Summer Pockets #2   作:トミー@サマポケ

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第四十話 8月24日

 

 

 ……朝。身支度を終えた四人が家に帰るということで、夏海ちゃんと玄関まで見送りに出る。

 

「羽依里、なっちゃん、お世話になりました!」

 

「おかげでカイテキでした!」

 

「ああ、何事もなくて良かったよ……」

 

「……どうしたの羽依里、目の下、クマできてるよ?」

 

 鴎がそう言いながら、俺の目の下を指差してくる。

 

「むぎゅ? クマですか?」

 

 何故か紬が反応していて、不思議そうに俺の顔を見てきた。クマが珍しいんだろうか。

 

「うん。色々あって、あまり眠れなかったんだ」

 

「あー、風とかすごかったしねー」

 

 そう言って笑う蒼は髪が結われておらず、ストレートのまま。それでいて、左右に思いっきりハネていた。自分の家とは違うし、上手くセットできなかったんだろうか。

 

「皆さん、また来てください!」

 

「うん! 台風が来たら、またお世話になりに来るよ!」

 

 鴎、縁起でもないこと言うのやめて。そう何度も台風に来られたら困るから。

 

「むー……」

 

 ちなみに皆とそんな話をしている間、しろははずっとむすっとしていた。夜通し散々謝ったんだけど、まだ怒ってるんだろうか。

 

「それじゃあねー!」

 

「羽依里、夏海ちゃん、お世話になりました」

 

 しろはの顔色をうかがっていると、四人はそれぞれ挨拶を済ませ、鴎を先頭に傘を差しながら加藤家を後にしていった。

 

「なんだかんだで、皆楽しんでくれたみたいで良かったね」

 

「そうですね!」

 

 そう笑顔で言う夏海ちゃんも、なんだかやつれていた。

 

「……もしかして夏海ちゃん、あまり眠れてない?」

 

「……実は、あの後部屋に戻ったら、鴎さんが怖い話を始めたんです」

 

 停電による暗闇の中、下から懐中電灯で自分の顔を照らしながら、だみ声で怖い話をしている鴎が容易に想像できた。

 

「今夜は寝かせないよ……って言われました」

 

「色々語弊のある言い方だなぁ……」

 

「でも、一番に寝落ちたのは鴎さんでした」

 

「え、そうなの」

 

「はい。おかげでその場はお開きになったんですが……夜中に悪夢にうなされて目が覚めたら、左右から紬さんと鴎さんに抱きしめられてまして」

 

「うあー……」

 

 紬が夏海ちゃんに抱きつくのは予想していたけど、まさか鴎もなんて。

 

「ちなみに、悪夢ってどんな夢?」

 

「大きなパリングルスとパリンキーに左右から押しつぶされる夢です」

 

 あの二人に抱きつかれたなら、そんな夢を見てしまう気持ちも分かる気がする。

 

 眠たそうに目をこすりながら、あくびを噛み殺す夏海ちゃんを見ながら、そんな事を思っていた。

 

 

 

 

「それで、今日のラジオ体操ですけど……」

 

 居間に戻った後、夏海ちゃんは壁の時計と窓の外を交互に見やる。

 

 台風は過ぎ去ったけど、雨雲は残されているみたいで、今日も朝から雨だった。どう見てもラジオ体操は休みだろう。

 

「……はぁ」

 

 夏海ちゃんは心底残念そうにため息をついて、力なく畳の上に座り込む。やっぱり、夏休みの朝と言えばラジオ体操だし、二日続けて休みとなると、それはそれで物悲しくなる。

 

「……よし。それじゃ、俺たちだけでラジオ体操をやろう!」

 

 だから、俺はそう提案していた。

 

「え、いいんですか?」

 

「うん。二日もラジオ体操やってないと、俺の身体もなまっちゃいそうだしさ」

 

「ありがとうございます!」

 

 夏海ちゃんは嬉しそうに立ち上がった。スタンプもログボもないけど、たまにはこういうのも良いかもしれない。

 

「じゃあ、今日は羽依里さんがラジオ体操大好きさんなんですね!」

 

「そ、そう。ラジオ体操大好き羽依里だよ」

 

 言ってからしまったと思ったけど、今更取り消せない。

 

「それじゃいくよ……第一の体操! 耳介筋の鍛錬!」

 

「はい!」

 

 夏休みの間、ほとんど毎朝繰り返した体操を思い出しながら、二人で体操を始めた。

 

「第二の体操! 横隔膜の振動! うるああーーー!」

 

「うるああーーー!」

 

「続いて第三の体操! 一秒間! 真剣な目!」

 

 

 

 

 ……こんな感じで、二人でひとしきりラジオ体操を楽しんだ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「羽依里さん、今朝のチャーハンの具はどうしますか?」

 

 その後、朝ごはんの準備に取りかかった夏海ちゃんは、エプロンの紐を結びながらそう聞いてきた。

 

「うーん、そうだね……」

 

 ラジオ体操はやってみたけど、当然ログボはないし。俺は悩みながら、夏海ちゃんと並ぶようにして冷蔵庫を開ける。

 

「あ、昨日蒼さんからもらった梅干しがありますね!」

 

 直後に夏海ちゃんが声を弾ませながら、冷蔵庫からタッパーを取り出していた。

 

「確かこの梅干し、すごく美味しいって言ってたっけ。おにぎりに入れて、お味噌汁とや漬物と食べると最高らしいよ」

 

「じゃあ、今日はこれでうめチャーハンを作ります!」

 

 遠回しにチャーハン以外の朝食を勧めてみたけど、駄目だった。すでにチャーハンモードみたいだ。

 

「いいね、うめチャーハン。さっぱりしてそうだし」

 

 俺は諦めて、夏海ちゃんの意見に賛同した。そういえば、全国チャーハン博覧会でも同じチャーハンを見かけた気がする。和歌山県のご当地チャーハンだっけ。

 

「ちゃちゃっと作っちゃいますので、居間で待っていてくださいね!」

 

 もう頭の中に調理のイメージが浮かんでいるんだろうか。裏ごし器を手にした夏海ちゃんの言葉に押されるように、俺は居間へと戻ることになった。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 俺が居間に戻ると同時に、玄関から鏡子さんの声が聞こえた。

 

「鏡子さん、おかえりなさい」

 

 玄関まで迎えに出ると、鏡子さんは脱いだカッパを玄関先のフックに吊るしているところだった。

 

「大丈夫ですか? 大変でしたね」

 

「うん。ようやく終わったよ」

 

 鏡子さんはそう言いながら、玄関に腰掛けて長靴を脱ぐ。

 

「特に被害はなかったですか?」

 

「うん。大きな被害はなかったよ。所々で、小さな被害があったくらいかな」

 

「小さな被害って、どんな?」

 

「いつものように田中さんちの屋根瓦が何枚か風で飛んだり、高橋さんちの植木鉢が風で塀から落ちて割れたくらいだよ」

 

 笑顔で言っている辺り、本当にいつものことらしい。大きな被害がないということは、裏を返せば島民の台風に対する備えが徹底しているということだし。

 

「海もまだ荒れてて、午前中は船が出ないって話だよ。海に近づくことがあったら、気をつけてね」

 

「わかりました」

 

 ……鏡子さんとそんな話をしていると、近くの電話が目に留まった。

 

「……あ」

 

 ふいに、昨日の記憶が蘇る。夏海ちゃんのおかーさんからの電話。結構気になる内容だったはずなのに、なんで忘れてたんだろう。

 

「……鏡子さん、ぶしつけなんですけど」

 

「え? どうしたの?」

 

 ……本来、鏡子さん宛ての電話だったし。当の本人なら、何か知ってるかも。

 

「昨日の夕方、電話があってですね」

 

「電話? 誰から?」

 

「それが、出てみたら夏海ちゃんの」

 

「あ。鏡子さん、おかえりなさい!」

 

 しかし、俺の言葉は背後から飛んできた夏海ちゃんの声に遮られてしまった。

 

「ちょうど朝ごはんを作っていたところなんです! 鏡子さんも一緒に食べませんか?」

 

「それじゃ、ごちそうになろうかな。実は、晩ごはんも食べてなくてね」

 

「はい! きちんと手を洗ってから、居間で待っていてくださいね! 今日も自信作ですよ!」

 

「うんうん。期待してるからね」

 

 台所へ戻っていく夏海ちゃんを追うように、鏡子さんも洗面所の方へ行ってしまった。話を続けるタイミングを逃した俺は、妙な気持ちのまま居間に戻ることになった。

 

 

 

 

「それじゃ、いただきまーす」

 

 数分後。食卓に三人で座り、夏海ちゃんが作ってくれたうめチャーハンをいただく。

 

「うん。美味しい」

 

 どうやら、裏ごしされた梅干しがご飯と混ぜてあるらしく、梅の香りと程よい酸味がバランス良く全体に染みている。そして大き目の梅肉も入っていて、強さの違う酸味と食感が良いアクセントになっている。

 

「夏海ちゃん、おいしいよ」

 

「えへへ、ありがとうございます!」

 

 鏡子さんにも褒められて、夏海ちゃんもニコニコ顔でチャーハンをほおばっていた。本当にさっぱりしてるし、これは最高の朝チャーハンかもしれない。

 

「そうだ二人とも、朝ごはんを食べた後、雨戸を片付けるのを手伝ってもらっていいかな?」

 

「雨戸ですか? いいですよ」

 

「はい! お手伝いします!」

 

 鏡子さんからの提案を、俺も夏海ちゃんも快諾する。雨は降ってるけど、風の方はもう心配ないだろうし。暗い室内を少しでも明るくしたかった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「よいしょっと」

 

 ……朝食を済ませた後、三人で手分けして雨戸を片付ける。

 

 海沿いの家だと潮風を受けるから、片付ける前に真水で雨戸を洗う必要があるらしいけど、加藤家は塀に守られてる分、そこまでしなくて良いらしい。

 

「ねぇ、羽依里君」

 

 家の裏手に回って台に登り、高い所の雨戸を片付けていると、背後から鏡子さんに声をかけられた。

 

「え? なんでしょう」

 

「さっき傘立てを見たら、深緑色の傘が無くなってたんだけど。昨日泊まった誰かが、間違えて持って帰っちゃったのかな?」

 

「あ。えーっと、その傘はですね……」

 

 俺は台から降りて姿勢を正すと、昨日深緑色の傘を襲った悲劇について、鏡子さんに全てを打ち明けた。

 

「……と言うわけなんです。すみません」

 

 そして、深々と頭を下げる。あの深緑色の傘は今頃、鳥白島近海の海底に沈んでいるはずだ。

 

「そういうことなら、気にしなくていいよ。傘なら、蔵から出てきたのがたくさんあるし」

 

「え、たくさんあるんですか?」

 

「うん。すごく古いのもあるけど、使えないことはないから。適当な傘を見繕って、また傘立てに入れておくね」

 

「ありがとうございます」

 

「羽依里さーん! 天善さんから電話ですよー!」

 

 鏡子さんにお礼を言っていると、玄関の方から夏海ちゃんの声がした。天善から電話? 一体どうしたんだろう。

 

 

 

 

「よう天善、どうかしたのか?」

 

「鷹原か。実はな……」

 

 ……天善の話を要約すると、暇だったら秘密基地に遊びに来ないかというお誘いだった。

 

 その話を夏海ちゃんにしてみると、凄く乗り気だったので、二つ返事でOKした。

 

「確かに秘密基地なら屋根もあるし、天気を気にせず遊べるよね」

 

「はい!」

 

「二人とも、出かけることになったのかな? それじゃ、これ使って」

 

 ちょうど最後の雨戸を片付け終わったらしい鏡子さんが玄関に戻ってきて、俺用の黒い傘を手渡してくれた。

 

「ありがとうございます。それじゃ、出かけてきます」

 

「いってらっしゃい。私は少し眠ることにするよ」

 

 明らかに眠そうな鏡子さんに見送られながら、俺たちは秘密基地へ向かって歩き出した。

 

 思えば鏡子さん、昨日はほとんど徹夜してたんじゃないかな。だったら、俺たちがいないほうがゆっくり休めるかもしれない。

 

「羽依里さん、今度は傘を飛ばされないようにしてくださいね?」

 

「え? わ、わかってるよ」

 

 隣で赤い傘を差した夏海ちゃんが、その下から覗き込むように悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。もう風の心配はないと思うけど、念には念を入れないと。

 

 俺はそう考えながら、両手でしっかりと傘の柄を握りしめたのだった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「紬―――!」

 

 秘密基地に着くや否や、紬に泣きついている静久を目撃することになった。

 

 ちなみに、静久は何故かウシの着ぐるみ姿だった。

 

「ところで、静久はどうやって島に来たんだ?」

 

 確か、今日の午前中は海が荒れていて船が出ないって話を聞いたばっかりなんだけど。

 

「それがね……聞いてよ、パイリ君!」

 

 静久は目の下にできたクマを隠すこともなく、俺にギリギリまで近づいてきた。なんか、豊満なものが当たってる気もする。

 

「昨日は台風が近づいていたから、一度は島に行くのを諦めたんだけどね……」

 

 うんうん。それは聡明な判断だと思う……って、一度?

