ネコ拾ったら、自称未来人から電話が来た   作:菓子子

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十七話『分からない』

 目を開けると、目を閉じていた時と大差ない情報量が入ってくる。

 いや……段々とその暗さにも慣れてきて、辺りの様子が見えてきた。ビビッド寄りの紫が景色を支配していて、不気味というより、違和感が残る映像を見ているよう。背後には、ここに来るまでに目にしていた四軒茶屋にある路地の建物があった。目の前にはマスターが経営しているルブランがある……はずなんだけど。

 

「なんだ、これ……」

 

 記憶に近いものを探せば、ローマにあるコロッセオ。でもあまりピンとこない。全体的に暗いこともあって、正確な判別はできないけれど、恐らくオレンジ色のレンガで固められた、四軒茶屋の路地に似合わない、縦に長い大きな建物といったところか。幾本かのふっとい柱に支えられたそれは、辺りとのミスマッチ具合も相まって、異質な雰囲気を醸し出している。

 

「これ、雨宮パレスな」

「パレス?」

 

 そういやモルガナが、双葉が雨宮パレスの場所を見つけたとかなんとか言っていたっけ。

 なるほど、ここが……はぁ?

 

「いや、なんでルブランに雨宮のパレスがあんだよ」

「ルブランの二階で、雨宮が下宿してるって私が言ったら、信じる?」

「いーや、信じないね」

「そうか」双葉は下を向いて、悲しそうにシュンとしている。

「……え、マジ?」

「マジだ」

 

 マジかよ。なんだよそれ。どういう偶然だ。

 ご都合主義的展開すぎないか?

 

「とにかく、ここのパレスの主……つまりシャドウ雨宮だな。そいつに今から会って、事情を根掘り葉掘り聞きまくる。これが私の作戦だ」

「なるほど……ちょっと待て」私は言う。「シャドウ雨宮に会うってことは、このパレスを攻略するってことか?」

「まー、そうなる」

「ってことはシャドウが出るってことだよな。……私、ペルソナ持ってないんだが」

「くっくっく……そんなあなたの為に、こちらの商品!」

 

 と、通販番組のセールスマンみたいなことを言い出した双葉は、リュックサックの中から大量の、大量の……なんだ? 何かでできた球を、包帯か何かでくるみ、導火線を垂らしたそれを取り出す。

 なんだろう。記憶を引っ張り出しながら考える。

 

「……煙幕?」

「いかにも」

 

 双葉はない胸を張った。

 

 

 

 ダンジョンのモンスターが強すぎて、エンカウント後、即座に逃げることもままならない。

 それなら、そもそもエンカウントしない方法を考えればいい。と、双葉は建設的なコメントを残して、リュックサックに積んであった煙幕をこちらにちらつかせたのが十分前。

 

「うおおおおおおお!?」

『にに逃げろーーーーー!!!』

「うおぉい!? こっちの姿じゃ足の速さに限界があるんだって!! 待てって!!」

 

 三者三様、それぞれの阿鼻叫喚を雨宮パレス中に響き渡らせながら、無我夢中で走り続ける。

 「人間逃げる時は左に曲がりがちになる習性がある」という双葉の謎知識を信じて、あえて右に曲がることを心掛けながら、途中にあるなんだか割れやすそうな置物や、あからさまに置いてあるような宝箱なんかには目もくれずに先陣を切る。次鋒にUFO(!)に乗った双葉。シンガリは鈍足のモルガナが務めている布陣だ。

 謎解き要素があれば、双葉に丸投げして解いてもらい。袋小路に立たされれば、気配消臭剤を撒いて誤魔化し。潜入推奨レベルが段違いの雨宮パレスを、悲鳴を上げはじめた足を叱咤激励しながら、ブラックバイトの従業員のようにこき使う。

 

「まだ、なのか、双葉!?」

 

 モルガナがまだちゃんといるのを確認してから、私に追従してくるUFOを見ながら。

 息も切れ切れ、私は言った。

 

『んー……あともうちょい、って感じ?』

「マ……本当か、それ……きゃっ!」

 

 やべぇ。

 今まで出したことのないような声が口から出た後、慣性に押されて前へすっころぶ。何かに躓いてしまったようだ。擦れた右腕を気にしながら、咄嗟に辺りを見回す。多分、今のところ追っ手はいないか。

