鴨志田の病室は、鈴井とは違って個室だった。
こちらとしては都合がいい。都合はいいが、どうして鴨志田は個室で、鈴井は四人部屋なのか。怪我の具合や持っているお金の程度も関係しているのかもしれないが、なんとなく、気に入らない。
スライド式の扉をゆっくりと開ける。キツイ消臭剤の香りと、アンモニアが肝臓で化学反応を起こした後の物質のニオイがした。まあ、初めて出会った時の双葉のそれよりかは断然マシだ。
「まあ、その身体じゃ便所にも行けねぇよな」
モルガナにギリギリ聞こえるくらいの声量で独り言を零しながら、中に入る。ベッドを隠すような狭い通路を抜けると、包帯でグルグルに巻かれながらも、顔と右手だけを出したミイラがこちらを覗いている。
「……なんだ、よりによってお前か」
「鴨志田、先生」
「幽霊が出たのかと思った」
「生憎、私は金髪に染めたり、赤のタイツを履く趣味はありません」
というか。
「知ってたんですね」
「ああ」鴨志田は目で頷いた。「ニュースで見たよ。アイツも馬鹿なことをしたもんだ」
鴨志田は笑った。
私は笑わなかった。
「高巻は」私は言った。「何を思って死んだんだと思います?」
「何だよ、藪から棒に。里中は私の見舞いをしに来たんじゃないのか?」
「見舞いはもう終わりました。……それより、」
「まぁ焦るなよ。突っ立って喋らないといけないことなのか?」
「それは……」
「相変わらず気の短い奴だな。分かったから、早く、座れ」
「……」
しぶしぶと私は、鴨志田のベッドの脇に置かれた、簡易的な腰かけ付きの椅子に座る。質問し直す前に、鴨志田が口を開いた。
「別に、よくあることだろう」
何気ない日常の出来事として処理するような鴨志田の言い分に、私はムッとした。
「生徒が、屋上から飛び降りることが、よくあることですか?」
「この前も鈴井だって飛び降りていたじゃないか。人は誰しも多感な時期がある。大体は中学の内に済ませるはずだが……まぁ、それはいい。ほら、むしろ、鈴井に感化されたんじゃないか? 鈴井と高巻は友達だったようだから、何か感じるものがあったんだろ」
ぬけぬけと、よくそんなことが言えるものだ。
私に、その余裕の笑みを崩すことができるだろうか。
いや、違う。私は鴨志田を言い負かすためにここに来た訳じゃない。答えを確かめに来たんだ。鴨志田が本当のことを言うか、嘯かれるかは私の知る範疇にない。でも、その時の表情、声を聞いて、私が独断と偏見で判断する。そう決めたんだ。
「ちょっと、聞いて欲しい話があって」
「今の話の流れからすれば……高巻のことか?」
「ええ、まあ、はい」私は言った。「高巻と、鈴井のことです」
私の口から鈴井という言葉がでたことが意外に思ったのか、鴨志田は右目をやや開いた。
「鈴井、だと?」
「ああ……いや、はい」私は頷いた。
数刻押し黙ってから、鴨志田は言った。
「お前と話すような話はないな」
「私があるんです」私は言った。「鴨志田先生は、この話を聞いて本当のことを言ってもいいし、嘘を吐いてくれても構いません。私があなたの表情と声色を見聞きして真偽を判断するので、どう答えてくれてもいいので。あとは……そう、私はここで言った貴方の言葉を、言われてはマズイ人に口外するつもりはありません。なので、別に、」
「どうかな」鴨志田は鼻で笑う。
「本当です」私は真摯に頷く。「だから、可能なら、ボロを出さないように立ち回ってくれても構いません」
「まるで、俺にボロがあるような言い方じゃないか」
「ええ、そんな感じです」あえて不快にさせるような口調で、私は言った。「そんな感じで、お願いします」
ふん、と鴨志田は鼻を鳴らした。人を不機嫌にさせることは、他人から何も頼まれてもいないのに、よく勝手に不機嫌になっている私にとって、赤子の手をひねるようなものだ。
