「多分だけど……高巻杏は、死ぬつもりなかった……んだと、思う」
私とモルガナが、その言葉で顔を見合わせた数分後。
「ちょっと、行きたいとこ、ある」という双葉の一声で、私たちは改めて影を伸ばすような夕暮れの街へと繰り出すことになった。
この時間帯の、電車の混み具合はそこそこで、学生服が一定の割合を占めている。まだ慌てるような時間じゃない。日が顔を隠し始めてくると、スーツ姿の会社員が増えてくる。私は財布をポケットに、双葉はやや大きなリュックサックを背中に携えて、ゴトゴト電車に揺られている。
「双葉……お前、電車大丈夫か?」
「う……うぃ」
全然大丈夫じゃなさそうだった。両手をせわしなく動かしながら、震える目で車窓を眺めている。帰りの時は、徒歩で帰ることも視野に入れた方がいいかもしれない。
「それでさ、双葉。勿体つけてないで、教えろよ」
「今言っても意味ないし」
「なんで?」
「だって今はシーンが切り替わる途中な訳じゃん。ミステリーの種明かしは、現場か、もしくは犯人の前でするのが鉄板だし!」
「それまで生殺しかよ、おい」
鞄の中からモルガナが茶々を入れてくる。
確かにもどかしかった。『高巻は死ぬつもりじゃなかった』。双葉の言い分が本当なのだとしたら、あの事件は、他殺か、偶然による事故かの二通りに絞られてしまう。
その線の可能性は、ゼロじゃないにしろ、極めて低い。私たちはそう踏んで、これまで高巻が飛び降りた動機を探していた。それがもしも全くの骨折り損なのだとしたら、まあ、落ち込みはしないが、中々にヘビーな話だとは思う。
それと、あと……。
「う……ぁ、うぅ……」
さっきからビクビクしている双葉が心配だった。窓の景色しか見ていないはずなのに、一体何に怯える必要があるのだろう。
「本当に大丈夫か?」
「う……く、うん」
「何がダメなんだ?」
「お、おと」
「おと?」
音?
コクリ、と大げさに双葉は呟く。
「人の、話し声、とか。自分の噂されてないかなんか、心配になる」
「気にしすぎだろ」
「それでも心配なのは仕方ないし!」
「ふむ」
いわゆる自意識過剰という奴だ。
陰口に対して過剰に敏感になったり、ありもしない視線を感じたり。十年そこら生きていると、周りの皆なんて、案外自分に興味を持っていないことに気づいたりするものだが、人とあまり触れる機会を持っていなかった双葉は、まだ自意識を萎める儀礼を通過していないのだろう。
「繊細なんだな」
「悪いか!」
「言ってない」私は首を横に振る。「それに。繊細な方が、いい時もあるぞ」
「ほ……ホントに?」
「ああ。繊細な人の気持ちが分かる。残念ながら、私はそうじゃないからな。双葉の気持ちを理解することはできるが、共感することはできない」
「そんなこと、ない。忍も結構繊細」
「え?」
私は双葉を見る。
双葉は挑戦的な目で私を見ていた。
「ま、そうじろうの受け売りなんだけどねー」
「……」
あいつ。
あることないこと、余計なことを双葉に言ってないか?
「でもさ、だったらさ」双葉は言った。「高巻杏の気持ちも分かるんじゃね?」
「え?」
「高巻杏も、根は図太かったんでしょ? 不愛想な忍に、一生話しかけてたって、聞いたし」
「図太い人は、図太い人の気持ちが分かるっていいたいのか」
「ん」双葉は頷いた。「そんな簡単におっ死ぬと思う?」
「……それは……」
でも。
状況が状況だった。
どんな人間でも、状況によっては人殺しになり得る。
その言い分が正しいとするならば、どんな人間でも、自身を殺める可能性があるはずで。
「……」
「ま、まぁ、そんな難しい顔しなくても、いいじゃん」
「そんなに難しい顔、してたか」
「3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しないことの証明するくらい、難しそうだった」
「フェルマーの最終定理じゃねぇか……」
数学の超難問と同じレベルの難しさだったのかよ、私。
ともかく。
双葉ももうすぐ、私が何日も頭を悩まさせていた難問を解くのだろう。
その時まで、その難問を考えておくことにしようか。
私が予想していた目的地とは、ずいぶん離れた場所の駅で双葉は降りた。
一体どこに向かうというのか。聞いたとしても、『シーンの切り替えだから云々』と煙に巻かれることは目に見えていた。だから私は観念して、双葉の後に続くことにした。
