Summer Pockets #2   作:トミー@サマポケ

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第四十三話 8月27日

 

 

 

「……おい。起きろ」

 

 ……朝。今日も夏海ちゃんの声で……。

 

「おい。羽依里、起きんか」

 

 ……おかしいな。随分野太い声がする。これは夏海ちゃんじゃない。

 

「……しろはから聞いていたが、ここまで起きんとはな。こんなのと一緒になったら、先が思いやられるぞ」

 

 え? 今、何か聞き捨てならない発言があった気がするんだけど。気のせいかな。

 

「かくなる上は……四天王スクワットだ! ししんそうおう!」

 

 ……その掛け声に、身体が勝手に反応してしまった。

 

「……朱雀! ざく! ざく! 白虎!」

 

 俺は布団をはねのけて起き上がり、その流れで目の前にいたじーさんと一緒にスクワットをする。

 

「やはり、この方法が一番早く目覚めるようだな。白虎! びゃこ! びゃこ! 朱雀!」

 

「朱雀! ざく! ざく! 白虎!」

 

 その後しばらくの間、半強制的にスクワットをする羽目になってしまった。おかげで目は覚めたけど、この夏で一、二を争う目覚めの悪さだった。

 

「……話は聞いていると思うが、今日は家の中の片づけをするぞ。お前たちは昨日と同じように、午前中だけ手伝ってくれればいい」

 

 スクワットの後、じーさんは息一つ乱すことなく、俺にそう告げる。

 

「ぜぇ、はぁ。わ、わかりました……」

 

 一方の俺は疲れ果て、両膝に手をついて肩で息をしていた。なんか変な汗が出てるし、ひどい目に遭った。

 

「あ、終わりましたか?」

 

 朝から重たくなってしまった身体を引きずるように布団をたたんでいると、廊下の方から夏海ちゃんがひょっこりと顔を覗かせた。どうも、スクワットが終わるのを待ってくれていたらしい。

 

「羽依里さん、おはようございます」

 

「お、おはよう。夏海ちゃん」

 

「こばとさんも、おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 夏海ちゃんはニコニコ顔でじーさんに挨拶をしていた。それにつられてか、じーさんも珍しく少し笑顔だった。

 

「そういえばお前たち、今日もラジオ体操に行くそうじゃないか。せいぜい、遅れんようにな」

 

「はい! 今日も頑張ってきます!」

 

「それとな。家の片付けを始めるのは昨日と同じ、9時からだ。頼んだぞ」

 

 じーさんは俺と夏海ちゃんにそう告げてから、部屋を出ていった。俺はラジオ体操の前に、既にクタクタなんだけど。

 

「……あ、起きたんだね」

 

 そのじーさんと入れ違いになるようにして、今度はしろはが部屋にやってきた。

 

「おはよう。しろは」

 

「おはよう。朝から元気のいい声がしてたけど、おじーちゃんとモーニングスクワットやってたの?」

 

「うん。成り行きで、そうなっちゃって」

 

「……凄い汗だけど、大丈夫?」

 

「……慣れないことはするもんじゃないね」

 

 俺はそう言いながら額の汗をぬぐう。うん、これは早急に着替えないと。

 

「ちょっと着替えるからさ。二人とも玄関で待っていてくれないかな」

 

「わかりました!」

 

「うん。少し急いでね」

 

 二人はそう言って、廊下の先へと消えていった。俺は鞄から着替えを引っ張り出して、手早く身支度を整えることにした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 神社に到着すると、そこにはいつもの島の少年団の皆に加えて、紬と静久、鴎と言ったメンバーが集まっていた。

 

「皆、おはよう」

 

「おはよう、パイリ君」

 

「おはようございます!」

 

「羽依里、なっちゃん、おはよう!」

 

 その面々と挨拶を交わしていると、少し離れた場所で、のみきが子供たちを集めて何か話をしているのが見えた。

 

「のみきは子供たちと何の話をしてるんだろう?」

 

「なんですかね?」

 

「ほら、あれじゃない? しろはの家の片付け」

 

「今日からは家の中での作業に入るんでしょう? その説明じゃないですか?」

 

 夏海ちゃんと二人で疑問に思っていると、左右から俺たちを挟むように空門姉妹がやってきた。今日は姉妹揃って髪をストレートにしていた。

 

「俺たちも、じーさんから話は聞いてるけどさ……」

 

 姉妹と話しながら、漏れ聞こえてくるのみきの言葉を拾ってみる。どうやら、今日からは手伝いが不要なことを伝えつつ、ここ数日の子供たちの労をねぎらっている様子だった。

 

「さすがに家の中はプライベートな部分になるし、あたしたちじゃ手伝えないしねー。羽依里と夏海ちゃんは、しっかりと手伝ってあげてね」

 

「はい! もちろんです!」

 

「わかってるよ」

 

 夏海ちゃんに続いて、俺も返事を返す。ところで、なんで俺たちが手伝うって知ってるんだろう。相変わらず、話が広まる速度が尋常じゃない。

 

「よーしお前ら―! 今日もラジオ体操を始めるぞー!」

 

 その時、ラジオ体操大好きさんがやってきた。今日もラジオ体操が始まる。

 

「……そうそう。今日はラジオ体操の前に連絡があるんだ」

 

 ……と思ったら、何か連絡があるみたいだった。いつもと流れが違うと、なんだか調子が狂うな。

 

「この夏のラジオ体操は、明日で最終日になる! 皆、よく頑張ったな!」

 

 ラジオ体操大好きさんがそう言って、皆を褒め称えていた。そうか、明日でラジオ体操も終わりなのか。

 

「……あれ? ラジオ体操って、普通31日までやるもんじゃないのか?」

 

 直後に純粋な疑問を感じて、近くにいた良一たちに聞いてみた。

 

「そりゃもう、皆やることがあるだろ?」

 

 良一は、なに当たり前のことを聞いてるんだ? みたいな目で俺たちを見てきた。やること? 何かあったけ。

 

「……あれだよ。夏休みのラスボスだ」

 

「え、ラスボス……ですか?」

 

 続く良一の言葉に、夏海ちゃんも頭に疑問符を浮かべていた。

 

「もう、察しなさいよね……あれよあれ。夏休みの宿題」

 

「……ああ、なるほど」

 

 蒼に言われて、ようやく理解した。そういえば、その場の誰もが目を泳がせたり、青い空を見上げたりしている。やっぱり、終わってない人も多いんだろうか。

 

「さあ、嫌なことは忘れて、今日もラジオ体操を始めるぞー!」

 

 ラジオ体操大好きさんはそう言って、悲壮感に暮れる皆を鼓舞する。その場は忘れられたとしても先延ばしになるだけで、なんの解決にもならない気がするんだけど。

 

「いくぞー! 第一の体操! 耳介筋の鍛錬!」

 

 そんな俺の疑問を飲み込みながら、改めて今日のラジオ体操が始まった。

 

 

 

 

「……よし、今日のスタンプはこっちだぞー」

 

 いつもと変わらぬラジオ体操が終了し、スタンプとログボを受け取る。

 

 この慣れ親しんだラジオ体操も明日で終わりとなると、なんだか感傷深いものがある。

 

 そんなことを考えながら受け取ったログボを見てみると、白い束のようなものがビニール袋に入っていた。

 

「あれ? これってそうめん?」

 

「みたいですね……もしかして、お中元のあまりだったりするんでしょうか」

 

 同じように手にある白い束を見ながら、夏海ちゃんがそう言っていた。一瞬、そうめんチャーハンという単語が浮かんだけど、俺は急いでそれを打ち消した。

 

「とりあえず、しろはなら何かしら役立ててくれそうだし。帰ったら水屋にしまっておこうか」

 

「そうですね!」

 

「それじゃ、しろはもそろそろ帰ろう……あれ?」

 

 しろはを探そうと境内を見渡すと、他の皆が一ヶ所に集まって何やら話をしているのが見えた。

 

 その中にしろはの姿もあったので、俺たちもその輪の中に加わってみる。

 

「一番の問題は古文や漢文よねー」

 

 蒼がうんざりしたような顔でそう言っていた。やっぱりと言うか、どうやって夏休みの宿題を片付けるか、皆で相談していたみたいだ。

 

「数学も嫌になるよね」

 

「ああ、あの数列を並べた波状攻撃には、全面降伏しかない」

 

「天善ちゃんは国語の漢字ラッシュや、元素記号攻撃にも全面降伏じゃないですか」

 

 どうやら、しろはは数学が苦手なのかな。一方の天善は、藍の言う感じだと苦手科目が多いのかもしれない。

 

「ところでさ、そう言う藍は宿題終わったのか?」

 

「もちろんです。8月の頭には終わりましたよ」

 

 ……早い。さすがだった。

 

「それからは毎日のように、蒼ちゃんの家庭教師をしています」

 

「おお。じゃあ蒼も宿題終わってるのか」

 

「あははー。それがねー」

 

 笑顔で頭を掻いて誤魔化してるけど、全て察した。うん。余裕で残ってるんだろうな。

 

「……あれ? そういえば」

 

 どこか他人事のように皆の話を聞いていたけど、俺たちって宿題終わったっけ。夏休みの最初の方は、毎日きちんとやってた記憶があるんだけど、なぜか途中からは全く記憶にない。終わらせたんだよな……?

