「……随分と簡素な家だな」
博麗神社の本殿に連結するようにして設けられている、博麗の巫女の生活拠点である母屋。
その一室に招かれた夜胤は、卓袱台に最低限の収納家具だけが置かれている寂寥とした部屋の風景を横目に、家主の少女へ声をかけた。
「うっさいわね。機能美を追求した結果がこれなのよ」
当の家主である霊夢は、夜胤の言葉に部屋の中央に置かれた卓袱台に肘を着いたまま不機嫌そうに唇を歪ませる。
「いや、それにしては随分とものが少ない気が……」
「それ以上言ったら蹴り出すから」
トーンの低い声で、夜胤へ鋭い視線を向ける霊夢。
こちらを睨み付ける少女の気迫に、これ以上言えば本当に蹴り出されかねないと判断した夜胤は、わざとらしく肩を竦めてから話題を切り替えることにした。
「一先ずだが、顔も知らない他人である私の頼みを聞いてくれて感謝する。何分あてのない旅を続ける身でね……頼れる者がいなくてな。助かったよ」
「別にいいわ、お礼なんて言わなくて」
頭を下げる夜胤を鬱陶しそうに片手であしらいながら、霊夢は「これも仕事の内だし」と小さくごちる。
何処か諦めたような雰囲気を感じさせる霊夢の呟き。その内容に、夜胤ははてと首を傾げる。
「仕事の内?」
「そ、博麗の巫女のね」
まあ、そのことも含めてこれから説明するわよ……そう口にしてから、霊夢はおもむろに立ち上がった。
「話が長くなりそうだから、お茶淹れてくる。出涸らしだけど夜胤さんも飲むでしょ?」
そんな霊夢の問いに、夜胤は自然、断りをいれようする。しかし、それを意識した途端に自分自身の喉に強烈な乾きを感じることに気づいた。
考えてみれば、昨日の夜中から飲まず食わずで森のなかをさ迷っていたのだから、当然だろう。むしろ、どうして今まで気づかなかったのかが不思議でならないほどだ。やはり、それだけことを楽しみにしていたというのだろうか。
まったく……私は子供か何かか。今までの自分自身の行動を振りかえってを肩を落とすが、その行動に意味はなく、ただただやけつくような喉の乾きばかりが強くなる。
「……お茶、頼むよ」
結局、人としての生理的欲求に抗えなかった夜胤は、礼儀としての断りすら入れることもできないまま、霊夢の問いに力強く頷いた。
◆◇◆◇◆
「――以上が幻想郷についての説明ね」
「……いやはや、どうも私は随分とスゴい場所に迷い混んでしまったようだ」
ズズ……と手元に置かれた味の薄いお茶を啜り、手に持った湯飲みをちゃぶ台に戻すという一連の動作の後。夜胤は霊夢が長々と話した内容に深く息を吐いて思案する。
――曰く幻想郷とは、外界で失われた『幻想』達が流れ着く最後の楽園である。
霊夢が言うには、その正体は『幻』と『実体』の境界と『常識』と『非常識』を隔てる博麗大結界によって現世と隔離された、現世では幻とされている存在達――妖怪や神々、UMA等々――が住まう世界らしい。
何でも、人が勢力を増し、科学が発展した今日では妖怪や神々などといった曖昧な存在は『迷信』として排斥されてしまい、人間の畏れや信仰などといった精神的な部分を糧に生きていた者達は外界でその存在を保つことが難しくなった。
なので、元々は妖怪が多く住み着いているだけだった辺境の土地に結界を張ることで、現世と隔絶した世界を作り上げ、その中に一定数の人間を確保することで妖怪や神々に必要な力を作り出し、存在を保てるようにする。その上で、各勢力を一定のバランスまで抑えることにより、幻想となった者達が生きることのできる仕組みを成立させたのだという。
それ故に、現世と隔離された幻想郷に外部から干渉することは出来ず、また、内部から外界に干渉することも出来ない。