階段を降りたり上ったり、大通りを逸れて小道に入ったりしていると、段々と双葉のしたいことが見えてきた。どうやら双葉は、すっかりマスターが作るカレーの虜になってしまっているらしい。
という訳で、喫茶店『ルブラン』の前に至る。カレーとコーヒーが程よく混ざったあの香りは、まだこちらから感じることはできない。
扉を開けてやや入ると、丸椅子に座って、ボンヤリとテレビのワイドショーを眺めているマスターが目に入った。彼はこちらに気づくと、ああ、とか、おお、とか、曖昧な挨拶を飛ばしてくる。
「なんだよ、客じゃねぇな」
「悪かったな」
「そうじろー、来てやったぞー」
それぞれ言葉を交わして、私と双葉はカウンターの席につく。
温かい中を歩いて、やや喉も乾いていた。何を頼もうか。
「ええと……そうだな、いつものコーヒー」
「じゃ、私はキューバリブレ!」
「ここに、んなお洒落なカクテルはねぇよ。……てか、双葉はまだ未成年じゃねぇか」
「はー、そうじろうは分かってないなー」やれやれとばかりに、双葉は両手を上げる。「モンエナの味だ。カクテルみたいな、脳の処理速度が遅くなる飲み物は飲まないからなー」
「モンエナ……って、双葉が前に飲んでた、すげぇ色のドリンクか」
「そそ。ある?」
「そんなもん、ねぇよ」
「じゃ、買ってきてー」
「はぁ……」すっかり癒着されてしまっている惣治郎は深いため息をついた。「分かったよ。忍、店番頼むな」
「誰か来るのか?」
「来るだろ。喫茶店なんだから」
「そりゃそうだった」
とぼけてみた私にも、惣治郎は大きなため息をついた。幸せが沢山逃げていく……。
結局惣治郎は、本当に買い出しに出て行ってしまった。私と双葉(とモルガナ)が二人(と一匹)、ルブランに取り残される。
「ぃよし、これで邪魔者はいなくなったな、忍」
「……言っていいことと、悪いことがあるぞ」
私の影響だろうか。そこまで責任は持てない。
「じゃない。すまん、今のは言葉の綾だ」双葉は訂正した。「これで、種が明かせる」
「ああ……え、ここで? するのか?」
「ん」双葉は頷いた。「ま、色々理由はある、から。ダイジョブ」
言ってから、双葉が少し前のめりになる。どこから手に入れてきたのか、探偵帽子を目深に被りながら、唾の部分を親指と人差し指で挟んで、カッコつけて佇んでいる。
いよいよ、満を持しての謎解きだった。
「あ……その前に、一つ確認したいことがある。認識のソゴがあったら、後々めんどいし」
「認識の齟齬?」
「そそ。一つ、高巻は雨宮に復讐の代行を頼んでいないこと。二つ、高巻は自らの意志で飛び降りていないこと」
「二つ目はさっき言ってたことだが……二つ目は、そうなのか?」
「ん」双葉は頷いた。「そもそも、高巻が雨宮とコンタクトを取ってたこと自体、モルガナと忍の妄想だ。つまり、鴨志田が飛び降りたのを見た高巻が、慌てて屋上に駆けだした時より以前は、雨宮と高巻は一度も話したことがない……と考えるのが、正当だと思われ」
なんだか引っかかる言い方だった。
その引っかかりの正体を突き止める前に、モルガナが口を開いた。
「てことは……高巻が屋上に上がってから、雨宮と会ったってことか?」
「お、モルガナ、鋭い。やるなー、ま、そゆこと」
「??」
頭の上にクエスチョンマークばかり浮かぶ私。
双葉がうんうんと頷いている。
「順を追って説明するぞ」
「あ、ああ」私は頷いた。
「鴨志田は鈴井に対して洗脳に近い行為を働いていた。これは事実だ。で、それに対して高巻が強い恨みを持っていたことは想像に難くない。鈴井と高巻の仲はよかったっぽいから」
「ああ」
「でも……復讐をしようと考えた線は、ちょっと微妙かなーって思う。状況証拠があんまりない。んで、雨宮にその復讐の代行を頼んだってのも論外だ」
「だとしたら、鴨志田の飛び降りはどうなる?」
「あれは雨宮の単独犯って考えたたらいんじゃね?」双葉は言う。「ある日、雨宮は異世界に入る不思議な力を手に入れましたー。で、試しに近場にある異世界に入ってみることにしました、的な?」
「その異世界が、ええと……何?」
「鴨志田パレス」
「え……、あいつ、パレスなんて持ってたのかよ」
「ん」双葉は頷いた。「証拠に……ほれ」
双葉はスマホを操作して、「鴨志田卓」と、スマホに向かって喋ると。
『候補が見つかりました』