 

「夏海ちゃん、俺たちって宿題終わったよね?」

 

「え。何の宿題ですか?」

 

「何って、夏休みの宿題だよ」

 

「ソ、ソンナモノモアリマシタネー」

 

 夏海ちゃんも目が泳いでいた。今思い起こしてみれば、キャンプから戻って以後、全くやってない気がする。何日分溜まってるんだろう。考えたくもない。

 

「そ、そうだ。せっかくだし、皆でどこかに集まって、一緒に宿題をしない?」

 

 自らの危機を察し、俺はそう皆に提案していた。皆でやれば、宿題の進みも違うだろうし。

 

「いいわねー。賛成!」

 

「うん。それはいい考えだね」

 

「さすが羽依里! 名案だな!」

 

 蒼やしろは、良一といった宿題終わってない組が即座に賛同してくれた。三人寄ればなんとやらって言うし、心強かった。

 

「ねぇ羽依里、私も行っていい?」

 

 その時、鴎が自分を指差しながら、そう言ってきた。

 

「やっぱり、鴎も宿題終わってないのか?」

 

「ううん。終わってるよ」

 

「え、終わってるの?」

 

 ちょっと意外だった。

 

「むー。羽依里、すごく意外そうな顔してるんだけど」

 

「いや、全然そんなことないぞ。というか、鴎は宿題終わってるなら、来る必要ないんじゃないか?」

 

「だって、皆と一緒にいたほうが楽しそうだし。ね? いいでしょ?」

 

「いやまぁ、来る者拒まずだけどさ……」

 

 だから鴎、その上目遣いやめて。無意識なんだろうけど、かなりグッと来るから。

 

 その後、改めて参加者を募ったところ、俺や夏海ちゃんはもちろんのこと、しろは、蒼、良一、天善、のみきが是非参加したいと申し出てきた。

 

 既に宿題が終わっている藍や鴎も参加することになったし、指導役も申し分ないと思う。次の問題は、これだけの人数が集まれる場所の確保だった。

 

「皆で宿題をやるにしても、これだけの人数が集まれる広い場所があるのかな」

 

 俺はぐるりと皆の顔を見渡す。ざっと10人近い。屋内でこれだけの人数が集まれる場所があっただろうか。

 

「のみき、役所に使ってない部屋とかないのか?」

 

「残念だが無いな。青年会館も……今日は確か、催し物の予約が入っていたしな」

 

 のみきが腕組みをしながら、残念そうに言う。そういえば、青年会館で秋子先生の手作りジャム教室を開催します……みたいな内容の回覧板が来ていた気がする。よりにもよって、今日だなんて。

 

「午前中はしろはの家の片付けがあるから、午後からでいいんだけど……どこかないかな」

 

 そこで皆、考えに詰まる。やろうと思えば屋外でもできない事もないけど、人目につくし、なんとなく恥ずかしい。

 

「ねぇ紬。それなら、灯台でやってもらったら良いんじゃないかしら。中は広いし」

 

「おおー、それはいい考えですね!」

 

 その時、静久と紬がそう提案してくれた。確かに、灯台ならこの人数でも余裕だと思う。

 

「二人とも、いいのか?」

 

「はい! 好きなだけ使ってください!」

 

 そのまま笑顔で了承してくれ、勉強会の会場は灯台に決まった。

 

「パイリ君たちが午後からがいいのなら、時間は13時からにしましょう」

 

「そですね!」

 

 その後は、灯台の主である二人が中心となって予定が決められていく。

 

「皆でやるのはいいんだけどよ。やっぱり宿題は憂鬱だぜ……」

 

 そんな中、良一がそう言っていた。一人、残っている宿題の量を想像していたんだろうか。顔色が悪い。

 

「そう言わないの。皆で立ち向かうのよ!」

 

 隣の蒼はそう言って握りこぶしを作っていた。その通りだ。皆で協力すれば、きっとこの試練を乗り越えられるはずだ。

 

「……そういう時は、宿題を終えた後のお楽しみを用意しておくといいのよ?」

 

 俺たちの様子を見て、静久が笑顔でそう言っていた。

 

「え、お楽しみ?」

 

「そう。今日中に宿題が終わったら、明日は皆で遊園地に行くってのはどうかしら」

 

「え、遊園地ですか?」

 

 遊園地という単語に、夏海ちゃんが反応した。

 

「最近、なんとなく夏海ちゃんが元気ないような気がしたし……夏の終わりに、こういう形で皆と思い出を作るのも良いんじゃないかなって思って」

 

「え?」

 

 静久は優しい顔で夏海ちゃんを見ていた。隣の紬も笑顔だし、もしかして宿題の有無に関わらず、遊園地の件は提案するつもりだったのかもしれない。

 

「確かにこの夏、俺は本土に何度も出かけたけど、夏海ちゃんは一度も外出してないよね」

 

「そ、それはそうですけど……悪いですよ」

 

 だから俺も、そんな二人の提案に乗っかる形で、夏海ちゃんにそう言う。

 

「言われてみればその通りですね。これは不公平ですよ」

 

「ほら、なっちゃんも遠慮しないで!」

 

 俺の意図は他の皆にも伝わったようで、良い感じに乗ってきてくれた。最初は渋っていた夏海ちゃんも、皆の意見に押されて、迷っているみたいだった。

 

「えっと、すごく嬉しいんですけど……その、そういう遊園地のチケットって、高いんじゃないですか?」

 

「うふふ。実はここに、こんなチケットがあるのだけど」

 

 そう言うと、静久はどこからかチケットの束を取り出して、皆に見せてくれる。ぱっと見、10枚以上ある気がする。

 

「宇都山ハイランド……?」

 

 そのチケットには『今年の夏は宇都山ハイランドで最高の夏を! 本場ブラジルカーニバルと、ウォーターバトル!』と、派手な字が書かれていた。

 

 そう言えば、宇都港の案内板にそんな名前の遊園地があった気がする。確か、港から少し離れた山の上だったような。

 

「でも、なんでそんなにたくさんのチケットを静久さんが持ってるんですか?」

 

「これはね、大学の先輩からもらったの」

 

 そう言えば、静久は女子大生だったんだ。そんな素振りは微塵も見せないから、つい忘れがちになるけど。

 

「だ、大学の先輩ですって!?」

 

「天善、そこが気になるのはわかるけど、このタイミングで話に入らない!」

 

 静久の発した単語に過剰反応した天善を蒼が抑える。全く、話の腰を折ろうとしないでほしい。

 

「その先輩は夏休みの間、宇都山ハイランドでアルバイトをしているのだけど……有効期限が8/31までのこのチケットが、たくさん余ってしまったらしくて。私に譲ってくれたの」

 

 俺も飲食店でバイトした経験があるけど、遊園地のバイトはチケット販売のノルマまで課せられるんだろうか。その先輩って人も、色々と大変そうだ。

 

「そういうわけだから、夏海ちゃんも遠慮しないで。ね?」

 

 チケットの出所を説明した後、静久はもう一度笑顔で夏海ちゃんを見る。

 

「わ、わかりました……それじゃあ、私も皆さんと一緒に、遊園地行きたいです!」

 

 夏海ちゃんが意を決してそう言っていた。

 

「うんうん。決まりね。それじゃ、明日皆でお出かけするためにも、頑張って今日中に宿題を終わらせましょう!」

 

「「おーーーっ!」」

 

 気合いを入れる意味を込めて、皆で拳を突き上げる。後々の楽しみが増えたし、これは頑張って宿題を終わらせないと。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 ……その後、皆と別れて、しろはや夏海ちゃんと三人で加藤家に向けて歩く。

 

 そうだ。加藤家に戻ったら、午後からの勉強会と明日の外出について、鏡子さんにお伺いを立てないと。

 

「うーん……遊園地……行ってみたい、けど……」

 

 そんなことを考えていると、隣のしろはが小さな声で唸っていた。どうやら、自宅があんな状況なのに自分だけ楽しい思いをしていいのかと、悩んでいるみたいだ。

 

「……しろはが行きたいんなら、思い切って聞いてみたらどう?」

 

「え?」

 

「俺たちも朝食の席で鏡子さんに聞いてみるからさ。しろはもその流れで、じーさんに聞いてみてもいいんじゃないか?」

 

「う、うん。そうだね……」

 

「俺も、しろはと遊園地デートしたいし」

 

「……み、皆と一緒だから、デ、デートじゃないし!」

 

 しろはにしか聞こえないような声でそう伝えてみる。直後、瞬間湯沸かし器のように真っ赤になってしまった。ちょっと調子に乗りすぎたかな。

 

 

 

 

「ただ今帰りましたー」

 

 帰宅した後、例によってしろはに朝食の準備をお願いして、俺たちは居間で過ごしていた。

 

「夏海ちゃん、ちょっと手伝ってくれないかな」

 

「わかりました! 今行きます!」

 

 いつものように夏海ちゃんが場を繋いでくれていたんだけど、しばらくするとしろはに呼ばれて、台所へと消えていってしまった。

 

 結果、居間には俺と鏡子さん、そして小鳩さんの三人が残される形になる。

 

「……」

 

「……」

 

 ……途端に会話がなくなり、居間はなんとも微妙な空気に包まれる。

 

「えーっと、あの……きょ、今日もいい天気ですね」

 

「うん。今日も暑くなりそうだよ」

 

「そうですね。日射病に気をつけないとですね」

 

「……」

 

「……」

 

 俺は何とか会話を続けようとするけど、大した話題が出てこない。すぐに何とも言えない空気に戻ってしまった。

 

 ここ数日、こんな空気にならなかったのは、やっぱり夏海ちゃんの功績が大きかったらしい。

 

 ……弱ったな。まだ二人が戻ってこないから、宿題や遊園地の話題を出すわけにもいかないし。

 

 俺は助けを求めるようにテレビを見る。画面では黒縁の眼鏡をかけたアナウンサーが、淡々と朝のニュースを読み伝えていた。

 

「……夏海ちゃん、その味噌をお玉ですくってみて」

 

「こうですか?」

 

「そう。それで、お鍋の中で少しずつ溶かしながら混ぜてみて」

 

「はい!」

 

 台所からは、二人の楽しそうなやりとりが聞こえてくる。まるで親子だ。しばらくして味噌汁のいい匂いもしてきたし、俺もそっちに行きたい。

 

 

 

 

「お待たせしましたー」

 

 その場をしのぐために見ていたニュース番組が終わる頃、夏海ちゃんとしろはがおぼんに朝ごはんを乗せて、居間にやってきた。

 

 そして食卓に並べられたのは、炊きたてのごはんに味噌汁、キュウリの漬物、アジの開きだった。今日もおいしそうだ。

 

「……あれ? しろは、俺だけごはんがないんだけど」

 