 

「前に紬が、台風の時は灯台で耐え忍びます! って言っていたのを思い出してね」

 

 昨日、俺も港で聞いた話だ。どこかのタイミングで、静久も同じ話を聞いたんだろうか。

 

「その話を思い出したら、居ても立っても居られなくなったの。両親の制止を振り切って、夕方の最終便で島にやってきたの」

 

 えええ。夕方っていうと、もう波もそれなりに高かったはずだけど。よく船が動いたもんだ。

 

「強い風の中、なんとか島に上陸して、やっとこのことで灯台に辿り着いたんだけど……そこはもぬけの殻でね」

 

 その時間帯、たぶん紬は既に加藤家にやって来ていたはずだ。運悪く、入れ違いになってしまったらしい。

 

「いつ紬が戻って来るかもわからないし、戻ってきたら一番に優しく抱きしめてあげられるように、夜も寝ずに待っていたのだけど……結局紬は帰ってこないし。私は灯台にぶち当たる波や風に怯えながら、朝まで過ごす羽目になったのよー!」

 

 珍しく、静久が人目をはばからずに叫んでいた。聞けば聞くほど、可哀想な話だった。

 

「それでさっき、ようやく会えた紬に話を聞いたら、パイリ君たちと楽しくお泊り会をしてたって言うじゃない? 羨ましいわ!」

 

「むぎゅぎゅぎゅぎゅ……シズク、苦しいです!」

 

「まだよ! まだまだむぎゅーっとするの! 全然足りないんだから!」

 

 寂しかった昨夜のうっぷんを晴らすかのように、静久は紬を抱きしめ続けていた。紬成分を補給しているんだろうか。

 

 ……昨日、蒼に恋は盲目と言われたけど、静久は紬とおっぱいに対して盲目だった。これは、しばらく放っておこう。

 

 

 

 

 そして、改めて秘密基地の中を見てみると、先の二人や俺と夏海ちゃんの他に、電話をかけてきた天善、良一、空門姉妹、そして鴎やしろはまで、島の仲間のほとんどが集まっていた。

 

「……大集合だな」

 

「私たちも、天善ちゃんから電話をもらったんですよ」

 

「まぁ、どーせ暇してるしねー」

 

「たまには、冒険してみようと思って!」

 

「そんな鴎に捕まっちゃって」

 

 理由はそれぞれ違うようだけど、秘密基地にこれだけの人数が集まるなんて。珍しいこともあるもんだ。

 

 でも、その中にのみきの姿はなかった。鏡子さんと同じく一晩中役所に詰めていたはずだし、さすがに家で休んでるんだろう。

 

「そう言えば、天善や良一は昨日どうしてたんだ?」

 

 適当に床の上に座りながら、二人にそう聞いてみる。

 

「俺は昨日も徹卓をしていたな」

 

「え、うそだろ!?」

 

 天善は何でもないといった様子でラケットを構えていた。山の中とはいえ、それなりに雨も風もあったはずだけど。

 

「夜は停電もしただろ?」

 

「当然だ。だが、闇夜の中でやるトレーニングほど心が鍛えられるものはない」

 

 さすが天善。全てをトレーニングと捉える卓球脳だった。

 

「……お泊り会に徹卓と、お前ら楽しそうだよなー。俺なんかよー」

 

 良一は俺と同じように床に座って、駄菓子屋で買ってきたらしいコーラを飲みながら、ブツブツと何か言っていた。なんだろう。目が赤い気がする。

 

「……良一、何かあったのか?」

 

「ああ。羽依里、聞いてくれ……」

 

 良一が語った内容によると、彼は一晩中、島の漁師たちと一緒に漁船の見張りをしていたそうだ。

 

 港近くの倉庫を借りて、係留されている漁船の様子を時々見に行く……そんな仕事だったらしい。

 

 でも、夜も更けて来ると他の漁師たちは多少なりとも酒が入り、学生で唯一素面の良一に対して、色々と絡みだしたとか。

 

「ガタイの良い漁師たちに囲まれてよ。逃げることもできずに、俺は無限の悲しみを味わう羽目になったんだぜ……」

 

 そこまで言うと、残っていたらしいコーラを一気に飲み干す。飲んで忘れたいほどの光景だったんだろう。

 

「朝に帰宅したら、珍しく妹が慰めの言葉をかけてくれたしな。よっぽど顔に出てたんだな」

 

 良一は大きくため息をついていた。哀れだった。

 

「予め脱出方法を用意しておかないからですよ。良一ちゃんが無計画だからそんな目に遭うんです。アホですか?」

 

 そんな良一を藍が一刀両断していた。アホとまで言わなくても。

 

「……ところで天善君、呼ばれたから来たけど、今からここで何かするの?」

 

 その時、しろはが周囲の状況を見ながら、おずおずと声をあげる。彼女にしてみれば、鴎の冒険に付き合わされてる形になってるんだし。何もないのなら、帰りたいのかもしれない。

 

「ああ。この天気で皆退屈しているだろうし、卓球大会をやろうかと思ってな」

 

 その質問を待っていたかのように、天善がミニ黒板を持ち出してくる。そこにはトーナメント表が書かれていた。

 

 用意周到に番号の書かれた棒もある。これを引いて、組み分けを決めるんだろうか。

 

「え、卓球大会なの?」

 

「天善ちゃん、相変わらずの卓球脳ですね」

 

 直後、空門姉妹から不満そうな声が漏れた。特に藍の方は、あからさまに嫌そうだ。

 

「そう言わずに蒼、久しぶりにやってみないか?」

 

「卓球わねー。やってもいいんだけど、ちょっと嫌な思い出があるのよねー」

 

 天善に誘われながら、蒼は頭を抱えていた。どうしたんだろう。駄菓子屋がどうとか言ってる。

 

 俺としては、皆と卓球やってみたい気持ちもあるんだけど。なんとなく、やりたいって言える雰囲気じゃない。

 

「夏海はどうだ? 皆と卓球、やってみたくないか?」

 

「え?」

 

 状況が芳しくないのを見てか、天善は夏海ちゃんに話を振った。たぶん、天善はこの卓球大会を今日のイベントにしたいんだ。ここで夏海ちゃんがやりたいと言えば、誰も断れなくなるし。

 

「え、えーっと、その……」

 

 天善からラケットとピンポン玉を差し出されながら、夏海ちゃんは視線を泳がせていた。

 

「夏海ちゃん、こういう時は周りに流されず、自分の意志を貫くことも大事ですよ?」

 

 天善の背後から、藍がそう夏海ちゃんに話しかけていた。やりたくないオーラ全開で、めちゃくちゃ怖い。藍おねーちゃん、やめてあげて。

 

「……や、やりたいです!」

 

 しかし、夏海ちゃんはそんな藍の圧力に屈せず、卓球大会への参加を表明した。夏海ちゃん、頑張ったね。

 

「……むう。そう言われてしまっては、断れないじゃないですか」

 

「……うん。夏海ちゃんがやりたいなら、しょうがないね」

 

「天善、ラケットどこにあるのー?」

 

「あ、ああ、そこの箱の中にいくつかある。好きなのを使ってくれ」

 

 夏海ちゃんの言葉を受けて、皆もやる気になってくれたみたいだ。藍もやりたくないオーラをひっこめて、蒼と一緒にラケットを探し始めた。

 

「ポン!」

 

 ……その時、秘密基地の隅の方から聴き慣れた鳴き声がした。

 

「あれ、イナリ?」

 

 いつの間にかイナリがやってきていた。秘密基地は隙間だらけだし、どこからか入ってきたんだろう。

 

「もしかして、イナリも卓球をやりたいのか?」

 

「ポポーン!」

 

 入れて―。と言っている気がした。以前、天善と卓球をしているのを見たことがあるし、実力は申し分ないだろう。

 

「天善、イナリも参加させていいか?」

 

 雨でずぶ濡れになっていたイナリを、適当な布でわしゃわしゃと拭いてあげながら、天善に聞いてみる。

 

「ああ、構わない。卓球をやりに来る者を拒みはしないさ」

 

 天善は満面の笑みで了承してくれた。あれだけ笑顔の天善を、俺は初めて見たかもしれない。

 

「ところで天善ちゃん、この卓球大会の優勝賞品ですけど『優勝者はここにいる誰か一人に、なんでも一つだけお願い事ができる』というので良いですか?」

 

「ああ。なんでもいいぞ。任せる」

 

 天善は皆で卓球をできるのが嬉しいのか、藍からの質問も上の空で返していた。ちょっと待って。それって優勝者によってはかなりハードなこと要求されそうで怖いんだけど。

 

「ねぇねぇ、それってどんな無茶なお願いでもいいのかな?」

 

 その話に、鴎が食いついてきた。そしてその視線の先は、何故か俺に向いている。

 

「はい。主催者公認ですからね。これはもう、優勝者のお願いは絶対ですよ」

 

 藍、それってもはやお願いじゃなくて、命令だと思うんだけど。

 

「そう……そういう事なら、私も本気で優勝を目指さなきゃいけないわね」

 

 俺の背後で、静久が俄然やる気になっていた。そして、その目は紬を捉えている。

 

「むぎゅ!?」

 

 その視線に謎の恐怖を感じたのか、紬は反射的に近くにいた夏海ちゃんに抱きついていた。

 

「ふふ。これで私が優勝すれば、蒼ちゃんにあんな格好させたり、こんな格好させたりできますね」

 

 一方で、藍は小さな声で何か言いながら、蒼を見ていた。たぶん今の状況、全て藍の思惑通りに事が進んでいそうな気がする。

 

「よしよし、じゃあまずは組み分けを決めよう。皆、引いてくれ」

 

 優勝賞品に対する不安が消えないうちに、天善が組み分け用のくじを俺たちの方に差し出していた。これはもう、逃げられそうにない。

 

 俺は意を決して、一番にくじを引いた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「えーっと、しろはと鷹原、俺と水織先輩、藍と良一、蒼と鴎、紬と夏海……」

 

 くじ引きで決まった一回戦の組み合わせを、天善がミニ黒板へと書き記していく。

 

 ちなみに参加人数の関係上、一回戦免除となったのはイナリだ。イナリは二回戦からの登場で、紬と夏海ちゃんの試合の勝者と対戦することになった。

 

「試合は11点先取の一本勝負。デュースあり。サーブは通常二本交代だが、デュースになった場合は一本交代だ」

 

 天善が試合のレギュレーションを説明してくれている。さすが手慣れている感じがする。

 

 ちなみにデュースというのは、お互いの得点が10-10となった場合、2点差がつくまで勝負を続けるというルールだ。

 

「ルール説明は以上だが、最後に重要なことを一つ。ラケットを破壊した選手はその場で反則負けになるから、覚えておいてくれ」

 

「え、なにそれ」

 

「貴重なラケットだからな。スペアを含めて、そこまで数もないんだ」

 

 天善の言うことはもっともだけど、ラケットが壊れる状況ってどんな状況だろう。

 

「それではさっそく試合を始めよう。一回戦第一試合、しろはと鷹原。用意してくれ」

 

 どうやら、各試合の審判も天善がやってくれるらしい。俺はその天善からラケットを受け取りながら、しろはと対峙する。

 

「よろしくね、羽依里」

 

「ああ、こっちこそ」

 

 うう、くじ引きだから文句は言えないけど、一回戦からしろはとの勝負になるなんて。どうせなら、お楽しみは最後に取っておきたかったんだけど。

 

「皆さん見てください。いきなり夫婦対決ですよ」

 

「「夫婦じゃないから!」」

 

 何か言ってきた藍に二人揃ってツッコミを入れる。初戦と言うこともあってか、皆が俺たちの試合に注目していた。

 

「それでは、試合開始!」

 

「……ほい!」

 

 天善の試合開始宣言がされ、しろはのサーブからゲームが始まる。

 

「よし、来い!」

 

 ……そのサーブは、ネットを超えて俺の陣地にワンバンした瞬間、変なカーブがかかっていた。

 

「え、ちょっと」

 

 俺は慌ててボールを追うけど、追いつけない。いきなりサービスエースを決められてしまった。

 

「0-1!」

 

「しろは、いきなり容赦ないわねー」

 

「本当ですね。初見であれは取れませんよ」

 

 しろはの得点が宣言される中、空門姉妹が揃って腕組みしながら、何か言っていた。

 

「なぁしろは、今のボールなに?」

 

「四天王サーブ」

 

「え?」

 

「……ほい!」

 

 思わず聞き返した瞬間、再びしろはのサーブが来た。俺はさっきボールが飛んできた位置に先回りして迎え撃つ。

 

「あれっ!?」

 

 しかし、四天王サーブはさっきと真反対の方向に曲がっていき、俺はまた追いつけなかった。しろはのモーションはさっきと全く同じだったのに。もしかして、四天王サーブって名前の通り、四種類の軌道を持っていたりするんだろうか。

 

「0-2!」

 

「シロハさん、すごく上手です!」

 

 紬が驚愕の声をあげていた。本当に上手だ。聞いたことなかったけど、しろはって卓球得意だったんだ。

 

「まぁ、能ある鷹は爪を隠すって言うしねー」

 

「べ、別に隠してないし!」

 

「それで、本物の鷹さんはいつまで爪を隠してるんですか?」

 

 藍がイナリのお腹をぐるぐると撫でまわしながら、俺の方を意味深な表情で見ていた。

 

「くそ、今に見てろよ」

 

 今度は俺のサーブだ。ラケットを水平に構え、しろはに向けてサーブを放つ。

 

「ほい!」

 

 サーブを受けたしろはは前のめりになりながら、即座にそれを打ち返す。速度はなかったけど、思いっきり左側を突かれて、反応しきれなかった。綺麗なカウンターだった。

 

「0-3!」

 

 あっという間に3点差だ。これはなんとかしないと。

 

「……ところで、羽依里は優勝したら、誰に何を願うの?」

 

 その時、しろはが俺にしか聞こえないような声でそう聞いてきた。

 

「え、特に決めてないけど」

 

 これまでの試合の流れを見るに、俺が優勝できる可能性は滅茶苦茶低そうだし。

 

「そうなんだ。私も特に決めてないの」

 

 まぁ、しろはも半分なりゆきで参加してるみたいなものだし。すごく強いけど。

 

「羽依里さん、頑張ってください!」

 

「羽依里、俺たちの過ごした修行の日々を忘れたのか!?」

 

