1991年7月某日 日本 とある山奥 早朝
草木が生い茂り、高さは低いものでも5メートルはありそうな背の高い樹木たちが無造作に立ち並ぶ。その樹木たちは広く枝と葉を広げ、太陽の光を遮っており、地面の近くになると日が出ているというのに若干薄暗い。その地面には少しの獣道以外に、何かが通った跡はない。
その森を、俺はまるで影のように駆けていく。いや、駆けていくという表現では些か語弊があるかもしれない。高い木々の枝から枝へと飛び移りながら移動していたのだから。
「はっはっはっは!!紫乃よ!この程度の速度に追いつけぬとは貴様もまだまだ未熟としか言えんなあ!!」
前を行く影は豪快に笑いながら叫んだ。その音量で周囲の鳥達は一斉に飛び立つ。
「うるせえな!無理に決まってんだろうが!着いて行くのがやっとだっつの!少しは加減しやがれクソ師匠!!」
俺は前の影の言葉に同様に大声で返す。周りの鳥達はさらに飛び立つ。
藤林紫乃。
それが俺の名前だ。
7年ほど前に、両親に捨てられ、どことも知れぬ森の中で往生していたところを、前を行く男、藤林長門守に拾われ、養子となったのだ。
俺の両親が彼を捨てた理由、それは俺の右目にある白銀色の瞳が原因だった。
元々は日本国内における「運命への呪い」と呼ばれる、両方の目が不気味な白銀色に染まったものがあるそうだ。その呪いとは、その目を持つ人間を中心に不幸が起こるというものだった。それは対象を中心に周囲広範囲に及び、さらには対処の仕様がないのである。故に、白銀の瞳を持つ人間は忌み嫌われ、最悪の場合命を狙われることもある。
だが、俺の目にそんな呪いはかかっていない。強いていうなら、生物の「感情」を過敏に読み取るという特殊な力が宿っているだけだ。だが、周囲はそうは思わなかったようで、彼らは恐れおののき、迫害をした。それは、周囲だけにとどまらず、両親からも受けるようになった。
前を行くクソ師匠……長門守に追いつくように翔け、俺は鬱蒼とした森を抜けて、開けた場所に出た。そこには古ぼけながらも、いまだ力強くたたずむ日本家屋、俺の今の住まい、藤林邸があった。庭に先に降り立った長門守は、遅れて到着した俺を見やる。
「ふむ、29秒か。ようやっと誤差30秒を切ったな。上出来だ」
「本当?よっしゃあ……」
長門守の言葉を聞き、安堵と歓喜の交った表情をし、その場で芝生に倒れこむ。
「なんの、まだ29秒だぞ?俺の煽りもあってこそであろうに」
「くっそう、少し当たってるからなんも言い返せない……」
長門守は滅多に褒める事はない。かといって怒るようなこともせず、どちらかというと小馬鹿にしたように笑う。
「いずれにせよ、今日の鍛錬は終いだ。中に戻るぞ」
「へ~い」
師匠の言葉を聞いて、その場でゆっくり深呼吸をする。限界まで消耗していた体力を少しでも早く元に戻していく。意識的に、深く静かに大きく呼吸をする方法を学んでからは、体力の回復スピードが段違いに上っていた。
屋内へ戻ると、俺は表の郵便受けに向かう。この屋敷での役割の一つだ。屋敷には俺と師匠の二人しか住んでいないため、数年ほど前から様々な役割をお互いに分担している。俺自身が「ガキ扱いするな」といってからなのだが、本気で完全分担するとは思わなかった。まあ、そのこと自体に文句はないのだが、幼心にも、齢10そこらのガキに対する扱いではないと思う。
ため息をつきたくなるような気分で郵便受けを開け、中の郵便物を取り出すと、その中の一つに目が止まった。古ぼけたような茶色の封筒は、日本で流通している縦長の長方形のものではなく、正方形に近い横長の長方形、海外の封筒の形をしていた。裏側には赤い蝋により閉じられ、そこには4種類の動物が入った紋章が描かれていた。書かれている文章も日本語ではなく英語であったため長門守への手紙かと思ったが、そこには『日本国 三重県伊賀市山奥 伊賀屋敷 藤林紫乃様』と書かれていた。
「海外から俺宛の手紙?」
手紙をくれるような存在に心当たりはない。時折外国人らしき人間が師匠の元へと訪ねに着ていたのは知っているが、俺との面識はないはずだ。
兎も角も、自分宛に届いたのならと、その手紙を分け、その他を屋内の手紙置きに放る。
そして改めて横長の封筒を開けて中身を見る。日本でよく見る紙ではなく、素材は羊皮紙のようだった。それが2枚と、おそらく汽車の乗車券。羊皮紙の一枚は何かのリストのようで、もう一枚は手紙、というよりかは通達書のようだった。
《ホグワーツ魔法魔術学校 現代校長アルバス・ダンブルドア
親愛なる藤林殿
