ジリジリと照りつける日差しが鬱陶しい。
相も変わらず、馬鹿みたいに燃焼している太陽を恨みがましく睨みつけるは、ひとりの少女。
大きなリボンで結ばれた、艶やかな黒髪。上半身に袖のない紅い服を、下半身に紅いスカートをまとい、肩と脇を大きく露出させたまま、腕を白い袖に通しているという不思議な出で立ち。
その特徴的な姿をした少女こそが、今代の博麗の巫女を務める
「あいっかわらず、誰も来ないわね……」
いつものようにひとりで境内の清掃を行っていた霊夢は、閑古鳥が鳴いている博麗神社の様子を眺めて呟く。
幻想郷の調停者であり、異変の解決や妖怪退治を生業とする博麗の巫女。
そして、博麗の巫女と共に幻想郷の歴史が刻まれている博麗神社。
幻想郷の住人であれば、大なり小なり、博麗神社のことは知っているはず。
当然、参拝客だって掃いて捨てるくらいいてもいいはずだが、どういうわけか実際にこの場所を訪れる『人間』は片手で数えられるほど少ない。妖怪退治もあって困窮している訳ではないが、お賽銭はいくらあっても困らないので、参拝客がいないいまの状況は霊夢にとって面白いものではなかった。
「それもこれも全部、
呼んでもないのにどこからともなく集まって、馬鹿騒ぎをして帰っていく。もちろん、お賽銭を入れずに。
なんとも傍迷惑な存在を思いだして小さく息を吐き、霊夢は境内の清掃作業を再開する。
「はぁ……」
今日も平和な一日となるように、心の中で祈りつつ。
◆◇◆◇◆
「こんなもんか」
清掃作業を終えた霊夢は、凝り固まった背をほぐしながら境内をぐるりと見回して、満足げに顔を綻ばせた。
「思ったより遅くなったわね……はやく朝御飯食べよ」
見上げれば、掃除を始めた時はチラリとしか姿を見せていなかった太陽も、高々と昇りきっている。
霊夢は手に持っていた箒を適当な場所に放り投げ、腹の虫を鎮めるべく空きっ腹を抱えながら神社の方向へと歩を進めようとした……その時だった。
「おーい、そこお嬢さん。ちょいと待ってくれないか」
いざ足を踏み出そうとしたタイミングで、何者かの声が霊夢を引き留めた。
「…………」
耳に通る、透き通ったテノール。
聞き覚えがない、男性のものと思われるその声を聞いた瞬間、霊夢は思う。
年中無休で参拝客がおらず、妖怪共が集まるせいで人里の人間からは『妖怪神社』などという不名誉なあだ名で呼ばれるこの博麗神社。
巫女をしている立場として認めるのは癪だが、そんな場所にわざわざ足を運ぼうと思う人間がどれだけいるだろうか。
ならば声の主は妖怪かといえばそうでもないらしく、背後の『存在』からは微塵も妖力を感じない。感じると言えば、人間特有の霊力のみだ。
さらに、自慢ではないが他人のそれよりも鋭いと思っている自身の勘が絶えず警鐘をならしているのも、霊夢が抱いている懸念に拍車をかけている。
もはや、どう考えたところで面倒ごとの予感しかしなかった。
(…………)
すがる思いで、自分以外に『お嬢さん』へ該当する者がいないか辺りを見回してみるが、案の定、境内には霊夢以外の気配は存在しない。
とどのつまり、その言葉が指す『お嬢さん』というのは、霊夢であって。
「あぁ」
少女の胸中を諦念で満たすには、十分な切っ掛けであった。
◆◇◆◇◆
突き刺すような寒さが消え去った頃。気がつけば夜が明けていた。
何時間、森の中を歩き続けたのだろうか。いい加減、途切れることのない自然にも飽きてきていた。
「まったく……もう少し事前調査をしておくべきだったか」
どうにも、此処を目指そうと決めたときから、段取りに甘さが見える。年甲斐もなく浮かれているせいだろうか。
日中の暖気によって額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いつつ、青年は腰まである茂みを掻き分けて行く。
「…………ん?」
顔にかかる木の枝と悪戦苦闘していると、不意に前方に光が差す。
密集した枝を押さえつけて顔を上げる。すると、約十メートルほど先に開けた場所が見えることに気づいた。
もしかしたら……。
青年はその胸中に微かな希望を抱いて、足に絡み付く蔦を力任せに引き千切りながら、茂みを抜ける。
そして――
「おお……」
――一段と背の高い草を潜り抜ければ、そこには、少々荒れてはいるものの歩けないほどではない細道があった。
青年は、森を抜けたという事実に一匙の感動を感じつつ、何処かに繋がっているであろうその道を軽やかな足取りで進む。その姿は、長い時間森を歩いていたにも関わらず、少しの疲労も感じさせない。
さて、一体この道の先には、何が待っているのだろうか。
青年は小さく口元を吊り上げながら、細道の上を軽快に歩を進めていった。
◆◇◆◇◆
「…………」
一体、どういうことだろうか。
青年は浮かび上がる疑念に首を傾げつつ、自身の目の前に立つ少女にチラリと視線を向ける。
その少女は、随分と変わった服装をしていた。
黒い艶やかな髪。後頭部に付けられた大きなリボン。体を白い襟のついた紅い袖のない布服で、下半身を紅いスカートらしきもので覆い、肩と脇を大きく露出させたまま、腕を白く長い袖にとおしている。
何処と無く、外界で見かけた巫女装束に類似した部分も見えるが、それにしては、少々露出が多すぎるように感じる服装だ。
まあしかし、そこはいいのだ。外界でも、最近ではサブカルチャーが広く浸透した影響で過激な服装を見かけることも少なくなくなった。お陰で、ある程度の耐性は出来ている。
