おんなのひとが、こっちにやってきた。
あおいどうぶつをつれてる。
……どこかで、あったことあるような。
……おもいだした。あおさんだ。
あおさん、かきごおりください。
……あおさんは、こまったようなかおをしていた。
それから、わたしはみちびかれるように、なないろのひかりについていく。
……そして、ひかりのなかにのみこまれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……視界を覆う白い光。
その先に見えてきた、青い空、青い海。その全てを飛び越えて。
私は誰かに導かれながら、青く染まった世界を進む。
すると、どこか懐かしい街並みが見えてきた。
……どうして懐かしいんだろう。
不思議に思っていると、また視界が真っ白になった。
……やがて、ずっしりと重い体の感覚が戻ってきた。
目を開けると、真っ白い天井。
壁も、視界の隅に見える扉も、全部が白かった。
身体がすごく重い。何とか動かそうとすると、とたんに痛みが走る。
……私の身体には、色々な管がつながっていた。
……その時、ドアが開いて、白い服を着た女の人が入ってきた。看護師さんだ。
「ぁ……」
私は反射的に声を出そうとするけど、のどがカラカラで、ほとんど声が出なかった。
なんとか首を動かすと、やっと気づいてもらえた。
でも、看護師さんはすごく驚いて、そのまま部屋の外に走っていってしまった。
……しばらくして、何人もの看護師さんや、先生がやってきた。
色々調べられたり、質問されたりしたけど、よく覚えてない。皆知らない人だった。
その先生たちをかき分けて、女の人がやってきた。
この人は知ってる。おかーさんだ。
……おかーさんは私に抱きついて、まるで子供みたいに泣いた。
……もう。どっちが子供だかわからないよ。おかーさん。
……それから何日かして、ようやく私も声が出るようになってきた。
……あなたは何年も眠り続けていたのよ。
おかーさんは、そう話してくれた。
……あのね。おかーさん。
私、夢を見ていたの。すごく優しい皆と、一緒に夏休みを過ごす夢。
うっすらと思いだせる、あの島での日々は本当に楽しくて。
あの夏のにおいや、蝉の声、皆の笑い声。
どこか、霞みがかったようになってしまっているけど。
―――あの眩しさだけは、忘れなかった。
……きっとまた、会えるわよ。
だから、リハビリ頑張りなさいね。
おかーさんはそう言って、笑いかけてくれた。
……えへへ。頑張る。
それでね、おかーさん。
その島の名前は―――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
……あれから何度も夏が巡って来たけど、夏海ちゃんと出会うことはなかった。
最近は七影蝶ですら、ほとんど見なくなった気がする。
その数自体が減ったのか、俺が見えなくなったのかはわからないけど。
もちろん、夏海ちゃんのことを忘れないように努めたけど、8年という歳月は少しずつ、俺の思い出を薄めていった。
「……羽依里、こんなところにいたの?」
船のデッキに立ち、段々と近づいてくる鳥白島を眺めていると、しろはから声をかけられた。
「……あれ。羽未は?」
「……後ろにいるよ」
「えっ?」
「どーん!」
……直後に元気な声がして、軽い衝撃が走る。見ると、羽未が俺の腰辺りに抱きついていた。
「羽未、外は暑いんだから、おかーさんと一緒に船の中に居たらいいのに」
「えー」
「羽未ちゃん、おとーさんと一緒に居たいんだって」
「そっか。嬉しいこと言ってくれるな」
俺は羽未を優しく抱き上げる。目に入れても痛くない、大事な大事な愛娘だ。
「おお、羽未もだいぶ重くなったな」
「当たり前だよ。羽未ちゃんも来年から小学校なんだよ」
「そう言えばそうだったな。あの夏から、もう8年か」
「何が?」
「いや、なんでもないよ」
……その流れゆく歳月の中で、俺は自然としろはと結婚して、羽未を授かっていた。
島に移住してからの、結婚や子育て。全部が手探りだったけど、しろはや島の皆に助けてもらいながら、なんとかやっている。
「これから学費も必要になるし。おとーさん、もっと頑張らないとね」
「わ、わかってるよ」
思わず苦笑いを返す。もちろん、しろはも俺にとって大事な妻だ。
「……あれ? 何の音だ?」
そんなことを考えていると、船のエンジン音が近づいてきた。
「うーーーみーーー! しーーーろーーーはーーー!」
何だろうと思っていると、海の方から聞きなれた声がした。思わず見てみると、一艘の漁船がフェリーと並走していた。
「あ、ひーじーじー!」
羽未が柵に張り付くようにしながら、そう叫んでいた。太陽の光が海面に反射してよく見えないけど、あのシルエットはしろはのじーさんで間違いない。
「ひーじーじは、今日も頑張っているぞぉ―――!」
「ひーじーじ、かっこいいーーー!」
「お、おじーちゃんってば、恥ずかしい……」
ニコニコ顔で手を振る羽未とは裏腹に、俺としろはは恥ずかしさのあまり、頭を抱えた。
「おい、じーさん! さすがにフェリーに近づきすぎだ! 離れようぜ!」
そんなじーさんの隣に立って、必死に止めている半裸の男性。声からして、おそらく良一だろう。
良一も漁師見習いとしてじーさんに弟子入りしたはずだけど、なかなかに難儀してるみたいだ。
「やはり、孫はいいな……気をつけて帰るんだぞぉ―――!」
しばらくして、騒がしく漁船が離れていった。あのじーさん、もう80歳はゆうに超えてたはずなんだけど。元気すぎだよな。
……それにしても、周りの観光客は何事かといった表情で俺たちを見てくるし。恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。
『まもなく鳥白島。鳥白町漁港に到着いたします』
……その時、到着を知らせる船内アナウンスが流れた。
「……良かった。天の助けだ」
俺は近くに置いていた荷物を持つと、二人にも声をかけて、そそくさと下船の準備を始めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
船が着岸した後、賑やかに話をする学生たちや観光客に混ざって、俺たち家族も港に降り立つ。
それと同時に、容赦ない日差しと蝉の鳴き声が降り注いでくる。
「うわ、羽未もしっかり帽子被るんだぞ?」
「うんー」
「羽依里、荷物多そうだね。少し持とうか?」
「いや、これくらい大丈夫だよ」
俺は着替えやらが入った鞄を背負った後、両手いっぱいの荷物を持ち上げる。
「……結構な荷物になっちゃったね」
「島じゃ手に入らないものばかりだし、仕方ないよ」
実はここ数日、本土での用事がてら、家族旅行にでかけていた。今はその帰りだったりする。
「それじゃ、荷物はおとーさんに任せて、羽未ちゃんはおかーさんと手を繋ごう?」
「でも、おとーさんかわいそう……」
そんな中、しろはと手を繋ぎながら、羽未が心配そうに俺の方を見てくる。
「大丈夫だぞ。こう見えておとーさん、力持ちだからな」
そう言いながらもう一度、俺は両手に持った荷物を肩くらいまで掲げてみせる。
「うみもてつだうー」
「え?」
大丈夫な様子を見せても、羽未はそう言ってしろはの手を離し、俺の方にやってきた。
「うーん、でもなぁ……」
「羽依里、羽未ちゃんがお手伝いしたいって言ってるんだし、軽いのでも持たせてあげたら?」
