□2043年7月15日 都内某マンションの一室
「買ってしまった…」
男は自室にある机の上に置いてある箱を見てハァと溜め息をついた。箱の中身は先日急に発売が決定されたダイブ型VRMMOのゲームである<InfiniteDendrogram>が入っている。
「とりあえず、ダメでもともとだし早くやってみるか」
ダメでもともとというのは、従来のダイブ型VRMMOはそれはもう酷いものだったのだ。幾多もの問題点があり、売上が出ずに会社がいくつも倒産している。初めてのダイブ型VRMMOとなった「NEXT WORLD」が発売した時には男はまだ10歳ほどだったが、その酷評振りはよく覚えている。しかし、この<Infinite Dendrogram>の製作者はその問題点を解決して余りあるゲームを開発したというのだ、曰く
一つ、完全なるリアリティを保障。
五感を完璧に再現する。ただし痛覚はONOFFが可能なので安心してプレイいただける。
二つ、単一サーバー。
仮に億人単位でも全プレイヤーが同じ世界で遊戯可能。
三つ、個別選択可能なグラフィックス。
現実視、3DCG、2Dアニメーションの中からどうやって世界を見るかを選択できる。
四つ、現実時間とゲーム時間の乖離。
ゲーム内では現実の三倍の速度で時が進む。
の4つの要素を組み込んだゲームだというのだ。しかもそれが1万円程度で買えるなどありえない。当然、世界はこんなもの信用しない。そのような夢のゲームなどありはしない。そう思っていたがほんの少しの人間はそれでも僅かな希望を抱いて買ってしまうのだ、ゲーム自体もそれほど高くないといえば買ってしまう人もいる。その中の1人がこの男、阿藤皐月であった。
「それじゃあ早速始めますか」
呟きながら箱を開け、中身のヘルメットを取り出して、取扱説明書に従い、ベッドの上に横になりながら、ヘルメットを被ってスイッチを入れる。
瞬間、声を出す暇もなく視界が暗転した。
◇
「ご新規さん。いらっしゃーい」
声をかけられて意識が覚醒する。周りをキョロキョロと見てみると、そこはさっきまで俺がいた自室の部屋ではなく、木造の洋館を思わせる書斎のような部屋にいた。そして、
「大丈夫かい?聞こえているかい?」
「オーケー、大丈夫。聞こえてるよ」
「それは良かったー。まだ慣れてないから少し心配したよ」
ふーっと安心したように吐息を吐くのは椅子に座っている白い猫だ。先程まで声をかけてきていたのもこの猫だ。
「まず、自己紹介と行こうか、僕の名前は管理AI13号のチェシャだよ。そして、ここは初期設定するための部屋だよ。ここで色々設定してもらってから
<Infinite Dendrogram>の世界に入ってもらうんだー」
「俺の名前は阿藤皐月って、言っても良かったのか、いや、管理AIとか言うぐらいだから、運営側なんだろうが…」
流れに乗って自己紹介してしまい、続く声が小さくなっていく。完璧に違和感なく会話が成立しているが、こんな管理AIが最低でも13も体もいる考えると、このゲームに期待してしまう。
「うん。僕は運営側だがら言っても問題ないけど、他の人には注意して話してね。リアルで大変なことになってしまうかもしれないし」
「わかった気をつける」
やはり、自己紹介をするのは気をつけないといけない。自分の名前はリアル世界で少々有名なので気をつけないと、色々と困ることもあるだろう。
「とりあえず、描画設定から決めてもらって良いかな?今から出すサンプル映像から好きな描画を決めてね」
「分かった」
そうやって映し出されたのは中世のヨーロッパのような街並みだ。その景色がCG、アニメーション、リアルと3つの映像を切り替えながら映し出されている。その中から俺は
「今のままのリアル描写で」
「分かった。アイテムを使ったら描写を変えることもできるから、描写が辛くなったら変えてね」
「了解」
短く返事をする。ちなみにリアル描写にしたのは、せっかく五感が感じられるゲームなのだし、よりリアルに楽しみたいからである。
「じゃあ次に名前を決めてもらおうかなー。名前考えてないなら後回しにしても良いけど」
「名前はいつもゲームで使っているのがあるからそれにするよ。ディアボロ・モスカで。あっ、ディアボロとモスカの間に中点を入れておいてくれ」
