なにより寒いから丁度良かったわ」
取り皿を分けて食卓が完成した。
三人で手を合わせて食べ始めていく。出来の方はどうかと二人に視線を向けてみると、
「おー身体あったまるしうまー…樹が選んだこの肉は正解だったな」
「はふ…ほおですね! もっと褒めてくれてもいいですよー」
「風、最高に美味しいよ! ありがとう」
「そ、そう? 口にあって良かったわ……ふふ」
「先輩わたしはー?」
「樹もありがと」
思わず頰が緩んでしまうのを抑えながらも箸を進める。
やはり自分が作ったものを褒めてもらうのはいつの時も嬉しいものだった。
それが彼からとなると嬉しさも倍以上になる。作った甲斐があったというものだ。
「さぁさぁ、どんどん食べて! ほら祐も男の子なんだからお肉食べて…樹は逆にもう少しお野菜食べなさいよ」
「風もよそってばかりじゃなくて食べなよ──ほら、僕がやるから」
「お、気がきくわね。じゃあお願いするわ」
◇
「悪いわね。洗い物まで」
「ご馳走になったし、これぐらいはやるよ」
シンクに溜まった食器たちを彼は洗っていく。
樹は今はお風呂に入っていてキッチンにいるのはあたしたち二人だけだ。
やってもらうのは申し訳ないと思ったが、彼の好意を無碍にするわけにもいかないので素直に受け取ることにした。
「…………。」
手持ち無沙汰になったあたしは少しだけ距離を取って彼の後ろ姿を眺める。なぜかニヤケてしまう自分がいた。
いけないいけない。
椅子に座って見てみたり、また立ち上がっては違う角度で彼を見てみたり──。
しかしどうにも我慢ができなくなってきてしまうのもまた仕方のないこと。
溢れてくる気持ちにあたしは従って身体を動かす。
「……っとと。風?」
「あ、ごめん。邪魔?」
後ろからそっと手を回して彼の背に抱きついていた。
一瞬手が止まった彼だったがすぐに元の調子に戻ると、
「全然邪魔じゃないよ。むしろドンとこいって感じ」
「頼もしいわねー。じゃ、お言葉に甘えちゃお……ん~♪」
すりすりと顔を埋め彼に自重を預ける。くっつくと改めて感じる背中の大きさと彼の匂いにドキドキしつつ、身体を小さく右へ左へと揺れてみる。
すると合わせるように彼も動いてくれてまるでゆりかごの如く心地の良い空間が生まれていた。なんとなく楽しくなってくる。
二人してしばらくこの行為を続けた。
「風は甘えん坊だな」
「甘えなさい、って言ったのは祐でしょー。だからいいのー」
「まぁね。ちょっと動くぞー」
「はーい」
祐が動けば、くっついたままあたしも一緒に動き出す。
普段みんなの前では見せない姿を晒しているが、自宅なので問題はなかろう。
「──よし、これで終わりっと」
「ごくろーさま。はいタオル」
「ありがと……まだくっつき虫かな?」
「虫じゃないわよー。祐のぬくもりが悪い」
「ふむ。じゃあ——よっと!」
「きゃ! ……ちょ、ちょっと祐!?」
祐は突然しゃがむとあたしを持ち上げた。所謂おんぶというやつだ。
じたばたと軽く暴れてみるが祐はどこ吹く風のままリビングまであたしをそのまま運んでいく。
「風は軽いなー。普段あんなに食べてるのに不思議なもんだ」
「食べたものは全部女子力に回ってるから平気なの! それより恥ずかしいんだけど! あとどさくさにまぎれてお尻触ってるでしょっ!?」
「女子力とは一体……まあまあ落ち着いて。それよりどうかな僕の『おんぶ』は?」
「どうって────」
なんだか誤魔化された気もするが、確かに言われてみると『おんぶ』なんてされることなんてそうそうないことだ。
というかこの年までされてたらそれはそれでどうかと思うけども。
「──なんかあったかくていい感じだわ」
「おーよしよし。いい子だねぇ」
「小さい子扱いすな!」
「あたっ! ごめんごめん」
調子に乗り始めた彼の後頭部にチョップをお見舞いする。
ソファの上に祐はあたしを下すと、くるりとこちらに向き直った。
「じゃあ大人扱いすればいい?」
「む……どうするつもり?」
「風、分かってるでしょ。こうやってさ──」
「あっ……」
顎を持ち上げられ祐の顔が近づいてくる。
ああ、ダメ。また流されてしまう。退けなければならないのに、身体はそれを実行に移してくれない。
