Summer Pockets #2   作:トミー@サマポケ

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第三十九話 8月23日

 

 

 

 ……朝。まだ薄暗い中、目が覚める。

 

「えい! このっ!」

 

 ……なんだろう。廊下から夏海ちゃんの声が聞こえる。

 

「えーーい! あ、逃げた!」

 

 どたどたと走り回る音もしてるし、いったいどうしたんだろう。

 

 俺は布団から這うように抜け出して、四つん這いのまま、ふすまを開ける。

 

「夏海ちゃん、朝からどうしたの?」

 

「あ! 羽依里さん、そっちに行きました!」

 

 夏海ちゃんが視線を不自然に下へ向けながら、唐突に叫ぶ。え。行ったって何が?

 

 そう思いながら夏海ちゃんの視線の先を追う。すると、黒光りする虫が俺の方へ向かってきていた。

 

「うわ、ごきごきだ!?」

 

 思わず横に跳ぶように逃げる。すると、障害物がなくなったごきごきは、そのまま全速力で俺の部屋へと入ってきた。

 

「しまった!」

 

 慌てて武器になりそうなものを探すけど、その隙にごきごきは敷かれたままになっていた布団の中に潜り込んでいった。ちょっと、やめて。

 

 俺は素早く布団を引っ掴み、掛け布団を乱暴にひっぺがす。しかしそこに、ヤツの姿はない。

 

「くそ、さすが、逃げ足の速さは超一流だな」

 

 ヤツがこの部屋のどこかに潜んでいると考えるだけでも、身の毛がよだつ。早急に見つけ出さないと。

 

「そうだ夏海ちゃん、玄関に殺虫剤あったよね。持ってきて!」

 

 俺は布団の周りから視線を逸らさないようにしながら、背後の夏海ちゃんにそう告げる。

 

「私も見てみましたけど、あれって虫よけスプレーでしたよ?」

 

 ……駄目だ。噴射したところでヤツは逃げ惑うだけで、状況は変わらない。

 

「……やっぱり、直接攻撃しかありませんよ。敷布団の下ですかね」

 

 夏海ちゃんが俺の隣にやって来て、恐る恐る、と言った感じに布団を踏みしめていた。右手にハエうちを持って、スリッパまで履いていた。

 

「そうだ夏海ちゃん、そのスリッパ片方貸して! 武器にするから!」

 

「ええっ、嫌ですよ!」

 

 夏海ちゃんは数歩後ずさった。万一にも踏みたくないんだろうか。

 

 俺は仕方なく、枕元に転がっていた卓球王国の雑誌を丸めて武器にすることにした。リーチ、攻撃力共には心許ないけど、もう何度となく読み返しているし、そのまま捨ててしまっても問題なさそうだ。天善は悲しみそうだけど。

 

「夏海ちゃん、今から俺が思いっきり敷布団をめくるから、ヤツの姿が見えたらすかさず攻撃してね」

 

「わかりました! 二次攻撃はお願いしますよ!」

 

 夏海ちゃんはそう言って、ハエうちを両手で構える。

 

「うん。それじゃいくよ。せーの……!」

 

 

 

 

「あ、朝から疲れました……」

 

「本当だね……」

 

 それから数分間に及ぶ激闘の末、なんとかごきごきを掃討した俺と夏海ちゃんは、ふすまが開け放たれた部屋の真ん中で、背中合わせになって座り込んでいた。

 

「……朝から騒がしかったけど、何かあったの?」

 

 その時、鏡子さんが部屋の前を通りかかった。肩で息をしている俺たちを見て、不思議そうな顔をする。

 

「黒光りする虫が出たので、羽依里さんと一緒にやっつけてたんです」

 

「ああ、今日みたいな雨の日は、よく出るよね」

 

「え、雨?」

 

 鏡子さんに言われて、部屋から窓の外を見てみる。薄暗いとは思っていたけど、雨が降っていた。昨日まであれだけ晴れていたのに。

 

「なんかね、台風が来るみたいだよ」

 

「「た、台風!?」」

 

 続く鏡子さんの言葉に、俺と夏海ちゃんは思わず声が重なってしまった。言われてみれば、鏡子さんは手にオレンジ色のカッパを持っていた。

 

「昨日くらいからニュースでやってたよ? 見てない?」

 

 ここ最近、テレビはほとんど見ていない。ましてニュースなんて。

 

「すみません、全然知りませんでした」

 

「ちょうど今やってるから、見てみたらいいよ」

 

 鏡子さんにそう促されて、俺と夏海ちゃんは居間へと向かう。

 

 

 

 

「うわ、これは直撃コースだね」

 

 夏海ちゃんと並んで、テレビ画面を食い入るように見る。画面に出ている進路予想を見る限り、台風は今夜には鳥白島を直撃するみたいだ。

 

「今はまだ風も強くないけど、たくさんの雨雲をまとってるみたいでね。近づく前から雨らしいよ」

 

 鏡子さんがそう教えてくれた通り、今日は丸一日雨らしい。せっかくの夏休みだっていうのに。

 

「あれ? 雨ってことは、今日のラジオ体操は?」

 

「残念だけど、お休みだね」

 

「そ、そうですか……」

 

 夏海ちゃんが心底残念そうに肩を落としていた。毎日頑張ってたし、ちょっとかわいそうだ。

 

 それにしても、今日は朝からごきごきと戦う羽目になるし、ラジオ体操は休みだし、台風は来るし。散々だね。

 

 

 

 

「それじゃ羽依里君、私もちょっと出かけてくるからね」

 

 そんな夏海ちゃんを不憫に思っていると、鏡子さんがそう言いながら、手に持っていたカッパを羽織っていた。やっぱり、島の皆で台風の備えとかするんだろうか。

 

「あの、鏡子さん。俺も何か……」

 

「羽依里君は夏海ちゃんのそばにいてくれればいいよ。台風準備は慣れてないと、色々と大変だしね」

 

「そ、そうですか」

 

 手伝えることがあれば……と思って声をかけたけど、やんわりと断られてしまった。確かに、慣れていない俺が手伝えるものでもないのかもしれない。

 

「雨戸出したりするのは夕方からでいいと思うから。それじゃあね」

 

 そう言って、鏡子さんは出かけてしまった。

 

「……あの、雨戸ってなんですか?」

 

 鏡子さんを見送った後、夏海ちゃんがそう聞いてきた。そういえば、今時の家にはあまりないかもしれない。防風シャッターとかならありそうだけど。

 

「雨や風から窓ガラスを守る戸だよ。主に台風が来る時に閉めるんだ」

 

「……ちょっと気になります」

 

「見てみる? こっちにあるよ」

 

「え、外にあるんですか?」

 

「うん、そうだよ」

 

 俺はそのまま玄関から表に出て、雨に濡れないように軒先を通って移動する。夏海ちゃんも不思議そうな顔をしながら、後に続いてきた。

 

「ここだよ。使わない間は、ここにしまってあるんだ」

 

 玄関から一番近い窓に到着すると、俺はその窓と壁の間にある収納スペースに手を入れる。

 

 そして、そこからガラガラと雨戸を引っ張り出す。だいぶ古いけど、またまだ使えそうだ。

 

「え、木なんですか」

 

「この家のはそうみたいだね。去年も使ってるし、風で壊れたりしないから安心していいよ」

 

 夏海ちゃんは木製の雨戸をコンコンと叩いている。強度に不安があるんだろうか。

 

「そう言えば夏海ちゃん、朝ごはんどうするの?」

 

「朝ごはんですか? それはもちろん、ログボを使ってチャーハンを……」

 

「今日、ラジオ体操休みだし、ログボないけど」

 

「……はっ」

 

 夏海ちゃんは目を大きく見開いて固まった。もしかして、気がつかなかったんだろうか。

 

「な、何かチャーハンの具材になるものを探してきます!」

 

 そう言うが早いか、夏海ちゃんはダッシュで家の中に戻っていった。雨戸を閉めるのは夕方からでも構わないと言われたし、出しかけた雨戸をいったん元に戻して、俺もその後に続いた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「とくいりょーうりなーんですー♪」

 

 夏海ちゃんが台所で何か歌いながら、チャーハンを作ってくれていた。

 

 さっきまで大慌てで具材を探していたみたいだったけど、何か良い食材が見つかったらしい。

 

 俺は例によって手伝えることがないので、居間でテレビの台風情報を見ていた。

 

『この台風はこのまま進めば、中国地方を縦断することになる。きっと、もみじ饅頭でも食べに来たのだろう』

 

『じー、台風はもみじ饅頭は食べない』

 

『って、何故だぁぁぁ―――!』

 

 なんだろう。あの気象予報士、すごく熱い。

 

 そして相方のキャスターらしい金髪の女性は、逆にすごく冷静だった。

 

「お待たせしました! ポテチチャーハンです!」

 

 そんなことを考えていると、夏海ちゃんがおぼんにチャーハンを乗せて居間にやってきた。

 

「え、ポテチ?」

 

「はい! ポテチチャーハンです! 今回も自信作ですよ!」

 

 夏海ちゃんはそう言いながら、満面の笑顔で俺の前にチャーハンを置く。

 

 そのチャーハンをよく見ると、卵やネギと言った定番具材に混ざって、細かく砕かれたポテチが見える。見た感じ、のりしお味かな。

 

「ポテチはちょっと賞味期限過ぎてましたけど、しっかりと火を通したので、きっと大丈夫です! さあ、食べましょう!」

 

 ちょっと待って。前半の台詞がすごく気になるんだけど。食べて大丈夫なのかな。

 

「早く天気になりますよーに。いただきまーす!」

 

 夏海ちゃんは俺の不安など気にすることなく、おいしそうにポテチチャーハンをほおばりはじめた。

 

「本当に大丈夫かな……」

 

「……羽依里さん、もしかしてチャーハンの可能性を信じてないんですか!?」

 

 スプーンにポテチチャーハンをすくって、訝しげに眺めていると、夏海ちゃんから強い口調で言われた。

 

「信じてるけど、一抹の不安というかさ」

 

「騙されたと思って食べてみてください! ほら!」

 

 夏海ちゃんが前のめりになりながら、自分のスプーンで俺のチャーハンをすくって、俺の口元に向けてくる。これはまた、チャーハンモードになってる。下手に逆らわないほうが良さそうだ。

 

「そ、それじゃ、いただきます」

 

 夏海ちゃんのスプーンからポテチチャーハンを食べさせてもらう。

 

「……あ、美味しい」

 

「ですよねですよね」

 

 チャーハンだから元々パラパラなんだけど、細かく刻まれたポテチが混ざっていることで、より一層パラパラになっていて美味しい。いい感じに醤油の味もしみ込んでるし。

 

「やっぱり、チャーハンは可能性のカタマリです!」

 

 夏海ちゃんは安心したのか、再び自分のチャーハンをすくって食べ始めた。チャーハンモードのせいか、特に何も気付いていない様子だった。

 

 

 

 

 朝食後は、本当にやることが無くなってしまった。テレビをつけてみるけど、どのチャンネルも同じように台風関連のニュースばかりで、すぐに飽きてしまった。

 

「「はぁ……」」

 

 夏海ちゃんとほぼ同時にため息をついて、窓の外を見る。薄灰色のフィルターをかけられたような庭に、雨がしとしとと絶え間なく降り注いでいる。

 

 夏でも雨は降るはずなのに。まるで唐突に夏休みが終わってしまったかのような、妙な錯覚に襲われる。

 

「あ、そうでした!」

 

 その時、夏海ちゃんが唐突に立ち上がる。

 

「え、どうしたの?」

 

「あれですよあれ。手紙出さないと!」

 

 何かを思い出したかのように、ぱたぱたと自分の部屋へ走って行ってしまった。手紙って何だろう。

 

 俺が疑問に思っていると、すぐに茶色い封筒を持って戻ってきた。

 

「夏海ちゃん、それは?」

 

「監督に出す手紙です! 勝利報告ですよ!」

 

 夏海ちゃんの言う監督ってのは、もしかしなくてもあのオッサン……古河秋生さんのことだろう。別れの際に住所を教えてもらっていたし、早速手紙を書いたみたいだ。

 

「というわけで羽依里さん、ここの住所教えてください!」

 

「いいよ。ちょっと待っててね」

 

 俺は適当なメモ用紙にこの家の住所を書いて、夏海ちゃんに手渡す。俺も加藤家には散々通い詰めているし、すっかり暗記してしまっていた。

 

「ありがとうございます!」

 

 夏海ちゃんはそれを受け取ると、封筒の裏にさらさらと住所を書き写していた。

 

 昨日撮った集合写真をリトルバスターズの皆に送る時には、俺も手紙を添えても良いかもしれない。

 

「それじゃ、ちょっと役所に出してきます!」

 

 そんなことを考えていると、夏海ちゃんが手紙をポーチに入れながら立ち上がる。

 

「え、出してくるって、今から?」

 

「……そうですけど?」

 

 以前のみきから、役所で郵便業務もやってるって聞いた記憶があるけど、わざわざ台風が来ようとしている今に出しに行かなくても。

 

「この天気だし、台風過ぎてからでも良いんじゃない?」

 

「少しでも早く出したいんですよ。雨がひどくならないうちに行ってきます!」

 