だが、稀に何らかの理由――例えば、博麗大結界が綻んでいる場所から迷い込んだり、『妖怪賢者』の異名を持つ人物が面白半分で『神隠し』なる行為によって拐ってきたり――によって、現世の人間が幻想郷に入り込んでくる……所謂『幻想入り』が起こるのだとか。そういう事情で幻想郷に入り込んだ人間を『外来人』と呼び、夜胤が霊夢に外来人と呼ばれたのも、これが理由だったそうだ。
迷い込んだ外来人がたどる道は幾つかあって、一つは知能が低く『スペルカードルール』なるものを理解することができない木っ端妖怪の腹に収まる道。哀れにも幻想入りした外来人の多くはこの道をたどるらしい。
二つ目は、博麗大結界を管理する博麗の巫女の手によって現世へと帰る道。運良く妖怪の牙から逃れた外来人の殆どが、この選択をするという。
そして最後が、この幻想郷に残り新たな住人として生活を送る道である。
通常、幻想郷の環境は外来人にはとっては苛酷の一言で、人里ではルールによって妖怪が人間を襲うことが禁じられているが、一歩里の外に出れば常に命の危機にさらされる。さらに付け加えれば、幻想郷の文明は現世よりも遥かに水準が低く不便で、人里でも電気が通っているのは極々一部。電化製品などは動かすこともできない。故に、外来人は多少差はあれども、何れは現世へと帰っていく。
だが、たまに現世よりも幻想郷で生きることを強く望む外来人もいて、そういう場合は、人里にて諸々の手続きの後に幻想郷で新たな人生を送ることになるようだ。
――なるほど。
「つまり、私には三つの選択肢があると言うわけだな」
「あなたが進んで妖怪に食べられに行く変人でないなら、実質二つだけどね」
身も蓋もない霊夢の訂正を聞き流しつつ、夜胤は並べられた選択肢を吟味しているかのように、悩ましげに俯きながら顎をさする。
「まあ、順当に考えれば二番目の『現世に帰る』を選ぶのがいいだろうな」
神秘的ではあるが一歩でも間違えば命を失いかねない環境と、代わり映えがなくとも安全で快適な環境。個人の価値観に差はあれど、どちらかを選べと言われるなら、ほぼ間違いなく後者を選ぶだろう。前者を選ぶのは、真に迫る危険を経験したことがない平和ボケしきった者か、自身の命を省みない気狂いのどちらかくらいだ。
「帰るなら、すぐにでも送ってあげるわよ? 多分気づいてるとは思うけど、私が今代の博麗の巫女。で、この博麗神社が幻想郷で唯一外界との接点を持つ場所なの。だから、やろうと思えば今からでもあなたを現世に送り返せるわ」
そんな夜胤の言葉に付け加えるように口を挟む霊夢。しかし、それを口にする霊夢本人は、如何にも釈然としなさそうな仏頂面で夜胤を見据えていたが。
「……でも、当の本人は一切帰る気は無さそうだけどね」
「…………」
卓袱台を挟んで夜胤を見つめる霊夢の目は、まるであらゆるの秘め事を暴きたてるような、強かなきらめきを湛えている。
その瞳に射抜かれた夜胤は、観念したとばかりに大仰な仕草で天井を仰いだ。
「……わかるか?」
「あんなあからさまに『悩んでます』って仕草をされたら、誰だって気づくわよ。あんまりにもわざとらしいから、てっきり
――そこまで、私の反応は分かりやすかったのか。
確かにわざとらしい振る舞いはしたが、そこまではっきり言い切られると、自分に大根役者の毛でもあるのではと疑ってしまいそうだ……などとどうでもいいことを頭の片隅で考えつつ、夜胤は霊夢に向けて弁解するために口を開く。
「いや、なに。別に霊夢をからかおうと思っている訳ではないのだがね。まあ、ただ単に説明して貰った上で、即座にそれを否定するのもどうかと思って形だけな」
「はいはい。別にいいわ、そんなこと。一々細かいこと気にしていたら、博麗の巫女なんてやってられないもの」
「そうなのか」
この竹を割ったような性格の少女に、ここまで言わせるほどの博麗の巫女の役目とはいったい……。
まだ見ぬ博麗の巫女の仕事内容に戦慄を覚えるもなんとか振り払い、夜胤は霊夢へと視線を戻した。