それどころかどこか期待してしまうように思わず目を閉じてしまう。が、いつまで経ってもその時は訪れないことに疑問を持つ。
「────ぇ?」
薄っすらと瞼を開けると、相変わらず顔は近いままだったがこちらの様子を満面の笑みで見つめてくる祐の姿があった。
「風って可愛いね」
「か、からかったわねっ!!」
「そうやって照れてるところも可愛いよ」
「あ、う…」
こうやっていつもの調子を崩されてしまう。
歳も同じでなぜと悔しい部分もあるのだが、悪くはないと感じてしまう自分もいる。
「さて、可愛い彼女の反応も楽しめたことだし……東郷が渡してくれた映画でも観るか! 樹ちゃんも戻ってきたようだから」
「…え、あ、樹っ!?」
「……あはは。いい雰囲気だったのにごめんねお姉ちゃん」
いつの間にやら戻ってきていた妹に驚いてしまう。
どうやら祐は気がついていたみたいで、恐らく途中で止めたのはあたしの事を気にかけてくれたのかもしれない。
確かにその先のやり取りを実の妹に見られてしまうのはいささか恥ずかしすぎるので助かりはするのだが…。
────寂しい。
いやいや、と首を横に振って平静を取り戻すために彼の話題に乗っかることにした。
「映画?」
「うん。なにやら曰く『これを観ればあの人との距離はグッと近づくわ!』って力説されてさ。まぁ映画なんて久しぶりだし、いいかなって」
「なんだろう…東郷の勧めるものに不安を隠しきれないわね」
たまにトリッキーな、偏った暴走をすることで定評な(個人的に)彼女が彼に手渡したDVD。
果たしてその中身は一体…。
樹も気になったのか、こちらに近づいてくる。
「わたしも観てもいいんですか?」
「もちろん。二人より三人のが楽しめるし、風もいいよね?」
「構わないわよ。で、ジャンルはなに? もしかして恋愛系とか」
デッキの準備をしながら祐に問いかける。距離が縮まる、なんて謳うのだから恐らくその辺のジャンルを用意したのだろうと当たりを付ける。
けれど彼は首をかしげるばかりで反応が返ってこない。
「どしたの黙って?」
「んー…それが何にも書かれてないなぁ。コレ、ダビングしたやつかね」
「とりあえず見てみればいいんじゃないでしょうか」
「そうね。はい、貸してちょーだい」
受け取ってみるが、確かに何も書かれていない真っさらな状態だった。
どうにも中身を見ないことには始まらないのでデッキに挿れてみる。
三人で向かい側のソファーに腰かけリモコンの再生ボタンを押した。
そしてあたしは後悔することになる────
────確かに彼女の…東郷の言っていたことは正解だった。
『あの人との距離はぐっと縮まる』。
「あ……あわわ」
祐を挟んであたしと樹が座っている。あたしは我慢できずに彼の腕に抱き着いてしまっていた。
「……ひっ!?」
画面に映るシーンの度にリアクションを取ってしまう。
「──ねえ風。やめておく?」
「な、なに言ってんのよ。せっかくと、東郷が用意してくれたんでしょ。み、観ないと失礼じゃない!?」
「いやキミ涙目じゃない……樹ちゃんも」
「ひゃ!? しょ、しょんなことないです」
祐は苦笑しながらあたしたち姉妹に提案してきた。
恐らく反対側の樹も同じように彼の腕に抱き着いていることだろう。いつもの調子なら嫉妬の一つや二つしてしまうところだが、今はそんな余裕はなかった。
『────!!!!』
「ぎゃあ!!?」
「ひゃあ!!」
テレビのどでかい音に肩を思いっきりビクつかせて腕にしがみつく。
改めて東郷は何て物をよこしたんだと心の内で憤慨する。
あたしたちが想像していたジャンルとは真逆の──『ホラー系』の映画。
間違ったのか故意にやったのかわからないがどちらにせよやってくれた……ということ。
ガクブルと目尻に涙を溜め震える犬吠埼姉妹。乾いた笑みを浮かべながらされるがままの祐がそこにいた。
「ほら風。両腕塞がって動けないけど、手空いてるから」
「うう。祐ー…」
「せ、せせせ先輩、すみません、私もいいですかぁ…」
「…どうぞ。ほら」
きゅっと手を握られる。恐怖で指先が冷え切っていた手に彼の熱がじんわりと広がっていく。
それだけで震えが治まってくるような気がした。
(…まぁ、これはこれで祐にくっつけていい気がするわね)