 しかし、一体何に躓いてしまったのだろう。

 崩れた体勢のまま振り返り、暗い中目を凝らすと。

 

「……ん?」

 

先の尖った二足のブーツと、そこからそれぞれ生えた二本の足を確認する。……誰のだ?双葉はネクロなんとかというUFOに乗っていて、モルガナに立派な足はない。

ある一つの可能性が思い浮かぶのとほぼ同時に視界が開けた。高い天井にはいくつもの照明が等間隔に並んでいる。傾斜がついた観客席には誰もいない。そしてようやく、私たちは、横に広い檀上にいることが分かった。

劇場。先程のモノローグを反芻しながら。

私を含めた三人衆は、私たちのいる場所とは正反対の壇上に、赤い手袋以外真っ黒に染まった服を着た男が、マスクで素顔を隠しながら、私たちに不敵な笑みを見せつけていた。

 

「……お前が」

 

 雨宮蓮、の、シャドウ。察しが悪くても、流石に分かる。

 

『……だなー』双葉は言った。『随分と、サプライズなお出ましだ』

 

 その用法は合っているのか、と突っ込む暇もない。私は私自身がひどく緊張しているのを直で感じながら、シャドウ雨宮と相対する。

 雨宮が口を開いた。

 

「こんにちは」

「え……あ、こんにちは」

 

 素朴な挨拶に、思わず私も挨拶を返してしまう。

 さっきの怪しい笑みと、容姿とは全くちぐはぐな所作だった。

 

「里中忍さん……だよね?」

「ああ、そう、だけど。よく知ってるな」

「クラスメイトの名前は、一応憶えてるから」

「そ、そうか」

「何しに来たんだ?」

「あー……えっと?」

 

 なんだっけ。世間話? それとも、シャドウ雨宮討伐?

 私が想像していた雨宮像に対して、かなりブレた性格をしていた彼に困惑して、上手く頭が回らない。

 てんやわんやしていた私に代わって、双葉が口を開いた。

 

『聞きたいことが、三つほどある』

「何?」

『高巻と鴨志田を、屋上から突き落としたのは、お前か?』

「ああ」雨宮はあっさり頷いた。「そうだ」

『じゃあ、どうしてわざわざ鴨志田を屋上から突き落としたんだ? 鴨志田パレスにいる、シャドウ鴨志田を殺って廃人化させた方が、足も付きにくいし確実なはずだ』

「ただ廃人化させても、意味がないから」

 

 シャドウ雨宮は罪を認めた上で、

 口を挟んだのはモルガナだった。

 

「意味がない、だって?」

「ああ」雨宮は頷いた。「ただ廃人化させたら、自身が犯した罪を振り返ることさえしないで死ぬ。それでは全く意味がないし、ただの俺の自己満足だろう? だから、しでかした罪を後悔させる時間が必要だった」

「後悔させる時間……って、何なんだよ」私は言う。

「鴨志田を屋上に立たせて、俺は言った。『お前が過去に犯した全ての罪を告白しろ。告白して、危害を加えたすべての人に謝ると俺に誓えば、この手を放してあげないこともない。万が一俺がお前を突き落として、万が一命拾いをしても、俺の名前は警察に告げるな。告げたら、今度こそお前の息の根を止める』」

 

 結果、雨宮は鴨志田を突き落とした。ということは、そういうことなのだろう。

 でも。

 

「鴨志田が、そうやすやすとお前の命令に従うと思ったのか?」

「鴨志田を突き落とす直前、扉からバタバタと階段を上がる音が聞こえてきた。その扉が開かれる前に、俺は鴨志田パレスの中へ入った。だから鴨志田が『雨宮がやったんだ』と言ったとしても、俺が追及されることはない。なぜなら俺は、屋上にはいなかったから」

「その裏技が使えるから、鴨志田を標的にしたのか」

「ああ、そう。そうだ」

 

ただ単に標的としてちょうどよかった。

 これは、双葉が挙げた二つ目の、雨宮の動いた理由と一致している。

 でも、動機とはならない。

 ただちょうどやりやすかったから、鴨志田に手を掛けたなんて、そんな薄い動機はまかり通ってはいないだろう。

 だから、私の考え得る限りでは、雨宮自身の動機は、たった一つしかない訳で。

 

