青道高校野球部OBの悲願は甲子園での優勝。ただ、ここ数年の母校は大会でよいところまでいくものの出場すら遠ざかっている。原因は明確、投手不足の一言。青道は打撃力のあるチームとして名を馳せている。裏を返せば点を取らなければ、勝てないチームともいう。投手候補は毎年、数名が入ってくるも野手へのコンバートや実力不足により絶対的エースが不在。継投でしのいで、爆発的に点を取るのが青道スタイル。なので取った、取られたの2桁得点は当たり前。コーチ役のOBが高島にスカウトの状況を確認するも、去年も今年も世代No1捕手らしい。肝心の投手がなと気落ちしていた中、彗星のごとく現れたのが向井地慧だった。リトルで全国制覇、国際大会への出場、拠点を移したシニアでも地方大会3連覇、全国大会上位常連、U-15に選抜される世代No1候補のエリート投手。そのルーキーが一軍相手に登板だと情報がまわれば、色めきだった者たちが集まるのを止めるものはない。東が去年の西東京大会の応援より来てるんちゃうんと呆れるぐらいにOBや記者で埋まったスタンドの鼻息は荒い。
「で、注目のルーキーは初回を3奪三振! 今のお気持ちは?」
「別に。それより4番の東さん、5番のクリスさん、6番の結城さん、次の回が肝になる」
「クールだな。まぁ、話題性はこれで十分。次の回はチェンジアップも使って緩急つけていこう」
「……クリスさんから三振をとりたいな」
「難しいけど、俺とお前でやろう」
出来ると言えなかった御幸に慧の問うような視線が刺った。逃れるかのように御幸はマネージャーからドリンクを受け取る。バッターボックスでは小湊亮介が一軍先発の3年投手から四球を見極め、一塁へ。続く伊佐敷純がバットを構えているところだった。二軍の映像を見ていた慧が味方でよかったと零していた二人である。曰く、小湊はギリギリを攻めて投げた球を見極めた風で四球にされるとイライラして制球が乱れそう、伊佐敷のような悪球打ちは想定通りにバットを振らないので困惑するとのことだ。確かに捕手としても敵にはしたくない相手である。ちなみに今日の打順は御幸が8番、慧が9番とひとまず定石通りに置かれているので、余程のことがない限り初回で打席は回ってこないはずだ。片岡から試合前日、デビュー組に伝えられた条件は二つずつ。慧は最大5回までの登板であること、100球を超えたら5回より前でも降板、御幸はスタメンでフル出場、5回までを慧、6回以降を丹波と想定してリードをすること。初回に慧が投げたボールは11球。1回あたり使える球は平均20球、カウントをとるためのボール球は控えるか、2巡目からは打たせてアウトを取る方向で球数を減らしていくのもありかもしれないと御幸は思考を巡らせる。試合は伊佐敷がワンバンすれすれのボールをヒットにしていた。
「多分、クリスさんは俺の集中力を切るために打席途中でタイムを取るはず」
「ん? あぁ、前に言ってた弱みの」
「直後の1球が勝負の分かれ目だと思う。いつもなら1球分ぐらい高めに浮くけど、今日は絶対に集中力を切らさない」
「自己暗示の類か?」
「御幸、俺とお前で次の回も三者凡退、連続三振記録を伸ばす。今日で俺たちは一軍に上がる」
伊佐敷の次の打者がダブルプレーにとられ、続く打者も三振と二軍初回の攻撃は無失点で終了した。立ち上がった慧が御幸を見下ろした。俺はやるけど、お前はやる気あるかと問う甘い双眸の冷えた視線が御幸に向けられる。やっぱり慧の容赦のなさは同世代でもずば抜けている。才能の上に胡坐をかかずに容赦なくストイックで上を目指し続ける求道者。それについてこれる者を無意識に選んでいる。今まで彼の選抜を経て、信頼を得たのはクリスのみだった。そして今、自身がその岐路に立っている。御幸は立ち上がって慧の胸をクラブで叩いた。やるぞと添えて。
マウンド上の慧は相変わらず静かに佇んで、18.44メートル先の御幸を見据えていた。グラウンドの熱量は最高潮に達している。バッターボックスに入る打者を見た御幸がニヤリと笑う。何かを囁きかけた御幸をけん制するようにクリスから口火を切る。
「ストレート、チェンジアップ、スライダーで3球勝負。東さんも三振とは感心したぞ」
「クリスさんも三振にとるつもりです」
初球のストレートはカットして、ファウル、続くスローカーブは空振り、スライダーもファウル。ここでクリスはタイムをとる。バッターボックスから外れて慧へと視線を移すと、目が合った。甘い瞳が感情を映さず凪いで、何も読み取れない。味方だと良いと思えた点も、敵になると厄介である。だが集中力が切れれば、ボールは必ず高めに浮く。決め球はおそらく、初日に御幸が要求した例のストレート。このバッテリーがクリスを相手取るなら、それを選ぶはずだという確信がある。そしてボールカウントをとることはしない。次の球が勝負だと勘が告げている。打席へと戻って、ゆっくりとバットを構えた。
「(かかってこい)」
「(ど真ん中に例のストレート。クリスさんに甘く入ったら、飛ばされる。絶対に浮かせるな)」
「(いける! 全力で投げるから、後逸するなよ)」
三者の思惑が交わる中で慧が腕を上げる、脚を上げて、スリークォーターのフォームから球が放たれる。腕の振りで音が鳴りそうな程だったと、スタンドで見ていた倉持は後に語った。きたとクリスは奥歯を噛み締める。最後に受けた時よりも球威も球速も上がっている。だが、軌道は変わらない。だからこそ打てる。狙いを定めて、バットを振る。しかし、思った感触が手にこない。そう認識すると同時にミットに球が収まるズバンという轟音が流れ込む。球審の片岡がストライクとアウトを宣言する。
「浮かなかったのか」
「絶対に集中力を切らさないって言ってました」
「今日が特別だろう。扱い方は心得ているから分かる」
短く会話をした後、バッターボックスを去る。視界に入ったネクストサークルで燃えるオーラが隠しきれていない結城の肩を叩く。深く頷いた結城がバッターボックスへと向かった。理由は説明できないが、クリスはこのルーキーたちから初ヒットを打つのは結城じゃないかと思えた。方や幼少期から才覚を発揮、入部後は数段飛ばしで駆け上がる者。方や入部直後は期待がかけられずも、黙々と努力を重ねて才能を開花させた者。案外、あいつらは俺たちの代と相性が良いのではと思い至ったクリスは緩みそうになった表情を引き締めて、ベンチへと歩みを進める。カキンという音がグラウンドに響いて、クリスは振り返った。初球から打ちにいった結城が外野の絶妙な位置にボールを落として、一塁で留まる。ベンチから東がよくやったと大声で結城を称えていた。マウンド上の慧の瞳は冷え続けているものの、口元が弧を描いていたのをクリスは見逃さなかった。