怖いのは変わりないが。しかしここまで観れていることに我ながらよく頑張っている方だと思う。
「ゆ、祐は怖くないの? さっきから平然としてるけど」
「いやー。怖いけど僕以上に驚いてくれてるから逆に冷静になるというか」
「さすが先輩です…私はそろそろ限界が……」
そして何とか二時間に及ぶ戦いを制したあたし達は部屋を明るくしてデッキからディスクを取り出す。
そもそも電気をなぜ消してしまったのだろうか。始まる前の自分を殴りたい。
「二人とも、よく耐えたね。えらいえらい」
「は、はいぃー…」
「東郷めぇ! 学校で会ったら覚えておきなさいよー」
デッキからDVDを取り出してケースにしまいながらあたしは言う。
「…東郷も悪気があってやったわけじゃないだろうしあんまり無茶するなよ。さてと」
祐は言いながら立ち上がると上着の掛けてあるハンガーを手にとった。
「だいぶ遅くなったし。そろそろ僕は帰るよ」
『えっ?』
思わず樹と声が重なる。この状況の後に彼は何を言っているのだろうか。
当の本人もえ? といった感じであたしたちの反応に疑問をもっていた。
「ま、まさか先輩」
「あんなのをみせた後で帰ろうってわけじゃないでしょーね!?」
「えぇ…。でも流石に泊まるのはまずい気が……」
女子二人の自宅に男が泊まる。なるほど言葉にすれば確かにそんな気もしなくはないだろう。
「あんたとあたしは恋人同士なんだから何も問題ないでしょ」
「い、いやだけどさ」
「樹も別に問題ないわよね?」
「うん。私も先輩なら大丈夫! ダメ、ですか?」
「うっ……わかった。お世話になります」
樹にダメ押しされ祐は小さく息を吐くと首を縦に振った。
ナイス我が妹と言わんばかりに心のうちで親指を立てる。
「じゃあ僕はソファを借りてそこで寝させてもらうよ」
「何言ってるのよ。ちゃんとお布団で寝なさい! 確か客用の布団あったわよねー…準備しておくから祐は先にお風呂入っちゃいなさい」
「なっ…あぁ、分かったよ」
「ささ、先輩こっちですよー」
樹に引っ張られ半ば強引に連れて行かれる。
この子は最近押しというかそういうものが中々あたしに似てきた気がする。
姉としては誇らしいったらありゃしないわね。
祐も樹と接する時は無下に出来ないのかされるがまま。
「さてと、支度してそれからあたしもお風呂に……」
ぴた、とそこまで言葉にして立ち止まる。
そういえば先ほどの映画でも、女性の入浴シーンがあってそこで霊が……。
「…………。」
きゅっと胸のところに手をやって小さく手を握る。
◇
「ささ、先輩! どうぞゆっくりしてください。入っている間にお洋服洗濯してそのまま乾燥させちゃいますからー」
「あ、ありがとう樹ちゃん。家事も少しずつ慣れてきたみたいで僕も嬉しいよ」
「はい! 先輩とお姉ちゃんのおかげです。料理はまだ全然ですけどー…えへへ」
褒められて照れながらも洗濯する準備を進めていく樹ちゃん。
最初に比べたら確かに彼女の家事スキルも右肩上がりに成長していっているようだ。
料理はまだ要訓練だが、それ以外はそろそろ人並みになってきている。
姉である風はその様子を見て少しだけ寂しそうにしていたが、同時に妹の成長に対して喜んでいる様子だった。
一時期の彼女たちは大変な苦労をしてきたが、その苦難もどうにか乗り越えることが出来たみたいで本当に良かった。
日々女子力が身についていく彼女を優しい眼差しを向けつつ、互いの視線がぴたりと合った。
『…………。』
なぜか無言の時間が続く。
樹ちゃんは頭上にハテナが浮かんでいるようだ。
「あの樹ちゃん…」
「はい? どうしましたか先輩」
「えと…その、このままだと服を脱ぎ辛いといいますかー」
「──っ!? ひゃ、あのすみません! ご、ごゆっくりー!!」
状況を察してくれたのか、顔を真っ赤にして飛び出していく。
僕も苦笑を浮かべつつ衣服に手をかけて風呂場へ入っていった。
シャワーの蛇口をひねりお湯を出す。
────あぁ、温まる。
お湯に打たれながら身体を清めていると、背後というかドア一枚挟んだその先で何やらごそごそと物音がし始めた。
樹ちゃんが洗濯してくれてるのかなーなんて気軽に構えていたところで、不意に扉が開けられた。
────えっ?