「なんというかね、先もいったとは思うが私はあてのない旅人だ。だからこそ、こういった未知なる秘境というものには、心惹かれるものがあるのだ。それこそ――」
「……命を危険にさらしてでも?」
「――そういうことだ」
「……そんなヘラヘラしながら言われても、説得力に欠けるわ」
夜胤の言葉に、霊夢は呆れを込めた息を吐く。
「言っとくけど、本当に危険よ? ただの人間は妖怪に絶対勝てないし、外来人なら尚更。今は『弾幕ごっこ』っていうお遊びが普及してるおかげで本気の殺し合いは殆どないけど、人間にとってはそれすらも危険。それに、弾幕ごっこが理解できない妖怪からしたら、あんたは紛れもなくただのエサ。命乞いなんてする間もなく、ぱっくりいかれるでしょうね」
「承知はしているよ」
「どうだか。私には、相変わらず力が抜けきった男の姿しか見えないけど」
まるで緊張している様子を見せない夜胤の姿に、霊夢は皮肉めいた指摘を浴びせた。だが、肝心な当の本人は微笑むばかりで、風にそよぐ稲穂のごとくその物腰を歪めないままだった。
それを見た霊夢は、今度こそ心のそこからため息を吐いた。
「もういいわ。一応忠告はしたし、ある程度の事情は話したから、あとは夜胤さんが決めることだもの。私は何も聞かないし、言わないわ」
「どうもありがとう」
「た・だ・し」
次の瞬間。先程の何処か気怠げな様子とは打って変わった勢いで、霊夢は力強く卓袱台に両手を叩きつけ、捲し立てるように言い切った。
「絶対に、面倒だけは起こさないで。起こすとしても、私の関わらない範囲でやって。でないと、問答無用であんたを退治するから!!」
「え゛」
仮にも神に遣える巫女とは思えない発言に、夜胤は口元を引き吊らせる。
しかし霊夢はそんなことなど知らぬ存じぬ。ぐいとその少女然とした顔を夜胤に肉薄させると、背後に悪鬼羅刹でも従えているような圧力を放ちながら、夜胤に答えを求め(強請)る。
「わかったわね!?」
「アッハイ」
断れば、問答無用で暴力に訴えると言外に語る霊夢の姿に反射的に答えを返す夜胤は、目の前の少女に言論弾圧を図る人類史上の暴君の姿を重ねながら、幻想郷に滞在する間は少なくともこの巫女の琴線に触れるような行為は自粛しようと心に誓うのだった。
◆◇◆◇◆
「境内を出てからひたすら道を辿っていけば人里に出るわ。昼間だしここら辺は妖怪が少ないから大丈夫だとは思うけど、魔除けのお札を渡しておくから。寄り道はしないようにしなさい」
「……お手数を御掛けします」
霊夢が差し出したお札を受けとりながら、夜胤は頭を下げる。
「何だか、世話になってばかりだな」
「これも私の役目の一つだし、気にすることないと思うけど」
「そうかもしれないがね。すぐには、無理だが近いうちにお礼も兼ねて参拝に来よう」
「そ。まあ、ホドホドに期待しておくわ。巫女が参拝を断る理由もないしね」
言うや否や、霊夢は一歩引いて夜胤を追い払うように手をヒラヒラと軽く動かした。
「頑張りなさいな。私は応援しないけど」
「それは残念でならないよ」
厄介払いするような霊夢の仕草に夜胤は肩を竦めて、身を翻す。青年が纏うコートの裾が揺れ、まるで暗幕のように互いの影を覆い隠した。
「――では、行くとするかね。また会えることを祈っているよ」
「――どっちでもいいわ。お賽銭を入れてくれるっていうなら、大歓迎だけどね」
その言葉を最後に、落ちた暗幕は引かれていく。そして、霊夢が見つめる先で夜胤を模すその黒い影は、徐々に小さくなっていった。
◇◆◇◆◇
「――結局、何だったのかしらね」
青年の影が小さくなっていく様を眺めつつ、霊夢は思案する。
「別に、おかしな所はなかった。霊力も人並みで、格好だって特別気になるとこはない。変なのは精々、旅をしてるわりには身軽そうなのとあの鼻につくような態度ぐらいかしら」