「悪を成敗する気分はどうだった?」

「最高だった」

「身勝手な正義を押し付けて、私刑に処したことがか」

「ああ」

 

 悪びれない雨宮に、私は少々イラっとした。

 まるで自分のしたことを微塵も疑っていないような。

 盲目的な自信を感じた。

 

「俺たちの知らないところで、悪は沢山蔓延っている。俺は、そういう奴らが憎い。許せない……性格に、なった」

 

 気をよくしたのか、雨宮は言う。

 

「だから俺は正義の鉄槌を振るう。私刑だリンチだと言われても構わない。俺の憎しみの炎が胸の中で燃え続ける限り、俺はペルソナを使って、この世を正す」

 

 どうして雨宮は悪に対して異常な憎しみを抱いているのか、抱くような性格になってしまったのか。分からない。雨宮の過去をほじくり返すつもりはないし、雨宮に対して、個人的に強烈な興味を抱いている訳でもない。

 

「見ないで、知らないふりを決め込む奴らも同罪だ」

 

 その時、確かに雨宮は、私の目を見て言った。

 自分を見透かされた気持ちになって、無意識に一歩、後ずさる。

 

「一度手を伸ばせば分かるはずなのに、見ようとしない。自分には関係ないことを言い訳にして、自分に危害を被ることを恐れて、絶対的な悪に怯んで、自分の内にあるはずの正義を押し込めて、悪を黙認している。俺は、そんな奴らが、なにより、一番嫌いなんだ」

「……」

「どうせ、お前もそうなんだろう?」

「…っ、」

 

 違う。

 なんて、ハッタリは口が裂けても言えなかった。

 私は確かに見なかった。面倒だから、見ようとしなかった。

 そして私は、高巻を……。

 

「シノブ」

 

 後ろから声が掛った。モルガナだ。

 

「シャドウ雨宮の言うことなんて気にするな。シノブはシノブなりに、ちゃんと高巻と向き合おうとしてる。ワガハイは知ってるぞ」

「でも、今までの私は……」

「『今』のお前は、違う」

 

 モルガナは、私の目を見て言った。

 不思議と、さざ波立った私の心が穏やかになっていく。

 そうだ、私は。

 私は変わろうとしたんだ。

 今は、満足に首を縦には振れないけれど、いつかは。

 

「全く」私は言った。「飼い猫は、手を噛むんじゃなかったのかよ」

「まったく、手の掛かる飼い主だぜ」やれやれと手を広げるモルガナ。

「余計なお世話だ」

 

 ぶっきらぼうに私は返す。この借りもいつか返さないとな。

 しかし、困った。

 何か言い返してやりたいところだけど、雨宮の施した理論武装の隙が、私からは見当たらない。理解することはできるが、面と向かって言われるのも初めてで、かつ私にはない考えだったから、どこを突けばいいのか、そもそも論破するべきものなのかが分からない。

知識が足りない。雨宮の人となりがまだ、ハッキリと掴めない。私からは手の出しようがない。

 だから、自然と。

 双葉の方に視線が飛んだ。

 

「まあ、いい」

 

シャドウ雨宮はつまらなさそうに視線を逸らした。

 

「不法侵入のことも含めて、今回は見逃そう。警察に言ったりもしない」

 

 その言葉がジョークかどうかについての審議は待たれるところだが、私含めて四人とも笑っていないので、きっと私の思い違いだろう。

 

「じゃあ」

 

 雨宮は右手を上げて、私たちに背を向けた。マントがはためいた時に、鋭利なナイフがちらついた。雨宮が一歩目を踏み出そうとしたときだ。双葉が口を開いた。

 

『まだ質問は終わってない』

 

 雨宮はやや眉を顰めながら、UFOを見た。

 

「お前、異世界に迷い込んだ高巻を、どうしたんだ?」双葉は言った。「普通の人間は、三階の高さから芝生に落ちても死なない。でも、高巻は死んだ」

 

 ああ、そんなことか、と雨宮は言って、爽やかな笑みを浮かべた。

 

