……朝。
昨日の夜は早くに寝たせいか、いつもより30分ほど早い時間に目が覚めてしまった。
布団の上で上体を起こし、首や手足を動かしてみる。
……うん。問題ない。
昨日の事故が夢だったんじゃないかと思えるくらい、快調だった。
ちょっとした運動も兼ねて、朝の新鮮な空気の中をジョギングしてみてもいいかもしれない。
カーテンを開け放ち、窓の外を見ながらそんなことを考えていた……その時。
廊下をドタドタと音を立てながら、何かが近づいてきた。
「え、何?」
次の瞬間、部屋のふすまが勢いよく蹴り倒される。
「羽依里! 起こしに来てやったぞ!」
「鳴瀬爺のためとあらば、我ら協力を惜しまん!」
「右に同じ!」
そして、三人の筋骨隆々のおじーさんたちが俺の部屋に踊り込んできた。その中には、しろはのじーさんの姿も見える。
「ひい!?」
俺は突然の出来事に腰が抜け、その場にへたり込んでしまった。
「いくぞ! モーニングスクワットだ!」
そんな俺は、二人の逞しいじーさんに両腕を掴まれ、無理矢理立たされる。
「よし、お主は朱雀だ!」
「いくぞ! ししんそうおう! 青龍!」
そして、モーニング四天王スクワットが始まった。
「せい! せい! 白虎!」
「びゃこ! びゃこ! 玄武!」
「げん! げん! 朱雀!」
「ざく! ざく! 青龍!」
「……羽依里、バイクで事故を起こしたそうだな!」
「げん! げん! 朱雀!」
スクワットの合間に、しろはのじーさんが話しかけてきた。
「ざく! ざく! 青龍! ああ、悪かったと思ってる!」
「しろはに心配をかけおって。いっそ、わしがバイクなど乗れんよう、その腕をへし折ってやろうか?」
……そんなことされたら、より一層しろはに心配をかけてしまいそうな気がする。
「せい! せい! 白虎!」
「びゃこ! びゃこ! 朱雀! バイクに乗るのは良いが、しろはに心配をかけるな。わかったか!」
「もちろんだ! しろはは大切な人だからな! ざく! ざく! 玄武!」
「げん! げん! 白虎!」
「若造が。一丁前に言いおって! びゃこ! びゃこ! 青龍!」
「せい! せい!」
……その後はお互い黙々とスクワットを続けた。
「ようやく目が覚めたようだな」
「これで、しろはからの頼みも終わらせたぞ」
「名残惜しいが、さらばだ」
たっぷり30分以上続けた後、三人のじーさんは去っていった。
いや、目は最初から覚めていたんだけど。なんか途中からテンション上がって、普段は言わないようなことを口走ってた気もする。
「はあ、朝からひどい目にあった」
俺は蹴り倒されたまま放置されていったふすまを元通りにしながら、大きなため息をついていた。
せめて、ふすまは直して帰って欲しかった。
でも、これだけ身体を動かしてもなんともないということは、本当に事故の影響は何もないっていう証明になったんじゃないだろうか。
そういう意味では、あのじーさんたちには感謝しないといけないかも。
「鷹原さん、おはようございます」
「え? ああ、おはよう、夏海ちゃん」
ふすまの最後の一枚をはめ込んでいると、背後から夏海ちゃんに声をかけられた。
「今日も、いつもと違う朝を迎えられましたか?」
「あ、うん……」
背中越しでも、夏海ちゃんが笑っているのがわかる。本当に悪気はないんだろうけど。
「……夏海ちゃん、明日からは、いつも通りの朝を迎えたいかな」
「え、そうですか……?」
なんだろう。その声は少し落胆の色を含んでいた。
「うん。いつも通りに夏海ちゃんに起こされる朝を迎えたいかな」
ここ数日の朝の出来事は全て俺の自業自得なんだけど、これから毎日あのじーさんたちが起こしに来るかも……という、謎の不安が俺の頭をよぎっていた。
正直なところ、朝からの四天王スクワットは、もう二度と嫌だ。
「わかりました! 明日からは、私がしっかりと起こします!」
「うん。よろしくね」
その後も二人で話をしながら、居間に顔を出す。そこでは鏡子さんが朝のニュースを見ながら、カップうどんを食べていた。
「あ、ふたりとも。おはよう」
「おはようございます。今日はゆっくりなんですね」
あえて、カップうどんには突っ込まないでおいた。
「今日は特に寄合とかも入ってないしね。家でゆっくりしようかと思って」
多忙を極めてる人だし、たまにはゆっくりしてもらいたい。
「そういえば鳴瀬さんたち来てたけど、何かあったの?」
「モーニングスクワットです」
「え?」
「いえ、気にしないでください」
「よくわからないけど、朝からスクワットしてたってことは、身体の調子は良いってことだよね?」
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「いいんだよ。それより、今日もラジオ体操行くんでしょ?」
「はい。そのつもりですけど」
「遅れるよ?」
鏡子さんに言われて居間の時計を見ると、結構いい時間だった。
「やばい、夏海ちゃん、急ごう!」
「は、はい! いってきまーす!」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
笑顔の鏡子さんに見送られて、加藤家を後にした。今日も一日が始まる。
夏海ちゃんと並んで、神社へ向かう道を歩く。朝も早くから、セミたちは元気よく鳴いている。
「そういえば夏海ちゃん、今朝は起こしに来てくれなかったんだね」
しろはのじーさんたちは踊り込んできたけど。
「えっと、いつもと同じ時間に一度様子を見に行ったんですが……その、あまりに楽しそうにされていたので」
「あー、スクワット中だったのか」
一度俺の部屋までは来たけど、そのまま何も見なかったことにして、居間でじーさんたちが帰るのを待っていた……と。
「はい……」
その時の状況を思い出してしまったんだろうか。夏海ちゃんが何とも言えない表情を浮かべながら、右手でスタンプカードの紐を弄っていた。
「えーっと、男の子の遊びは、女の子にはなかなか理解できないものだろうし、ね……」
そこでふと、気になったことがあった。話題を変える意味も含め、夏海ちゃんに質問してみる。
「ところで、もし俺が今日何も言わなかったら、明日はどうやって起こすつもりだったの?」
「鏡子さんにメイド服とか用意してもらっていたので、蒼さんか鴎さんにそれを着てもらって、鷹原さんを起こしてもらおうと思ってました」
……今日で止めておいて本当に良かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「パイリ君、おはよう」
「ナツミさん、おはようございます!」
境内に着くと、そこにはいつものメンバーに加えて、静久と紬がいた。
「おはよう、ふたりとも」
「おはようございます!」
夏海ちゃんと二人で挨拶を返した直後、何か違和感を感じる。
「むぎゅ? タカハラさん、わたしの顔に何かついてますか?」
「夏海ちゃん、私のおっぱいに何かついてる?」
……違和感の理由がわかった。今日の紬たち、着ぐるみじゃなかった。
「ふたりとも、今日は私服なんだな」
「そうよ。お昼からのお出かけもあるし」
「はい!」
二人とも笑顔だった。今日の外出を楽しみにしてくれているらしい。
「え、お出かけって何ですか?」
「あら、パイリ君ったら夏海ちゃんには何も話していないの?」
そう言えば、話してなかった気がする。
「ほら、この間の鑑定大会の優勝賞品だよ。お昼前から、ちょっと出かけるんだ」
「あ、デートですか」
「うん、そう。デ、デートだよ」
無垢な笑顔でそう言われ、返しに困る。
「紬さん、良かったですね!」
「むぎゅ~……デートと言われると、急に恥ずかしくなってきました」
夏海ちゃんと紬が話をしていると、俺のすぐ近くに静久が寄ってくる。
「……ところでパイリ君」
そして、俺にしか聞こえないくらいの声で聞いてきた。
「昨日、バイクで事故をしたって聞いたけど、身体は大丈夫なの?」
静久のことだし、島の誰かから聞いたんだろう。
「ああ、奇跡的に怪我の一つもないんだ。診療所で見てもらったけど、異常はないってさ」
「そう……私たちに構わず、お出かけを別の日にずらしてもらっても良いのよ?」
