まずはその扉を開けて
これは、世の中に男尊女卑が存在し大きな身分の差があった頃のお話。
たくさんの貴族達ときらびやかな店で賑わう街を少し進んだ郊外近く、小さなアンティークショップが一件。
装飾の施された少し重たい扉を開くと「いらっしゃいませ」と一声。時計やカメラ、アクセサリーや洋服などの美しい装飾品、それらを扱うまるで人形の様に整った顔立ちの美しい店員達。買い物に来ている客達でさえ、染められるかの様に美しく見えてしまう不思議な空気の漂う店内。
そんなゆったりとした空間を打ち破るかの様に商品の鏡が夕日を反射してきらりと光った。それを合図に一つの声が店に響く。
「恐れ入りますお客様、まもなく閉店のお時間となっております。本日も『アンティークショップ Kiss』をご利用いただきましてありがとうございました。またのご来店お待ちしております」
店の隅々にまで響いたその声に背中を押されるように買い物を楽しんでいた客達が会計を済ませ店を出て行く。
人が減っていくに連れて、さっきまで赤く燃えていた夕日もだんだんと弱くなっていき、閉店となる頃には星が輝いていた。
店長マリア・レドモンドは、ダージリンを飲みながら店員達が商品の片付けを終えて帰って行くのをゆったりと眺めていた。全員が帰ったのを確認したマリアは、ティーカップを置きシャワールームで身形を整え、店の灯りを一つ二つとつけてゆく。最後の灯りに手をかけたその時、扉に着いたベルがからん、と音を立てる。
入ってきたのは一人の女性だった。服装からしてそこそこの身分なのであろう。
「大変恐縮ですがお客様、アンティークショップはすでに閉店しております。お買い求めであればまた後日……」
声をかけられた女性は、そうじゃないとでも言いたそうに憂う瞳でマリアを見つめていた。
「おやおや……なかなか冗談の通じないお客様ですね……さぁ、男性店員諸君!仕事の時間ですよ。あまりレディを待たせないようにといつもいっているでしょう?」
二回手を叩くと店の奥から四人の店員がマリアの左右に付く。戸惑う女性客に淡々と説明を始めて行く。
「この度は、『Kiss』にご来店いただきまして誠にありがとうございます。お客様の目的は買い物ではない……という解釈で間違いないでしょうか?」
「……はい」
女性は小さく答えた。さっきまで戸惑った様子だったものの、マリアの問いかけにどこか覚悟を決めたような表情へと変わっていった。
「かしこまりました。それでは当店の説明をさせていただきます。まずは、我々五人の店員の中からお客様の気に入った一人をお選びください。担当の途中変更はできませんのでくれぐれも慎重に……」
女性は言われるがままに店員一人一人の顔をじっくりと見ていった。
ナイスミドルの男性、幼顔の残る少年、少し派手めな男性にどこか女性らしさのある男性、そして誠実さ溢れる店長。
迷った様子を見せたが、彼女が選んだのはマリアだった。
「ご指名ありがとうございます。お客様の最期を担当させていただきますマリア・レドモンドと申します。気軽にマリアとでもお呼びください」
そういうと彼は女性の手を取り、キスを一つ落とし続けた。
「これから奥の部屋で軽くお話や希望を聞いたあとに……行為に移らせていただきます。時間制限などはございません。お客様の最期の時間を幸せに過ごして頂けるよう私精一杯努めさせていただきますので、何かあれば随時お申し付けください」
説明を受けた女性は不安そうに小さく頷く。それを見たマリアは「大丈夫」と小さく囁き女性の肩に手を置き、奥の部屋へ誘導する。部屋のドアを開け女性を先に入れると、派手めな店員に声をかけた。
「アーサー、店番頼んだぞ」
「あーいよ。ごゆっくり」
ドアを開け部屋に入り手際よく紅茶を二つ用意する。机を挟んで女性の目を真っ直ぐに見る。
「それではお客様、お名前をお伺いしても?」
「私はマーガレット、メグでいいわ。それにそんな堅苦しい話し方されたら疲れちゃう。さっき他の店員と話してたようにしてちょうだい」