 気がつけば、俺の前にだけ白ごはんがなかった。どうしたんだろう。

 

「羽依里はこれだよ」

 

 そう言ってしろはが運んできてくれたのは、大きな焼きおにぎりだった。

 

「え、これは?」

 

「昨日、羽依里が持って帰ったおにぎりをアレンジしたの。もったいないしね」

 

 そういえば昨日の昼、もらったおにぎりを食べきれずに持って帰ったんだっけ。それを焼きおにぎりにしてくれたのか。さすがしろはだ。

 

「今日は羽依里君だけ特別メニューなんだね。それじゃ、食べましょうか」

 

 鏡子さんがそう言い、挨拶をしてから、今日も朝食が始まる。

 

 何をさておき、俺は焼きたての焼きおにぎりにかじりつく。

 

 一口かじると、味噌や醤油の風味が鼻に抜ける。表面も香ばしく焼いてあるし、これは美味しい。

 

 続いてきゅうりの漬物を口に運び、焼きおにぎりをもう一口かじる。

 

「……あれ、夏海ちゃんどうしたの」

 

 その時、隣に座っていた夏海ちゃんが味噌汁をすすりながら、俺の方を見ていた。

 

「いえ、なんでもないです!」

 

 夏海ちゃんはその直後、ごにょごにょと何か言いながら漬物を口に運んでいた。

 

 もしかして、この焼きおにぎりが食べてみたかったのかな。

 

 だけど、思いっきり口をつけてしまったし。今更分けてあげると言うわけにもいかず、俺はそのまま食事を続けたのだった。

 

 

 

 

「ごちそうさまでしたー」

 

「さすがしろはちゃん、今日も美味しかったよ」

 

「お、お粗末さまです」

 

「あの……鏡子さん。実は折り入ってお願いがあるんですけど」

 

 皆が食事を終えたタイミングを見計らって、俺はそう話を切り出す。

 

「お願い?」

 

「はい。今日のお昼からなんですが、皆で夏休みの宿題をしたいんで、三人で灯台に行ってもいいですか?」

 

「灯台? それは別に構わないけど」

 

「それとですね。今日中に宿題が終わったら、明日は皆で本土の遊園地に行かないかって誘われたんです」

 

「え、明日?」

 

「はい。無理でしょうか」

 

「うーん。島の花火は明後日だし、良いんじゃないかな」

 

「ありがとうございます」

 

「いいよ。あまり遅くならないように、楽しんできて」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

「……あのね、おじーちゃん。その遊園地、私も行っていいかな」

 

 俺の助言通り、しろはがそのタイミングでじーさんにそうお伺いを立てていた。

 

「……まぁ、いいだろう。気晴らしも必要だ。楽しんでくるといい」

 

「おじーちゃん、ありがとう」

 

 しろはのじーさんは一瞬だけ悩むような素振りを見せていた。鏡子さんや夏海ちゃんもいるし、この場で選択を迫るのは酷だっただろうか。

 

「その代わり、今日は家の片付けをしっかりと手伝って、昼からも、宿題をきちんと終わらせるんだぞ」

 

「うん。わかってる」

 

 努めて表に出さないようにしているけど、言葉の端々に嬉しさがにじみ出ている。しろは、良かったな。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 その後、俺たちは片付けのために鳴瀬家へと向かった。

 

 今回は室内ということもあって、昨日よりは荷物は少ないみたいだった。

 

「お前たちは、タンスの中身を廊下に出してくれ。もし泥をかぶっていても、日の当たるところに並べておけば、そのうち乾くだろう」

 

 じーさんは俺たちにそう指示を出すと、部屋の隅に積んであった畳やふすまを担いで、庭へと運び始めた。

 

「……今更だけど、なかなかにすごいな」

 

 残された三人で、室内を見渡す。いざ片付けようとタンスを見ると、どれも乾きかけの泥がこびりついてしまっていた。

 

「タンスの上の方はそこまで被害ないみたいだし、まずは中身を確認しようよ」

 

「そうだな。よし、やろう!」

 

 しろはにそう言われて、俺たちは手分けしてタンスの中身の確認作業を始めた。

 

 

 

 

「……これ、随分と古そうな着物だな」

 

「たぶん、おばーちゃんのだと思う。おじーちゃん、ずっと取ってあったみたいだね」

 

「そうなんだな」

 

 着物はタンスの下の方に収められていたけど、立派な桐の箱に入っていたおかげか、泥の被害を受けていなかった。

 

「その着物はそのまま廊下の方に出しておいてくれたらいいよ」

 

「わかった」

 

 そう言えば、しろはからおばーさんの話は聞いたことがない。どんな人だったんだろう。

 

「しろはさーん、この書類はどうしましょう?」

 

 その時、少し離れた場所にいた夏海ちゃんが、タンスの中身を引っ張り出しながらそう尋ねる。よくわからないけど、中にはたくさんの書類が入っていた。どれも泥で汚れてしまっていて、読めるような状態じゃない。

 

「とりあえずまとめて表に出しておけば、おじーちゃんが選別してくれると思うよ」

 

「わかりました!」

 

 夏海ちゃんはテキパキと書類を束ねて、廊下の方へ運んでいた。

 

 俺はそんな夏海ちゃんを尻目に、別の引き出しを開ける。

 

「あれ?」

 

 その引き出しには、たくさんのアルバムが入っていた。

 

「この辺は大丈夫そうだけど……」

 

 この引き出しは床から離れていたからか、中身は泥に汚れていなかった。それでも俺は写真の状態を確認するように、ゆっくりとページをめくっていく。

 

「白黒写真とか初めて見たな。随分古いものみたいだけど……え!?」

 

 その中に貼られた一枚の写真を見て、俺は思わず声をあげてしまう。

 

「ど、どうしたの?」

 

 その声に反応して、しろはが俺のそばにやってきた。

 

「なぁしろは、この人って……?」

 

「ああ……それ、若い頃のおばーちゃんだよ」

 

 着物を着てはいたけど、見れば見るほど、しろはにそっくりだった。

 

「……すごく、しろはに似てるんだけど」

 

「そうかな……? それなら、こっちも似てると思うよ」

 

 そう言ってしろはが指し示した写真には、上半身裸の、良一に似た人物が写っていた。さっきのと同じく、白黒写真だった。

 

「……これってもしかして」

 

「うん。良一のおじーさんの若い頃」

 

 格好が似てることもあって、もう良一本人なんじゃないかってくらい似ていた。これは新しい発見だ。

 

「鳴瀬家だけじゃなくて、島の全体の歴史みたいなもんだな」

 

 俺はそう言いながら、別のアルバムを開いてみる。今度はカラー写真が納められていた。写真に添えられたコメントを読む限り、どうやらしろはの両親が撮った、幼い頃のしろはの写真みたいだ。

 

 パラパラとページをめくってみると、その中に、どっかで見たことがあるソフビ人形を持ったしろはが写っていた。このしろは、5歳くらいかな。

 

「なぁしろは、この人形、なんだっけ」

 

「それ? バノレタン星人だよ。ふぉふぉふぉ」

 

 ……しろはが妙な声色で、両手でハサミを作っていた。

 

「……かわいそうなものを見るような目で見ないでほしいんだけど。知らない? バノレタン星人」

 

「いや、懐かしいけどさ……この手のおもちゃで女の子が遊ぶイメージがないんだけど」

 

「おかーさんが買ってくれたの。おとーさんはリコちゃん人形をあげたかったらしいんだけど。まるで反対だよね」

 

 すごく懐かしそうに言っていた。家族の思い出なんだろう。

 

「……って、さっきからなんの写真見てるの?」

 

 そこで俺が見ているアルバムに気がついたのか、ジト目で睨んできた。

 

「ごめんごめん。彼女の子供の頃の写真とか、気になってさ」

 

「もう……少しだけだからね。こういうの見だすと、片付けって進まないんだから」

 

「わかってるわかってる。少しだけだから」

 

 そう言ってページをめくる。すると、見慣れた食堂の前で、しろはたちの家族全員が並んで写っていた。花輪が出てるし、開店当時の写真だろうか。

 

「これ、食堂が出来た時の?」

 

「うん。ほとんど廃墟同然だった建物を、おとーさんとおかーさんが改装したの」

 

 両親が居なくなった後も、しろははその食堂を一人で引き継いでいたわけか。そういう過去を知ってしまうと、しろはができるだけお店を開けようとしていた気持ちも分かる気がする。

 

 再びページをめくる。

 

 そこには、厨房でチャーハンを作る父親の写真があった。中華鍋の躍動感があって凄い写真だと思っていたら、その父親の足元に幼いしろはが抱きついていた。

 

 父親も笑顔で、厨房の中で写真撮るなよー。という声が今にも聞こえてきそうだった。

 

「懐かしいね。私の作るチャーハンのレシピは、元はおとーさんが考えたものなんだよ」

 

「そうなのか。じゃあ、しろはのチャーハンは父親との思い出の味でもあるわけだな」

 

「うん。おとーさん、そのレシピを大切にしまい込んでいてね。厨房の奥でようやくそれを見つけたのは、居なくなってから何年も後で……」

 

 そこまで言って、しろはが口をつぐむ。

 

「……あれ。でもそのレシピを見つける前に、同じ味のチャーハンを食べたことがあるような。誰かが、作ってくれたの」

 

「え、そうなのか?」

 

「うん。うまく思い出せないんだけど」

 

「そりゃ、昔の話だし。覚えてないのも当然だよ」

 

「そうだけど……」

 

 しろはは何かを思い出すように口元に手をやる。よくわからないけど、どこかで似た味のチャーハンを食べたりしたのかな。

 

 

「……やーはん……?」

 

 

 しろはがそう呟くと同時に、その瞳から一筋の涙が零れる。

 

「……しろは?」

 

「……え? あ……大丈夫。ごめんね。どうしたんだろうね」

 

 しろはが慌てて目元をぬぐい、誤魔化すようにアルバムをめくる。すると、しろはと一緒に空門姉妹が写ってる写真が出てきた。

 

「あ、ほらこれ見て。子供の頃の蒼たちだよ」

 

「え、どれどれ」

 

 しろはに言われて、覗き込むように写真を見る。小さなしろはに抱きつくようにして、どこか面影のある二人が写っていた。

 

「蒼は昔から積極的だったんだな」

 

「私に抱きついてるのは藍の方だよ。その後ろに隠れるようにしてるのが蒼だよ」

 

「え、そうなのか。なんか今と随分イメージ違うな」

 

「一緒に遊び始めて最初の夏休みだったかな。確か皆で遊んでるところを、親戚のおじさんが撮ってくれたんだと思うけど」

 

 言われてみれば、このページには夏っぽい写真がたくさん貼られていた。

 

「こっちの写真に写ってるのがのみきで、こっちの眼鏡の少年が天善だな」

 

「うん。当たり」

 

 のみきは小さな水鉄砲持ってるし、天善も眼鏡にラケットと、基本スタイルは今とあまり変わっていない気がする。

 

「ところでさ、こっちの写真に写ってるこの大人しそうな少年誰? 徳田か?」

 

「……それ、良一だよ」

 

「え、うそだろ?」

 

 すごく大人しそうで、なんか本持ってるし。これが良一!?