無機質な声が聞こえてきた。
「これ、異世界ナビってアプリな。音声で検索をかけると、該当するパレスを見つけることができる。これ、この前そうじろうに買ってもらったら、何か入ってた。忍も持ってるでしょ?」
「あ、ああ」
「蛇足だけど、未来の私はそれ使って、私をペルソナに覚醒させたの。で……雨宮も、多分だけど百パー、それ持ってる」
「じゃあ、このアプリを使って、雨宮は鴨志田を殺したのか」
「ううん。廃人化はあくまで保険。証拠に、鴨志田はちゃんと話せてた、んでしょ」
「え?」
「鴨志田に個人的な恨みがあったか、もしくは、ただ単に標的として『ちょうど』よかったのか。雨宮は、屋上に鴨志田を呼び出すなりして、直接手を掛けようとした」
「ちょっと待てよ」私は双葉の言葉を遮った。「直接? 廃人化させられるのに、どうしてわざわざ、そんなリスクを背負ったんだ?」
「こればっかりは、分からん」双葉は首を振った。「私は真人間だからな。サイコパスの心情なんてこれっぽっちも知らん。分かったら怖いじゃん、逆に。だから、こればっかりは、直接聞くしか方法はないと思われ」
「……あのなぁ、双葉、」
直接聞くなんて、無茶言うな。と言おうとした私は、双葉に制された。
「だからルブランに来たの」
「はぁ?」
「おいおい分かる。で……次な」
「待てって」
「高巻が死ぬ前日にとった行動だけど、」
「聞いちゃいねぇ」
「忍はさ、」
「なんだよ」
「自分の知り合いの中で、一番自殺願望がなさそうな奴が、いきなり屋上の柵登って突っ立ってたら、どう思う?」
藪から棒に質問が舞い込んでくる。
一番自ら命を絶たなさそうな人。生命力の強い人。
やっぱり、姉さんだろうか。
「まあ」私は言った。「びっくりするな。何かがオカしいと思う」
「それだ!」双葉は言った。「高巻もおんなじこと、思ったんだと思う。不思議に思って、だから、屋上に向かった」
そして。ああ。
なんだか、読めてきた気がする
「その先に、屋上にいた雨宮と出会った」
「だなー。高巻に見つかって、ヤベーってなった雨宮は、保険……つまり、パレスに逃げようとした。幸い鴨志田は生きてたから、きっちり、入れた」
「ふむ」
「でも、それが雨宮の誤算だったんだ」双葉は続けた。「多分だけど、異世界にワープする時、このアプリは他の人も巻き込む性質があるっぽい。だから、高巻は不運にも鴨志田パレスに連れ込まれた。結果、雨宮は、よく知らない高巻という奴に、自分の素性も、異世界の存在も知られてしまった」
「だから……ああ、そうか」私は言った。「一日置いてから、高巻を屋上から突き落とし、殺害したのか」
「いや、それも違う」
「え?」
それも違うの?
私、流石に推理が不得手すぎないか。
一方で、モルガナは何か思いついたようで、表情豊かな目が見開かれている。
「そうか……思い出したぞ、忍」
「何をだ?」
「人が死亡するためには、何階必要だと思う?」
「……まあ、三階から飛び降りたら一溜りもないだろ」
「それは、地上がアスファルトだった時の場合なんだ」
え?
でも。秀尽学園の中庭は。
「植え込み……だ」
「そうだ」モルガナは頷いた。「もちろんアスファルトより何倍も柔らかい。だから衝撃が分散して、致命傷は負いにくい。だから鈴井や鴨志田が生還したのは、何もオカしくない」
「でも、高巻は、」
「うむ」腕組みをしていた双葉は、アホ毛を揺らしながら頷いた。「死んだ」
「それは、」
「予め殺されていたか、初めから二択を背負わされていたか、当たりどころがめちゃめちゃ悪かったかの三択になる」
「どっちか分かるか? 双葉」
「分からん。でも、聞く方法はある」
「またそれか」私はため息をついた。「雨宮とコンタクトを取ることが危険すぎるのは、私にも分かる」
「だなー」と双葉はあっさり言った。「だから、面白い方法を使う」
面白い?
そういえば、さっきも双葉は直接聞くだのなんだの言っていた。あれは冗談ではなく、本気だったのか。だとしたら、どんな方法だろう。
双葉は、ポケットの中にしまっていたスマホをまた取り出した。ニシシ、と口元を吊り上げながら、何やら操作している。
そして。
「アクセスコード、雨宮蓮!」
合体する訳でもないのに、双葉は言う。
視界はボンヤリと霞んでいった。
めっちゃ書いてるはずなのに全然進まないの、反省材料でしかない。