魔法が息づき、夢のような不思議な世界。
広大な大陸には、古くからいくつもの祭壇が存在していた。
それぞれの祭壇の中央には、誰が祀ったのかもわからない小さな"石柱"がそびえている。
夜になると、淡い光を放つその石柱は、「神の柱」と呼ばれ、
人々に畏れと敬意を抱かせてきた。
だが、興味を持ち、石柱に近づいた者たちは──
生命の衰えを感じ、やがて命を落としていった。
それゆえ、誰も触れることはなくなり、
何千年もの間、謎に包まれたまま、石柱は静かにそこに在り続けている。
この世界には四つの大国があり、その一つが西の国「ランスニュイア」。
最先端の開発と機械技術で人々の暮らしを豊かにし、
山々に囲まれた平和で豊かな工業大国として知られている。
その首都を離れ、山を下ると、
都市の潤いが届かぬ小さな田舎村が広がっていた。
始動
大雨の夜。
少女"アテナ"はフードを深く被り、
ずぶ濡れになりながら、夢中で走っていた。
腕には、大切な野菜をしっかりと抱えて。
見慣れた道を曲がると、
暮らし慣れた古びた酒場宿が見えてくる。
ぼんやりとした明かりが、雨に滲んで揺れていた。
ようやく辿り着き、重い扉を押し開ける。
すると、目の前に広がったのは、見慣れた酒場宿の風景だった。
傷だらけのテーブル、くたびれたカウンター。
棚に並ぶ、高級そうな酒瓶たち。
それらはまるで、この店が歩んできた歴史を
静かに語りかけるように、ひっそりと佇んでいた。
「……ただいま。」
アテナは小さく息を整え、そっと腰を下ろした。
その場には、一人の中年の男がいた。
無精ひげを生やしたゼファが、ぽつりと酒を飲んでいる。
酒場のくたびれた空気とは裏腹に、
彼はどこか居心地が良さそうだった。
「またお酒を飲みに来てたんだねゼファ。」
アテナは腕いっぱいの野菜を床に置くと、
びしょ濡れの皮のフードコートを脱ぎ捨てる。
くしゃりと波打つ栗色の髪を振り払い、水を切った。
ゼファは酔っ払った目を細め、ニヤリと笑う。
「んぁ?買い物帰りか? 偉いな、アテナ。」
グラスの氷をカラカラと鳴らしながら、ゼファは酒をあおる。
その隣に近づいたアテナは、思わず鼻をつまみ、顔をしかめた。
「むぁ…お酒くっさ…。」
ゼファは鼻で笑い、
アテナが逃げるように二階の自室へ駆け上がるのを見守っていた。
だが、彼女が階段を上りかけた瞬間、
別室の扉が開き、美しい女性がするりと現れる。
アテナの襟元を掴み、ぴたりと動きを止めた。
「もぉ…フード脱ぎっぱなしじゃないっ…!」
真っ白い肌、氷のように端正な顔立ち。
オルファリスは、静かに、だが鋭くアテナを叱りつけた。
「お使いはご苦労様。でも、コートは片付けてから二階に行って。」
「お、おん…ごめんなさい、オルファリス…。」
オルファリスは軽くため息をつき、アテナの襟元から手を離した。
すると、床に散らばった野菜が目に入り、冷ややかな視線を向ける。
「アテナ…野菜もちゃんと食糧庫に運んで。痛んじゃうでしょ。」
「へ、へぃ…。」
アテナはシュンとした顔で口を尖らせ、コートを拾い上げる。
そんな彼女の様子を見て、ゼファはニヤニヤと微笑ましげに笑った。
「なにょ……ゼファ……」
苛立ったアテナは野菜を拾う手を止め、仏頂面でゼファを睨みつける。
しかし、その表情が余計に可笑しかったのか、ゼファはさらに腹を抱えて笑った。
「いやぁ、今日も二人とも通常運転だなぁ。まるで親子みたいだぜ。」
その一言に、今度はオルファリスがクルリとゼファへ向き直る。
冷ややかな視線を向けられた瞬間、ゼファは慌てて口を押さえ、目をそらした。