 

「昔はのみきが外に引っ張って行かないと、ずっと家に籠ってるような子だったんだよ。今はあんな関係だけど」

 

「へぇ」

 

 じっくりと写真を眺めてみる。俺の知らない昔の皆を知ることができたみたいで、なんか嬉しかった。

 

「……むぅ。お二人とも! アルバムも良いですけど、こっちの荷物を運び出すのを手伝ってください! お昼までに終わりませんよ!」

 

「ああ、ごめんごめん」

 

 後ろから声がして振り返ると、夏海ちゃんが両手いっぱいに本を抱えながら、むくれていた。あれも引き出しに入っていたんだろうか。

 

 夏海ちゃんに怒られたこともあって、その後は気を取り直して作業に集中することにした。

 

 

 

 

「……よし。まぁ、こんなものだろう。お前たち、もういいぞ」

 

 お昼前になって、部屋の中を見渡していたしろはのじーさんから終了の合図が出た。

 

「え、まだ残ってる気もしますけど。汚れたタンスもそのままですし」

 

「タンスもそうだが、窓ガラスやふすま、床板に畳と、後は業者に頼まねば手が付けられんからな。荷物の整理ができただけで、大助かりだ」

 

 まだまだ気になる場所はあったけど、家主のじーさんがそう言うんなら、俺たちはここでお役御免ということだろう。

 

「……そうだ。しろは、ちょっと来なさい」

 

「え、何、おじーちゃん」

 

 その直後、しろははじーさんに呼ばれて、母屋の方に行ってしまった。俺は夏海ちゃんと二人、その場に残される。

 

「どうしたんですかね?」

 

「さぁ?」

 

 そういえば、土砂崩れによる建物の被害はここだけで、母屋の方は別に何ともなかったんだっけ。居間やしろはの部屋も母屋にあるし、何か必要なものを取りに行ったのかもしれない。

 

 

 

 

「待たせたな」

 

 しばらくして、二人が戻ってきた。じーさんはその手に大きな段ボール箱を持っている。

 

「あの、それは?」

 

「お前達には色々と世話になったからな。これくらいしかないが、受け取ってくれ」

 

 そう言われて、じーさんから段ボールを受け取る。中にはそうめんや缶詰、乾物や缶ジュースと言った品物がこれでもかとばかりに詰め込まれていた。

 

「え、これを貰っちゃっていいんですか?」

 

「ああ。中元の品で悪いがな」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

 夏海ちゃんと二人でお礼を言う。もしかして、わざわざお礼の品を取りに行ってくれていたのか。

 

「そうめんは期限が近いから、今日のお昼にでも皆で食べようね」

 

 そういうしろはの手には大きめの手提げ袋が握られていた。

 

「しろは、その袋は?」

 

「家に置いてた宿題だよ。お昼から皆でやるんだよね?」

 

「あ、そうだった」

 

 片付け作業に集中していて、本当に忘れていた。俺たちの戦いはここから始まるんだった。

 

 その後、戸締りをしっかりと確認して、俺たちは加藤家に戻ることにした。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「夏海ちゃん、また手伝ってくれる?」

 

「はい! お手伝いします!」

 

 加藤家に到着すると、しろはは夏海ちゃんを連れだって、台所で昼食の準備を始めてくれた。

 

 ちょうど居間に鏡子さんが居たので、お昼ご飯ができるまでの間に、じーさんからもらった品物について説明をしておいた。

 

 

 

 

「おまちどうさま」

 

 しばらくして、大きなガラスの器一杯に盛られたそうめんが運ばれてきた。

 

「おお、すごい」

 

 氷も乗っかっていて、見るからに涼しげだった。あんな大きな器、加藤家にあったんだ。

 

「たくさん茹でたから、いっぱい食べてね」

 

「薬味も色々ありますよ!」

 

 最後に夏海ちゃんがめんつゆが入っているらしい御猪口を運んできてくれ、二人も食卓につく。

 

「……さて、食事の前に、一つ話をさせてくれ」

 

 その全員が着席したタイミングを見計らって、じーさんがそう口を開く。話って何だろう。

 

「午前中に手伝ってもらったおかげで、家の方はだいぶ片付いた。おかげで、今日の夕方にはわしらも家に戻ることができそうだ」

 

「……え?」

 

 ……そうか。裏山の安全も確保されて、片付けも一通り終わったということは、この二人も加藤家で生活を続ける必要もなくなるわけだ。

 

「鳴瀬さん、そう急がなくても……今月一杯はゆっくりとしてくれて良いんですよ? うちは全然構いませんから」

 

 じーさんの言葉を聞いて、鏡子さんがそう提案する。

 

「気持ちは嬉しいが、いつまでも甘えるわけにはいかんからな。世話になった」

 

「お世話になりました」

 

 じーさんとしろはが揃って頭を下げる。それを見て、俺は無性に寂しい気がしてしまった。二人にとっては今の加藤家での生活こそが非日常なわけだし、ようやく元の生活に戻れるんだから、むしろ喜ばしいことのはずなのに。

 

 思えば、部屋の片付けが終わった直後にお礼の品を持ってきてくれたし、二人は早いうちから決めていたのかもしれない。

 

「広い家だから、他の部屋を使えば寝泊りはできるよ。電気も水道も、問題なく使えるし。何も心配いらないよ」

 

 俺の顔を見て、しろはがそう付け加えてくれた。くそ。逆に気を遣わせてどうするんだ俺。

 

「それに、夜はまた食堂開けるから、食べに来てね」

 

「え、食堂も再開できるの?」

 

「うん。まだ出せるメニューは少ないと思うけど、いつまでも閉まってると、島の皆にも心配かけちゃうでしょ」

 

 そう言って笑う。しろははやっぱり、俺が思う以上に芯が強い。リトルバスターズとの一件以来、食堂の経営者としても一皮むけたみたいだし。

 

「それじゃ、心配事も一つ減ったことだし、食べましょうか。せっかくのそうめんがのびちゃうしね」

 

 話がひと段落したところで、鏡子さんがそう言って手を合わせる。俺たちもそれに倣って挨拶をして、食事を始める。

 

「それでは、いただきまーす!」

 

 各々そうめんに箸を伸ばす。夏と言えば、やっぱりそうめんだよね。

 

 俺も美味しそうなそうめんを箸ですくって、少しだけめんつゆにつけてから、口に運ぶ。

 

 ……うん。良い感じにコシがあるし、のどごしも最高だ。

 

 加藤家ではカップうどんばかり食べているせいか、麺類=うどんみたいな感じだし、実はこの夏、初そうめんだったりする。

 

「ところでしろは、このめんつゆってもしかして……?」

 

「うん。手作りだけど。美味しくなかった?」

 

「いや、逆だよ。市販品の麺ドロンボーよりおいしかったからさ。さすがしろはだよ」

 

「あ、ありがとう……えっと、沢田さんの畑で採れたシソもあるから、入れてみたらいいよ」

 

 しろはが照れ隠しをするように、小皿に盛られた薬味を差し出してきた。

 

「まるで新婚さんみたいだね。やっぱり私たち、お邪魔かな」

 

「ふん。そんなものを気取るには、まだ10年早いと言っただろう」

 

 だから10年は長いので、せめて5年くらいにしてください……。

 

 鏡子さんたちの冗談に、心の中でそう返事をしながら、昼食の時間は過ぎていった……。

 

 

 

 

 昼食を済ませた後、俺たちは灯台に向かう準備に取りかかる。

 

「あれ? 筆箱がない」

 

 自室で参考書やらを鞄に詰め込んでいると、筆記用具がないことに気がついた。

 

「おかしいな。確か、この辺りに置いておいたのに」

 

 長いこと居間で宿題もしていないし、この部屋から持ち出した記憶はないんだけど。

 

「羽依里、準備できた?」

 

 引き出しの中を漁ったり、鞄の中身をもう一度ひっくり返したりしていると、しろはがやってきた。

 

「しろは、もうちょっと待って。筆箱が見つからないんだ」

 

「えぇ……どこにしまったの?」

 

「いや、この辺りに置いてたはずなんだけど。おかしいな」

 

 その後、しろはも一緒になって探してくれたけど、筆箱はなかなか見つからなかった。

 

「ねぇ羽依里、これだけ探しても出てこないんだから、もしかして部屋の中にはないんじゃない?」

 

「……俺もそんな気がしてきた」

 

「羽依里君、もしかして探してる筆箱ってこれ?」

 

 その時、鏡子さんが部屋にやってきた。その手には、俺の筆箱が握られていた。

 

「あ、それです。どこにあったんですか?」

 

「居間に置いてあったよ。何かに使って、そのままだったんじゃない?」

 

「そんな記憶はないんですけど……なんにしても、ありがとうございます」

 