 どうも本人の意志は固いらしい。さっさと玄関に向かって、傘立てから赤い傘を一本抜き出していた。台風が来るから船も出ないだろうし、今日出しても明日出しても変わらないと思うけど。

 

「ちょっと待って。心配だし、俺も行くよ」

 

 俺も同じ傘立てから深緑色の傘を抜き出して、慌てて夏海ちゃんを追いかけた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「それじゃ、ちょっと行ってきますね」

 

 役所の近くまで来ると、夏海ちゃんは小走りでその入口へ向かっていった。

 

 俺は不思議とついていく気にならず、役所に背を向けたまま、雨に濡れる鳥白島の景色をぼんやりと眺めていた。

 

 いつもこの時間なら、うるさいくらいにセミが鳴いているのに、どこに行ってしまったのかと思えるくらい静かだ。当然だけど、雨音しか聞こえない。

 

 さんさんと照り付ける太陽も、今は灰色の雲に隠されてしまって、その姿を確認する事は出来ない。

 

「なんか、鳥白島じゃない別の島に、一人で取り残されたみたいだな」

 

 ぽそりとそんなことを呟いていた。こんな天気だから外には人っ子一人いないし、そんな気分になるんだろうか。

 

 その時ふと、夏海ちゃんまでもう帰ってこないような不安を感じて、俺は慌てて役所の方を振り返る。

 

 すると、赤い傘がこっちに向かってくるのが見えた。

 

「おまたせしましたー」

 

「おかえり。手紙、出せた?」

 

「はい! のみきさんが対応してくれたんですけど、すごくヒマそうにしてましたよ」

 

「え、そうなの」

 

「……今のところは青年団で手が足りているみたいです」

 

「そうなんだね。さすがに島の皆は慣れてるのかな」

 

 役所の机に突っ伏して唸っているのみきを想像して、少し可笑しくなった。

 

「そういえば、のみきさんが言っていたんですけど、今日も港に出店が出ているらしいですよ」

 

「え、今日も!?」

 

 俺はつい、港の方を見やる。一面の灰色だ。こんな中で、何の出店をしてるんだろう。

 

「ですです。さすがにお昼までらしいですけど」

 

 リトルバスターズが来ている間は、ちょうど祭りの期間と重なったこともあって、すっかり出店のことは忘れていた。

 

「……夏海ちゃん、久しぶりに行ってみる?」

 

「はい。どんな出店が出ているのか、気になっちゃいます」

 

「それじゃ、ちょっと行ってみようか」

 

「はい!」

 

 ちょうど財布は持っているし、見に行ってみよう。

 

 俺は夏海ちゃんと並んで、港へ向けて歩き出した。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 港についてみると、確かに出店があった。白いテント屋根の下に、見慣れた顔が二つ並んでいる。

 

「よう、二人とも」

 

「あ、いらっしゃーい」

 

「藍さん、蒼さん、おはようございます!」

 

 テントの中では、藍と蒼が店番をしていた。今日は二人とも、鏡合わせのように同じ髪型をしていた。

 

「今日は髪型も似てるし、ますます見分けがつかないな」

 

「当然です。今日みたいに風が強い日にストレートだと、すぐにボサボサになっちゃいますからね。理にかなった髪形ですよ」

 

 ポンポンと自分の髪を触りながら、藍がそう言っていた。

 

「それにしても、こんな日でも出店を出すんですね」

 

「一応、出してみなさいっておばーちゃんに言われてねー」

 

「こんな天気でも、もしかしたら物好きなお客さんが来るかもしれませんし」

 

 藍はそう返しながらも、椅子に座ってイナリと遊んでいた。見た感じ、他に客の姿もないし、思いっきりヒマそうだった。

 

 それにしても、実際に来てしまっている辺り、俺たちもその『物好きなお客さん』に入るんだろうか。あまり笑えなかった。

 

「それで、今日はなんの出店なんだ?」

 

「見てわからない? これよ、これ」

 

 蒼が笑顔でおもちゃの銃を持ち上げてみせる。よく見ると、その先端にはコルクが詰まっていた。

 

「懐かしいな。コルク銃か?」

 

「そうそう。それで、的はあれよ」

 

 蒼が指し示す先……テントの奥には、たくさんのお菓子が並んでいた。

 

「もしかして、射的ですか?」

 

「夏海ちゃん、ご明察。これなら、雨でもできるでしょ?」

 

 確かに、射的なら天候に関係なくできるだろうけど……これまた随分と懐かしい。子供の頃やって以来だろうか。

 

「で、お二人はどうします? 射的、やっていきますか?」

 

「どーせヒマでしょー?」

 

「そりゃ、暇だけど……夏海ちゃん、やってみる?」

 

「はい、やってみたいです!」

 

「……わかった。蒼、二人分頼むよ」

 

 夏海ちゃんがやってみたいというならしょうがない。こんな天気だし、少しでも楽しいことを見つけないと。

 

「まいどありー。一回100円。弾は3発よ」

 

 そう言って、俺たちにコルク銃一丁に加えて、コルク弾を3つ渡してくれた。蒼の説明によると、この銃はコルクを3発分まとめてセットすれば、引き金を引くたびに弾が一発ずつ飛び出すタイプらしい。

 

 いちいち弾を再装填しなくて良いってことは、標準を合わせ直す必要ないということだし。これは使いやすそうだ。

 

「羽依里さん、こういうの得意なんですか?」

 

 雨水を切った傘をテントの端の方に置きながら、夏海ちゃんがそう聞いてきた。大き目のテントだったので、中に入ってしまえば雨に濡れることはないだろう。

 

「え? まぁ、男だし。小さい頃はそれなりに遊んでたしね」

 

 半分嘘で、半分本当だった。やったことはあるけど、特段上手だった記憶はない。夏海ちゃんの手前、少しだけ誇張してしまった。

 

「それじゃ二人とも、頑張ってくださいね」

 

 空門姉妹が椅子を持って左右に避けてくれ、的となるお菓子が良く見えるようになった。

 

 細めの棚が二つ並び、様々なお菓子が横一列に置かれている。

 

 手前はガリコやすこんぶ、長森ミルクキャラメルといった、小さ目で撃ち落としやすそうなお菓子が並ぶ。

 

 その奥には、パリングルスやジャイアントプリッツンといった、ちょっとお高めのお菓子が陣取る。

 

「……なあ蒼、この中で一番高いお菓子はどれだ?」

 

「あれよ。一番奥のど真ん中」

 

 その質問を待っていたかのように、蒼が一点を指差す。そこには他の駄菓子とは一線を画す、ブルジョワチョコがあった。確かあれ、250円もする駄菓子屋の高額商品じゃなかったっけ。

 

「……よし、あれを狙ってやる」

 

「撃って倒すだけじゃ駄目よ。完全に下に落とさないとあげないからね」

 

「わかってるよ」

 

 この手のお店ではお約束のルールだ。俺はコルク銃を構えて、平常心を保ちながら、狙いを定める。

 

「……うりゃ! てい! うりゃ!」

 

「はい、残念でした」

 

 ……心を無にしてからの、三連射撃は……ものの見事に全弾外れた。

 

「ポンー」

 

 すまし顔の藍から残念賞の五円チョコを渡されて、イナリからも慰めの言葉をかけられた。うう、めちゃくちゃ悔しい。

 

「次は夏海ちゃんの番ねー。しっかり脇をしめて狙うのよー」

 

「わかりました!」

 

 落胆する俺を尻目に、夏海ちゃんがコルク銃を構える。

 

 俺の結果を受けてなお、夏海ちゃんは果敢にブルジョワチョコに挑むらしい。確かにあれを100円で落とせれば、もうけものだけど。

 

「えい! えい! えい!」

 

 夏海ちゃんが狙いすまして放った三連撃は、見事に全弾命中した……が、ブルジョワチョコは微動だにしない。

 

「惜しかったですね。はい、残念賞です」

 

「あ、あれー?」

 

 不思議そうに首をかしげながら、五円チョコを受け取っていた。

 

「……なぁ蒼、あれって本当に落ちるのか?」

 

「藍は撃ち落としてたわよー? あたしには無理だったけど、きっと角度とかが重要なのよ」

 

「そんなもんなのか……」

 

 藍はしれっとスペック高いし、あまり参考にならない気もするけど。

 

「どうするー? もう一度挑戦してみる?」

 

「どうしようかな……」

 

 笑顔の蒼を前に悩む。一回やったくらいじゃコツが掴めないし、何回かやって慣れた方が良いのかもしれない。

 

 

 

 

「くーださーいなー」

 

「あ、いらっしゃーい」

 

 その時、右手にスーツケース、左手に傘を持った鴎が出店にやってきた。

 

「鴎さん、おはようございます!」

 

「やっほー。なっちゃん、羽依里」

 

 鴎は爽快に挨拶を返すと、持っていた傘をたたんで、端に置く。なんとも可愛らしい、黄色い傘だった。

 

「鴎、お前にしては子供っぽい傘だな」

 

「……これ、のみきさんから借りた傘なんだけど。言いつけるよ?」

 

「……失言だった。聞かなかったことにしてくれ」

 

 出会って早々、何とも言えない顔で俺を見てくる鴎に必死に頭を下げる。その拍子に、半分くらい雨に濡れたスーツケースが目についた。

 

「……なぁ鴎、スーツケースが半分くらい濡れてるけど、大丈夫なのか?」

 

「うん! 防水仕様にしてあるから大丈夫だよ!」

 

 よくわからないけど、本人が大丈夫と言ってるんだから大丈夫なんだろう。

 

「と言うか鴎、お前はわざわざこの雨の中を出歩いているのか?」

 

「むー。同じように出歩いてる羽依里たちに言われたくないよ。私は台風に備えて、食料品を買いに来たんだから」

 

 ぽんぽんとスーツケースを叩く。おそらく、あの中に入ってるんだろう。

 

 そう言えば、漁港にも小さいながら商店があったっけ。鴎の居候先はこの近くだし、雨が降る中、わざわざ歩いて港の商店に行くのも億劫になったんだろうか。

 

「それで、帰り道にこのお店が気になっちゃって。ここって何の店?」

 

「これよ、これ」

 

 鴎がそう質問すると、蒼は俺たちにしたのと同じように、コルク銃を鴎に見せる。

 

「おお、射的だね!」

 

 それを見た鴎の表情が輝いた。

 

「得意なのか?」

 

「うん! 冒険に銃撃戦はつきものだからね!」

 

「……つきもの、か?」

 

「お、なんか自信ありげねー。それじゃ、鴎もやってみる? 一回100円よ」

 

「じゃあ、まとめて二回やってみる! はい、200円!」

 

「まいどありー」

 

「鴎さん、頑張ってくださいね」

 

 代金と引き換えに、鴎の前に二丁のコルク銃と計6発の弾が置かれた。

 

 蒼は純粋な笑顔だけど、藍はなんだか含みのあるような笑顔だ。なんだろう、良いカモを見つけた感じなんだろうか。鴎だけに。

 

「どれを狙おうかなー」

 

 そんな事とはつゆ知らず、鴎は手慣れた様子でコルク弾を詰めながら、景品の品定めをしていた。俺と夏海ちゃんは左右からその様子を眺めていた。

 

「それじゃ、いくよー……てーいっ!」

 

 ぱん、ぱんぱん。と軽快な音が響く。次の瞬間、ガリコキャラメルふたつと、メープルチョコが弾かれるように落下した。

 

「は?」

 

「え、ちょっと」

 

 それを見た店員の二人が、全く同じ顔で固まっている。

 

「それじゃ、二回目! えいえい! えーい!」

 

 鴎は次のコルク銃を手に取って、再び慣れた手つきで弾を装填。景品のお菓子を狙い打つ。

 

 俺たちがあれだけ苦戦したブルジョワチョコを二発で落として、最後の一発でおまけとばかりにパリングルスも落とした。うそだろ、信じられん。

 

「鴎さん、すごいです!」

 

 夏海ちゃんも瞳を輝かせて、その様子を鴎を見ていた。何故だろう。すごく悔しい。

 

「……蒼、もう一度やらせてくれないか」

 

 俺は財布からもう100円を引っ張り出し、再挑戦を宣言する。

 

「いいわよー。まいどありー」

 

 蒼からコルク銃と弾のセットを受け取り、すぐに発射準備にとりかかる。

 

 もしかして、藍の言うカモは鴎じゃなく、俺のほうかもしれない……なんてことを頭の片隅で考えながら、次に狙うは、見た目のインパクトも大きい、ジャイアントブリッツンだ。

 

「今度こそ……うりゃ!」

 

 しっかりと目標をセンターに置いて、引き金を二度引く。

 

「……あれ?」

 

 弾は両方とも命中したのに、ジャイアントプリッツンは微動だにしない。出力も最大値だったはずなのに。おかしい。

 

「……もしかして、鴎の使ってる銃に秘密があるんじゃないか?」

 

 俺はそんなことを言いながら、鴎の持ってる銃を見やる。

 

「まるで私がズルしてるみたいな言い方しないでよ。その銃貸して」

 

 鴎はそういうと、もう一発だけ弾が残っている俺の銃をひったくる。

 

「よく見ててね……ほいっ!」

 