「……私、そんなに老けて見える?」
「いや!? 今日も綺麗だよ!? オルファリスを見ながら飲む酒は最高!!」
「ふぅん……。」
その言葉の真意はどうであれ、オルファリスはジトリとゼファを睨みつける。
どうやら、昔からゼファはオルファリスには頭が上がらないらしい。
慌てたゼファは、嫌な汗を拭いながら咳払いをし、話題を変えようとした。
「ところで、オルファリス……体の具合はどうなんだ? 無理すんなよ?」
オルファリスは優しく微笑みながら答えた。
「アテナたちも大きくなって、頑張ってくれてるから。
助かっているよ。ただ、さすがに長時間、店を開ける元気はないけれどね。」
オルファリスの言葉が、嬉しくて、恥ずかしくて、くすぐったい。
アテナはにやける顔を隠すように、そそくさと拾い上げた野菜を
カウンター裏の食糧庫へと運んでいった。
アテナが去り、静寂に包まれる店内。
ゼファの手の中で、氷がカラリと溶けゆく音が響く。
物思いにふけっていたゼファは、ふと我に返ると、
酒の勢いもあってか、ため息交じりにオルファリスを説得しはじめた。
「お前も……もうここを離れて、誰かと自由に暮らしたらどうだ?
子供たちの面倒は俺が見るしさ。
もう、ここに縛られる必要はないだろ?」
それは、ゼファが何度も口にしてきた言葉だった。
オルファリスは、その気持ちが痛いほど伝わっていることを分かっていた。
だからこそ、穏やかに微笑みながら、静かに答える。
「まるで、もう私がここに必要とされてないみたいじゃない……。
いいの。私が今、一番居たい場所は、ここなんだから。」
「でもよ……」
オルファリスは静かにゼファを見つめ、そして優しく言葉を紡ぐ。
「ありがとね、ゼファ。」
その言葉に込められた強い意志に、ゼファは何も言えなかった。
オルファリスの瞳をじっと見つめたまま、
ゆっくりと頭をくしゃくしゃとかき、残りの酒を一気に飲み干す。
そして、服のポケットから丸めた紙幣を取り出し、そっとテーブルに置いた。
何も言わずに席を立ち、背を向けたまま手をひらひらと振ると、
そのまま静かに店を後にした。
ゼファの姿が消えた後も、店内にはしばし静かな余韻が漂っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その昔、この酒場宿を拠点に活動していたギルド「蒼い月」。
ランスニュイア国王公認の中規模ギルドの一つとして、
村の些細な依頼から、国からの重い指令に至るまで、幅広い任務を遂行していた。
そのギルドのマスターこそ、数年前、不慮の事故で命を落としたアテナの母親だった。
“群青の月姫”
身のこなしはまるで隼のように俊敏で鋭く、振るう拳は大地を揺さぶるほどの威力を誇った。
その身体能力に加え、知力も並外れ、特に能力強化魔法などの分野では天賦の才を発揮した。
怒りの感情が湧くと、栗色の瞳が群青色へと変化し、その目を見た者は誰もが身震いしたという。
それが彼女の異名を裏付ける証し。“月の姫”――アルテミス=パルティナ。
アテナの母であり、かつての伝説的なギルドマスターだった。
アルテミスの死後、ギルド"蒼い月"のメンバーは次々と散り散りに去り、
かつての活気は失われていった。
今では、かつてサブギルドマスターを務めていたオルファリス=ルアイルが難病を抱えながら、
アテナと"もう一人の少女"と共に、この静かな酒場宿でひっそりと暮らしている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