「一体誰……がぁー!!?」
「な、なによ変な声出さないでよ。びっくりするじゃない」
「いや、いやいやいや…なにしてるんよ!?」
咄嗟の行動で前を隠してついでに視線も明後日の方に向けて僕は言う。
風呂場で反響して二人の声が混じり合う。
「だってあたしもまだお風呂入ってないし…」
「僕の後か先に入ればいいでしょ! いくら付き合っているからってこんな……」
「うぅ…だって樹は既に入っちゃってるしその…さっきの映画が怖かったせいで一人だと心細いのよ! それにほら! タオル巻いてるから大丈夫大丈夫っ!!」
「僕はタオル一枚すらないんですけどー!?」
「ええい! 男なら覚悟決めなさいっ! 背中流してあげるからー! ……それともあたしとは入りたくない?」
最後の方は弱々しく言うのはずるいと思います。
曇りかけの鏡に映る彼女の顔はのぼせたかのように真っ赤だ。
確かにホラーの類は苦手だとは知っていたがまさかここまでとは…。
「……入りたくないわけじゃないけど。まぁあのDVDを持ってきた僕にも責任はあるわけだし。いいよ」
「うん。ありがと祐……じゃあさっそく背中流してあげるわね」
「あ、ああ。よろしく」
「髪の毛は?」
「もう洗ったよ」
風はスポンジを手に取り、ボディーソープをつけて泡立て始める。
その間にも妙に心臓がドギマギしてしまう。彼女の耳に届いてしまいそうなほどに。
準備を終えた風はそのままスポンジを僕の背中に当てて、優しく撫でるように動かし始めた。
「どう? 痛くないかしら」
「うん。ちょうどいい感じ…手慣れてるね」
「まあねー。樹と一緒に入った時によく洗ってるから自然と慣れてくるのよ」
「へ、へー…」
「それにしてもやっぱり祐も男の子よねー。背中結構大きいわ。線は女の子っぽいのになんでかしらね」
そんなにまじまじと観察しないでください。
何も感じないように目を固く閉ざして終わるのを待つ。
そうしていると風の指先がある所に触れる。
「──風?」
「傷。跡が残っちゃったわね」
なにを、とは口にしなかった。触れている箇所で分かるから。
背中の肩口付近にとある理由でついてしまったキズ。
風はその時のことを思い出しているのかその声のトーンは落ちていく。
「名誉の負傷だよ。この出来事で君と一緒にいようと強く思えたんだ。キミが気負う必要もない」
「でも……」
「風も樹ちゃんも大変だったんだ。それに気がつかなかった僕の罪でもあるんだよコレは。だからどうか悲しまないで」
「…………。」
「左眼。良くなってきた?」
「……うん。もう私生活には何も不自由ないわ。樹も同じ」
「二人の頑張りが身を結んだんだ。カミサマは見捨てちゃいないってことだね」
「カミサマより、祐たちのおかげよ。樹もあたしもそう思ってる」
「──こんな僕にでも役に立てたなら嬉しいよ」
彼女たちはこういってはいるが大したことはしていない。
ただ僕がしたいことをしていただけ。
洗い終わった風はシャワーで僕の背中を流してくれる。
「あたしは祐に何を返せばいいのかな…辛い時も悲しい時も居てくれて、助けてくれて、支えてくれて。今もこうして穏やかな日々を過ごせるなんて幸せすぎてどうにかなっちゃいそうよ」
「それでいいと思うよ僕は。幸せなのはとても良いことだし、それはこれからも続けていけばいいんだ。風と樹ちゃん、それに勇者部の人たち。みんなでワイワイして、これからの苦難にも立ち向かえるように楽しい思い出をいっぱい作っていけばそれでオッケーさ。僕もそれが望みだよ…っとと!」
「…ありがとう祐」
「うん」