俺が渋っていると、しろはがそう進言してきた。確かに、羽未でも持てそうなくらい軽い荷物もあるにはあるけど……。
「それじゃ、おとーさんとのジャンケンに勝ったらな」
「わかったー」
ただ持ってもらうだけじゃ面白くないし、少し遊んでみよう。
「よーし、いくぞー」
俺は持っていた荷物を地面に置いてから、無邪気に握りこぶしを作る羽未と対峙する。
「「じゃーんけーん!」」
「「ぽん!」」
「ふっふっふ。またおとーさんの勝ちだぞ」
「おとーさん、つよい……」
結局、5回じゃんけんをやって、俺の全勝。
「羽未は顔に出るからな。ぐーを出すときは、ぐーってさ」
「ううう~~っ!」
羽未はよほど悔しいのか、俺の腰辺りをぽかぽかと殴り続けている。大して痛くないし、むしろ心地いいくらいだ。
「全く、おとーさんは意地悪だね」
「うん……」
そんな我が子の様子を見かねたのか、しろはが羽未の近くにやってきた。
「そんなおとーさんは、しばらくチャーハン抜きだね」
「えええ、そんな」
ちょっと待って。可愛い娘に荷物を持たせなかったらチャーハン抜きとか、どんな家庭だろう。
「それが嫌だったら、意地悪しないで羽未ちゃんにも荷物持たせてあげて」
「わ、わかったわかった……じゃあ、羽未にはこの袋を持ってもらおうかな」
「うん!」
俺はいくつかの小物が入った袋を手渡す。これなら軽いし、羽未でも持てるはずだ。
「手が疲れたりしたら言うんだぞ?」
「だいじょうぶー!」
荷物を任されたのがよほど嬉しかったのか、羽未はそのまま笑顔で走り出す。
「ちょっと羽未ちゃん、急に走ったら危ないよ」
そんな羽未を、しろはが慌てて追う。なんとも微笑ましい光景に癒されながら、俺も二人の後に続いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さんさんと太陽が照りつける田舎道を、三人で並んで歩く。
その時、道端にひっそりと佇むオブジェが目に入った。
変わった色合いをした球体で、一部が滑り台みたいになっている。季節によっては、遊具のように遊べるかもしれない。
「確か、これも静久が作ったんだよね」
「ああ、そのはずだよ」
……静久は美術系の大学を卒業した後、外国での数年間の修行を経て、現代アートの先駆者となった。
今はなんとかいう名前でアーティスト活動をしていて、国内外で絶大な人気を誇っているらしい。
数年前から『私を育ててくれたこの島に恩返しがしたいの』と言って、鳥白島の各所に無償で作品を設置してくれている。
近年はそれ目当てに島を訪れる観光客も増えているし、作品自体も不思議と島の景観にマッチしている気がする。
「まるでおっぱいみたいな形をしてるのもあるけど、島民は何とも思ってないのかな……?」
港の広場や道端など、できるだけ島の自然を壊さないように配慮してくれているし、あまり気にしていないのかも。
「……羽依里、どうしたの?」
「え、いや、なんでもないよ」
思わず率直な感想が口から洩れてしまったみたいだ。しろはが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あー、羽依里、しろしろー!」
……その時、前方から元気な声が飛んできた。
見てみると、白い帽子をかぶった鴎がスーツケースを引きながら、向こうからやってきた。
「おおー、羽未ちゃん、久しぶり!」
そんな鴎は羽未に気づくと、そのまま駆け寄って全力で抱きしめる。
「……かもめさん、くるしい」
「ごめんねー。羽未ちゃんが可愛くって、つい」
鴎は羽未の訴えも気に留めず、猫なで声で抱擁を続ける。きっといつものように、羽未パワーを補充するつもりだ。
「……ぷはっ」
しばらくして自由の身になった羽未は、身の危険を感じたのか、そのまましろはの背後に隠れる。
「あちゃー。怖がらせちゃったかな」
「気にしなくていいぞ。それより鴎、お前も島に来てたのか」
「うん! 明日から夏休みだしね! 今年もサマーキャンプやるよー!」
鴎は右手を空高く突きあげながら、気合いを入れていた。
……言われてみれば、明日から夏休みか。
思い出せば、お昼過ぎの船なのに、たくさんの学生さんが乗っていた気がする。
きっと彼らは、明日から始まる長い夏休みに胸躍らせているに違いない。
学校を卒業して久しいけど、俺はどこか懐かしい気持ちになっていた。
「……ねぇ、サマーキャンプって?」
その一方で、聴き慣れない単語に羽未が反応していた。おずおずとしろはの後ろから出てくる。
「残念だけど、サマーキャンプは小学生にならないと参加できないの。羽未ちゃんは、来年からだねぇ」
「ざんねん……」
鴎はまるで自分のことのように、羽未と一緒にがっくりと肩を落としていた。
「社長権限で参加させてやれないのか? 一日だけでもいいからさ」
「そんな勝手なことできないよ。それに、ひげ猫財団だから、社長じゃなくて団長なの! 団長カモメ!」
「あ、そうだったな。悪かったな。鴎団長」
「わかればよろしい」
鴎は誇らしげに、さらに大きくなった胸を張る。うん。すごくむごっほだ。
……ちなみに鴎は数年前、母親からの資金を元手に財団を設立したらしい。
それが、財団法人ひげ猫。通称、ひげ猫団。
具体的には何をするのかというと、鳥白島観光協会と提携して、島での様々な冒険……もとい、イベントを企画している。
それこそ、さっき言っていたサマーキャンプを筆頭に、鳥白島の自然を活かしたウォークラリーやスポーツイベントを通して、観光客の誘致に多大な貢献をしているらしい。
「でもね。今年のサマーキャンプは一味違うよー」
鴎は嬉しそうにそう話す。どういうことだろう。
「え、違うって何が?」
「ついに、海賊船が完成したの!」
「おお、ついに完成したのか?」
そういえば、鴎は母親と相談しながら、何年もかけて本格的な海賊船を作っていると言っていたっけ。
「そう! いよいよ、今年のサマーキャンプで初お披露目なの! 苦節7年! ようやく私の夢が形になったんだよ!」
両手を大きく広げながら、嬉々としてそう語っていた。眩しいくらいの笑顔だった。
「……かいぞくせん?」
「そうだよー。その海賊船になら、羽未ちゃんも乗せてあげる!」
「たのしみー」
「私もだよー。進水式の日程が決まったら、また教えてあげるね! それじゃー!」
そこまで話すと、鴎は俺たち家族に手を振りながら、爽やかに港の方へと向かっていった。
「……相変わらず、鴎は元気がいいよな」
「本当だね。圧倒されちゃう」
「かいぞくせん、たのしみー」
風を切る鳥のごとく、去っていった鴎の後姿を見ながら、そんなことを話す。
……それにしても、鴎は毎年夏になると島に長期滞在するけど、見た目は全然変わってないよな。いつまでも美人だし。
……もっとも、しろはも負けてないけどさ。
「……羽依里、どうしたの?」
「いや、なんでもないぞ」
しろはを横目で見ていたせいか、変に感づかれたかもしれない。
「さぁ、鴎に負けてられないし、俺たちももうひと頑張りだ!」
「おー!」
俺はそれを誤魔化すように気合いを入れなおし、加藤家への道を再び歩き出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ただいま戻りましたー」
「きょーこさん、ただいまー!」
「三人とも、おかえりなさい。長旅だったみたいだし、疲れたでしょう?」