外は雷雨。大きい恐ろしい音を立てている。
野菜を食糧庫へと運び終えたアテナは、
グラスを片付けるオルファリスへ「おやすみ」を告げると、
いよいよ2階の自室へと戻っていった。
真っ暗な部屋に入り、着こんだ服を「んしょんしょ」と脱いでいく。
肌着と下着1枚になるとそのままベッドへ潜っていった。
毛布の中、暖かいぬくもりに触れるアテナ。
「ん・・・戻ったの?アテナ・・・。」
男の子の様なアテナの容姿とはうって変わって
人形の様な可愛らしい顔立ちの少女は、
金色の長い髪をサラっと揺らし、寝起きで目をゴシゴシしている。
「ただいま!パラス!」
「ん・・・お帰りなさいアテナ。雨・・・大丈夫だった?」
少女"パラス"が心配すると、ニカっと笑ってアテナは答える。
「うn!ちょっと寒かったけど、全然だいじょびだよパラス!」
「ならいいけど。急にすごい雨降って来たから心配したの。アテナ大丈夫かなって・・・。」
パラスはむくりと起き上がり、部屋の暗闇の中、
激しい雷雨にガタガタと揺れる窓の外を不安そうに見つめと、
アテナも釣られ同じ窓の外へホケーっと目を移し話し出す。
「確かにこんな大雨、この村じゃ初めてかもなぁ・・・。」
ピカっと光るけたたましい雷の閃光に一瞬
パラスの驚いた表情が照り出された。
「あもしかして・・・w パラスってば雷こわいのぉ?w」
「そ・・・そんな事ないもん!ちょっとビックリしてるだけだもん!;;」
「ふぅ~んw」
にやにやと笑うアテナに、恥ずかしくなったパラスは
バサっと自分の顔を毛布にかぶせ寝転んだ。
そうして潜ったまま耳を塞ぐとモゾモゾとパラスは語り出す。
「昔はこの酒場宿もすごく賑わってたのに・・・寂しくなっちゃったね・・・。」
雷雨が響くシンとした部屋の中、アテナは物思いにふけるように1点を見つめて、我に返った。
「そお!?w私は寂しくないよ!!wパラスやオルファリスがいるもん!w」
「アテナ・・・。」
「さ!お買い物はしたけど、明日お店開けられるのかなー!?w寝んこしないと!パラス!」
「うん。おやすみなさいアテナ・・・。」
◇
『**ケテ・・・。ダ*カ、キ*エナイカ?』
アテナとパラスが寝静まった深夜、妙な声が頭をから聞こえる。
その奇妙な声に寝ぼけ眼を擦りながら、パラスが目を覚ました。
「んー;;アテナぁ?なんか言ったぁ?」
外は相変わらず凄まじい雷雨、一向に止む気配はない。
パラスは眠そうな虚ろな目でアテナの方を見るが、そうでない事に気が付いた。
『タス*テクレナイカ?コ*カラダシ*クレ・・・。』
恐怖で次第に瞳を見開き顔が青ざめていくパラス。
すぐさま隣でいびきをかくアテナを揺さぶり起こした。
「アテナ!?;;ちょっと!?起きて!ねぇ;;!」
「んぁぁ?んもぉパラス?おしっこなら1人で行ってきてよぉ;;」
そんな勘違いを受け入れている余裕が無いパラスは、
アテナの腕をひしり掴み、自分の頭に響く奇妙な声の説明をした。
するとアテナは首をかしげて耳を澄ます。
「?・・・何も聞こえないよぉ?・・・」
どうやらこの声は、パラスの頭の中だけに聞こえるテレパシーの様だった。
『聞コエルカイ?オ願イガアルンダ・・・此処カラ出シテクレナイカ?』
自分に語り掛ける声に、気味悪がりながらも応答してみるパラス。
「私に語り掛けてくるアナタは誰・・・?」
『・・・・・・』
暫く反応が無くなったが、パラスはジッとその言葉の返答を待ってみた。
寝ぼけながらも一応はパラスが心配なようで、