「了解。ディアボロ・モスカだねー」
この名前は昔にゲームのプレイヤーネームを統一しようとして連想ゲームみたいにして決めた名前だ。阿藤の「あ」から始まる「悪魔」そして皐月→五月→五月蝿い→「蝿」。悪魔と蝿をイタリア語に変換するとディアボロ・モスカになる。
「次は容姿を決めようか」
そうチェシャは言うと、俺の目の前にのっぺらぼうのマネキンと沢山の画面が出現した。画面の中には「身長」「体重」「腕の長さ」「髪の色」など多種多様な設定が並んでいた。
「この中から作るのか?」
「他にも動物型アバターで作ることも出来るよ。四足歩行とかにすると歩き辛くて難しいと思うからオススメしないけどね」
俺はその言葉に驚愕してしまう。ただでさえ多いのにそこに、動物型だとか言われても、正直そこまで詳しく設定できる気がしない。
「とりあえず俺の容姿をそのままコピーすることは可能か?」
「できるよー。今準備するからちょっと待ってね」
俺はホッとして待った。ある程度モデルがあった方が弄りやすい。少しするとマネキンが俺そっくりの体へと変身する。改めて自分の姿を真正面からみると、少しだけ自画自賛したくなる。身長180cmほどで筋肉は多すぎず、少なすぎずの細マッチョと言ったところか。顔の造形自体も少し濃いが上の下と言ったところ。まあ知り合いと比べてしまうと霞むが。
「そっくり同じっていうのはリアルバレ防止のためにオススメしないよ。髪の毛とか目の色とかは変えて欲しいかな」
「それもそうだな。何色にしようかな」
俺はチェシャ言われてから髪と目の色を画面で弄り出す。体の方は何もいじらないことにした。
「よし、決まった」
数分かけて、髪の色は銀髪、目の色は紅にした。配色はアルビノを意識した。
「じゃあ次は配布アイテムを渡そうかなー」
「お、どんなのがあるんだ?」
好奇心を抑えずに聞くことにした。このゲームで初めてもらえるアイテムだ。興味がある。
「まずは、収納カバン。所謂アイテムボックスだよ。中身が異空間になっていて、ディアボロ君の持ち物は入るけど、その他の人の持ち物は入れられない仕様になってるんだ」
「へー、凄いな。あ、盗まれることの心配とかってあるのか?」
見た目普通の黒い鞄を渡されて、中を見ながら俺は心配になったことを聞いた。
「【盗賊】とかのジョブで使える《窃盗》とかのスキルのレベルを上げれば中身を奪うことは可能になるよ。カバン自体は盗まないけど。それから、ちなみにだけどPKしたり、《窃盗》したりして奪ったアイテムはアイテムボックスの中にも入れらるようになるよ」
「【盗賊】とPKが怖いな。やっぱりジョブとかもあるのか」
「あるよー、凄い沢山の種類があるから。楽しみにしててね」
「ありがとう。期待しとく」
そう俺は本心から答える。始まる前(正確にはまだ初期設定しているだけで、始まってないが)このゲームに期待せずにいたが、もはやこのゲームへの期待はうなぎ登りだ、早く始めたいと思ってしまう。
「次に、初心者装備一式を選んでねー。いくつか見せるからそこから選んで」
そう言ってチェシャは本棚から取り出してたカタログを見せる。
その中に、和服や洋服、チャイナや巫女装束などまである。その中から
「じゃあこれにしよう」
そう言いながら、洋服を選ぶ。黒のインナーとジャケットに、濃紺のジーンズだ。シンプルな方が良いだろうって思ったからだ。
「じゃあ次は武器だね」
そう言いながら次のカタログを見せられる。その中には剣、槍、杖、盾はてにはスリンガーなど様々な種類がある。
「ナイフにしようかな。振りやすそうだし」
「じゃあ装備と武器は決まったから、変えるよー。とりゃー」
気合いが入っているのか判断しかねる声をチェシャが出すと、俺の服装がさっき見ていた装備と武器に変わる。どうやらナイフは腰のあたりつけられているようだ。
「おお、凄いな!見た目と結構あっててよかった」
「それは何よりだね」
チェシャの行った早着替えの術に驚いて声を出していると、チェシャにも喜んでもらえた。
「最後に、初期路銀を渡しておくね。5000リルあるけど、10リルでパン1つ分ぐらいの値段かな。ちなみにこれ以外に運営からお金渡したりはしないからお金には気をつけてね」
「分かった、気をつける。それよりも、10リルでパンってことは1リル10円ぐらいってことか」
