翌日。夜明けとともに目がさめる。睡眠リズムは完全に戻ったようだ。
かつて漏れ鍋で止まった初日、中天過ぎて目が覚めたのにははっきり言って驚いた。後で時差ボケの影響とも言われたが、正直あれは失態だった。あれからどうにか就寝時間を調整して、ようやっと元に戻した。
同室のやつらを起こさないよう音を立てずに談話室に降りる。こちらにも当然人はいない。外だって、白んできてはいるがまだ暗いのだ。ともかく、室内用トレーニングを開始。坐禅の姿勢で呼吸の訓練。精神統一をはじめとして、あらゆる所作の根幹を極めるのが呼吸である。呼吸を極めし者が、あらゆる場所で「達人」と呼ばれる域に達することができる。これを疎かにする者は、忍は愚か、いっぱしの職人にすらなれない。
呼吸を終えてから、柔軟に入る。始まりに呼吸を行うことで、眠っていた体を起こし、全身の神経に意識を張り巡らせるのだ。そうすることで従来のトレーニングをより効率的に行うことができるのだ。柔軟を終え、体力トレーニングを開始。そうしているうちに外も少しずつ明るくなってきた。夜間外出禁止だったが、それが解除される時間を聞けなかったのは痛い。だが、外出時間において信頼できる人物がいるではないか。
談話室の扉を開け、閉じ切らないように足で抑える。表に回り込んで婦人を訊ねる。やはりまだ寝ていたが、仕方ないので起こす。あまり騒がないようにゆっくりと。
「婦人、婦人。眠っているところすまないが、聞きたいことがあるのだ」
「んん……誰よ?こんな朝早くに……」
婦人は鬱陶しそうにしながらも目を開ける。そばに立つ俺の姿を見て、少しずつキョトンとした顔をする。というか、絵でも眠るんだな。
「あら?あなた見ない顔ね、もしかして昨日の新入生かしら?」
「ああ。藤林紫乃という。校内の夜間外出禁止だが、何時頃解除されるのだろうか?」
俺は簡潔に質問をすると、婦人は怪訝な顔を向ける。
「確かに今は陽は登ってるけど、こんな朝早くに何の用で外に出るの?」
「大したことじゃない、ここに来るまで行っていた日課のトレーニングをしたいだけだ。室内ではできないことがあるんだ」
理由を聞くと婦人は怪訝な顔を引っ込めた。『新入早々規則を破るバカ』のレッテルは外れそうだ。
「そういうことなのね。完全に朝日が顔を出しているし大丈夫だと思うわ。でも今までこんな早くに外に出る人なんていなかったから、改めてマクゴナガル先生に聞きなさい」
婦人に礼を言い、中庭に繰り出す。そして日課にしていたトレーニングの続きを行う。
ふと振り返り、ホグワーツの校舎を見る。
あ。いいこと思いついた。
確か森は立ち入り禁止だったし、試しにやってみるか。
そして俺は、城に向かって走り、そのまま移動トレーニングにしている「パルクール」を行った。
「パルクール」とは、走る、跳ぶ、登るといった移動を行い、全身の筋肉を無駄なく鍛え、状況判断能力、とっさの回避技術、限られた安全区域を正確に捉える力を養い、従来の人間が所持する身体能力を限界まで追求するトレーニングである。一部ではスポーツや芸術などと評価されるほどで、実用性もかなり高い。師匠に弟子入りして、基礎体力がついてからは必ずこれが行われていた。屋根を走り、壁を伝い、縦横無尽にホグワーツの校舎を走り回る。想像以上にいい感じだ。とっさの思いつきだったが今後もやっていこう。
一頻りのトレーニングを終え、談話室に戻る。だいたい30〜40分くらいだろうか、もっとしたら1時間くらいやっていたかもしれないが。しかし談話室にまだ人はいなかった。まさかと思い寝室に上がると、ルームメイトたちはまだベッドで夢を見ていた。マジか。起きんの遅くねえか?