「いや、大丈夫だよ。朝から全力のスクワットもできたし、紬も楽しみにしているだろうから」
「わかったわ。それなら、私も何も言わないから」
紬が昨日の事故を知ったら、間違いなく今日のお出かけは中止になっていたと思う。
その後も、他の皆は誰も事故については聞いてこなかった。一番に聞いてきそうな空門姉妹も素知らぬ顔で、まるで箝口令でも敷かれているみたいだった。
もしかして、俺から口に出さない限り、皆触れないようにしてくれているんだろうか。
「よーしお前らー! 今日もラジオ体操を始めるぞー!」
その時、ラジオ体操大好きさんがやってきた。今日もラジオ体操が始まる。
「第一の体操! 耳介筋の鍛錬!」
「ピクピク、ピクピク」
今日も皆で一緒に耳を動かす。正直、異様な光景だった。
「むーぎーぎー」
「ずーくーずーくー」
紬と静久の耳もピクピクと動いていた。あの二人、着ぐるみの耳じゃなくてもちゃんと動かせるのか。
「第四の体操! 三半規管の鍛錬! ぐるぐるぐる~~!」
「ぐるぐるぐる~!」
うう、目が回る……。
でも、この体操にもだいぶ慣れてきた気がする。目が回りにくくなったというか、すぐに元に戻るようになってきた。
フィギュアスケート選手の気持ちがわかってきた気がする。
「さあ、今日のスタンプはこっちだぞー」
ラジオ体操が終わった後、今日の分のスタンプとログボを受け取る。
今日のログボは、美味しそうなみかんだった。
「この時期にみかんとか、珍しいよな」
「島の特産なのよ。夏みかんね」
「なるほど、夏みかん」
「はい! なんですか?」
蒼と話していると、俺の後ろにいた夏海ちゃんが会話に入ってきた。
「え、呼んでないけど?」
「あれ? そうですか?」
夏海ちゃんは首をかしげながら、俺の後ろに戻っていった。
周囲を見渡すと、ほとんどの人がその場で夏みかんを食べていた。運動した後の果物は格別だろう。
「夏海ちゃん、俺たちも食べようか」
「はい!」
良一の隣が空いていたので、二人でそこに腰掛けて、夏みかんを食べることにした。ちょうど木陰になっていて涼しい。
「うん、美味しい」
「だろ。甘いしな、夏みかん」
「あの、良一さん。呼びましたか?」
「いや、呼んでないぞ?」
「そうですか……」
夏海ちゃんが、また首をかしげている。
「夏海ちゃん、夏みかん美味しいよ。食べないの?」
「食べます、けど……なんだか、そこらじゅうで名前を呼ばれているような……」
「え?」
……なつみちゃん、なつみかん。口にしてみると、確かに語呂が似てる気がする。
「美味しそうね、夏みかん」
「夏みかん、持って帰ってジュースにしますか? ミキサーもありますし」
「えっ、あの、その」
皆も俺の言葉の意図に気づいたんだろう。笑顔で乗ってきた。
「夏みかん、ピンポン玉とそこまで大きさも変わらないぞ。色も似ているし、一発打ってみるか」
「やめなさいよ。夏みかんがつぶれちゃうじゃない」
「そうだぞ、夏海ちゃんで遊ぶな」
「うう……やめてくださーーい!」
両方の拳を突き上げて、夏海ちゃんが怒っていた。すごく微笑ましい。
その後もしばらく、夏みかんで遊んだ。
「はぁ……」
疲れた顔をしている夏海ちゃんと一緒に、帰路につく。
「あ」
石段を降りきったところで、夏海ちゃんが小さく声を上げる。
「夏みかん、どうしたの?」
「そのネタはもういいです! それより、朝ごはんどうしましょう? ロクボ、食べちゃいましたし」
「あ、そう言えばそうだね」
その場の流れで、皆と一緒に夏みかんを食べてしまっていた。俺たちの手元にあるのは皮だけだ。
「みかんの皮って、確か食べられますよね」
確か、陳皮(ちんぴ)っていう漢方薬だっけ。
「多少強引にでも、夏みかんチャーハンに……」
……夏海ちゃん、みかんの皮をまじまじと見つめないで。仮に食べずに残っていたとしても、夏みかんチャーハンとか恐ろしい物を創造しないで。
「お? どうしたんだ二人とも、帰らないのか?」
「あ、良一さん」
ちょうどその時、良一が石段を降りてきた。
「このままだと、朝ご飯がないんです」
「え、どういうことだ?」
「実は……」
夏海ちゃんが良一に、これまでのいきさつを説明する。
「つまり、チャーハンの具になる食材があればいいわけだな」
「はい、そうです」
あれ? いつの間にか、チャーハンの具材の話になっていた。
「そういえば、港に出店が出ていたぞ」
「え、もう?」
いつもより早い気がする。
「素潜りを生業にしてるおっちゃんが、朝から獲れ過ぎたとかでな。高級食材だぜ」
「高級食材?」
「詳しくは秘密だ。けど、一回300円は格安だと思うぜ?」
良一は意味深な笑顔を残し、去っていった。
「よくわからないけど、夏海ちゃん、行ってみる?」
「はい! 行きましょう! 朝ご飯のために!」
握りこぶしを作っていた。やる気満々みたいだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ぐーぐーと鳴く腹の虫を抑えつけながら、港に到着する。
神社からだと結構な距離があるので、本来ならバイクを使いたいところだけど、昨日の今日でバイクの修理が終わるはずがなかった。
「あ、鷹原さん。あのお店がそうみたいですよ?」
夏海ちゃんの指差す方を見ると、ビニールプールが出ていて、その上に看板が出ていた。
「サザエすくい?」
俺は思わず看板を二度見してしまった。金魚すくいみたいなものなんだろうか。
不思議に思いながら出店に近づいてみる。ウェットスーツ姿のおじさんが店番をしていた。
「いらっしゃい」
顔は見たことあるけど、名前は知らない人だった。
「お、加藤さんとこの二人かい。どうだい、やってみるかい?」
「えーっと」
夏海ちゃんと二人でプールの中を覗き込む。中は浅めの海水で満たされていて、4~5センチくらいのサザエが生きたまま入っていた。
「ほ、本当にサザエだ」
「本物とか、初めて見ました」
「一回300円。金魚と違って、逃げ回らないからすくいやすいよ」
いや、逃げない代わりに思いっきり重そうなんだけど。使うアミが特別なんだろうか。
「それじゃ、二人分ください」
俺はそう言って、600円をおじさんに渡す。
「ほいよ。たくさんすくいな」
渡されたのは二つのお椀と、ごくごく普通のポイだった。
「アミが破れるまで、何個すくってもいいよ」
いや無理だろ。どう考えても。
とりあえず代金を支払った以上、挑戦してみるしかない。
「てい!」
できるだけ小さいのに狙いを定めて、持ち上げようと試みる。サザエはほとんど浮くことなく、アミが破れてしまった。
「……これ、すくえるの?」
「はは、島の子なら一回で2~3個は持って行くんだがな」
「え、うそだろ?」
……島の子、恐るべし。
「上手くフチの部分を使うのがポイントだ」
「フチですか。むむむむ……えい!」
おじさんに言われた通り、夏海ちゃんはフチの部分を使って何とかすくおうとしたけど……やっぱり無理だった。一度は水面から出たけど、そのままアミを破って転がり落ちてしまった。これは相手が強靭すぎる。
「あう……」
「残念だったね、お二人さん。ほいよ」
残念賞ということで、おじさんは小さめのサザエを袋に入れて、何個かくれた。縁日の金魚すくいとかで、すくえなかったら一匹くれる時があるけど、その流れだろうか。
「手元に残しても、どうしようもないからねぇ」
おじさんは笑っていた。漁師の感覚なんだろうなぁ。
何にしても、無事に朝ご飯の食材を手にした俺たちは、加藤家へ帰宅する。ちょっと小さいけど、朝からサザエのつぼ焼きとか、贅沢過ぎじゃないだろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ただいま帰りましたー」
「おかえり。随分と遅かったんだね」
帰宅すると、鏡子さんが居間でお茶を飲みながらテレビを見ていた。これだけまったりとしている鏡子さんを見るのは初めてかもしれない。
「ちょっと港の方に行ってまして」
「港?」
「はい、ちょっと高級食材を……」
『私は魔物を討つ者だから』
そんな話をしていると、テレビから聞いたことのある台詞が聞こえてきた。俺はサザエの入った袋を横に置いて、反射的にテレビに目をやる。