 ……その時、夏海ちゃんと良一が俺を応援する声が聞こえた。ここは少しでも応援に応えないと。

 

「よし……今度こそ」

 

 そこでしろはとの会話を止めて、一呼吸おいてからサーブを打つ。さっきとはちょっと違う回転をかけて、しろはの左側を狙う。

 

「ほい!」

 

 それでもやっぱり、いとも簡単に返ってきた。結構全力で打ったんだけど。なんで返せるんだろう。

 

 そして戻ってきた球には、これまた変なカーブがかかってる。俺は軌道が読めず、ラケットを思いっきり空振ってしまった。

 

「0-4!」

 

「うう、悔しい……」

 

 サーブ権を持っていても、一点も取れなかった。まさか、ここまで一方的な展開になるなんて。

 

 対するしろはは、これだけのリードを奪っても顔色一つ変えない。昨日のトランプの時と同じく、ポーカーフェイスだった。

 

「今度は私の番だね」

 

 今度はしろはのサーブ。また四天王サーブが来るのか。

 

「……ほい!」

 

 しろはの放ったサーブが俺の陣地に落ちる。

 

「よし、こうなったら一か八かだ……チョレーーーイ!」

 

 ボールが再び浮き上がってきたタイミングに合わせて、俺は渾身のスマッシュを放つ。

 

「わっ」

 

 さすがのしろはも男のスマッシュスピードには反応できず、右側に決まった。ようやく1点を返した。ごめん。このまま負けるわけにはいかないんだ。

 

「……今の見ましたか? 女の子相手に容赦ないですね」

 

「本当よパイリ君! 相手は女の子なのよ!?」

 

「ケーベツします」

 

 しかし、スマッシュを打った直後、女性陣から総スカンを食らってしまった。うう、そこまで言わなくても。

 

「……天善ちゃん、ひとつ提案があるんですけど」

 

 その後、男子は女子との試合ではスマッシュを打っては駄目というルールが追加された。まさか、この期に及んでそんなルール変更なんて。

 

 

「ほい! 四天王サーブ・マークⅡ!」

 

「うわーーー! ボールが分身して見える―――!?」

 

 

「……ほい!」

 

「しまったーーー! エッジボールーーー!?」

 

 

 ルール変更によりスマッシュを封じられた俺は、反撃の術を失い、しろはにボコボコにされた。

 

 終わってみれば、2-11。完敗だった。

 

 

 

 

「さすがしろはねー」

 

「腕は衰えていないみたいですね」

 

 がっくりと床に座り込む俺を尻目に、島の皆がしろはの勝利を祝福していた。

 

「ねぇ、鳴瀬さんって卓球をやっていたことがあるの?」

 

「小さい頃、少しの間島の卓球クラブに通っていただけ」

 

「え、そんなのがあったのか?」

 

 ちょっと気になる内容だったので、俺はさっさと起き上がって静久としろはの会話に割って入った。

 

「うん。役所の隣に青年会館があったでしょ。そこの二階で卓球クラブをやってた時期があったの」

 

 そういえば、お祭りの準備の時に寄ったことがある。二階があるとは思っていたけど、卓球場だったのか。

 

「そこで堀田のおじーちゃんから色々なサーブを教わったの」

 

「ああ、だから四天王サーブですか」

 

 藍が納得顔で頷いていた。俺はよく意味が解らなかったけど。

 

 

 

 

 俺としろはの試合に続いて、二試合目。天善と静久の試合が開始される。

 

「私の試合ね。紬、応援していてね!」

 

「はい! シズク、頑張ってください!」

 

 ウシの格好をした静久はラケットを振り回し、やる気満々だった。やっぱり、藍の提案した優勝賞品が魅力的なんだろうか。

 

「天善! 鳥白島男子卓球部主将の力を見せてやれ!」

 

 良一が天善に向けて、そう声をかけていた。卓球部の存在自体初耳だけど、男子の中では一番の実力者だろうし、頑張ってほしい。

 

「どれだけできるかわからないけど、よろしくね。加納君」

 

「み、水織先輩! こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 ……天善は明らかに動揺していた。くじで決まったとはいえ、相手は静久。憧れの人だし、大丈夫だろうか。

 

「それではお二人とも、試合を始めてください」

 

 天善が試合に出るので、この試合の審判は藍が務めていた。その藍は至って冷静に、試合開始を促す。

 

「それじゃ、私からのサーブね! いくわよ、おっぱいサーブ!」

 

 静久はまるで双丘のような、謎の放物線を描くサーブを放つ。物理法則を無視してるような気がしないでもない。

 

「チョレーーーイ!」

 

 天善は気合十分にそのサーブを打ち返すけど、ネットに引っかかってしまった。これで0-1だ。

 

「……天善ちゃん、動揺してますね。さすがに相手が悪いですか」

 

 スコアボードをめくった後、藍がそう呟いていた。

 

「おっぱいサーーブ!」

 

 続く二回目のおっぱいサーブを受けた天善は、タイミングが合わず、思いっきり空振っていた。

 

「し、しまった……!」

 

「天善君、どうしたのかな。いつもらしくないね」

 

 しろはの言う通り、確かにいつもの天善らしくない。色々な意味で。

 

「……加納君、もしかして私のために、手を抜いてくれているの?」

 

「い、いえ! 決してそんなことは……!」

 

 そう答える天善だけど、明らかに手と声が震えている。

 

「私のためを思うなら、あなたの本気を見せて頂戴!」

 

「……そうだぞ天善、もっと落ち着いていけよ!」

 

「優勝して、水織先輩にお願い事をするチャンスなんだぞ!」

 

 静久の言葉に続くように、俺と良一も天善にエールを送っておいた。

 

「そうか……俺はここで立ち止まるわけにはいかない! 天善天善天善……!」

 

 その言葉を聞いた天善は無我の境地に達し、天善ゾーンを展開した!

 

「おお、何かよくわからないけどすごそうだ……!」

 

「今度は俺のサーブだな……いくぞ! サーーー!」

 

 そして、天善が神々しい構えから、高速サーブを繰り出す。

 

「えいっ!」

 

 しかし、静久もそのサーブになんとか食らいつき、返球する。

 

「……奥義・舞卦処撥斗!」

 

 そして返ってきたボールにすかさず反応し、何やら叫びながら強烈なブレ球を返す。これはスマッシュじゃないので、女子相手に使っても問題はないはずだ。

 

「きゃあ!?」

 

 しかし、そのブレ球……スピードはすごかったけど、相手の陣地に一度もつくことなく一直線に静久の胸を直撃した。

 

「もう……加納君。いくら勝ちたいからって、おっぱいだけは狙っちゃ駄目よ。おっぱいは神聖なものなんだから」

 

「ぐわああああっ!?」

 

 直後、静久のおっぱいトークが天善ゾーンを打ち砕いた。天善は両手を床につき、色々なショックを隠せないでいる。

 

「これで0-3ですね。天善ちゃん。早く起きて試合を続けてください」

 

「あ、ああ……わかっている……」

 

 藍の言葉を受け、天善はよろよろと立ち上がるが……その眼はもはや生気を失っていた。これは駄目っぽい。

 

 

 

 

「いくわよ! おっぱいスマーッシュ!」

 

「うわああーーー!」

 

 

 

「もう一度! おっぱいサーブ!」

 

「のおおおーーー!?」

 

 その後は案の定、一方的な試合展開となってしまった。

 

「試合終了です。おっぱいさんの勝利ですね」

 

 終わってみれば1-11。天善の得点は、静久のサーブミスによる1点だけだった。

 

「お、おぉぉ……」

 

 試合終了後、天善は真っ白に燃え尽き、秘密基地の隅でうなだれていた。男性陣のホープだったはずなんだけど。藍の言う通り、本当に相手が悪すぎた。

 

 

 

 

「えっと、次は第三試合。藍と良一の試合だね」

 

 審判役の天善が灰になってしまったので、代わりにしろはが次の試合の審判をやることになった。

 

「ところで藍、お前卓球できるのか?」

 

「得意ですよ。良一ちゃんには負けません」

 

 試合前に声をかけてみると、藍は両面にラバーがついたラケットを持っていた。確かあれ、天善のじゃなかったっけ。

 

「天善ちゃんが灰になっているので、せっかくなので使わせてもらいます」

 

 藍はそのラケットを表裏にくるくると回していた。どうもシェイクハンドを扱い慣れている感じだ。

 

「それで結局、藍は優勝したら何をお願いするんだ?」

 

「乙女の秘密です」

 

 真意を確かめる意味を込めてもう一度聞いてみたけど、蒼を見ながら含み笑いを浮かべただけで、何も教えてもらえなかった。大体の予想はつくけど。

 

「良一の方は、優勝したら何を願うんだ?」

 

「俺か? そーだな……また妹に『おにーちゃん』って呼んでもらうようにするかなー」

 

 最近、良一はそんな話ばっかりな気がする。どうしちゃったんだろう。

 

「良一ちゃん、残念ですけど、お願いができるのは今この場にいる人に対してだけですよ?」

 

「そうなのか。なら夏休みの間だけ、夏海ちゃんに『おにーちゃん』って呼んでもらおうかなー」

 

「え」

 

それを聞いた夏海ちゃんが固まった。まさか、自分に矛先が向くとは思わなかったんだろう。

 

「……夏海ちゃん、そんな顔しなくても大丈夫ですよ。良一ちゃんは私が倒しますから」

 

「……藍さん、応援しています!」

 

 夏海ちゃんががっしりと藍の手を握っていた。目が本気だった。

 

「なんだか色々と事情がありそうだけど、ふたりとも準備はいい?」

 

 しろはがスコアボードを持ちながら、選手二人に何とも言えない視線を送っていた。

 

「ああ、いいぜ」

 

「いつでも大丈夫ですよ」

 

「うん。それじゃ、試合開始」

 

 しろはの宣言と同時に、まずは藍のサーブから試合が始まる。

 

「……それじゃあ良一ちゃん、いきますよ」

 

 藍が放ったのは、スピードの出るドライブ気味のサーブだった。

 

「くそっ!」

 

 良一はそれを何とか打ち返す。本来なら力づくでスマッシュを狙えるボールだったけど、男子はスマッシュを禁じられている。藍はそれを理解したうえで、敢えてドライブを打ったんだろう。

 

「そこです。もらいましたよ」

 

 サーブの対応で良一が体勢を崩したのを見逃さず、返ってきたボールを素早く叩く。腰の入った見事なスマッシュが決まった。

 

「なぁ蒼、本当に藍はスポーツ万能だな……」

 

「でしょー。あたしたちもしろはと同じ卓球クラブに通っていたんだけど、藍は堀田のおじーちゃんに見込みがあるって言われてたしねー」

 

 自ら優勝賞品について進言してきたくらいだし、やっぱり腕に自信があるみたいだ。

 

「そこですよ。はい」

 

「うわぁーーーー!」

 

 蒼と話をしながら試合を見る。良一も善戦しているけど、なかなかに実力差がある。早くもワンサイドゲームの装いを呈してきた。

 

「うりゃ! どうだ!」

 

「良一ちゃん、上手く返しましたね。でしたら、これはどうですか」

 

「くっそーーー!」

 

 藍が5点をリードしたあたりから、見る側も集中が切れ、試合から目を離すメンバーも出始める。

 

「……あれ」

 

 たまたま足元に目をやると……ベーダマンが転がっていた。

 

「懐かしいな。昔はよくこれで遊んだな」

 

「え、なんですかそれ?」

 

 それを手に持っていると、夏海ちゃんが興味津々で寄ってきた。

 

「ベーダマンだよ。後ろのトリガーを押すと、お腹のビー玉が飛び出すんだ。こういう風にね」

 

 俺が手本を見せると、軽い音を立ててビー玉が飛び出す。

 

「こんなおもちゃがあるんですね」

 

「結構昔のおもちゃだけどね。こうやって、空き缶とか狙い撃ちして遊んでたんだよ」

 

 良一が飲み終わり、床の隅に転がっていたコーラの空き缶を持ってきて、ベーダマンで狙い打つ。かこん、と音がして、空き缶が弾けるように倒れる。

 

「へぇー、やってみてもいいですか?」

 

「うん。いいよ」

 

 野球やったりしてるし、やっぱり夏海ちゃんって男の子っぽい遊びが好きみたいだ。

 

「羽依里さん、同じベーダマンがもう一つありますし、どっちが早くあの空き缶を倒せるか、勝負しませんか?」

 

「いいよ。負けないからね」

 

 二人で床に座り込んで、一つの空き缶を狙う。なんというか、すごく懐かしい感じがした。

 

 

 

 

「良一ちゃん、これでおしまいですよ」

 

「ちっくしょーーー! 負けた―――!」

 

 しばらく夏海ちゃんとベーダマン勝負をしていると、良一の絶叫が響き渡った。先の見立て通り、どうやら藍が勝ったらしい。

 

 スコアボードを見ると、11-0。卓球のセオリーを無視した、まさかの完封だった。

 

 

 

 

「次はあたしと鴎の試合ねー」

 

 第四試合を前に、蒼が腕まくりしながら卓球台へと向かう。

 

「アオアオ、負けないよー」

 

 スーツケースを隣に置きながら、鴎も蒼と対峙する。

 

「そういえば、鴎は優勝したら何をお願いするんだ?」

 

「それは……教えてあげないよ! じゃん!」

 

 くそ、久しぶりに言われてしまった。

 

「まぁ、誰でも言いたくないお願いもあるだろうしな」

 

「じゃあ、蒼は?」

 

「あたしも、教えてあげないよ! じゃん!」

 

 蒼は声色を変えて、鴎と同じ台詞を言っていた。その思わぬ発言に、その場にいた全員が言葉を失う。

 

「……そ、そこで静まり返らないでよ! 妙に恥ずかしいじゃない!」

 

