愉快犯が暇潰しに幻想入り   作:苦瓜

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六話 幻想郷と黒の旅人

 博麗神社からのびる人里への細道。

 手入れがされておらず草がぼうぼうに伸びきり、凹凸だらけといった有り様を呈している道の上で響く、音。

 

「はあぁ――――」

 

 地鳴りのような溜め息だった。

 長々と空気を震わせて宙に霧散したその発生源は紛れもなく、その一張羅を所々焦がし、癖のある髪をよりボサボサにした青年――夜胤である。

 

「どうして、こうも上手くいかないのだろうか」

 

 幻想入りしてからどうにも碌な目に会っていないことに、夜胤は肩を落としていた。

 半日森をさ迷い、巫女に脅され、空から落ち、かつての知り合いに恨み言と共に勝負を吹っ掛けられる。一部は自業自得とは言えども、ここまで連面と厄介事が続くとなると、どうにも人間の心身には辛いものがあった。

 それに――

 

「結局、巧い具合に纏められてしまったか」

 

 ――自身の手首に巻き付いた、紫色の華やかなリボンを見て、夜胤はごちる。

 夜胤の手首に巻かれたそのリボンは、スキマ妖怪八雲紫お手製の魔道具だった。

 その効果は、夜胤と紫の間での通信を始めとした、紫への呼び出し信号や、夜胤の側へいつでもスキマをつくることの出来る機能など多岐にわたる。

 だが、その主な目的は夜胤の行動の監視であり――つまるところ、この魔道具は飼い犬につける首輪とリードのようなものである。

 夜胤が不用意な行動を起こさぬよう牽制し、また、弾幕ごっこの末に交わされた契約に反するようなことがあれば、直ぐにでも幻想郷から夜胤を追い出せるようにと。

 

「とどのつまりは、私はあの少女にまったくもって信頼されていないと言うわけだ」

 

 苛烈極まる弾幕の応酬の末に果たされた契約。満面の笑顔で粛々と取り決めを進めた後、あまりにも自然な動作でこのリボンを夜胤に巻き付けた紫。自分の腕に監視道具を巻き付けた紫を前に、夜胤はただただ閉口するしかなかった。

 

 ――約五百年と少し。それだけ時を経ても、彼女との間にある蟠りは、溶けてはいないのだろうな。

 

 思い返すはかつての記憶。八雲紫という少女と過ごした、濃密な時間とその結末。

 夜胤はそれを、たった一回の弾幕ごっこでうやむやに出来るほど軽いものだとは思ってもいなかったし、きっとこれからもそうだと思っている。進んでどうこうする気など夜胤には毛頭ない。

 

「……まあ、今さら考えた所で栓なきことか」

 

 紫は夜胤のことを『Nyarlathotep(ナイアルラトホテップ)』の名で呼んだのだ。故に、夜胤はかつての記憶に対する女々しい思考をかき消した。

 紫がその名を理解している限り、何を考えた所で、結局は無駄足でしかないことを知っていたからだ。

 

「どうせ、時が来たら嫌でも向き合うことになる」

 

 信用されぬならば、それでいい。少しでも私を理解しているつもり(・ ・ ・)であれば、それこそが賢い選択というもの。私としても、その方が面白い。

 夜胤は口元に三日月形の笑みを浮かべる。

 

「それに、後ろ暗いことだけでもなかったろうに」

 

 夜胤は思い浮かべる。自身の腕にリボンをつけ、粗方の取り決めを交わした後に紫が切った啖呵の内容を。

 まるで、幼い少女が身に余る自信を溢れさせながら、自分がなした功績を自慢するように。堂々と胸を張って言い切ったその言葉を。

 

『貴方が旅して見てきたどんな場所よりも、この幻想郷が美しいと保証してあげる』

 

 ――ならば、拝見させてもらうとしよう。

 私が見ていた、あの雛のように頼りない楽園の姿から、一体どのような成長を果たしたのかを。

 

「それが、私が目指す最果てへの手掛かりとなるのならば」

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「終わった……」

 

 悠々とした振る舞いで立ち去った夜胤の背中が見えなくなった頃。

 その顔に張り付けていた幻想郷の管理者としての仮面を脱ぎ去った紫は、肺一杯に空気を詰め込むや、体にこもった熱と共に大きく吐き出した。

 

「相変わらず、胡散臭い男……話してると肩が凝っちゃうわ」

 

 ぐるんぐるんと勢いよく両腕を振り回しながら、紫は自身の手首に巻き付いている紫色のリボンを一瞥する。

 そのリボンは紫が自作した魔道具であり、効果として、同じものを着けている者の位置特定や双方向の通信など多岐にわたる。が、その主な製作理由としてはこれを着けている対象の監視であり、事実、対象の位置がわかることにより何時でも対象の近くにスキマを開くことができるのだから。

 つまりは、夜胤が不穏な動きをすれば直ぐにでもスキマによって幻想郷から追放することが可能という訳だ。

 

「弾幕ごっこで引き分けたのは予想外だったけれども、これを着けることができただけ上出来かしら」

 

 互いを煽り会うような言葉の応酬に、夜胤の言葉に対する不満の漏出。そして止めとばかりに言い切った啖呵。思い返せば身震いするほどに自分自身の感情が表に出ていたのだが、そこから対等な立場での契約へと持ち込めたのは本当に幸運だった。弾幕ごっこに持ち込めたというのが一番大きいが、当の夜胤自体も、そうなるように立ち振舞っていた気がするのは気のせいか。

 

「なんというか」

 

 ――掴み所がない。

 

