ネコ拾ったら、自称未来人から電話が来た   作:菓子子

12 / 17
十二話『実感』

 どうして。

 高巻杏があんなところにいるんだ。

 考える前に、私の足は動き出していた。

 屋上へ。二つ階段をのぼった先。私は二段飛ばしで駆け上がる。

 一度踏み外して、脛に階段の先を殴打した。痛みはない。再び歩き出した五歩目くらいで、じんわりと痛みが広がってくる。

 まだ『その音』は、私の耳には入っていない。間に合え。間に合ってくれ。必死の思いで息せき切りながら、私はノアノブに手を掛けた。

 ……でも。

 

「……っ、なん、で!」

 

 開かない。

 鍵が掛かっているのか。

 

『もう屋上には近づかないこと。一応言っとくけど、先生の間で話し合って、当分の間は屋上の鍵を閉めておくことに決まったから』

 

 朝の会で言っていた、川上の言葉を思い出して私は舌打ちする。

 

「開いてよ……くっ、なぁ、聞いてるか? 高巻、頼むから、開けてくれよ、なぁ」

 

 返事はない。

 私は強引に開けようと、ドアノブを力任せに引いては押して、扉の破壊を試みる。

 しかしビクともしなかった。

 

「私だ、里中だよ、あの不愛想で、人の気も知らないで分かった気になってる、面倒くさい女」

 

 いつしか私は無意味な言葉を紡いでいた。

 もう届くことがないことは分かっているのに。

 タイミングを逸してしまっていることは、分かりきっているのに。

 それでもまだ間に合うんだと信じ込んだ。そうでもしないと、迫ってくる恐怖と焦りに、どうにかなってしまいそうだったから。悔恨と諦めの悪さが混ざった言葉は、溢れ出して止まらなかった。

 

「あのな高巻、私、最近上手いカレー屋を見つけたんだ。良かったら、高巻も一緒にどうかなって。そこなら、高巻が最近悩んでることも聞いてあげれる気がしてな。ああ、そう、最近お前、なんか変に思い詰めてるだろ。聞いてやるからさ、お前、そんなとこで突っ立ってないで、こっちに来なよ」

 

 返事はない。

 

「なぁ、高巻、お前なんでそんなところにいるんだよ。いくら私が反応しないからって、そんな興味の惹き方はないだろう? ぶっちゃけあり得ないから。でも、私の降参だ。負けたよ。仕方がないけど、話を聞いてあげる。だからさ、なんか言ってよ。返事してよ、そうじゃないと、わた、」

 

 返事はない。

 

「―――――――――――ぁ、」

 

 代わりに『その音』が聞こえてきて。

 私は。

 目の前が、真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 私は逃げるように家に帰って、そのまま何もしないでベッドに突っ伏した。雑念が頭の中を占拠して離れてくれない。無為な時間を過ごしていると、いつしか夜が明けていた。

 着た服のまま、寝癖を少しだけ直して、私はまた家を出る。着いた教室の騒ぎようと、ある一つの勉強机に置かれた花瓶を目の当たりにして、私はようやく事の顛末を知った。

 休みたかったのに、学校まで来てしまったのは、一つ目的があったから。

 昨日の熱が冷めない教室を後にする。廊下の空気もどこか浮ついている気がする。他の人にとっては、舞い込んできた非日常として消化されていくのだろう。話の種は言わずもがなで、重傷を負った愛人の後を追ったのだと憶測している人もいた。

 失礼します、と誰にも聞かれない声で呟きながら、私は職員室の扉を開ける。いた。私は彼女の元へ行って、そっと声を掛けた。

 

「あの、川上先生」

「え……里中、さん?」

「少し訊きたいことがあるんですけど」

「……あなた、敬語使えたのね」

「はぁ、まあ」私は頷いた。「首筋が結構かゆくなります」

「……」

 

 あと、舌を噛みそうになる。

 川上は咎めるように私を見た。

 私は目を逸らす。

 

「まぁ、いいけど。でも残念。私、これからちょっと忙しいの」

 

 川上は自分の腕時計をチラっと見た。

 時間を気にしているらしい。

 

「ああ、いえ」舌を甘噛みしながら、私は言った。「すぐに済むことなんで」

「あー……そう? 何?」

「単刀直入に言うと」私は言った。「鈴井志帆がいる病室を教えてください」

 

 聞くなり、川上は気だるげに息を吐いた。

 