加藤家に到着すると、鏡子さんが出迎えてくれた。
「冷たい飲み物を用意するから、居間で待っていてね。羽未ちゃんはオレンジジュースでいいかな」
「うんー」
「ありがとうございます」
鏡子さんにお礼を言いながら、居間と足を運ぶ。そのまま隅に荷物を置いて、ようやく一息つく。
「すずしいー」
帽子を脱いだ羽未は、扇風機の前で汗だくになった髪を乾かしていた。
相変わらず、加藤家の冷房器具は扇風機しかないんだけど、不思議と涼しかった。風が良く通るし、蝉の声が遠くに聞こえるせいもあるのかな。
「……それで、準備は順調?」
鏡子さんが飲み物の入ったおぼんを座卓に置きながら、そう聞いてくる。
「ええ、保健所の許可も下りましたし、着々と進んでます」
「そう。なら良かった」
俺もそう答えながら、冷えた麦茶を受け取り、一口飲む。
「……それにしても、羽依里君がこの家を使って民宿をやりたいって言いだした時は、本当に驚いたよ」
「……あの時は、鏡子さんの気持ちも考えずに、無茶なことを言ったと思ってます」
……加藤家を改築して、鳥白島で民宿を開業したいと思い立ったのは、今年の初めだった。
「この島の良さをいろんな人に知って欲しくて。そのためには、やっぱり民宿を開くのが一番だと思ったんです」
「私はいい考えだと思うよ。家は使ってもらってこそだと思うし」
……話をした直後は、さすがの鏡子さんも驚いていたけど、すぐに了承してくれた。
その後は島の皆にも協力してもらいながら、必要な改修工事や手続きに奔走した。
手続きの中でも、一番苦労したのが申請書類の類で、何度も本土に足を運ぶことになった。
民宿を開業するにあたって、どうしても島の役所でできることには限界があったし、定期的に本土の保健所に相談にいく必要があった。
ここ数日島を離れていたのも、現地調査を終えた保健所の方と直接話し合う必要があったからだ。
「……一日一組限定の、小さな民宿。うん、良いんじゃないかな。完成が楽しみだね」
保健所に提出した書類の控えを見ながら、鏡子さんが笑顔でそう言ってくれた。
少なからず、祖母との思い出がある家のはずなのに。それを快く提供してくれた鏡子さんには、いくら感謝してもしきれなかった。
「……ねぇ羽依里、私はちょっと実家に行ってこようと思うんだけど。二人はどうする?」
小休憩をはさんで、持って帰った荷物の整理を終えた頃、しろはからそう声をかけられた。
「そうだな……書類の提出もあるし、俺は役所に行ってくるよ」
保健所の許可は下りたけど、最後に島の役所からも営業許可を取らないといけない決まりらしいし。
「羽未ちゃんはどうする? 船での様子を見てたら、おじーちゃんもすごく羽未ちゃんに会いたそうだったけど」
「おとーさんといくー」
しろははきっと、じーさんに羽未を会わせてあげたかったんだろうけど、当の本人は笑顔で俺の方に飛びついてきてくれた。なんとなく、じーさんに勝った気がして、嬉しかった。
「よし、それじゃ羽未、いくか」
「バイクー」
「え、バイク?」
「うん!」
「ふふ。変だと思ったら、羽未ちゃんは最初からバイクに乗りたかったみたいだね。せっかくだし、島巡りでもしてあげたら?」
鏡子さんが羽未の意図を察したらしく、笑顔でそう言っていた。
「わかりました。そうします」
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
羽未は鴎みたいな台詞を口にしながら、表に飛び出していった。
どうやらジュースを飲んで、元気も補充されたらしい。俺も急いでその後を追う。
「二人とも、バイクで行くなら、ちゃんとヘルメット被らないと駄目だよ」
「「わかってるー」」
俺と羽未は声をハモらせながら、ガレージへと向かう。バイクの収納スペースには子供用のヘルメットも入ってるし、準備は万端だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「きもちいいー」
俺は安全運転を心がけながら、バイクに羽未を乗せて住宅地を進む。
ちなみに、これまでずっと乗っていたバイクは3年前に壊れてしまった。愛着もあったんだけど、元々古かったし。こればかりはしょうがない。
「……よし、ついたぞ」
元々狭い島だし、ゆっくり走ってもあっという間に役所に到着した。
「まずは、おとーさんの用事を終わらせてくるからな。島巡りはその後だぞ」
「たのしみー」
バイクを降りた後、自然と羽未と手を繋いで役所へ足を踏み入れる。
「よう、のみき」
「ああ、鷹原。島に戻ってきていたのか」
カウンター越しに声をかけると、のみきが自分の席を離れて、俺たちの対応をしてくれる。
今日は役所も職員が少ない日なのか、のみきの他には割腹の良い男性職員が一人いるくらいだった。
「のみきさん、こんにちわー」
「ああ、羽未ちゃんも居たのか。おとーさんと一緒でいいな」
「うんー」
どうやら、羽未の背が低くてカウンター越しだと見えなかったみたいだ。目の前に来て、ようやくその存在に気づいたらしい。
「……あれ、のみきって目が悪かったっけ?」
そしてよく見ると、今日ののみきは眼鏡をかけていた。
「……事務仕事が増えたせいか、最近急に目が悪くなってしまってな。困ったものだ」
のみきは眼鏡のフレームを弄りながら、そうため息をついていた。
「それは大問題だな。目が悪くなったら、鉄塔から良一を撃てないじゃないか」
「い、いつの話をしているんだ……そんなことより、何か用事があるんじゃないのか? わざわざ顔見せに来てくれたんじゃないだろう?」
「ああ、本土の保健所から書類を預かってきたんだよ。島の役所に提出してくれってさ」
「その顔を見ると、民宿の件は首尾よく運んでいるようだな」
のみきはそう言いながら、書類の入った封筒を受け取る。その拍子に『三谷』と書かれたネームプレートが目に留まった。
……そう言えばのみき、良一との大恋愛の末に、半年前にゴールインしたんだっけか。
「苗字が変わったのに、いつまでものみきって呼ぶのも変だよな。みみきがいいか?」
「や、やめてくれ。違和感しかない」
受け取った封筒を自分の机に置きながら、のみきが身震いをしていた。俺としても、違和感バリバリだった。
「せっかく結婚したんだから、のみきも良一に養ってもらえばいいんじゃないか? あいつは漁師で稼ぎも良いんだしさ」
「そ、そういうわけにはいかないぞ。あいつはチャンスさえあれば漁師をやめて、レンタルテント屋をやりたいと言っている。将来性が無さすぎる」
「え、そうなのか」
良一が生粋のテントコレクターだってことは知っていたけど、まさかそこまで考えていたなんて。
「ああ、今年のサマーキャンプでも、またテントを提供すると張り切っていたし、インストラクター役も買って出るそうだ」
良一のキャンプ指導は人気があると鴎が言っていたし、確かに漁師よりそっちのほうが天職なのかもしれないけど。
「はは、美希ちゃんに辞められたら、うちはおしまいだよ。ラブラブなのはいいけどね」
その時、奥に座っていた男性職員がそう言って頭を掻いていた。
「役所の職員の間でも噂になってるよ。机の中に旦那の写真を入れてるとか……」
「そ、それより鷹原、知っているか!?」
今まさに開けかけていた机の引き出しを乱暴に閉めて、のみきが無理矢理話題を変えてきた。
「え、何を?」
「先日、天善と静久さんがついに入籍したそうだぞ」
