認知世界の他に、新たなSF要素があります。
拙作『もしも、下宿初日に佐倉双葉と出会ったら』とは何の関係もありません。
一部の原作キャラが、不幸な目に遭う可能性があります。
『それでもいいよ!』という方は、どうぞお付き合いくださいませ。
一話『ネコ拾った』
道端で猫が倒れていた。
それも雨が降る中。立ち上がることもしないで、その猫は濡れるアスファルトの上に身体をさらけ出している。体中に傷があるようだから、このまま放っておけば、それが息を止めるのも時間の問題だろう。
「……うげー」
やってしまった。
いつもと違う道のりで帰って来たのが裏目にでた。
少なくともいつも通りに帰って来てさえいれば、あまりにも胸糞悪いこの光景を見ずに済んだのに。
今まで歩いてきことで生まれた慣性に従って、猫の前を通り過ぎる。
猫は助けを求めようと、鳴いては来なかった。
ただ黙って私の目を見続けている。
「……」
そのまま見捨ててしまえばいい。
私の人格の一つがそう言った。
でも、きっと後悔する。
と私は思った。
目もくれずに帰ってしまえば、いつか私はその光景を思い出してしまう。
例えば降りしきる雨の中。
例えば猫カフェで奴らの肉球を愛でている時。
例えば魔女宅で黒猫のジジが雨に濡れている時。
私は路傍の石ころみたいに横たわっている黒猫を思い出して、ウンザリしたり、激しく後悔したりするのだ。
だから。
「……チッ」
私は身を翻して、黒猫の傍まで寄る。
何の反応も見せない黒猫にちょっと苛立って、乱暴に背中の皮を掴んで持ち上げた。
「今からお前を私の家に持ち帰る」
「……」
「別に、お前の為じゃないからな。あくまで私のためだ」
「……」
そう。
この黒猫の為じゃない。
精神衛生的な意味で明るい未来を生きたいと願う私の将来のためだ。
「以上。文句はあるか。あるなら『にゃあ』ではなく、ちゃんと『ある』と言え」
「……ある」
「うわぁ!?」
猫が喋った!?
私はほぼ無意識に黒猫を放り投げた。
黒猫は一度壁に張り付き、重力に従って落ちて「ぐぇ」と奇妙な声を出した。
雨脚が強くなる。私は派手な尻もちをついている。
それが私と、喋る奇妙な黒猫との出会いだった。
「いてぇ! おい、もうちょっと優しーくっ……い、いてぇ……」
早速連れ帰り、私は黒猫の身体を洗う。素手で毛をこする度に真っ白な泡が茶色に変わっていく。これは時間が掛かりそうだな……。
猫の洗い方、これで合っているかも分からないし。まあいいや。誰かに見られている訳じゃない。
「泣き言言うな。傷口からばい菌が入ってたら面倒だからな。男なんだからちょっとは我慢……ん? お前、男なのか?」
「し、染みる……。え? あ、ああ、正真正銘の男だが……」
「ほぅ。どれ、確かめさせろ」
「確かめるったって、何を、」
黒猫の股間をまさぐってみる。
「ギニャー!」
「……あ、ついてる」
ちゃんとしかるべき部位は備わっていた。
「な、なんでワガハイがこんな目に……。うぅ、拾われるなら可愛い女の子が良かったぜ……」
「下心丸出しだな」
「具体的には、金髪でツインテールの、モデル体型かつハーフの美女」
「ダダ洩れじゃないか……」
具体的に過ぎる。そんな奴、蒼山一丁目を捜し歩いても早々見つからないだろう。
というか知り合いにいた。名前は……忘れてしまったけれど。
「悪かったな、私で」
「うむ。苦しゅうない」
「……」
「いてぇ! 無言で傷口にシャワーを掛けるのはやめろ!?」
コイツとはいい友人になれそうだ。
一通り黒猫の身体を洗った後、シャワーを被せてタオルで覆う。
乾いたタオルで黒猫の身体を拭いて廊下へとやった。私は冷蔵庫へと向かう。
キャットフードは勿論ない。アイツが食べられそうなのは……一つ寂しく横たわっている魚肉ソーセージ。
牛乳は……結局猫にはダメなんだっけ? まあ、ちょっとくらいならいいだろう。
洗面所向かいの台所で、魚肉ソーセージを輪切りにしながら、居間を遠目で覗いてみる。
ミニマリストに目覚めてしまったようにほとんど何もない部屋に、かろうじて自分の場所を見つけたのか黒猫はソファーで丸くなっていた。ちなみにコタツはない。
「おい。寝るな」