 少なからず蒼も意識してしまったのか、顔が赤くなった。

 

「そ、そうです蒼ちゃん、このラケット使いますか?」

 

 藍はとっさに、さっきまで使っていた天善のラケットを蒼の方へ差し出す。妙な空気を打破するために、妹に助け船を出した形だ。

 

「い、いいわよー。天善も思い入れあるだろうし、あたしはこっち使うわよ」

 

 蒼もその意図を理解したのか、そう言って別のシェイクハンドラケットを構える。それにしても、姉妹揃ってシェイク使いなんだろうか。

 

「よし、アオアオ、勝負だよ!」

 

 ようやく空気が戻り、鴎もラケットを構えて蒼に対峙する。鴎が持つのはペンホルダーと呼ばれる、片面だけにラバーが張られたラケットだ。随分古いやつだけど。

 

「ところで鴎、お前卓球やったことあるのか?」

 

「え、ないけど」

 

「ないのかよっ!」

 

 俺は思わずツッコんでしまっていた。だって、すごく自信満々だったから。

 

「大丈夫! さっき、そこの本読んで勉強してたから!」

 

 鴎が指差す先に『マル秘』と書かれた手作りの本が落ちていた。ものすごく怪しいけど、天善が作ったのかな。

 

「それじゃ二人とも、準備いいかー?」

 

 今回の審判は良一だった。どうも、天善はまだ灰になったまま、復活していないらしい。

 

「うん、いつでもいいよー!」

 

「あたしもいいわよー」

 

「……よし、準備ができたなら、試合開始だ!」

 

 その良一は選手の意志を確認した後、試合開始を宣言する。

 

「蒼ちゃん、応援しています。頑張ってください」

 

「カモメさんも頑張ってくださいね!」

 

「応援してますよー!」

 

 いくつもの声援を受けながら、まずは鴎がサーブの構えを取る。

 

「それじゃ、まずは私から! いくよ! カモメサーブ!」

 

 鴎がそう高らかに叫びながら放ったサーブは、しろはのサーブともまた違った軌道を描く、独特なサーブだった。

 

「うりゃっ!」

 

 そんなサーブを蒼が慎重に打ち返すと、返ったボールは予想以上に高く浮いた。

 

「今だ―――! 必殺! ドラゴンスレーイブ!」

 

「ひゃああああっ!?」

 

 次の瞬間、鴎は大きくループを描くボールを打ってきた。今のはスマッシュなのか? 一瞬、光輝く竜が見えたような。

 

「い、1-0だ……なんだ、今のは」

 

 得点を記録した良一も驚きを隠せていない。今の技を直接受けた蒼に至っては、床に尻もちをついている。

 

「あ、蒼ちゃん、大丈夫ですか?」

 

「へ、平気よ……ちょっとびっくりしただけ」

 

 藍が心配そうに蒼に駆け寄る。蒼はすぐに立ち上がり、服の埃を払っていた。

 

「……鴎、その技をどこで」

 

 その時、今さっきまで灰になっていた天善がいつの間にか復活していて、驚愕の表情で鴎を見ていた。

 

「え。あの本に載ってたんだけど」

 

 鴎はそう言いながら、先程の『マル秘』と書かれた本を指差す。

 

「やはり、俺の書いた秘伝の書を……。だが、あれはそう易々と修得できるものではないはず」

 

「そうなの? 何回か練習したら、できるようになっちゃったんだけど」

 

「……鴎、鳥白島から世界を目指さないか?」

 

「そ、それは遠慮するよ!」

 

 天善はとんだ逸材を発見してしまった風に言ってる。鴎本人には全くそのつもりはなさそうだけど。

 

「天善、今は試合中でしょ! 勧誘はあと!」

 

「そうだよ! それじゃ、気を取り直して……いくよ! インフェニットダンゴサーブ!」

 

「はあああああ!?」

 

 二回目の鴎のサーブがネットを超えた瞬間、光の加減なのかよくわからないけど、ボールが無数に分身した。そう。まるで大家族のように。

 

「こ、このっ! うわっぷ!」

 

 蒼は思いっきり空振りして、そのまま勢い余って、卓球台の上に突っ伏してしまった。確かにあれだと、どのだんご……いや、ボールを狙えば良いのかわからない。

 

「に、2-0……どうなってるんだ、今のサーブは」

 

「魂伝影念獅坐威砲(こんでんえいねんしざいほう)の完成系だな……しかも、それをサーブに応用するとは……!」

 

 天善はわなわなと震えている。ごめん。イマイチすごさがわからないんだけど。

 

「こ、今度はあたしの番ね……うりゃあっ!」

 

 蒼は深呼吸してから、サーブを放つ。

 

「出た、ピンクサーブ!」

 

「誰がピンクサーブよ!」

 

 良一が大きな声で何か言っていた。確かに、結構な回転のかかったサーブではあるけど。

 

「よーし! 必殺! ドラゴンスレーイブ!」

 

「ひゃーーー!?」

 

 しかし、そのボールを鴎は簡単に打ち返していた。先程と同じようにループ気味に返されたボールは、蒼の陣地の左隅に決まる。

 

「おおー、決まったー!」

 

 鴎は飛び跳ねて、全身で喜びを表していた。あのドラゴンなんとか、すごいんだけど。

 

「こ、これで3-0だな……蒼は俺たちの中でも強い方のはずなんだが……」

 

「カモメさん、すごいです!」

 

 すごいなんてレベルじゃない気がする。鴎、本当に初心者なのかな。

 

「うう、あんなボール、どう返せばいいのよ……」

 

 蒼がもう一度ピンクサーブを放つ。どうも迷っているようだ。球筋に出てる。

 

「もう一回! ドラゴンスレーイブ!」

 

 対する鴎が容赦なく打ち返した……その瞬間。

 

「あ、あれー?」

 

 ……鈍い音がして、鴎のラケットが砕け散った。何が起こったんだろう。

 

「……やはり、生半可な修行で必殺技を打ち過ぎたんだろうな」

 

 いち早く状況を察したらしい天善が、冷静にそう言っていた。よくわからないけど、ラケットに負荷がかかりすぎたんだろうか。まるで漫画みたいだった。

 

「悪いがルールだ。ラケットが壊れた以上、この勝負は蒼の勝ちとさせてもらうぞ」

 

「ひーん」

 

 鴎は唯一残った柄の部分を悲しそうに見つめながら、引き下がっていった。そういえばそう言うルールだった。だけど、まさか本当にラケットが壊れるなんて。

 

 

 

 

 その後は天善が審判に復帰して、一回戦最後の試合は紬と夏海ちゃんの試合だった。ズッ友同士の対決だし、どうなるだろうか。

 

「紬、今からおっぱいサーブを教えるわよ!」

 

「ハイ!」

 

「夏海ちゃん、今から簡単な四天王サーブを教えるね」

 

「ありがとうございます!」

 

 試合開始直前、静久としろはがそれぞれのサーブを二人に教えていた。全面バックアップってやつだ。正直、羨ましい。

 

「そろそろ準備はいいか? 夏海のサーブから試合を開始するぞ?」

 

「わかりました! 紬さん、いきますよ!」

 

「はい! ズッ友同士のシンケンショーブです!」

 

「紬、頑張って!」

 

「夏海ちゃん、応援してるからね!」

 

 一回戦最後の試合と言うこともあって、たくさんの声援が送られて、盛り上がっている。

 

「それでは、試合開始!」

 

「……えい!」

 

 試合開始宣言と同時に、夏海ちゃんのサーブが放たれる。しろはのサーブほどの力強さはないものの、鋭いカーブを描いていく。

 

「むぎゅ!」

 

「あ!」

 

 対する紬はその回転を上手く利用するようにしてボールを返す。回転そのままで返されて、夏海ちゃんは対応できず、ネットに引っ掛けてしまった。

 

「1-0。まずは紬が1点先取だな」

 

「上手いわ紬。相手のかけた回転に逆らわず、おっぱいの流れに任せて自然に返す。名付けて、おっぱいカウンターよ!」

 

 何でいきなりおっぱいが出てくるんだろう。ごめん静久、意味がよく解らない。いや、わからないほうがいいのかもしれないけど。

 

 

 

 

 試合を見ていると、二人の実力はかなり拮抗していて、その後も一進一退の攻防が続いた。紬がおっぱいサーブでサービスエースを決めようものなら、夏海ちゃんもサービスエースで応戦。

 

 夏海ちゃんのスマッシュを紬が返したり、その逆があったり。中にはすごく長いラリーが続いたこともあった。お互いに試合中に成長してるって感じがした。

 

 

 

 

「これで終わりです! チャーハンスマーッシュ!」

 

「むぎゅーーー!」

 

「9-11。試合終了。この試合、夏海の勝ちだ!」

 

 最後は夏海ちゃんの渾身のスマッシュが決まって、勝負あり。

 

 どっちが勝ってもおかしくない、本当に良い勝負だった。終わった後、お互いに抱き合って健闘を讃えあっていたし。

 

「うんうん。友情って良いわねぇ……」

 

 蒼が笑顔でそう言っていた。スポーツを通じて育まれる友情っていいよな。

 

 

 

 

 これで一回戦の全試合が終わり、続けて二回戦が開始される。

 

 どうも、雨脚が少し強くなったみたいで、秘密基地の屋根や壁を叩く雨音が大きくなった気がする。

 

 そんな中、その雨音に負けないくらい、ピンポン玉の音が響いていた。

 

「おっぱいサーブよ!」

 

「ほい!」

 

「おっぱいゾーンを展開よ!」

 

「ししんそうおう! ほい!」

 

 二回戦の第一試合。俺を瞬殺したしろは相手に、静久もおっぱいゾーンを展開して善戦していた。

 

「……これで終わり。ほい!」

 

「3-11。試合終了! この試合、しろはの勝ち!」

 

 しかし、実力で勝るしろはの勝利に終わった。静久のおっぱい技も、さすがにしろはには通用しなかったらしい。

 

 そしてトーナメント表の関係上、この時点でしろはの決勝進出が決まった。

 

 

 

 

 続いて、二回戦第二試合が開始される。藍と蒼による、姉妹対決だった。

 

「今回ばかりは、蒼ちゃんが相手でも手加減はできません。私は優勝して、蒼ちゃんにお願いを聞いてもらわないといけませんから」

 

 藍は本気の目をしていた。そこからは最愛の妹を倒してでも先に進もうとする、ゆるぎなき信念が感じ取れた。

 

「あー……あたしはそんな藍を、何が何でも止めないといけない気がするわ。このまま藍を優勝させたら、何させられるかわからないし」

 

 確か、藍が優勝したら蒼にあんな格好やこんな格好をさせると公言していたっけ。詳細はわからないけど。

 

「どちらも準備は良いみたいだな……それでは、試合を始めるぞ?」

 

「いいわよー」

 

「はい。いつでもいいですよ」

 

「……よし、それじゃ、試合開始だ!」

 

 天善の試合開始宣言を合図にして、二人の勝負が始まった。

 

「藍、いくわよ! うりゃあっ!」

 

 最初は蒼のサーブ。強い回転をかけて、藍の左側に向かってサーブを入れる。

 

「蒼ちゃんは良く左側に打ってきますから、読んでいますよ」

 

 藍がそのサーブを返し、返球が高めに浮いたところを、蒼がすかさずスマッシュを放つ。

 

 そのスマッシュは藍の真っ正面に打ち込まれ、さすがに返せなかったみたいだ。まずは1-0だ。

 

「……蒼ちゃん、やりますね」

 

「蒼、なかなか幸先の良いスタートじゃないか?」

 

「でしょー。今まで一度も藍に勝ったことないけど、今日こそは勝って見せるから!」

 

 え、勝ったことないの。それを聞いて、一気に不安になったんだけど。

 

「続けていくわよ! うりゃっ!」

 

 しかし、蒼の二回目のサーブは力が入ってしまったのか、サーブミスになってしまった。これで1-1の同点だった。

 

「それでは、次は私のサーブですね。蒼ちゃん、いきますよ」

 

 その後の藍のサーブは摩訶不思議な軌道を描き、サービスエースになっていた。これで1-2。藍が先行した。

 

 

 

 

 その後は攻める藍に対して、蒼が守りながら必死に食らいついていく試合展開となった。

 

「ポン! ポンポーン!」

 

 イナリも紬の腕の中から声援を送っていた。イナリのことだし、どっちも応援しているんだろう。

 

 

 

 

「10-10! デュースに突入だ! 非常に見ごたえのある試合だぞ!」

 

 一進一退の攻防が続き、気がつけば今大会初のデュースへと突入していた。サーブはここから一本交代になり、2点差がつくまで試合を続けることになる。

 

 天善もいい試合を見る事ができて嬉しいのか、自然と語気が強くなっていた。

 

「まさか、蒼ちゃんがここまで強くなっていたなんて。お姉ちゃん、嬉しいですよ」

 

「だってここで負けたら、ゆくゆく全部あたしに返ってくるじゃない? そんなの、絶対嫌だから」

 

 姉妹揃って肩で息をしていた。双子同士、お互い手の内がわかっているのか、長いラリーが続く場面も多かったし、相当に体力を消耗しているみたいだ。

 

「ここまで来たんだし、絶対勝つわよ! うりゃっ!」

 

 蒼はここで攻めのサーブを放つ。コーナーギリギリを狙った、鋭いサーブだった。

 

「えいっ!」

 

 藍は腕を思いっきり伸ばしながら、なんとかそのサーブを受ける。しかし、大きくバランスを崩してしまう。

 

「スキあり! てい!」

 

 それを好機と見た蒼は、藍のいる位置とは反対側に陣地に向けて強烈なスマッシュを放つ。さすがの藍も追いつけず、これが決まって11-10。この試合、蒼が初めてリードした。