 俺は首をかしげながら、筆箱を受け取る。特に使った記憶もないんだけど。

 

「それとね羽依里君、夏海ちゃんから伝言なんだけど『時間がなさそうなので、お二人には悪いですが先に灯台に行きます』だって」

 

「「え?」」

 

 その伝言を聞いて、俺としろはは反射的に壁の時計を見る。結構まずい時間になっていた。これはもう、歩いたら間に合わない。

 

「せっかくだし、二人でバイクに乗って行ったら?」

 

 鏡子さんが笑顔でそう言う。確かに遅刻しないためには、それしか方法がなさそうだけど……。

 

「え、二人乗り?」

 

 それを聞いたしろはは、明らかに困惑していた。

 

「ちゃんとヘルメットもあるし、そこまで飛ばさないから大丈夫だよ」

 

「そ、そうじゃなくて」

 

「え、何?」

 

「バ、バイクに二人乗りとか、恥ずかしすぎるし! 一人でも、歩いていくし!」

 

 しろはは顔を真っ赤にして拒否していた。そこまで言わなくても。

 

「でも、今から歩いて行ったら、遅刻しちゃうよ。それも皆に悪いよね」

 

 そこで、鏡子さんがそう助け船を出してくれた。俺としても、しろはだけ遅刻させるわけにはいかないし。

 

「うううう……」

 

 ……しろははその後、しばらく頭を抱えていたけど……やがて折れてくれ、重い足取りでガレージにやってくる。

 

「仕方なくだからね。皆に悪いから、仕方なくだからね」

 

「わかってるわかってる」

 

 未だにぶつぶつ言っているしろはにヘルメットを手渡して、ガレージからバイクを出す。しろはとは対照的に、俺の心は高鳴っていた。

 

「……あ、そのキーホルダー、使ってくれてるんだ」

 

「え? ああ、もちろん」

 

 ポケットからバイクのキーを取り出していると、例のキーホルダーが見えたんだろう。しろはが一転、弾んだ声を出す。

 

 一応、ペアグッズとして買ったものだし。俺が大事にしているのがわかって、嬉しいのかもしれない。

 

「そうだ、しろはも今日から食堂開けるなら、食堂の鍵持ってるよな?」

 

「え? もちろんあるけど……?」

 

 そう言って、食堂の鍵を取り出す。そこには、俺のと対になった鳥のキーホルダーがついていた。

 

「ちょっと借りていい?」

 

「いいけど……」

 

 しろはの許可をもらって、俺は食堂の鍵についていた鳥のアクセサリーを外して、俺の鳥とくっつける。元々はこれが本来の形だし、やっぱりしっくり来る。

 

「この鳥たちも、たまにはこうして一緒にいさせてやろうと思ってさ」

 

「あ、それはいいかもね」

 

 しろはは優しい目をしながら、その鳥たちのアクセサリーを見ていた。

 

「それじゃ、灯台に向けて出発するよ」

 

「うん。その、ゆっくり急いでね」

 

 俺がバイクにまたがると、しろははその後ろに乗って、そろりそろりと肩に手を置いてきた。

 

「しろは、もっとしっかりくっ付いた方がいいと思うぞ。落ちたりしたら危ないし」

 

「だ、大丈夫だからいいよ」

 

「駄目だぞ。ほら、この鳥たちみたいにくっつかないと……」

 

 ……言ってから、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。なに言ってるんだろう俺。

 

「ううう……言ったな……! えいっ!」

 

 背後から一瞬躊躇するような声が聞こえた後、しろはの細い腕が俺の腰に回された。

 

 ……その直後、柔らかい感触が背中全体に広がった。

 

「ひぃっ!?」

 

 思わず変な声が出て、背筋が伸びてしまう。い、色々と柔らかい。これはやばい。

 

「し、しろは、なにもそこまで……」

 

「は、羽依里が言ったんだからね」

 

 後ろから少し震えたような声が聞こえる。

 

「ほら、遅刻しちゃうから、早く出発して!」

 

 ……確かに、これは俺も運転に集中した方が良さそうだ。色々な意味で。

 

「よし、それじゃ、いくぞ!」

 

 俺は必死に冷静さを保ちながら、灯台に向けてバイクを発進させた。

 

 

 

 

「おおー、あの二人、やるねぇー」

 

「若いっていいわねぇ~」

 

「うむ。ワシも昔は、ああやってばーさんと島中を走り回ったもんじゃ」

 

 ……出発してすぐに、俺は後悔していた。

 

 今思えば、ここは住宅地のど真ん中だった。こんな場所をバイクで二人乗りして走っていたら、嫌でも人目についてしまう。

 

「あ、あああ」

 

 しろはもそれに気づいたんだろう。背中越しに伝わってくる体温が、明らかに上がった気がする。

 

「は、羽依里、もっと急いで!」

 

「む、無理言わないでくれ。さすがに住宅地じゃ、これ以上飛ばせない!」

 

「ううう、恥ずか死ぬ……」

 

「……もしかしてさ、夏海ちゃんや鏡子さんに嵌められたかもしれないな」

 

「え、どうして?」

 

「だって、夏海ちゃんと三人だったら、絶対にバイクなんて使わなかったからさ」

 

 まさかとは思うけど、筆箱も意図的に隠されていたのかも。

 

「ううう……羽依里、急いで……」

 

 俺の背中に顔をうずめながら、しろはがそう言っていた。そうすることで、少しでも現実から目を反らしたかったのかもしれない。

 

 一方で、俺は背中にしろはの吐息を感じてしまい、現実と向き合うしかなかった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「夏海ちゃん、たばかったな……!」

 

「えー、何がですかー?」

 

「たばかったなぁ……!」

 

 灯台で夏海ちゃんに会うや否や、しろははその両肩を掴み、前後に揺さぶっていた。夏海ちゃんも妙に白々しいし、既に集まっていた皆は大方の状況を察しているのか、一様に笑顔だった。

 

 そんな二人を尻目に、久しぶりに入った灯台の中を見渡してみると……いくつもの木箱が置かれていた。

 

「紬、この木箱ってもしかして机の代わり?」

 

「そです! どうぞ使ってください!」

 

 横の方に思いっきりフジツボの破片とかついてるし、どうやら漂着物みたいだった。特に濡れているわけでもないし、机としては十分使えそうだけど。

 

「それじゃ、勉強会を始める前に、一つ確認しておくわね」

 

 全員が揃ったところで、年長者の静久が音頭を取り、まずは各自の宿題の進み具合を確認することになった。

 

 それによると、この場で宿題が終わっているのは藍と静久、そして鴎の三人だけだった。

 

「藍や静久は当然として、やっぱり鴎が終わってるってのが信じられないんだけど」

 

「やっぱり羽依里、ものすごく失礼なんだけど」

 

「そうだぞ。鴎は実は秀才なんだ。夏休みの間、私も勉強を教えてもらっているくらいなんだぞ」

 

 憤慨する鴎を、のみきがそうフォローしていた。

 

「むしろ、のみきが宿題残ってる方が意外なんだけど」

 

「実は、英語が苦手でな……それ以外はほとんど終わっているんだが、ここ最近、色々と立て込んでいたからな」

 

 言われてみればここの所、台風に土砂崩れと、想定外の事態が起こっていた気がする。のみきも役所の人間として対応に追われていたし、無理もない話だ。

 

「勉強できるんなら、是非鴎ちゃんに教えてもらいたいぜー」

 

 良一はそう言いながら、隅の机の上にノートや参考書を広げて、臨戦態勢だった。

 

「良一は宿題、どれくらい終わってるんだ?」

 

「そうだな。残りは3割ってとこだな。ま、なんとかなるだろ」

 

 謎の自信に満ち溢れてるけど、今日の勉強会に参加できなかったらどうするつもりだったんだろう。夏休み、あと数日なんだけど。

 

「天善はどれくらい終わってるんだ?」

 

「いや、まだ半分といったところだ」

 

 良一の隣に、もっと強者がいた。繰り返すようだけど、夏休みはあと数日なんだけど。危機感ってものはないんだろうか。

 

「宿題をする暇があったら、その時間を卓球のトレーニングに当てていた。そっちの方がよほど有意義だろう」

 

 胸を張ってそう言い放つ。部活も大事だけど、学生の本分って勉強じゃなかったっけ。

 

「全く、絵に描いたような卓球馬鹿ですね。夏休み明けに補習なんて受けないでくださいよ?」

 

 天善の惨状を聞いて、藍が呆れたようにそう言っていた。

 

「なら、藍が教えてあげたら?」

 

「は?」

 

 しろはがそう進言すると、藍はあからさまに嫌な顔をした。

 

「残念ですが、私は蒼ちゃん専門です。蒼ちゃんの宿題が終われば、女の子の宿題なら手伝ってあげますが、男の子は自力で頑張ってください」

 

 どうやら、最強の家庭教師を雇うことは無理そうだ。残ってる宿題の量が量だし、天善、どうするんだろう。

 

「それなら、私が教えてあげましょうか」

 

「そ、そんな! 滅相もありません!」

 

 そこで名乗りをあげたのは静久だった。しかし、天善は即座にその申し出を断っていた。

 

「いいじゃないですか。憧れの静久さんに勉強を教えてもらった結果、補習なんて受けるわけにはいきませんよね」

 

「そ、それは確かにそうだが……!」

 

「いーじゃない。こんなチャンス、滅多にないわよー?」

 

 天善は引き続き断りたい感じだったけど、結局最後は皆に押し切られる形で静久の申し出を受け入れることになった。うん。天善、色々と頑張れ。

 

「えーっと、しろはや蒼の残り具合はどんな感じなんだ?」

 

 実は天善並みに宿題が終わっていない俺は、自分に矛先が向かないように細心の注意を払いながら、皆の状況を確認していく。

 

「わ、私は7割くらい……かな」

 

「あたしも8割くらい終わってるわよー。古文と化学以外は……だけど」

 

 台風の後色々と大変だったしろははしょうがないとして、最強の家庭教師がついているはずの蒼がこの体たらく。全く嘆かわしい。

 