「……はぁ。わざわざ放課後に職員室に来て一体何の用だって思ったら。どうしてそんなことを私に聞くわけ?」

「近々、高巻と鈴井のお見舞い一緒に行くって約束してたんですけど。でも、もう、無理じゃないですか?」

「え……いや、まあ」

 

 ここで高巻の名前が出たことが予想外だったのだろう。川上は少し、面食らった表情を浮かべていた。

 

「……里中さんって、高巻と仲良かったの?」

「ええ、はい」私は頷いた。「それなりに」

「ふうん……、そ」

「じゃあ、」

「でも、ダメ。いくら友達の友達だからっていっても、そう簡単に他人の個人情報は渡せられないのよね。ほら、最近、そういうの色々と面倒くさいからさ」

「はぁ」

「ごめんね。あ、やば……そろそろ時間。じゃ、そういうことだから」

 

 何か予定があるのか、まだ皆はせせこら机に向かって何かをしているのにも関わらず、川上は机の上をがさつに鞄に詰め込み始める。

 やっぱり、駄目だったか。

 じゃあ、多少強引な手段を使わないといけないようだ。

 

「別に、慰めの言葉を掛けてもらうためにここに来た訳じゃありません」

「……はい?」

「あの、これ」私は、一昨日拾った広告のチラシを見せた。「これ、教室に落ちてましたよ」

「え……あ、あぁ! そ、そう……なんだ。ありがと、じゃ、これは先生が、」

 

 先生がそのチラシを取ってしまう前に、私は手を引っ込めた。

 川上の手が虚空を掴む。

 

「ここ、先生の職場ですよね」

「は、はぁ? 何の話よ」

「チラシに書いてある店です」

「ちょっと、やめてよ、そんな冗談」

「昨日、たまたま先生と同じ電車に乗って、たまたま同じ道を歩いていたら、このチラシと同じ看板の店に、川上先生が入っていくところをたまたま見かけたんです」

 

 鎌をかける。

 昨日行っていたとしたら、まず間違いなく白を切ることはできない、と思う。

 行っていないとしても、何らかのアクションはあるはずだ。

 私の言葉に、川上はまだ余裕のあったその表情を変えた。敵意が感じられる目だった。

 どうやらビンゴらしい。

 

「……私のこと、つけてたの」

「たまたまって言ってるじゃないですか」私は淡々と言った。「あと、そういう店、結構興味があって」

「……はぁ、冗談はもういいわ。東京――病院。204号室」

「ありがとうございます」

 

 折れてくれた川上に一応礼をして、私は職員室から出ていこうとした。

 

「どうして分かったの?」

 

 振り向くと、目に隈を拵えた川上が、忌々しげに私を見つめていた。

 その曖昧な質問を多少自己解釈して、私は言った。

 

「秀尽学園七不思議の一つなんです」

「はい?」

「川上先生は放課後帰るのがとても早い。でもいつも眠たそうで、顔色が悪いから、帰ってすぐ寝ている訳でもないらしい。じゃあ男と遊んでるのかと言われても、男っ気があるようにはとても見えない」

「余計なお世話ね……」

 

 全くだった。

 

「でも。……さっきの。私のセリフだから」

「……? 男っ気がですか?」

 

 私に?

 男っ気がない?

 ……まぁ、そうだけど。

 

「顔色」川上は言った。「今の貴方のほうが、よっぽど悪い」

「……」虚を突かれて、私は慌てて取り繕う。「別に。いつも通りだと……思います」

「毎日、貴方の顔見てたら分かる」

「え」

 

 見て、たんだ。

 私を。

 そして多分。他の皆も。

 意外と川上はいい先生なのかもしれない。

 

「……こわ」

「……私、一応貴方の担任なんですけど」

 

 川上の突っ込みを無視して。

 私は職員室を出た。

 

 

 

 

 病院には面会時間というものが決められているようで、ここに来てから随分と待たされてしまった。

 リノリウムの床の上を歩きながら、私は鈴井志帆のいる病室を目指す。造花だか本物の花か見分けがつかない花瓶が、廊下の隅に置かれてある。

 204号室の扉に手を掛けた瞬間、私がここに来た動機が脳裏をよぎった。その自己中さと気持ち悪さに、自然と表情が歪む。

 でも、こういう生き方を選んでしまった以上、後には引き返せない。

 精神衛生的に明るい未来を生きることが、私の行動原理だから。

 秀尽学園と同じ、スライド式の扉を開ける。斜陽が目に入って思わず目を閉じた。

 果たしてそこには、暮れなずむ夕日をぼうっと眺めている鈴井志帆が、ベッドの上に足を伸ばして座っていた。

 