 

「ついに抜かれてしまいましたね。これは一転、ピンチですね」

 

 藍はそう言うけど、その表情には余裕すら感じられる。自分にサーブ権が移ったということもあるだろうか。

 

「……いきますよ。四天王サーブ!」

 

 次の瞬間、藍はしろはと同じサーブを放ってきた。

 

「え、ちょっと……!?」

 

 初めて見る軌道に、蒼は動揺して返し損ねてしまった。サービスエースによって11-11。藍が同点に追いついた。

 

「まさか、藍も四天王サーブを使えたなんて」

 

「堀田のおじーちゃんから四天王サーブを教わったのは、しろはちゃんだけじゃないということです。それに、切り札は最後まで取っておくものですよ」

 

 なるほど。藍が余裕たっぷりだったのは、このサーブがあったからなのか。

 

「今度はあたしのサーブよね。ここは絶対決めないと……」

 

 続いて蒼のサーブになる。しかし、藍に四天王サーブを打たれて動揺したのか、思いっきり力が入り、痛恨のサーブミスになってしまった。これで11-12。一転、藍がマッチポイントを迎えた。

 

「これで決めますよ。蒼ちゃん、覚悟してください」

 

 しかも、再び四天王サーブが来る。四神のうちのどれを表しているのかわからないけど、これまた変わった動きをしていた。

 

「……よし、今よ! うりゃっ!」

 

 次の瞬間、蒼はその四天王サーブを見事に受け返した。

 

「……は?」

 

 そのまま軽やかに返されたボールは、藍の陣地の左隅に決まる。見事なリターンエースだった。

 

 すごいけど、今の動き、少し前に見たような。

 

「……今の、もしかしておっぱいカウンターですか」

 

 藍が驚愕の表情を浮かべていた。言われてみれば、今のは静久や紬が使っていたカウンター技だった。

 

「紬が夏海ちゃんの四天王サーブを返してるのを見て、藍の四天王サーブ対策にも応用できるんじゃないかと思ったのよねー」

 

「……蒼ちゃん、やりますね」

 

「切り札は最後まで取っておくものでしょー?」

 

 蒼はしてやったりな顔をする。これで12-12。また同点になった。

 

「さすが蒼ちゃんです。おっぱいカウンターならぬ、ピンクカウンターとでも呼んでおきましょうか」

 

「なんでもかんでも、ピンクつけないでよ!」

 

 

 

 

 その後も1点ずつを取り合い、13-13。ゲームが終わる気配はない。

 

「……すごい勝負になってますね」

 

「本当だねぇ。なっちゃん、どっちが勝つと思う?」

 

「……正直、わからないです」

 

 白熱の試合展開に、皆がゲームに釘付けになっている。

 

「藍、いくわよ!」

 

続く蒼のサーブ。勝負をかけたピンクサーブを、藍は低めに打ち返す。これは、またラリーが続きそうな感じだ。

 

「……イチかバチか。やってみるわよ!」

 

 蒼はそう言うと、ラケットをかなり低く構え……。

 

「ド、ドラゴンスレーイブ!」

 

 大きな声で技名を叫びながら、鴎が使っていたのと同じ技を打ち放つ。

 

 放物線を描いたボールは、ギリギリの位置で、藍の陣地を掠る。

 

「そんな、エッジボール……」

 

「あ、ごめん……」

 

 鴎も技を見よう見まねでやってみたらしい。体得しているとは言い難いけど、なんとか決まった。これで14-13。今度は蒼がマッチポイントだ。

 

「藍の四天王サーブを返したばかりか、ドラゴンスレイブまで……なあ蒼、鳥白島から世界を」

 

「天善ちゃん、ちょっと黙っていてください。今から大事な所なんですから」

 

 興奮気味に話す天善の言葉を、藍がそう遮る。どちらにとっても、次の一球が勝負だった。

 

「いきますよ……えい!」

 

 藍は少し考えて、四天王サーブを放つ。蒼はそれをピンクカウンターで見事に返し、そのままラリーへと持ち込む。

 

「……本当にすごい勝負だね」

 

「ああ、目で追うだけで精いっぱいだ」

 

 しろはの言う通りだ。簡単に返球しているように見えるけど、きっと特殊な回転がかかっているんだろう。

 

 ……やがて、藍の返したボールが少しだけ高く浮く。

 

「よし、もらったぁーーー!」

 

 蒼はそれを見逃さず、渾身のスマッシュを叩き込む。藍も反応したけれど、大きく弾かれてしまい、蒼の陣地に返すことはできなかった。15-13。ついに試合が終わった。

 

「勝ったぁぁ―――!」

 

 蒼は大きく両手を突き上げた後、床に座り込んでしまった。藍も同じように汗だくでへたり込んでいるし、ものすごい勝負だった。

 

「……負けました。蒼ちゃん、強くなりましたね」

 

「ま、まさか本当に勝てるなんて思わなかったわー……」

 

 お互いに笑顔で健闘を讃えあっていた。誰からともなく拍手が巻き起こる。

 

「……私の遺志は、きっと蒼ちゃんが継いでくれると信じています」

 

 それってどういう意味だろう。蒼が優勝したら、藍にあんな格好やこんな格好をしてくれって頼むんだろうか。別に優勝賞品としてじゃなくても、蒼のお願いならもれなく藍は聞いてくれそうだけど。

 

 

 

 

「……それでは、二回戦第三試合。試合開始!」

 

 前の試合の興奮冷めやらぬ中、夏海ちゃんとイナリの勝負が始まった。

 

「いきますよ、イナリさん! 四天王サーブです!」

 

「ポーン!」

 

「え!?」

 

 夏海ちゃんのサーブから試合が始まったけど、イナリは尻尾の一撃でリターンエースを決めていた。続く二回目のサーブも同じく。あっという間に0-2となった。

 

「ポーンポーン!」

 

 続いてイナリのサーブ。尻尾で器用にサーブを打っていた。

 

 そのボールにはこれまた謎回転がかかっていて、全く予測不能な動きをする。あの尻尾、見た目はフワフワなのに。恐ろしすぎる。

 

「ひえぇーー!?」

 

 夏海ちゃんは困惑したまま、豪快に空振っていた。あんなサーブ、俺も見たことがない。

 

 

 

 

「……1-11。試合終了! 勝者、イナリ!」

 

 その後も一方的な試合展開が続き、イナリが圧勝してしまった。これでイナリは蒼の待つ準決勝へと進むことになった。

 

 俺たちも必死に夏海ちゃんを応援したけど、あの尻尾は反則だった。ポンポン言いながら、夏海ちゃんの三連続スマッシュを返し切った時のイナリのドヤ顔を、俺はしばらく忘れられないだろう。

 

「負けちゃいました……やっぱり、付け焼刃の四天王サーブではイナリさんに敵いませんね」

 

 完敗したせいか、夏海ちゃんは逆にすっきりとした顔をしていた。

 

「イナリさん、動きが人間離れしているので、すごく戦いにくかったです」

 

 確かに人間じゃないけど。

 

「そう言えば夏海ちゃん、絵日記の方は順調ですか?」

 

 その時、ようやく前の試合の汗が引いたらしい藍が夏海ちゃんに話しかけていた。

 

「はい、ちゃんと毎日書いてますよ!」

 

「せっかくですし、今日のイベントもしっかり書き残してくださいね?」

 

「もちろん書きますけど……雨の日に秘密基地で卓球をして、キツネさんに負けましたなんて絵日記、誰も信じてくれなさそうですね」

 

 確かに。実際に見ない限り、信じられないと思う。それくらい、不思議な勝負だった。

 

 

 

 

「さぁ、いよいよ準決勝が始まるぞ」

 

 天善が鼻息荒くそう話す。トーナメント表の関係で、すでに決勝進出を決めているしろはは今回休みとなり、準決勝は蒼とイナリの試合だけが行われる。

 

 両者とも、二回戦ですごい戦いを演じていたし、天善が注目するのも納得だ。俺も着実に成長している蒼に注目していたんだけど……。

 

 

 

 

「ポーン!」

 

「ひゃーーー!?」

 

「ポポーーン!」

 

「えええーーー!?」

 

 どうも、蒼は藍との試合で色々なものを使い切ってしまったみたいだ。序盤からイナリに圧倒されてしまっていて、スコアボードを見ると、早くも0-6になっていた。

 

「そ、そういえばしろは、今日も食堂は休み?」

 

 さすがに見ていられず、俺は隣にやってきたしろはにそう話しかけていた。

 

「ううん。今日は開けるよ」

 

「おお、営業するんだな」

 

 夕飯どうしようかと思っていたから、助かる。

 

「でも、おじーちゃんが今日も漁には出られないって言っていたから、魚料理はできないよ?」

 

「いや、十分だよ」

 

 しろは食堂には魚料理以外にもたくさんのメニューがあるし、全然気にならない。

 

「ところで羽依里、これって何?」

 

 心の中で夕飯の心配がなくなったことを喜んでいると、しろはがコマのような形状をしたおもちゃを手に持っていた。

 

「それはビーブレードだよ。リングの上で戦わせるんだ」

 

「ふーん……男の子って、こういうの好きだよね」

 

「そう言わずにさ、しろはもやってみたら?」

 

 俺はそう言いながら、奥の方に置かれていたリングを持ってくる。

 

「このスターターにビーブレードをセットして、ボタンを押すだけで発射。簡単だろ?」

 

「た、確かに簡単そうだけど」

 

「こんな感じだよ。ちっちのち!」

 

 俺がスターターのボタンを押すと、ビーブレードは勢いよく飛び出し、リングの中心で豪快に回り始める。

 

「え、今の言葉はなに?」

 

「今の? 掛け声だけど」

 

「それ、必要?」

 

 ……この手のおもちゃをそんな冷静な目で見ないで欲しい。

 

「うん。言うルールなんだ」

 

 そう言いながら、しろはにも白いビーブレードを手渡す。

 

「ほら、しろはもやってみなよ」

 

「そ、それじゃ……ち、ちっちのち!」

 

 俺の真似をして、しろはがビーブレードを発射する。

 

 ぎゅいんぎゅいん音を立てながら、先に回っていた俺のビーブレードとぶつかり……しろはのビーブレードがはじき出されてしまった。

 

「あ」

 

「おっと、当たり所が良かったのかな。俺の勝ちだ」

 

「……もう一回」

 

「え?」

 

「もう一回! 今度は同時に!」

 

「わ、わかったわかった」

 

 ああ見えて、しろはは実はかなり負けず嫌いだったりする。

 

「「ちっちのち!」」

 

 その後、しろはとビーブレードで遊びながら、ちらちらと卓球の試合結果も見ていた。結局、2-11でイナリが勝ち進んだみたいだった。

 

 

 

 

 秘密基地に置かれた時計が12時を指す頃、天善主催の卓球大会もいよいよ大詰めを迎える。

 

「それでは決勝戦。しろはとイナリの試合を始める」

 

 そう口上を述べる天善は、感無量といった感じだった。正直、予想以上に盛り上がったし、イベントとしては大成功だと思う。

 

「しろはさん、頑張ってください!」

 

「ここまで来たら優勝を狙えよ!」

 

「イナリさん、応援してますよ!」

 

「落ち着いていきなさいよー」

 

「頑張ってください」

 

 優勝決定戦と言うこともあって、双方の選手へたくさんの声援が送られる。さて、どんな勝負になるだろうか。

 

「しろはにイナリ。どちらも準備はいいな?」

 

「うん。いいよ」

 

「ポーン!」

 

「いい返事だ。それでは決勝戦、試合開始!」

 

「……ほい!」

 

 天善によって試合開始が宣言されると同時に、しろはが四天王サーブを放つ。

 

「ポーン!」

 

 しかし、イナリはその尻尾でしろはの四天王サーブの回転を完全に止め、逆にリターンエースを決めていた。これで0-1。やっぱり、あの尻尾は反則だ。

 

「……夏海ちゃんと試合をしてる時も思ったけど、やっぱり四天王サーブは通用しないっぽいね」

 

 どうやら、しろはは今の一球で四天王サーブに見切りをつけたらしく、その次のサーブは速度とコースを重視したものへと切り替わった。

 

「ポーン!」

 

 イナリがそのサーブを卓球台の右側に寄って打ち返す。

 

「……うん。そこだね」

 

「ポン!?」

 

 しろははその様子を見て、がら空きになっていた左側の陣地にスマッシュを決めた。これで1-1の同点だ。

 

 ギャラリーからざわめきが起こる。まさか、あそこまできれいに決めるなんて。

 

 なにより、一番ショックを受けているのはイナリのようで、その大きな目をより一層見開いていた。

 

 ……今度の相手は、今まで戦ってきたどの人間より強い。そう確信したような顔だった。

 

「次はイナリのサーブよー。頑張んなさいよねー」

 

「ポポーン!」

 

 蒼の声援を受けて、イナリがサーブを打つ。鋭いサーブがしろはの左側に決まり、サービスエースとなる。

 

「は、速い……!?」

 

 そのあまりのスピードにしろはも一瞬たじろぐけど、すぐに対策を講じたらしい。続く二回目のサーブはうまく打ち返し、これまたリターンエース。2-2の同点だった。

 

 

 

 

 その後は、高低差や緩急をつけたり、果てはループ気味に打ってみたりと、しろはもあの手この手を使ってイナリと戦いを繰り広げる。

 

「しろはさん、すごいです。あのイナリさんと互角の勝負をしています」

 

 二回戦でイナリと戦った経験がある夏海ちゃんが、台の上を行き交うピンポン玉を必死で目で追いながら、そう口にしていた。

 

 試合はお互いに譲らず、気がつけばスコアボードは10-10を表示していた。白熱の決勝戦はデュースに突入した。これからは、連続得点をした方の勝ちだ。

 