つまり初期路銀は5万円程ということだが、ゲームの中では高いのかいまいちわからない。武器にどれだけ費用が掛かるかわからないので、とりあえず聞いてみる。
「武器の値段はどれぐらいなんだ?」
「初期装備とかだと1000リルぐらいかな?かなり良い品だと5億リルとかするのもあるからピンキリかな」
「5億リルって、そんな高いのもあるのか。それはちょっとやる気でるな」
ピンキリなのはある程度分かっていたが、そこまで高いのがあるとは思わなかった。それを買えるように頑張ってお金貯めてみようかな。
「最後に<エンブリオ>についてだよー」
「<エンブリオ>?」
「うん。<エンブリオ>って言うのはこの<Infinite Dendrogram>の中でも最大の醍醐味なんだ。<エンブリオ>の説明をした方が良いよね?」
「もちろん。是非してくれ」
少しだけ前のめりになりながら、もっと話を聞かせてくれ迫る。<エンブリオ>がこのゲームの醍醐味と言われたら聞かずにはいられない。
「エンブリオは全プレイヤーがスタート時に手渡されるけれど、同じ形なのは最初の第0形態だけ。第一形態以降は持ち主に合わせて全く違う変化を遂げるよ」
「へー、NPCとかは持ってないのか?」
「うん。持ってないよ、持っているのはプレイヤーだけ。あ、あとNPCは向こうの世界ではティアンって呼ばれてるから注意してね」
「ティアン、ね。了解、注意しておく」
ティアンはもったいなくてプレイヤーだけ持っているとかなり特別な力なのかな?少しだけ考えていると、チェシャは説明の続きを話し出した
「大まかなカテゴリーで言うとー。
プレイヤーが装備する武器や防具、道具型のTYPE:アームズ
プレイヤーを護衛するモンスター型のTYPE:ガードナー
プレイヤーが搭乗する乗り物型のTYPE:チャリオッツ
プレイヤーが居住できる建物型のTYPE:キャッスル
プレイヤーが展開する結界型のTYPE:テリトリー
かなー」
「へー、5種類もあるのか」
「いや、他にもレアカテゴリーとかあるから気になったら探してみると良いよ」
「レアカテゴリーとかもあるのか凄いな」
自分がどの形態になるのか気になりながら、話を聞いている。レアカテゴリーはレアというだけあって、珍しいだろう。と考えると、ガードナーとか欲しいかもしれないな。単純に頭数が増えて、戦闘が楽になると考えると良いカテゴリーだろう。別に他のカテゴリーが悪いわけではないが。
「ちなみに、上位カテゴリーやオンリーワンカテゴリーと言われるようなカテゴリーもあるから。自分の<エンブリオ>が何になるか期待しといてね」
「…ああ、凄く期待してる」
一瞬、自分の考えを読まれたかと思い、少し返事が遅くなったが、期待していることを伝える。
「ところで<エンブリオ>って何で決定させるんだ?」
話を聞いていた中で一番の疑問だったところを聞いてみた。
「基本的にはプレイヤー個人の行動とかを読み取って、その人のパーソナリティに沿ったカテゴリーに進化していくよ」
「そうか。それならリセマラして、行動とかを変えていたら自分の理想の<エンブリオ>になるとか考える奴もいるのか?」
「考える人はたくさんいるけど、それは出来ないよ。こっちでプレイヤーの脳波を検知しているからね。仮に新しい機械にしても同じアバターでログインすることになるよ」
「凄いな!本当に!」
俺は本気で驚いていた。そんな技術があるなんて思っていなかった。それほどの技術があるのならば<エンブリオ>もさぞ凄いのだろう。ワクワクしてきた。
「話してる間に<エンブリオ>移植完了したから左手を確認してね」
「えっ!?」
慌てて左手を見ると、甲の部分に淡く輝く卵型の宝石が埋め込まれていた。なんとなくさすりながらチェシャの話の続きを聞いていく。
「それが<エンブリオ>ねー。第0形態はそんな風にくっついているだけなのだけど、孵化して第一形態になったら外れるからー。第0形態だとダメージとか壊れることはないから安心してねー」
「ってことは第1形態からは壊れる可能性があるのか?」
「うん。壊れたりするけど、時間経過で治るから心配しなくても良いよー。他の普通のアイテムやテイムモンスターは壊れたら基本的に治らないから気をつけてね」
