……あー、あー、マイクテストマイクテスト。
……大丈夫のようですね。
失礼しました、拡声器の調子がおかしかったようで一時音声が聞こえなくなってしまっていたようです。
ええ、と。どこまでお語りしましたっけ。
ああ、そうそう。こころが少年の部屋で目標を語ったところでしたね。
——では。その続きからお話を再開しましょうか。
季節は進み、温度と湿度が世の人々を苦しめる時季がやってまいりました。
いわゆる、梅雨、というやつです。
おそらくこの季節を楽しめるのは幼子と、あとは彼女くらいでしょうか。
「うーん素敵な音ね! そうだ、次はこんな曲はどうかしら美咲!」
「えっと……うーん、ちょっと待ってね?」
ここは花咲川女子学園。こころや美咲が通う学校です。
当たり前ですがこころといえど高校生。そもそも少年といる時間の方が圧倒的に少ないのです。
今は放課後。人が少なくなった教室で、こころと美咲は新しい曲作りをしていました。
楽しそうに鼻歌を口ずさみ紙になにやら描き連ねていくこころとそれを文字に、譜面に書き起こしていく美咲。
これが彼女たち『ハロー、ハッピーワールド!』の日常、その一部。
そんな最中に美咲は、チラリとこころを一瞥しました。
「こころさ、なんか変わったよね」
目線をまた紙に落とし美咲はそう言います。
「そうかしら?」
「うん。なんていうかな……前より人を気にするようになったと思う」
「人を?」
「そう。前は……もちろん今もそうなんだけど良くも悪くも天真爛漫って感じだったんだけど……今は……なんだろ」
「うーん……よくわからないわ!」
「だよねぇ……でも多分、あの人のせいなんでしょ?」
まあ、美咲がここでいうあの人、というのは、私の語ってきた物語を聞いてきた皆様なら容易に想像つくことでしょう。
私は彼女でない故に、彼が彼女にどんな影響を及ぼしてきたかは知る由もありません。
しかし、彼女の日頃の行動……私が語る事もない何気ない日常に変化を起こしたことは違いありません。
正史とは違う行動、語り、その他エトセトラ。
それがいいか悪いかといえば……私には分かりかねますがね。
私は物語の案内人ですが、それ以前に物語の登場人物の一人ですから。
自分の世界を否定したくはないものてす。
さて、話は戻しますが、その美咲の言葉を聞いてこころはどこか遠くを見つめるような表情をします。
「そうね、あの人は私の大事な人だもの」
「ん……ほら、今も。あの人、だけで通じなかったもん、前のこころ」
「そう?」
「そう」
それっきり。
その会話はそれでおしまい。
たった数回言葉を交わしただけで教室は彼女らの曲作りの時間に戻ります。
ただ、少しだけ、教室には静けさが増えたような気がしました。
「ねえ美咲?」
「はいはい、なに?」
「私、あの人にどうしたいのかしら」
「え?」
こころの鼻歌がピタリと止み、違和感を感じた美咲が顔を上げると、こころが美咲を見つめていました。
「私、あの人のことがとっても大切なの」
「うん、聞いた」
「あの人を笑顔にしてあげたい。でもあの人は笑わない。じゃあそのままでって思っちゃうの」
こころが顔に陰を落としながら美咲にそう説明すると、美咲は目を見開きました。
「びっくりした」
「びっくり?」
「うん。正直、こころの話してることが普通に理解できたのは初めてだったから」
気まずそうに美咲は頬を掻き、目線をこころから逸らしながらこころにそう言います。
「でも、そうだね……。だったらそれでいいんじゃないかな。今の関係が心地いいって事なんだろうし、無理に変えなくても」
「変えなくても……」
「そうそう。別にあの人が死ぬとかそんな話じゃないんだしさ。気負わずゆっくり考えていけばいいんじゃないの? こころはあの人から離れる気ないんでしょ?」
「ええ、もちろんよ!」
美咲の言葉で元気が出たのか、また陽気に鼻歌を歌いながら曲作りに戻るこころ。
美咲のその言葉のどれくらいをこころが理解したのかはわかりませんが、少なくともテンションを戻すくらいには美咲の言葉はこころに響いたようでした。
その様子を見て美咲はちょっと。
ほんのちょっとだけ、目を細めます。
少しだけ妬けちゃうな、と彼女が小声で口に含ませたのは私と、そして皆様だけの秘密としておきましょうか。
そうして美咲はまた紙面に目を落とし、こころの奏でる歌を曲にしていくのでした。
それは、正しき歴史となんら変わりない時の過ぎ方でした。