へぇ、こんなところに新しい書店さん出来たんですね。全然知りませんでした。
少し、寄ってもいいですか、北郷さん?
はい。ありがとうございます。
…………。
………………。
……………………。
へ? ああ、ごめんなさい。
本を探すのに夢中になって、北郷さんの存在、忘れてました。
……え? なんでちょっと悲しげな顔してるんです?
あ、うん、そうですね。本、好きですよ?
例えば――もし私が、なにか功をたてて、そのご褒美に好きなものあげるって言われたとしますよね?
そしたら、「第一候補は本です。本が欲しいです。とりあえず数百冊ほど」ってくらいには好きです。
えと、好みの「じゃんる」……?
あー、なるほど。天界語で、ふむ、「種類」みたいな意味、と。
まぁ、わりと何でも読みますけど。
ちなみに、いま探してるじゃんるは「やおいち」なんですが。
今、お城の女子文官の間で流行ってるんです。
いえいえ、そんなに難しい本じゃなくて、物語ですよ。
「八〇一」って書くんですけど……読み慣れていない人には判り難いかもです。
袁渙ちゃんも、閻象さんに教えて貰わなければ知りませんでした……あ。
……すみません、北郷さん。
この話、忘れたことにしていただけませんか?
や、そういうわけじゃないんですけど――閻象さんがやおいち読んでることは内緒って、ご本人に念を押されてたの、失念してて……。
はい、助かります。謝謝、北郷さん。
それにどうやら、ここには置いてないみたい。
何も買わずにあまり長居するのも悪いですし、そろそろ出ましょうか……ん?
ああー、いえ、お腹が空いたから、ここの道向こうの食事処を見ていたんじゃなくてですね。
ほら、そのお店の前に、男の人が三人……そうそう、黄色い布を頭に巻いてる方々。
……ううーん。
どう思います、北郷さん?
袁渙ちゃんは、あれって……。
すごく素敵だと思います。
あの黄色い頭巾……とっても、お洒落ですよね?
どこで買えるのか……って、北郷さん、どうして急に転びましたか?
お怪我は……ズッコケただけだから平気? へー。
さて、それじゃそろそろ帰りましょう――。
✝✝✝
――けど、結果。
お城へ帰るのは、少し遅くなることになりました。
原因は、さっきのお洒落頭巾の男の人たち。
そして、この後すぐ、食事処の前にやって来た、三人連れのみなさんそろって小柄な可愛らしい女の子たち。
それと、北郷さん、でした。
✝✝✝
「す、すみません、私たちのちぇ……せいで」
「すみましぇ……せん」
「……ごめんなさい」
食事処の一角に席を取って食卓を囲んでいるのは、私と北郷さん。
そして、私たちと向かい合わせに座っている女の子が三人。
お三方とも、明るく笑えばその場に花が咲いたようになること請け合いの可憐な美少女さんたち……なのですが。
今はみなさん、俯き加減で「しゅん」と萎れてしまっているよう。
「いやいや! 三人ともそろそろ顔を上げて! もう気にしなくて大丈夫だから! ね?」
そんな居たたまれない雰囲気の中、目の前の子たちに何度目かの声をかける北郷さん。
「でも、怪我を……」
そう言って北郷さんの顔を不安げな顔で見やるのは、三人のうち真ん中に座ってる、大きな飾り紐のついた丸帽子っ娘ちゃんで。
ちらっと横目で北郷さんを見ると、困ったなぁって表情で頬を掻いていて――その指の近くには、さっき貼ったばかりの絆創膏。
「う、ううぅ……私が、ちゃんと前を見てなかったから……」
泣きそうな、というか、半分くらい泣いちゃってる声で後悔の念を滲ませるのは、丸帽子っ娘ちゃんの左手側の子。
元々目深に被ったつば広の三角帽子を、ご自分の手できゅっとさらに引き下げながらも、帽子の隙間から覗く上目遣いは北郷さんに。
「朱里も雛里も悪くない。……悪いのは、シャン」
そして最後に右手側の子。
前の二人と比べると、淡々とした喋り方にそれほど変わらない表情。それを見る限り落ち着いてる……よーに見えますが、よーく観察すると、一番顔色が悪いっぽい。