ともかく。答え合わせだ。
持っているカードは多いとは言えない。だから、早い内に畳み込む必要がある。
「高巻は、屋上から飛び降りた時、未練はなかったんですかね」
「ああ、そうだろ」鴨志田は言った。「一世一代の決断なんだ。あるはずがない」
「でもさっき、鴨志田先生は『幽霊が出たのかと思った』って、言ってましたよね」
幽霊は、この世に未練があるから化けて出るものだ。と私は何となく認識している。
その認識と、鴨志田の幽霊に対する認識に明らかな齟齬がなければ、鴨志田の言い分はおかしい。
「ほう」と、私の言葉を聞いて、鴨志田は声を漏らした。「それは失礼。ただの言葉の綾だ。忘れてくれ。……どうして俺は、揚げてもない揚げ足を取られないといけないんだ?」
鴨志田の質問を無視して、私は話を続けた。
「もし化けて現れるのなら、確かに鴨志田先生の前なのかもしれません。だって、高巻は死ぬ直前、あなたに対して強い恨みを持っていたから。心当たり、ありますよね?」
「いきなり、なんだよ」
驚く、というより、いきなり訳の分からないことを吹っかけてきた人に困惑するような声色を装って、鴨志田は言う。
私は話を続ける。
「当たり前でしょう。好きでもない男と付き合わされて、肉体関係を持たされた人が、その男に対して憎い気持ちを抱かないはずがない」
「誰のことを言ってるんだよ」鴨志田は言った。「まさか、俺だって言いたいのか? なにか、証拠があるって言うのかよ、里中」
「それは……」
私は言い詰まる。あの『単語』を言ってしまっていいのか、タイミングを計っていたから。
まだ早い。殆どカードを切っていないのに、核心を突くのは早計な気がした。
その間を好機と捉えたのか、鴨志田は矢次早やに言う。
「そもそも、好きでもない男と付き合う道理が、どこにあるんだ」
「その子には、友達がいたんです」
相手にペースを取られては不味いから、強引に話を切り替える。
「友人はある部活でレギュラー争いをしていました。私にはそのスポーツしかないと固く信じていた友人は、レギュラーを取ることに強い執着があった」
「それが一体どうした」
「その執着心を、顧問は利用したんです」私は言う。「顧問は生徒の友人に目を付けていた。そしてその彼女にこう持ち掛けた。『あいつはレギュラーにさせてやる。だから、分かるな?』」
「それで?」鴨志田は言う。
「それで、ええと」鴨志田の表情を伺いながら、考える。「彼女は顧問に対して強い恨みを持っていた。肉体関係を結ぶ度に、その憎悪はより濃くなっていった。そして遂に、約束を反故にして、彼女の友達であった部員にまで手を出した時、彼女の怒りが爆ぜた」
それから、高巻は雨宮と偶然接触する。
そして雨宮による復讐代行は失敗に終わり、被害を受けた鴨志田は今、こうして私と話している。
「ほぉ。よくできてるな。左手が自由だったら、拍手を送ってやりたいくらいだ」
「恐縮です」
「ちなみに、証拠はあるのか?」
「ありません」私は言った。「でも、探したらあるんじゃないですかね」
「例えば?」
そして、私は。
その『単語』を、口にする。
「雨宮と会うとか?」
瞬間、鴨志田から笑みが消えた。
やっぱり。
私は確信する。
「まあ、会いませんけど。余計なことに、あえて首は突っ込みたくないので」
「そうした方が、いい、だろう」途切れ途切れに、鴨志田は言う。
「はい。そうします」
私は頷いた。
そろそろ、使い慣れない敬語で喋り過ぎて、どうにかなってしまいそうな頃合いだから。
知りたいことも知ることができたから、帰ってしまおうか。
適当な別れの挨拶を済ませて、私は席を立つ。鴨志田は眉間に皺を寄せたまま、何も見えるはずのない掛け布団に視線を落としている。
「仮に、だ」
音を聞いて、私は振り向いた。
「仮に、そうだとして」私を見ないまま、鴨志田は言う。「高巻がどうして死んだのか、分かるか」