 そして、俺が二発撃っても倒せなかったジャイアントプリッツンを、一発で落としてしまった。

 

「はい、これはなっちゃんにあげる!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 鴎は藍から景品を受け取った後、そのまま夏海ちゃんに渡してくれていた。

 

「そうだ。せっかくだし、やり方教えて上げよっか。例えば、あの辺のお菓子を狙う時は……」

 

 そして、そのまま夏海ちゃんに耳打ちしながら、何やら話を始めた。

 

「……なぁ鴎、代金三人分払うからさ、俺にも教えてくれないか」

 

 その様子を見ていた俺は恥も外聞もなく、小銭を出しながらそんなことを言っていた。情けない話だけど、せめて自力で一つくらい落としたい。

 

「キャプテン、どうかお願いします」

 

「にへへー、そう言われちゃ仕方ないねー」

 

 俺がそう言って頭を下げると、鴎もまんざらでもない感じだった。

 

「よし、特別に二人に教えてあげよう!」

 

 三人分のコルク銃と弾を受けとりながら、鴎のレクチャーが始まった。

 

「まず、このブルジョワチョコみたいに四角い形をしてるのは、真っ正面を狙っても駄目なの。上の角に続けて当てれば、一気に落とせるよ」

 

「え、そうなんですか?」

 

「うん。重要なのは、しっかり角を狙うこと。他の部分を狙っても、倒れるだけで落ちないから、もらえないしね」

 

 鴎が手元にあるブルジョワチョコを使って、そう説明してくれていた。

 

「パリングルスはね、これも上ギリギリを狙うこと。そこ以外だと、コルク銃の威力が足りないの」

 

 鴎の指導は文字通り的を得ていた。もちろん、全ては狙った場所にきちんと弾を当てられる技量があっての話だけど。

 

「わかりました! やってみます!」

 

 そう言うと、夏海ちゃんは銃を構えて、先陣を切る。

 

「えい! えいえい!」

 

 ……直後、パリングルスを二つ落としていた。すごい。

 

「よし、俺もやってみよう」

 

 俺も鴎からのアドバイスを元に、今一度別のジャイアントプリッツンを狙い撃つ。リゾンベだっ!

 

「……おお、やった!」

 

 先程までの苦戦がウソのように、一発で落とすことができた。

 

「これは、一度コツを掴んだら病みつきになりそうだな」

 

「でしょー。あそこのルッツとか狙い目だよ」

 

「よしきた。行くぞ」

 

「ス、ストーーップ! これ以上やられたら赤字よ!」

 

「ポポーン!」

 

 しかし、そこで蒼とイナリが俺たちの前に立ちふさがった。くそ、ようやく面白くなってきたのに。

 

「でも確かに、これ以上お菓子を取っても食べきれないかもね」

 

 鴎はスーツケースからビニール袋を取り出して、景品のお菓子を俺たちに三等分してくれた。それでも結構な量になったし、これ以上取っても、さすがに食べられないかも。

 

「それじゃ、景品の代わりと言ってはなんだけど、羽依里って梅干し食べる?」

 

「え、梅干し? 食べるけど」

 

「前に駄菓子屋のおばーちゃんからバイト代としてもらったんだけどねー。たくさんあるから、良かったら持っていかない?」

 

 そう言う蒼から、タッパーに入った梅干しを渡された。この雨の中、何で出店に梅干しを持ってきてるんだろう。

 

「これ、普通の梅干しだよな」

 

 タッパーを受け取った直後、俺はそのふたを少しだけ開けながら、そう聞いていた。以前、蒼からもらった佃煮でえらい目にあったし、どことなく警戒してしまう。

 

「普通の梅干しよー。のみきとか、この梅干しが入ったおにぎりが大好きなんだから」

 

「いざという時は、これで美希ちゃんを釣れますよ」

 

 藍の方がなんか言っていたけど、聞かなかったことにしよう。

 

「……むぎゅ? 皆さん、何してるですか?」

 

 その時、背後から声がする。振り返ってみると、紬がいた。黄色いカッパを着込み、手に大きな荷物を持っている。

 

「あれ、紬?」

 

 紬が港にいるなんて珍しい。それに、今日は一人だった。

 

「紬さん、今日は静久さんは一緒じゃないんですか?」

 

「はい。今日はシズクは来れないそうです」

 

 夏海ちゃんからの問いに、紬が残念そうにそう答える。言われてみればそうか。台風が近づいているんだし、本土からの船も出ないんだろう。

 

「ところで、ツムツムも台風に備えて、食糧の買い出し?」

 

 鴎が紬の荷物を見ながら、そう聞いていた。ビニール袋で何重にも覆われてるけど、どうやらそれっぽい。

 

「そです! これからこの荷物を持って、灯台に戻るところです!」

 

「……もしかして、紬は台風の間も灯台で過ごすの?」

 

 少し気になったので、俺は紬に聞いてみた。

 

「ハイ。台風の時はいつも、灯台でやり過ごしています」

 

「え、それって危なくない? 雨とか風とかさ」

 

 灯台の立っている場所は島の端だし、風とか直撃しそうだ。浜辺が近いから、波も来そうだし。

 

「そですね。波とかぶち当たります。時々窓からも入ってきますし、朝にはヒサンなことになります」

 

「えええ、なにそれ」

 

 笑顔で言ってるけど、それってかなり危ない状況なんじゃないだろうか。

 

「そうだ。ツムツムと私、二人で羽依里の所に避難させてもらわない?」

 

 その時、鴎が突拍子もないことを言っていた。

 

「おおー、それはいい考えです! シズクもいないので、実は寂しかったんです!」

 

「ちょっと待って。百歩譲って紬はいいとして、なんで鴎も?」

 

 鴎は確か、安全な居候先があるはずだ。のみきのアパートだけど。

 

「のみきさんのアパート、海が近いこともあって、すごく風が当たるらしいの」

 

「いや、それはそうだろうけどさ」

 

 台風が来るわけだし、島のどこにいても風は強いと思う。

 

「……羽依里、お願い。一人じゃ心細いの」

 

 ……鴎、そんな顔でこっちを見ないで。上目遣いずるい。

 

「って、鴎はのみきと一緒にいればいいじゃないか?」

 

「……美希ちゃんは役所で待機してたよ。今日はたぶん、帰れないんじゃないじゃないかな」

 

「そうなんですね……って、鏡子さん!?」

 

 いつの間にか、俺たちの後ろに鏡子さんが立っていた。手にはこれまた、大きめの袋を持っている。

 

「美希ちゃんから港に向かったって聞いたけど、会えてよかったよ。ちょうど羽依里君に渡したいものがあってね。これ、持って帰ってくれないかな」

 

 そう言って、鏡子さんは持っていた袋をそのまま俺に手渡してくれた。中身を見てみると、多種多様なカップうどんがぎっしりだった。

 

「すごい数ですね。これ、どうしたんですか?」

 

「台風の間、食料にどうかなと思って」

 

「そういうことでしたら、ありがたく貰って帰ります」

 

「うん。お願いね」

 

 そこまで話すと、鏡子さんはきびすを返す。忙しそうだし、また役所に戻るんだろうか。

 

「あの、鏡子さん。一つお願いがあるんですけど……」

 

 俺はそんな鏡子さんを慌てて呼び止める。そして鴎と紬を台風避難として、今夜加藤家に泊めてもらえるかどうか、お伺いを立てる。

 

「そうだね……事情が事情だし、いいよ。困ったときはお互い様だからね」

 

「キョーコさん、ありがとうございます!」

 

「鴎ちゃんも、島の台風は初めてだよね? 心細いだろうし、気にせず泊まっていってね」

 

「はい! お世話になります!」

 

 二人は一緒に頭を下げていた。これで鏡子さん公認になってしまった。

 

「でも鏡子さん、本当にいいんですか?」

 

「うん。何人来ても構わないよ。浴衣もあるから、良かったら使って」

 

 そう言えば、去年蔵整理をした時に、比較的新しい浴衣が大量に出てきたっけ。確か、押し入れに入れ込んだはずだけど。

 

「でも、泊まるのは夏海ちゃんの部屋だからね? 羽依里君の部屋は駄目だよ?」

 

「わ、わかってますって」

 

「楽しみだねー。なっちゃん、夜、いっぱいお話ししようね!」

 

「はい!」

 

 台風避難のはずなんだけど、なんだかお泊り会の装いを呈してきた。女の子はこういうの好きそうだしな。

 

「それじゃ、何かあったら役所に電話してね。私、そっちにいるから」

 

 鏡子さんがそう続ける。役所は防災用の詰め所にでもなってるんだろうか。

 

「後ね、夕方くらいに皆で雨戸だけ閉めておいて欲しいかな。台風が過ぎるまで、私は家に帰れないと思うし」

 

「わかりました。鏡子さんも気をつけてくださいね」

 

「うん。ありがとうね。それじゃ」

 

 最後に俺たちに笑顔で手を振って、鏡子さんは足早に去っていった。夕方になったら、忘れずに雨戸を閉めないと。

 

「何人泊まっても良い……家主さん公認発言でしたね。しかと聞きましたよ」

 

「え、藍、何か言った?」

 

「いいえ。何も言ってませんよ」

 

 色々考えていたら、藍が小さな声で何か言っていた。うまく聞き取れなかったけど。

 

「それじゃ、夕方になったら羽依里の家に行くねー!」

 

「タカハラさん、ナツミさん、よろしくお願いします!」

 

「はい! お待ちしています!」

 

「んじゃー!」

 

 鴎と紬の二人は元気に手を振りながら、雨の中に消えていった。

 

 まぁ、あの二人なら夏海ちゃんの部屋に泊まれるだろうし、今回ばかりは非常事態だし、しょうがないよな。うん。

 

 

 

 

「じゃあ、そろそろ俺たちも帰るよ」

 

 紬たちも帰ったことだし、俺たちもそろそろ帰ることにしよう。

 

「うん。気をつけてねー」

 

「二人も、天気が悪くなる前に帰れよ?」

 

「わかってるわよー。ありがとねー」

 

「夏海ちゃん、気をつけて帰ってください」

 

「はい! 射的、楽しかったです!」

 

 空門姉妹とそう挨拶を交わして、夏海ちゃんと二人、出店を離れる。

 

 

 

「……あ、夏海ちゃん、ちょっと待って」

 

 そして港を少し歩いたところで、俺は立ち止まる。

 

 射的の景品のお菓子に、蒼からもらった梅干し、それに鏡子さんから預かったカップうどんと、結構な量の荷物になってしまった。傘を差しながらこれだけの量を持つのは骨が折れる。

 

 俺は開いたままの傘を一度地面に置いて、一度荷物を整理することにした。

 

「荷物多いですね。私ももう少し持ちましょうか?」

 

 そう言ってくれるけど、すでに夏海ちゃんも鴎からもらったお菓子を持っている。元々ポーチだって持ってるんだし、これ以上持たせるわけにはいかない。

 

「大丈夫大丈夫。ちゃんと整理すれば……うわ!?」

 

 その時、強めの風が吹いた。開きっぱなしにしておいた俺の傘は、その風に煽られてコロコロと地面を転がっていく。

 

「し、しまった!」

 

 俺は慌てて傘を追いかけるけど、持ってる荷物かかさばってなかなか追いつけない。その間にも、傘はスピードを増しながら海の方へ向かっていく。これはまずい。

 

「あああーーー!」

 

 結局追いつけないまま、傘は防波堤を容易く乗り越え、海に転がり落ちてしまった。どうしよう。借り物の傘なのに。

 

 俺は防波堤から灰色の海を覗き込み、波に揉まれている傘を見ながら呆然とするしかなかった。

 

 

 

 

「え、羽依里?」

 

 その時、後ろから透き通った声がする。振り返ると、しろはが白い傘を差して立っていた。

 

「しろは、どうしてここに?」

 

「それはこっちの台詞だよ。私は港の様子を見に来たの。仕入れの関係もあるし」

 

 仕入れってことは、食堂のことだろうか。でもこの天気だし、どの船も漁には出てなさそうだけど。

 

「それより、羽依里こそ何をやってるの?」

 

 傘も差さずに雨に濡れる俺を見て、しろはが不思議そうな顔をする。

 

「え、俺はその……」

 

 思わず目を泳がせる。そして、海を漂う傘をしろはに見られないように、咄嗟に身体で隠す。あまりにも恥ずかしい。

 

「羽依里さーん! 傘、捕まえられましたかー?」

 

 その時、後から追いついてきた夏海ちゃんがそんな言葉を発する。やめて夏海ちゃん、俺の努力を無に帰さないで。

 

「……傘?」

 

「あ、しろはさん! 羽依里さんの傘を見ませんでしたか? 深緑色の傘なんですけど」

 

「え、見てないけど。羽依里の傘がどうしたの?」

 

「実はですね……」

 

 

 

 

 俺が必死に隠そうとしたのに、夏海ちゃんが洗いざらい喋ってしまった。うん、夏海ちゃんの誠実さは十分理解してるんだけどさ。

 

「……じゃあ、あそこを漂ってる傘が羽依里のなんだね」

 

 しろはが俺の横に立って、防波堤から海を覗き込む。まだそこまで波は高くないけど、俺の傘はもうほとんど沈んでしまっていた。

 