「……んぁ?」
「寝るな。食え。さもなくば俺、お前、まるかじり」
「分かったよ……」
捨て猫の分際なのに、しぶしぶといった様子で魚肉ソーセージを食べているのが気に食わない。
猫か。
まさか、私以外の異物を部屋に入らせているなんて、数か月前の私に言えば卒倒するに違いない。そう思えば、私も随分丸くなったものだ。
狭い長屋のマンションの一室にあるなけなしのスペースの一部を、ベッドやらテレビやらゲームやらが占拠して更に狭くなった所に黒猫一匹。
光源のないほの暗い空間にマッチしているような気がしたし、生活感のある部屋に野良猫一匹はチグハグな気もする。
「……」
ずっと猫の食事風景を眺めていても腹は膨れそうにない。
私は立ち上がって、冷蔵庫で冷やしてあるスプライトを取り出し、コップに注いだ。
一気に飲み干す前に、一度私もシャワーを浴びておこうか悩む。
……やめておこう。黒猫に聞きたいことが山ほどある。
「なぁ」
と思っていたら機先を制された。黒猫が食べる手(口?)を止めている。
「なんて呼べばいい」
「何を?」
「お前を」
相手に名前を聞くときはまず自分から名乗り出るというルールは、猫界では適応されていないらしい。
「サトナカ、シノブ。里芋のサトに、真ん中のナカ、名前は忍者のニンの字。里中忍」
「職業は?」
「学生。秀尽学園二年」
「ここは?」
「下宿先」
「……高校生で下宿か。いいご身分だな」と猫は言った、「それとも、前科で飛ばされたのか?」
「放っとけ」と私は言った。「んで、さっさと本題を話せ」
「……どうして今までのが前置きだって分かったんだ?」
「私の個人情報を得た所で、何の足しにもならないだろ」
「確かに……そうだな」
納得されてしまった。いや、まあ、そうなんだけど。
「何故ワガハイの声が聞けるんだ?」
「は……」
またしても機先を制された。
というか、え?
知らないの?
「丸っきり、こっちの台詞、なんだが」
「……そうか」
しかし、黒猫は私の返答をある程度予想していたらしい。
一丁前に目を細めて、じっと考え込むようにしている。
「異世界」
「え?」
「異世界、に行ったことはあるか?」
「はぁ?」
多少わざと、小馬鹿にするつもりで黒猫を煽る。でも、黒猫はじっと私の目を見つめていた。
ということはつまり、異世界が本当にあるのか、異世界が本当にあることを黒猫が信じているかの二択になる。
異世界。……異世界か。
「何故か日本語が通じて、日本人がやって来た瞬間にチート能力を手に入れて、名声ガッポガポで、ヒロインがウハウハのあれか」
「違ぇよ」
「じゃあ、女性の顔が皆整っていて、髪が不可思議な色に染まってて、ダンジョンが沢山あって、ヒロインがウハウハのあれか」
「それも違ぇ! ……てか、それどっちも本質的に一緒じゃねーか」
そうだった。
それに、ヒロインがウハウハなのは避けられない運命。運命と書いてサダメと読む人は、きっと私と友達になれる。
「あるのか?」
「なんだ?」
「異世界」
「あるに決まってる」黒猫は言い切った。「……あ、もしやシノブ、信じてないな?」
ま、説明しても無駄だろうから諦める。と、何一つ信用されていないのに、黒猫は上から目線で何か言ってる。
異世界がどうのこうのよりも、何気にファーストネームで呼ばれていることに疑問を呈したかった。
まあ、コイツともたかが多くて二、三日ほどの付き合いなるはずだから、必死こいて訂正する気力も沸かないな。
「え、二、三日!?」
「なんだよ」
「シノブ、まさか、ワガハイをまた外に放り出すつもりなのか?」
その弱弱しい声と共に、自信満々な黒猫の表情は鳴りを潜めた。
そんなかわいそうな子猫の振りをされようが……くぅ、意外と可愛いな。
しかし。ここは心を鬼にしなければならない。
いや、
「むしろ、今すぐにでも出て行って欲しいところだ。でも、傷だらけのお前を出しても良心が痛むから。だから、傷がある程度癒えるまで……その為の、三日の執行猶予だ」
「……だが、」
「だが、じゃない。でも、じゃない。言ったろ、これは私のためだって。お前を助けたのは、私の自己満で、お前を満足させる為じゃない」