 夜胤にとっても予想外だったはずの今回の顔合わせ。

 それなのに、夜胤と相対したことで紫が得たものと言えば、夜胤の行動に対する制限と、この幻想郷に何らかの目的があるという何とも不明瞭な部分のみ。

 対する夜胤としては、その行動に監視がついたとはいえ、名実ともに幻想郷に滞在する許可が取れたのだから成果としては大いに十分と言えるだろう。

 何だか一方的に手札を毟りとられた気がする。むろん、幻想郷への不穏因子に対策を講じることが目的だったこともあり、夜胤に顔を出したのも牽制の意味合いが強い。故に最上の結果を望んでいたわけでもないのだが、やはり思うところもある。

 

 ――どうして、今更。

 

「ダメよ。それはダメ」

 

 無意識的に浮かび上がった思考を、一喝するように頬を叩いて落した。

 だが、へばりついている記憶の残り香は、脳裏に焼き付いて離れない。忘れかけていたはずのそれが、青年の姿を前にしたことにより、鎌首をもたげている。その事実は、紫をどうしようもなく陰鬱とした気分にさせる。

 

「忘れたくても忘れられないって、辛いこと」

 

 さ迷わせるようにしていた指先で、日傘の柄をつつく。その動作に合わせて、日傘のレースがゆらゆらと頼りなく揺れた。

 

「……けれど、それでいいのかもしれないわね」

 

 忘れたいこともある。だが、それが全てではない。

 朧気な光景。暖かな日溜まりの中で並ぶ、三つの影。それは紛れもなく、紫が幻想郷で過ごした時間の一つ。

 それを無条件に忘却するのは、幻想郷を愛するものとしては些か惜しい。

 

「夜胤には存分に幻想郷を堪能して貰いましょうか」

 

 向き合うにしろ向き合わないにしろ、自分自身が引き摺っているのは確かだ。なら、それらを精算するには丁度いい機会だろう。

 大妖怪八雲紫に、同じ場所で足踏みするのは似合わないのだ。

 

「気にすることはないわよねぇ。この先にどんな結末が待っていても、きっと」

 

 私たち(・ ・ ・)が創り上げた幻想郷は、それを受け入れてくれるのだから。

 

 その考えに、紫は小さく口元を綻ばせると、優雅な所作で身を翻した。

 少女然とした背中に迷いはなく、相変わらずの胡散臭い空気を纏ったまま、ゆっくりと開いた空間の裂け目へと消えていくばかり。

 あとに残るのは、緩やかな青を描く雄大な空と、少しだけ春の訪れを予感させる、ヒヤリとした風が吹き抜けるのみだった。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 なだらかな勾配の坂道をくだりながら、夜胤は目前に広がる景色へ思いを馳せる。

 

「はは……」

 

 夜胤は笑う。喉から絞り出したような声は、吹き抜けた麗らかな風によって浚われていった。

 

 夜胤の目に写ったのは、幻想郷の姿の一端。

 

 遠くに続いている細道の先。そこにある木造建築が密集した円形。話に聞いていた人里だろうか。天上から注ぐ日の光に照らされて、鮮やかな生活風景が浮かんでいる。

 そんな人里に隣り合うように流れるのは、透き通った河川。細やかに光を反射して、水流のうねりと共に漂う煌めきは、さながら天然の万華鏡といったところか。

 少し離れた一帯には森があり、瑞々しい青葉をざわざわと波打たせ、まるで深緑の大海でも見ているような気分になる。目を凝らすと、森の継ぎ目には霧がかった湖が揺らめいていた。

 遠目に見えるのは、山だ。空を突き破るように在るそれは、日本の最高峰である富士山に劣らぬほどに巨大な峰。

 

 まるで、思い付く限りの要素を繋ぎ合わせたような一面の景色は、各々が自分勝手に存在を主張している。

 しかし、その末に出来上がったのは荒々しく強かな美しさを感じさせる、自然と生命が香る悠久の景色。

 

「……日の国か」

 

 脳裏によぎる、遥か昔に存在した魑魅魍魎と神々の住まう島国の名。夜胤の目前にある世界は正しく、すでに失われたその姿を体現している――数多の神々が恋した幻想郷そのもの。

 

「確かに、あれだけ躍起になって私に啖呵を切ったのも、理解できると言うものだ」

 

 むしろ、これを創り上げたことを誇らずして何を誇るというのか。

 

「ああ……胸が高鳴るな」

 

 口元が吊り上がり、裂けるような三日月形の笑みへと変わる。

 妖怪に神々に人。多くの齟齬も矛盾も孕んでいるであろうそれらの共存関係。まだ見ぬそれは紛れもなく、夜胤が追い求めるものに辿り着く足掛かりでもあり、その上で成り立つ世界というものは、個人的にも興味の尽きないものだ。

 

「さあ、幻想郷を巡る旅をはじめようか」

 

 きっとそれは、息つく暇もないほどに、愉快なものに違いない。

 夜胤は、内に渦巻く混沌とした感情をひた隠しにして、人里へと続く坂道を悠然と下り始めた。

 

 吹きつける風が、その身に纏うコートの裾をはためかせる。まるで、かけられた暗幕が引かれるように、黒い影が尾を引いた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 これから始まるのは、とある旅人が歩む旅路の記録。

 

 それはかくも騒がしく、かくも愉快。時として幻想郷の存在を揺るがすような事件を巻き起こしながらも、そこに住まう住人たちと共に、終着点を目指した旅人の記憶。

 

 全てを冷笑し、全てを嘆賞する旅人の――狂気と混沌に満ちた、何てことはない物語である。




実質ここまでがプロローグ。

次の章にむけて書き溜めをつくるので間を開けます。

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