『食らいやがれ! ロイヤーザン! ハイヤーザン!』
『ミラクルリボーン!』
『あぶなーい! おさげでぃふぇんすー!』
例のテレビドラマをやっていた。例のリボンを纏った女の子と、魔物使いの女の子、剣士の女の子に加えて、筋肉マッチョの男とサイドテールをした女の子が加わっていた。
「このドラマ、面白いよね」
「ええ。時々ですけど見てます」
「リボンの子が飲むコーヒーがおいしそうなのよ」
え、そんなシーンあるんだ。いつもバトルしてるイメージしかないけど。
その後も、つい区切りの良い所まで見てしまった。
「ところで、港で何してたの?」
テレビが終わったタイミングで、鏡子さんが唐突に話を戻す。
「はい、このサザエを……あれ?」
さっきまで横に置いていたはずのサザエが無くなっていた。
ついでを言うと、夏海ちゃんの姿もない。
「しまった。この流れは」
「はい、サザエチャーハンの完成ですー」
急いで台所へ向かおうとしたけど、遅かった。笑顔の夏海ちゃんがおぼんにチャーハンを乗せて、居間にやってくるところだった。
「あれ、鷹原さん、どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないよ……」
どうやらサザエチャーハンにされてしまったみたいだ。つぼ焼き……。
「私は早い時間に食べたから、二人で食べるといいよ」
鏡子さんにそう促され、夏海ちゃんと二人で食卓を囲む。
「それでは、いただだきまーす」
「いただきまーす……あれ?」
二人で手を合わせた……その時、夏海ちゃんの左手に包帯が巻かれているのに気が付いた。
「夏海ちゃん、その左手どうしたの?」
「あ、これですか? サザエを茹でていた時、熱湯がかかってしまったんです。不覚です」
夏海ちゃんは申し訳なさそうな顔で、右手で左の甲をさすっていた。
「え、大丈夫なの?」
「薬も塗りましたし、すぐに治ると思います」
「それならいいけど」
「はい、心配はいりません! それより、食べましょう! 今日も自信作ですよ!」
夏海ちゃんがそう言うので、包帯の話はそこまでになった。
俺もスプーンを持って、サザエチャーハンに取り掛かる。
「うん、美味しい」
サザエチャーハンは、磯の香りとサザエの歯ごたえが抜群の、至高の一品だった。
その後、いつものように宿題を片付ける。
宿題を終えた後、夏海ちゃんは部屋にノートや筆記用具を片付けに行った。
「あ、宿題終わったんだね」
ちょうど夏海ちゃんと入れ違いで、鏡子さんが居間にやってきた。
……そう言えば、一番重要な人に伝えてなかったような。
「あの、鏡子さん、急な話で申し訳ないんですけど」
「え、どうしたの?」
「今日のお昼の船で、本土の方に出かけてきてもいいですか?」
「本土に? 珍しいね」
「例の鑑定大会の副賞で、紬とデートすることになったんです」
「ああ、しろはちゃんの許可は取れたんだね」
「はい、許してくれました」
「まぁ、相手は紬ちゃんだものね」
なんだろう。すごく意味深な顔をされた気がする。
「すみません。昨日のうちに予定は決まっていたんですが、伝えるのが遅くなってしまって」
「ううん、いいんだよ。色々あったしね」
事故とか、スクワットとか。サザエとか。確かに昨日から今日にかけて、色々ありすぎてる。
「行ってきてもいいよ。その代わり、もし体調が悪くなったらすぐに帰ってきてね」
「わかりました。夕方の船で戻ってきますんで」
「うん。それじゃ、楽しんできてね」
「ありがとうございます」
鏡子さんにお礼を言って、俺は部屋で外出の準備を始めた。
「それじゃ、いってらっしゃい」
「頑張ってきてくださーい!」
11時。二人に見送られて、俺は加藤家を出発する。
ゆっくり歩いても、船の時間まではまだ余裕があるし。
空門姉妹とのデートの時は妙に緊張していたけど、今日は静久という年長者が同行ってこともあって、なんとなく心に余裕があった。
「今回は楽しまないとな」
そんなことを口走っていた。あの二人と出かけるなんて、これが初めてのはずなのに。
朝からスクワットなんかやったから、疲れてるんだろうか。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
港に到着すると、俺以外に人影はなかった。この時間帯だと、島から出る人間はいないのかもしれない。
そう思いながらも、キョロキョロと周囲を見渡してしまう。
「タカハラさん、どしたですか?」
「いや、万が一にも木戸のおばーちゃんがいたらどうしようかと思って」
「むぎゅ? おばーさんがいると、何かあるですか?」
「うん。色々あるんだ……って、紬?」
「タカハラさん、お待たせしました」
いつの間にか、隣に紬がいた。朝と同じ私服姿で、胸元にリボンのついた、かわいらしい感じの服装だった。
でも、その場にいたのは紬だけだった。
「あれっ、紬だけ?」
「はい! わたしだけです!」
「静久は?」
「シズクは朝の船で一度家に帰りました。向こうで合流するらしいです」
向こうっていうのは、もしかしなくても宇都港のことだろう。
「じゃあ、行きは紬とふたりっきりだね」
「……そですね。そうなります」
えっと紬、そこで顔を赤くしないでほしいんだけど。こっちも変に意識してしまうし。
「むぎゅ~……」
変な空気になってしまった。まだ船が来るまで時間があるし、何か話をして場を持たせないと。
「そういえば紬、最近はパリングルスの調子はどう?」
焦るあまり、わけのわからない話題を振ってしまった。
「浜辺にはあまり流れ着かなくなりました。たぶん人気のなかったフレーバーの販売が終了したんだと思います」
「え、そうなんだ」
「でもシズクによると、新しくマンゴーミックスフラペチーノ味とか出てるそうです。コラボ商品だとかで、これまたキワモノのにおいがします」
駄菓子屋に入荷したら、間違いなく蒼が悶えそうなフレーバーだ。
「フホートーキされないことを願うしかありません」
「そうだね」
……そこで会話が途切れてしまう。
やばい、また変な空気に。
「むぎゅ~……」
どうやら、紬も何を話したらいいのかわからないみたいだ。俯いて、もじもじしている。
……思えば紬と話をする時は、常に静久も一緒にいたっけ。静久の存在って偉大だ。
内心困っていると、港に船が入ってくるのが見えた。まさに助け船だ。
「紬、船が来たみたいだし、行こうか」
「はい!」
紬はそう言いながら、俺の手を握ってきた。
「はっ!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げて、固まってしまった。
「あのー、紬さん? これはどういうことでしょーか?」
そしてつい、敬語になってしまった。
「その、逢引きとか初めてなので」
いやえっと、紬。逢引きって言わないで。
「シショーに色々と聞いたんですが、間違ってたでしょーか……?」
「え、シショーって?」
「アオさんです」
「あー、それは聞く相手を間違っていたかもね……」
「むぎゅ……とても恥ずかしいです……」
勢いで手を握ったまでは良いものの、ものすごく困っているみたいだ。うん、俺も恥ずかしい。
とりあえず、見ているのは船員さんくらいだし。ここは開き直って手を繋いだまま船に乗り込んだ。
乗船してしばらくすると、船が宇都港へ向けて出港する。
不思議と船内に入ろうという気は起きず、俺たちはデッキの柵のところで並び、離れていく島を眺めていた。
「……実は、島を出るのはこれが初めてだったりします」
控えめな波音に耳を傾けていると、紬がそう呟く。
「あ、そうなんだ」
静久と一緒にどこかに出かけてそうなイメージがあったんだけど。
「はい。なので、もうドキドキです」
海風を受けて、紬のツインテールが揺れる。その横顔を見るのがなぜか恥ずかしくて、俺は視線を海へと向ける。
海面は陽の光を受けて、キラキラと輝いていた。
「ほら紬、灯台が見えるよ」
「おおー、本当ですね!」
海面と同じように、陽の光を受けて輝く白い灯台が見えた。
「そういえばこの間、灯台の掃除をしてたんだっけ?」
「はい、打ち水をしていました! 壁もご覧の通りピカピカです!」