「……ほい!」

 

 サーブも一回交代となり、まずはしろはのサーブ。これまでと同じく、回転よりもコースを重視した鋭い球だった。

 

「ポポーン!」

 

 対するイナリは左側に寄って、尻尾をうまく振って打ち返す。

 

「ほい!」

 

 しろはは真正面に返ってきたボールを、手首のスナップを効かせながら今度は右側へに向かって打ち返す。

 

「ポン!」

 

 それを見たイナリは素早く卓球台の上を駆け、身体を回転させながら更にボールを打ち返す。さすが野生動物。絶対人間じゃ無理な動きをしていた。

 

「ほい!」

 

「ポーン!」

 

「ほい!」

 

「ポポーン!」

 

 そのまま壮絶なラリーが続き、最後はイナリの強烈なスマッシュが決まった。これで10-11。イナリのマッチポイントだ。

 

 しろは、頑張ってくれ。このままイナリが優勝したら、色々と微妙過ぎるから。

 

「ポポポーン!」

 

 続く、イナリのサーブ。尻尾から繰り出される謎回転のボールを、しろははなんとか打ち返す。

 

「ポーン!」

 

 そして、少し浮いたボールをイナリが狙い打つ。しかし、しろははそれを見事にカウンターし、左隅に決める。これで11-11。同点に追いついた。

 

「いいぞしろは、頑張れ!」

 

「イナリ、切り替えてもう一度よ!」

 

 本当に手に汗握る戦いだった。見ているこっちが緊張してくる。

 

「……ほい!」

 

 今度はしろはのサーブ。先程と同じようにコースを狙う。今度は右隅だ。

 

 イナリが即座に追いつき、しろはの陣地へとはじき返す。直後、しろははボールの勢いをなるべく殺しながら、ネット際へと落とす。いわゆるドロップショットというやつだ。

 

「ポ、ポン!?」

 

 それに気づいたイナリは慌てて拾いに走ったけど、さすがに手前過ぎて間に合わなかった。これで12-11。しろはのマッチポイントだ。

 

「……ふぅ」

 

 しろはが小さく息を吐く。今度はイナリのサーブ。しろはにとっては勝負の一球だ。

 

「ポーン!」

 

 イナリもここぞとばかりに気合いの入ったサーブを放つ。

 

「ほい!」

 

 しろははそのサーブをしっかりと返す。そのままラリーへと持ち込み、イナリを左右に動かせる。

 

「ポン! ポンポン!」

 

「あれだけ左右に打ち分けられるしろはもすごいけど、その動きについて行ってるイナリもすごいよな……」

 

「ああ、この二人がダブルスを組めば、世界を狙える……!」

 

 天善が何か言っていたけど、そのタイミングで、しろはが先程と同じような構えを取る。またネット際に落とすドロップショットだろうか。

 

「ポン!」

 

 イナリもそれを察して、前方に寄る。同じ手に二度は引っかからないみたいだ。

 

「……チャーハンスマッシュ!」

 

 しかし、そこでしろはが放ったのは、まるでこんもりと盛られたチャーハンのような放物線を描く、不思議なスマッシュだった。

 

「……ポン?」

 

 そのスマッシュはネット際に寄っていたイナリの頭上を軽々と超え、イナリの陣地の右隅に静かに決まった。

 

 これで13-11。最後はしろはの技あり球で勝負が決まった。

 

「13-11。試合終了! しろはの優勝だ!」

 

 審判の天善がそう宣言すると、固唾を呑んで見守っていた皆が選手二人の元へ集まり、口々にねぎらいの言葉をかける。空門姉妹の試合に続いて、決勝戦もすごい勝負だった。

 

「おめでとう、しろは」

 

「うん。ありがとう」

 

 しろははものすごく充実した顔をしていた。他の皆にはわからないかもしれないけど、彼氏の俺にはわかる。しろは、めちゃくちゃ喜んでる。珍しく、小さくガッツポーズしてるし。

 

「しろはさん、すごかったです! 優勝、おめでとうございます!」

 

「うん。最後のスマッシュ、夏海ちゃんの技がヒントになったんだよ」

 

 チャーハンスマッシュ。まさかとは思ったけど、やっぱり夏海ちゃんの技が元になってたらしい。

 

「イナリも惜しかったわよー」

 

「ポンー」

 

 激戦を終えたイナリはかなり疲れた様子で、ふらふらと蒼の腕の中に納まった。

 

「イナリさんも頑張りました!」

 

「ええ、今度油揚げを用意してあげましょう」

 

「そですね!」

 

 紬と静久もイナリの健闘を称えていた。確かに、彼女は卓球界最強のキツネだと思う。

 

 

 

 

「……それではしろはちゃん。優勝賞品のお願い事をどうぞ」

 

「え、そんなの別に良いし」

 

 優勝決定の余韻が収まった頃、藍を筆頭に、皆でしろはを取り囲む。その輪の中心に、何故か俺も巻き込まれていた。

 

「え? 何ですか? お願い事は、羽依里さんに抱きしめてもらいたい……ですか?」

 

 しろはの口元に耳を持って行った藍が、わざとらしくそう言っていた。俺はしろはのすぐ近くにいたけど、しろはは何も言っていない。

 

「ち、違うし……!」

 

 当然、しろはも否定していたけど、皆の茶化す声によってほとんどかき消されてしまった。

 

「しろは、そんな謙遜しない! ほら、羽依里に思いっきり抱きしめてもらいなさい!」

 

「愛を込めたハグね。良いわね」

 

「「よくないし!」」

 

 俺はしろはと揃って拒否していた。蒼も静久もしろはの背中をぐいぐいと押しているし。どうしてそういう流れになるんだろう。

 

「ハグは駄目ですか。それなら、やっぱりキスしかないですね。呂の字ですよ」

 

「そうよねー。やっぱり、彼氏さんのキスでしょー」

 

「「違うし!」」

 

 また俺としろはは思いっきりハモってしまった。と言うか、ハグの次はキスとか、難易度が上がってる気がする。空門姉妹も、変に煽らないで。

 

「さすが息ピッタリですね」

 

 うう、島の皆……特に女性陣。絶対楽しんでいる。

 

「羽依里も男見せなよー」

 

「むぎゅーっとしましょう!」

 

「鴎も紬もやめてくれ。背中を押さないで」

 

「ほらほら、しろしろと密着モードだよ!」

 

 だから、しろはは何も言ってないのに。完全に公開キスの流れになってる。ちょっと、本当にやめて。皆、押さないで。

 

「わ、わ、わ」

 

 同時に、真っ赤になったしろはの顔が眼前に迫ってくる。これはもしかして、本当に覚悟を決める必要があるのかも……!

 

「……ス、スイカバー! 羽依里、私、スイカバーが欲しい!」

 

 その時、しろはがそう叫ぶ。俺はすぐにその言葉の意図を理解した。

 

「よしわかった。しろはのお願い事は『スイカバーが欲しい』なんだな!」

 

「うん。それで決定。やった。うれしいな!」

 

 俺としろははとっさに三文芝居をして、今の状況を打開する。しろはがお願い事さえしてしまえば、誰もこれ以上無理強いはできないだろうし。

 

「……ちぇー。せっかくここまでお膳立てしてやったのによー」

 

「まったく、長年組んだ混合ダブルスなら、それくらい楽勝だろうに」

 

 俺たちの思惑通り、しろはの願いが決まるとすぐに周囲の輪がばらけていく。それと同時に、良一と天善が心底つまらなそうに言っていた。いや、そんなこと頼んでないから。皆の前でキスするとか、恥ずかしすぎるから。

 

「まったく、羽依里さんもしろはちゃんも意気地なしですね」

 

 藍が口をとがらせて、これまたつまらなそうに言っていた。だから、しろははそんな願い事はしていないし、さすがにやりすぎだと思う。夏海ちゃんだって見てるんだしさ。

 

「……」

 

 そう思いながら夏海ちゃんの方を見ると、口元に手を当てたまま、目を点にして固まっていた。なんだろう。変に想像力が働いちゃったんだろうか。

 

「もうお昼だし、そろそろ解散しましょう」

 

 しばらくすると、年長者の静久がそう言って締め、その場は解散となった。雨脚もだんだんと強くなってきたし、ちょうどお昼時だ。俺たちは足早に帰宅することにした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 卓球大会を終えて、夏海ちゃんと二人で加藤家に帰宅する。

 

「お腹空きましたねー」

 

 傘の雨粒を払って、傘立てに戻した後、手を洗ってから台所に向かう。

 

「羽依里さん、お昼ですけど、このカップうどんでいいですか?」

 

 先に台所に行っていた夏海ちゃんが、両手に同じ種類のカップうどんを持って居間にやってきた。

 

「……ごまだしうどん?」

 

「ごまだし……ってなんですかね?」

 

「さあ」

 

 聞いたことのない名前だった。出汁って言うくらいだし、調味料だろうか。夏海ちゃんから渡されたカップうどんのパッケージには『ご当地うどんシリーズ!』とでかでかと書かれている。

 

「な、なんだか怖いですね」

 

「そ、そうだね。キワモノの部類だったらどうしよう」

 

 でも、昨日の夕飯に皆でカップうどんを食べてしまったせいで、お昼に食べられそうなものはこれだけだ。背に腹は代えられないし、食べてみよう。

 

 そう思いながら、ふたを開けてかやくとスープを入れて、お湯を注ぐ。

 

「うわ、なんだこのにおい!?」

 

 お湯を入れた途端、何とも言えない独特な香りが漂ってきた。

 

「魚をすりつぶした特製のごまだひを使っています。って書いてありまふよ。美味しいんですふぁね?」

 

 ……夏海ちゃん、口と鼻を押さえながら喋らないで。確かに、すごく独特な香りだけど。

 

 

 

 

 そうこうしているうちに三分が経過した。これ以上時間をかけても麺が増えるだけだし、食べるしかない。

 

「羽依里さん、お先にどうぞ!」

 

 夏海ちゃんが笑顔で促してくる。そんなおっかなびっくりしなくても。

 

 俺は意を決してふたを取る。においの感じはさっきまでと変わらない。なかなかにきつい。

 

「それじゃ、お先にいただくね」

 

 手を合わせてから、恐る恐る一口食べてみる。

 

 ……あれ、意外とおいしい。

 

 香りは独特だけど、しっかりと魚の旨味も出ていた。

 

「……夏海ちゃん、これ美味しいよ」

 

「え、本当ですか?」

 

「うん。においの方はあれだけど……魚の出汁が効いてるよ」

 

「そ、そうですか? それじゃ……いただきます」

 

 手を合わせた後、夏海ちゃんもごまだしうどんを口に運ぶ。

 

「あ、本当ですね」

 

 思いのほか、口に合ったみたいだ。俺も食べているうちに、においも気にならなくなってきたし。珍しい味付けで美味しかった。

 

 

 

 

 昼食を済ませると、暇になってしまった。外を見てみると、相変わらず雨が降り続いている。

 

 なんとなくテレビをつけてみるけど、台風被害を伝えるニュースばかりだった。どこどこで木が倒れたとか、窓ガラスが割れたとか、聞くだけで気が滅入る。

 

「そうだ夏海ちゃん、駄菓子屋に行ってみない?」

 

「そうですね! 行きましょう!」

 

 夏海ちゃんもその言葉を待っていたようで、元気いっぱいに立ち上がる。やっぱりこういう時は、駄菓子屋でかき氷でも食べるに限る。

 

 俺と夏海ちゃんは傘を差しながら、駄菓子屋へと向かった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「くーださーいなー」

 

「おおー、いらっしゃーい」

 

「いらっしゃいませー」

 

 今日の駄菓子屋は雨を避けるためか、ガラス戸が閉められていた。その戸を開けながら店内に声をかけると、カウンターの向こうから鴎と紬が出てきた。

 

「え、どうしてお二人が店番をしてるんですか?」

 

「アイさんにお店を任されました!」

 

「そう! 駄菓子屋の看板娘、一日体験だって!」

 

 揃って笑顔だったけど、それってつまり、言葉巧みにタダ働きさせられてるってことじゃないかな。

 

「滅多にできない体験なんだって!」

 

 その事実に、二人は微塵も気付いていないらしい。見事に藍に言いくるめられてしまっている気がする。

 

 まぁ、本人たちが楽しんでるんなら、野暮なことを言うのはやめよう。

 

 ……そして、それ以上に気になることがある。

 

「ところで、どうして二人ともメイド服を着てるんだ?」

 

「一日体験の間は、この服を着る決まりなんだって!」

 

「決まりなんですよ!」

 

 ……藍がそう言ったんだろうか。絶対嘘だ。

 

「それで……どう? 似合ってる?」

 

「似合ってますか?」

 

 二人はくるりとその場で回って、衣装を見せてくれる。どうも、髪型も変えさせられた感じで、鴎がツインテール、紬がポニーテールになっていた。

 

「ああ、よく似合ってるよ」

 

「はい! お二人とも、すごく可愛いです!」

 

「にへへ、ありがとー」

 

「むぎゅ……言ってはみたものの、すごく恥ずかしいです……」

 

 直後、二人は揃って顔を赤くしていた。ノリでやってしまったんだろう。

 

 ……それにしても、藍は二人分のメイド服をどこで手に入れてきたんだろう。まぁ、本当にすごく似合ってるからいいけど。

 

「そういえば紬、静久は?」

 

 思えば、駄菓子屋には静久の姿が無かった。大抵、紬と一緒にいるはずなのに。

 

「シズクは一旦家に帰りました。服もびしょ濡れでしたし、なにより両親に心配をかけたと、ヘコんでいました」

 

「ああ、そういうこと」

 

 朝の話だと、かなり無茶をして家を飛び出してきたって言ってたし。この天気だと服も乾かないし、いつまでもウシの格好でいるわけにもいかない。

 