「……ねぇ羽依里。なんか失礼なこと考えてない?」

 

「き、気のせいだろ」

 

 胸の内が顔に出ていたのか、蒼に睨まれてしまった。ここは誤魔化さないと。

 

「それより、紬は宿題は終わった?」

 

「むぎゅ? ないですよ?」

 

「え、ないの!?」

 

「はい! ありません!」

 

 もう終わったって意味だろうか。よくわからないけど、本人がないと言うんだし、気にしないようにしよう。

 

 

 

 

「それじゃ、頑張って今日中に宿題を終わらせましょう!」

 

「「おーーー!」」

 

 皆の進捗状況を確認した後、勉強会が始まった。

 

 作戦としては、既に宿題を終わらせているメンバーを中心にして、お互いに苦手分野を補いながら宿題を進めていく感じだ。人数は集まっているし、この方法なら皆で協力していけるはずだ。

 

 ちなみに灯台の中は直射日光が当たらないせいか涼しく、勉強をするには快適な環境だった。

 

 

 

 

「なぁ藍、極めるに寒い……で、なんて読むんだ?」

 

「良一ちゃんはゴッサムとでも読んでおけばいいんじゃないですか?」

 

「じゃあ、こっちの英文なんだけどよー」

 

「……良一ちゃん、どすこいですよ?」

 

「ぐはっ!」

 

 女の子にしか教えないと宣言していた藍に、良一が色々と質問していた。例によって教えてもらえず、軽くあしらわれた挙句、どすこい言われていた。

 

「なぁ羽依里、英語教えてくれないか。藍が教えてくれねーんだよ」

 

 取り付く島もないと思ったんだろうか。今度はノートを持って、俺の方にやってきた。

 

「教えないだなんて心外ですね。私は女の子専門なだけです」

 

 向こうの机でしろはの宿題を手伝いながら、藍がそう言っていた。それって教えないのと同じだから。

 

「俺に分かるところならいいけど……どれだ良一。見せてみろ」

 

 ちょっとかわいそうになってきたので、見てやることにした。

 

「これなんだけどよー」

 

 ……あれ? こんな文法、俺は知らないぞ。

 

「こっちの文法の応用で行けるらしいんだが、よくわからなくてよー」

 

 ちょっと待って。俺、一学期の最後にようやくその文法を習ったところなんだけど。

 

 これってつまりあれだろうか。島の皆の方が、都会の俺たちより授業が進んでるってことなんだろうか。色々とショックだった。

 

「というわけで羽依里、ぱぱっと頼むぜ!」

 

「いや、えっとその」

 

 頼むと言われても、俺も分からない。どうしよう。ここは正直に言うべきだろうか。

 

「あ、そこはね。こっちの文法を使えばいいんだよ! 例えばね……」

 

 その時、背後から鴎がそうアドバイスをしてくれた。助かった。

 

「……あれ? 鴎、お前もしかして英語話せるのか?」

 

 鴎が単語について説明するとき、その発音がかなりネイティブだった。

 

「うん! 旅行で外国に行った時に便利だから、英語とドイツ語は話せるように覚えたの!」

 

「え、ドイツ語!?」

 

 英語だけじゃなく、ドイツ語も話せるの? もしかして鴎、すごいんじゃないだろうか。

 

「羽依里は話せる?」

 

「え、えーっと……グ、グ~テンタ~クとか」

 

「ぷっ」

 

 うわ、鴎に鼻で笑われた。

 

「か、鴎にも何か一つは取り得があったんだな」

 

 それが悔しくて、俺はできる限りの皮肉を言っておいた。

 

「もー! Hayori beendet seine Hausaufgaben vorzeitig!」

 

「え、俺が何だって?」

 

 そうしたら、ドイツ語で返された。頭に俺の名前があったけど、その先は全く聞き取れなかった。

 

「ふっふっふ。わからないでしょー」

 

 鴎は鼻高々と言った感じだった。でも確かに、すごい滑らかな発音だった。

 

「悔しいけど、わからない……なんて言ったんだ?」

 

「教えてあげないよ! じゃん!」

 

 お約束で返されてしまった。ますます悔しい……。

 

 

「むぎゅ……えとですね。ハイリさんは、早く宿題を終わらせなさい……ですね」

 

 その時、少し離れた場所で俺たちのやりとりを聞いていた紬が、そう答えていた。

 

「え? ツムツム、なんでわかったの?」

 

 鴎が驚愕の声あげると同時に、皆の視線が紬に集まる。紬、なんでわかったんだろう。

 

「その、久しぶりに故郷の言葉が聞こえたもので。つい、答えてしまいました」

 

 その視線に気がついたのか、紬は恥ずかしそうに顔を伏せる。

 

 思えば、紬は日本人とドイツ人のハーフだった。なら、ドイツ語が理解できるのも納得だ。

 

「紬、ドイツ語がわかるなんてすごいわ。どうして黙っていたの?」

 

 静久も知らなかったようで、驚きの声を上げていた。

 

「えとですね。普段は使うことがないので」

 

 紬はつき合わせた指を胸の前でもじもじさせながら、そう言う。全くもってその通りだった。

 

「それならツムツム、久しぶりにドイツ語でお話ししよう!」

 

「は、はい! その、よろしくお願いします!」

 

 そして二人は奥の方でドイツ語トークを始めてしまった。時々俺やしろはの名前出ていたのだけは聞き取れたけど、それ以外は何を言ってるかさっぱりだった。

 

 

 

 

「……二人の会話も気になるけど、俺も宿題をやらないと」

 

 その後はしばらく、宿題に集中する。時々わからない問題もあったけど、やっぱりこれだけの人数がいると、誰かに聞けばわかることが多くて、宿題は順調に進んでいった。

 

 

 

「……加納君、ここの英文訳が間違っているわ。ここはこの三つの単語をセットにして考えるのよ」

 

「はい! 申し訳ありません!」

 

 向こうの方では、静久が天善に勉強を教えていた。

 

 いちいち騒がしいけど、静久に教えてもらってるおかげで、天善の方も着々と進んでいるみたいだ。

 

 

 

「……のみきちゃん、そこの数式が違いますよ。その問題は公式をそのまま当てはめても解けないんです。こっちの応用ですね」

 

「そういうことか。さすが藍だな」

 

「そして蒼ちゃん、ここの漢文はこう読むんです。そうすると解釈が変わるので、それで次のページの……」

 

「あー、なるほどねー」

 

 8月の頭に終わらせているだけあって、女子の間では藍が一人無双していた。女の子専用ってのが、すごくもったいない。

 

 

 

「しろはさん、すみません。算数教えてもらえますか」

 

「いいよ。どこかな」

 

「ありがとうございます! ここなんですけど……」

 

 見ると、夏海ちゃんがしろはに宿題を教えてもらっていた。

 

 それにしても高校生の皆に勉強を見てもらえるなんて、夏海ちゃんはラッキーだね。

 

 ……そう考えた直後、夏海ちゃんは別に宿題をやってもやらなくても関係ないことに気がついた。

 

「後ですね、この社会の問題なんですけど……」

 

「あ、そこはあたしがわかるわよー。それはねー」

 

「蒼さん、ありがとうございます!」

 

 ……でも、今の夏海ちゃんなら『宿題も含めての夏休みです!』とか、笑顔で言いそうだし。ここは触れないようにしておこう。

 

 

 

「……あれ、この数式はどう解くんだっけ……?」

 

 そして順調に宿題を消化していた俺だけど、数学のとある問題で詰まってしまった。

 

「あ、そこはねー」

 

 悶々としていると、夏海ちゃんの宿題を見終わったらしい蒼がやってきて、声をかけてくれた。

 

「蒼、数学できるのか?」

 

「まあねー。古文とかは苦手だけど、数学は得意なのよー」

 

「そういえば、駄菓子屋のお約束の時の計算も早いしな」

 

「あれは小さい頃、そろばんを習っていた時期があってねー」

 

「なるほど、それで計算に強いのか」

 

 そろばんを習った人は、暗算する時に頭の中にそろばんが浮かぶって言うし。

 

「それでその問題だけど、この公式を応用してねー」

 

 蒼が俺のすぐ近くに腰を下ろして、半分もたれかかるようにして説明をしてくれる。ちょっと蒼、近いんだけど。

 

「むー……」

 

 俺の肘に胸が当たっちゃいそうでドギマギしていると、夏海ちゃんに理科の問題を教えていたしろはがジト目でこっちを見ていた。しろは、これは違うんだ。

 

 

 

「うーん……」

 

 勉強を始めて2時間が経過た頃、俺は大きく伸びをする、さすがに疲れてきた。宿題の方は皆のおかげで、たぶん8割くらいは終わったと思うんだけど。

 

「それじゃ、そろそろ少し休憩しましょうか」

 

 静久がそう言いながら手を叩くと、その場の空気が緩む。

 

「そうですね。息抜きも必要ですよ。冷たいハーブティーを用意してありますから、どうぞ飲んでください」

 

 同時に、藍がどこからか大きな水筒を取り出して、紙コップにハーブティーをついでいく。

 

 なんだろう。独特な香りが灯台中に広がっていく。

 

「藍、それ何?」

 

「ローズマリーティーですよ。先日、佐藤さんからもらいまして」

 

「え、佐藤さん?」

 

 先日もらったニワトリの卵もそうだけど、あの婦人会長さん、なんでも育ててるんだな。

 

「あの人は家庭菜園で野菜やハーブも育ててるからね。出来そこなったハーブをニワトリにあげたりもしているらしいよ」

 

 藍に続いて、しろはがそう教えてくれた。鳥白島ハーブ鶏とか、どこかのブランドみたいだ。

 

「それにしてもいい香りだな。藍、俺たちも一杯貰えるか?」

 

「は? このハーブティーは女の子専用ですよ。男の子は外で水道の水でも飲んできたらいいんじゃないですか」

 

 ちょっと待って。この扱いの差は何。

 

「そ、そりゃないぜ……」

 

「トホホ……」

 