「うう、ついてないな……」

 

 俺ががっくりと肩を落とす。島は風が強いとは聞いていたけど、台風接近前からあんな突風が吹くなんて。

 

「……拾えない傘をいつまでも見てても仕方ないし、私の傘に入る?」

 

 しろはがそう言って、自分の傘を俺の方に差し出してくれた。俺はもはや全身ずぶ濡れなんだけど、しろはのそんな優しさが嬉しかった。

 

「ありがとう。それじゃ、遠慮なく」

 

 俺は一言お礼を言って、しろはの傘に入れてもらう。荷物はひとまとめにして外側へ持つ。インスタント食品とか、包装されてるものがほとんどだし、多少濡れても大丈夫だろう。

 

「家に帰るんだよね? それじゃ、行こう?」

 

 しろはにそう促されて、三人で住宅地へ向けて歩き出す。

 

「あ……私、急な用事を思い出したので、一足先に帰っていますね!」

 

 直後、夏海ちゃんが何かに気付いたように駆けだしていった。いったいどうしたんだろう。

 

 

「……あ」

 

 その時、俺は置かれた状況に気がついた。これって、思いっきり相合傘だ。もしかして夏海ちゃん、気を使ってくれたのかな。

 

「……どうかしたの?」

 

「……い、いや。なんでもないよ」

 

「……そう?」

 

 ここで変なことを言ったら、再び雨の中に放り出されてしまいそうだし。本人が気付いてないなら、それでよしとしよう。

 

「しろは、服が濡れたらごめんな」

 

「少しくらいならいいよ。それより、そんなにたくさん何を買ったの? 非常食?」

 

「まぁそんなところ。台風も来るっていうしさ」

 

「そうだね。おかげで誰も漁に出てないらしくて、今日は食材が無いから、食堂はお休みだよ」

 

「あ、やっぱりそうなのか」

 

 傘に夢中になって気にしていなかったけど、思い返してみれば、全ての漁船は高波対策のために幾重ものロープで港に固定されていた気がする。

 

「まぁ、夜には台風の影響がもろに出そうだし、お店どころじゃなくなるんじゃないか?」

 

「……それは、そうかもだけど」

 

 台風とはいえ、お店を休んでしまうのが悩ましいんだろうか。口元に手を当てながら、うんうん唸っていた。

 

 その後はなんとなく周りの景色を眺めながら、住宅地へ向けて歩みを進める。

 

 こうやって並んで歩いているだけで何故か心地いいのは、隣にいるのがしろはだからこそと思う。

 

「夏海ちゃん、どうしちゃったんだろうね。急に走って行っちゃったし」

 

「……あ、そうだ」

 

 しろはの口から夏海ちゃんの名前が出たことで、俺は昨日のやりとりを思い出した。せっかくだし、無理を承知でお願いしてみよう。

 

「しろは、今度、夏海ちゃんにもう一度チャーハンの特訓をしてあげられないかな?」

 

「そ、それは構わないけど……いきなりどうしたの?」

 

「昨日、色々あってさ。できたら早い方が良いんだけど」

 

「……じゃあ羽依里を家まで送った後、そのまま夏海ちゃんに教えてあげてもいい? 今からなら、お昼までには終わるだろうし。台風の影響もまだないだろうから」

 

「うん。夏海ちゃんも喜ぶだろうし、それでよろしくお願いするよ。急にごめん」

 

「いいよ。その代わり、材料も道具も羽依里の所のを使わせてもらうからね?」

 

「それは構わないよ。夏海ちゃんの主戦場は加藤家で、武器はフライパンだからさ」

 

「……そっか。中華鍋がないんだっけ。なら、それなりの方法で教えてあげないとね……」

 

 その後、しろはは時折目を閉じながら、夏海ちゃんの指導方法を考えてくれているみたいだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 しろはと並んで加藤家に帰宅すると、玄関で夏海ちゃんが大きめのバスタオルを用意して待ち構えていてくれた。

 

「びしょ濡れですね……羽依里さん、お風呂入りますか?」

 

「いや、身体を拭いて、着替えるだけでいいよ。夏だし、すぐに乾くと思うからさ」

 

「そうですか? せっかくですし、お風呂に入って、しろはさんに背中流してもらったらいいですのに」

 

「「ぶっ!?」」

 

 俺としろはは同時に吹き出してしまった。夏海ちゃん、冗談に聞こえないから。

 

「しろは、先に上がってていいよ。俺、ちょっと着替えて来るからさ」

 

 その場で全身を念入りに拭いた後、俺はしろはにそう伝えて、脱衣所へと向かった。

 

「うう、下着までびしょ濡れだよ……」

 

 

 

 

 着替えを終えて居間に戻ると、しろはと夏海ちゃんはエプロンをつけて、台所に立っていた。どうやら、しろはがチャーハンの特訓について、夏海ちゃんに話をしてくれたらしい。

 

「それじゃ、しろはさん、よろしくお願いします!」

 

「うん。夏海ちゃん、この特訓は生半可な気持ちじゃ乗り越えられないからね」

 

「はい! 望むところです!」

 

 なんだろう。二人してチャーハンスイッチ入っちゃったんだろうか。とてもじゃないけど、俺が声をかけられる状況じゃない気がする。

 

「俺はどうしようかな……」

 

 二人が楽しそうなのはいいことだけど、俺は暇になってしまった。テレビは相変わらず台風情報ばかりで気が滅入るし、何かないかな。

 

 俺は自分の部屋に戻り、適当に鞄や引き出しの中を探ってみる。

 

「……お、これは」

 

 すると、引き出しの奥からたくさんの色紙が出てきた。

 

「確かこれ、パリングルス工作大会で使おうと思って用意したやつだっけ」

 

 その時は結局使わなくて、すっかり忘れてしまっていた。せっかくだし、折り紙でもしよう。暇つぶしにはちょうど良さそうだし。

 

 俺はそう考えながら、その大量の色紙を持って居間に戻った。

 

 

 

 

「夏海ちゃん、卵を入れるのが5秒遅いよ。後、油の量も多すぎ。計ってる時間はないけど、目分量でも誤差は5cc以下にしないと」

 

「はい! 師匠!」

 

 うんうん。夏海ちゃんも頑張ってるみたいだ。

 

 ……それにしても、二人が台所に立っている姿を見ていると、姉妹と言うより、何故か親子みたいに見えてしまう。そんなこと言ったら、しろはに怒られそうだけど。

 

 そんな台所からの声を聴きながら、俺は折り紙を始める。

 

 折り鶴から始まって、カエル、やっこさん、手裏剣、紙飛行機……知っている限りの種類の折り紙を、片っ端から折っていく。

 

「久しぶりにやると楽しいもんだ。燃えてきたぞ」

 

 

 

 

「お待たせしました! ソウルチャーハン・パート2です!」

 

 良い香りと共に、夏海ちゃんができたてのチャーハンを食卓に運んでくる。

 

「あ、もうそんな時間なんだね」

 

 折り紙に熱中していた俺は、反射的に顔を上げて時計を見る。その針は12時を指していた。もうこんな時間なんだ。

 

「ちょっと羽依里、食卓の周りが凄いことになってるよ?」

 

 同じくできたてのチャーハンを運んできたしろはは、食卓の周りを見ながら呆れ顔だった。気づけば、俺の周囲はカラフルな折り紙であふれかえっていた。

 

「ああ、ごめん。すぐに片付けるよ」

 

「手も洗ってこないと駄目だからね?」

 

「わかってるわかってる」

 

 その折り紙を部屋の隅にぱぱっと片付けた後、洗面所で手を洗って、再び居間に戻ってくる。

 

「ところで、なんで俺の前にチャーハンが二つあるの?」

 

 夏海ちゃんとしろはの前には、それぞれ一つずつのチャーハンが置かれているのに、何故か俺の前には二つのチャーハンが置かれていた。

 

「ひとつは夏海ちゃんが作ったチャーハン、もうひとつは私が作ったチャーハンだよ」

 

 しろはのその言葉を聞いて理解した。つまり、これはあれだろうか。食べ比べて鑑定しろって意味だろうか。

 

「さぁ、食べてみてください!」

 

 ずいっ、と夏海ちゃんからチャーハン押し渡される。ちょっと待って。俺は朝に続いて、二度目のチャーハンなんだけど。

 

「それは私も同じです! さあ、どうぞ!」

 

 夏海ちゃん、しれっと心を読まないで。あれは間違いなく、本日二回目のチャーハンモードになってるし。

 

「それじゃ、いただくよ」

 

 俺はスプーンを手に取って、まずは夏海ちゃんから渡されたチャーハンを食べてみる。昨日と同じ、塩コショウに卵、そしてネギだけのシンプルなチャーハンだった。

 

「ど、どうですか」

 

「……うん。美味しいよ。パラパラだし、ごはん一粒一粒にしっかりと味が染みてる。これは88点かな」

 

 昨日の得点が確か82点だったから、一気に6点アップだ。それくらい、美味しくなってる。

 

「次はこっちを食べてみて」

 

 そのチャーハンを二口三口食べたところで、今度はしろはがチャーハンを差し出してくる。

 

「じゃあ、こっちのチャーハンもいただくよ」

 

 今度はそのチャーハンを口に運ぶ。うん。こっちも美味しい。これは甲乙つけがたい……。

 

「……こっちは89点かな」

 

 悩みに悩んだ結果、そう採点を下した。やっぱり、どうしてもしろはのチャーハンが美味しい。

 

「やりましたーーー!」

 

 次の瞬間、夏海ちゃんが喜びを爆発させていた。しろはと二人でハイタッチまで交わしているし、どういうことだろう。

 

「えへへ、実は私が持っていたのが、しろはさんのチャーハンだったんですよ!」

 

「え?」

 

「うん。それで、私が持ってたのが、夏海ちゃんのチャーハンだよ」

 

「そ、それってもしかして……」

 

 まさか、二人でわざと反対のチャーハンを持っていたんだろうか。見事にしてやられた。

 

「今回はしろはさんのチャーハンより、私のチャーハンの方が美味しかったっていうことですよね」

 

 夏海ちゃんは満面の笑顔だった。いつもは中華鍋を使うしろはが、今回はフライパンを使っていたというハンデを差し引いても、良い勝負をしていたと思う。

 

「そうだね。フライパンを使わせたら、夏海ちゃんのチャーハンの方が美味しい……かな」

 

 自分で得点を発表してしまった手前、観念するしかなかった。

 

「でも、しろはのチャーハンももちろん美味しいよ。正直、選べないくらいだ」

 

「そう言うなら、どっちのチャーハンも残さず、しっかり食べないとね?」

 

「え、どっちも!?」

 

「うん。どっちも食べないとね。残しちゃ駄目だよ。礼儀だし」

 

「そうです! 礼儀ですよ!」

 

 二人が笑顔で迫ってくる。同時に、二人前のチャーハンも。ちょっと待って。さっきも言ったけど、俺は朝もチャーハンを食べたんだけど。いくら美味しくても、この量はちょっと。

 

「男の子だし、食べれるよね?」

 

「羽依里さん、頑張ってください!」

 

「お、おう。マカセテクレヨ……」

 

 俺はそんな二人の笑顔に負け、二皿のチャーハンにとりかかったのだった……。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「うう、チャーハンマンになりそう……」

 

 俺は何とか二人前のチャーハンを完食した後、たまらず居間に横になっていた。

 

「もう、食べてすぐ寝たらウシになるよ」

 

「ウシになるのは静久だけだって……」

 

 洗い物を終えて居間に戻ってきたしろはと、そんな話をする。夏海ちゃんの方はまだ台所にいるのか、姿が無かった。

 

「そう言えば羽依里、さっき夏海ちゃんから聞いたんだけどね」

 

「え、何を?」

 

「……今夜、鴎と紬が泊まりに来るって本当?」

 

「……ど、どこからその話を」

 

 俺はドキリとして、思わず起き上がる。眼中に飛び込んできたしろはは笑顔だったけど、目が笑っていなかった。

 

「……本当なの?」

 

「ほ、本当です」

 

 気がつけば、俺は敬語になっていた。台所から戻ってきたのか、しろはの背後には夏海ちゃんが立っていて、必死に手を合わせて謝っていた。たぶん、洗い物中に口を滑らせてしまったんだろうか。

 

「……どうしてそんなことになってるのか、教えてほしいんだけど」

 

 淡々としているけど、しろはは笑顔を崩さない。うん。ものすごく怖い。

 

「しろはさん、聞いてください。実は……」

 

 だから俺は正座をしたうえで、お泊り会に至った経緯を誠心誠意、迅速丁寧に説明することにした。

 

 

 

 

「……というわけなんだ」

 

「……」

 

 しろはは俺の説明を靜かに聞いてくれていた。

 

「……そっか。それなら、しょうがないよね。うん。しょうがないよね」

 

 ……なんだろう。まるで自分にい聞かせているような言い方だった。

 

「灯台に波がぶち当たるんならしょうがないよね……」

 

「えっとその……ごめん」

 

「……羽依里が謝る必要はないよ。家主の鏡子さんが許可したんだし。困った時はお互い様だし……でも、皆でお泊り……」

 

 ますます自分に言い聞かせるようにしている。だんだん声も小さくなってるし、次第に何か考え込んでいる様子だった。

 

