四話『自称未来人』
「一色双葉、さん?」
『いかにも』
聞いたこともない名前だったし、聞いたことがない声だった。
「ええと」
それでも何か言わないと。
私はサトナカシノブです?
聞いたことがない名前だな?
お掛けになった電話は、現在電波の届かない……いや、それは違うか。
久しぶりの電話だから変に緊張している自分がいた。
ええと、ええと……。
「多分、間違い電話だと思います」
『この私が、間違える訳ない。里中忍、君のスマホに電話を掛けている』
「……」
……やっぱり誰だ。
しかしどれだけ頭を回しても、この尊大な喋り方に聞き覚えはない。
「なんだ?」
私が電話に出ていることを不思議がったのか、モルガナは私の鞄から顔を出した。
ええい、今はお呼びでない。
私は爪を尖らせて抵抗するモルガナを鞄に押し込んで、右耳から聞こえてくる音に集中する。
彼女は先に自分の名前を名乗っている。
彼女は私の名前を知っている。
以上のことから、そこまで警戒する必要はない……と思う。知らない間に、私の個人情報がネットに出回っていたのなら、話は別だけど。
「ええと、はい、私が里中ですが、一色さん……は、何の用で、ええっと、しょうか」
堅苦しい敬語なんてろくに使ったことがないから、どうしても詰まる。
『ん? 別に面倒なら敬語じゃなくてもいいぞ? 私の事も、気兼ねなく双葉さんと呼んでくれていい』
「わかった。そうする。双葉」
『……あれ? もしかして私、今呼び捨てされた?』
「嘘です。敬体くらいなら使えますよ、双葉さん」
それでも取ってつけたような感は否めないけど。
まあ、そこはご容赦願いたい。
『……まあいい』
はぁ、と一つ双葉さんはあからさまに溜息をついた。
どうやら、もう本題を切り出すようだ。
『助けて欲しい人がいる。君の手を貸して欲しい』
「……は? いや、いきなり何の――」
『保護者から虐待を受けている。年は君の一つ下。今すぐ死んでしまいたいと思っているし、誰かの助けを求めてもいる。今日の夕ご飯もきっと、ない。伯父の振るう暴力に、毎日毎日、怯えている』
……。
穏やかじゃない。
でも。
「いきなり訳の分からん話を、するな」
と私は言った。
今彼女が言っていることは、本当の話か。
それとも、私と電話する前に考えた、練りに練られた設定か。
圧倒的に、後者の可能性の方が大きいだろう。
「虐待? 暴力? 怖い言葉並べてさえいれば、直ぐに金を振り込んでくれると思ったら大間違いだ。他を当たってくれ」
今どき変な振り込め詐欺もあったもんだ。
いや、詐欺がかなり世間に認知され始めた今だから、だろうか?
振り込め詐欺の手口は、今やとても複雑になって、私のような年齢の人でも騙されることがあると聞く。
これは、その手口の一つなのだろうか。
分からない。
だから私は、『逃げる』を選択しなければならない。
じゃな。
と言って、私が強引に電話を切ろうとすると、
『……頼む』
悲壮な懇願が、耳にこびりついた。
それは先の不遜な語り口からは似ても似つかない、か弱い声だった。
そのギャップが、私に『彼女は嘘を吐いていないんじゃないか』というあり得ない疑問を与えた。
「……でも、」
「人助けか?」
いつしかモルガナはまた鞄から顔を覗かせている。
間の悪い猫だ。
「お前には関係ない」
「関係あるだろ。ワガハイは忍に仕方なーく飼われてる身だ。だから飼い主のスケジュールくらい、把握しておく必要がある」
飼い猫のくせに上から目線すぎる言い分だった。
でも、モルガナが伝えたいことは、なんとなく分かる。
モルガナは、人よりかは精度の良い耳で、この会話を聞いていたのかもしれない。
勘だった。
『彼女が本当のことを言っている』という勘。
それ以上でもそれ以下でもない。
だから信憑性はない。
でも、モルガナの第六感と一致しているのだとしたら、それなりに信じてみたくもなる。
後は、自分がどれほどやる気があるかという話だ。
「……」
面倒くさい。ダルい。さっさと家に帰ってゲームしたい。
モルガナの事。高巻杏の事。電話の向こうの彼女の事。
その全てを投げ出してしまいたい。
私の人格の一つが、そう叫んでいる。
「分かった」
でも。
……でも。
そう、例えばこの電話を今すぐ切ってしまえば。
電話の主が私の名前を知っている理由を聞きそびれることになる。
私の個人情報が流出しているルートを聞き出すことができなくなる。
それはよくない。情報化社会を生きる中で、ネットの海に揺蕩っている自分のプライバシーの位置くらいは知っておかないといけない。
自分のため。
あくまで自分のためだ。
「付き合ってやる」
もう一度モルガナを押し込む代わりに、ありったけの負の感情を自分の中に押しとどめて。
私は言い切った。
『いやー、やっぱ信じてくれるって思ってた。マジで。これはあれだな、もしかして私の人徳ってやつか!?』
「そうですね」
キレそう。
