萌えっ娘もんすたぁ えっくすわい 作:三上
花の香りが、強くなった。
ふわっと香る、優しい甘い香り。
眠くなるくらい俺に安らぎをもたらしてくれる香りがより近くなって、今れでぃに抱き着かれている事を知った。
石鹸、整髪料、香水……そのどれとも違う、自然の香りと形容すべき匂い。
嗅覚に訴えてくる、というのは五感の中で最も動物的な勘を掌握されている事であり、それ故その引力にはとても抗い難い。
生物学的にも、自身の遺伝子と相性の良い
本能が、細胞一つ一つが、れでぃで満たされているのを強く感じる。
「想いが溢れ出してしまって止まらないのです……」
「……うん。訊きたい事は山ほどあるけど、しばらくこうしてよっか」
れでぃの腰にゆっくり手を回して、抱き締めあう。
お互いの鼓動の音さえ聞こえる距離。
昔ずっと朝から晩まで遊び倒していた時は、れでぃはかわいいけどポケモンのドレディアって認識だったから犬猫みたいに気軽に抱き締めてた。
れでぃも嬉しそうに俺の腕できゅいって鳴くし、あったかくて気持ち良いしでずっとそうしていた日もあったくらいだけど。
今のれでぃはどういうわけか俺と同じ普通の人間の女の子。
抱き締めると体積の分で前よりあったかい。
背中は柔らかいし、頬に微かに当たるれでぃの髪が気持ち良い。
俺と同じ人間の体をしているのか疑ってしまうくらいには女性の躰は柔らかいというのに、不思議と緊張よりも安心感の方が勝るかもしれない。
抱き着かれたって少し驚いた程度で、鼓動の音は俺もれでぃも平静そのもの。
ウエストが細すぎる、と感じた。
同年代の女の娘にさえ抱擁された経験なんてないので比較はできないけど、多分細すぎる。
ちゃんと食べてるのか心配になる華奢な体型。
もう少し強く力を込めて抱き締めたら折れてしまいそうに思えて、その繊細さというかある種幻想的なまでの儚さに、よりれでぃを愛しく思える。
れでぃの香りだけでなく、シャンプーとリンス、柔軟剤の香りも感じる。
でも、ほんの微かだ。
記憶を最も深く紐付けする情報は、匂いなんだそうだ。
俺がれでぃの香りを記憶の奥深くに印象的に留めておいたからか、やっぱりれでぃ自身の香りが一番強く深く俺に届く。
こうしてありえない程の至近距離でじっくり嗅いでみると、花の匂いであると同時にミルクっぽいような気もしてきた。
粉ミルクとかベビーパウダーだとか、そういうまろやかで優しく包み込んでくれるような香り。
「……あっ、あの……私、何か匂いますか……?」
「花の香りがするよ。大好きで、落ち着く匂い」
「……私の愛がもし香りを持ったなら、そういう香りなのかもしれません」
生まれた時からそうしている様に、この世界にはたった二人だけしか居なくなったみたいに。
俺達は永遠にも思える時間ずっと抱き締めあっていた。
失った時間をゆっくり取り戻すように。
「あのー、完全に二人の世界作ってるところ申し訳ないんだけど……誰?」
「お隣さん……」
「カルムっち、もう彼女がいるなんて早熟だねー!」
「所謂バカップル、というのを初めて目にしましたね……」
一瞬。あるいは数分。
俺達には数年分にも感じた、二人だけの時間は唐突に終わりを告げた。
実際のところどれ程この体勢でいたかは分からないけど、二人とも落ち着きすぎてそのままウトウト寝落ちしそうになってたので丁度いい。
身体もポカポカしたし。れでぃには色々と説明してもらわなきゃいけない事がある。
落ち着いて話をするためにも、一度離れようと腰に回していた手を離す。
幸せの感情を可視化したように穏やかな表情で目を閉じ、頭を預けていたれでぃはゆっくりと、名残惜しそうに俺の背中あたりに回していた手を離す。
「そんなに残念そうな顔、なさらないで下さい」
「えっ、俺そんな顔してた? 全然自覚なかった」
「その……いつでも抱き締めて下さっていいですから」
何だその表情かわいいかよ。
耳まで真っ赤に染めながら、ちょっと嬉しそうにはにかむんじゃない。
惚れちゃうだろ。
ふと脳裏に、傾国の美女という表現が思い浮かんではすぐに消えた。
言葉のイメージとしてはそれで間違ってないのだけど、れでぃはセクシーとか妖艶な美女ではなくキュートで可憐な美少女だ。
美しさで国を落とす、みたいなマイナスな表現はきっと彼女には合わない。
俺と二人、全く自覚なくおんなじような表情を浮かべてるような女の子には、きっと。
多分俺よりもれでぃの方が離れたくなさそうな表情をしていたのだけど、自覚がないようだから俺だけの秘密にしておこう。
いつか不意に指摘した時にどんな表情を浮かべるのか、考えるだけで笑顔になれる。
俺だけが知ってる、れでぃの秘密。
目が合うと、れでぃは俺の手をきゅって握って、ふわって花みたいに笑った。
「……お隣さん?」
わかったわかった、すぐ本題入るからさ。
ごめん、セレナちゃん。
そんなマジギレするとは思ってなかったよ君が。
目が笑ってない、マジで怖い。
曰く、稀に突然変異的に人間の姿を象った特異種のポケモンが生まれる事がある。
高度な文明社会に適応するための種としての進化だと、東の権威オーキド博士が声明を出したとか。
彼等、彼女等はなにも生まれた時から人間の姿な訳ではないらしい。
成長するに連れてそういった形も取れるようになる、特別なポケモンにだけ人間にも成れる、といったイメージらしい。
だかられでぃは俺と遊んでた時はただのドレディアだったんだな。
「へえ。ニュースとかで名前は知ってたけど、いざこうして見ると凄い……」
「カルムさん、どうして昔馴染みのドレディアが、そのお姉さんだと分かったんです?」
「……なんていうか、雰囲気がドレディアの頃と全然変わらないんだよ、一目で分かった」
おっとりしてて優しそうな垂れ目とか、大人しそうに見えて芯が強くてとても頼りになる眼差しとか、花畑の近くで暮らしていたから身体に染み付いた生花の香りだとか。
むしろ隠す方が難しい。
運命共同体と呼べる程に時間を共有した俺達なら、多分同じ街ぐらいの距離ならすぐ見つけ出せると思うんだ。
「もう離れません。これからはずっと一緒です、主……」
「主じゃなくてカルム。せっかく話せるようになったんだしれでぃには名前で呼んで欲しい」
「はい、カルム様」
「ちょっと距離を感じる」
「ではカルムさん?」
「他人行儀」
「カルム……君?」
「別に呼び捨てでもいいのに」
呼び方一つでちょっと近所の女の子みたいでドキドキするな。
距離感としては家族なんだから別に恥ずかしい事なんて一つもない筈なんだけど、ビジュアルがドレディアから人間の女の子になっただけで感覚はやっぱり変わるもので。俺も十歳になって邪念というか現金な感情が芽生えてしまったもんだなとちょっとだけ自罰的になった。
俺の手をまたきゅって取って、カルム君カルム君って繰り返し嬉しそうに呼ぶれでぃを見てたらすぐ忘れたけど。
All Alone With You