「テイムモンスターってことはテイマーとかのジョブもあるのか」
「うん。あるね。けどテイムモンスターは死んだらそれまでだから、本当に気をつけてね」
「…死ぬのか、それは嫌…だな」
本当に嫌だ。中学生のころ、俺の両親は仕事の関係で車で移動していたところを車に横から衝突されて死んだ。本当に悲しかったからな。両親の遺産と加害者からの慰謝料で楽な生活はさせて貰っているが、それとこれとは話が別だ、今でも思い出して涙ぐみそうになるが、なんとか我慢する。
「大丈夫?」
「ああ、問題ない。話を元に戻そう」
「そうだね。あと話していないのは紋章の<エンブリオ>を格納する効果があることかな。用事がないときは左手にしまっておくのー。このゲームをプレイする限りはずっと一緒ですのでー。大事に扱ってくださいね」
「ああ、大事にするよ」
<エンブリオ>をさすっていた右手をどかして、卵型の宝石を見ると少しだけ光った気がした。
「最後に、最初に所属する国を選択してねー」
そう声をかけながら、チェシャは書斎の上いっぱいに地図を広げた。その地図は古いスクロール型だったが、その地図の七箇所から光の柱が立つ。その光の柱には、街々の様子が映し出されている。
「この光の柱が立ち上っている国が初期に所属可能な国だね。柱から見えているのはそれぞれの国の首都の様子です」
それぞれの光の柱の周囲には、国の名前や説明が光の文字となって浮かんでいる。
白亜の城を中心に、城壁に囲まれた正に西洋ファンタジーの街並み
騎士の国『アルター王国』
桜舞う中で木造の町並み、そして市井を見下ろす和風の城郭
刃の国『天地』
幽玄な空気を漂わせる山々と、悠久の時を流れる大河の狭間
武仙の国『黄河帝国』
無数の工場から立ち上る黒煙が雲となって空を塞ぎ、地には鋼鉄の都市
機械の国『ドライフ皇国』
見渡す限りの砂漠に囲まれた巨大なオアシスに寄り添うようにバザールが並ぶ
商業都市郡『カルディナ』
大海原の真ん中で無数の巨大船が連結されて出来上がった人造の大地
海上国家『グランバロア』
深き森の中、世界樹の麓に作られたエルフと妖精、亜人達の住まう秘境の花園
妖精郷『レジェンダリア』
「おおおおぉ」
俺は語彙力を失って感嘆の声を上げるしかない。どの街々のかなり作り込まれていて、正直な話、ゲームだと思っていても現実だと勘違いしてしまいそうになる。それに、どの国も魅力がありそうでどこも行ってみたくなる。
「後で所属国を変えられるイベントもあるから、自由に決めても良いと思うよー」
「それなら、カルディナにしようかな」
「ちなみにカルディナにしようと思った理由を聞いても良いかなー?」
「商業都市群ってことはいろんなアイテムとかあるだろし、初期の国にするにはちょうど良いかなって」
「なるほど、そういう理由ねー。わかったー」
うんうん。頷いて、何かにメモを取っている。統計でも取っているのだろうか。メモを書き終わったチェシャが
「それじゃあ、カルディナの商業都市のコルタナって所に飛ばすよー」
「ちょっと待って、このゲームって何をしたらクリアなんだ?」
「うーん?」
チェシャは少しだけ考えてから答え始める。
「明確なクリアはないよー。何してくれても良いのー。英雄になるのも魔王になるのも、王になるのも奴隷になるのも、善人になるのも悪人になるのも、何かするのも何もしないのも、<Infinite Dendrogram>に居ても、<Infinite Dendrogram>を去っても、何でも自由だよ。出来るなら何をしたっていいよー」
そこまで言うと、一旦言葉を切り、チェシャは少しだけ真面目な表情になり
「君の手にある<エンブリオ>と同じ。これから始まるのは無限の可能性」
真剣な表情で間延びしない口調で
「<Infinite Dendrogram>へようこそ。“僕ら”は君の来訪を歓迎する」
その瞬間、部屋が一瞬にして消え去って、戸惑う間さえ与えられずに俺の体は空に投げ出されていた。
「えっ!?」
驚愕で目を見開いた先にあるのは先程見せてもらった地図によく似た地形。その中でも商業都市コルタナと呼ばれた、俺が初期地点に選んだ都市へと、俺の体は高速で落下して行った。
これが俺の体験した< Infinite Dendrogram>の世界における初めての衝撃体験だった。