アテナは目をショボショボとさせ、このやり取りに付き合っていた。
すると・・・
『キコエルンダネ?助カッタ・・・ボクハ神ノ使イ。村ノ施設ニ閉ジ込メラレテシマッタンダ。
此処カラ解放シテハクレナイダロウカ?サスレバ、望ム願イヲ叶エテアゲヨウ』
「神の使い・・・願い・・・?」
その誘惑にも聞こえる言葉にパラスの胸は次第に高鳴っていく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
パラスは元々、この場所から遠く離れた南の国、
魔法大国"セルクシエ"の高貴な魔法使い一族の1人娘だった。
北の軍事大国"ロードレー"との絶えない戦争に参戦したパラスの両親は、
まだ赤ん坊のパラスを残して戦死してしまう。
中立国であったランスニュイアの国王は その史上最悪の戦争を止める為、
ギルド"蒼い月"と共に兵を出兵させ、なんとか停戦させる事に成功した。
しかし、現在でも北と南の間柄は、一触即発の緊迫した状態が続いている。
停戦して間もなく、大きな傷跡を残したセルクシエ北部の首都近郊の都市で、
戦災孤児となったパラスを見つけたのは、その場を偵察中であった
当時ギルド蒼い月の幹部、"ゼファ=ユイオン"だった。
そして生きる当ての無いパラスを、ゼファがギルドへ迎え入れたのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
暫く考え込み呆けるパラス。その様子が気がかりなアテナが
パラスの身を揺さぶると、ハっと我に返り、頭に語り掛けてくる
不思議な声とのやり取りをアテナへ話した。
「ふぅん・・・願いをかなえてくれるって・・・夢みたいだね・・・w」
パラスが話した信じられないような話を疑っているわけじゃない。
アテナは真剣にその場で何かを考えるパラスを暫く見守っていた。
すると、静かに一点を見つめたパラスの口が開いた。
「アテナ私・・・ちょっと行ってくる・・・。」
「パラス!?こんな深夜に外出たらオルファリスに怒られるよぉ?;;」
「父様と母様に会いたいの・・・お願いアテナ。」
「・・・・・・わかった・・・私もついてく。。。」
2人はベッドから抜け出ると、別室のオルファリスに気づかれぬよう
ソロリソロリと簡単な身支度を整えだす。
チクチクとアテナの脳裏に、心配するオルファリスの姿がよぎるが、
「親の居ない、自分と同じ境遇であるパラスの気が済むようにしてあげたい。」
その気持ちの方が勝ってしまっていたのだった。
◇
二人の少女が真夜中の大雨の中、
皮のフードコートをかぶり走りながら、目的のどこかへ向かう。
「パラス!?一体どこへ向かうの!?」
行き先も告げらずアテナはパラスの後を追いかけながら、
すさまじい雨音にうち消されないような大声でパラスへたずねた。
「うんと・・・白い大きな建物って言ってたの!」
たどり着いたのかパラスは雷雨の中、
息切れしながら足を止め、その建物を見上げた。
「パラスここって・・・!」
「うん、この村の研究所。この施設じゃないかなって思って。」
「確かに真っ白い大きな建物ってここ・・・。」
人もなかなか通らない村の一番奥。その白い建物には、"Dr.ボラージュ研究所"と書かれている。
二人は入口までたどり着くと、周辺に人影は無いかチラチラと確認する。
幸い雷雨のせいか、人の気配はまったく無かったが、
入口の鉄扉にはグルグルと巻き付いた鎖と頑丈な施錠が、二人の行く手を阻んでいた。
「これじゃ中に入れない・・・;;」
けたたましく降る豪雨に打たれながら、パラスは茫然と立ち尽くす。