「おお、そうなのか。苦節5年。本当に長かったな」
近日中には入籍するだろうと、島中の噂にはなっていたけど、あの二人もついに結婚したのか。なんだかんだで、おめでた続きだ。
「式の日程はまだ決まっていないそうだが、本当に幸せそうだったぞ」
のみきは笑顔で言っていた。静久は先に言った通りだけど、天善は現在家業を継いで、島で修理屋をしている。
バイクや自転車をはじめ、穴の開いた鍋釜から水道管まで修理してくれるとのことで、島民からすごく頼りにされている。
相変わらずトレーニングは続けていると言っていたけど、天善も天善なりに頑張っているんだし、幸せになって欲しい。
「……おとーさん、まだー?」
その時、不満そうな声が聞こえた。見ると羽未が壁にもたれながら、ほっぺを膨らませていた。
「ああ、ごめんな。そろそろ行こうか」
つい、話し込んでしまった。俺の用事は済んだし、羽未と島巡りをすることにしよう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「それじゃ羽未、どこに行きたい?」
役所を後にして、バイクにまたがりながら俺は羽未に行き先を尋ねる。
「とうだい!」
「灯台か。あそこなら、紬がいるかもしれないね」
「つむぎさん、あいたいー」
羽未は紬と仲が良いし、灯台は風があって涼しい。行ってみてもいいかもしれない。
「あと、オルゴール!」
「うんうん、わかってるよ。羽未は本当にあのオルゴールが好きだよな」
「うん、すきー」
「よし、それじゃあ出発するぞ」
「しゅっぱーつ!」
羽未がヘルメットをかぶっているのを確認して、俺はゆっくりとアクセルを回した。
一気に住宅街を抜け、キラキラと輝く海を見ながら、海岸沿いを進む。ここなら視界も良好だし、少しだけスピードを出す。
「はやいー」
「羽未も大きくなったら、バイクの免許取るんだもんな?」
「うんー。とるー」
風が気持ちいいのか、弾んだ声が返ってきた。
「そしたら、おとーさんといっしょにはしるのー」
「嬉しいこと言ってくれるなぁ」
……いつか、羽未と並んでこの景色を見る日が来るのだろうか。
そんなことを考えながらバイクを走らせていると、やがて白い灯台が見えてきた。紬、いるかな。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おおー、ハイリさんにウミさん、いらっしゃいませー」
適当な場所にバイクを止めて灯台の方へ行ってみると、そのたもとに紬が立っていた。
すっかり見慣れたポニーテールを揺らして、俺たちを笑顔で迎えてくれる。若干大人びた感じはするけど、相変わらず若々しい。
……ちなみに、紬が俺をハイリさんと呼びだしたのは、羽未が生まれてからだ。
タカハラさんが三人になったから、そろそろ下の名前で呼んでほしい……と、お願いしたのがきっかけだった気がする。
「つむぎさーん!」
そのきっかけとなった羽未は、元気に紬の胸に飛び込んでいった。
「それで、今日はどういったご用でしょーか」
紬は羽未を抱きしめたまま、顔だけ俺の方に向けてくる。
「紬に会いたかったってのもあるけど、羽未がまたあのオルゴールを聴きたいんだってさ」
「うん、ききたいー」
「わかりました! こちらへどうぞ!」
立ち上がった紬はそのまま羽未の手を引いて、すぐ近くの真新しい建物に案内してくれた。
「相変わらず、立派な建物だな」
「はい! リッパな門構えです!」
この建物は数年前に建てられた灯台資料館。紬はここに住み込みで、灯台の管理人の仕事をしている。
というのも、紬がかつて住んでいた灯台は老朽化が進んでしまったとかで、住むことができなくなってしまった。
その代わりに、島の皆で協力して寄付を集め、敷地内にこの建物を建てた。灯台が大好きな紬が、できるだけそこから離れずに暮らしていけるように。
「はい、どうぞー」
俺と羽未は紬に招かれるまま、その灯台資料館に足を踏み入れる。
資料館なだけあって、壁一面にこの灯台の設備に関する資料や、役割についての展示がされていた。
窓際に簡単な椅子やテーブルも置いてあって、休憩もできるようになっているらしい。
そして入口から見て、右手奥には扉がある。『管理人室』とプレートが下がっているけど、つまりは紬の部屋だった。
「つむぎさん、オルゴールきいていい?」
「はい、どうぞー」
そんな室内の端の方に、ひっそりとそのオルゴールが置いてあった。
これは昔、パリングルス工作大会で夏海ちゃんが作ったオルゴールだ。
外装はパリングルスだし、経年劣化してる感は否めないけど、機械部分や楽譜カードは今も定期的にメンテナンスされているみたいで、しっかりと動く。
「♪~♪~♪~♪~」
……しばらくして、オルゴールの旋律に羽未の鼻歌が交じりはじめた。
俺にとってはすっかり聴き慣れた島の童謡だけど、羽未はこの歌がお気に入りだった。
……そんな羽未を視界に入れつつ、俺と紬は窓際の椅子に腰かける。
「……そいえば、前にシズクが言っていたのですが、わたしのハダカを描いた絵を売って欲しいという話があったそうです」
「え、そうなの?」
その時、紬が唐突にそんな話を振ってきた。そういえば昔、大学の課題で紬に裸婦モデルになってもらったって話を聞いたような気がする。
「ものすごい金額を用意されたそうですが、売らなかったそうです。もし売られていたら、恥ずかしすぎました。むぎぎぎぎ」
巨匠が有名になる前の作品って、コアなファンから人気が出るっていうけど、そんな感じなんだろうか。
「と、ところで、最近はその静久とは会えてるの?」
……一瞬、どこの誰とも知れない人間の家に紬の裸の絵が飾られているのを想像してしまった。急に恥ずかしくなって、慌ててそのイメージを打ち消す。
「何日か前に会いました! 忙しいスケジュールの合間を縫って、わざわざ会いに来てくれたらしいです!」
「そっか。静久は新進気鋭の芸術家だもんな」
「そですね!」
紬は笑顔だけど、どことなく寂しそうだった。親友の活躍を喜ぶ一方で、一緒に過ごせる時間が減ってしまったからだろうか。
「……でも、寂しくはないですよ」
「え?」
まるで俺の心が読まれたみたいだった。思わず紬の方を見ると、彼女は壁の方を見ていた。
その視線の先を追うと、そこには灯台の資料に混ざって、歴代の灯台守の写真が並んでいた。紬はその中の、軍服姿の男性の写真を眺めていた。
「わたしはこの場所で、毎日灯台を見守っています。少し違いますが、やっていることは灯台守と同じです」
紬はそう言いながら、今度は目を細めて窓の向こうの灯台を見る。先程と違って、充実感に満ちた顔になっていた。
「おとーさん、のどかわいたー」
紬と一緒になって灯台を眺めていたら、いつの間にかオルゴールの音色も止んでいて、羽未がテーブルに手をつきながらそう訴えていた。
「あ、そう言えば水筒を忘れてきちゃったか。紬、ここって何か飲み物とかない?」
「むぎゅ……自販機がありますけど、あの自販機にはブラックコーヒーしか売ってません」
……そうだった。最近、灯台資料館にやってくる観光客向けに自動販売機が設置されたんだけど、契約したメーカーの関係なのか、売られているのはなぜかブラックコーヒーばかりだった。
さすがに羽未にはまだブラックコーヒーは飲めないし。どうしたものか。
「……そうだ。羽未、駄菓子屋に行かないか?」
「だがしやさん?」