「本当だ。すごくきれいになってるね」
打ち水の意味が違ってる気がするけど、丁寧に掃除をしたんだろう。
「昨日はシズクと、灯台の中を掃除していました!」
「え、二人でやってたの?」
「はい! 二人でしてました!」
昨日会った時は、その掃除の途中で買い出しに出ていたわけか……呼んでくれたら手伝ったのに。
「床磨きとか、大変だったでしょ?」
「フローリングの床はお米のとぎ汁で拭くと、簡単にツヤが出るんです。ラクショーでした!」
「へぇ、そうなんだ」
「窓ガラスも、新聞紙で磨くと綺麗になります!」
「あ、それ聞いたことあるね」
まるで、おばーちゃんの知恵袋だった。
でも、二人の間に流れていた空気が少しだけ変わったような、そんな気もした。
『まもなく宇都。宇都港に到着いたします。お降りの方はお忘れ物のありませんようーー』
そんな調子で紬と掃除談義をしていると、やがてアナウンスがあり、船は宇都港に到着する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「紬ー、パイリ君ー、こっちよー」
宇都港に着くと、笑顔の静久が出迎えてくれた。静久も朝と同じ私服姿で、白と黒を基調にした、落ち着いた服装だった。
「むぎゅ、シズク! ようやく会えました!」
紬がその大きな胸に飛び込んでいた。俺も静久に会えて、多少なりとも安堵している。
「あら、せっかく紬とパイリ君を二人っきりにしてあげたんだけど、嬉しくなかった?」
「……嬉しいかったような、恥ずかしかったような」
「恥ずかしかったです! 今度はシズクもミチヅレです! むぎぎぎぎ」
道連れって、紬。
でも、紬もいつもの調子に戻ってくれたみたいで良かった。
「それじゃ、さっそくお昼にしましょ」
合流してすぐ、静久がリードをしてくれる。この感じ、ものすごい安心感だ。
「行きたい店があるんだっけ」
「昨日のうちに紬と相談して決めてたんだけど、思い切ってジャイフルに行こうと思って」
「ああ、あの店」
でもジャイフルって、そんな思い切っていくお店だっけ? ただのファミレスチェーンなんだけど。
「えーっと、場所はどこだったかしら……」
静久が港に設置されている周辺地図を見ていた。
「ジャイフルの場所なら、俺が知ってるから案内するよ」
「おおー、さすがシティーボーイなタカハラさんです!」
紬、そのシティーボーイも意味違うから。
「それならパイリ君、道案内よろしくね」
「よろしくお願いします!」
「ああ、任せておいて」
俺を先頭にして、ジャイフルへ向かう。
港を出て、人波をかき分けるように歩き、一度駅へ向かう。そこから少し離れた建物の二階が目的地だ。
店に入ると、ちょうどお昼時ということもあって、結構な数のお客さんで賑わっていた。
「ジャイフルへようこそ。こちらのお席にどうぞ」
営業スマイルの店員さんに、一番奥のボックス席に案内された。あれ、この席って。
「想像はしていたけど、すごい人ね」
前来た時と同じ席だなー……とか考えていると、俺の向かいに紬と静久が並んで座る。
「ご注文がお決まりになりましたら、奥のボタンでお呼びください」
俺たちにおしぼりとお冷を提供して、店員さんは去っていった。
「むぎゅ、きんちょーします……」
「え、緊張?」
「ふふ。このお店、鳥白島の皆の憧れらしいの」
「そうなのか?」
何度も言うけど、ただのファミレスチェーンなんだけど。
「ドリンクバーとか、島にはないものもあるし、家族で本土で食事っていうと定番らしいわ」
そういえば、良一も藍がジャイフルに行ったのを羨ましがっていたっけ。
「むぎゅ……三人でなら、なんとかなると思ったのですが」
紬もどこか落ち着かない様子だ。確かに、島だとこれだけ盛況なお店に入ることもないだろうし。
「紬、心配しなくても俺たちがついてるから。俺とかほら、毎日外食してるし」
だから、できるだけ安心できるような言葉をかけておく。
「ごめんなさいパイリ君。実は私も、こういう場所には慣れてないの」
「え、そうなの?」
静久はこういうところ詳しそうだけど。
「と、とりあえずメニューを選ぼうか」
ああ言ったものの、俺もそこまで慣れてるわけじゃない。外食専門とは言っても、しろは食堂だし。
三人でメニューを開く。相変わらず煌びやかなメニューが並んでいた。
「むぎぎ、美味しそうな料理が一杯です」
「確かこのお店、ハンバーグがおいしいのよ?」
「そですか。なら、ハンバーグにします!」
「紬、聞いて驚け。ハンバーグでもこれだけ種類があるんだぞ」
「むぎゅ!? 多すぎます! 選べません!」
紬は目を白黒させながらメニューを見ていた。これは決めるのに時間がかかりそうだ。
……っと、紬をからかうのもいいけど、俺も早いとこメニューを決めてしまおう。
「あれ?」
その時、メニュー表の中に前回はなかったメニューを見つけた。
「……ハンチャーハンセットに、ハッピーセット?」
半チャーハンセット? ファミレスで?
ほとんどのメニューにはおいしそうな写真がついているのに、ハンチャーハンセットだけ写真がなかった。
……めちゃくちゃ気になる。
「パイリ君、どうかしたの?」
「いや、なんでもないよ」
ちなみに、ハッピーセットの写真はどうみても親子丼だった。おもちゃでもついてくるのかと思ったけど、そんな感じじゃない。
さらにその横には『開発部長一押しメニュー、ついに解禁!』とでっかく書かれていた。
結局、何がハッピーなのかいまいちわからなかったけど、きっとその開発部長ってすごく変わった人なんだろう。
「……私は決めたけど、紬とパイリ君も注文は決まったかしら?」
「はい! 決めました!」
「え? ああ、決めたよ」
新メニューについて考察しているうちに、皆の注文も決まったみたいだ。
「それじゃ、店員さんを呼ぶわね」
静久がボタンを押して、しばらくすると店員さんがやってきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
紬と静久が注文したのはそれぞれ、わふーハンバーグセットと、パイ包みハンバーグセットだった。
「あの、すみません」
注文の前に、どうしても気になったので、俺は店員さんにハンチャーハンセットについて聞いてみた。
「ジャイフル自慢のハンバーグとチャーハンが一緒に食べられる、大変お得なセットとなっています」
あ、ハンってハンバーグのハンなのか。そりゃそうだよな。
「鉄板の高火力で調理したチャーハンは、当店おススメの一品ですが、いかがなさいますか?」
「あー……いや、俺はイタリアンハンバーグセットで」
謎は解けたけど、さすがに二食続けてチャーハンというわけにもいかない。
鉄板チャーハンってのも気になるけど。興味本位で注文しなくて良かった。
「かしこまりました。少々お待ちください」
注文の確認をして、店員さんは去っていった。
「……でも、こうやって三人でお出かけをするのは初めてかもね」
一時の間をおいて、静久が呟くように言う。
「はい、許可してくれたシロハさんには、いくら感謝してもしきれません」
「なんでも鑑定大会で、紬が自力で勝ち取った権利なんだから、別に気にする必要ないと思うけど」
「そ、そーゆーわけにはいきません。一日タカハラさんをお借りしてますので、色を付けてお返ししませんと!」
「そうよね。借りたものは返さなきゃ。おっぱいだってそう」
「えええ」
なんだか話が変な方向に行ってしまっているような。
それにしても紬、色を付けるって意味わかっているんだろうか。
「というわけで、シロハさんにお礼をしたいのですが」
「お礼?」
「はい! シロハさんが好きなものとか、タカハラさんなら知ってますよね?」
「え? 急に言われても」
「知ってるわよね? パイリ君は鳴瀬さんの彼氏なんだから」
「え、えーっと……スイカバー、とか?」
「さ、さすがにそれは軽すぎるんじゃないかしら。他のものはないの?」
「他のもの……えーっと……」
その後も料理を待ちながら、しろはへのお礼について意見が交わされた。場所こそ違うけど、俺たちの周りの空気はいつもと何ら変わらなかった。
「おまたせしましたー」