「……でもそれはそれとしてやっぱり何か恩返ししないとあたしの気がすまな──っ!?」
背中にかかる心地の良い重みを堪能していたせいか、僕の気が緩んでしまったためか風の言葉が途中で途切れる。
不思議に思った僕は鏡に映る彼女の顔色を覗いてみると、視線が
僕もその視線の先を辿ってみると下へ下へと……。
そして、慌てて隠す。
「…っ!!? あ、えと。ごめん…見た?」
「──ねぇ祐。あたし」
「きゅ、急にどうした風……って、あぶな!?」
ぐいっと身体を反転させられる。どこにこんな力が、と言う前に色々と状況があらぬ方向へ。
視界が風で埋め尽くされる。
身体はタオルで隠してあるもののその線は濡れたせいかくっきりと露になっていて、結んでいた髪は解かれてその髪は水が滴っている。
色気がすごい、と言ってしまえばそれまでだが彼女の急な変化に正直困惑してしまう。
「風、いろいろとマズイ。離れて」
「これが……祐の」
「っあ!? ダメだよ風!」
「あたしが今出来ることと言ったらこれぐらいだから──嫌なら退かしてよ」
「そんな、こと……っ!?」
風の両肩を掴むがそれ以上は動かない。
彼女を拒絶するなんてできない。向こうもそれが分かっているからこそああ言うんだ。
苦し紛れに言葉を紡ぐ。
「樹ちゃんが部屋で待ってるでしょ。だから、ね?」
「うん。だけど今はこっちが優先。祐も苦しいでしょ?」
「…………!!」
ダメだ。こうなった風はテコでも動かない。よく知っている。
それに悲しいかな。僕は何一つ抵抗という抵抗も出来ずにされるがままだった。
その後。風呂を上がるのにそれからしばらくかかったそうな…?
◇
風呂を上がると頭が沸騰しそうなぐらい熱い。
洗濯はいつのまにか終わって衣服は乾燥していて洗剤の香りがする。
綺麗に折りたたまれているところを見るに樹ちゃんがやってくれたのだろう。
感謝しつつも少し複雑である。それは即ちこの場に樹ちゃんが来たという事実の裏付けでもあるのだから。
僕は急いでタオルで身体から水気を拭き取り髪を乾かして服を着る。
次いで上がってくる彼女のためにも手短に終えてリビングに戻ると、樹ちゃんがテレビを見ながら待ってくれていたようだ。
「先輩? ずいぶん長風呂でしたねぇ」
「あ、あはは。思いのほか湯船が気持ちよくてつい。洗濯ありがとうね」
「ふーん。まぁいいです。何か飲みますか?」
「…じゃあ麦茶を」
「はーい!」
樹ちゃんは立ち上がるとパタパタとキッチンに足を運んでいく。
……あれはバレてるなぁ。
どこか他人事のように考えながら樹ちゃんから受け取った冷えた麦茶を飲み干す。
それ以上突っ込んでこないならそれに越したことはないし…。
ソファーに戻って見るとそこには布団が敷かれていた。
「…流石に僕はここまで広げてくれなくても寝相は悪くないよ樹ちゃん?」
「え? 何言ってるんですか先輩。今日はみんなでここで寝るんですよ?」
「…マジで?」
「マジです」
今日は驚かされることばかりだ、なんてありきたりなことを考えていると向こうのドアが開けられる。
現れたのはもちろん風だ。タオルを首にかけキッチンにそのまま足を運ぶ。
「おねーちゃんおかえり」
「ただいま樹。と祐…も」
「あー…おかえり」
何となく返した言葉もどこかぎこちない。
うっすらと頰を染めて風は麦茶を飲んでいく。
視線を動かすと樹ちゃんと目が合う。何か言外に告げているようにも見えるその瞳を僕は直視することは出来なかった。
その後は全員でテレビを少し見て落ち着いたのちに、川の字で布団に寝ることになった。
左から風、僕、樹ちゃんという形で。いいのだろうか?