「そう。蒼にかき氷作ってもらおうよ」
「うん! かきごおりたべたい!」
俺の提案を聞いて、羽未の顔が輝いた。
「それじゃあ紬、俺たちは行くよ」
「はい、またのお越しをお待ちしていますー」
「つむぎさん、またねー」
そうと決まれば善は急げだ。俺たちは紬にあいさつをして、一路、駄菓子屋へと向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あ、おとーさん、イナリがいるよー!」
「おお、本当だ」
灯台から住宅地へ戻る道すがら、羽未が草むらの中にイナリの姿を見つけた。俺たちは一旦バイクから下りて、イナリに近づいていく。
「ようイナリ、元気そうだな」
「ポーン!」
俺たちに気づいたイナリは、尻尾を振りながら元気な声を返してくれた。
「イナリー」
羽未がそんなイナリに抱きつくようにしながら、その身体を撫でていた。青い体毛と独特の鳴き声は相変わらずだけど、こいつも見違えるくらい大きくなった。
「「ポン! ポン! ポンポン!」」
その時、草むらの中から次々と小さなイナリが顔を出してきた。
「イナリ、また子供を産んだのか?」
きちんと数を数えたわけじゃないけど、顔を出すコイナリが増えている気がする。
……それにしても、子供がいるんだから当然父親となるキツネもいるはずなんだけど、警戒心が強いのか、俺は一度も見たことがなかった。
「ポンポンー」
「ポン!」
「ポポーン!」
でも、ちっこいイナリも可愛らしいな。こいつらをモデルにして、鳥白島イナリまんじゅうとか、イナリ写真集とか出したら売れそうな気がするけど……。
「うみゃーーー!?」
そんなことを考えていると、羽未の叫び声が聞こえた。見ると、いつの間にか何匹ものコイナリに群がられていた。
「わ、こらこら、離れてくれ」
俺はコイナリの群れにもみくちゃにされている羽未を抱きかかえるように救出する。
「「ポンポン! ポポン!」」
それでも、コイナリたちは遊び足りないのか、不満そうに俺の足元に群がってくる。
「ポン!」
しかし、そこでイナリがひと声鳴くと、コイナリたちはしゅんとなって、渋々とイナリの後ろへ戻っていった。
「イナリ、お前も立派におかーさん、やってるんだな」
「ポン!」
えっへん。と胸を張るように鳴いたイナリの頭を軽く撫でてあげた後、俺たちは再びバイクへと乗り込み、駄菓子屋を目指すことにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「くーださーいなー!」
駄菓子屋に到着すると、羽未はすぐにガラス戸を開けて、店の中へ飛び込んでいった。
「いらっしゃーい。あ、羽未ちゃん、帰ってきてたのねー」
「うん! かきごおりください!」
同時に蒼の声が聞こえた。俺も道の脇にバイクを止めて、駄菓子屋の中に入る。
「おとーさんも一緒なのねー。羽未ちゃん、何味にする?」
「んー、いちごがいい!」
「りょーかい。羽依里もかき氷食べる?」
「じゃあ、ブルーハワイ貰おうかな」
「いいわよー。それじゃ、200万円」
「ほい」
「199万9800円足りないわよー?」
代金を渡して、いつものお約束をした後、蒼はかき氷器へと向かっていく。身を翻した拍子に、綺麗に結われたポニーテールがふわりと揺れた。
……ちなみに、蒼は藍と一緒の大学に進んだけど、腰を悪くしたおばーちゃんが駄菓子屋をたたもうとしているの知って、大学を中退して島に戻り、この駄菓子屋を継いだ。
さすがに両親から相当反対されたらしいけど、蒼の信念は揺るがなかったらしい。
氷を削る涼しげな音が響く中、軽快にかき氷器を回す蒼の後ろ姿を見ながら、俺はそんなことを思い出していた。
「羽依里、どうしたのー?」
そんな俺からの視線に気がついたんだろうか。蒼が振り返りながら、そう聞いてきた。
「いやさ、蒼がこの駄菓子屋を継いでくれて良かったと思って」
「へ? 突然なに?」
「もし、蒼がこの駄菓子屋を継いでくれてなかったら、こうやって羽未と一緒にかき氷を食べることもできなかったしさ」
「……あたしたちが小さな頃からあるこの場所を、無くしたくなかった……なーんて言ったら、子供っぽいかしらねー」
蒼が少し恥ずかしそうに言っていた。なんだろう。その気持ち、よくわかる気がする。
「それにほら、いい年になっちゃったけど、初代看板娘だし? 継ぐんなら、あたししかいないと思ってねー」
直後に誤魔化すように言って、からからと笑う。こういうところは、出会った時から変わっていない。
……ちなみに、現在の駄菓子屋の看板娘は堀田ちゃんだ。今日は休みみたいだけど、時々蒼に厳しく教え込まれているのを見かける時がある。
「でもさ、蒼もそこまで謙遜しなくてもいいんじゃないか。まだまだ若いし、綺麗だしさ。俺は全然OKだと思……」
「へっ? そ、それってもしかして……だ、駄目よ。羽依里には妻子がいるじゃない……!」
蒼はそう言って、顔を真っ赤にしながらかき氷器をぐるぐると回していた。
「おーい蒼、帰ってきてくれー。大盛になりすぎて、かき氷がこぼれるぞー」
……すぐ脳内ピンクになる癖も変わっていない。それはそれで、蒼らしさだと思うけど。
「はい、おまたせー」
しばらくして、いつもの調子に戻った蒼が大盛のかき氷を運んできてくれた。俺と羽未はそれを受け取って、ベンチで食べることにする。
「いただきまーす」
羽未はかき氷を食べる時にも、きちんと手を合わせて挨拶をする。これもしろはの教育の賜物だろう。
「んー、つめたくておいしいー」
「本当だな。やっぱりこの時期のかき氷は最高だ」
とろけそうな笑顔を浮かべる羽未の隣で、俺も久しぶりのブルーハワイを口に運ぶ。思えば、この夏で初のかき氷かもしれない。
「おとーさんにもあげる。はい。あーん」
「え?」
その時、羽未がそう言いながら、かき氷の乗ったスプーンを差し出してくれた。
「ありがとうな。あーん」
そのまま、羽未のスプーンからかき氷をもらう。うん。しっかりとしたイチゴの風味が鼻を抜ける。
「おとーさん、おいしい?」
「うん。おいしいよ。イチゴもいいね」
「うん。イチゴ、すきー」
「じゃあ、おとーさんのブルーハワイも食べてみる?」
「うん、たべるー」
……そんな俺たちを、蒼が遠巻きに見ていた。
何か言いたそうにうずうずしている気がするけど、まだ羽未の前では、かき氷のシロップが全部同じ味だなんて言わせない。子供の夢を壊さないでほしい。
「うぉぉ……」
「……羽依里、ちょっと話があるんだけど、いい?」
俺が久しぶりのアイスクリーム頭痛に苦しんでいると、蒼が隣にやってきた。心なしか、さっきより神妙な顔つきになっている気がする。
「ああ、いいぞ。どうしたんだ?」
「……あたしが毎年夏にやってる、山の祭事って覚えてる?」
「もちろん」
去年の夏にも何度か同行させてもらった。迷い橘が咲いている期間、灯篭を持って夜の山を練り歩き、七影蝶を集めて空門の神域からトキアミヘ送る儀式だ。
「今年もやってくれるなら、できる限り手伝うぞ?」
あの夏以来、俺は夏海ちゃんの七影蝶を探すため、何度も夜の山に入った。蒼と二人で入ることもあったから、毎回しろはへの説明が大変だった記憶がある。特にやましいことなんてないんだけどさ。
「それなんだけどね。去年……ううん、一昨年だったかしら。久しぶりにイナリと二人っきりで山に入った時に、変わった七影蝶に出会ったのよ」
「変わった七影蝶?」