たぶん元からつやつやで白い肌、その綺麗なお顔が今は白を通り越して、薄青くなっちゃってます。
「北郷さん。この子たち、こんなに謝っているんですから。許してあげてください。いくら北郷さんが『南陽の種馬』と呼ばれる性欲無双の人でも、鬼畜な真似はどうか、どうかお控えに……よよよ」
「だから許してるって!? そもそもこの子たちが悪いわけじゃないし……ってかさ、袁渙……『南陽の種馬』!? 何ソレ初めて聞いたんだけどっ!?」
えーと、何かちょっと前に七乃さまが言ってたんですが。
「ひうっ!?」
「た、たねうま……あわ、あわわー!?」
「……鬼畜」
「ま、待って! 嘘だから! この子の言ってることは全部事実無根だからー!?」
さて、と。
場が盛り上がったところで。
何があったのか、ざっと振り返っておきますね。
✝✝✝
遠目からでも、わー、すごく可愛い娘たちだぁ。
って思ったのが最初でした。
だからなんとなく見ていたんです。
「あれ? 帰るんじゃないのか?」
なんて北郷さんは言ってましたけど、私の視線の方へ顔を向けると。
「ああ、今度はあの子たち見てたのか。んー、少し前を歩いてる二人、やけにきょろきょろしてるな?」
「旅の方々なのかも知れません。包みを背負ってますしね」
「んん? あー、ホントだ。良く見てるなぁ。そんで後ろの子は……すまん、俺、ちょっと目がおかしくなったみたいだ」
「どうしました?」
「あの子、めちゃくちゃ馬鹿デカい斧背負ってるように見える。あんな小柄なのに、あり得ないもんな!」
「いえ? 背負ってますよ。大斧。たしかに珍しいですけど、あり得ないってほどじゃないですよ」
「あ……ああ、そうか。そういうもんか……」
私の言葉に、茫然としつつも納得するしかないかって感じの北郷さん。
「たぶん、あの子は武人さんで……」
そんな話をしている最中。
相変わらずきょろきょろしながら前を歩いている二人のうち、三角帽ちゃんの方が例のお洒落頭巾さんの一人にぶつかりそうになっていて。
「あっ」
私が思わず声を上げた時には、もうぶつかってしまっていました。
けどまぁ、ぶつかった、とは言っても、見たところ軽く体が当たった程度。わりと体格の良い相手に対して、小柄な三角帽ちゃんの方がむしろ少し後ろによろめいたくらいのもの――だったのですが。
ぺこぺこ頭を下げる三角帽ちゃんと、それにすぐに気付いて同じように謝罪してるらしい丸帽子っ娘ちゃん。
そんな二人の前で、ぶつかられたお洒落頭巾さんは、自分の腕を押さえながら妙に大げさな身振りで、仲間の男の人たちに痛みを訴えているようでした。
「……あれは、何かちょっと不味くないか?」
「……はい」
どう考えたって、男の人たちのあれは演技です。おそらく「治療費寄越しな、お嬢ちゃんたち」みたいな展開にしたいんでしょう。
でも、女の子たちは気怖じしているのか、或いは世慣れていないのか――私の見立てでは両方でしたけど――判りやすく狼狽している風で。
その頃には、少し遅れて歩いてた大斧ちゃんも先の二人と一緒に謝っていましたが、どうにも上手く行っているとは思えず。
不穏な空気を察した周りの人たちも、やや遠巻きにして成り行きに任せているようでした。
そして。
「きゃっ……ひ、い、嫌ぁっ!?」
「ひ、雛里ちゃん!?」
ふいに、ひと際大きな悲鳴が二つ。
一つ目は、男に腕を取られて引き寄せられようとしている、三角帽の少女の恐怖に満ちたもの。
二つ目は、その少女の名前らしきものを叫ぶ、丸帽子の少女の驚きと悲痛の混ざったもの。
「…………っ!」
瞬間、私は体中の血液が全部沸騰して、目の前が真っ赤に染まるのを自覚しました。
美羽さまの元で働き始めてからここ最近、しばらく忘れていた感情――怒り。
思わず駆け出そうとした私を。
「待て! 袁渙!」
横にいた北郷さんが腕で私の体を制するようにして、止めました。
――なんでっ!?