「あ、あの! ところで羽依里さん、さっきは何を作ってたんですか?」

 

「え?」

 

 そんな空気に耐えられなくなったんだろうか。その時、夏海ちゃんが部屋の隅に置かれた折り紙の山を指さしながら、そう聞いてきた。

 

「ああ、二人がチャーハンの特訓をしてる間、折り紙をしてたんだよ」

 

 俺は天の助けとばかりに、夏海ちゃんが振ってくれた話題に飛びついた。適当に折り紙の山に手を突っ込んで、一つの紙飛行機を引っ張り出す。

 

「あ、紙飛行機ですか?」

 

「そう。俺の自慢の紙飛行機だよ。夏海ちゃん、見てて」

 

 俺はおもむろに立ち上がると、居間の奥へ向けて紙飛行機を投じる。

 

 その紙飛行機は安定して滑空し、奥の壁ギリギリのところに着地した。

 

「おおー、すごいです!」

 

「これでも昔は、紙飛行機マスターハイリと呼ばれていたからね」

 

「……むっ」

 

 俺の台詞を聞いた直後、しろははおもむろに一枚の色紙を手に取り、慣れた手つきで、見たこともない形の紙飛行機を折りあげる。

 

「しろは、なにそれ」

 

「スーパーマスタングファイア・コズミックモードレベルⅧ」

 

「えっ?」

 

 一瞬、何のことかわからなかった。どうやら紙飛行機の名前らしい。なかなかのネーミングセンスだと思う。

 

「夏海ちゃん、見ててね」

 

 しろははそう言って、自信ありげに紙飛行機を投じる。その細い指先を離れた紙飛行機は、すーっと静かに飛び、居間の向こう側の壁にぶつかって止まった。明らかに俺の紙飛行機より飛んでいた。

 

「……しろはさん、すごいです!」

 

「……ふふっ」

 

 夏海ちゃんに尊敬のまなざしを向けられ、しろはが珍しく勝ち誇った顔をしていた。どうやら、なかなかの負けず嫌いらしい。

 

「夏海ちゃん、他にもよく飛ぶ紙飛行機があるの。折り方、教えてあげよっか」

 

「はい! 知りたいです!」

 

「それじゃ、まずはね……」

 

 二人は新しい色紙を手に取って、一緒に折っていく。どうしよう。このままだと夏海ちゃんにも勝てなくなりそうだ。

 

「くそ、俺だって」

 

 俺も色紙を手に取り、新しい紙飛行機を折り始める。良く飛ぶ紙飛行機をもう一つ知ってる。

 

 

 

 

「……完成したぞ。名付けて、ハイリマックスV9!」

 

「でた。男の子って、何故か自分の名前をつけたがるよね」

 

 うぐっ。痛い所を突かれた。だって、つけたくなるんだもん。

 

「……ところで、なんでV9なんですか?」

 

「ほら、某野球チームみたいに連覇し続けてほしい……みたいなさ」

 

「あー、なるほどー……」

 

 命名理由を知った夏海ちゃんが何とも言えない顔をしている。関西出身って聞いたし、もしかしてライバルチームの方のファンなんだろうか。

 

「夏海ちゃん、そんな紙飛行機マスターハイリの鼻はへし折ってあげよう?」

 

「はい!」

 

 ちょっと、その名前を口にしないで。勢いで言ったんだけど、本気で恥ずかしくなってきた。

 

「できました! エクスネオマキシマム・ブラスト・ネクストⅢの完成です!」

 

「って、あれ?」

 

 完成した三人の紙飛行機を並べてよく見てみると、全く同じ形だった。

 

「……羽依里、この紙飛行機の折り方、知ってたの?」

 

「いや、なんとなく覚えてたんだけど……しろはに習ったっけ?」

 

「ううん。教えた覚えはないんだけど……」

 

 まぁ、偶然だろう。昔、何かの本で見たのを覚えていたのかもしれないし。

 

「それじゃ、勝負しましょう!」

 

 夏海ちゃんの一声で、俺たち三人は完成した紙飛行機を持って、加藤家で一番長い廊下の端に並ぶ。ここなら向こう端まで、かなりの距離がある。

 

「いくぞ、せーの」

 

「えーい!」

 

 三人同時に紙飛行機を投じる。しかし、三つの紙飛行機のうち、俺のハイリマックスだけが早々に失速し、力なく地面に落ちてしまった。

 

 他の二人の紙飛行機はそのままぐんぐん進み、廊下の突き当たりにぶつかって止まった。なんて飛距離だ。

 

「くそ、こんなはずじゃ」

 

 同型の紙飛行機のはずなのに、俺のだけ早々にリタイヤしてしまった。微妙に翼が歪んでたりしたのかな。

 

「ふふ、紙飛行機マスターハイリが聞いて呆れるね」

 

 ……ぐは。だからその名前で呼ばないで。恥ずか死ぬ。

 

「……そうだ。その称号、しろはに譲るよ」

 

「えっ」

 

「今日から、紙飛行機マスターシロハだ」

 

「えええ、そんな称号いらないし。返すよ」

 

「だめだ。俺はしろはに完敗したし、もう譲ると決めたんだ」

 

「う、ううう……」

 

 余程ショックだったんだろうか。しろはは頭を抱えてうんうん唸っている。

 

「……そ、そうだ夏海ちゃん。今度はもっと飛ぶ紙飛行機の折り方を教えてあげる」

 

 かと思えば、急に顔を上げて夏海ちゃんに向き直る。どうやら、より飛ぶ紙飛行機の折り方を夏海ちゃんに教えた上で、勝負に負けて不名誉な称号を押し付けようという魂胆らしい。

 

「そ、それは遠慮しておきます!」

 

 夏海ちゃんもすぐにそれに気づいたのか、するりとしろはの脇を抜けて、俺の背後に隠れてしまった。

 

「紙飛行機マスターシロハ、何をそんなに落ち込む必要があるんだ」

 

「うう……やめて、その名前で呼ばないで」

 

 どうだ。俺の気持ちがわかったか。自分で考えておいてあれだけど、実際に言われるとここまで恥ずかしいんだぞ。

 

 

 

 その後は、ぶつぶつ文句を言うしろはをなだめつつ、普通の折り紙を楽しんだ。

 

 俺がだまし船を作っている間に、しろはと夏海ちゃんはうにを作ったりしていた。作る過程は見てなかったんだけど、折り紙でどうやったらうにが作れるんだろう。すごく気になる。

 

 それにしても、なんだかんだで俺たちは雨の日でも楽しく遊んでる気がする。

 

 

 

 

「それじゃあ、そろそろ帰るね」

 

「しろは、わざわざありがとうな」

 

「しろはさん、ありがとうございました!」

 

 15時を過ぎた頃、しろはは風が強くなる前に食堂の戸締りをしてくると言って、帰っていった。

 

「できました! ハイムスタング・ナツミスペシャルマーク3です!」

 

 その後も、俺と夏海ちゃんはやることもないので、再び紙飛行機を折って飛ばし合っていた。

 

 それにしても、なんだか俺としろはの間をとったようなネーミングセンスだった。色々と大丈夫かな。

 

「えい!」

 

 夏海ちゃんが真上に投じた紙飛行機は、そのまま部屋の中をくるくる旋回しながら、ゆっくりと滑空していた。おお、これはこれですごい。

 

「しろはに教えてもらったの? すごい動きだね」

 

 紙飛行機を見ながらそんな話をしていると……電話が鳴った。

 

 

 

 

「……あれ、誰だろう?」

 

 俺は立ち上がって、玄関前に置かれた電話へ向かう。もしかして、鏡子さんかな。

 

「……はい、加藤ですが」

 

「あの、鏡子さんはいらっしゃいますか? 岬ですけど」

 

 電話に出ると、受話器の向こうから聞いたことのない女性の声がした。

 

「今、出かけちゃってるんですよ。良かったら伝言を受けますけど」

 

「あ、いえ……いないのでしたら、別に……」

 

 目当ての人物が不在とわかったからか、電話相手が男だと気付いたからか、相手の声が急によそよそしくなった。

 

 ……それにしても岬って苗字、鏡子さん以外で誰かいたような。

 

「……あ。もしかして、夏海ちゃんのおかーさんですか?」

 

「えっ? そう、ですけど……あの」

 

 ……そうそう、思い出した。そういえば夏海ちゃんの苗字も岬だった気がする。鏡子さんの姪っ子になるって言ってたし、もしかして、様子伺いの電話だろうか。

 

 思えば夏休みの間、ずっと娘を預けてるわけだし。これまで電話がかかってこなかったことの方が不思議だった。

 

「夏海ちゃんいますよ。代わりましょうか?」

 

 夏海ちゃんも久しぶりに家族と話したいだろうし。俺は軽い気持ちでそう提案する。

 

「……あの、あなたは何を言ってるんですか?」

 

 ……その時、女性の声のトーンが明らかに変わった。今度は怒っているような、悔しさをにじませるような声だった。

 

「……娘が、夏海がそこにいるはずないじゃないですか。だってあの子は、一年前に事故で……」

 

「……え?」

 

「……失礼します」

 

「あの、ちょっと! もしもし!」

 

 俺はとっさに引き留めようとしたけど、電話はそのまま切れてしまった。

 

「そうだ、リダイヤル……」

 

 俺はそう思って本機に手を伸ばし……固まった。加藤家の電話は昔ながらの黒電話だ。当然、相手の電話番号なんてわかるはずもない。折り返しは無理だった。

 

「くそ……」

 

 俺は為す術なく、静かに受話器を置く。

 

 ――夏海がそこにいるわけないじゃないですか。だってあの子は、一年前に事故で……。

 

「……さっきの、聞き間違えじゃないよな」

 

 あの母親の取り乱し方からして、冗談で言ってるようには思えないし、あの後に続く言葉は一つだけ……。

 

 

 

 ……駄目だ駄目だ。しっかりしろ、鷹原羽依里!

 

 一瞬浮かんでしまった考えを慌てて打ち消そうと、何度も頭を振る。

 

 ……それでも、いくら考えても都合の良い答えが出てこない。落ち着け、俺。深呼吸だ。

 

 さっきまでほとんど聞こえなかった雨風の音が、急に大きくなった気がする。

 

 背中を流れているこの冷たい汗も、きっと蒸し暑さのせいだけじゃないはずだ。

 

「羽依里さーん!」

 

「っ!」

 

 両膝に手をついて、深く呼吸をしていると、唐突に夏海ちゃんに声をかけられた。思わず身体がびくっとなってしまった。

 

「さっきの電話、誰からだったんですか?」

 

「ま、間違い電話だったよ」

 

 そして俺は思わず、そう嘘をついてしまっていた。

 

「そうですか」

 

 夏海ちゃんは大きな瞳で俺の方を見てくる。まるで、全てを見透かされそうな、まっすぐな瞳だった。

 

「……なら、いいですけど」

 

 やがて少し首を傾げた後、きびすを返して居間へと戻っていく。

 

 

 ―――夏海ちゃん、君はいったい……何者なの?

 

 その小さな背中に向けて、今にもそんな言葉が出そうになった……その時。

 

 

「おじゃましまーす!」

 

「タカハラさん、ナツミさん、お世話になりにきました!」

 

 目の前の玄関がガラガラと開いて、鴎と紬がやってきた。

 

「あ、鴎さんに紬さん、いらっしゃいませ!」

 

 それに気づいた夏海ちゃんも、元気よく二人を出迎える。

 

「それとね二人とも。実はもう一人、お泊り希望者がいるんだよ」

 

 いつものスーツケースを玄関先に入れながら、鴎が笑顔を浮かべる。

 

「え? もう一人?」

 

「ど、どうもー……」

 

 俺たちが困惑していると、紬と鴎の間から蒼がひょっこりと顔を覗かせる。

 

「あれ、蒼?」

 

 鴎と紬は聞いていたけど、なんで蒼がいるんだろう。

 

「実はですね。アオさんはアイさんに家を追い出されてしまったそうです」

 

「ええ、なにそれ」

 

 紬が憐れむような声でそう言っていた。つまり、蒼は無理矢理藍から加藤家へ台風避難に出されたんだろうか。

 

「そ、そうなのよねー。『家でうじもじ悩んでるくらいだったら、このお泊りセット持って、さっさと出て行ってください!』って藍に家を追い出されちゃって」

 

 蒼は苦笑いを浮かべていた。半強制的なお泊りイベント。港での藍のつぶやきは、もしかしなくてもそういう意味だったのかな。

 

 それでも、まさか大事な妹を、台風が迫る中締め出すなんて予想外すぎる。もし加藤家に泊まれなかったら、どうするつもりだったんだろう。正直、空門の家の方が加藤家よりも立派だし、安全だと思うんだけど。

 

「えーっと、それでね……不束者ですが、よろしくお願いします……」

 

 蒼はそう言いながら、深々と頭を下げる。ちょっと、その言い方やめて。色々違うから。

 

「まぁ、来ちゃったのはしょうがないしさ。夏海ちゃんの部屋なら、三人泊まれるよね?」

 

「はい! 大丈夫だと思います!」

 

「それじゃ三人とも、一度夏海ちゃんの部屋に荷物置いてきなよ。それから手分けして雨戸を閉めよう」

 