「そう。普通なら、灯篭に寄ってきた七影蝶って大人しいままなんだけど、その七影蝶はあたしやイナリの周りをくるくると何度も飛び回っていたのよね。まるで、会えて嬉しいみたいに」
「へぇ、そんな七影蝶もいるんだな」
「その後は大人しかったから、きちんとトキアミに送っといたけどねー。なぜか忘れてたんだけど、急に思い出しちゃって」
「そうなのか。教えてくれてありがとうな」
「別に良いわよー……って、それより羽未ちゃんの服、大変なことになってない?」
「えっ?」
蒼に言われて、反射的に隣の羽未を見てみる。夢中で食べたのか、襟元がかき氷で赤く汚れてしまっていた。
「うわわ、羽未、気をつけて食べないと。服を汚したら、またおかーさんに怒られるぞ?」
「だって、おいしかったから……」
「それはわかるけどさ……蒼、濡れタオルとかない?」
「あるわよー。これ使って」
蒼が手早くカウンターに寄って、脇に置いてあったタオルを取ってくれる。受け取ってみると、程よく湿っていた。
「ありがとう、助かるよ」
俺は借りたタオルで羽未の顔や服を拭いてやる。そんな光景を蒼が笑顔で見ていた。
「え、どうかしたのか?」
「まっとうにおとーさん、やってると思ってねー」
「ま、まぁな……しろは、怒らせると怖いし……よし。これで綺麗になった」
「……話を聞いてる感じ、しろはに頭が上がらないところは相変わらずみたいだけど」
「そ、そこは気にしないでくれ」
急に気恥ずかしくなって、俺は黙々と残りのかき氷を口に運んだ。
「……ふう。食べたなぁ」
「おいしかったー」
「……そう言えば、藍も羽依里に話したいことがあるって言ってたわよー?」
「え、藍が?」
かき氷を食べ終えて、空の器を返したタイミングで、蒼がそう言う。
ちなみに藍は大学を卒業した後、小学校の先生になった。確か本土の小学校に何年か務めた後、今年の春からこの島の小学校に赴任している。
「やっぱり藍、小学校にいるのかな」
「たぶんそうじゃない? 子供たちは夏休みでも、先生に休みはないんですよ。全く業腹ですね……って言ってたわよー」
さすが双子。実は入れ替わってるんじゃないかって思えるくらいそっくりだった。
そう言えば、羽未も来年から小学生なのに、まだ小学校をきちんと見せたことがないし、この機会に行ってみてもいいかもしれない。
「それじゃあ羽未、来年から通う小学校、見に行ってみないか?」
「いくー!」
待ってましたと言わんばかりに、元気いっぱいの声が返ってきた。
「よし、それじゃ行こうか」
先に走り出して、ヘルメットを被っている羽未を追いかけるように、俺もバイクに乗る。
「羽未ちゃんも一緒なんだから、安全運転しなさいよねー」
「わかってるよ。蒼、かき氷ごちそうさま」
「ごちそうさまー!」
蒼にそうお礼を言って、俺たちは駄菓子屋を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
蒼に言われた通り、安全運転で住宅地を進んでいると、前方から軽トラがやってきた。
「あれ、天善?」
その運転手を見て、俺はバイクに乗ったまま、思わず声をかける。
「鷹原じゃないか。帰ってきていたのか?」
俺の姿を確認した天善は、軽トラを道の端に寄せ、その窓を開けて身を乗り出してくる。
「ああ。今日の昼過ぎにな……それより、ついに入籍したんだってな。おめでとう」
「帰って来たばかりの鷹原の耳にも、もう入ったのか。本当に島は噂が広まるのが早いな」
「役所に行った時、のみきから聞いたんだよ。今度、盛大にお祝いしてやるからな」
「おお、それは期待させてもらうとしよう」
俺としろはが結婚した時や、羽未が生まれた時も、節目節目に皆がお祝いしてくれたし。
今度は俺たちがお祝いをしてあげる番だ。しろはに頼んで、天善が好きなワカメ料理のフルコースを用意してもらうのもいいかもしれない。
「……ところで天善、灯台でも静久の姿を見なかったけど、今は家にいるのか?」
「いや、静久は今日から東京で個展があるらしくてな。朝の船で本土に出かけてしまった」
「人気アーティストだもんな……仕方ないとはいえ、天善も寂しいよな」
「なに、どれだけ離れていても、俺たちには長年混同ダブルスとして培った絆があるさ」
卓球例えは相変わらずだったけど、天善は人として一皮剥けた気がする。最近は秘密基地での徹卓も、時々しかしなくなったみたいだし。
そんなことを思っていると、軽トラの荷台に乗せられた何台もの自転車が目についた。
「あ、もしかして仕事中だったのか?」
「ああ。港の方で壊れた自転車を譲ってもらったんだ。うちで修理して、安く販売させてもらおうと思ってな」
「天善とこは中古自転車の販売もしてるのか。今度、羽未が小学校に上がって自転車が必要になった時には、利用させてもらうな」
「ああ。親友のよしみで、特別料金にしてやるぞ」
「おいおい、そこは気前よく入学祝でくれよ」
「悪いがそういうわけにはいかない。こっちも商売だからな」
そこまで言って、笑い合う。せっかくだし、羽未の自転車は天善の店で買いたいな。自転車は徳田スポーツでも買えるけど、あそこ、品質は良いけど高いし。
「……それじゃ、俺たちは行くよ。仕事中なのに呼び止めて悪かったな」
「構わないさ。こっちこそ、わざわざありがとう」
去り際、軽く手を挙げてくれた天善を見送った後、俺は再びバイクを走らせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
しばらくバイクを走らせて、小学校に到着した。
ところで、藍はどこにいるんだろう。やっぱり、職員室かな。
「ひろいー!」
そんなことを考えていると、羽未が元気にグラウンドを駆けていた。確かに平地の少ない島だし、これだけ広い場所もそうないと思う。
……うん。藍の話ってのも気になるけど、せっかくの機会だし、職員室の前に羽未に学校の設備を見せてあげることにしよう。
「羽未、こっちのプールも見てごらん。大きいよ」
「すごーい!」
そう考えてプールサイドに案内してあげると、嬉しそうにはしゃいでいた。
羽未も灯篭作りで入ったことはあるけど、あの時は人がたくさんいたし。今は独り占めって感じだ。
「羽未、嬉しいのはわかるけど、あまり端に近付いちゃ駄目だぞ、落ちたら危ないし」
「おとーさん、ウォータースライダーは?」
「え、ウォータースライダー?」
なんだろう。まさか、作れっていうんだろうか。まぁ、皆で頑張れば、できなくもないかもしれないけど……。
「……プールで何やら声がすると思ったら、羽依里さんたちじゃないですか。全く、不法侵入ですよ」
……その時、いつの間にかプールサイドに藍が立っていた。
その藍は紺のレディーススーツ姿で、長い髪を大きな三つ編みにまとめていた。
「あいせんせー、こんにちわー」
「こんにちわ。羽未ちゃんも一緒だったんですね」
羽未の存在に気づいた藍はしゃがみこんで、同じ目線に合わせてくれながら、その頭を撫でていた。あの仕草を見ていると、やっぱり先生なんだと思ってしまう。
「それでさ、藍から何か話があるって、蒼から聞いてきたんだけど」
「ああ、それはですね……」
藍はゆっくりと立ち上がると、俺のそばに寄って、耳打ちしてきた。
「……蒼ちゃんの書いてる、灯台物語ですが」
「え、あれ、まだ書き続けてるのか?」
灯台物語というのは、蒼が趣味で書き続けている、その……えっちな小説だ。