この度ホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されたことを心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリスト、およびホグワーツ特急のチケットを同封いたします。ホグワーツ特急はチケットに書かれた日時に出発し、そのまま入学式となります。乗り遅れることのないよう、よろしくお願いいたします。
ホグワーツ魔法魔術学校
副校長ミネルバ・マグゴナガル》
「ホグワーツ魔法魔術学校??」
真っ先に浮かんだのはその疑問だった。
魔法、魔術。聞き覚えがあるが、うまく思い出せない。学校と書いてあるし、おそらくこれらを教える場なのだろう。
「あ、思い出した。師匠がいつか説明してたな」
かつて長門守から忍術を教わる際に言っていた、忍術以外の能力のことを思い出した。
日本の異能の大多数は、陰陽術という能力である。そして陰陽術の陰に隠れるようにひっそりと受け継がれる、長門守をはじめとする忍者と忍術がある。
だが、ひとたび国外に出れば、その二つの存在は鳴りを潜め、ほぼ全ての国で、魔法、およびそれを扱う魔法使いと呼ばれる者達が出てくる。
そのような説明を受けたが、「とりあえずは世界的には魔法が主流なのか」程度の認識しかしていなかったため、あまり印象に残っていなかったのだ。
「いやそれはいいとして、なんでそれが俺に届くんだ?」
「俺が頼んだからさ」
「うぉ!」
気づけばすぐ後ろに師匠がいた。相変わらず気配が全くわからない。「神出鬼没」などと呼ばれていたそうだが、詳しい事は話してくれないため、よく知らない。
「いたのかよ!って、頼んだって?」
「ああ、そこの校長は俺の古い友人でな。適性年齢になったら通えるよう手紙をくれと、お前を引き取った時に頼んでおいたのだ。時期的にもそろそろだと思っていたんだ」
曰く、「日本にも魔法学校はあるが、ホグワーツの方が何かと面白いことになりそう。というか校長が嫌い」だそうだ。最後の一言何だそれ。聞いてみると、それも知り合いらしい。何でも「十数年前に校長に就任して、校長権限で学校名を強引に変更し、しかも自分の名前を入れたナルシスト」だそうだ。何だそいつやべえ。
それはそれとして、師匠が「面白そう」なんてことを言うとか、絶対ロクなことがない。大抵何か面倒ごとが起きる。数年の付き合いだが、それが事実だということを身をもって知っていた。
「けど師匠、俺は今師匠から忍術を教わっているのに、なぜ魔法学校に通わなきゃならないんだ?基本的な学業はここでもできるし、それに今になって学校ってのも……」
学校ってのは要するに「教育を受ける場」という事なのだから。別のところで教育が受けられれば差し当たって行かなければならないということにはならないのではないだろうか。実際俺は学校に通ってはいない。基本的な勉学、及び知識の習得は、殆どこの屋敷の中で済ます事が出来たからだ。知識を蓄える中で学校という存在も目にしたが、学ぶことは屋敷でもできるし、何より修行の時間が削られるようなことになるのはゴメンだった。日本の小学校に上がる年齢になった時も長門守は何も言ってこなかった。義務教育?知ったことか。
「お前の浅慮な考えなど聞いとらんわハナタレ。お前はホグワーツで魔法を学んで来いと言ってるんだ」
「は、ハナッ…!んだとぉ!」
うちの師匠はなんでこういちいち腹の立つことを言うのだろうか。他人に暴言を吐いていないと死んでしまうのではないだろうか。
「確かにお前は俺から忍術を学んでいる。だが逆を言えばそれだけだ。お前の言うとおり学校は勉学など教育を受ける場だ。しかし学校はその為だけにあるものでもない。多くの人間が集い、同じ釜の飯を食う場所なのだ。しかもお前と近しい年代の子らが最も多い。その中に混ざりこみ、もみくちゃにされることで多くのことを学べるだろう。それに、お前はいまだここ以外の世界を、他の人間をほとんど知らないひよっこだ。ここでの知識と技量をどれだけあげても、いつまでたってもそれは変わらんぞ」
そこでいったん話を区切り、長門守は言い放つ。
「外に出て、学べ。それでお前は強くなれる」
………予想外に長く喋ってきたな。もしかしたら初めてかも知れない。いつもふざけたような事ばかり言うのに、今日はどこか真剣だった。
まあ、恩師がここまで言うのだから、通ってみるか。魔法ってのにも興味あったし。というか、師匠の座学の中に英語の読み書きと会話があったのはもしやこのためか?