「杏?」

 

 言って、鈴井志帆は私を見た。見てから、バツが悪そうに目を伏せている。

 私はその自然な動作に、ちょっとした違和感を覚えた。

 

「あ……ごめんなさい」

「い、いや、いい」私は言った。「杏って……高巻のことか?」

「そうだけど……」

 

 どうして知っているの? と、鈴井は目で私に問いかけた。

 私はブレザーの赤いボタンを鈴井に見せる。

 

「ああ、私、高巻のクラスメイトで」

「そう、なんだ」

 

 鈴井の芳しくない反応を見て、まだ私に対する疑念が解かれていないことを悟る。

 もうあと一押しが欲しい。私は手近な嘘を重ねた。

 

「最近まで、高巻とよく話していてな。だから、その……高巻とよく話していたのが鈴井さんだって、高巻から聞いていたんだ」

 

 いきなり杏の話を持ち出すなんて、無神経だったかもしれない。でも今は、鈴井の触れて欲しくない部分を気にするほどの余裕はない。

 嫌な顔をされるとさえ思った。でも、鈴井の反応は真逆だった。

 

「あ...もしかして、里中さん?」

「え?」

 

 どうして鈴井が私の名前を知っているんだ?

 

「そう、だけど」

「やっぱり!」

「やっぱり?」

 

 私は首を傾げた。

 

「ブスッとした顔つきと、圧倒的に似合ってない制服がトレードマークだって、杏が前に言ってたから」

「……」

 

あの野郎。野郎じゃないけど。

ブスッとしているらしいそれを更にブスッとさせて、私は頭をかいた。

 

「あ……ごめん。初対面の人に、いきなり失礼だよね」

「いや、別にいい」

「そっか……。ここ、座る?」

 

 言って、鈴井は近くの椅子に視線を向けた。

 願ってもない話だった。願ってもない話、だけど。

 また感じる違和感。私はようやく、その正体を掴めつつあった。

 どうして……どうして鈴井は、悲しんでいないのだろう。

 大切な友人を失っているのに。

 空元気だろうか。それとも私を気遣って、涙を隠しているのか。

 疑問を残しながら、私はありがとうと言って、椅子に座った。

 

「今日、杏来ていないんだよね」

「そうなん……だ?」

 

 え?

 

「LINEにも出なくて。ちょっと心配だったけど、里中さんが来てくれたから、ちょっと、安心した……かな」

「あ……」

 

 そうか。

 ようやく分かった。

 鈴井はまだ、知らされていないのか。

 気づいた瞬間に、いたたまれなくなってきた。

 でもむしろ、これは好機なのかもしれない。もし知っていたら、杏のことを聞きづらかっただろう。しかし鈴井に情報が回ってくるのも時間の問題だとも思う。

 早く、『あれ』を聞きださないと。

 でも。

 なぜか言葉が出てこない。

 

「里中さんからも、LINEお願いしようかな。杏って、結構マメな方なんだけど」

 

 意味がない。

 杏へと送ったメールは、二度と返ってくることはない。

 

「でも、いつ来てくれるんだろうね。モデルのバイト終わりかな」

 

 来るはずがない。

 高巻杏が、この病室を訪れる未来はやってこない。

 

「そういえば、どういった成り行きで、二人は話すようになったのかな? やっぱり……杏から?」

 

 話せない。

 ぶっきらぼうに話しかけてきた杏へ、何かまともな会話を続けられるチャンスは、もうない。

 ルブランに誘うことも。

 高巻がどうして私に話しかけてきたのかを知ることも。

 三人でどこかへ出かけることも。

 教室から出て走っていく高巻を追いかけることも。

 ない。

 ない。

 ない。

 だって。

 高巻はもう、死んでしまっているのだから。

 

「あ……」

 

 実感だった。

 ようやく私は、高巻が死んだことを理解した。

 高巻に関する全ての可能性が絶たれてしまっていることに、納得してしまった。

 もう引き返せない。

 昨日に高巻を一人残して、私は時間に呑み込まれていくんだ。

 頬に熱い何かが伝った。

 私は鈴井にそれを見られないように隠した。

 どうして私は泣いているんだろう。

 

「ちょっと、ごめん」

 

 ぐちゃぐちゃになった頭で、なんとか私は鈴井に言って。

 病室を出た。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。