「あれは、すまないと思っている。俺は高巻を傷つける必要があったんだ」

「はい?」

「暴れられても困るから。それに、高巻のような人は、基本的に命令に従わなさそうだろう。だから、確実に殺す必要があった」

「随分と鴨志田とは待遇が違うじゃないか」

「……何が言いたい?」

 

 雨宮は笑みを収めた。そして、敵意を潜めた目で私たちを見た。一触即発……とまではいかないが、雨宮が腹を立てていることは分かった。

 双葉が雨宮の質問に答える。

 

「高巻は、偶然そこに居合わせただけのパンピーじゃん。お前のくだらん主義主張を加味しても、高巻を殺す必要はなかったんじゃね?」

「……でも、俺の顔を見られたんだから、」

「そうだ」双葉は頷いた。「だから、殺した」

 

 主義主張関係なく。

 ただ自身の損得勘定で。

 人を、殺めた。

 

「それが、何?」

 

 雨宮は。

 まるで双葉の言葉に続きがあると思っているのか、促す。

 答えられない二人(と一匹)にしびれを切らしたのか、雨宮は言う。

 

「高巻は俺の価値観を取るに足りないと断じたんだ。それに、俺に自首して欲しいと惚けたことまで言い出した。許せなかった。俺の信条を、俺自身を否定するような奴らは、()の世界に必要じゃないだろう? 俺は高巻に手を掛けていた。あとはほぼ、自動的だった」

 

 言って、雨宮は悲しそうに首を振った。どうして悲しそうにしているのかは分からないし、分かりたくないとも思った。

 

「高巻は?」私は言った。

「え?」

「高巻は、どうだった?」

「頑固な人だったよ」雨宮は言った。「どれだけ殴りつけても、高巻は主張を曲げなかった。どれだけ泣かせても、気持ちの悪い悲鳴を上げさせても、俺の言う通りにはしてくれないみたいだった。結局は何も喋らなくなるまで続いたかな……とにかく、中々に胸糞悪かったよ」

 

 そうか。あいつは……あいつのままだったのか。

 驚くほどに冷静な声が、静かな劇場の中だけに響いた。

 いまの言葉を口走ったのは、モルガナでも、双葉でも、ましてや雨宮でもなかった。

 

「本当に」

 

 高巻が、最後に遺した置き土産。

 どれほど捻じ曲げられても変えなかった、頑固とも言うべき意志。

 ようやく。

 ようやく私は、高巻のことを、高巻の魅力を理解したような気がしたのだ。

 

「本当に、よかった」

「?」

「お前が、嫌なやつで……本当によかった」

 

 だから私は、怒ることができる。

 雨宮に。そして……どれほど絶好の機会を与えられても、みすみす逃している……いや。

 みすみす逃そうとしていた、私に。

 

『……ホント、まだなの?』

 

 誰かが私に囁いた気がした。

 私の性格とはかけ離れた、浮薄そうで、常にスマホを片手に持っていそうな誰かの声。

 いや、誰かじゃない。これは……紛れもなく、自分自身の声だ。

 

『いつまでそうやってチンタラしてる訳?』

「悪い」私は言った。「でも、もう目は覚めた」

『しっかりしてよね』

「まだ間に合うか?」

『間に合う訳ないじゃない』ため息の音が聞こえてくる。

「そうか」

『でも。間に合わせようと努力しないよりかは、百倍マシよ』

「それっぽいことを言うじゃねぇか」

『だって、私だし』

「……なるほど」

 

 これは一本取られた。

 ともかく、私は。

 

「来い……セオリツヒメ」

 

 その名を呼んだ。

 

 

 

 

 自信が満ち溢れてくる。

 自分を変えたい。変わらない自分を捨てたい。

 溢れ出る意志が今、最高潮に達している感覚。

 体が熱い。でも、頭は冴え冴えとしていた。

 今なら。

 集中力が研ぎ澄まされている今なら、アレを放てるかもしれない。

 それは小さい頃に教えてもらった奥義で、必殺技だった。

 ただ、雨宮に通用するかどうか。

 些事な躊躇いが一瞬頭に浮かんで、すぐに消えた。

 私はふわふわ浮かんでいる双葉に声を掛ける。

 