私を試すような口調。
まるで自分は答えを知っているかのような、喋り方だった。
間髪入れずに、私は言う。
「貴方が死ななかったからじゃないですか?」
「なんだ」鴨志田は言った。「知らないのか、里中」
「……え?」
「鈴井は、バレーボールを続けるんだ」
出し抜けに呟かれた鴨志田の言葉に、私は困惑した。
どうして知っているんだろう。まさか、鈴井から直接聞いた訳でもあるまい。
鴨志田の思惑を探る前に、気持ちの悪い笑みを、私に向ける。
「絶対にな」
「……らしいですね」とりあえず、私は頷いた。「でも、私が説得して、辞めさせます。それが、高巻のイシだと思うので」
「随分とアイツに肩入れしてるみたいだな」
「ええ、はい、まあ」私は頷く。「色々あったので」
「ふん。……お前にできるかな?」
「できます」
「……クックッ……アハハ!」
鴨志田はとうとう堪え切れなくなったように、噴き出した。
鴨志田は何を笑ったのか。冷静に考えるには、鴨志田のその下卑た笑い声は非常に邪魔だった。
だから私は、敵意を含んだ目で、鴨志田を見ることしかできない。
「あぁ、笑うと傷口が開くんだ。笑わせるのは止めてくれ」
「何を……」
「高巻も、お前と同じことを言っていたんだ。私が説得して、辞めさせる……ってな」
「……」
本当か?
いや、本当だろう。そうしない訳がない。
でも。
鈴井はそれでも、辞めようとしていない。
「どれだけ説得しても、どれだけ傷ついても、鈴井は辞めない。アイツにはバレーボールしかない。俺は一年間、事ある毎にアイツに言い続けていたんだ。アイツにはバレーボールしかない。バレーボールを失ったお前に、生きる価値はない。何回も、何回も、何回も……な」
マジックの種明かしを嬉々として教えている時のような、少年のように無垢な声色で。
そして、完全犯罪を成し遂げた時のような、極悪人の表情で。
鴨志田は語る。
「……てめぇ」
「窮地に立たされたら、自分に近しい信念に縋りたくなるものだ。だから仏教は日本中に伝来しただろう? それと同じさ。俺はそれを利用して、俺が、特別に、徹底的に、シゴいてやった……アイツが音を上げるまでな。そうすれば、アイツは俺以外のことに耳を貸さなくなる。高巻にも……そして、お前にも。まぁ正直、あんなに上手くいくとは思ってなかったがな」
「それ以上言うとな、鴨志田」
「でもなぁ、里中」吹き出しそうになる笑いを堪えるように、鴨志田は言う。「考えてみろ。説得をすることさえできず、世界で一番嫌いな相手に言いなりになってる、たった一人の親友を見て、アイツはどう思っただろうなぁ? そんなたった一人の親友のために、差し出してる自分の身を見て、何を感じただろうなぁ?」
それは。
何もできない自分に対する、とてつもない無力感で。
そして、どうしようもないくらいの、深い絶望だろう。
だから、高巻は。
「お前はよくやったよ。偏差値は低いくせに、よくやった。だが詰めが甘い」
「……」
「その甘さ、俺が見てやらなくもないぞ?」
「……」
「ちょうど、空きが出ていたところなんだ。なんなら、今、ここで抜いてくれてもいいんだぞ?」
「……クズが」
そんな、短絡的な言葉しか出てこないくらいに、私は。
私は、高巻に同調して、動揺していた。
それは皮肉にも、当初の目的が果たされたことを意味していて。
高巻が屋上から見下ろせる景色を見ながら持っていたであろう感情と、ちょっとした安堵感が、胸の中で混沌と渦巻いていた。
この場にいることが、たまらなく不快だった。
私は鞄をギュッと持って、駆け足で病室を去る。
病院を出ても、鴨志田の下品な笑みと、嘲るような哄笑が、頭にこびり付いて離れなかった。
「……あー」
「久々の敬語で疲れたか?」
「あー」私は鞄に向かって言う。「それもある」