やがて、注文したメニューが運ばれてきた。
「二人とも、しろはへのお礼の件はまた後で考えることにして、せっかくだし温かいうちに食べよう」
「……そですね。腹が減ってはイクサはできないと言いますし」
お礼の件は棚上げにして、とりあえず食事をすることにした。俺、なんでファミレスに来て疲れてるんだろう。
「それじゃ、いただきます」
三人で手を合わせてから、食べ始める。
俺もイタリアンハンバーグを口に運ぶ。上にかかったトマトソースの酸味が絶妙で、付け合わせのほうれん草のソテーとよく合う。とってもボーノな一品だった。
「むぎぎぎぎ」
声がする方を見ると、紬がわふーハンバーグを前に苦戦していた。どうやらナイフとフォークがうまく扱えないらしい。
「紬、わふーハンバーグは柔らかいから、箸で食べられるぞ?」
「そですか。それは助かります」
近くに置かれていたカラトリーボックスから割り箸を取り出し、綺麗に割ってからわふーハンバーグを食べ始める。
「紬、美味しい?」
「はい。とってもわふー! です!」
「そう。良かったわね」
そう言う静久の方を見ると、ナイフとフォークで器用にパイ包みハンバーグを食べていた。
元々肉汁たっぷりのジャイフルのハンバーグを、パイ生地で包むことでその肉汁を逃がすことなく堪能できるらしい。パイ生地を使うあたり、なかなか家で作ろうと思っても難しそうだ。
「美味しいわよ。オッパイ包みハンバーグ」
……うん。何も聞かなかったことにしよう。
「シズクのハンバーグも美味しそうですね」
静久のハンバーグはパイ生地を使ってるのもあって、見た目も変わっている。紬も気になったみたいだ。
「紬、一口あげるましょうか。ほら、あーん」
「はい! あーん」
静久がパイ包みハンバーグを紬が食べやすい大きさにカットしてあげてから、紬の口へ運んであげていた。
なんというか微笑ましい。親友同士というより、母親と娘みたいに思えてしまうのは何故だろう。
「ねえ紬、パイリ君のハンバーグも気にならない?」
「はい! 気になります!」
「え? じゃあ一口どうぞ」
俺は鉄板の位置をずらして、紬が取りやすいようにしてあげる。
「はい!」
……えっと紬、そこで笑顔で口開けないで。
「ふふ。ほら、パイリ君」
「わ、わかってる」
シズクは笑顔でこっちを見てる。こういう流れになるのがわかっていたんだろう。
俺はハンバーグを小さ目にカットして、紬の口に入れてあげる。
「おおー、タカハラさんのも美味しいです!」
紬はニコニコ顔で俺のハンバーグを食べてくれた。俺がいろいろと意識しすぎなんだろうか。
「むぎゅ……美味しいですけど、その、タカハラさんに食べさせてもらうとか、ものすごく恥ずかしくなってきました……」
「え、今更!?」
「……シショーからは、デートの時はこうするものだと聞いたのですが……むぎゅぎゅぎゅぎゅ……」
だから蒼、何教えてるの――ー!?
その後、恥ずかしさでむぎゅむぎゅ言いだした紬を静久と一緒に楽しみつつ、食事を済ませた。
ジャイフルを出た後、次の予定について静久に確認する。
「この後はぬいぐるみの専門店に行くんだっけ?」
「そうよ。あそこは一度、紬と一緒に行ってみたかったの」
「その店って、どこら辺にあるんだ?」
「駅の中にショッピングモールがあるでしょ。その中なんだけど。ウニクロの少し先よ」
「そうなんだな」
ウニクロにはこの前も行ったけど、そんな場所あったっけ。
「私が知ってるから、ついて来てね」
「わかった」
静久が場所を知っているなら安心だな……と、三人並んで歩きだそうとした、その時。
「あ、そう言えば忘れていました」
紬が思い出したようにそう呟く。
「紬、何か忘れ物?」
「いえ、そのですね……むぎゅ~~っ!」
……次の瞬間、紬が俺の右腕に抱きついてきた。
「ちょっと紬、ついさっき恥ずかしいとか言っておきながら、今度は何!?」
「こ、これもシショーです!」
「え、また蒼?」
「はい! アオさんから、デート中はこうやって歩くものだと言われました!」
だから蒼、ステップアップさせすぎ! 何教えてるの!
「あの、シズクも一緒にお願いします!」
「え、私も!?」
「そです! ミチヅレです!」
あ、ミチヅレってこれのこと。
「し、死んじゃいそうなくらい恥ずかしいけど……紬の頼みとあれば断れないわ! パイリ君、覚悟してね! むぎゅ~~っ!」
そして、静久が俺の左腕に抱きついてきた。
紬と静久に両サイドから抱きつかれてしまった。
「ま、またこのパターン……」
というか、左側がその、柔らかすぎる。天善ごめん。これは色々とやばい。
「えっと、パイリ君、お店はこっちよ。し、しっかりついて来てね」
ついて行くも何も、逃げられません。誰か助けて。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
せわしなく行き交う人々の間を縫って駅へ入り、そこからエスカレーターでショッピングモールへ向かう。
多種多様な店が軒並ぶその一角、以前行ったことのあるウニクロから少し離れた場所に、その店はあった。ちょうど曲がり角の先になっていて、ウニクロからだとちょうど見えない位置だった。
「ついたわ。ここよ」
店に到着したタイミングで、ようやく両腕が解放された。色々な意味で注目を浴びてしまっていた気がする。なんのへじゃぷだろう。
「おおー、すごくきれいなお店ですね!」
入り口横に設けられたショーウインドーには、外国産のカラフルなクマのぬいぐるみが並んでいた。この一角だけ雰囲気が違う。
「さあ、入りましょ」
「はい!」
二人に続いて店へ入る。外見と同じように店内もメルヘンチックな色合いで統一されていて、棚にはバラエティに富んだぬいぐるみが所狭しと並べられていた。
「……これは、すごすぎです!」
紬の目の色が変わった。ぬいぐるみ集めが趣味だし、やっぱりこういうものが好きなんだろうな。
「せっかくだし、三人でゆっくり見て回りましょう」
「はい!」
テンションの高くなった紬を落ち着かせながら、近くにあった棚から順番に見てみることにした。
「なんだこれ? でっかい鴎だな」
「本当ね。ジョナサンという名前らしいわ」
見ると、天井から大きなカモメのぬいぐるみが吊るされていた。空を飛んでいるイメージだろうか。
「こっちにも大きな星があります! 可愛いです!」
紬が目の前の棚にあった、星形のぬいぐるみを抱きしめていた。
「紬、説明によると、それはヒトデみたいよ」
「むぎゅ!?」
「ヒトデのぬいぐるみとか、女の子が貰って嬉しいのかな……」
「どうかしら。好みも色々だと思うけど」
「こっちはどうでしょーか」
紬はヒトデのぬいぐるみを棚に戻し、近くにあったピンク色の丸い物体を手に取る。なんだか目のようなものもついている。
「え、なにそれ」
「だんごみたいです」
「え、だんごのぬいぐるみ?」
「はい。何種類かあるみたいです」
どうやらシリーズ化されているらしい。なんだろう。餡だんごとか、草だんごとかあるんだろうか。
「二人とも、このぬいぐるみを見て。何に見える?」
「え、どれ?」
次に静久が差し出してきたのは、ピンク色の犬のようなぬいぐるみだった。
「犬じゃないのか?」
「私にはゾウに見えるんだけど」
「え、ゾウ?」
「わたしにはイノシシさんに見えます」
「え、猪?」
人によって見え方が違う、不思議なぬいぐるみだった。
「タカハラさん、このぬいぐるみを見てください!」
棚の並びに沿うように移動していると、紬がまた別のぬいぐるみを持ってきた。
「なにそれ、ワタアメみたいなぬいぐるみだね」
「これも犬みたいよ」
「え、これが犬?」
その見た目では、とても犬には見えない。
「これはなかなかに可愛いです!」
紬が抱きしめると、ピコピコと妙な音がしていた。
さらに奥に進むと、少し開けたスペースがあり、その中央に大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。座ってるから分かりにくいけど、のみきと同じくらいの大きさはあるんじゃないだろうか。
「これ、専用のトランク別売りって書いてあるわ」
トランク? なんのトランクだろう?