「わかりました!」

 

「なっちゃん、ちょっとスーツケース拭かせてもらえるかな?」

 

「はい! タオル持ってきますね!」

 

 なんだか、一気に騒々しくなった。でも、そのおかげでさっきの電話の件はいつの間にか頭の中から消えてしまっていた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 荷物を一旦夏海ちゃんの部屋に上げてもらった後、皆で手分けして雨戸を閉めることにした。

 

 そろそろ風も出てきたし、人数が揃ったところで手早く済ませてしまおう。

 

 去年の秋にも台風が島をかすめたことがあって、その時に鏡子さんからこの家の雨戸の場所は一通り聞いて、把握している。

 

「ねぇ羽依里、まずはどこから閉めるの?」

 

「そうだな。まずは前庭に面した窓……俺たちの部屋の前から閉めよう」

 

 やる気満々の鴎を引き連れて、俺は軒下を通って前庭へと向かう。

 

「ここから雨戸を引っ張りだせばいいんだね? おりゃーーー!」

 

 雨戸の収納場所を教えてあげると、そこからがらがらー、と鴎が勢いよく雨戸を引き出す。それを俺が受け止めて、良い位置に固定していく。

 

「おお、なんだか楽しいな」

 

「そうだねー」

 

 がらがらー、がらがらーと軽快な音を立てながら、立て続けに雨戸が俺の方に向かって流れてくる。何かのアトラクションみたいだ。

 

「……でもこれ、出す方としてはすごく疲れるんだけど」

 

「悪い鴎、もう少し頑張ってくれ。もうすぐ終わるから」

 

「ひーん」

 

 段々と勢いが弱まっているのを感じつつも、最後の一枚まで出し切ってもらう。

 

「……あれ?」

 

 全部出揃ったはずなのに、いくらしっかりと閉めようとしても隙間が空いてしまう。これはどう見ても、雨戸の数が足りない。

 

「鴎、もう雨戸は終わりか?」

 

「うん。もうないよ」

 

 鴎も確認するように雨戸の収納スペースを見ていた。中は空っぽだった。

 

「去年の秋に見た時は、数も揃っていたはずなんだけど」

 

 家そのものが古いし、雨戸も古くなって壊れちゃったんだろうか。

 

 ないものはしょうがないので、足りない部分を少しでも補うために、ちょっとずつ隙間を開けて雨戸を配置することにした。この窓は庭に面しているし、植木や塀もあるから、風で物が飛んでくるなんてことはあまりないと思う。

 

「羽依里さーん、ちょっといいですかー?」

 

 その時、夏海ちゃんに呼ばれた。確か夏海ちゃんは、紬と一緒に反対側の雨戸をチェックしてくれていたはずだけど。

 

 そう思いながら、声がした方に行ってみる。そこはちょうどお風呂の裏手で、夏海ちゃんや紬の他に、蒼もいた。

 

「どうしたの? ここには雨戸はないはずだけど」

 

「いえ、タカハラさん、あそこにあるんです!」

 

 そう言って上の方を指さすのは紬だった。え、あんなところにあるの?

 

「ちょっと高いけど、羽依里なら届きそうって話をしてたところよー」

 

 青色の傘を差しながら、蒼がそう言っていた。ちょうどこの辺りは軒下が狭くて、傘を差さないと雨に濡れてしまうんだろう。

 

「そういうことなら、任せろ」

 

 俺は適当に足場になりそうな台を持ってきて、その上に立つ。近くで見てみると、古いけど確かに雨戸があった。

 

 ……ところで、なんで紬がこの家の雨戸の場所を把握してるんだろう。謎だった。

 

 そんなことを考えながら雨戸を引き出すと、手のひらサイズの巨大なクモが一緒に落ちてきた。

 

「きゃあああ!」

 

「ちょっと、なんでそこで羽依里が叫ぶのよ!?」

 

 蒼は落ちてきたクモを上手に避ける。着地したクモは、そそくさと植え込みの中へと逃げていった。

 

「いや、あそこまで大きいのになると、さすがに慣れてなくて」

 

「この家の守り神じゃないのー? 大切にしてあげなさいよね」

 

 クモを見た紬と夏海ちゃんは固まっていたけど、蒼だけが平然としていた。つい忘れがちになるけど、やっぱり昆虫学者の娘だった。

 

 

 

 

「うん。雨戸は大体こんなものかな」

 

 一通り家の周りはチェックして回った。たぶん、もう大丈夫だとは思うけど。

 

「物干しざおも倒しておいたし、運べそうな植木鉢は風で飛ばされないようにガレージの中に移しておいたよ」

 

「おお、ありがとう、しろは」

 

「しろはさん、ありがとうございます!」

 

「……って、しろは!?」

 

 いつの間にか、俺たちの中にしろはが混ざっていた。よく見ると、珍しく大きめのリュックサックを背負っている。

 

「しろは、どうしてここに?」

 

「今日、私もここに泊まるよ。たくさんの女の子たちと一夜を明かすんだし、羽依里が変な気を起こさないように見張らないと。その……か、彼女として」

 

 最後の方、めっちゃ照れながら言ってた。いや、嬉しいけどさ。

 

「……そうだね。もしかしたら羽依里、可愛い女の子たちに囲まれて、狼さんになっちゃうかもしれないし」

 

 ちょっと鴎、その表現やめて。

 

「うん。狼さんになったら困るから、見張りに来たのです。他意はありません」

 

 しろはは小さく握りこぶしを作っていた。気持ちはわかるけど、どうしちゃったんだろう。

 

「恋は盲目って、よく言うわよねー」

 

 そんなしろはの背後で、蒼がからからと笑っていた。うん、聞かなかったことにしよう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 念入りに台風への備えを終えた後、皆で居間に集まっていた。一応テレビはつけていたけど、相変わらず台風のニュースばかりだし、誰も見てはいなかった。

 

「その昔、この島には伝説のスープチャーハンの屋台があったらしいです」

 

「紬、良く知ってるわねー。駄菓子屋のおばーちゃんが若い頃、繁盛してたってお店らしいわよ? いつの間にか無くなってたらしいけど」

 

「でも、そのスープチャーハンってのは訳が分からないよね」

 

「私もしろはさんと同意見です! せっかくパラパラなチャーハンにスープをかけるなんて、チャーハンに対する冒涜です!」

 

「そーねー。あんかけチャーハンまでは許せるんだけど」

 

「わ、私はどっちも美味しそうだと思うけど」

 

「鴎、美味しそうでも、混ぜちゃ駄目だよ。チャーハンとスープ、別々に食べれば良いのに」

 

 よくわからないけど、かつて島に存在していたチャーハン屋台の話で盛り上がっていた。一応料理の話だし、これもガールズトークになるんだろうか。

 

 どのみち、俺は入れそうにない話題だった。和気藹々と話す5人を何気なく眺めていると、鴎の近くに小さな箱が置かれているのが見えた。

 

「鴎、その箱はなに?」

 

「これ? そうそう! 皆と遊ぼうと思って、トランプ持ってきたの!」

 

 鴎は思い出したように箱を手に取り、中身を取り出す。中から見慣れたオジサンが顔を覗かせた。

 

 でも、トランプなら皆で一緒に遊べるし、退屈しなくていいかもしれない。特に俺が。

 

「よし、せっかく鴎が持ってきてくれてるんだし、皆でトランプやらないか?」

 

 だから、俺はそう提案してみた。

 

「おおー、トランプですか!」

 

 紬が一番に反応した。もしかして、得意なんだろうか。

 

「あ。一応、カルタも持って来てるけど」

 

 鴎は笑顔のまま、カルタを取り出して畳の上に置く。一体どこに持ってたんだろう。

 

「……これ『おかえりなきゃーい』とか書いてるけど。変わったカルタだね」

 

 しろはが適当な字札を読み、首をかしげていた。確かカルタって、ことわざとかを題材にするイメージがあるけど。

 

「鳥白島迷言カルタだって。ずっと昔、おかーさんから鳥白島のお土産としてもらったの!」

 

「へー、昔はこんな商品があったのねー」

 

 蒼も物珍しそうに見ていた。駄菓子屋の看板娘だし、やっぱり過去のヒット商品が気になるんだろうか。

 

 でも、さすがにカルタは季節感がないし、ここは皆で相談して、トランプをすることにした。

 

 

 

 

「よーし、それじゃカードを配るよー」

 

 鴎が慣れた手つきでカードを切って、皆に配ってくれる。大人数でやるトランプゲームの定番と言えば、ババ抜きだろう。今、卓上の心理戦が始まる。

 

 

 

 

「うーん、うーん」

 

「むむむぎぎぎぎ……」

 

 ババ抜きを始めてすぐに分かったことがある。蒼や紬はものすごく顔に出やすい。

 

 紬に至っては、時折小さな声で『むぎゅ!?』って言ってた。たぶん、あのタイミングでババが来てたんだろう。実に分かりやすい。

 

「よし、これにする! てい!」

 

 一方で、鴎は勢いでカードを選んでいる感じだった。駆け引きも何もあったもんじゃない。

 

「……うん。これであがりだね」

 

 そんな中、真っ先にあがったのはしろはだった。彼女はババが来ようが、全く表情が変わらなかった。いわゆるポーカーフェイスというやつだろうか。

 

「やった。あがりですよ!」

 

「わたしもです!」

 

 続けて、紬と夏海ちゃんがあがった。

 

「ひーん。ババがきちゃったよー」

 

 そしてババは鴎へと引き継がれたらしく、頭を抱えていた。なかなかに白熱した戦いになってきた。

 

 

 

 

「げ、しまった」

 

「やったー。わざわざババを選びなおしてくれてありがとう! 羽依里イズいい奴!」

 

 ゲームが進み、俺が鴎からババを引いてしまった。くそ、二分の一の確率だったのに。

 

「やったー! これで私もあがりー!」

 

 続けて、鴎が蒼からカードを引く。どうやら揃ったらしく、ニコニコ顔でゲームから離脱した。

 

 ……気がつけば、俺と蒼の一騎打ちになっていた。他の皆も、固唾をのんで勝負の行方を見守っている。

 

「よし蒼、勝負だ。引いてくれ」

 

 俺の手札は残り2枚。そのうちの1枚は鴎から渡されたババだ。対する蒼の手札は1枚。ババ以外を引いた方が勝ちだ。

 

「むむむむ……」

 

 蒼の細い指が右へ左へ。どうやら迷っているらしい。

 

「うーん。うーん……」

 

 ……そんなに悩まなくても。鴎みたいにスパッと引いてくれ。

 

 ……あれ?

 

 蒼はほとんど前かがみになって、食い入るようにカードを選んでいた。そのせいか、胸元が思いっきり見えちゃってる。

 

 こ、これはまずい。俺は慌てて目をそらす。

 

「うりゃっ! あっちゃー……」

 

 直後、蒼がカードを引く。その声色から読み取るに、ババを引いてしまったみたいだ。

 

「……ほら羽依里、次、引きなさいよ」

 

「え? ああ」

 

 蒼にそう言われて、再び視線を戻すと……また見えてる。お願いだからやめて。

 

「……羽依里?」

 

 その時、ジト目になっていたしろはから、肘で小突かれた。しろはも気づいたみたいだ。

 

 ごめんしろは。そんなつもりじゃないんだ。わかってるんだけど……。

 

 まさか言葉に出すわけにもいかないし。俺は心の中でそう思いつつ、視線を外すけど……。

 

「目をそらすなーーー! しっかり見なさいよ、ほら!」

 

 俺がわざとカードから目をそらしていると思われたんだろうか。蒼がそう言って近づいてくる。

 

 やめて、見せないで。誰か助けて。

 

 

 

 

 ……結局、ババ抜きは散々長引いた挙句、動揺しまくった俺の負けになってしまった。うん。色々とずるい。

 

「そ、そうだ。ババ抜きの次は、大富豪をやらないか」

 

 俺は慌ててゲームを変更する。ついでに並び順も変更してもらった。これで一安心だ。

 

 

 

 

「……ババを入れて『7』の四枚で革命だよ」

 

「シロハさん、ありがとうございます!」

 

「ひーん、大富豪が一転、大ピンチだよー」

 

 その後も、大富豪やポーカーといった定番のゲームを楽しんだ。

 

 総じて思ったのが、しろははカードゲームに強い。なんだかんだで、ほとんど負けていなかった気がする。

 

 

 

 

 18時を過ぎた頃、鴎と蒼、紬の三人は一度荷物の整理をするとかで、夏海ちゃんを連れだって部屋に戻っていった。

 

 時折、雨戸がガタガタと音を立てている。そろそろ台風の強風域に入ったかな。

 

 一方のしろはは台所へ向かい、夕飯の準備をしてくれているみたいだ。

 

「……あ、そうだ」

 

 その時、鏡子さんから言われていた浴衣の話を思い出した。確かあれ、夏海ちゃんの部屋の押し入れにあったはずだけど。

 

 俺はおもむろに立ち上がると、夏海ちゃんの部屋へと向かう。

 

 

「おおー、アリクイのサユリさんもしっかりといます!」

 

「紬さんに貰ったものですし、大事にしてますよ!」

 

「パリングルスのオルゴールもしっかりと置いてあるねー。聴いてみていい?」

 