「ハイ。午後から船が動き出したらしいので、一番の船に飛び乗っていきました」

 

「その時、ズクズクを見送った直後のツムツムと港で偶然会って、駄菓子屋さんに行こうって流れになったの」

 

 鴎がそう話を続ける。それで紆余曲折あって、二人で駄菓子屋の一日看板娘をすることになったらしい。

 

「それで、タカハラさんたちは何かゴヨーイリですか?」

 

 紬が急に接客モードになった。何か聴き慣れない単語が聞こえた気もするけど。

 

「うん。かき氷二つもらえるかな?」

 

「はい! おまかせください!」

 

 注文を受けると、紬は意気揚々とかき氷器へ向かう。

 

「待ってツムツム、先にお代を貰わないと!」

 

「そでした! お二人で200万円です!」

 

 紬がUターンしてきて、柔らかそうな手のひらを揃えてこっちに差し出してきた。お約束も良いんだけど、何味かも聞かれてない。色々とグダグダだった。

 

「じゃあ、俺は氷メロンで」

 

「私はブルーハワイでお願いします!」

 

 二人で味を伝えて、100円ずつ渡す。

 

「わかりました! どれも同じ味ですけどね!」

 

 紬が続けて、別のお約束を言う。この台詞も蒼以外に言われると新鮮な気がする。

 

「それじゃ、すぐにできるからね!」

 

 鴎が棚の上からシロップを用意する一方で、紬がしゃこしゃこと氷を削り始めていた。こんな分担作業も、普段見ない光景だった。

 

「おまたせしましたー」

 

 しばらくして、紬がポニーテールを揺らしながら、二人分のかき氷を運んできてくれた。

 

「あれ? 紬さん、このブルーハワイ、白っぽいんですけど」

 

「上からみぞれと練乳をかけておきました! サービスです!」

 

 サービスは嬉しいけど、すごくカロリーが高そうなかき氷だった。

 

「それでね。羽依里のかき氷なんだけど、メロンシロップが途中でなくなったから、上からイチゴシロップをかけておいたよ!」

 

「ええええ」

 

 言われてみれば、なんか茶色っぽい色になっていた。二色かき氷ってのもあるけど、これは思いっきり色が混ざってしまっている。正直言って、美味しそうに見えない。

 

「ど、どれも同じ味だから! ね!?」

 

 鴎はそう取り繕っていた。確かに同じ味だろうけど……。

 

 しゃくしゃくとかき氷を口に運ぶ。なんとも言えない微妙な味だった。蒼曰く、香料で違いを出してるだけらしいから、においが混ざると本当に微妙な味だった。

 

 そして、雨で気温が低い中でかき氷を食べたせいか、身体が冷えてしまった。やっぱり、かき氷は太陽の下で食べるに限る。

 

 

 

 

「むーぎーぎー」

 

 俺が思わず足踏みをして体を温めていると、紬の鳴き声が聞こえた。見ると、開けた段ボール箱を前にして、なにやら唸っていた。

 

「紬、どうしたの?」

 

「朝にトンヤさんが商品を置いていったらしく、アイさんにお店に並べるよう頼まれているのですが……」

 

「トンヤさん……ああ、問屋さんか。どれどれ」

 

 紬の横に立って、一緒に段ボール箱を覗き込む。中には見慣れたものから新商品っぽいものまで、様々な駄菓子が詰まっていた。

 

「これを全部並べるんですか?」

 

「そですね。商品をいかにきれいに並べるかも、看板娘のギリョーのひとつらしいので」

 

 夏海ちゃんも反対側にやって来て、同じように段ボールを覗き込んでいた。量はないのだけど細々としたものが多くて、並べるのが大変そうだった。

 

「紬、俺たちも品物並べるの手伝うよ」

 

「い、良いんでしょーか?」

 

「いいよいいよ。どうせ暇だし。夏海ちゃんも良いよね?」

 

「はい! お手伝いします!」

 

「え、羽依里たちも手伝ってくれるの?」

 

 話を聞いていた鴎が、持っていた段ボールを地面に置きながら、嬉しそうにそう言っていた。

 

「この段ボールもそうなんだけど。いいの?」

 

「ああ。乗り掛かった舟だし、手伝うよ」

 

 そう言って、段ボールの中から適当な駄菓子を手に取る。

 

 すこんぶにうめガム、ガリコキャラメルにフライデポテト。まずはこの辺りの見慣れた商品から並べてしまおう。自慢じゃないけど、鴎や紬よりかは商品位置を把握しているつもりだ。駄菓子屋にはかなり通っているし。

 

 

 

 

「よし、こんなもんかな」

 

 四人で手分けすれば早いもので、15分もしないうちに商品を並べ終わった。

 

 そして段ボール箱の中には、置き場所がわからない新商品だけが残されていた。

 

 パリングルスのヒーコー味に、パリンキーの牛タン弁当味。キワモノっぽいけど、どんな味か気になる。

 

「鴎、これって試食用とかないのか?」

 

「え、ないけど」

 

「……じゃあ、俺が買うからさ。皆で食べてみない?」

 

「本当ですか? いいですね!」

 

 夏海ちゃんも元気な声で賛同してくれた。やっぱり、少なからず新商品が気になっていたみたいだ。

 

「うんうん。私たちもちょうど休憩したかったんだよー」

 

「そですね! タカハラさん、フトッパラです!」

 

 鴎と紬もニコニコ顔で寄ってきたので、ひとまずパリンキーとパリングルスの代金を支払って、皆で食べてみることにした。

 

「まずはパリングルスから試してみよう」

 

 適当にティッシュを広げて、その上にパリングルスを出す。なんとも言えない香りが広がった。

 

「すごいコーヒーのにおいがするんだけど」

 

「でも、フレーバーの表記はヒーコー味になっていたぞ。誤植かな」

 

「どうなのかな。ヒーコー味って何だろうね」

 

「わからない」

 

 とりあえず、食べてみよう。いくらなんでも身体に悪いものは入ってないだろう。美味しいかどうかはわからないけど。

 

 四人同時にヒーコー味のパリングルスを口に運ぶ。そして、同時に首を傾げた。

 

「むぎゅ……? うまく表現できない味です……」

 

「なんでかな。私は無性にコーヒーをラッパ飲みしたいっ……!」

 

「俺は急に自然現象に論理を問いたくなってきた……!」

 

「ヒーコーチャーハン……!」

 

「むぎゅ! 皆さん、しっかりしてください!」

 

 直後、紬以外の三人が意味の分からない衝動に駆られていた。紬はやっぱりパリングルスを食べ慣れている分、耐性があるんだろうか。

 

「やめよう。ストップ。これは危険な食べ物だ」

 

 本能がそう告げていた。俺は素早くヒーコー味のパリングルスに蓋をすると、近くにあったゴミ箱の中に放り込んだ。

 

「つ、次はこのパリンキーを試してみよう!」

 

 先のパリングルスの悪夢を消し去るべく、鴎がパリンキーの封を切る。今度は牛タン弁当味だった。

 

「いただきます!」

 

 これまた四人で同時に口に運ぶ。うん。牛タンとレモンの風味が口の中いっぱいに広がる。これは美味しい。

 

「美味しいけど……これ、牛タン味じゃダメだったのかな。なんで牛タン弁当味なんだろう」

 

 気に入ったんだろうか。鴎は次々とパリンキーを口の中に放り込みながら、そんなことを言っていた。どうして弁当味なのか、確かに気にはなるけど。

 

「実はこのパリンキーにも一癖あって、食べ過ぎると変な能力に目覚めたりしてな」

 

「うぐっ、妙なこと言わないでよ。オカルト好きな羽依里が言うと、妙に説得力あるし」

 

「ごめんごめん。冗談だよ」

 

「笑えない冗談はやめてほしいっすよー」

 

 なんか鴎の口調が変わっているような気がする。気のせいだよな。

 

 

 

 

 新商品のチェックも終わり、そろそろ帰ろうかと思っていた時、アイスクリームストッカーが目に入った。

 

「そうだ鴎。スイカバー貰える?」

 

「え、スイカバー?」

 

「うん。今日の卓球大会の優勝賞品に、しろはに渡そうと思って」

 

「わかった。ちょっと待っててね!」

 

 カウンターに座っていた鴎が立ち上がって、アイスクリームストッカーを覗き込む。

 

「……新発売されたっぽい、メロンバーとスイカバーのダブルソードセットもあるけど?」

 

「いや、普通のスイカバーでいいよ」

 

 何がソードなのかよくわからないけど、今回は無難にスイカバー単品にしておこう。メロンはさっき食べたし。

 

「えーっと、これだね! はい、100万円だよ!」

 

 見慣れたスイカバーを持ってきてくれた鴎に100円を渡し、商品を受け取る。

 

「それじゃ、そろそろ帰るよ。かき氷、ごちそうさま」

 

「ごちそうさまでした! お二人とも、店番頑張ってくださいね!」

 

「うん、ありがとう!」

 

「マイダーリン!」

 

 笑顔の二人に見送られながら、俺と夏海ちゃんは駄菓子屋を後にした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 途中、再び雨脚が強くなって、小走りになって帰宅した。どうも雨だと調子が狂う。早く晴れないかな。

 

 加藤家に戻り、買ったスイカバーを冷凍庫に入れた後は、また手持ち無沙汰になってしまった。

 

 結局、居間でジャイアントプリッツンを食べながらぼーっとテレビを見ている夏海ちゃんの隣で横になり、自室から持ってきた雑誌を眺めていた。

 

「ボクのこと、忘れてください」

 

 音声だけ聞いていたけど、何やらドラマをやっているみたいだ。

 

「なんのドラマ見てるの?」

 

 俺は雑誌から目を離し、体を起こしながら夏海ちゃんに話しかける。

 

「はい。冬の街で7年ぶりに再会した男女のお話です!」

 

 夏海ちゃんも女の子だし、そういうトレンディードラマに興味があるんだろうか。

 

 そう思いながら、なんとなく画面の方に視線を移すと……どうも昔のドラマの再放送みたいだ。表現がいろいろと古い。うぐぅってなんだろう。

 

「……なんだか、たい焼きが食べたくなるドラマですね」

 

「本当だね」

 

 そして、作中の随所にたい焼きが出てきた。どうもヒロインがたい焼きが好きという設定らしい。それにしても、出過ぎじゃないだろうか。

 

 そのドラマが終わった後、夏海ちゃんは絵日記を書くと言って部屋に戻っていった。ついていくわけにもいかず、俺も自分の部屋で過ごすことにした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……鏡子さん、ハサミないですか?」

 

「ハサミ? あるとは思うけど……」

 

「……できたら、大きいのが良いんです」

 

「ちょっと待ってね。確かこっちに……」

 

 自分の部屋で夢うつつになっていると、居間の方から、夏海ちゃんと鏡子さんのやりとりが聞こえてきた。鏡子さん、帰ってきたのかな。

 

「……それじゃ、ちょっと出かけてきますね」

 

「うん。お願いね」

 

 うーん……夏海ちゃん、天気も悪いのに、またどこかに出かけるのかな……。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「……あれ」

 

 目が覚めると、部屋はかなり薄暗くなっていた。

 

「しまった。気を抜いたら寝ちゃったのか」

 

 読んでいた雑誌はいつの間にか俺の下敷きになって、しわくちゃになっていた。散々読んだし、もういいけど。

 

 俺は身体を起こし、思いっきり伸びをする。パキパキと首や背中が鳴った。

 

 昨夜まともに寝てなかったうえに、午前中は皆と卓球。ここにきて、疲れが出ちゃったんだろうか。

 

「やけに暗いけど、今何時だろう」

 

 部屋の時計を見てみると、ちょうど18時だった。外が暗いのは、雨が降っていることもあるんだろう。

 

 そんなことを考えながら、廊下を抜けて居間に向かう。その居間にも明かりはついておらず、誰も居なかった。

 

「鏡子さんはまた寄合だとしても……夏海ちゃんはどうしたんだろう」

 

 ……もしかして、部屋で寝てる俺を見て、一人で晩ごはんを食べに行ったのかもしれない。

 

 そう思いながら玄関の傘立てを見てみると、夏海ちゃんが使ってる赤い傘がない。やっぱり、先にしろは食堂に出かけたみたいだ。

 

「それなら、俺も食堂に行こうかな」

 

 俺も自分の傘を持って、夜の帳が下り始めた道を食堂へ向かって歩いた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「しろはー」

 

「あ、いらっしゃい」

 

 食堂に顔を出すと、笑顔のしろはが出迎えてくれた。

 

「……あれ? 夏海ちゃん来てない?」

 

「ううん、来てないけど……?」

 

「おかしいな。てっきり食堂に来てるものと思ったんだけど」

 

「どうかしたの?」

 

「いや、昼寝から起きたら、家に誰も居なくてさ。鏡子さんは寄合で、夏海ちゃんは食堂だろうって思ったんだけど」

 

「うーん……どこかで行き違いになってるのかもしれないし、そのうち来るかもしれないね。待ってみる?」

 

「うん。そうするよ。夏海ちゃんの傘もなかったし、出かけてはいると思うんだけど。外も暗くなってきたから、どこかで追い抜いちゃったのかも」

 

 そう言いながら、カウンター席に腰を下ろす。夏海ちゃんも来るかもしれないし、セルフの水は二つ用意しておいた。

 

「どうする? 羽依里、先に食べてる?」

 

「いや、夏海ちゃんが来るまで待つよ」

 

「そう……じゃあ、メニューだけ決めておいたら?」

 

 しろはがそう言って、メニュー表を手渡してくれた。それを見た瞬間、俺のお腹の虫が盛大な音を立てた。

 

「うう、恥ずかしい……」

 

「やっぱり、先に食べてたら? 夏海ちゃんもあの性格だし、気にしないと思うし」

 