するとアテナは懐から短剣を取り出し、短剣の柄で鎖をたたき出した。
「アテナ!それってお母様の形見じゃ・・・;;」
その声が雨で聞こえなかった訳じゃない。
しかしアテナは無心にその鎖を叩き壊そうと、力いっぱい振るっていた。
パラスも近場にある石を握り、アテナと共に鎖を叩きだした。
二人の想いが通じたのか、思ったよりも古い鎖の錆びた部分が脆く破損した。
アテナとパラスは、お互いに喜びに満ちた顔を見合わせたのだった。
◇
うす暗い施設の中を恐る恐る進む少女二人。
木材で出来た室内とは似つかわしくない、たくさんの器具や道具。
暗闇の中、最も目に入る"怪しく光る液体"の入ったガラスケースには文字が刻まれていた。
その輝きにアテナは顔を近づけて魅入られた。
「わぁ・・・綺麗な水が光ってる。でもなんて書いてあるんだろね??」
「うんと・・・14L0208RC954。オルファリスとのお勉強サボりすぎよ?アテナ。」
「うっ;;だってつまんないし・・・。」
そんなやり取りをしながら、目的の人物を探す2人。
しかし室内には人の気配はなく、何者かが閉じ込められている様子は全くなかった。
パラスは少し焦り気味に薄暗い室内を見渡す。
「ここじゃないのかしら・・・;;」
パラスの頭の中に響いていた声はもう応答がない。
手掛かりが無い状態で、二人は隅から隅までウロウロとその人物を探していた。
するとアテナが何かにつまづいて転びそうになる。
「うわぁあ!;;」
その声にびっくりしたのはパラス。
一瞬身構えたが、アテナがつまづいただけと知って安堵し駆け寄ってきた。
「大丈夫?アテナ。」
「お・・・おん・・・;;なに・・・?何につまづいたんだろ・・・;;」
それは床に取り付けられた取っ手の様だった。
よーく見ると床に扉が設置されている。二人は顔を見合わせて頷き、喉を鳴らした。
人一人通れるくらいの扉、真っ暗な地下への階段。
流石に何も見えない暗闇の中を進む事に、二人は躊躇していた。
「むー・・・;;。ちょっと行って来る!パラスはここで待ってて?」
一人その地下へと、壁を伝い進んで行こうとするアテナ。
「アテナまって・・・私も行く・・・;;」
アテナの腕にしがみつき、パラスも恐る恐る暗闇の中を進んで行った。
◇
二人が階段を降りきると、上の階と同じ液体の光がその先の通路の奥で輝いている。
その光を目標に進んで行くと、近づくにつれてどんどんと光度が増していった。
たどり着くと今度は巨大なガラスケースの中でそれが輝いていた。
「でかー・・・。」
思わずその神秘的な光景に魅入られてアテナが口走った。
すると・・・
『・・・ヨク来テクレタネ。助カッタ。』
液体の中に、そこに在るとは言い難い、そんなうっすらとした人影が浮かび上がった。
驚いて咄嗟にアテナの後ろへと隠れるパラス。
しかしその声が、よく聞くと自分の頭へ語り掛けた人物と確信できた。
「あなたが・・・私に助けを求めてきた人・・・?」
『ソノ通リダヨ。済マナイガ自己紹介ヨリ先ニ、マズ入レ物ヲ破壊シテクレナイダロウカ?』
アテナはパラスに振り向き「どうする?」と返事を待つ。
気味悪がるパラスはその人ならざる者へ半信半疑で返事をした。
「わかった・・・やってみる。」
その返事を聞いたアテナは、自分に引っ付いたままのパラスの両肩を掴み、後ろへと引きはがす。
「パラス、離れてて・・・。」
アテナは母の形見である短剣を握りしめ、ケースを力いっぱい殴り壊し始めた。
ガシャ!ガシャ!ガシャ!ピシピシピシ!
