「んで、何の用ですか」
ベンチでこっくりこっくり船を漕いでいたところを少女——弦巻こころに叩き起こされた少年。
こころをベンチに座らせた少年は自身も彼女の隣に腰掛けると、こころにそう問いかけました。
ちなみに彼我の距離はちょうど身体二つ分。
ベンチの端と端です。
ベンチに際限が無ければきっと、お互いが霞むくらいには離れていたでしょう。
もっとも、こころがそんな距離を空けさせるかは別として。
ずずいと、こころが少年に寄りました。
隙間が無くなりました。
ため息。
「あなた、どうしてあの時帰っちゃったのかしら! 見るならみんなと一緒に見ればいいのに!」
「あー……お、僕、ああいう雰囲気混ざるの苦手なんですよ。今まで外出てこなかったもんで」
「どうして? みんな一緒に楽しまなきゃ損じゃない?」
「まぁそう言うと思ったけどな……」
この少女には彼の自論など通じないのです。
どんなに夜空が漆黒でも、彼女が白といえば白。
それは、ここまでお話しを追ってきた——とは言ってもたった一話ではありますが——皆さんも重々理解の事と思います。
「あんた……君たちのバンドさ、いっつもあんな事やってるの……ですか?」
クスクスと、こころが笑います。
「あなた、全然その喋り方似合ってないわね! まるでお猿さんが服を着て街を歩いてるみたい!」
……彼女はきっと、違和感がある、くらいの意味でそんなことを言ったのでしょう。
彼女に悪意は一切なかったのかもしれません。
私も、彼女の顔色から嘲笑、侮蔑といった色は読み取れませんでした。
しかしそれにしては些か言葉のチョイスが悪かった。
前後の文脈から彼女の言葉の真意は、少年も読み取れたはずです。
だからといって、心中穏やかにいくという物でもないでしょう。
猿みたいと言われて不快感を覚えないのは一部の人だけだと思います。
事実、彼の眉はひそめられ、眼光鋭くなりました。
「今日会ったばかりの他人を猿呼ばわりたぁ随分な物言いやないの?」
大阪弁が出ていますが、彼は特に気にした様子もありません。
語気の強い大阪弁は、威圧感を覚える事もあります。
彼はそれを知っているのです。
「お猿さん可愛いわよね! んー、でもあなたはあんまりお猿さんって顔じゃないわね。どっちかって言うと、そう、蝙蝠みたいね!」
もっとも彼女にとってそんなものは、糠に釘、豆腐に鎹、石に灸。
生憎人の怒りを機敏に察知する感性も感覚も持ち合わせてはおりませんでした。
そんな彼女を見た少年はしおしおとしたため息をつきました。
今日何度目でしょうか。
彼の疲労は手に取るようにわかります。
「あんた、よく人に変人言われるやろ」
「あら、自然になったわね! そっちの方がいいわよ!」
「はぁ……」
「それで? 私はなんであなたがみんなとライブを見ていかなかったのか聞いていないわ!」
忘れてなかったんか。
ボソっと少年が零したのが聞こえました。
苛立ちに便乗して話を逸らしなあなあにする気だったようですが、そうは問屋がおろさないようですね。
「大概しつこいなぁ、あんたも」
「あら、何度だって聞くわよ? だって私、不思議なんだもの! 楽しいことはみんなで共有した方がもっと楽しくなると思わない?」
「……」
少年は黙ってしまいました。
楽しいことは人が多い方が盛り上がる。
それはまあ大体の場合で違いないことでしょう。
しかし、誰しもがそうとは限りません。
独りが好きな人はその盛り上がりが煩わしく感じることもあるでしょう。
盛り上がりが苦手な人は居心地の悪さを感じることもあるでしょう。
こころのそれは、一方的で独善的な、ともすれば
そしてそれは、少年にとっても。
「あんなぁ、弦巻さん。あんたの考え、そら立派な事や。でもな? それを誰もが受け入れてくれるっちゅー考えは甘いやろ。そういうのが苦手な人ってのもおるんやで?」
若干含まれるは怒気。
苛立たしい、鬱陶しい、憎々しい——妬ましい。
会ってたった数分の彼女にそんな思いを孕んだ言葉を投げかけるのは少しばかりおかしくも感じますが——そんな内心は、ありありと読み取れるものでした。
「どうして? みんなつまらないより楽しい方がいいに決まってるでしょう?」
先程の問答の繰り返しを見せられているようです。
こころは確固たるものを持ち、少年もまた、彼女の意見を受け入れることは出来なかった。
相容れない、二人です。
「んなのっ……! げほっ! げほげほっ!」
「あら、大丈夫? どうしたの?」
言葉を強くした途端、少年が激しく咳き込み始めました。
咳というには強く、そう、喘息の発作のような咳。
喉には太い血管が浮かび、誰が見ても苦しそうと——そう思うような咳でした。
そんな少年の様子を見て、不思議そうにしながらも背中をさすってあげるこころ。
だから、惜しいのですけどね。
「……ふぅ。……あーいや、すまんな、俺も取り乱したわ。——はっきり言って、俺はあんたの考えは賛同できん。あんたがなんと言おうが、俺は誰も彼もがニッコニコなんて世界は有り得へんと思うし、気に入らん」
そう言って少年は立ち上がりました。
彼の肩には彼のショルダーバッグがかけられていました。
そんな彼の背中を見ながら、こころは肩越しに少年に問いかけました。
「どうして、あなたはそんな暗い顔をするの? どうしてそんなことを言い切れるの?」
「さあ、なんでやろな。もしかしたら俺が可哀想な可哀想な笑えん人間やからかもしれんな」
「だったら、私があなたを笑顔にしに行くわ!」
「……ふん」
「こころ……」
「あら、美咲じゃない! どうしたのこんなところに!」
こころに話しかけたのは、黒髪を肩まで伸ばしキャップを被った少女でした。
ゆっくりこころに近づいた彼女は、呆れるようなため息とともにこころに語りかけます。
「さっきの人、ライブの時後ろから見てた人だよね? 急に消えてどこに行ったかと思えば……。ダメでしょ、襲われたらどうするの」
「おそ……? よく分からないけど大丈夫よ! それより美咲、あなたライブに来てたのね!」
「だから、私は……はぁ。いや、なんでもないよ。それより早く帰るよ。もうやる事もないでしょ」
「それもそうね! 美咲もミッシェルによろしく言っておいて頂戴!」
「ああうんわかったわかった。じゃあね」
「さようなら美咲!」
それだけ言うと、こころは公園から駆けながら出ていきました。
その後ろ姿を、夕陽に眩しそうにしながら美咲は見送りました。