指定された場所へと着くまでに、私は延々と謎の女の話相手に付き合わされている。
私がお願いを承諾した途端、ずっとこのテンションが続いていた。
嬉しがりすぎだろ。
『まさか、本当ーに受けてくれるとは思わなかったぞ、サトナカくん。今回は特別例外だが、知らない人と相手する時は、もっと警戒した方がいいと思うぞ?』
「あは、ははは」
乾いた笑いが出た。
その笑いを聞いて、何故かモルガナが「ヒッ」と、怯えた声を出している。
やっぱりキレそう。
でも大声は出さない。それも大勢の人がいる電車の中で。
それくらいの分別は私にだってある。
更に相手は年上だ。
いずれ進出する社会に馴染む為、ここは一つ忍耐力というものを付けようじゃないか。
しかし話がずっとアレなのも少々疲れてくる。
私が何か、話題を振ってみようか……。
「あの」
『なんだ?』
「双葉さんって、未来人なんですよね?」
『そうだが』
「じゃあ何か、証拠みたいなものってありますか。自分の声が未来から発信してるものだって、証明できるような」
『なるほど』と双葉さんは言った。『今日は、20XX年、4月19日で合っているか』
「……? はい、そうですけど」
『……ああ、』少しの間で、私が戸惑ったのを察したのか、一色双葉は言った。『五年後のネタバレしても、確かめようがないだろう』
「なるほど」
だから、直近の未来のネタバレをしてくれるのか。
ということは、私に質問をされてから日付を聞くまでの間に、それなりの長い論理的思考がなされていたことになる。
しかし、私はそこまで考えが至らなかった。というか、至るまでに与えられた時間がめちゃくちゃに少なかった。
……つまり。
一色双葉は、私より遥かに思考速度が大きい。
『時に、サトナカくん』
「はぁ……あ、はい。なんです?」
『君はアニメを観るか』
「はぁ」と私は言った。「それなりに、見てますけど」
『「おさてん」は?』
「あ、それ。今やってるやつですよね」
正式名称は、『最強の幼馴染と行く、異世界転生物語』。
幼馴染と主人公が転生をして、様々な魔法を使いこなす最強の使い魔となった幼馴染。
そんな彼女を使役して悪者達を一掃していくという、なんとも痛快なお話だ。
幼馴染、最強、転生。この三つのジャンルを軸に物語にしていることから、皆から『おさてん』と呼ばれ、親しまれている。
が、その一方で主人公が色んな女に手を出していたり、プロットが甘かったり、何かとご都合主義的な展開が多かったりで、一般的な人からは敬遠されてしまうことが多い。
それでもラノベが原作である『おさてん』が無事アニメ化に至った理由として。
どんな時でも主人公に対して献身的な幼馴染、兼ヒロインが高く評価されているからだ。
『ラノベがアニメ化される絶対条件は、凝ったシナリオや個性的な主人公ではない。可愛いヒロインがいるかどうかだ』
と、『おさてん』の作者はTwitterでそう述べていた。
プチ炎上していた。
『お、おお。おさてんリアタイ勢か、強いな……』
「強い?」
『なんでもない。……4月19日だから、今日が二話の配信日だな』
「だと思います」
『次話で、幼馴染が死ぬ』
「……え?」
『アニメオリジナル展開だ』
「ええ!?」
私は大声を出していた。
近くに座っていた乗客の何人かが、奇妙な目で私を見ている。
「え、いや、そっ、な、えぇ!?」
『幼馴染、最強、転生。三つの重要なピースの内、二つを序盤で失ってしまった『おさてん』は、それから逆に世間の注目を浴び続けることになる。円盤は勿論売れず。そして製作費を賄えなくなった会社による作画崩壊は、回を追うごとにひどくなっていく。そして最終回が遂に、『アニメ史に残る愚行』として――』
「やめろ。分かった。もうやめてください」
『分かった。やめよう』
「……それ、作り話じゃない……ですよね?」
『残念ながら、本当にあった話だ』
本当にあった、未来の話。
ああ。
マジかよ、ちょっと期待していたのに。
……。
……あれ?
「待てよ?」
『ダメだ。無闇に過去を変えてはならない』
「……」
『なんとかすれば、今から二話の放送を食い止められるんじゃ?』という私の言葉は遮られた。
完全に読まれている。
絶対に頭いいな、この人……。
さっきからあまりにも先回りされているので、何か言い返したくなる。
「でも双葉さんも、私を使って過去を改変しようとしてますけど」
『ああ』
「それはいいんですか」
『いい。全く問題ない』
「……そうですか」
そこまで言い切られると、なぜだか全く問題がなさそうな気がしてくる。
『……変えないと、いけないんだ』
「え?」
「おい、着いたぞ、シノブ」
「え……あ、」
一色双葉の呟きを聞き返そうとしたが、モルガナに呼び止められる。
扉が開いていた。電光掲示板には『四軒茶屋』の文字。
降りないと。
その意味深な発言を問いただすことはできないまま、私は電車を出た。