 正直、リフレッシュしたい気持ちもあるし。俺たち男三人はトボトボと扉に向かって歩き出した。

 

「タカハラさん、ミタニさん、どうぞ!」

 

 そんな俺たちを見かねてか、紬が灯台の奥からブラック黒田の缶コーヒーを持ってきてくれた。

 

「紬、ありがとう。眠くならなくてちょうどいいよ」

 

「カノーさんもどうぞ!」

 

「ああ、すまない」

 

 俺たちは表に出るのをやめ、その場でプルタブを開けて、ブラック企業の高カフェイン缶コーヒーを飲みはじめた。

 

「うう、苦い……」

 

「ミズタニ選手のスマッシュのように、ガツンと来るな」

 

 そしてそのあまりに苦さに、三人揃って悶える。紬には悪いけど、後で表の水道の水を飲んだほうがいいかもしれない。苦みが強すぎて、逆に喉が渇いてきた。

 

「ねぇ、羽依里たちもお菓子食べる?」

 

 こめかみを押さえながら本気でそう考えていた時、鴎がスーツケースからいくつもお菓子を取り出して、差し出してくれる。

 

「暴君ヤバネロとかどう?」

 

 やめて。苦いのに加えて激辛とか、考えただけで舌がおかしくなりそうだ。

 

「せめて、何か甘いお菓子をもらえないか? ほら、勉強には糖分が大事だっていうしさ」

 

「そうだね……甘いのだと、メルキーキャンデーとか、マルポーロとかあるけど」

 

「じゃあ、メルキーもらえる?」

 

「いいよー」

 

 どうやら、今日の灯台の女神は鴎だったみたいだ。俺たちはブラックコーヒーの苦みをメルキーキャンディーで中和しながら、喉を潤したのだった。

 

 

 

 

「そういえば、静久は宿題終わったのか?」

 

 少し気になったので、休憩時間のタイミングを見計らって、静久にそう質問してみた。大学の宿題とか、どんなのか気になるし。

 

「宿題というか、教授ごとに夏の課題が出ていたわね。もう終わらせてあるわ」

 

 確か、静久は美術大学に進んだんだっけ。芸術とかよくわからないけど、大変そうだった。

 

「やっぱり、絵を描く課題なのか?」

 

「そうよ。静物画、風景画、そして裸婦画の課題が出ていたの」

 

「え、裸婦?」

 

「そうよ。もちろん、裸婦のモデルは紬にお願いしたわ」

 

 静久は頬に手を当てながら、眩しいくらいの笑顔だった。

 

「そ、そうなんだな」

 

 思わず横目で紬を見てしまう。裸婦……?

 

「……むぎゅ。タカハラさんからヨコシマなオーラを感じます」

 

 鴎と一緒にお菓子を食べていた紬がこっちにやって来て、俺を睨んできた。そ、そんなことないぞ。

 

「それにしても、よく紬がその……裸婦のモデルを引き受けたな」

 

「もちろん最初は断りました。でも、シズクの熱意に負けて、引き受けることにしました」

 

「そうなのよ。紬に髪を下ろしてもらって艶やかさを出してもらってね。多少盛ってる部分もあるけど、乳魂の一作なの」

 

 話しながら、静久はうっとりとした表情を浮かべていた。何を多少盛っているものすごく気になったけど、この話題にはこれ以上深入りしないほうがいい気がした。

 

 

 

 

「皆、ごめんね。そろそろ食堂の準備に行かないといけなくて」

 

 やがて15時半を回った頃、しろはがそう言って荷物をまとめる。藍が蒼と並行して宿題を手伝っていたこともあって、自分の宿題はしっかりと終わらせたらしい。

 

「しろはさん、ありがとうございました!」

 

 最後の方は付きっきりで宿題を見てもらっていた夏海ちゃんがお礼を言っていた。

 

「うん。皆も残りの宿題頑張ってね。それじゃ」

 

 入口から軽く手を振った後、しろはは帰っていった。

 

 よし、俺の宿題も残り少し。苦手分野は終わらせたし、ラストスパートだ。

 

 

 

 

「「よし、終わった―――!」」

 

 最後に天善が数学のノートを閉じると、この場にいた全員が宿題を終えた。皆でハイタッチをして喜びを爆発せた後に腕時計を見ると、18時半近かった。実に5時間以上かけて、一気に終わらせたことになる。

 

 正直、俺も今日中に終わるか不安だったけど、島の皆の方が授業が進んでいたことが幸いして、なんとか終えることができた。田舎の方が学力高いっていうけど、本当なんだな。

 

「うん。なんとか無事に全員宿題が終わったみたいね」

 

「これも水織先輩のおかげです! ありがとうございました!」

 

 天善が土下座しながら、感激の涙を流していた。ずっとつきっきりで教えてもらえてたんだし、彼にとっては夢のような時間だったに違いない。

 

「いいのよ。それにしても加納君、後半の集中力はすごかったわね」

 

「恐れ入ります!」

 

 静久が言う通り、さすが毎日トレーニングしているだけあって、天善のここぞという時の集中力はすごかった。ちょっと見直したかもしれない。

 

「それじゃ、改めて明日の予定の話をしましょう」

 

 晴れて全員がミッションをやり遂げたということで、静久から明日の遊園地について具体的な話がされる。

 

「明日だけど、皆は8時半の船に乗ってちょうだい。私は宇都港で待っているから」

 

 静久が一人一人にチケットを渡しながらそう言う。どうやら、以前のデートの時と同じパターンらしい。

 

「港からは遊園地まで無料の送迎バスが出ていてね。そこから30分くらい移動すれば、目的地よ」

 

 宇都山ハイランドはその名前の通り山の上にあるっぽいし、それくらいの時間はかかるのかもしれない。

 

「あと、水を使ったアトラクションがあるらしいから、各自で水着は用意しておいてね?」

 

「わかりました! 忘れずに準備します!」

 

 夏海ちゃんがノートの端に、必死にメモを取っていた。

 

「それとパイリ君、この内容、しろはちゃんにもしっかりと伝えてね?」

 

「もちろん。しっかりと伝えるよ」

 

 しろはの分のチケットを受け取りながら、俺はしっかりと頷く。夜は食堂に行く予定だし、その時に伝えることにしよう。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 明日の最終確認が終わり、勉強会は解散となった。

 

 その後は夏海ちゃんと二人でバイクに乗って、加藤家に帰宅する。

 

 昨日と同じくらい遅くなってしまったけど、加藤家には人気も無く、明かりもついていなかった。たぶん、鏡子さんも出かけているんだろう。

 

「……あれ。しろは、鳥のキーホルダー忘れてる」

 

 バイクを加藤家のガレージにしまおうとした時、俺のとくっついたままになっている鳥のキーホルダーを見つけた。

 

「慌てて帰って、忘れちゃったんだろうな」

 

 まぁ、夜に渡せばいいだろうし。

 

 俺はそのキーホルダーを外して、遊園地のチケットと一緒にポケットにしまう。

 

「羽依里さーん! 洗濯物取り込むの、手伝ってくださーい!」

 

「ああ、今行くよ!」

 

 直後に夏海ちゃんから呼ばれて、俺は慌てて庭の方へ向かった。

 

 

 

 

「そういえばもう、しろはもじーさんももうこの家には戻ってこないんだったね」

 

 干しっぱなしにされて冷たくなってしまった洗濯物を夏海ちゃんと一緒に取り込みながら、ぽそりと呟く。

 

「あ、やっぱり寂しかったりしますか?」

 

「まぁ、そりゃあね」

 

 ここ数日がすごく賑やかだった分、何とも言えない寂しさがある。

 

「……羽依里さん、たくさん勉強してお腹空きましたし、洗濯物を取り込み終わったら、さっそく食堂に行きましょう!」

 

 夏海ちゃんが笑顔でそう言う。少しでも早く、しろはに会わせようとしてくれてるんだろうか。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 すっかり夜の帳が下りた住宅地を抜けて、一本道を通り、坂道を下って、しろは食堂へ到着した。

 

 しろはのじーさんが書いたこの看板も、随分久しぶりに見る気がする。

 

「しろはー」

 

「あ、いらっしゃい」

 

 ガラガラと扉を開けると、いつもと変わらぬ感じでしろはが対応してくれた。

 

「しろは、これ」

 

 俺は食堂につくと、すぐに鳥のアクセサリーをしろはに渡す。

 

「ありがとう。持ってきてくれたんだ。ごめんね」

 

「俺の方こそごめん。灯台についた後、すぐに返せばよかったのにな」

 

「ううん。私の方こそ急いで帰っちゃったし」

 

「いや、ペアグッズだからって調子に乗って、ずっとくっつけてた俺も悪いんだよ」

 

 お互いにペコペコと頭を下げ合っていた。なんか、このままだといつまでも謝ってそうだ。

 

「……やっぱりそれ、ペアグッズだったんですね」

 

 その時、後ろの方から夏海ちゃんが笑顔で俺たちを見ていた。

 

「え、えーっと……こほん。夏海ちゃん、いらっしゃい。今日は何にする?」

 

 しろはは一瞬視線を泳がせた後、何事もなかったように取り繕った。心なしか、笑顔なのに怖い。この話題はこれ以上追求しないで。と暗に語っている気がした。

 

「うん。それじゃあ夏海ちゃん、座ろうか」

 

 俺もそのしろはに倣って取り繕う。セルフの水を用意して、夏海ちゃんと一緒にいつもの席に座る。

 

「しろは、今日は何ができるの?」

 

 受け取ったおしぼりで手を拭きながら、メニューを眺める。

 

「活け造り定食や日替わり定食はできないけど、それ以外ならできるよ」

 

 仕入れの関係か、日替わり定食や一部のメニューにバツ印のシールが貼られていたけど、ほとんどのメニューは提供できるみたいだ。

 

「じゃあ、久しぶりにコロッケ定食もらえるかな」

 

「あ、私もそれでお願いします!」

 

 俺と夏海ちゃんは同じメニューを注文していた。俺も、なんだか久しぶりに、しろはのコロッケが食べたくなったし。

 