藍から許可をもらって一度だけ読ませてもらったけど、登場人物の二人が限りなく紬と静久に似ていたような気がする。なんというか、蒼の妄想全開の小説だったような。
「もちろんです。それを今度、コミックマーケットで売りだそうとか考えてるみたいです。そのお手伝いを、羽依里さんにお願いしたいとかで」
「えええ、ちょっと待って」
羽未もいるんだから、その手の話はやめてほしいんだけど。
「……と言うのは冗談で、本題はこっちです」
藍はあっけらかんと言って、上着のポケットから一冊の古ぼけた本を取り出した。良かった。冗談だったのか。
「それで、その本は?」
「この小学校の資料室にあった本です。七影蝶について書かれていました」
藍はそう口にして真顔になった。七影蝶。いきなりそんな単語が出てくるなんて。
「七影蝶に関する本が、この小学校に?」
「ええ。恐らく何十年も前に寄贈されたものだと思います。古い教材に混ざって、置かれていました」
……一時期、俺も躍起になって七影蝶について調べていた時期があった。結局、大したことはわからなかったけど、こんな身近に資料があったなんて。
「……ちょっと読んでみてもいい?」
「ええ、読めるのでしたら」
俺は藍から本を受け取って、ページを開いてみる。達筆すぎて全然読めなかった。
「うう、全然読めない……」
「私も鏡子さんに手伝ってもらいながら、なんとか解読したんです。そう易々と読まれてはたまりませんよ」
「じゃあ、藍はこの本に何が書かれているか知ってるんだな」
「もちろんです。その本によると、身体に強い衝撃を受けた場合、七影蝶が飛び出してしまうことがあるそうです」
「え、飛び出す? 七影蝶が?」
「そうです。強い衝撃というくらいですから、現代だと交通事故に遭ったり、階段から落ちたりして、頭を強く打ったとかですかね」
「仮に、そんな事故で七影蝶が抜け出ちゃった人はどうなるの?」
「ずっと眠ったままだったとか、そのまま亡くなったとか色々な事例が書いてありました。恐らく、現代医学的には植物状態と診断される状態じゃないですかね。羽依里さんが好きなオカルト風に言うなら、幽体離脱とか、魂が抜け出た状態に近いのかもしれませんけど」
藍が顎に手を当てながらそう言う。蒼曰く、七影蝶はいわゆる幽霊みたいな存在らしいし。つまりは魂が抜け出た状態……ってことになるのかな。
「……じゃあさ、一度抜け出た七影蝶は、もう戻ってこないのかな」
「……ごく稀に、自然に戻る場合もあったらしいですね。理由はよくわかりませんけど」
そう言えば、事故で長い間昏睡状態にあった人が、ある日突然意識を取り戻したってニュースを時々聞くけど、それも実は七影蝶が関係していたりするんだろうか。
「そして意識を取り戻した人は、皆口を揃えて『白い花畑を見た』、『時編に行った』と言ったそうです」
「え、トキアミ?」
「はい。お花畑とか見えてる感じから、一種の臨死体験みたいなものなんですかね?」
「いや、そこで俺の方を見られても。俺も臨死体験なんてしたことないからわからないけどさ」
「あと、これは余談になりますが、身体から飛び出した七影蝶を戻す方法についても載っていましたよ」
「え、具体的にどうやるの?」
「キスですよ。接吻です。呂の字です」
……藍が口元に手を当てて、わざとらしくウインクをしていた。
「……ちょっと。そんな可哀想なものを見るような目で見ないでもらえます? 本当なんですからね!」
俺が冷めた目で見ていたのに気づいたらしい。顔を赤くしながら、必死に弁解していた。
「と、とにかく! この本に書かれていたのは、だいたいそれくらいです。大したことじゃないですけど、わかったことは話しておこうかと思いまして」
「いや、貴重な情報をありがとうな」
今すぐ何かに生かせるような情報じゃなかったけど、藍が必死に調べてくれたんだし。俺は素直にお礼を言っておいた。
「うー、むずかしい……」
「ああ、羽未、ごめんな」
そんな時、話についていけない羽未が俺の隣で頭を抱えていた。つい、夢中になってしまった。
「羽未ちゃんも小学校に入ってお勉強すれば、わかるようになりますよ」
「うん!」
半分ふてくされていた羽未の頭を撫でながら、藍がそう慰めていた。
それでも、俺としては小学生で幽体離脱について理解してほしくない。
『羽依里のせいで羽未ちゃんがオカルト好きになった! たばかったな!』とか、しろはに怒られそうだし。
「……可愛い羽未ちゃんも来年から一年生ですし、今から楽しみで仕方ないですね」
来て欲しくない未来を想像していると、藍が今にも踊りだしそうになりながらそう言っていた。
「え、楽しみってどういう意味?」
「もちろん、私が新一年生の担任に内定しているからに決まっているじゃないですか」
「ちょっと待って。もうそんなことが決まってるの」
こんな時期に担任内定って、いくら島の小学校とはいえ、早すぎるんじゃないだろうか。藍、どんな手を使ったんだろう。
「羽未ちゃんの担任もそうですが、家庭訪問も楽しみなんですよね」
……家庭訪問。そうか。藍が羽未の担任になるということは、家庭訪問もあるのか。
「しろはちゃんとの愛の巣にお邪魔しますね」
頼むから、笑顔で言わないで。本当に怖くなってきた。
『あのー、空門先生ー、いつまで見回りしてるんですかー? 職員会議、始めますよー』
……直後に校内放送が流れて、藍は職員室に呼び戻されていった。というか、まだ仕事中だったのか。
「がっこう、たのしみー」
羽未の無邪気な笑顔と裏腹に、俺は不安でいっぱいだった。寝室の写真、片付けておかないと。藍なら入ってきかねないし。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『……まもなく鳥白島。鳥白町漁港に到着いたします』
……聞き覚えのある島の名前が聞こえた。それだけで、私の胸は高鳴る。
ゆっくりと船が着岸した後、少ないお客さんと一緒にタラップを渡って、港へと降り立つ。
「……やっぱり、この島だ」
夕方近くになっても元気いっぱいな蝉の声と、鼻をつく潮の香り。この雰囲気、間違いない。
そんな島の空気を胸いっぱいに吸い込んで、どこか懐かしさを覚えながら、茜色に染まった港を歩く。
……そういえば、港の裏手の本屋さん、まだあるのかな。
そんなことを考えながら歩いていると、坂道の手前で、あのお店を見つけた。
「……懐かしい」
自然とそう口にしていた。しろはさんの食堂。あの特徴的な看板、全然変わってない。
記憶にある建物より低く感じるのは、私の背が伸びたからだと思う。
「お嬢ちゃん、観光客かい? その店は夜しか開いてないんだよ」
「あ、そうなんですね」
そんな風にお店を見上げていると、偶然通りかかったおじさんにそう声をかけられた。確かに、扉には準備中の札がかかっていた。
「この島は初めてかい?」
「……来るのは初めてですけど、久しぶりなんです」
「は、はぁ……?」
狐につままれたような顔をするおじさんに手を振って、私は坂道を登り始めました。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ただいまー!」
「ただ今戻りました」
だいぶ日も傾いてきた頃、俺と羽未は加藤家に帰宅する。
「おかえり。ずいぶんゆっくりだったんだね」
「ええ、行く先々で人に会っちゃいまして。すみません」