「ねえパイリ君、このぬいぐるみの値段、凄いわよ」
静久が値札を見て驚いていた。俺もその横に立って、値札を見てみる。
「32万円!?」
「娘さんへのプレゼントに是非、ですって」
それにしてもさすが外国製。高すぎる。
「タカハラさん、これを見てください!」
大きなクマが置いてあった広場から少し歩くと、紬が大きなスイカのぬいぐるみを持ってきた。これはクッション代わりになるかもしれない。
「シロハさんにいかがですか?」
「確かに、しろはとか喜びそうだよな」
「パイリ君、せっかくだし買ってあげたら?」
「でも、これ持って帰るのはちょっと」
「あら、夏にスイカを持って外を歩くのは普通よ?」
それは島の中の話だから。本土だと色々と問題がある。それ以前にこれはぬいぐるみだし。
「それにしろはは、スイカと言うよりはスイカバーが好きだからな」
「スイカバーなら、あっちに抱き枕があるわよ」
「え、抱き枕?」
「はい! これですよ!」
紬がふらふらしながら、巨大なスイカバーを持ってきた。
「うわ、こんなのあるのか」
「すごいけど、値段もすごいわね」
「え、値段?」
静久に言われて、俺は恐る恐る値札を見てみた。
「おおう。28000円……」
俺は何も見なかったことにして、紬にスイカバーの抱き枕を棚に戻してきてもらった。
その後も店内を見て回る。当たり前だけど、店内にいる客のほとんどが女性だった。
うーん、紬たちと一緒じゃなかったらまず入ることのない店だっただろうな。しろはもぬいぐるみって感じじゃないし。
「なかなか紬のハートを射止めるぬいぐるみはないな」
大きな首長竜のぬいぐるみとか、ステゴザウルスのぬいぐるみとか、気になってはいたみたいだけど。
「紬の感性は独特なところがあるものね」
確かに、カッパのぬいぐるみとか持ってるし。
「そういえば、この店に来た目的って? 買い物?」
「そんなものないわよ?」
「え、ないの?」
「私は紬と、ここに来たかっただけなの。目的とか二の次のよ」
「そうだったのか」
「もちろん、紬が買いたいものがあるなら、それが一番だけどね」
「確かに紬、すごく楽しそうにしてるもんな。テンションも明らかに高いし」
「これに決めました!」
静久とそんな話をしていると、紬がレジの近くのワゴンから、二つのクマのぬいぐるみを手に取っていた。
「では、ちょっと買ってきます!」
紬は小走りでレジの方へ行ってしまった。俺たちはそんな紬を見守りながら、ワゴンの中を見てみた。
『半額セール品。どれでも一つ1000円』
ワゴンの側面には、カラフルな文字でそう書かれていた。いわゆるワゴンセールだった。
ショーウインドーに並んでるのとそこまで違いはなさそうだけど、型落ち品だったりするんだろうか。
「お待たせしましたー」
しばらくすると会計を終えた紬が戻ってきたので、そのまま店を出ることにした。
「それじゃ、そろそろ別のお店も見てみましょうか」
「そうだな」
ショッピングモールの中を、三人で歩く。
紬も二つのぬいぐるみが入った袋を大事そうに抱えて、ニコニコ顔だった。
「紬、その二つが気に入ったんだね」
並んで歩きながら、紬にそう声をかける。
「えっと、少し違います」
「え、どういうこと?」
「それはですね……はい、どうぞ!」
次の瞬間、紬は二つのぬいぐるみを袋から出し、俺の方に差し出してきた。
「えっと、これは?」
「こっちの白いクマさんは、シロハさんへのお礼の品です!」
「あ、ジャイフルで言っていたお礼だね」
「はい! それで、こっちの茶色いクマさんは、ナツミさんへのお土産です!」
「夏海ちゃんに?」
「はい! 今日は一緒に来れなかったので、せめてものお詫びの品です!」
そういえば、今日は夏海ちゃんも誘われていたけど、なんだかんだで辞退したんだっけ。
「ありがとう。二人とも喜ぶと思うよ」
「はい!」
「でもせっかくだし、そのぬいぐるみは紬から二人に渡してほしいな」
「そですか。それなら、帰ってからお二人に渡すことにします!」
紬はクマのぬいぐるみを袋に戻し、再び歩き出した。
その後、静久の強い勧めで水着専門店にも入ってみた。紬は静久に言われるがまま、新作水着の試着をさせられていたけど、俺に見せるのは恥ずかしいみたいで、試着室の中で二人だけのファッションショーが行われていた。これもへじゃぷだった。
俺はというと、試着室の前で待っていて、また店員さんに怒られるのも嫌だったので、競技用水着コーナーに逃げていた。さすがに試着はしなかったけど。他に逃げれそうな場所がなかった。
「むぎゅぎゅぎゅ~~……」
「どうしたのかしら紬、疲れちゃってるみたいね」
さっきのファッションショーがその一因を担ってるなんてことは、口が裂けても言える雰囲気じゃなかった。
もうすぐショッピングモールの出口というところまで歩くと、気になる店を見つけた。
「紬、あれ見て」
「おおー、すごいです!」
ガラス張りの向こうで、職人さんが大きなワタアメを作っていた。とってもカラフルなワタアメだった。
「レインボーワタアメですって」
ガラスにメニュー表が貼られていた。さすが街の出店だけあって、種類が豊富だった。
「スイカ味や、ブルーハワイ味とかあるのか」
「おお、シロハさんやアオさんとの夢のコラボレーションですね!」
そのうち、三角形の秘密味とか出てきそうだ。
「この間私が買ったザラメも、ここに売っていたのよ」
よく見ると、奥の方にザラメの販売コーナーもあった。
「あら、いらっしゃい」
店の前にいる俺たちに気づいて、髪を三つ編みにした店員さんが小窓から顔を覗かせる。
「おひとついかが?」
「むぎぎ……本場の味を試してみたいところですが」
紬はちらちらと財布の中を見ている。ぬいぐるみを買った後だし、予算がないんだろうか。
「紬、私がごちそうしてあげるわ」
「いえ、それは悪いです!」
「気にしないの。どれにする?」
「むぎゅ~……それでしたら……」
紬はメニュー表を前にして、振り子のように左右に揺れていた。どうやら迷っているみたいだった。
静久は少し後ろから、その様子を笑顔で眺めていた。
「……あれ」
何の気なしに道の反対側を見ると、ワタアメ屋の向かいにヘアアクセサリーの専門店があるのが見えた。
「……そうだ。ふたりとも、ちょっとここで待ってて」
二人にそう言い残して、俺は向かいのお店へと足を運ぶ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「うわ」
しろはにお土産までもらっちゃったし、紬にお返しのプレゼントでも……と軽い気持ちで店に入ったけど、その品数に圧倒される。
「スティック、コーム、クリップ、シュシュ、バレッタ、カチューシャ、ヘアピン……」
やばい。全くわからない。どう使うのかすらわからないものも多い。
俺は軽い気持ちで入ったことを、激しく後悔していた。
「カチューシャくらいなら、聞いたことあるけど」
それっぽいコーナーに行き、大量のカチューシャを前に悩んでいた。
「この黒いのって、鴎がつけてる奴に似てるよな」
こっちの赤いのとかつけると、たい焼き食べながらうぐぅとか言いそうだし。
でも、よく考えたら紬ってカチューシャのイメージじゃない。
「うーん、うーん」
悩みながら隣のバレッタのコーナーに行ってみる。これも紬らしくないよな。
ちなみにこの店も、お客は女性ばかりだった。皆怪訝な表情で俺を見ていた。
「パイリ君、突然どうしたの?」
その時、背後から静久に声をかけられた。
「あれ、紬は?」
「お店の前のベンチで、ワタアメを食べて待ってもらってるわ。せっかく買ったしね」
確かに、ワタアメを持ってこういう店には入れないだろう。
「それにしても助かったよ。店に入ったのはいいけど、どれがなんだかさっぱりわからなくて」
俺は安堵し、紬へのプレゼントを探している旨を伝える。
「うーん、その心構えは立派だと思うけど、いきなり男の子一人でこういうお店に入るのは無謀よ」
入店してから最初の数分間で、それは痛感していた。
「先走ったことは反省してるよ。だから是非、静久にも紬へのプレゼント選びを手伝ってほしいんだ」
「いいわよ。その代わり、私にも少し出させてね?」
「え?」
「二人からのプレゼントってことにすれば、紬も断れないでしょう?」
「確かにそうだろうな」
「それじゃ、あまり紬を待たせても悪いし、手早く行きましょう。紬に似合うのは、こういうアクセサリーじゃなくて、こっちね」
そう言って静久が向かったのは、リボンのコーナーだった。俺も後に続く。
「紬だと、こういうシンプルなのが似合うんじゃないかしら。髪も綺麗だしね」
「後は、色だな」
「そう、ね……」
リボンと一口に言っても、壁一面にもの凄い種類が並べられていた。まるで虹の雨だ。
「パイリ君、色はあなたに一任するわ」
「なら……これなんかどうかな」
こういう時は直感が大事だ。
俺が選んだのは、シンプルな青いリボンだった。なんとなくだけど、これが紬に似合っている気がした。
「うん、良いんじゃないかしら。きっと紬、喜ぶわよ」
「よし、これに決めた」
二人からってことで、半分ずつ支払いをして、足早に店を出た。
「むぎぎぎぎぎぎ」
外に出ると、そこには大変ご立腹な紬がいた。
「一人で食べるワタアメはあまりおいしくありません」
「ごめんね、紬」
「これを買ってたんだ」
「紬へのプレゼントなの」
二人で矢継ぎ早に謝りながら、包装された箱を紬へ渡す。
「むぎゅ? 二人からですか?」
「うん」
「開けてみてもいいですか?」
「もちろんよ」
紬は焦る気持ちを抑えながら、丁寧にその包みを開いていく。
「おおー、綺麗なリボンです! シズク、ハイリさん、ありがとうございます!」
笑顔の花が咲く。一気に機嫌も直してくれたみたいだ。
「紬が喜んでくれて、私も嬉しいわ」
「だな」
……うん? ハイリさん?