「今日のコロッケはカニクリームコロッケだけど、それでもいいかな?」

 

「はい! お願いします!」

 

「うん。それじゃ、少し待っててね」

 

 そう言ってしろはが調理に取りかかる。俺や夏海ちゃんはお冷を飲みながら、そんなしろはの様子を眺めていた。

 

「そうだ。しろは、あの後皆で話し合って、明日の遊園地には朝8時半の船で出発することになったよ」

 

 俺は静久から預かったチケットをしろはに渡しながら、そう説明する。

 

「8時半の船だね。わかった。遅れないように港に行くよ」

 

「後さ、水を使ったアトラクションがあるから、水着を用意しておいて欲しいんだって」

 

「そ、そうなんだ。水着……」

 

 水着と聞いて、しろはな複雑な表情を浮かべていた。以前、皆で海水浴した時も着ていた気がするけど。何か問題でもあるのかな。

 

「遊園地とか久しぶりなので、楽しみです!」

 

 隣の夏海ちゃんは満面の笑みを浮かべながら、そう言っていた。

 

「夏海ちゃん、明日も楽しみだけど、明後日は島の花火もあるんだよ」

 

「え、花火ですか?」

 

「そう。島名物の、夏の終わりを告げる花火。すごく綺麗なんだよ」

 

 しろはが手元から視線を外さずにそう言っていた。確かに、この時期に花火大会をやるなんて珍しいかもしれない。

 

「なら、その花火はしろはさんと羽依里さんの二人っきりで見たらどうですか? ロマンチックですよね」

 

 夏海ちゃんがカウンターに頬杖をつきながら、笑顔でそう言っていた。なんか最近、夏海ちゃんが積極的に俺たちをくっつけようとしている気がする。

 

「も、もう……夏海ちゃんがそんな気を使わなくていいの。それに、花火は皆で見た方が楽しいよ」

 

「そうだよな。確か、出店も出るんだっけ」

 

「うん。本土からもお店がやって来て、港にたくさん並ぶんだよ。皆で見て回ろう?」

 

「わかりました! 楽しみにしています!」

 

 

 

 

 その後も花火の話題で盛り上がっていると、しろはの料理が完成した。

 

「はい。おまちどうさま。コロッケ、揚げたてだから熱いよ」

 

 ご飯とみそ汁、三色なますの小鉢に続いて、メインのコロッケが乗った皿が運ばれてきた。

 

「おお、おいしそう」

 

「それじゃ、いただきまーす!」

 

 料理が揃ったところで二人揃って挨拶をして、さっそくコロッケに箸を伸ばす。

 

「「あっちちち!」」

 

 そして、揃って熱さにもだえる。

 

「揚げたてだから熱いよって言ったのに」

 

「う、うん。油断してたよ」

 

 俺はお冷を口に含んで、慌てて口の中を冷ます。今日はカニクリームコロッケだったこともあり、一層熱かった。

 

 俺たちは味噌汁やごはんを先に食べて、コロッケが少し冷めるのを待ってから、改めて口に運ぶ。

 

「おお、うまい……」

 

 一口食べると、口の中にトロっとしたホワイトソースとカニの風味が広がって、なんとも言えない美味しさだった。

 

「しろは、これって本物のカニ?」

 

「当たり前だよ。本物じゃないカニクリームコロッケなんてないよね」

 

 場所によってはカニに似た何かだったり、缶詰のカニを使っていたりするんだけど。しろは曰く、このカニクリームコロッケのカニは港で獲れたてのものを使っているらしい。

 

「しろはさん、すごく美味しいです!」

 

 夏海ちゃんもご満悦の様子でカニクリームコロッケをほおばっていた。俺の方までザクザクという衣の良い音が聞こえてくる。確か、クラッカーを細かくして衣に混ぜてるって言ってたっけ。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「しろは、ごちそうさま」

 

「ごちそうさまでしたー」

 

「うん。それじゃ二人とも、また明日、港でね」

 

 夕飯を堪能した後、しろはにそう挨拶をして、食堂を後にする。

 

「……なんだか、すっかり秋めいてきましたね」

 

 その食堂からの帰り道。住宅地へと続く一本道を歩いていると、夏海ちゃんがそう呟く。

 

 確かに、草むらで鳴いている虫の声も、段々と夏の虫から秋の虫に変わってきていた。嫌でも夏が終わっていくのを感じる。

 

「……あのさ、夏海ちゃん」

 

「え、なんですか?」

 

 そこで俺は足を止めて、どうしても気になっていたことを夏海ちゃんに聞いてみる。

 

「鏡子さんに聞いたんだ。本当なら夏海ちゃんは、21日……あの祭りの日に、トキアミに還るはずだったんだね」

 

「……そう、ですよ」

 

 夏海ちゃんは両手を後ろに組みながら、ばつが悪そうに視線を外す。

 

「どうして、還らなかったの?」

 

「だって……」

 

「だって、楽しいんですもん」

 

「島の皆さんと一緒に過ごす、この夏が。楽しくて、眩しくて。還りたくないって、思っちゃったんです」

 

「でも、このままだと夏海ちゃんはさ……」

 

「……たぶん、存在を保てなくなって、消えちゃうんじゃないですかね?」

 

「え?」

 

「実は、もう迷い橘はもう散ってますし、空への門も閉じちゃってると思うんです。このまま時間切れになれば、私は消えるだけですよ」

 

 夏海ちゃんが夜空を見上げながら言う。まるで、どこか遠くにあるトキアミを見ているようだった。

 

「それでたぶん、消えたら忘れられちゃうんですよ」

 

「どうして?」

 

「だって元々、私はここに存在しないんですよ? 消えたら、それまで。そんな気がするんです」

 

 ……もしかしてこの子、それを全部受け入れたうえで、残る道を選んだんだろうか。

 

「それにほら、もし私が21日に還っていたら、次の日の試合もできなくなるところだったですよ?」

 

 夏海ちゃんはボールを握るような格好をして、そのまま投球モーションを見せる。試合というのは、リトルバスターズとの試合のことだろう。

 

「あれだけギリギリの試合だったんです。私がいなかったら、まず勝てなかったですよ!」

 

「た、確かにそうかもだけどさ」

 

「それに、明日の遊園地に明後日の花火。この夏には、まだまだ楽しいことが残ってたんです。もし、あの日に還っていたら、絶対後悔してました」

 

 夏海ちゃんが俺に視線を向ける。心残りなんて微塵もない、まっすぐな目をしていた。

 

 ……そうか。これは傍人の役目を終えた夏海ちゃんが、自分の意志で決めたことなんだ。

 

「……夏海ちゃん、変なこと聞いてごめんね」

 

「え?」

 

「俺は最後まで、一緒にいるからさ」

 

「……はい! その、よろしくお願いします!」

 

 夏海ちゃんは深く頭を下げた後、俺に背中を向けて走り出した。一瞬見えたその瞳は、心なしか潤んでいた気がする。

 

「夏海ちゃん、暗いんだから走ったら危ないよ!」

 

 そんな夏海ちゃんを、俺は急いで追いかけた。

 

 

 今日頑張ったおかげで、明日は遊園地に行けることになったし。静久や皆に感謝だ。

 

 ……残り少ない夏休み。全力で駆け抜けないと。

 

 

 

 

第四十三話・完




第四十三話・あとがき


おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
今回は午前中にしろはの家の片付けをし、午後からは夏休みのラスボス、宿題の攻略でした。
鳴瀬家の片付けの中ではアルバムを見つけて、島の仲間たちの過去を見せつつ、少しだけPocketルートに触れてみました。
この小説はPocketルートの延長線上なので、しろはにとっては幼い頃に七海との夏を過ごした先の話でもあるわけで、幼い頃のしろはに父親と同じ味のチャーハンを作ってくれたのは、もちろん七海です。当然、しろはは七海との夏の記憶は消えてしまっているのですが、消えた世界の記憶と同じように、その欠片がどこかに残っていた、という感じですね。

そして午後からの宿題イベントをやるにあたって一番苦労したのは、この小説内における皆の学力です。公式設定によりますと、サマポケ本編では七影蝶チートをしている蒼の学力が飛びぬけており、次点でツムギと記憶を共有している紬が続く形だそうです。逆に卓球馬鹿の天善と、病気のため学校に行けていない鴎が下位に位置するらしいです。

それを踏まえたうえで、この小説ではPocketルート後ということで、蒼が七影蝶に触れる必要がなかったり、鴎が入院していなかったりと、オリジナル設定による順位変動がたくさん起こっています。

一位が紬なのは変わらず、次点が鴎(きちんと勉強すれば頭良さそう)、それに藍、のみきと続く形にしてみました。ちなみに夏海ちゃんは七影蝶の集合体ですが、核となっているのは夏海ちゃん本人の七影蝶ですので、学力はトキアミを通ってくる前の夏海ちゃんのそれに準じています。実は夏海ちゃんは神戸のお嬢様なので、お勉強はそれなりにできるんですよ。


そして、次回は皆で遊園地に行くことになりました。ちょっと島からは離れてしまいますが、皆で本土にお出かけ……みたいなイベントをどうしても書いてみたかったのです。
羽依里君は無事にしろはと遊園地デートできるんでしょうか。ご期待ください。

余談になりますが、作中に出てくる遊園地の元ネタは岡山県にある某遊園地です。サンバカーニバルと聞いてお気づきなった方もいるかもしれませんね。


■今回の紛れ込みネタ
・秋子先生の手作りジャム教室……kanonの秋子さんの手作りジャム教室です。今回作るのは謎ジャムではなく、普通のジャムなので、ご安心ください。

・ゴッサム……リトバスより、真人の有名な迷言の一つです。夏のサマポケでどうやってこの台詞を言わせようか悩みましたが、ついに使うことができました。ゴッサムだよ!


以上になります。いくつお気づきになられたでしょうか。
今回も、最後まで読んでいただいてありがとうございました!
感想など頂けましたら、泣いて喜びます。
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