「なあ、双葉」

『お……おう? なんだ!?』

「……え?」過剰な双葉の反応に、私は首をかしげる。「そっちこそ、なんだよ」

『いや……キャラデザ凝ってんなーって』

「はい?」

『い、いやいや、なな、なんでもない。ややこしくなる。……それで、なに?』

「シャドウ雨宮のサイズはどれくらいだ?」

『……ふむ』要領を得ない私の質問に、しかし双葉は頷いたようだった。『中ボスくらい……だな』

「よし」私は頷いた。「了解」

 

 言って、私は雨宮に向かって駆けだす。

 咄嗟に雨宮は防御の姿勢を取った。それでも、関係ない。これは助走に過ぎないのだから。

 左足を一歩前に踏み出して、体を右にしならせてから、肩を水平に動かして、腰を捻る。やや遅れて、全体重が乗った右足がやってくる。

 高巻の失意と、私の殺意を、ありったけ右足に乗せて。

 

「俺に、楯突くつもりか」

「ああ」

 

私は頷いた。

 

「私を変えるためには、お前が、すこぶる、邪魔なんだ!」

 

 ――それは、小さい頃に教えてもらった奥義だった。

 

 千枝義姉さんに教えてもらった、最強で最高の必殺技。相手は死ぬ。

 

 その名も。

 

「ドーーーーーンン!!!!!」

 

 全身全霊の声と蹴りを、相手に放つ。

 雨宮は45度で投げ上げられて、ちょうどそこにあった壁に張られたガラスを突き破り、私たちの視界から消えた。

 舞台に残ったのは、惚けた顔を浮かべたモルガナと、恥ずかしさで頬を染めた私と、相変わらずふよふよ浮かんでいるUFO。

 

「……もっとマシな名前はなかったのか?」

「うるせぇよ」

 

 ドーンはドーンなのだ。それ以上もそれ以下もない。

 

『これで……終わったのか?』

「知らん」

 

 分からない。

 雨宮がどうなったのかも。自称未来人から掛かってきた電話の正体も。モルガナがどうして傷だらけの姿で雨の中倒れていたのかも。あとは……あれ、意外とあんまりないな。

 ともあれ、これからも分からないこと尽くしなのであろうことは分かる。

 その中でもちゃんと逃げ出さないで、向き合いたい……という気持ちを、曲げたくない。

 それが、今ある私の意志であり、彼女に対する贖罪だ。

 私はモルガナを見る。UFOから降りてきた双葉を見る。今持ちうるありったけの笑顔を顔に浮かべて、私は頷いた。

 

「でもなんか、スカッとした」

 

 

 

 

 

 

 あれ以来……といっても、まだ数日ちょいだけど、一色双葉からの電話が掛かってこない。

 雨宮のパレスが消えたのかどうかも分からない。でも一応、雨宮はちゃんと授業は受けている。またその内、確かめてみるか……。

 昨日は高巻の葬儀があった。それは私にとって、高巻に別れを告げるにはあまりに短い時間だったけど、心の整理をする時間にはなった。彼女が棺に入るまで、鈴井は何度も何度も高巻の顔をさすりながら泣いていた。それは大切な友を永遠に失った痛恨の泣き顔だった。だから、鈴井はもう、大丈夫なのだろう。私はそう思った。

 ダルい授業を終えて、アパートへ帰ってくると、随分と酒臭にニオイが部屋中に漂っていた。……いや、違うぞ? 私は千枝義姉さんから猛烈なアタックを受けない限り、カシオレやオペレーターなんてそんな、こじゃれたカクテルを飲むことはない。

 ということは、導き出される結論は一つ。

 ……また双葉を紹介しようかな。でも、今の時間帯はガンナバウトにご執心だから、まず来ていないだろう。夕飯でも作っておくか。それとも、マスターの所へ顔を出そうか。それとも、アパートにいるはずの義姉さんと、夜の新宿へ繰り出すか。

 なんて、適当な思案を巡らせていると、最近は終ぞ見かけなかった一つの感情が、頭を出していることに気づいた。大発見である。それこそ、フェルマーの最終定理を解いた時並みの。

 私は今、そこそこ幸せです。

 誰かに向けて、言ってみる。

 

 




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