居間に行くと、鏡子さんがテレビを見ていた。なんだかんだで遅くなってしまったし、謝っておく。
「そういえば、しろはもまだ帰って来てないんですか?」
俺はそう言いながら居間を見渡す。しろはの姿はないし、まだ鳴瀬家から戻ってないんだろうか。
「……とっくに帰ってるよ。二人とも、遅すぎ」
その時、台所の方からエプロンをつけたしろはが顔を覗かせた。どうやら、夕飯の準備をしてくれているらしい。
「全く。結構長い時間待ってたのに、結局二人とも鳴瀬の家には来ないんだから。おじーちゃん、羽未ちゃんと会うの楽しみにしてたんだよ」
あ、二人とも待ってたんだ。羽未も行きたいと言い出さなかったし、すっかり忘れてしまっていた。
「今度会った時は、羽未ちゃんに新しい服を買ってあげるって言ってたよ」
「そうなんだな。これで34着目か」
「すぐ着れなくなるからいらないって言ったのに。おじーちゃんってば……」
しろははぶつぶつ言いながら、台所に戻っていった。じーさんは本当に羽未を溺愛してくれているし、また日を改めて会いに行くことにしよう。
……しばらくして、スパイシーな香りが漂ってきた。
「いいにおいー」
羽未も鼻をひくひくさせていた。今日の夕飯はなんだろう。
「もしかして、晩ごはんはチャーハンかな」
「え、チャーハン!?」
ぱぁっと羽未の表情が輝く。相変わらず、しろはのチャーハンが大好きみたいだ。
「……残念だけど、晩ごはんはおじーちゃんが釣ってきた魚だよ。羽依里も羽未ちゃんに期待させるようなこと言わないで」
「ご、ごめん」
「……でも、ひーじーじーのさかなもすき!」
羽未は一瞬残念そうな顔をしたけど、すぐにまた笑顔になっていた。うんうん。曾祖父への心遣いも忘れていない。我ながら、できた娘だ。
「……そうだ。せっかくだし、羽未ちゃんも晩ごはんの支度、手伝ってくれる?」
「うん!」
しろはにそう言われて、羽未がぱたぱたと台所の方に駆けていく。
「めばるだー!」
「よく分かったね。タコもあるから、今度たこ焼きパーティーしようね」
「たのしみー」
そんな二人の楽しそうな声が台所から聞こえる。羽未も今の歳でメバルがわかるとか、ゆくゆくはお魚博士とかになったらどうしよう。
「……そういえば羽依里君、さっき、のみきちゃんがこれを持って来てくれたよ。民宿関係の書類だって」
そんな台所からの声に耳を傾けていると、鏡子さんが大きめの封筒を手渡してくれた。
「え、もう来たんですか?」
さすが仕事が早い。本土からの書類、ついさっきのみきに渡したような気がするけど。
はやる気持ちを押さえながら、俺は封筒の中身を確認する。
「……保健所の審査結果を受けて、島の役所も民宿開業を承認するそうです」
大丈夫だとは思っていたけど、役所の印鑑が押された書類を見て、俺は胸をなで下ろす。
「……おめでとう。これで、いつでも民宿を開業できるわけだね」
「ありがとうございます。でも、正式な開業はまだまだ先ですよ。準備するものもありますし……」
……そこで、ふと疑問が浮かんだ。夏海ちゃんの部屋はどうしよう。
もちろん、俺たちが加藤家で暮らすようになってからも定期的に掃除はしている。でも、いざ民宿を始めるとなると、そのままにはしておくわけにもいかない。
ずっと置きっぱなしにしてる絵日記帳も、年月を経てだいぶ痛んできちゃってるし。どうしたものかな。
「……そうそう。今日は夕方の船でもう一人、親戚の子が来ることになってるの」
「あ、そうなんですか」
悩んでいると、鏡子さんから唐突にそう言われた。
明日から夏休みだし、加藤家も親戚が多いから、かつての俺みたいに心の傷を癒しに来る人がいるのかもしれない。
「……その子ね。私の姪になるの」
姪ってことは女の子なのか。どんな子なのかな。
「何年も入院していたんだけど、最近ようやくリハビリを終えて、退院できたらしくてね」
「……え?」
「退院したら一番にこの島に行くって言って、聞かなかったんだって」
「ちょ、ちょっと待ってください。それって……」
鏡子さんの話を聞くうちに、俺の中に一つの考えが浮かんだ。
あの子……夏海ちゃんは頭を強く打ったことで七影蝶となって、トキアミに迷い込んだ。
そして瞳さんの七影蝶に導かれて、この島にやって来た。
そのきっかけって、今日藍が教えてくれた七影蝶の状況に似てないだろうか。
さらには、蒼が数年前にトキアミに送ったという、変わった七影蝶の話。
これはあくまで俺の憶測だけど、七影蝶が抜け出てしまった夏海ちゃんの身体は、どこかで眠り続けていて。
トキアミに戻れた夏海ちゃんが、再び瞳さんの七影蝶に導かれて、元の身体に戻れたとしたら?
……あの子、トキアミを通る前の記憶もあるって言っていたし、その逆もあり得るのかも。
……俺の中で、色々なものが一つに繋がった気がした。
……でも、そんな奇跡みたいな話、起こりえるんだろうか。
「……他の皆は初めてかもしれないけど、たぶん、羽依里君はその子を知ってるんじゃないかな」
必死に考えを巡らせている俺をよそに、鏡子さんはそう言って笑う。その顔を見た瞬間、俺の憶測は確信へと変わった。
「あのー、すみませーん!」
……そして、玄関からすごく懐かしい声がした。
「……羽依里君、仲良くしてあげてね」
「……もちろんですよ」
胸の奥に懐かしいものを感じながら、俺は玄関へと向かう。
「……あの、ここ、加藤さんのお宅ですよね?」
「……うん。そうだよ」
……ああ、背も髪も伸びてるから、すっかり見違えちゃったけど、記憶の中のあの子の面影がある。
「……おかえり。久しぶりだね。夏海ちゃん」
「……はい! ただいまです!」
―――その一言に、数年分の思いを乗せて。
―――彼女は、太陽のように笑った。
―――これからまた、新しい夏が始まる。
あとがき
おはこんばんちわ。トミー@サマポケです。
最後に唐突にな展開になりましたが、思い切って8年後に飛んでみました。
やっぱり、最後は羽未ちゃん含めて、家族三人の幸せな様子を書きたかったですし、島の仲間たちの未来も書いてみたかったんです。
そして8年後の鳥白島はサマポケの聖地である、とある島に似た環境にしてみました。
羽依里君たちが加藤家で民宿をするとか、島に点在する変わった形のアート作品とか、聖地巡礼したことがある皆さんなら、どこか覚えがあるのではないでしょうか。
ラストで夏海ちゃんも帰ってきましたし、一応ハッピーエンドにできたと思っているのですが、いかがでしょうか。
そして補足になりますが、夏海ちゃんは本編の藍みたいな状態で、身体の方はどこかの病院で眠り続けていたわけですね。鳥白島での記憶があるのも、以前説明した羽未ちゃんのような特異体質があるからです。
なんにしても、これにてSummer Pockets #2、完結となります。
連載期間1年半、総文字数約110万文字、計50話の作品となりましたが、ここまで支えてくださった皆様に心から感謝を申し上げます。
今後についてはまだ何も決めていませんが、新作発売まで時間もありますし、民宿を始めた羽依里君たちの話を書いてみたいという気持ちもありますw
RB発売後は、ぜひRBの要素を含んだ長編を書いてみたいですね(*´ω`*)
……それでは、また皆様とお会いできる日を楽しみにしております。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました!