ネコ拾ったら、自称未来人から電話が来た   作:菓子子

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八話『メロンパンと屋上』

スマホのアラームの音で目が覚めた。

あと五分。

私のスマホは、ボタンを押してもきっかり五分後、再びアラームが鳴るように設定してある。

痒いところに手が届く設計だ。

二度寝。

それを後二回ほど繰り返して、ようやく起きる気になってくる。

うっすらと目を開けて、ロック画面からホーム画面に移ろうか、顔認証で。

失敗した。

寝起きの私の顔は、どうやらかなりひどいことになっているらしい。

仕方なく六桁の暗証番号を入力する。無地の青い背景に、色んな装いのアイコンが等間隔に並べられている。それらを無感情で見つめた後、体を起こした。

 

「……うぅ……」

 

 長い夢を見ていた気がする。

 じんわりと、実体験なのか夢なのか分からない記憶が、頭の中に広がってくる。

 あれも。

 あれも夢だったのだろうか。

 全部?

 そういえば、私の腹の上にはモルガナが乗っていない。

 いない。

 もう行ってしまったのだろうか。それとも、アイツも私が想像で作り出した夢の中の登場人(猫?)物だったのだろうか。

 分からない。

 まあ。

でも、これで、せいせいしたか。

 いつもの日常が戻ってきた。

 誰にも干渉されなくて、誰の干渉もしない、平和でのどかな生活が。

 それは間違いなく、私が望んでいたものだ。

 ……。

 別に寂しい訳じゃない。寂しい訳じゃないが、何気なく、私は周りを見渡してみる。

 確かにモルガナは私の腹の上には乗っていなかった。

 代わりに、腹を出した双葉が、モルガナを抱きながら私の隣で寝ていた。

 

「う、……わ、あ」

「グーーオォ。グ――オォ」

 

 寝起きの影響で、まともにそれらしいリアクションを取ることができず、私は微妙な叫び声を上げながら後ろに下がる。

 いた……。しかも二つセットで。

 非現実はまだ、私の真横で横たわる腹積もりのようだ。

 

 

 

 あの後。

 双葉の声を聞いたマスターは、並みならぬ動揺を私たちに見せた。

 具体的には、手を滑らせた。私の腹に収まるはずだったルブランカレーは、お皿から受けていた垂直抗力から解き放たれ、宙を舞った。

 あまりにももったいない。

 直感的に悟った私はすかさず、先にテーブルに落ちてきたお皿を両手で持って、ルーと飯の落下予想地点に据えた。

 結果、およそ八割程度のカレーを救うことができた。

 胸をなでおろす私。

 なおも驚いた表情で双葉を見ているマスターと、じっと目でマスターを捉えて離さない双葉。

 

『助けて、欲しい』

 

 双葉は言った。

そして、ためらいもなく自身の上着を脱ぎ、マスターに背中を見せた。

痣。

 それは、事故や偶発的な怪我だけでは説明のつかない量の痣が、背中に張り付いていた。

 

『お前……それ、』

 

 その痣の理由を聞こうとしたようだったが、すぐに目と口を閉じた。

 全てを理解したように頷いたマスターは、携帯を取り出しながらカウンターの奥へと消えていった。

 テーブルには私と、双葉と、そして救われたカレーだけが取り残された。

 

『そうじろう。伯父さんと知り合い。だから、なんとかしてくれるって思った』

 

 大人びた表情のまま、私とモルガナにそう呟いた双葉。

 

『ああ』私は頷いた。『けど、まあ、とりあえず、服は着れ』

 

 上着の着衣を手伝っていると、向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。

 マスターの声だ。そして、ちょっとした口論になっているらしい。

 電話か。

 多分、相手は一色葉司だろう。

 また、怒号がルブランに響いた。

 その間、私は考えていた。どうしてマスターは、双葉に対してそこまで怒ってやれるのか。

 マスターは安易に手を差し伸べる人じゃない。手を貸す程度のことはしてくれるが、そこには絶妙な距離感があった。

 現に私がそうだったからだ。

 年を取った間に、段々と優しくなっていったのか。

 それとも、双葉とマスターの関係に何か、後ろめたいことがあったのか。

 それは今でも分かっていない。

 

『……ケリは、ついたよ』

 

 しばらくすると、遂にマスターが姿を現した。

 久しぶりに大きな声を出したからだろうか。声が少し掠れていた。

 

『もう、あんなとこには行かなくていいよ、嬢ちゃん。……いや、双葉』

『うん。……あんがと』

 

 どうやら全てが終わったらしい。

 ということはつまり、不法侵入及び拉致という十字架を背負っていた私の罪が、うやむやになったことになる。

 ふう、と大きなため息をついた。

 

『お、終わった……のか』

『ああ。……終わったな』

 

 恐らく、微妙にニュアンスの違う『終わった』を、私とモルガナが呟いたところで。

 私の着ていたブレザーに、かなりの量のルーが付着していることに気づいた。

 

 

 

 私はキャンメイクのリトルプラムキャンディーを塗る。

 双葉は私が大事に取っておいた菓子パンにかぶりつく。

 モルガナは小皿に並々と注がれた低脂肪牛乳を舐める。

 のどかな朝の支度の時間だ。

 

「な、なに、これ。うますぎる……」

 

 中にクリームが入った、至れり尽くせりのチョコメロンパンを美味しそうに頬張る双葉。

 私の、週に一度の楽しみが、双葉の喉を通っていく。

 そりゃ、良かったな。と私は心の中で言った。

 

「この牛乳、味が薄くないか?」

「気のせいだろ」

「ワガハイも、あのメロンパンの方が良かったぜ……」

「ぶうぶう文句を垂れるな、モルガナ」

 

 そんな私たちのやり取りを、双葉は興味深そうに見ている。

 ああ、聞こえてないんだっけ。

 やっぱり、時々忘れてしまうな。

 

「ん? もしかして、ニャンコ、このメロンパン欲しい?」

「え?」私は言った。「モルガナの言ってること、分かるのか?」

「分からん」双葉は首を振った。「でも、さっきからその猫、ずっとこのメロンパンを見てたから、その、分かった」

「なるほど」

「ふっふーん。私、すごい?」

「ああ。すごいな」

 

 私が頷いたのに満足したのか、双葉は満面の笑みでメロンパンを頬張った。

 人は往々にして自己顕示欲を持っていて、悪いことじゃない。悪いことじゃないが、双葉はそういった欲が人一倍ある子なのかもしれない。

 それは双葉が元来持っているものなのか、それともまだ精神的に幼いからなのか。

 多分、後者の可能性が高いと思う。

 私は双葉の性格について分析していると、今の状況が全く変化していないことに気づく。

 

「「え?」」モルガナと私の声が被った。

「え?」遅れて双葉の山びこがやって来る。

「あげないのか?」

「なにを?」

「なにを、って……今、双葉がモルガナにメロンパンを仕方なくやる流れだったろ」

「そうでもなかったぞ?」

「そうでもなかったか」

 

 そうでもなかったそうだ。

 双葉、結構食い意地悪いんだな……。

 昨日、あんなにルブランカレー食ってたはずなのに。

 マスターから「代はいらねぇよ」と言われるまで、ずっと財布の残金を気にしていたのは内緒だ。

 モルガナは相変わらず低脂肪牛乳をまずそうに舐めている。

 ちょっと可哀そうに思えてきたから、帰りに買ってきてやろうか……。

 対照的な一匹と一人を眺めていると、一番に考えるべき疑問が、ようやく私の中で湧き上がってきた。

 

「なぁ」

「なんだ?」

「モルガナじゃない、双葉」

「ふぁにー?」

「パンを食いながら話すな」私は言った。「なんでここにいんだよ、お前」

「……んく。え、なんでって、」双葉はメロンパンを飲み込んだ。「私、家ないし。ほら、私、家なき子だから」

「なんで言い直した?」

「とにかく。そうじろうが、部屋の準備まだ出来てないって。だから、今日だけここに泊めさせてもらう約束だった。忘れてないとは、言わせないぞ忍」

「ああ」私は眉毛を剃りながら言った。「そうだっけ」

「別に、ずっとここに居ても、いいんだけどな?」

「用が済み次第、さっさと帰れ」

 

 言いながら、丁度眉毛を書き終える。

 ……学校に行こう。

 追及するような目を向けるモルガナから目を逸らし、誰に聞かせるわけでもない『行ってくる』を言って。

 ネコ一匹分軽くなった鞄を提げて、家を出た。

 

 私がコンビニで、帰りに持って帰るべきメロンパンを見繕っていると、急に鞄に重みを感じた。

 見てみると、不機嫌そうに目を細めた黒猫が、ちょうど鞄の中に入ったところだった。

 え?

 

「なんでここにいんだよ」

「ワガハイがここにいちゃ悪いのか?」

「いや、悪くはねぇ……いや、悪い、悪いわ。全面的にお前が悪い」

「双葉のことならもう安心していいぜ。ひとしきりワガハイの肉球をモミモミやった後、マスターの所に帰っていった」

「別に、双葉の動向を聞きたかった訳じゃない」と私は言った。「なんで双葉のところに付いていかないで、こっちに来たんだって聞いてるんだ」

「……いや、ワガハイまだ、傷直ってないからな」

「嘘つけ」

「あと、シノブは言ってたはずだぜ。『三日の執行猶予だ』なんだって。つまりまだワガハイは、あと二日間はこの鞄に入っていいことになる」

 

 ……。

 言質を取られている。

 

「……それで、約束を破るつもりはないだろうな?」

「当たり前だ。ちゃんと、一色双葉の助力になる。それは変わらない」

「……そうか」

 