「そ、そうだよな……それじゃしろは、今日の日替わりは何?」

 

「……ごめん。今日は日替わりはできないの。漁師さんから魚が仕入れられなくて」

 

「あ、日替わりも駄目なんだ」

 

「うん。台風が過ぎても、すぐには海に出られないんだって。魚も少ないしね」

 

 やっぱり、台風の波で海の中もかき回されてるし、魚もどこか安全なところへ逃げちゃうんだろうか。

 

「おじーちゃんも仕事にならないから、今日は早めに寝るって言ってたよ」

 

「……確か、あの人って寝るの滅茶苦茶早かったよな」

 

「うん。もう寝てるんじゃないかな。明日は朝3時に起きて、海の様子を見てみるって言ってたし」

 

「漁師さんの朝は早いっていうけど、さすが本職はすごい時間に起きるんだな」

 

「それでも、明日は遅い方なんだって……ところで羽依里、料理決まった?」

 

「……それじゃ、親子丼A頼める?」

 

「うん。それならすぐにできるから、待っててね」

 

 そう言って、注文を受けたしろはが調理に取りかかる。すぐに食材を刻む、心地いい音が聞こえてきた。

 

「そうだ。しろは、今日の卓球大会の賞品なんだけど」

 

「え?」

 

「さっそく駄菓子屋でスイカバーを買ってきて、加藤家の冷凍庫に入れてるから。良い時に取りに来て」

 

「……もしかして、本当にスイカバー買ってきてくれたの?」

 

「そうだけど?」

 

「もう、正直すぎるよ……気にしなくていいのに」

 

 卵を割る音がして、黄身と白身をかき混ぜるリズミカルな音がする。続いて、しょうゆと出汁のいい匂いが漂ってきた。

 

「……それが羽依里の良い所なんだけどね」

 

「え?」

 

「……なんでもない」

 

 しろはが小さな声で何か言っていたけど、調理の音にかき消されて、聞き取れなかった。

 

 

 

 

「はい、おまちどうさま」

 

 ほどなくして、俺の前に親子丼が提供される。うん。この香りだけで、すごく美味しそうだ。

 

「それじゃ、いただきます」

 

 きちんと手を合わせてから、できたての親子丼に箸を伸ばす。

 

「うん、美味しい」

 

 卵はふわふわとろとろで、半熟具合が絶妙だ。でも具材の鶏肉とタマネギも負けてなく、噛むごとに旨味と甘味が溢れだす。

 

「そ、そんな慌てて食べなくても」

 

「いや、本当に美味しくてさ」

 

「ほら、右のほっぺ、ごはん粒ついてるし」

 

「え、本当? しろは、取ってくれ」

 

「取らないし!」

 

 ……至って自然に言ったつもりだったんだけど、しろはは顔を赤くして拒否していた。

 

 

 

 

「……美味しかった。ごちそうさま」

 

「……お粗末さまでした」

 

 ……ごはん粒は取ってもらえなかったけど、親子丼は本当に美味しかった。

 

「それにしても……夏海ちゃん、来ないね」

 

 俺に食後のお茶を淹れてくれながら、しろはがそう呟いた……その時。

 

 

 

『ーーー緊急放送。緊急放送』

 

 

 

「えっ、何?」

 

 唐突に島内放送が流れた。緊急放送って何だろう。

 

 俺としろはは慌てて表に出て、放送に耳を傾ける。

 

『島内で土砂崩れが発生。家屋に土砂が侵入した模様。場所はーーー』

 

 ……その後に続いた言葉に、俺は耳を疑った。確かその場所は……。

 

 

 

「……私の家」

 

 いや、そんな、まさか。

 

「……おじーちゃん!」

 

 放送を聞いたしろはは顔面蒼白といった様子で、扉の近くに置かれていた懐中電灯を掴むと、そのまま雨の中へ飛び出していった。

 

「しろは!」

 

 俺も少し遅れて、その後を追いかける。雨脚は強いけど、傘なんて差している場合じゃない。

 

 すっかり日が落ちた闇の中で、懐中電灯の明かりだけが、しろはの位置を教えてくれる。速い。既にかなり先の方を走っている。

 

「しろはーーー!」

 

 俺も全力で追いかけるけど、足元は雨でぬかるんでいて、時々転びそうになる始末だ。逆にしろはとの距離が開いていく。

 

 思えば、しろはは毎日この暗い道を家まで歩いて帰っているんだし、慣れているのは当然だった。

 

「くそっ、追いつけない」

 

 俺は走りながらも、必死に頭の中の悪い予感を消し去ろうとしていた。

 

 ……家屋に土砂が入り込んだって言っても、他人の家……いや、無人の小屋かもしれない。

 

 倉庫とか、納屋とか、何かしら別の……。

 

 ……でも、あの辺りには建物が一つしかない事を、俺は知っている。

 

 ……だめだ。嫌な予感しかしない。

 

 そんな不安な気持ちを消し去ろうと、俺も必死にしろはを追いかけた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 田舎道を全力で駆け抜け、川沿いを上流へ向かって進み、途中から逸れて山を登る。

 

 ……その先に、しろはの家があった。

 

 既に役場の関係者だろうか、カッパに身を包んだ人が何人かいて、トランシーバーでどこかと慌ただしく連絡を取っていた。

 

 そして、その人たちが懐中電灯の光を当てながら見つめる先……家の一部が、土砂に埋まっていた。

 

 それを見ながら、呆然と立ち尽くすしろはに声をかける。

 

「しろは、あの辺って」

 

「……おじーちゃんの部屋!」

 

 俺の言葉で、自分がやるべきことを思い出したかのように、しろはは土砂の山に駆け寄り……素手で土砂を掘り始める。

 

「……また誰かいなくなるのは耐えられない。また失うのは嫌」

 

 ……もしかして、両親の時のことを思い出しているんだろうか。

 

「もう、誰かがいなくなるのは嫌……!」

 

 しろははうわごとのようにそう言いながら、必死の形相で泥をかき分ける。しろはの綺麗な指先が泥に汚れていく。

 

「くそっ……しろは、俺も手伝うからな!」

 

 俺も同じように土砂に立ち向かう。

 

 もし、ここにしろはのじーさんが生き埋めになってしまっているのなら、一刻の猶予もない。

 

 でも、大量の水分を含んだ土砂は重く、かきわけてもかきわけても流れ落ちてくる。中には拳くらいの大きさの石も混ざっていて、いくら頑張っても掘り進んでいる気がしない。

 

 空しく時が過ぎ去り、焦りと不安が俺の心を支配し始めた、その時……。

 

 

 

 

「……しろは!」

 

 俺たちの背後から、聴き慣れた野太い声がした。

 

 二人同時に振り返ると、そこにしろはのじーさんと、夏海ちゃんが立っていた。

 

「え、おじー、ちゃん……?」

 

 しろはは驚愕の表情を浮かべたまま、ふらふらと立ち上がる。

 

「おじーちゃん!」

 

 そしてそのまま、じーさんの胸に飛び込むようにして抱きつき、人目をはばからずにむせび泣く。

 

 ……良かった。じーさん、無事だったんだ。

 

 最悪の事態が回避されていたことを知り、俺も一気に脱力し、その場にへたり込んでしまう。

 

「……鳴瀬翁、御無事でしたか。状況が状況でしたし、てっきり……」

 

 役所の人たちも、じーさんの無事な姿を確認して安堵の声をあげていた。

 

「……一度床に就いたが、夏海に起こされてな」

 

 じーさんは少し困ったような顔でしろはの頭を撫でながら、隣の夏海ちゃんに視線を送る。

 

「はい! 港を歩いていたら、こばとさんの船の様子がおかしい気がしたので、慌てて呼びに行ったんです!」

 

 そういう夏海ちゃんは傘も差しておらず、全身ずぶ濡れだった。足元のスニーカーも泥だらけだし。余程急いだんだろうか。

 

「その夏海の言葉に半信半疑のまま、港の方へ行ってみれば、船を係留するロープが切れかけていてな。船が流される寸前だった」

 

「この台風の波のせいですか? 危なかったですね」

 

「いや、波の力に負けたのではない。まるで人の手で切られたような風でな。誰かは知らんが、とんだいたずら者だ」

 

 誰かが意図的にロープを切ったということだろうか。でも、誰がそんなことを。

 

「その後、緊急放送を聞いて家に戻ってみれば、この有様だ。結果、命拾いをしたようだが」

 

 じーさんはそこまで言って、小さくため息をつく。悲しげなその視線は、土砂に埋まってしまった部屋の方へ向いていた。よく見ると土砂の中に布団の切れ端のようなものも見える。あそこで寝ていたら、間違いなく巻き込まれていただろう。

 

「何にしても、無事で良かったですよ。夏海ちゃん、お手柄だね」

 

「えへへ。良かったです……」

 

 夏海ちゃんも雨と泥にまみれた顔で、安心したように笑っていた。

 

 

 

 

 それからしばらくして、放送を聞いたらしい島民が続々と集まってきた。中には鏡子さんの姿も見える。

 

 そんな中で、じーさんは恥ずかしそうにしながらも、腕の中のしろはが泣き止むまでずっと抱きしめてあげていた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 しろははひとしきり泣いて、どうやら落ち着いたらしい。そのしろはと、じーさんの二人を連れ添って、加藤家に帰ってきた。

 

 鳴瀬の家はあの状況だし、鏡子さんの提案でしばらくの間、二人には加藤家に住んでもらおうという話になったのだ。

 

「……すまんな。しばらく世話になる」

 

「お世話になります」

 

 そう言いながら、しろはとじーさんは俺たちに頭を下げる。二次災害の危険もあるし、二人の手荷物は必要最低限のものだけだった。

 

「しろはちゃんにはいつもお世話になっていますし、困ったときはお互い様ですよ。自分の家だと思って、くつろいでください」

 

 そんな二人を、鏡子さんは笑顔で迎え入れてくれていた。

 

「えっと、そんなわけだから、しばらくの間よろしくね。羽依里」

 

「あ、ああ。こちらこそ」

 

 しろはからそう言われると、内心ほんのちょっとだけ嬉しかった。状況が状況だけに、かなり不謹慎とは思うけど、まさか一つ屋根の下で暮らすことになるなんて。

 

「……ごほん」

 

 その心情を見透かされたのか、わざとらしく咳き込んだじーさんに睨まれた。うう、怖い。

 

「それじゃ、今日はもう夜も遅いですし、お風呂に入って、ゆっくりと休まれてください」

 

「ああ、そうさせてもらうとしよう」

 

「ありがとうございます」

 

「後、しろはちゃんは夏海ちゃんの部屋に泊めてあげて。いいかな?」

 

「はい! しろはさん、よろしくお願いします!」

 

 夏海ちゃんは笑顔で了承していた。あれ? この流れってもしかして。

 

「鳴瀬さんは羽依里君の部屋でお願いします。布団は後で持っていきますから」

 

「何から何まですまんな」

 

 やっぱりこういう展開になってしまった。家主である鏡子さんが決めたことだし、逆らえないけど。

 

 

 

 

 入浴を済ませて、部屋に布団を敷いたころ、土砂崩れの続報が放送されていた。

 

 どうやら島民に向けた説明みたいで、被害に遭ったのは家の一部だけで、人的被害はなし。明日から復旧作業を行うといった内容だった。

 

 なにより、放送しているのみき自身が凄く安心している様子が言葉の端々から伝わってきた。

 

「明日は、復旧作業を手伝わないと……」

 

 でも本当に、大事にならなくて良かったと思う。

 

 何故か、じーさんに何かあったら、しろはまでいなくなってしまいそうな、嫌な予感がしていたから。

 

「……そんな、まさかな」

 

 いびきをかいて寝ているじーさんを横目に、窓の外を見る。気がつけば雨はすっかり止んでいて、星空が見えていた。

 

 明日はようやく晴れそうだった。

 

 

 

 

第四十話・完




第四十話・あとがき


おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
台風は無事過ぎ去りましたが、今回も引き続き雨の鳥白島のお話でした。
今回は卓球大会と言うことで、ようやく天善メインの話……かと思いきや、初戦で静久に速攻でやられてしまいました。藍の言う通り、相手が悪かったですね。
それぞれ特徴的な戦い方ができたので大方満足していますが、どうせならのみきも参加させてあげたかったというのが本音です。

午後の駄菓子屋を紬と鴎に切り盛りさせるというイベントも、一度やってみたかったんです。何故に店番の二人がメイド服だったかというと、そこは藍の趣味です。紬も鴎も、まんざらではなさそうですし、絶対似合うと思います。

そして、後半の土砂崩れ。驚かせてすみません。ストーリー上必要だったのです。
結果的にしばらくの間、しろはと一つ屋根の下で暮らすことになりました。保護者のじーさんは一緒ですけども。
ちなみに、これはあくまで副産物的な状況です。この状況を生み出すために土砂崩れを起こしたわけではありませんので、悪しからず。


■今回の紛れ込みネタ
・インフェニットダンゴサーブ
まるでだんご大家族みたいなサーブです。強そうです。

・パリングルスのヒーコー味
Rewriteより、篝ちゃんが大好きなヒーコー味です。勇気のある方は容器を持って、ラッパ飲みに挑戦してみてください。クリアした方にはもれなく、篝ちゃんの圧縮言語によるメッセージが受け取れます。

・パリンキーの牛タン弁当味
牛タン大好きな、某シャーロットのヒロインをモチーフにしています。食べすぎ注意です。

・古いトレンディードラマ
kanonそのものです。kanonって、見れば見るほどたい焼き食べたくなりますよね。

以上になります。いくつお気づきになられたでしょうか。
今回も、最後まで読んでいただいてありがとうございました!
感想など頂けましたら、泣いて喜びます。
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