まぁ、とにかく、今日は疲れた。
色々あったし。目的も果たせたし。
「気分は?」
「最悪だぜ」私は言った。「まるで肥溜めに頭から突っ込んだ気分だ」
そんな雑なアメリカン風の返しでやり過ごしていると、アパートまであともう少しなことに気づく。
どのような道で帰ったのか、どこの信号機で止まったのかは覚えていない。よくあることだ。
「なぁ、シノブ」
「なんだ?」
「これからどうするんだ?」
「何もしねぇよ」私は言った。「大体の事情を知ることはできたし、あらかた整理することができた。……私の気持ちとか、高巻の気持ちもな」
「そうか。ワガハイはそれでもいいと思うぜ」
「変に含みのある言い訳だな」
突っ込んでみても、モルガナからの応答はなかった。私は気にせずに、前へ進むことにした。
数分歩くと、また鞄の中から声が聞こえてきた。
「……一つ、提案があるんだが」
「何だよ」
「昨日今日で聞いた話、フタバに聞かせてやるのはどうだ?」
「おお……おお?」
フタバ。一色改め、佐倉双葉。
なんだか懐かしい響きだ。
「正直、ワガハイもシノブの推理で間違ってないと思うが……確証はない。一応、聞いておく価値はある」
「ああ……まぁ、そうかな」
「里中の理論に、穴がない訳じゃないからな」
え?
「マジで?」
「ああ」鞄の中からゴソゴソと音が鳴る。「それを含めての、相談だ」
「ふうん。結構、双葉を買ってるんだな」
「シノブよりかは信頼できるぜ」
「言うじゃねぇか」
「フタバは結構、ヤバいんだよ」モルガナは言う。「ほぼノーヒントで、雨宮の住んでる場所を突き止めたぐらいだからな」
「へぇ……ぇえ? マジで?」
「マジだ」
「聞いてないぞ」
「言ってないからな」
なんだよそれ。
私が一歩一歩、地道に歩いている傍らで、超速くて超便利なリニアモーターカーを使われいた気分だった。
言っている間に、アパートに着く。鍵を開けると、鍵が開いていた。……何を言っているかわからねーと思うが、私にも分からない。
眉間に皺を寄せながら扉を開いて、耳をすますと、奥の方からカタカタと断続的なタイピング音が聞こえてくる。どう考えても双葉だった。
「双葉?」
「おー、忍。おかー」
「お風呂にする? それともご飯にする? 今なら特別私がやってやるぞ」
「勝手に他人の冷蔵庫の中身を使うか、水道代を使うな」私はリビングに入りながら言った。「てか双葉、なんでいんだよ」
「オンボロアパートの鍵穴なら、私でもピッキングでなんとかなるし」
「犯罪に手を染めるな……」
「注文の多い忍だなー」
「私はお前の将来のために言ってやってんだよ」
今なら我が子を想ってガミガミ怒る母親の気持ちも分かる気がした。
結局双葉に合いカギを渡していたことを思い出してから、手を洗いうがいをして、双葉がパソコンと睨めっこをしながら寝そべっているベッドに腰かける。モルガナは鞄から出て、ベッドの端っちょで丸くなった。
「なぁ、双葉」
「なんだー?」
言いながらも、某閃光の指圧師を彷彿とさせる双葉のタイピングは止まらない。
「私の友達の友達の話なんだが」
「忍って友達いたんだ」
「せめて、『友達の友達ということは、忍自身の話ってことか!?』 と突っ込め」
だから、なんで私に友達がいない前提なんだよ。
モルガナ共々、失礼な奴らだ。
出鼻を挫かれながらも、私は高巻に関する情報を詳らかに話した。
全然相槌を打ってくれなくて、加えて目は画面に釘付けになったままだったから、非常に話しづらかったけれど。
なんとか話終えることができた。
「……だと思ったんだけど、双葉はどう思う?」
「ふむ」
初めて、双葉が相槌を打って。
それから一瞬だけ、手を止めて。
そして私の目を見て、言った。
「全然違う」
「え?」
違うの?
ちょっと早足ですが、区切りがよかったので。