「……。分かったよ」
猫を飼うということは、自分に依存されるということだ。
そんな一方的すぎる関係を、私は望まない。
「お前に、ビビッとくるものがあったんだがな。……ワガハイの勘違いだったようだ。メメントスも知らないようなら、ここに居る意味がない」
「え、ん、いや、待って?」
「なんだ?」
「今なんて言った? メントス?」
「メメントスだ」
その言葉に変な引っかかりを覚えた。
私が引っかかったものは何なのかを思い出す。
……。
「……あれ、」
「?」
「あれ、夢じゃなかったのか」
私が、ひょっとしたら喋る猫に会った時より驚いた、あの怪奇現象。
あまりにも現実味がなさすぎて、その時は夢だということで処理してしまっていたんだけど……。
「もしかして、行ったことがあるのか?」
「行った、といえば行ったことになるの、かな」
厳密に言うなら、気付いたらそこに居た。という感じだ。
鴨志田の熱血すぎる授業にウンザリして、体育の授業を抜け出した私は、何をする訳でもないけど渋谷の雑踏の中にいた。
多分、気を紛らわせていたんだろう。鴨志田のねめつけるような視線と、次第に付いていくことが難しくなっている数学の宇佐美の授業から、私は逃げていた。
TSUTAYAで借りたCDのループが終わってしまったので、別の曲を聞こうとスマホを開いた。
すると、見たことのないアプリのアイコンが、ホーム画面に映し出さていた。
『なんだ、これ……』
暗い赤色の背景の他にはなにも書かれていない、いかにも気味が悪いアプリ。
もちろん能動的に入れた記憶はない。
新手のスパイアプリかもしれないな。と、少し軽率にそのアプリのアイコンを押した後に、
『新商品ですよー! 無料配布中でーす如何ですかー!』
威勢の良い声が、溢れんばかりの人が鳴らす足音の中でもよく響いた。
声のする方向に目を向けると、前方にまとまった人だかりが見えた。
もしや、あれは。
『モンスター……』
風の噂で、あのエナジードリンク会社は、ゲリラ的に道中で新作の無料配布を行っていると聞いたことがある。
ついに私にもツキが回ってきたか。
確信した私は、意気揚々と足を踏み出す。
しかし。
『ありがとうございあしたー!』
人ごみに揉むに揉まれて手に入れたのは、魔剤ではなく錠剤を膨らませた形をしたお菓子だった。
そう。
コーラに投入したらアレするアレだ。
半ば引き気味に、手にしたそれの名前をボソボソ呟いていると。
気づいた時には、私は禍々しい気配を漂わせている空間に佇んでいた。
冗談のような話だが、いや、冗談のような話だったので、私は死に狂いで走り回った。
気付いたら街の中に戻っていて、気付いたら私の住むマンションに住んでいて、気付いたらベッドで突っ伏していた。
あの体験が決して夢ではなくて、あそこが黒猫の言う異世界だったとするならば。
きっと話は変わって来る。
「そこだ! そこがメメントスだ」
あらかた話をすると黒猫は言った。
「きっと、そこで喋っているワガハイを認知したのかもしれないな」
日常会話では聞きなれない単語が飛び出した。
認知した?
それに……いや、記憶は朧気だけど、喋る猫と出くわした記憶は流石にない。
喋る二頭身の変なバケモノは見たような気もするが……。
「異世界に入れるアプリか。……そのアプリの正体も気になるが、シノブ、パレスは知ってるか?」
「いや、知らないけど」
メメントス? パレス?
……やばい、頭が混乱してきた。
色々と詰め込みすぎじゃないか?
まあいい、難しいことは明日考えよう。
今日はもう寝ようぜ。
「分かった。まあ、何日掛かるか分からないが、シノブに異世界のこと、みっちり教えてやる」
「いや、お前は傷が癒えたらさっさと出て行け……」
長いこと居座るつもりか?
その手には乗らない。
「あ、」
私が質問したかったことを訊いてくれたおかげで、忘れるところだった。
もう一つの質問。
「名前」
「なんだ?」
「お前の名前。まだ、聞いてない」
たかが三日。されど、三日間『お前』で突き通すには、ちょっと不便だろう。
辺りももう暗くなり始めている。黒猫の黒い瞳が大きくなっていた。
「モルガナだ」
よろしくお願いします!