「お聞きでしたか、これはお恥ずかしい。……まぁメグが望むならそうするさ。それで、君がこの店に来た理由はなんだい?」
その方が自然でいいわと微笑んだメグは、静かに話をしていった。
親同士の決めたものではあったものの、小さい頃から慕っていた幼馴染とつい最近結婚したという。そんな幸せもつかの間、買い物を済ませ夜道を歩いている時に顔も名前も知らない集団に襲われそのまま身籠ってしまったと言う。
「そのままその子をおろして夫のもとへ戻ることもできただろう……?開始後のキャンセルはできないが、今ならカウンセリング代だけで帰ることもできるぞ」
それを聞いたメグは、悲しげにそっと微笑み首を横に振った。
「私もそれは考えたけれど……戻れるとは思えなかった。いくら彼を愛していても、初めての抱かれるという行為が怖くてできなかった。そんな中、覚悟を決めた夜だっだの。彼の好きなものを夕飯に用意して新しいナイトドレスを買って……きっと人生で何度かしか訪れない、幸せな夜になると思っていたの。それが、あんなやつらに奪われてしまうだなんて……」
憂いに満ちた表情のメグはとても幸せそうに夫の話をして、とても苦しそうにその夜の話をした。
「本当に思い出すだけでも吐き気がするわ。汚くて臭くてそれに……とても痛かった。自分のエゴだというのは分かっているのだけれど、こんな穢れてしまった身体で彼に抱かれることも嫌だったし、何より彼から軽蔑の眼差しを向けられてしまうかも知れないことが一番怖かった」
「君の意思で他の男に抱かれたのなら彼も軽蔑するだろうが、力のない女性が複数から逃げるのは難しい。それに愛する女性がそんな目にあったんだ、忘れさせるほど幸せにしてやろうと思うのが当たり前なんじゃ……」
「違う、そうじゃないの」
言葉を遮ったメグの声に少し落としていた視線を上げたマリアは、気付いてしまった。辛い記憶を話しているはずなのにも関わらず彼女の表情は恍惚としていたのだ。
「確かに正直に話せば彼は、辛かったねと私を優しく抱き締めてくれたと思う。けど、名前も顔も知らない身分だって私よりもずっと下の奴らにあんな風に犯されたにも関わらず、味わったことのないほどの快感だった。彼のためにとっておいた純潔を奪われた痛みでさえ、私の身体は悦んでしまった……こんなの軽蔑されるに決まってるわ」
「なるほど」
彼女は自信ですら気付いていなかった自分自身の本性に、彼女自信が耐えられなかったのだろう。
「だからせめて、一度くらいは抱かれる幸せを感じたかった。だから、この店に来たの」
「そうか……」
「それに、貴方の事結構気に入っているの。夫に抱かれてからそのまま自害するのでも良かったけれど、貴方に殺されるならきっと幸せだわ」
「殺す、という言い方には少し語弊があるが、そう言われてもおかしくはないか」
少し悲しそうな笑みを浮かべたマリアは、全てを受け入れるかのように紅茶を口に含み席を立ち、少し離れたベッドに再び腰を落とした。
「メグ」
「何かしら」
「いや、来ないのか?」
「……っ」
いたずらに笑う彼に誘われるように、メグは席を立ち自らの唇を彼へと重ねた。
深く沈みこむような口付けを壊すように、マリアの舌が確かめるようにメグの口の中をなぞっていく。彼女の小さな喘ぎと共に漏れる吐息を一つとして溢さないように何度も何度も口付けた。
「……これじゃ優しいのか激しいのかわからないわ」
「なら優しくしようか?」
「いいえ激しく……というか貴方の好きにして」
もどかしいとでも言いたそうに腰を揺らす彼女に、優しく微笑み耳元でそっと囁く。
「……もう、戻れないぞ」
どちらが求めるともなく再び唇を重ねる。甘い口付けにふわりと香る汗、滴る雫が人としての理性をどんどん溶かして行く。残っているはずの寿命を燃え付くすようにメグの身体は熱を帯びてマリアを求めていた。
哀しくも狂おしく甘美なマーガレットの最期の夜が、少しずつ少しずつ終わりへと近づいていく。