まあ確かに朝食まではまだ時間があるし、わざわざ起こさなくてもいいだろう。俺は静かに着替えて談話室に戻り、持参した煎茶を飲む。あぁ、旨い。
一服したのち、少し早いかもと思いながらも大広間に向かう。時間つぶしがてら廊下をゆっくり観察しながら歩く。大雑把に数えても100以上は階段あるぞこれ。いらないと思うんだが。正直無駄にしか思えない。何だろうか、この実用性という言葉に正面から叛旗を翻すような構造は。まるで迷路だ。これ教室移動とかで絶対遅刻するだろ。今のうちに頭に叩き込んでおこう。
階段の位置を把握し、また大広間へ。当然ながら人はまばらだ。というか、教師陣の大半はいるが、レイブンクローの生徒とハッフルパフの生徒がチラホラいるだけで、グリフィンドールとスリザリンに至っては誰も座っていなかった。早い時間とはいえ誰もいないとか、本当に大丈夫なんだろうかうちの寮は。
ともかくも寮のテーブルにつく。なにも置かれていない綺麗な皿たちが並んでいる。昨日はこの皿達に一気に料理が並んだんだよな。今日もそんな感じなんだろうか。
なんて思っていると、俺が座った席の周囲に飲み料理が現れた。グリフィンドールのテーブルは現在俺一人だけなので、俺の周りだけ料理がある状態だ。見た目すっげえ寂しいけど、大勢でわちゃわちゃするより静かな方が好きだから別に気にならない。
朝食を始めようとする前に、教師陣のテーブルにうちの寮監の姿を見つけた。そうだ、今のうちに聞いておこう。
食事に手をつける前に、奥のテーブルで食後の紅茶を飲むマクゴナガル先生の方へ向かう。彼女も俺に気づき、少しの疑問を浮かべながらも俺に対応した。
「おはようございます、マクゴナガル先生」
「おはようございます、ミスター・フジバヤシ。随分と朝が早いのですね」
「今までの生活習慣の名残です」
「そうでしたか。それで、何か私に用事ですか?」
「はい。学校の規則について少し聞きたいことがあるので、どこかでお時間をいただけないだろうか?」
おおっと、頑張ったがダメだった。やはり改めて言語を学習しよう。
「規則について?わかりましたが、今でなくて良いのですか?」
「ええ。急を要することでもないのに、これ以上食事の邪魔をする訳にはいかない」
食事は大事だ。よく考えれば、今こうして話しかけているのでさえ不敬とされかねない、というか、自分ならイラっとすると自覚した瞬間、嫌な汗が出てきた。やばい、どうしよう。
「…良い心がけですね。わかりました、では授業の終わりにでも私の部屋を訪ねてください」
顔を上げてマクゴナガル先生の顔を見れば、厳しい顔つきながらも、現在は少し柔らかい雰囲気を纏っている。よかった、この場での会話はセーフ領域だったか。
「感謝する。では授業後に訪ねさせていただく。食事時に話しかけて申し訳なかった」
「はい。ただまあ、言葉はもう少ししっかり身につけた方が良いでしょう」
「う……努力す……し、ます」
やはり指摘された。頑張ろう。
席に戻り、改めて朝食を開始した。外国の料理は美味くないと聞いていたが、ここのといい漏れ鍋の料理といい、予想に反してどれも美味い。おそらくここが特別なんだろう。だが、当然のことながら日本の料理はない。いつか厨房の料理人に頼んでみたいものだ。
そうして食事をしてると、少しずつ大広間が賑わってきた。うちの寮の連中も徐々に増えてきた。大方の食事を終えている俺を、珍獣でも見るような怪訝な表情を向けてくる奴らも居た。失礼な。お前らが遅いんだ。
「シノ!」
声をかけられて振り返ると、ハリーとロンが近づいてきていた。
「ハリーにロンか。おはよう」
「ビックリしたよ!ディーンに聞いたら、ベッドにいないって聞いたからさ」
「まずは挨拶だ。朝の挨拶は大事だぞ」
「ああ、うん、おはようシノ」
「おはよう。それで、どこに行ってたのさ?」
「日課の朝の運動をして、朝食をとっていたんだが?」
見てわからんのかこの共は。
「とにかく、俺はもう終わったから行くが、二人とも、気をつけろよ?」
俺がそういうと、二人はキョトンとした顔をした。ここは階段の数が異常に多く、かつ魔法がかかっていて難解だから教室に向かうのも一苦労すると説明すると、若干顔を引きつらせていた。
「わかったよ、教えてくれてありがとう」
「ねえシノ、君って今日いつ起きたの?」
「日の出の時間だ」
ハリーとロンは同じような顔をして唖然としていた。確かに自分でも早い方だと思うが、そこまでか?
周りより一足早く食事を終えて、一度寮に戻り、教材を手に教室に向かった。今朝確認したばかりだから、割とすんなりと目的地にたどり着けた。やはりここにも人が少ない。
ハリー、ロン、そしてハーマイオニーの三人が教室にやってきたのは、授業が開始されてから少し経った時だった。肩で呼吸してるところを見ると、本当に迷っていたようだ。注意したのにな。だがまあ、彼らだけが遅刻したわけで早く、というかだいたいの奴らは遅刻か、ギリギリの到着だった。どうやら一年生が道に迷って授業に遅れるのは毎年のことらしく、先生も別に咎めていなかった。
「たどり着くのも大変だけど、ついてからの授業も大変だよ」
変身術の授業に移動中ハリーが呟いた。その隣でロンも同意するように頷いていた。
「そうか?教科書があるとは言え、全く未知の分野の知識が増えるのは楽しいと思うが。さっきの授業もそこまで複雑ではなかっただろ?」
「そうなんだけどさ、教室に行くのに必死になっちゃって、授業に集中出来ないんだよね」
「なら俺についてくるようにすればいい。大まかな城の見取りは頭に叩き込んであるから、ほとんど迷わないで済むぞ」
「ホント!?あ、でもシノってすごく朝早いよね…」
「大広間に向かったのは起きてからだいぶ後だ。明日は行く頃に起こしてやるから、無理そうならその時言ってくれ」
わかったと、そう答えるハリーの顔は、嬉しさ半分不安半分だった。早起きはいいぞ。
「シノってそんなに朝早いの?」
隣を一緒に歩くハーマイオニーが聞いてきた。俺がいうよりも早くロンが話し出した。
「早いなんてもんじゃないよ!今日なんて夜明けに起きたとか言ってるんだよ!?」
「夜明けじゃない,日の出と一緒だ」
「大差ないよ!」
ハリーも突っ込んできた。失敬な。
「大ありだ。夜明けは空が白んでくる時間帯、日の出は太陽が顔を出す頃だ。時間で言えば一時間は違うんだぞ?」
「それにしても早いのね。私、早起きって苦手なのよね……」
いずれにせよ早いことに変わりはなかったようだ。
「ねえ、私も起こしてくれないかしら…」
ハーマイオニーがそんな爆弾発言をして来た。俺に限らずハリーとロンも口を半開きにして驚いていた。
「ハーマイオニー……今自分がどういうことを言ってるか解ってる?」
「へ?……あっ!」
ハリーの言ったことに一度ポカンとしてから、自分の発言を理解したのか真っ赤な顔をして首を振った。
「ご、ごめんなさい!今のは忘れて!!」
「早起きしたいのは良いが、流石に女子部屋には入れないぞ……?」
「忘れてってばぁ!!」
変身術の教師はマクゴナガル先生だった。
まず先生は、自身で鮮やかな変身術を行なった。皆一様に驚き、目を輝かせたが、実際に行ってみると非常に難しく、繊細なものだということを実感した。マッチ棒を針に変えるというものだが、先の丸い針になったり、銀色のマッチ棒になったりと、殆どの生徒が完璧に針に変身させることはできなかった。真っ先に終わらせたのはハーマイオニーだった。
「素晴らしい出来です、ミス・グレンジャー。グリフィンドールに二十点」
さすがはハーマイオニーといったところか。彼女も嬉しそうだ。
で、俺はというと。
「………あ、出来た」
授業終盤で、先の尖った綺麗な針に変身させることができた。呪文の正しい発音と魔力の調整、そして、頭の中でのイメージが重要だと最初の授業で言っていたな。それを実践し、悪戦苦闘していたらできた。
最たるものは過程と完成形を明確にイメージすることだと実感した。対象物に対して、呪文の内容と、起こしたい現象を明確に頭の中に浮かべる事が肝のようだ。もしかしたら他の呪文はおろか魔法全体に言える共通点かもしれない。
俺の呟きを聞いたのか、マクゴナガル先生が来て、俺の針を眺めた。
「歪みの少ない、いい出来です。しかし、この窪みは何ですか?意図してつけたようですが」
よくみると、糸を通す穴をイメージしたところが、ただの窪みが出来ているだけだった。くそう。
「自分の中で最も身近な針が縫針だったので、糸を通す穴を作ろうとしました。結果的に窪みだけでしたが」
俺がそう言うと、マクゴナガル先生はピクリと眉を動かした。何かまずかったろうかと少し不安になる。
「なるほど。今日の授業ではそこまでのレベルは追求していませんでした。あなたの理想には届いていませんが、今日の授業では及第点でしょう」
なんだ、穴なくても良かったのか。
得点こそもらえなかったが、しっかりと針に変身させられたのは俺とハーマイオニーの二人だけだったと言うことで、揃って褒められた。
他人に褒められのは照れる。しかし顔には出さん。絶対にだ。
授業終わりに、三人に断って一人廊下を歩く。
向かった先は、マクゴナガル先生の部屋だ。
「藤林紫乃です」
ノックをし、名を名乗る。「入りなさい」と中から声が聞こえたので、部屋へと入る。部屋の脇、窓際に置かれた机に向かい、何やら事務作業らしきことをしているマクゴナガル先生がいた。
「今朝方話したことですね。聞いておきたいこととは何です?」
机から視線を外し、こちらに顔を向けてくる。聡明な光を放つ鋭い眼光が、メガネを通して俺を見つめる。何も悪いことなどしていないのに体が緊張してしまう。
「夜間外出禁止が解放される時間を教えてください」
少し怪訝な表情を浮かべる先生に、太った婦人に言ったことよりも具体的に説明する。過去の鍛錬、外でなければならない理由、早起きの習慣などなど。
「なるほど、わかりました。今までその時間に起きてくる生徒はほとんどいなかったのであまり明示してきませんでしたが、談話室の窓から太陽が半分以上見える頃なら外出しても咎めないことにしましょう。仮にその時間に外に出て、誰か他のものに咎められた場合でも、私の名前を出して構いません」
説明を受けたマクゴナガル先生は、納得したように頷いて俺にそう捕捉した。
これで心置きなくトレーニングできるな。
続く
有り難うございます。
補足5:紫乃のトレーニングは、長門守から受け継いだ独自のものです。現実世界との差異は目をつぶっていただければと
補足6:紫乃の英語が変、と言う設定は、彼に理屈っぽい喋り方をさせたかっただけです。他に特に理由はありません。どこかで徐々に直っていく、みたいな設定になってます。