問題は、それをまとっている少女が、青年に向けている顔だ。
まるで百年来の仇敵を目にしているがのように、その端整な顔を大きく歪ませている。
おかしい。
自分はただ、道を辿った先に階段がありそれを登ると見知らぬ神社があった。
そして、鳥居の向こうに伸びる石畳で舗装された道の上に目の前にいる少女の姿が見えて、幻想郷のことついて話を聞くべく声をかけた。それだけだ。
それなのに、何故こんなとんでもなく厄介なものに出会ったかのような反応をとられているのか。
「………ま、いいか」
別に、私がなにか『ボロ』を出した訳ではないだろうし。これはこれで面白そうだ。
青年は心のなかで呑気に結論付けると、少女に警戒されないよう、出来るだけ優しげな笑みを浮かべて口を開く。
「少し聞きたいことがあるのだが、いいかな」
「はぁ……」
随分と気の抜けた返事が返ってきた。今の幻想郷には変わった礼儀作法でも出回っているのだろうか。流石にないとは思うが。
少女の態度に思考をグルグルと回ししつつも、青年は表情を変えることなく言葉を紡ぐ。
「どうも私には、ここら一帯の地理がわからなくてね。人里までの道を尋ねたいのだが」
「ん?」
青年の言葉に少女は眉をひそめると、ジロジロと無遠慮な視線を向けてくる。一体何なのだろうか。
すると、なにかに気づいたのだろう、少女がポンと相槌を打って口を開いた。
「……あぁ、もしかしてあなた外来人?」
「外来人?」
青年は、意味が理解できないといった風体で少女の言葉を繰り返した。
その様子を見た少女は「やっぱりか」と小さく息を吐く。
「……なんか心配して損したわ。妙ちきりんな格好してるから厄介ごとかと思ったけど、外来人なら別におかしくないわね」
「妙ちきりんって……随分な言いぐさだな」
青年は少女の辛辣な言葉に苦笑をしつつ、その顔が先より柔らかくなったことを確認する。
――どうやら、私が原因であのような態度をとっていたわけではないようだな。
元々大して気負ってはいなかったし、面白そうだとすら思っていた節もあるが、居心地が悪かったのも確かなので改善されたのであればそれでもよかった。
漂っていた重たい空気が薄れていくのを感じた青年は、打って変わっておどけた仕草を見せながら会話の再開を試みる。
「私には何だか分からないが、懸念が払拭されたようで何よりだ」
「そうね」
「先の君の顔は、まるで親の仇でも見たような雰囲気だったからな」
「あー……はいはい」
……少女のとの会話に、まるで暖簾に向かって拳を繰り出しているかのような感覚を覚えるが気にしないように努めると、青年は前置きもホドホドに話を本題へと戻した。
「まあ、それはともかくとして、先ほど言ったように人里までの道のりを尋ねたいんだ」
「人里までの道……ねぇ」
少女はちらりとこちらに目線を向ける。
「その前に、あなたここがどこだか分かってるの?」
「ここが……とは?」
「あんたが今いる場所のことよ」
「ふむ……」
少女の問いに、青年は考えるまでもないと言った様子で肩をすくめて見せた。
「……生憎、私はしがない旅人でな。気の赴くままあちこちを渡り歩いているから、自分の行き先と言うものをあまり把握していないのだ」
「へぇ、そうなの」
青年の説明に対する少女の反応は、指先で髪を弄んだまま返事を返すという淡白なものだった。
それを見た青年は、初対面の相手に対してこの少女は随分と素直な態度だな……と呆れと感心が混ざったような感想を抱く。
そんな青年の内心を知ってか知らずか、少女は視線を明後日の方向に向けながら、くるくると指にまとわりつかせていた髪をほどく。
「……ま、理由なんて何でもいいか」
少女の漏らした呟きに、何となく含みを感じた青年は心のなかで疑問符を浮かべるも顔には出さず、続く少女の言葉を待つ。
「いいわ、この場所について話せばいいんでしょ?」
「そうしてもらえると助かるな」
青年の言葉に少女は頷きを返すと、伸びを一つ。
「決まりね。立ち話もなんだし、今回は特別にうちに入れて上げるから、話しならそこでしましょう」
言うや否や、少女はこちらの返事を聞かぬまま「着いてきて」と素っ気なく告げて、スタスタと神社の本殿を回り込んで裏手へと歩いて行ってしまった。
青年は少女が消えていった方角を眺めて息を吐くと、置いていかれないよう少女の後を追い始める。
が、しかし。ほんの少しの距離を歩いたところで、唐突に少女が足を止めた。
「……そういえばお互い、自己紹介がまだだったわね」
「あぁ……」
脈絡なく放たれた言葉に青年も、そういえばこの少女の名を聞いていなかったな……と呑気に考える。
少女は青年に向かい合うように軽やかな足さばきで半回転すると、凛と透き通った声で名乗った。
「私の名前は博麗 霊夢よ。博麗って呼ばれるのはむず痒いから、霊夢でいいわ」
「……博麗 霊夢」
『博麗 霊夢』――『博麗』――。
聞き覚えのあるその響きを、青年は口内で何度も反芻する。
――よもや幻想郷で、その名を一番最初に聞くことになろうとはな。つくづく、因果と言うものは廻るものだ。
予想していなかった出来事を前にして、心の内で青年はくつくつと声を漏らし、目の前の少女の名前を忘れぬように脳裏に刻み込む。
「そうだな、それでは、私も名乗るとしようか」
青年は少女……霊夢へ向けて、ゆっくりと、裂けるような三日月形の笑みを浮かべた。
「――私の名は