 ならいいか。

 少し甘すぎるだろうか? でも、三日間だと言ってしまったのは私だし……。

 ああ。

 身から出た錆だ。それなら、自分で責任を取らなければならないだろう。

 

「じゃあ、選べよ」

「何をだ?」

「メロンパン。この中から。買ってやる」

「えぇ!?」モルガナは驚いた。「買ってくれるのか?」

「なんだよ」

「いや……正直、シノブが優しいことをすると、何か裏があるように思えてならないぜ」

「失礼な奴だな……」

 

 一気に買う気が失せた。

 別に、優しさで買ってやるつもりじゃないのに。

 

「気が変わらない内に、早く選べ」

「お、おう。分かった」

 

 結局このコンビニで一番高いメロンパンを買わされた。

 私はネコ一匹分と、メロンパン一つ分重くなった鞄を提げて店を出る。

 空はどんより曇っていた。時折吹く風が生温い。今日は鞄の中の折り畳み傘のお世話になる可能性が高そうだ。

 しばらく真っ白な景色を見上げながら歩いていると、ふいに鞄の中が動いた。

 

「ワガハイな、」ワガハイは言った。「やっぱり、シノブに拾われたのは偶然じゃないって思うんだ」

「え?」

「シノブが、気まぐれでワガハイの背中を掴んだのは分かる。でもそこから今まで、沢山のことがあっただろ? そんな偶然の連続が、ただの偶然の訳がない。少なくとも、シノブがワガハイを拾ったのは、何ていうか……その、運命だったのかもしれないな、って」

「運命、って」

「ワガハイがシノブに付いて行って杏殿と出会ったことも。そして、双葉を手伝うことになったこともな」

 

 モルガナから放たれた恥ずかしい言葉に、なぜか私が恥ずかしくなった。

 何を言っているんだこの猫は。

 

「いや、だから言っただろ。モルガナを拾ったのは、今日の夕飯の献立を決めるくらいの軽い気持ちだったんだよ。モルガナが言ってるのは、結果論でしかない」

「いや。シノブはあの瞬間が何回来ても、多分ワガハイを拾うんだと思うぜ」

「永劫回帰の話か? 悪いが、私は哲学に興味はねぇよ」

 

 そうこうしていると、もう目の前に秀尽学園の正門が迫っていた。

 今日は鴨志田が門の前で立っていなかった。

 珍しい。

 この時間帯なら、いつも私のことをやいのやいの言ってくる癖に。

 一年の頃は、突っかかってこなかったはずなのにな。

 私に嫌味を言うようになってきたのは、いつ頃からだっただろう。

 確か、高巻が私に話しかけてきた時からのようだった気がする。

 

 

 

『おはよう。今日もしみったれた顔してんな』

『ああ。はい。おはようございます』

 

 私は足早に鴨志田の横を通り過ぎた。

 鴨志田は、そんな私の反応を見て気が立ったのか、私に聞こえるくらいの音量で舌打ちをした。

 

『気をつけろよな』

『はい?』

『顔。そんな不機嫌そうな顔をしていたら、皆に移るぞ』

『はぁ』

『ああ……いや。お前に友達と呼べるような奴がいればの話だが』

『……はぁ』私は真面目を取り繕って言った。『気を付けます』

 

 逆上はしない。

 争いは、同じレベルの者同士で行われるものだから。

 その言葉を思い出して、何も気にしていない風を装えるのが、私の強いところだ。

 じゃあ、弱い部分は。

 ……それは、鴨志田の言葉に、それなりに傷ついたりしている私だ。

 

 

 

 

「……ぃ、おい。忍」

「……あ、うん、何?」

 

 私は嫌な記憶を思い出していた。

 やめよう、こんな、無駄なこと。

 

「何か、辛そうな顔してたぜ。大丈夫か?」

「気のせいだ」

 

 私はモルガナに言った。

 校内へと入り、階段を上る。

 教室前の廊下は、それなりの人で賑わっていた。

 適当に話をしている生徒を避けるように、私は窓側を歩く。

 

 ふいに、窓の外の景色を見やった。

 

「…………え」

 

 屋上。

 人影。

 筋肉質な体。

 そして、肩に提げたホイッスル。

 あれは。

 

「……鴨志田?」

 

 あんなところで何をしているんだ?

 立ち止まったその瞬間に、妙な既視感を覚えた。

 そうだ。

 あそこは。

 鈴井志帆が、飛び降りた場所だ。

 

「なんだよ忍。いきなり立ち止まって、」

「見るな」

 

 鞄から出てきたモルガナの顔を手で覆う。

 他の生徒も気づき始めたのか、周りが一層騒がしくなる。

 鴨志田を見ようと窓に張り付こうとする生徒に押されて、私は廊下の隅に追いやられた。

 

『一人目の被害者が現れる』

 

 ルブランで双葉が言った言葉を思い出す。

 数秒後。

 わぁっ、と、生徒の驚く声が重なって。

 聞いたこともない音が、窓から聞こえてきた。

 

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