先程のまで相対していた青年――夜胤の様子を脳裏に浮かべながら、霊夢は彼の立ち振舞いを見て、そう結論付ける。
「でも、それにしては――」
――何だか、随分と気持ちが悪い。
謂われなく夜胤を忌避するような言葉を霊夢はすんでのところで飲み込みつつも、自身が感じている言い表せない感覚に意識を向ける。
まるで、頭のなかに直接手を突っ込まれて、乱雑にかき回されているような気持ちの悪さ。絶えず体におぞ気が走り、出来ることなら今すぐにでも掻き毟りたくなるほどのおぞましい感覚。
多くの異変を解決してきたことで培われた勘が、迷いなく告げていた。
今すぐにでも、あの存在を潰せ――と。
「はぁ……」
霊夢自身、この勘に何度も頼り助けられてきた。故に、その感覚がアレを潰せと言うのだから、きっとなにかがあるのだろう。
しかし、現状なにかが起きているわけでもなければ、霊夢自身に影響が及んでいないこの状況下で、ただの外来人を名乗る青年に襲いかかる理由もなかった。例え危険な存在だったとしても、下手に手を出そうとも思えない。
「暫くは様子見ね」
博麗の巫女とは、絶対中立を保つ幻想郷のバランサー。その役目を背負う自分が、個人的な理由で博麗の巫女としての力をふるうわけもいかないし、進んで面倒ごとに関わりたくもない。
仮に何かが起こったとしても、その時は何時ものように『弾幕ごっこ』で退治すればいいだけの話だ。
「ん?」
そこまで考えたところで、ふと霊夢が顔をあげる。
「え、なによアレ」
その視線の先には、慣性の法則にしたがい大きな半円を描いて落ちてくる小さな長方形の影。
霊夢は慌てて両手を差し出すと、くるくると回転しながら落ちてくるその影を受け止めた。
「……よ、羊羮?」
霊夢の手に収まった、見慣れない包装紙――多分、外界のものと思われる――に包まれた、長方形の小箱。そして、達筆な字で書かれた『羊羮』という文字。
何となく察しのついた霊夢が視線を動かすと、境内から伸びる階段を降りきったその場所で、手を振っている青年の影が見えた。
「まったく、一体どこに持ってたのかしら」
見たところ手荷物の類いなど見えなかった青年の姿を思い浮かべながら、霊夢はその口許を小さく綻ばせる。
「ま、今のところは悪いやつではなさそうだけどね」
しばしの間手を振ると、影は再び、軽快な足取りで続く道を進み始める。
霊夢はその後ろ姿を、羊羮のお礼に、せめて見えなくなるまでは見送ってやろうと考えて眺め続けた。
「――――!?」
「あ」
順調に歩を進めていた影が、奇声を上げて見馴れた『スキマ』に吸い込まれるその時まで。
「…………」
階段を降りた先の、人里に続く道の地面。そこに広がる、剃刀で引き裂いたかのようにパックリ割れ、両端にリボンの結ばれている裂け目。
その先には、ギョロりとした幾数もの眼球が蠢き、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの物が漂っている異空間が存在することを霊夢は知っていた。
何故なら、その異空間へと繋がる裂け目――『スキマ』を作り出す『境界を操る程度の能力』をもつ妖怪こそが、この幻想郷を管理者であり、自分に博麗の巫女の役目を課した大妖怪『八雲 紫』なのだから。
「…………はぁ」
まるで喜劇でも見ているかのような大袈裟な反応でスキマに落ちていった青年。その姿になにもかも馬鹿馬鹿しくなり、霊夢は直前までの逼迫した思考を彼方へと追いやってしまう。
「そう言えば、もうお昼ね」
青年の応対をしていたおかげで、清掃が終わった頃にはまだ傾いていた太陽も、すっかり中天に上りきっていた。
雲一つない青空を仰ぎながら、霊夢は呑気に欠伸を一つ。
「お昼御飯たーべよ」
手に入ったばかり羊羮の味を脳裏にシミュレートしながら、暴れまわる腹の虫を沈めるべく、少女は踵を返して神社へと歩いていくのだった。
タイトル入力間違えまくる