なんか、このジジイの掌の上にいるこの感じ、あまり良いものではないな。いつか見返してやる。
こうして、俺のホグワーツ入学が決定した。
~~~長門守はほくそ笑む~~~
紫乃は、一応ホグワーツに入学することを決めたようだ。
彼はすでに朝の調理場にいる。今日の朝食当番は紫乃だからだ。
(しかし、とんでもない逸材となったものだ)
長門守は心の中でため息をつく。なんとも不遇な運命を背負った彼を見て、生まれて初めて、自ら弟子として引き入れた。
あれからおよそ7年ほど経つが、紫乃の成長は著しく早かった。
小さな島国、日本。その中に跋扈する特異な能力、陰陽術とは全く系統の違う、忍術と呼ばれる技を扱う、隠密の達人「忍者」。大きく名の知れた流派の中でもさらに大きく区分知れば、二つの名があげられる。どちらもあらゆる忍術を極めた上で、幻術、及び偵察、斥候に類する技術を極意まで昇華させた甲賀。体術、及び戦闘に関する技術を極意まで昇華させた伊賀。かつてはこの二つの流派を筆頭に対立しあっていたが、時代が進んでいく毎に忍者の存在自体が衰退していった。
このままでは忍者その者の存続が危ぶまれると、当時の流派の当主達が集い、それぞれの極意を伝授し、流派の対立を無くした。それで一時はしのげたが、それでも衰退は免れず、少しずつその数を減らしていった。
長門守は、伊賀の忍の末裔であり、今代の当主でもあった。その彼が、全力でこそないものの、さほど手を抜いたわけではない先ほどの移動訓練に、紫乃は理由はどうあれ喰らいついてきたのだ。齢10そこらで当主の速度に匹敵するその身体能力は、その先の伸び代を天井知らずにするに容易い事であった。
しかしそんなことを思っていても、長門守はそれを微塵も表に出さない。褒めるより、悔しさ、不甲斐なさを身に浴びせ、自身の実力はまだ足りないと感じさせる方が、彼はより成長するのだと、この7年間で把握していた。
(それに、呪いなどではないが、あの目に宿る能力にも、まだまだ秘められたことが残っているだろう)
紫乃の右目に顕現している白銀色の瞳は、どうやら人や動物などの生き物の感情を過敏に読み取る能力があるそうだ。表情や声色にこもる微細な感情を、彼の目ははっきりとみることができるそうだ。その原理は魔法とは少し違うようで、閉心術を会得していようと関係がなく、己の感情を完璧に自身の制御下における者のみがあの目を欺ける。魔法などという有能で不便な能力に頼り切るような魔法使いにはほとんど抵抗の術は無いだろう。
藤林紫乃。かつては人里離れた小さな集落の、とある一家の一子として生を受けた。だが、片目に宿る呪いの刻印に酷似した瞳により、彼が3歳になる頃、両親は彼を見捨てた。どことも知れぬ森の奥に、彼を置き去りにしたのだ。
東西南北どころか、此処が何処で、これからどうすればいいのかもわからず途方に暮れていたところを、長門守が保護し、彼の故郷である伊賀の里に連れてきていた。
紫乃にはこの頃の記憶はあまり残っていないようで、その頃のことを話してもあまり反応はしない。
だが、あの時に芽生えた感情は、確かに彼の中に息づいているようだ。
(なんにせよ、奴が成長していく中で、色々と面白いことが起きるだろう。ホグワーツで、魔法界で、どのようなことが起きるのか、今から楽しみだ)
長門守は心の中で笑みを作り、弟子の成長をあらゆる意味で楽しみにするのだった。
読んでいただきありがとうございます。
補足:作中の、伊賀、甲賀、そして忍者の設定は私の独断と偏見による独自設定です。史実や原作の設定とは関係ありません。
また、日本の魔法学校についても、独自の設定を盛り込んでおりますので、ご了承くださいませ。
AYAAYA 様
純白の翼 様
感想ありがとうございます!!