「はい! どうぞ!」

 

「……改めて見ると、この部屋凄いわねー。夏の思い出置き場って感じ?」

 

 

 部屋の前に立つと、ふすま越しにそんな会話が聞こえた。思えば、夏海ちゃんの夏の思い出も結構溜まってきてる気がする。

 

「……ごめん夏海ちゃん、ちょっといいかな」

 

 せっかく楽しそうに話しているところ悪いけど、ふすま越しに声をかけさせてもらう。

 

「はい! なんですか?」

 

 閉じられていたふすまが少しだけ開いて、すぐに夏海ちゃんが顔を覗かせた。

 

「あのさ、鏡子さんの言っていた浴衣がこの部屋の押し入れにあると思うんだ」

 

「わかりました! 探してみます!」

 

 覗いていた顔が引っ込んだと思うと、がらら、と押入れの戸を開ける音が聞こえた。続いて、がさごそと音がする。

 

 ちなみに俺はその間、部屋をなるべく見ないようにふすまを背にして待つ。女の子たちの部屋だし、妙なことが起こらないとも限らないし。

 

「なっちゃん、何探してるのー?」

 

「皆さんの浴衣です! この辺りにあるらしいんですけど……」

 

「浴衣だね! ツムツム、私たちは反対側を探してみよう!」

 

「はい!」

 

 がさごそと探す音が増えた。どうやら、皆で手分けして探してくれているみたいだ。

 

「……うわ、おっきな日本人形とか出てきた。これ、夜な夜な動いたりしないよね」

 

「むぎゅ!? 人形が動くとか、怖すぎます!」

 

 紬の泣きそうな声が聞こえた。確か、そういうホラー映画とかあった気がするし、想像すると怖いかも。

 

「……ありました! これですね!」

 

 その時、夏海ちゃんの弾む声が聞こえた。どうやら浴衣を発見したらしい。

 

「おおー、これは立派なユカタです!」

 

「羽依里、これ、本当に使っていいの?」

 

「ああ、使ってくれて構わないぞ」

 

 ふすま越しの鴎の声に、そう返す。

 

「ありがとう! もしもの時のために持ってきたパリンキーの着ぐるみ、使わなくて良さそう」

 

 パリンキーの着ぐるみ? どんなものが想像もできないけど、寝巻き替わりに用意していたんだろうか。

 

「羽依里、ちょっといいかな?」

 

 ……その時、廊下の向こうからしろはがやってきた。相変わらず、エプロン姿が良く似合っている。

 

「え、どうしたの」

 

「晩ごはんなんだけど、本当にこれでいいの?」

 

 そう言うしろはの手には、たくさんのカップうどんが入った袋が握られていた。今朝、鏡子さんから港でもらったやつだった。

 

「いっぱいあるし、それでいいと思うよ。それに冷蔵庫の中、何もなかったよね?」

 

「うん。調味料と梅干ししかなかったよ。お昼も思ったんだけど、冷蔵庫なのに、なんで食材が入ってないの?」

 

「簡単だよ。夏海ちゃん以外、この家の誰も料理をしないからさ」

 

「それ、胸張って言うことじゃないよ……」

 

 しろはが物凄く微妙な顔をしていた。そう言われても、加藤家の人間は料理が出来ないんだからしょうがない。

 

「でもさ、今日のところはカップうどんでいいんじゃないか? だんだん風も強くなってきてるし、もし調理中に停電したら危ないと思うんだ」

 

「そ、そう……かな」

 

「刃物を使うわけだし、しろはがもし怪我でもしたら大変だしさ」

 

「う、うん……そうだね。ありがとう、羽依里」

 

 しろはは顔を赤くしながらはにかむ。うあ、エプロン姿でその表情はやめて。破壊力すごいから。

 

「……やっぱり、彼氏さんは優しいわねー」

 

「お二人とも、オアツイですね!」

 

「二人の愛なら、きっと台風の進路だって変えられるよー」

 

 いつの間にか、部屋の中にいたはずの四人がふすまの間からこっちを見ていた。うん。思いっきり見られていた。

 

「お、俺たちのことは良いから、そろそろ晩ごはんにしよう!」

 

「そ、そうだよ。ほら、荷物整理が終わったんなら、皆も居間に来て!」

 

 俺としろはは恥ずかしさから居ても立っても居られなくなり、逃げるように居間に向かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 その後は台所で手分けして夕飯の準備をした。

 

 準備と言っても、ポットややかんにお湯を沸かして、それをそれぞれが選んだカップうどんに注いでいくだけだ。用意するものといえば、箸くらいだった。

 

「それじゃ、いただきまーす」

 

「「いただきまーす」」

 

 ……それからきっちり三分後。全員で手を合わせて、カップうどんを食べ始める。

 

「おお、肉だ」

 

 まず、俺が選んだのは肉うどん。一日ぶりの動物性タンパク質だ。ものすごく筋肉に変わっていく気がする。筋肉! 筋肉!

 

「うーん、辛いけどおいしい―」

 

 そんな俺の向かいでは、鴎がキムチうどんを食べていた。八割ほどめくられた蓋には『黄金の豚キムチうどん』と大きな文字が書いてあった。

 

「鴎、それってそんなにおいしいのか?」

 

「うん! 前に来ヶ谷さんにキムチをもらってから、ハマっちゃってて―」

 

 心底美味しそうにうどんをすする。結構匂いが強いんだけど、鴎はそういうの気にしないんだろうか。

 

「このお揚げ、ジューシーで美味しいー」

 

 きつねうどんを選んだ蒼は、そんな鴎の隣でご満悦だった。はがされたパッケージには『お揚げ25%増量中!』と書いてあった。

 

「……そいえば、イナリさんは台風の中どうしてるですか?」

 

 その蒼の隣でちからうどんを食べていた紬が、お餅をのびーっと伸ばしながら、そう聞いていた。

 

「藍が家の軒下に入れてくれてると良いんだけど、場合によっては山かもね。あの子、ああ見えて野生動物だし」

 

 そうだった。つい忘れがちになるけど、イナリは蒼が飼ってるわけじゃなく、野生のキツネだった。

 

「……ねぇ夏海ちゃん、その月見うどん、おいしいの?」

 

「はい! おいしいですよ! 半熟卵が最高です!」

 

 その時、俺の隣に座って静かに五目うどんを食べていたしろはが、夏海ちゃんにそう尋ねていた。

 

 ちなみに、夏海ちゃんは月見うどんを食べている。お湯を入れるだけで月見うどんができるとか、最近の技術はすごい。特にあの半熟卵の部分、どうなってるんだろう。

 

 その後は、うどんをすする音が静かに響いていた。うーん、さながら加藤家がうどん屋にでもなったみたいだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 夕飯を手早く済ませると、今度は順番にお風呂を済ませてしまおうという流れになった。万一入浴中に停電した場合に備えて、懐中電灯を一つ、脱衣所の方に持って行ってもらった。

 

「ナツミさん、わたしと一緒に入りましょう!」

 

「はい! 紬さんの髪、また洗わせてください!」

 

「そですね! また洗いっこしましょう!」

 

 ズッ友の二人が、そんな話をしながらぱたぱたと廊下を走っていった。そういえば、あの二人は以前も一緒に入ったことがあったっけ。

 

「そうだねー。時間の短縮になるし、一緒に入るのはいいかもね。あおあお、二人が出たら、次に一緒に入る?」

 

「え。さすがに狭いんじゃない? それに、鴎と一緒だと、色々自信なくなっちゃうし……」

 

 鴎は無垢な笑顔で勧誘していたけど、蒼は渋っている様子だった。何の自信が無くなるのかは、イマイチわからなかったけど。

 

 二人はそんな話をしながら、夏海ちゃんの部屋へ向かっていった。たぶん、浴衣とか用意しに行ったんだろう。

 

「じー……」

 

 ……ちなみに俺はと言うと、そんな皆を尻目に、居間でしろはに監視されていた。何故か正座で。

 

「あの、しろは……そんなにじっと見つめられると、すごく居づらいんだけど」

 

「他の皆がお風呂に入っている間、羽依里が変なことを考えないように見張る必要があるから」

 

 そう言えば、夕方やってきた時にそんなこと言っていた気がする。狼さんにならないようにとかなんとか。

 

 うう……そりゃ、俺も健全な男の子だし、ちょっとくらい変なこと考えちゃうけどさ……。

 

「はぁ……」

 

 一つため息をつきながら、しろはが用意してくれたお茶を一口飲む。濃い目のお茶が美味しい。そのままなんとなくテレビを見るけど、相変わらず台風に関するニュースを伝え続けている。どうやら、あと一時間くらいで暴風域に入りそうだ。

 

「……そういえばさ、しろは」

 

「え、なに?」

 

「お風呂、他の皆は二人一組で入ってるみたいだけど、俺たちも二人一組で入るの?」

 

「入らないし!」

 

 顔を赤くして、全力で拒否された。ごめんなさい。言ってみたかっただけです。

 

 

 

 

「羽依里、お風呂ごちそうさまー」

 

 正座を続けて、そろそろ足の感覚がなくなってきた頃……髪をタオルで拭きながら、蒼が居間にやってきた。風に乗って、うちにあるシャンプーと違う香りがした。自前で持ってきてたのかな。

 

「……羽依里、鼻の下がのびてるよ?」

 

「な、なにも考えてないです!」

 

 しろはに睨まれて、思わず敬語になる。うう、最近しろはの方が強い気がする。

 

「羽依里さん、お風呂上がりに皆さんで麦茶を飲んでも良いですか?」

 

「え? うん、いいよ」

 

「ありがとう! お風呂上がりの麦茶って最高だよね!」

 

 蒼に続いて、浴衣姿の紬と鴎、夏海ちゃんが居間を抜けて台所に向かっていった。紬のストレートヘアーって、普段は見ないから新鮮だよな。

 

 ……ところで、なんで夏海ちゃんまで浴衣を着てるんだろう。確かに皆、どことなく艶やかに見えるけど。浴衣美人って言うのかな。

 

「それじゃ羽依里、先にお風呂入っていいよ?」

 

 他の皆が出たからだろうか、しろはから入浴の許可が出た。

 

「あれ? 羽依里はしろしろと一緒に入るんじゃないの?」

 

「だから、入らないし!」

 

 さっき以上に顔を赤くしたしろはから、俺は追い出されるように廊下に出されたのだった。

 

 

 

 

 俺の後に入浴を済ませたしろはが居間に戻ってきた頃、いよいよ本格的に雨風が強くなってきた。幸い停電はしていないけど、時折強い風を受けて、家全体がガタガタと揺れてる気がする。

 

「それじゃ皆、そろそろ休もうか」

 

 いつもよりは早い時間だけど、こういう時は早く寝てしまうに限る。ニュースによると、かなり台風の足が速くなったらしく、夜のうちには過ぎ去ってしまうとのことだ。

 

 居間の明かりを消した後、雨戸が閉まって薄暗い廊下を歩き、自室の前で皆と別れる。

 

「タカハラさん、おやすみなさいです!」

 

「おやすみー」

 

「なっちゃん、眠くなるまでお話ししようね!」

 

「はい! 羽依里さん、おやすみなさい!」

 

「皆、おやすみ」

 

 夏海ちゃんの部屋に消えていく皆に手を振り返した後、自分の部屋に入って布団を敷く。

 

「……それにしても、夏海ちゃんの部屋に五人か。寝られるのかな」

 

 確か、夏海ちゃんの部屋はこの部屋と同じくらいの広さだったはずだし、ちょっと狭いかもしれない。

 

「五人じゃないよ。四人だよ」

 

「え、そうなの?」

 

「うん。でも皆は荷物もあるし、まだ狭いと思う」

 

「でも、たぶん紬は夏海ちゃんにむぎゅーっとしてると思うし……って、しろは!?」

 

 至って自然に振る舞っていたけど、俺の隣でしろはがいそいそと布団を敷いていた。

 

「……あの、シロハさん? 何をしてるですか?」

 

 動揺してつい、紬っぽい口調になってしまった。

 

「その、羽依里に変な気を起こされたら困るから。夜も同じ部屋で見張らないと」

 

 そう言いながら、敷き終わった布団の上にちょこんと座る。浴衣姿だし、石鹸のいいにおいがする。

 

 ……ごめん。このままだと、しろはに対して変な気を起こしちゃいそうなんだけど。

 

「でもこれってさ、結局、俺としろはが同じ部屋で一夜を過ごすことになるんじゃ……」

 

「……あ。ああああっ!?」

 

 俺の言葉を聞いて、急にわたわたし始めた。自ら招いた状況に、今更気づいたんだろうか。

 

「お、狼……?」

 

「いや、ならないから! そういうのはわきまえてるつもりだから!」

 

「で、出てって!」

 

 耳まで赤くしてそう言う。出て行けって言われても、ここ、俺の部屋なんだけど。

 

「お、狼さんは出てって!」

 

「わ、わかった。わかったから!」

 

 しろはが立ち上がって、俺の服を引っ張って無理矢理立たせようとする。

 

 うう、この際しょうがない。最悪、居間でも寝られるだろうし。

 

 俺は枕だけ持つと、しぶしぶ立ち上がり、ふすまを開ける。

 

