スペキュレーション   作:sum072

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 青道高校野球部の新入生の入部初日は体力テストから始まるのが伝統である。身体能力があるというのは、それだけでは上にいけないといえ大きなアドバンテージとなる。ただし朝練でのランニング、朝食という名の食事トレーニングの後で多くの新入生はすでに身体が重くなっていた。

 

「向井地くんは余裕そうだな」

「顔に出てないだけ。祖母が男だからって、あれぐらいご飯盛るから慣れていたのもあるけど」

 

 くん付けなど柄ではないが、相手がくん付けをするのに倣っている。御幸としては距離を近づけて、なるべく早く敬称は外すつもりだし、外されるつもりだ。一方の慧は御幸のくん付けに案外、人との距離感を分かっているなと感心している。彼の家族とクリスしか知らないが、やや人見知りなので急に距離を詰められるとその後も苦手意識が残ってしまう。実は成宮が初対面で慧と肩を組んで下の名前を呼び捨てにし、好感度メーターが最低まで落ちているが、捕手らしい観察眼で御幸は好感度をキープしている。

 

 二人がスパイクを履いて、グラウンドに出ると氏名が書かれた紙を渡される。身体測定のように流れ作業でテストをこなし、マネージャーや先輩部員が新入部員の結果を記録していく。数字にすると目に見えてスカウト組、一般入試組の違いが出てくる。稀に一般入試組でも光るものがある部員もいるが、ごく僅かである。走力と瞬発力で目を見張る倉持洋一、卒がない平均点の高さを出す御幸一也と白洲健二郎、遠投力や柔軟性で規格外を見せつけた向井地慧、学年の中心になりそうな部員は自ずと頭角を現してくる。片岡の視線に高島は深く頷いた。

 

「ポジションに分かれて、テストを行う。投手と捕手はついてこい」

「……やっと本職ですな、向井地くん」

「嬉しそうだね、御幸くん」

 

 御幸は飄々とした物言いをしているが、野心が隠せていない。やっぱりプライドが高そうだなと慧が内心呟き、周囲を見渡す。捕手候補は御幸を含めて2名、投手候補は3名。横並びになった5名の前に片岡が立つ。その横にはクリスが控えている。むずむずとした高揚感が足の裏側から背筋を通って、首筋まで到達する。慧は自然に笑みを浮かべていた。

 

「(正直、同学年はどうてもいい。監督の目に止まって、早くクリスさんと組みたい)」

「(どうせクリスさんに受けてもらうために一軍にあがりたいとか思っているだろうな)」

 

 慧からの熱い視線と御幸からの流し目に加え、片岡からの一瞥まで受けたクリスは頬をかく。朝練からあえて距離を置いて観察していたが、今は御幸が上手いこと懐に飛び込んでいるという印象だ。お互いに本性を出し合ってからが肝であり、このテストが良い切欠になればいいと願う。本音を晒すと御幸は心配していない。案外、投手に尽くすマメなタイプであることは知っているからだ。問題は片岡にも伝えているが、慧の方である。本人が無自覚な問題を解決しなければならない。無自覚だから本人は動かないはずで、となれば片方が動くことを期待するしかない。御幸が知らないところでクリスの大きな期待がかけられている。人数が少ない捕手候補に投手を割り当てて、持ち球の全てを受けてもらうよう片岡が指示をする。もちろん慧は御幸側だ。周囲の心配や期待を余所に二人は球種の打合せをしているのか話し合っている。

 

「おっ、サイドスローがいる」

「ふーん。丁寧に下に集めているな」

「優しい評価だけど、本音は? 向井地くん」

「……他の奴なんか気にしても意味はない」

 

 気が合いそうだとほくそ笑む御幸に対して、この返しで笑うかと慧は眉を顰める。選抜での遠征経験もあり、そこで成宮と組むだけあって御幸が捕手として優秀だということは慧にも分かる。同じシニアチームで自身の球を受けていた捕手とは比べ物にならないだろう。未だ御幸の捕手としてのレベルを測りかねているからこそ思案する。どれぐらいの本気で投げるべきかと。黙って考え込む慧を御幸はじっと見つめている。

 

「次、向井地」

「はい」

 

 何度かキャッチボールをして肩をつくる。それから、慧は大きく深呼吸をして酸素を肺に入れる。マウンドに立って、その先にいる御幸を見据えた。最初に指示されたのはストレートを5球。マウンドの慧は静かだ。調子が上がると闘志をむき出しにして吠える投手もいる中、向井地慧は逆に口数が少なくなる。じっとバッターを見下ろして、甘いといわれるたれ目がちな瞳が冷える。

 

「向井地、いきます」

 

 穏やかに宣言をする。ど真ん中にミットを構えた御幸は唾を飲み込んだ。映像は何度も見てきたが、球は一度も受けていない。しかし特徴は頭に叩き込んでいる。180半ばの長身から放たれるノビとキレがある球速140㎞超のストレート、回転数があるから打者だと更に早く感じる一級品とされる向井地慧の投球。

 

 スリークォーター気味のフォームから白球がリリースされた。来たと認識するより早く、ミットへと収まったボールからの重い衝撃が御幸の身体を突き抜ける。さすがの一言だった。何より素晴らしいのは制球だ。それからの4球をインハイ、アウトロー、そこからボール一個分の出し入れ、全て構えたところに寸分の狂いもなく投げ込んできた。加えてスローやドロップなど数種類のカーブ、縦と横に変化するスライダーを変化球として持っている。軽く投げているようにみえる変化球の制球もストレート同様に決まっていく。傍らで見学していた太田が満足そうな表情を浮かべる中、クリスの表情は冴えない。それに気づいた片岡が声を張り上げようと腹に力を入れた瞬間、御幸が徐に口を開く。

 

「次はU-15のアメリカ戦で4番に投げたストレートが欲しい」

「嫌だね。球速は出るけど、コントロールは甘いし、クリスさんしか取れないし」

「俺は捕る」

「ふーん。……御幸くんってストライクゾーンの球を捕逸した時ってどっちの責任だと感じる?」

「捕手。投手を活かすのが仕事だから」

 

 その答えを貰ったのは慧の人生で二度目だった。ニヤリと獲物を狩る肉食獣のように目を細めてから指を3つ立てた。御幸が頷き、持っていた球を返す。これこそ待ち望んでいた切欠だとクリスはこみ上げたものを噛み締めた。片岡も吸い込んだ息を大きく吐いた。今年の新入生は癖がありそうだとサングラスの奥からマウンドを観察する。新しい風がうなりを上げるのを確かに感じていた。指導者として彼らの勝手な行動を咎めるのは勝負が終わった後にすることにした。


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