殴った場所から亀裂が入り、水圧に耐えられなくなったケースは
あちこちから液体を吐き出していく。
どんどんと液体がケースから抜け、空になっていくにつれ、
先程までうっすらとした人物が次第に濃く描かれていった。
『フム・・・ヨウヤク動ケル。』
真っ白いローブから出した右手首をコキコキと揺らし、身体を確かめる謎の男性。
液体は更に床にながれ、辺りの光がどんどんと失われていった。
『ンー・・・見エズラクナッテシマッタネ。』
薄暗い闇の中で男性はそうつぶやくと、背中から生える光る翼を広げた。
思わぬ閃光に目をつぶる少女二人。
ゆっくり慣らすようにその目を開けていくと、そこには幻想的な光景が広がっていた。
男性の羽ばたかせた光る羽根が舞い散り、昼間のように明るく周囲を照らしていたのだ。
二人はその出来事を固唾をのんで見守っていた。
『ハハ。ソウ怯エナクテイイヨ。ボクノ名ハ天使ミカエル。君タチノ名ハ?』
「・・・私はアテナ。この子が友達のパラスっていいます・・・。」
無表情のまま、目も口も瞑ったままミカエルは語る。
『アテナ・・・全知全能ノ女神ノ名カ・・・トッテモ素敵ナ名前ダネ。
ソシテパラス・・・君ノオカゲデ、ボクハ助ケラレタ。礼ヲ言ウヨ。』
アテナの後ろに引っ付いたまま、パラスは恐る恐るミカエルに物申す。
「ミカエル・・・さん。あの・・・願いを叶えてくれるって・・・。」
『嗚呼・・・モチロン覚エテイルヨ。君タチニハ恩ガアル。其々一人ズツ叶エヨウ。』
喜びとほっとした表情を浮かべるパラスを見つめ、アテナも笑顔になる。
パラスの望みが叶う事が、嬉しくて仕方がなかった。
『デハ、パラス。君ノ願イトハ?』
「お・・・お父様とお母さまに会わせてください・・・。」
暫く続く沈黙の時。
ミカエルへ言い放った後、真剣な眼差しで見つめ喉を鳴らし待つパラス。
そしてミカエルは眉をしかめてこう答えた。
『フム・・・シカシパラス。君ノ両親ハ既ニ亡クナッテイルヨウダガ・・・?』
「はい。。。」
ミカエルは暫く口に手を当て考える。今度は優しく諭すようにパラスへ語り掛けた。
『人ノ幸不幸トハ、既ニ運命ニヨッテ決マッテイル。私ガ出来ル事ハ、
ソノ運命ヲ捻ジ曲ゲ、シワ寄セシ、アリ得ナイ幸福の事象ヲモタラス事。』
『スマナイガ・・・既ニコノ世ニ無イ物ヲ、具現スル事ハ出来ナイノダヨ。』
期待に輝かせた瞳は、そのミカエルの言葉に絶望の色へと変化する。
その場に膝をつき泣き崩れるパラスに、アテナは寄り添い背中を撫でていた。
「パラス・・・。」
◇
暫く「グスグス」とパラスの泣く声だけが部屋に響きわたる。
その姿を哀れんだのか、ミカエルは再び物静かに語り始めた。
『パラスヨ・・・何トカソノ願イ、叶エテミセヨウ。』
パラスは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、キョトンとしている。
無表情だったはずのミカエルを見つめると、うっすらと慈悲に満ちた優しい笑顔を浮かべていた。
『タダ、今ハソノ時デハナイ。時間ヲクレナイカ?私ガ必ズ、ゴ両親ニ会ワセテアゲヨウ。』
「うぅ・・・。はい・・・。」
そのミカエルの約束で、少女パラスの希望が心に灯った。
涙を拭おうとするも、次々に涙が溢れていく。
「本当によかった」とアテナもパラスを優しく抱きしめた。
『サテ・・・。』
『女神の名を持つモノ。アテナ。キミハ何ヲ願ウ?』
「う・・・?あ・・・え~っと・・・。」
アテナは指を弄りながら、一点を見つめ暫く考えこんで答えた。
「う~ん・・・;;。わたしもママに会いたいけど・・・。大丈夫です。」
『願イハ無イト?』