「帰ったら、さっそく結び方を教えてあげるわね」
「はい! シズク、よろしくお願いします!」
……なんだろう。今一瞬だけ、胸が締め付けられるような感じがしたんだけど。
「むぎゅ? タカハラさん、どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないよ」
なんだか妙な違和感を感じたけど、それは紬の笑顔の前に、溶ける様に消えていってしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その後、宇都港から船に乗って、16時頃に島に帰ってきた。
「二人はこれからどうするんだ?」
「私は紬と一緒に灯台に行くわ。リボンの結び方を教えてあげないといけないし」
「夜にはシロハさん食堂に行きますので、ぬいぐるみもその時にお渡しします!」
「ありがとう。きっと喜ぶと思うよ」
「いえ、タカハラさん、今日はありがとうございました!」
「楽しかったわ。パイリ君」
「ああ、それじゃあ」
最後に軽く挨拶をして、二人と別れた。
「ただいまー」
加藤家に帰宅し、居間に行く。
「……あれ?」
居間には鏡子さんの姿はなく、夏海ちゃんが一人で昼寝をしていた。
「あーあ、扇風機つけっぱなしで寝てるし」
身体が冷えても悪いので、とりあえずタオルケットを持ってきて、かけてあげる。
寝てる夏海ちゃんの手には、青い表紙の本が握られていた。どうやら鴎の本を読んでいて、そのまま眠ってしまったらしい。
「青い表紙ってことは、三の巻だっけ」
夜にしか読まないって言ってたような気もするけど。
「面白いから、つい読んじゃったのかも」
俺はそっと居間を後にして、自室で着替える。
そして一息つこうと、畳の上に横になった拍子に……疲れが出てしまったのか、そのまま眠ってしまった。
「……く……しちゃダメよ」
「はい、ごめ……さい」
……あれ? なんだか声が聞こえるような。
「でも、まだ半……」
「一緒に……から。お願いね」
「はい……」
誰だろう。どっちも聞いたことあるような声だけど……。
「……あれ」
気がつくと、部屋の中はすっかり暗くなってしまっていた。
「……しまった、寝てた」
俺は起き上がると、すぐに居間へと向かう。
「あ、鷹原さん、起きましたか?」
居間では夏海ちゃんと鏡子さんが一緒にテレビを見ていた。
「玄関に靴があったので、帰ってきてるんだと思って部屋に行ったら、寝てますし」
なんとなくだけど、夏海ちゃんは不機嫌そうだった。
「もう少し起きるのが遅かったら、晩ご飯食べに行っちゃう所でしたよ?」
「あー、うん。ごめん」
「あら、女の人とデートをするって、男の人はすごく気疲れするのよ。夏海ちゃんも察してあげてね」
「そ、そうなんですか……?」
鏡子さんが笑顔で夏海ちゃんをそう論じていた。夏海ちゃんにはまだちょっと早いと思うけど。
「でも、さすがにお腹空きました」
居間の壁にかかった時計を見ると、19時前だった。この時間までずっと待っててくれてたのか。さすがに悪いことしたな。
「それじゃ夏海ちゃん、晩ご飯食べに行こうか」
「はい!」
待ってましたとばかりに立ち上がった夏海ちゃんと一緒に、夕飯を食べにしろは食堂へと向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「しろはー」
「しろはさん、こんばんわー」
「あ、いらっしゃい」
しろは食堂の扉をくぐると、紬と静久がいた。二人の前には空の食器が置かれているので、既に食事は終えているらしい。
「羽依里、今日はお楽しみだったみたいだね」
開口一番、しろはにそう言われた。どっかのゲームの宿屋みたいなこと言わないでほしい。
「相手は紬だし、静久もいたし、蒼たちみたいなことにはならないと信じていたけど……」
どうやら俺たちが来るまでの間に、紬たちと今日の外出について、いろいろ話をしたらしい。
「しろは、もし気になることがあったら、弁解をさせてもらえると……」
「……ううん。今回は良いよ。お土産までもらっちゃったし」
しろはの視線の先、カウンターの隅に白いクマのぬいぐるみが飾られていた。どうやら紬の純粋な気持ちが届いたようだった。
「はい! ナツミさんにもお土産です!」
俺たちがカウンター席に座ると同時に、紬が夏海ちゃんにもお土産を渡していた。
「え、私が貰っちゃっていいんですか?」
「はい! ズッ友ですから!」
そういえば、ズッ友宣言していたね。
「あ、ありがとうございます……」
「ふふ、夏海ちゃんの髪と同じ色ね」
「えへへ。本当ですね!」
ぬいぐるみを受け取った夏海ちゃんは本当に嬉しそうで、紬のプレゼントは大成功だったみたいだ。
ちなみに、紬の髪型はいつものツインテールだった。まだリボンは使っていないらしい。
「それで、二人は今日は何にする?」
しろはがおしぼりを渡してくれながら、注文を聞いてきた。
「俺は日替わりかな」
「私はコロッケ定食でお願いします!」
「わかった。少し待っててね」
注文を受けると、しろははすぐに調理を始めた。
俺たちが料理を待つ間も、紬はぬいぐるみ専門店やレインボーワタアメの話等、今日の出来事をこと細かく夏海ちゃんに話していた。
「はい、コロッケ定食お待ちどうさま」
しばらくして、俺たちの分の料理が並べられる。
「はい、日替わりのしろな定食」
「え、しろは定食?」
思わず聞き返してしまっていた。
「え、なんで定食に自分の名前を付けるの」
「だって、しろは食堂だし」
「しろ菜。関西から島に戻ってきた人が栽培しててね。おすそ分けでもらったの。あっさりしてて、どんな調味料とも合うんだよ」
そう説明をしてくれながら、俺の前にはご飯、しろ菜の味噌汁、しろ菜のおひたし、しろ菜を使った肉野菜炒めが並べられる。どれも美味しそうだった。
「それじゃ、私と紬はそろそろお暇するわね。鳴瀬さん、ごちそうさま」
「そですね! タカハラさん、ナツミさん、またです!」
俺たちの料理が出揃うと同時に、二人は帰っていった。
「……夏海ちゃん、今度また改めて紬にお礼を言っておいてね。そのぬいぐるみを渡すために、ご飯食べた後もずっと待っててくれてたんだから」
「そうだったんですか……わかりました。今度またお礼を言っておきます」
「うん。それじゃあ二人とも、冷めないうちにめしあがれ」
「はい、いただきます!」
しろはに促されて、それぞれの食事に箸を伸ばす。
「あれ、この野菜炒めの肉って、豚肉?」
「ううん、猪肉。昼間に夏海ちゃんから匂いの消し方を教わったんだよ」
「あ、そうなんだ」
「えへへ、一緒にお昼ご飯も作ったんですよ!」
「そうなんだ。頑張ったね」
ちなみにお昼は練習も兼ねて、猪肉と豚肉の合挽き肉でハンバーグを作ったらしい。
まさか、しろはたちもハンバーグだったなんて。
「でもこの猪肉、全然臭みもないし食べやすいよ。大成功だね」
「一度茹でて匂い消しをした後、辛味噌で炒めてあるの。味噌はしろなとの相性もいいし」
野菜炒めはピリ辛の味付けで、いくらでもご飯が食べられそうだった。
「羽依里、そんなに慌てて食べなくても」
「ご飯に合うから、つい」