 

「……あ」

 

「え?」

 

 すると、目の前に鴎がいた。その後ろには、他の三人の姿も見える。

 

「あれ。皆どうしたの?」

 

「えっとね、夏海ちゃんの部屋で、今日はまるで修学旅行みたいねって話になったのよ」

 

 俺の問いに答えてくれたのは、一番後ろにいた蒼だった。確かに、この感じは修学旅行に近いかもしれない。

 

「そうしたら、夏海ちゃんがすごく食いついて来てね。いろいろ話をしてるうちに、修学旅行で夜の定番と言えば、枕投げだって話をしたの」

 

 枕投げ。確かに小学生の時は先生に怒られるまでやった記憶があるけど。

 

「それで、なっちゃんがやってみたいっていうから、お手本を見せてあげようと思って!」

 

 鴎がそう話を引き継ぐと、俺の眼前にいた四人は背中に隠し持っていたらしい枕を一斉に構える。

 

「というわけで、二人のラブラブ空間を壊しに来たわよー!」

 

 蒼がそう言うと同時に、中途半端に開いていたふすまが完全に開け放たれて、紬と夏海ちゃんが躍り込んできた。

 

「待って! 俺たちは戦う気なんてないから!」

 

「そう言いながら、枕持ってるじゃないですか! 羽依里さん、いきますよ!」

 

 夏海ちゃんは俺の持っている枕を一瞥した後、大きく振りかぶる。

 

「いや、この枕は違うんだけど……うわっ!」

 

 直後に枕が高速で飛んでくる。鳥白島チャーハンズのピッチャーとして鍛えた腕だ。俺は身を翻し、ギリギリのところでその枕をかわす。

 

「……わぷ!?」

 

「あ」

 

 しかし、俺が避けたことで、枕はその先に居たしろはを直撃した。枕だから柔らかいんだけど、ぼふってすごく良い音がした。

 

「ううう……」

 

 しろはがその顔に張り付いた枕を両手で剥ぎ取って、頭をぶんぶん振る。

 

「ほら、しろはも驚いてるじゃない。皆、悪ふざけはほどほどに……」

 

「……夏海ちゃん、よくも、やってくれたなっ」

 

 しろははおもむろに立ち上がると、持っていた枕を夏海ちゃんへ投げ返した。ええ、そこでやり返しちゃうんだ。

 

「ひえっ」

 

 そして夏海ちゃんが素早い身のこなしでその枕を避けると、枕はその背後にいた紬を直撃した。

 

「……むぎゅ!?」

 

「あ、紬さん!」

 

 紬は勢いに負けて尻もちをついていた。大丈夫かな。

 

「なっちゃん、あおあお、ツムツムの弔い合戦だよ!」

 

 そう言いながら、そのタイミングで鴎と蒼も部屋に乗り込んできた。もうめちゃくちゃだ。

 

「ちょっと待って鴎、近所迷惑だぞ!?」

 

「台風だし、近所迷惑もなにもないよ!」

 

 ……まぁ、確かにそうかもしれないけど。

 

「と言うか、お前は修学旅行行ったことあるのか!?」

 

「ないけど、枕投げは知ってるよ! ふたりとも、覚悟!」

 

 いつの間にか紬の枕も持っていたらしい鴎が、二つの枕を同時に投げてきた。

 

「おっと!」

 

「ほい!」

 

 しかし、片手で投げたということもあって大して威力はなく、俺もしろはもタイミングを合わせて、その枕を受け止める。

 

「スキあり―! うりゃあっ!」

 

 その時、蒼が飛び込んできた。しまった。俺は両手が塞がっているし、次の攻撃は防げない。

 

「させないよ! えい!」

 

 その様子を見て、しろはが持っていた枕を蒼に向けて投じる。

 

「わっぷ!?」

 

 その枕は蒼の顔面を捉え、視界を完全に覆ってしまう。

 

「わわわわ」

 

 視界を奪われた蒼はその勢いのまま進み、布団に足を取られる。

 

「ひゃあああーーーー!?」

 

 そして叫び声をあげながらまっすぐ俺の方に倒れてきた。嘘だろ。

 

「ちょっと、危ない!」

 

 俺はとっさにその身体を支えながら、布団の上に倒れ込んでしまう。

 

 

 

 

 ……その時、何の前触れもなく、部屋の電気が消えた。

 

「へっ? 何? 停電?」

 

 俺のすぐ耳元で蒼の声がする。

 

「あっちゃー。ついに消えちゃったねー」

 

 遠くの方で鴎の声がした。さすがに停電したことで、皆冷静になったみたいだ。

 

「皆、危ないから動かないで。今、明かりをつけるから」

 

 俺はそう皆に伝え、暗闇の中を手探りで懐中電灯を探す。確か、いざという時のために、この辺に置いといたんだけど。

 

「えーっと」

 

「ひゃあっ、ちょっと羽依里! どこ触ってるのよ!?」

 

「え?」

 

 そうだった。真っ暗でわからないけど、俺の隣には蒼が倒れてるんだった。

 

「おかしいな。懐中電灯、ここら辺に置いといたんだけど」

 

「わひゃっ……ちょっと、だから、撫でまわさないでよっ……!」

 

 ……触る限り蒼しかいない気がする。懐中電灯、どこいったんだろう。もしかして、枕投げをしたせいでどこかに転がって行ってしまったのかも。

 

「……ちょっと羽依里?」

 

「ご、ごめん。そんなつもりじゃ」

 

 しろはの恐い声が聞こえた。うう、わざとじゃないのに。

 

「そうだ。こういう時のために、廊下にも懐中電灯を出しておいたんだ」

 

 俺はゆっくりと立ち上がって、壁伝いに廊下を目指す。

 

 停電前の皆の位置は記憶してるし、このまま行けば、難なく廊下に出れるはずだ。

 

「ひえっ!?」

 

 ……あれ? すぐ近くで鴎の声がした。そして、手のひらに謎の弾力を感じる。

 

「ちょっと羽依里、そこはダメ……」

 

「……羽依里!?」

 

「ご、ごめん!」

 

 手のひら全体でむごっほを感じていると、しろはの語気が一層強くなった。俺は慌てて手を離す。

 

 ……というか、鴎は壁際にはいなかったはずだけど。まったく、勝手に動かないでほしい。

 

「……やっぱり、狼さんになってる」

 

「なってないから! 全部不可抗力だから!」

 

「ツムツムとなっちゃんも気をつけて!」

 

 そこで鴎がそんなことを言う。何もしないから!

 

 俺はそんな事を考えながら、ようやく廊下へ達する。ふすまの脇に置いといた懐中電灯を手に取ったところで、外から強い光が当てられた。

 

「え、なに?」

 

 俺が思わず振り返ると、雨戸の隙間から懐中電灯の光が差し込んでいた。そういえばあそこ、雨戸の枚数が足りなくて少し隙間が空いていたんだっけ。

 

「お前たち、何をしている!?」

 

 続いて、その隙間から窓を叩く音がした。光が眩しくて姿はよく見えないけど、あの声には聞き覚えがあった。

 

「え、のみき!?」

 

 俺は思わず窓に近寄って、少しだけ隙間を空ける。当然、若干の雨風が吹き込んできた。

 

「こんな時間に見回りか? 大変だな」

 

 のみきは、まるで赤ずきんちゃんみたいな赤いカッパを身にまとっていた。俺はそんなのみきに労いの言葉をかける。

 

「たまたま見回りに来てみれば、お前たちの声が聞こえてな。気になって来てみたんだ」

 

「え、声?」

 

「ああ。何を大騒ぎしていたんだ? この雨風の中、表にまで聞こえていたぞ」

 

 のみきはそう言いながら、手に持っていた懐中電灯で室内を照らし……笑顔のまま固まった。

 

「え、どうしたの?」

 

 俺も振り返るようにのみきの視線を追って……絶句してしまった。

 

 懐中電灯の明かりに照らし出されたのは、自分の胸を押さえている蒼と鴎。その隣で抱き合う紬と夏海ちゃん。そして真っ赤な顔をしているしろはだった。うん、見ようによっては、俺が暗闇に乗じて皆にひどいことをしようとしていたように見えなくもない。でも、偶然だから。違うんだ。俺にそんな度胸はないから!

 

「のみき、これは誤解なんだ」

 

 俺はのみきの方に向き直り、両手を上げながらそう弁解する。

 

「ほう。この状況を見て、何が誤解だというんだ?」

 

 のみきは目を光らせながら、窓の隙間からハイドログラディエーター改を差し入れてきた。ここで発砲されたら、部屋が大変なことになってしまう。

 

「いや、そのあの……」

 

 

 ……いざという時は、これで美希ちゃんを釣れますよ。

 

 

 俺はその時、藍の言葉を思い出した。

 

「そ、そうだ。台風の中頑張っているのみきに、渡したいものがあるんだ。駄菓子屋のおばーちゃんが漬けた梅干しなんだけど」

 

「な、なに?」

 

「取ってくるから、ちょっと待っててくれ」

 

 のみきが動揺したのを見逃さず、俺は懐中電灯を手に台所へダッシュする。そして冷蔵庫にしまっておいた梅干しの半分を空き瓶に詰め込んだ後、のみきの元に戻ってくる。

 

「この梅干し、のみきが好きだって聞いてさ。良かったら」

 

「え? ああ。すまない。そうか。駄菓子屋のおばーちゃんの梅干しか……」

 

 のみきは嬉しさを隠せてない。さっきまでの鬼の形相がウソのように、笑みがこぼれている。藍の言葉の通り、これは助かったかもしれない。

 

「……しかし、それとこれは話が別だ」

 

 ……否、助かってなかった。俺は再び両手をあげる。

 

「の、のみき、待って」

 

 その時、助け舟を出してくれたのはしろはだった。

 

「今回の件は私の不手際なの。後でしっかりと言って聞かせるから、今は武器を納めて」

 

「いや、しかし……」

 

「お願い」

 

 俺の隣ににじり出てきて、のみきにそう懇願してくれた。

 

「……わかった。しろはがそこまで言うのなら、今回はお咎めなしとしよう」

 

 しろはの真摯な思いが伝わったのか、のみきはため息交じりにそう言ってハイドロ砲を納めると、懐中電灯の向きを変えて、闇夜の中に消えていった。

 

「ほっ……」

 

 誰からとなく胸をなでおろす。その後、俺は静かに窓を閉めた。

 

「そ、それじゃあ私たちも、そろそろ寝よう!」

 

「お、おじゃましましたー」

 

 さすがに悪ふざけが過ぎたと思ったんだろうか。のみきがいなくなると同時に、鴎たちもそそくさと部屋に戻っていった。

 

 そして、部屋には俺としろはだけが残される。

 

「た、助かったよ。しろは、ありがとう」

 

 俺は安堵して、しろはの方を向いてお礼を言う。

 

「……うん。それはいいから、ちょっとこっちに来て正座して」

 

「えっ?」

 

「早く」

 

 しろはは俺の手から懐中電灯を奪い取って、部屋の中を差し示す。俺は言われるがままに部屋の中へ移動して、正座をする。

 

「あのね羽依里、いくらなんでも、やっていいことと悪いことがあるんだよ」

 

 その後、俺はしろはにこんこんと怒られる羽目になった。下方から照らされる懐中電灯の明かりも相まって、すごく怖い。

 

 でも、今回俺はそこまで悪くないと思う。枕投げを仕掛けてきたのは鴎たちだし、停電も偶然だし、不可抗力のオンパレードだったのに。

 

「それに、蒼が俺の方に倒れ込んできた原因を作ったのは、しろはの投げた枕が……」

 

「なに?」

 

「いえ、何でもないです……」

 

 ……反論の余地もなさそうだった。

 

 結局、しろはにひたすら頭を下げ続けながら、嵐の夜は更けていったのだった……。

 

 

 

 

第三十九話・完




第三十九話・あとがき


おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
今回は鳥白島に台風が来た話でした。夏休みとはいえ、こういう時もあるんじゃないかと思いまして。普段とは一風違った鳥白島を見ていただけたら嬉しいです。

それにしても台風の来襲、紬にとっては本当に死活問題だと思いますw
台風の中、灯台で一人過ぎ去るのを待っているのを思い浮かべると、とても可哀想になってしまったので、今回のように加藤家に皆を無理矢理集めてワイワイ賑やかな台風避難を書いてみたくなったのです。

また、内容と前後しますが、出店のネタも久しぶりにやりました。鴎が射的が得意なのはずっと書きたかったネタなので、書けて満足していますw

そして一番気になったのは、夏海ちゃんのおかーさんからの電話だと思います。ちょっとだけストーリー進めました。
気になるとは思いますが、ゆくゆく明らかにしていくつもりですので、楽しみにされてください。


■今回の紛れ込みネタ

・テレビの気象予報士とキャスター……Rewriteより、江坂さんと静流のコンビです。ゲスト出演ですw

・長森ミルクキャラメル……ONEより、牛乳好きな瑞佳のネタですw

・リゾンベだっ!……CLANNADより、某ヘタレのセリフですね。

以上になります。いくつお気づきになられたでしょうか。
今回も、最後まで読んでいただいてありがとうございました!
感想など頂けましたら、泣いて喜びます。
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