「はい。だって私には、パラスもオルファリスも居ますから!w」
その答えに一瞬驚いた表情のミカエルだったが、フっと笑みを浮かべ、地下天井を仰いだ。
すると何かに気が付いたように、ミカエルは唐突に話を切り出す。
『二人トモヨク聞イテ欲シイ。』
怖いトーンで発せられたミカエルの言葉に、緊迫して耳を傾ける二人。
『コレカラ君タチニ、沢山ノ災イガ襲イ掛カカルダロウ。』
「え・・・災いって・・・???」
『死ニモ直結スルカモシレナイ運命ダ。私ニハ、君タチノ未来ガ見エル。』
「そんな・・・!せっかくお父様お母様に会えると思ったのに・・・;;」
ミカエルは険しい顔つきで天井を見上げている。
そんな不穏な空気の立ち込める中、アテナはジっと何かを考えていた。
そして母の形見である短剣をギュっと握りしめると、ミカエルに語り掛ける。
「ミカエルさん!あの!」
『?』
「私に力を下さい!」
『チカラ・・・?』
「はい!その運命に抗える強さ!」
『其レガ、キミノ望ム願イトイウ事カ・・・。』
「私強くなって、パラスをずっと守って、パパとママに会わせてあげたい。」
そのアテナの優しさに、パラスは再び涙ぐむ。
ミカエルはその二人の絆を信じ、その願いを聞き入れることにした。
『器・・・カ・・・。』
◇
ヒビの入ったガラスケースをすり抜け、ヒタヒタと裸足を鳴らしアテナの元へ近寄るミカエル。
パラスは未だに怯えながらアテナの腕を強く掴み、背後に隠れていた。
ついには手を伸ばせば届く距離。アテナは目の前の大天使なる存在が、
自分の知る"大人"を軽く越す長身である事に少したじろいだ。
「うあ;;でか・・・!;;;」
ミカエルはアテナの目の前でしゃがみ込むと、ほぼ骨と皮の右手を
真っ白なローブより抜き出し、中指の爪で親指の腹を切り血を滴らせた。
その行為に一瞬、目をギョっと見開き驚く二人。
『アテナ・・・少シ痛ムガ、君モ同ジヨウニ指ヲ切レルカイ?』
「え・・・あはい。やってみます・・・。」
アテナはミカエルの言う通りに、目を瞑り恐る恐る自分の右親指を短剣で傷つけた。
『デハ、指ヲ重ネテ。』
差し出されたミカエルの親指に、アテナも自分の切った指をその指へ重ねた。
血と血が混ざりあい、ポタポタと床に垂れている。
するとミカエルはアテナの差し出した腕をしっかりと掴み、ブツブツと呪を唱えた。
『・・・・・・。汝ヘ、血ノ契約ヲ交ワス。』
その瞬間・・・
アテナの心身へ、電流のような衝撃が襲う。
衝撃でビクンと体を仰け反らせ、指から胸や頭、体へと激痛が走った。
何かを考える余裕すらない。ただアテナの生への本能が、それに抗おうと声を発した。
「あああああ"あ"あ"あ"!!!!!」
パラスは心配で傍に駆け寄ろうとするも、その光景が恐ろしく近寄れなでいた。
叫びっぱなしだったアテナは、やがてグリンと白目をむきピクピクと虚脱状態になる。
「ぁ・・・ぁあ・・・ぁ・・・・・・。」
「もうやめて!アテナが死んじゃう!;;;」
パラスの叫びもお構いなしにミカエルはその儀式を続けると、
しばらくしてアテナの掴んだ腕をそっと離し、息を整えた。
痙攣をおこしたまま、口から泡を吹いてその場に横たわるアテナにパラスは近寄る。
「アテナ!しっかりして!死んじゃやだよ!!;;」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そこはとても薄暗く、美しい世界。
キョロキョロと辺りを見渡しながら進む足。
なぜ"其処へ"行くのかはわからないが、これだけはわかっていた。
「行かなくちゃ。」
高鳴る鼓動。徐々に小走りになっていく。