続いて、おひたしを食べてみる。鰹節とポン酢であっさりとしていて、これもいくらでも食べられそうだった。
「しろなのおひたしも癖が無くておいしいね」
「うん。ほんのちょっとのごま油が隠し味なの」
「しろなの味噌汁も、出汁が染みてて美味しい」
「……なんだか、自分の名前を何度も呼ばれてるみたいで恥ずかしいんだけど」
「気のせいだよ。しろなの話をしているんだ」
「……うん、そう。そうだよね」
「ところで、しろはの味噌汁、おかわり貰える?」
「うん。いいよ」
「鷹原さん、そのしろなのお味噌汁、そんなにおいしいんですか?」
「うん、あっさりしていて美味しいんだ。さすがしろなだよ」
「なるほど、さすがしろはですね!」
……なんか、朝も何か似たようなやりとりをしたような気もするけど。
俺は更にご飯までおかわりして、しろな定食を堪能した。
「美味しかったよ、しろは定食」
「うん。お粗末さま」
ついついゆっくりと食事をしてしまった。時計を見ると、20時半近くになっていた。
「夏海ちゃん、俺たちもそろそろ帰ろうか」
「あの、鷹原さん。もう少しだけ、しろはさんとお話してもいいですか?」
「良いけど……何の話?」
「チャーハンの極意・その5」
しろはがそう続けてくれた。
「え、極意?」
「猪肉の匂いの消し方を教えてもらう代わりに、私からは夏海ちゃんにチャーハンの極意を教える約束をしていたの」
「はい! チャーハンの極意は私としろはさんだけの秘密なので、残念ながら鷹原さんには教えられません!」
「うん。教えられないよ」
二人の息はピッタリだった。二人はチャーハンという強い絆で結ばれているみたいで、俺の入る余地は微塵もなさそうだった。
「そういうことなら、俺は先に帰るよ。夏海ちゃんも、あまり遅くならないようにね」
「わかりました!」
「しろはも、夏海ちゃんをよろしくね」
「うん」
夏海ちゃんをしろはに任せて、俺は一足早く加藤家へと戻ることにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……鷹原さんが先に帰って、だいぶ時間が経ちました。
「本当に一人で大丈夫? 暗いし、送ってあげようか?」
「いえ、しろはさんは食堂の片付けがあるでしょうし、一人で帰れます!」
「そう……」
「それじゃ、しろはさん、ありがとうございました!」
しろはさんにチャーハンの極意を伝授してもらったお礼を言って、食堂を出ます。
もちろん、紬さんからもらったぬいぐるみを持って帰るのも忘れません。
人気のない一本道を、一人で歩きます。
いつからか、学校を見ても何も感じなくなりました。これも島の皆さんのおかげだと思います。
そして、そのまままっすぐ加藤家に……は帰らず、途中で道を逸れて、山の方へ向かいます。
「……夜遊びなんて私、悪い子ですよね」
誰に言うでもなくそう呟いて、躊躇うことなく山の奥へ入って行きます。
すぐに真っ暗になりました。時々、木々の隙間から時々入ってくる月の光だけが頼りです。
晩ご飯を食べに出た手前、懐中電灯を持って来るわけにもいきませんでしたし。
耳に入ってくるのは、左右に生い茂る草の中で鳴く虫の声。そして風が木の葉を揺らす音だけです。
こんな時間に山に入る目的は一つ。七影蝶です。
この前は、たまたま住宅地の近くに七影蝶がいましたが、普段は山の方がたくさん逢えます。
神域のある場所ですし、当たり前ですよね。
「むー……」
サンダルの中に小枝や落ち葉が入って歩きにくいです。どうせならスニーカーで来れば良かったと、後悔しています。
相変わらず視界は悪いですが、だいぶ土の匂いが強くなったので、森の奥の方に入ってきたことだけはわかりました。
「あ」
皆さんの秘密基地を少し超えた頃、目の前を一匹の七影蝶が飛んでいました。
「……おいで」
私はゆっくりと右手を前に差し出して、七影蝶を誘います。
七影蝶は引き寄せられるように指先に触れて、崩れるように私のてのひらの中に吸い込まれていきました。
もうすっかり見慣れた光景です。
「んく……」
直後にめまいに襲われて、その場にしゃがみ込んでしまいます。こっちはまだ慣れません。
「でも、まだ足りない……後、二匹は探さないと」
私は頭を振って、立ち上がます。
「鷹原さん、ごめんなさい。家に帰るの、もう少し遅くなりそうです」
私はその後も、一時間くらい山の中で七影蝶を探し歩いていました。
第十九話・あとがき
おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
本日のモーニングコールはしろはのじーさんでした。モーニング四天王スクワットって、ものすごく疲れそうですよね。もうその日一日、何もする気が無くなりそうです。
一応モーニングコールシリーズは今回で終了の予定です。鴎や蒼のメイド服姿が気になるという意見が多ければまたやるかもしれません。
そして、今回のメインイベントは紬とのデートイベント……というか、お出かけでした。
原作の紬ルートでは行けなくなってしまった外出イベントをやらせてもらった形です。こんな感じじゃないかなぁ、と。
そして、リボンのプレゼントはあえてこのタイミングです。例の消えた世界線がどうたらってやつですね。
ちなみに、ハッピーセットを開発したジャイフルの開発部長は、ご察しの人もいるかもしれませんが、共通ルートで食堂をやっていたしろはの親戚のおじさんです。
結局Pocketルートではしろはが食堂を引き継いでいるので、親戚のおじさんが別の人生を歩むとどうなるかな……と、勝手に想像してしまいました。
余談になりますが、夏みかんと夏海ちゃん、しろなとしろは。ちょっと遊んでしまいました。うにとうみみたいな感じを狙ったんですけど、どうだったでしょうか。
十八話、十九話と、ちょくちょくシナリオっぽい描写も入れてます。夏海ちゃん、何者なんでしょうね(ぇ
ちょうど物語も半分を迎えましたので、少しずつ核心にも触れて行きたいかなとは思っています。
もちろん、楽しい夏休みはこのまま続きますので、引き続きよろしくお願いします。
■今回の紛れ込みネタ
例のテレビドラマネタ
・ロイヤーザン! ハイヤーザン!
とこかの筋肉ですね。英語を必殺技にしちゃうなんて僕、尊敬しちゃうよ!(親友談
・おさげでぃふぇんすー!
どこかの変則ツインテのトラブルメーカーさんですね。説明しよう!おさげでぃふぇんすとは!(以下略
ぬいぐるみ専門店に売っていたぬいぐるみネタ
・ヒトデのぬいぐるみ……ふうちゃんの大好きな海の生き物ですね。決して星ではないです。
・だんごのぬいぐるみ……岡崎家にあるアレです。
・ピンク色の犬のぬいぐるみ……Rewriteより、小鳥さんが作ったアレです。
・ピコピコと鳴く、ワタアメみたいなぬいぐるみ……ポテトは犬だよぉ(飼い主談
・首長竜やステゴザウルスのぬいぐるみ……AIRより、観鈴の部屋に置いてあるアレです。
・専用トランクが別売りの、大きなくまのぬいぐるみ……詳しくはCLANNADのことみルートをやってくださいませ。
以上になります。いくつお気づきになられたでしょうか。
感想など頂けましたら、泣いて喜びます。