「おやすみー」
ぱちん、と電気を消して暗闇が視界を支配する。
残るは静寂のみ。薄い闇の中で僕は天井を見上げた。
何かを考えるわけでもなくぼうっとしてしばらく、右にいる風の毛布がもぞもぞと動き出した。
「──ねえ祐、起きてる?」
「…起きてるよ」
小声で。隣で眠る樹ちゃんの眠りを妨げないように声量を小さくして話す。
「眠れないのか風?」
「そういうわけじゃないけど……手、握っていい?」
「ああ、いいよ。はい」
毛布から右手を出して風の下へ。
同じように左手を風が出してきて指先がお互いに当たる。絡めるようにその手を取り繋いでいく。
顔を出している彼女の顔はどこか嬉しそうだ。
「そういえばさ祐。一つ、質問していい?」
「なに?」
「さっきの映画でさ。ラストシーンでどちらかを選んで助ける場面があったでしょ?」
「──あったような。なかったような…それがどうかした?」
握られている手の力が少し込められる。
「もしあれがあたしか樹のどっちかだったら祐はどっちを選ぶのかなーなんて思って」
「また難しい質問だな」
「ふふ。答えられる?」
「──それは。キミだよ風」
「えっ?」
顔を風に向けて僕はその答えを言う。
まさか即答とは思わなかったのか彼女は目を丸くしていた。
「なんで?」
「理由は僕がキミの彼氏で僕の大好きな人だから。たとえ選択肢が変わったとしても答えは変わらない。世界か風か、と問われても同じさ」
「……でもそしたら樹は助からないのよ? あたしが悲しんじゃうんじゃない?」
「うん。そうだろうね……だから」
「だから…?」
僕はニッコリと言葉を続ける。
「速攻でキミを助けて
「──ぷっ。ふふ」
「おーい。笑わないでよ」
「ごめんごめん。くふふ……」
息を殺しながら笑う彼女に対して不満顔で答える。
なにかおかしなことでも言っただろうか。
「じゃあ風ならどうなんだよ。僕か樹ちゃんならどっちをとる?」
「それは樹ね」
「……即答かい」
「ほーら拗ねないで。でもね、うん。その後の行動は祐と同じよ」
「…風はたまに意地悪だな」
「いつもあたしがやられているからお返しよ……でもちょっと驚いたわ。あたしが思ってた答えと同じなんだもの」
彼女たち勇者部を見たから、とかそういうわけでもないがきっとあのメンバーたちも同じことをするだろう。
そのことを話すと確かに、と彼女もこの意見に同意してくれた。
「たまにはこうやってみんなで寝るのも悪くないわね。まるで旅行先で泊まるときみたいなワクワクがあるわ。ねっ、樹?」
「……樹ちゃんはもう寝てるぞ」
「ふふ、かもねー。ねぇ祐」
「うん?」
カーテンの隙間から月明かりが差し込み風の顔が露になる。まっすぐとこちらを見つめてきていた。
「これからも一緒に居てくれるかしら?」
「もちろん。あとは樹ちゃんも含めて三人仲良く過ごせば完璧だな」
「こらこら。もしかしたら樹にもいい人ができるかもしれないわよー」
「その時は僕の屍を超えていってもらわないと困るなぁ。その先にはボスの風が待ってる」
「…そうねー。まだ見ぬ彼氏さんもあたしたちの相手するのは骨が折れそうね?」
「自分で言うかいそれ?」
二人で顔を見合わせて笑い合う。
もぞもぞと反対側の毛布が動いた気がした。
「今日はなんだかいい夢が見れそうだわ」
「…覚えていたら教えてよ。風の夢の中は楽しそうだ」
「祐ももし見たら教えてちょうだい。約束」
「あぁ、約束だ」
繋いだ手の指先で小指をからめる。
「おやすみ風、樹ちゃん」
「おやすみ祐、樹」
「────おやすみなさい。おねーちゃん、先輩」
こうして夜は更けていく────。