いつの間にか息を切らし、無我夢中で走っていた。
すると見えてくる。
ロッキングチェアに腰かけた女性が、
近づく私に気が付いて立ち上がり、地へ膝を落とし両腕を広げた。
「ママ!!!」
私と同じ、肩まで伸びた栗色の髪。栗色の瞳。
そう知っている。このとっても優しい香り。
その胸に飛び込むと。頭を何度も撫でて、抱きしめてくれた。
本当はずっとずっと逢いたくて・・・想い焦がれた人・・・。
「あのね!w聞いてママ!わたし!将来ママの様な強~い人になりたいん!」
女性は微笑みながら、ただ静かにその話を聞いている。
「んでね!パラスやオルファリスをず~~っと!守っていくの!」
「だからね!ママも・・・私・・・っと見守っ・・・」
・・・
・・
・
目を覚ますと、パラスとやってきた研究所の地下。
決して悲しいわけではなく、かといってどんな感情かも分からなかったが、
アテナの栗色の瞳からは、涙がどんどん溢れ流れていた。
体を動かすより先に眼球をキョロキョロと動かし、周囲と現実を確認する。
次第に耳が聞こえるようになると、自分の体を支え抱きしめる
パラスの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
『目ヲ覚マシタヨウダ。』
「アテナ!うぅ;;大丈夫!?」
体の痺れは若干あるものの、何が起こったのかよく覚えていないアテナ。
とりあえず起き上がり、抱き着くパラスに不思議そうに答えた。
「パラス・・・?どうしたの・・・?」
「どうしたのって;;アテナ死んじゃいそうだったからビックリしたのよ!?;;」
「そう・・・だったんだ・・・。確か・・・親指の傷を合わせたら・・・」
右親指を確認すると、傷はふさがっていた。
「あれ・・・?」っと不思議そうにボーっと自分の手を見つめるアテナ。
そんなゆっくりとした静かな時に、突如終焉を告げる地響きが鳴り出す。
「のぁ!?;;」
「え!?なに!?」
驚く二人にミカエルは忠告をする。
『二人トモ早々ニ、コノ村ヲ離レ、東北東ノ山ヲ行キナサイ。』
「え?・・・え?」
混乱するパラスは腰が抜けたのか、アテナにもたれかかった。
『言ウナレバコレハ、愚カナ人類ヘノ見セシメ。間モナク・・・神ノ裁キガ行ワレル。』
ミカエルは混乱中のアテナの短い髪をサラっとかき分け、頬を撫でた。
それは冷気のように一瞬ヒヤっとした温度を感じたが、触れられた感覚が一切なかった。
そして一喝する!
『アテナ!!!大切ナ者ヲ守ルノダロウ!?行キナサイ!!!』
そのただ事ではない怒鳴り声に、アテナは急いでパラスを抱え走り出した!
研究所を飛び出して獣道を振り返る事もなく、夢中に走って走って走り抜ける。
やがて道は次第に斜面へと変わり、山道へと入った。
「はぁ!はぁ!!!はぁ!!!;;」
どのくらい・・・走っただろう・・・?
走りぬいた素足はつぶれたマメと草木で傷だらけになり、血で赤く染まっていく。
やがて走る力も底をつき山中をヨロヨロ歩くと、限界に達したのか、
雨でぬかるんだ斜面に足を滑らせてアテナは尻餅をついた。
「キャア!・・・アテナ?大丈夫?;;」
「はぁ・・・!はぁ・・・!;;」
豪雨だった雨はウソのように晴れやかで、空には星が輝いている。
地響きもこの場所には響いていない。
兎に角言われるまま、山へ向かったが・・・。
二人はミカエルの言葉の意味を確かめるべく、山道から村を振り返り見下ろす事にした。
そこには・・・。
覆いつくすほどの業火に見舞われたアテナ達の村の姿があった。
その光景は茫然と見つめる二人の瞳を、真っ赤染め上げていたのだった。
◇
『ソレデイイ・・・ココカラ、運命ハ動キ出ス・・・。』