……正直、北郷さんを睨んでたと思います。
自分のなかに、まだこんな強い気持ちが残っていたなんて。私は私自身のことを良く解っていなかったみたい。
でも。
私がもっと解っていなかったのは、北郷さんのことでした。
「俺が行く」
一瞬、何を言ってるか理解できませんでした。
私の中の北郷さんは、自ら進んで荒事に向かうような類の人じゃなかったから。
――空から落ちてきた、『天の御遣い』。
――美羽さまや七乃さまに無茶ぶりされても全然怒らない、お人よしで。
――舒邵ちゃんの気持ちに全く気付いてない、鈍感さんで。
――何より、変な人で。
そして誰より、優しいから。
この時、北郷さんは飛び出したんだって思い至ったのは、少し経ってからでした。
……で、結果ー。
駆け出した北郷さんがあちらに着くよりも速く、例の大斧ちゃんがお洒落頭巾三人組をノシてました。
何を言ってるかわからない人もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも一部始終見てたはず私も大斧ちゃんがどう動いたのかさっぱりなので、説明できないんですけど。
ま、ここで終われば何の問題もなかったんですよね。
勢い良く駆けて行った北郷さんを、大斧ちゃんが「あ、増援だ。こいつらの」的な勘違いさえしなければ。
マジ半端無い勢いで振り下ろされた斧を、奇跡的に北郷さんが避けてるのを見届けたところで。
半ば茫然としてた私も駆け出しました。
もちろん、大斧ちゃんを止めるために。
……半泣きで。
✝✝✝
「お詫びはごじちゅかならじゅ!?」
「か、かにゃらじゅ!?」
「……お詫びは、後日必ず。それじゃ……またね、お兄ちゃん」
件の三人の美少女さんたちは、予想通り旅人でした。
丸帽子娘ちゃんが諸葛孔明ちゃん。
三角帽子ちゃんは龐士元ちゃん。
大斧ちゃんは徐公明ちゃん。
先の二人は、なんとあの水鏡女学院の第一席と第二席――伏龍、鳳雛――と言えば、私でも知ってる超有名人。
なんでも旅で見聞を広めつつ、仕えるべき主君を探しているのだとか。
そして大斧ちゃんはその二人の護衛なんだそう。
元々は別のお仲間と、やっぱり旅をしていたらしいんですが、二人が旅立ったばかりの処にたまたま居合わせ、なんか心配だったのでしばらく付いてくことにした、とのこと。
その気持ち、すっごく良くわかるんですよね。
孔明ちゃんも士元ちゃんもなんていうか、「わ、私、龍です! でもまだその、ふ、伏せてましゅけど!」「わ……私は鳳凰……の雛鳥でしゅ。……ぴよぴよ」って雰囲気がひしひしと。
その大斧ちゃんは、元々都で役人を務めてたけど、嫌になって辞めた……と、そんな感じっぽいです。
基本無口な子らしくて、これはこれで庇護欲をそそるっていう。
ちなみに、みなさんあと数日は苑に滞在してるとのことで、その間にもう一度お会いする約束をしちゃいました。
「はぁ……」
「あの子たちと別れてからため息ばっかりだな?」
「だって……めちゃくちゃ可愛いかったじゃないですか、三人とも。あぁ……あんな妹が欲しいです、私」
「じゃあ、次に会ったとき聞いてみたらどうだ? 『私の義妹になりませんか?』って」
「あ、それ良いですね。それで行きましょう」
「乗り気なのかよ」
なんて会話をしつつの帰り道。
「ところで。大丈夫ですか?」
「へ? なにが?」
「傷ですよ、その頬の傷」
そう、大斧ちゃんの一撃を死なずに避けた北郷さんですが、かわし切ることはできなくて。
頬に縦傷を負っちゃったんですよね。
幸い、それほど深い傷じゃなかったのと、孔明ちゃんが簡単な医療具を持っていたので、その場ですぐに手当できたんですけど。
「痛みが取れなかったり、化膿したりするようならちゃんとお医者に診て貰わなきゃ、ですよ?」
「それ、孔明ちゃんの受け売りだろ?」
「……悪いですか」
人が心配してるのに、茶化すみたいに言って来る北郷さん。
なぜか私の気分は急降下、まったく、急降下です。
「あ、あれ……? もしかして、怒った?」
「怒ってません」
「……ホントに?」
「本当です。ただお城に帰ったら、北郷さんが肌面積の多い服を着た小柄系美少女に『お兄ちゃん♪』とか呼ばれて鼻の下でれっでれっに伸ばしてた、ってあることあること言い触らしたい気分でいっぱいなだけです」
「……やっぱ怒ってるじゃないかっ!?」
「知りません」
それから。
お城に帰るまでの間、必死に謝り倒すっていう北郷さんの面白い姿が見れたので。
まぁ、許してあげないこともない、ですかね?