「ねえ、お外に遊びに行かない?」
「あん?」
ある日の昼前のお話です。
今日も今日とて飽くこともなく――むしろその頻度が高まっているまであります――少年の家を訪れていたこころは、少年にそう切り出していました。
「なんでまた急にンな事……いままで一回も言ったことなかったやろ」
「だって! お外はこんなに晴れているのよ? それなら行きたくなるでしょう?」
「いや、俺はならん。却下や却下」
「もう!」
こころの演説を聞いた少年は興味なさげにベッドに寝転がると、スマホをいじり始めました。
すると、おざなりにされたこころにも不満は沸きます。
いつものように頬を可愛らしく膨らませると、立って少年を見下ろしました。
今回は、腰に手を当てて精いっぱいの怒っているアピールもするおまけつきです。
「だってあなたと会うときはいっつもお家の中じゃない! 私たちが外にいたのって、初めて会った時だけでしょう?」
「俺は出たい思わんからええの。んなに出たいなら一人で散歩の一つでもしてきいや」
「むぅ〜!」
「腕引かれたって嫌なもんは嫌や。俺はここから一歩たりとも動かんぞ」
ぐいぐいとスマホを握る腕を引かれようとも少年はどこ吹く風。
少年に力が無いからといってこころが動かせるほど軽い身体でもなく、結局腕がぐわんぐわん動くだけ。
「ねえ!」
「嫌や、言うとるやろ。聞き分けない女は嫌われるぞ」
「もういいわ、ばかっ!」
少年の腕をぺちっとはたき落したこころは少年の部屋の扉を開け、外に飛び出ていきました。
残されたのは天井を眺める少年一人だけ。
「たぁっく。勝手にしいや、アホ」
ふん、と不満気に鼻を鳴らした少年は、ゴロンと壁に向かい直るのでした。
不意にインターホンが鳴ったのは、その日の夕方のことでした。
少年の母親は買い出しに行っていて、少年は一人で留守番をしていました。
「はいはいはいなっ、と——えっと……どちら様で?」
扉を開けた少年の前に立っていたのは、黒髪の少女でした。
配達員のような何処かの業者のような人には見えず——というか、普通の高校生にしか見えない少女です。
「あ、突然すみません。あたし、奥沢美咲っていいます。えっと、こころ——弦巻こころの友達です」
「はあ。んで、そのこころのご友人が何のご用で。てかなんでうち知っとるんですか」
「それはそのー、こころがいっつも事細かに話してくれるので……」
美咲と名乗った少女は、気まずげに苦笑いしながら尻すぼみに言いました。
「あの女……まあええか。それで? ご用はなんですか?」
「ああそうだった。用なんですけどね。不躾で失礼なんですけど、こころ、どこに行ったか分かりませんか」
「俺が? なんで? こころなら昼も食っとかんと帰った——んですが」
少年は、あくまで自分が追い払った、とは口に出すことなく。
こころが家に戻っていないことに驚いた様子でした。
「私たちのライブ、見に来てくれた事ありましたよね。私たち、あの曲自分たちで作ってるんです」
「自分たちで? あの曲。そりゃ凄いな。あのメンバーの中にあんたいなかったし、あんたが主体ってところか。凄いな——ですね、あんた」
「あはは、ありがとうございます——それで今日みんなで集まるって話だったんですけど、こころ居なくて。今までこんな事なかったので、黒服の人たちに聞いてみたんです。そしたら、あなたの家に行ってるって聞いて」
「黒服……ああ、あのSPか。まあ、うちには来てましたね。でもさっきも言ったけど帰りましたよ。あとは知らんです」
「そうですか……ありがとうございました。急にごめんなさい、じゃあ失礼します」
美咲はぺこりと頭を下げるとその場を後にしました。
それを見送った少年は部屋に戻るとベッドに身を投げ出します。
「こころが約束すっぽかすだ……? どこほっつき歩いとるんやあいつ……」
スマホも弄らず何もせず、天井を見つめてブツブツと少年は呟きます。
少年の頭をよぎっているのは、おそらく、昼間の出来事。
負の感情を見せたこころというのは、私から見ても珍しいものでした。
「ああ、くそっ」
ガシガシと長い髪の頭を掻いた少年は、グレーのパーカーを羽織ると家から飛び出しました。
走るのが得意でもない少年が、焦燥に顔を染め街を駆けます。
「……はぁっはぁっ。見つけたぞ、こころ」
「あら……どうして?」
少年がこころを見つけたのは、街を見下ろす事ができる高台でした。
夕日を背に、こころは振り返りました。
「お前が……っはぁっ、帰らんからやろうがっ。美咲って子が探しに来たんや……っ」
「そういえば今日だったのね……忘れてたわ」
「……なんやお前、気持ち悪いな」
少年の言い方は悪いですが、そうですね。
天真爛漫な彼女としては、いやに落ち着いていて、不気味には感じます。
「あのね……私、あなたに謝らなきゃいけないわ」
「は?」
「さっきはあんなに怒ってごめんなさい」
そう言ってこころは少年に寂しげな笑みを向けました。
少年は呆気に取られたように——実際取られているのでしょうが——黙りこくります。
どれくらい時間が経ったでしょうか。
一分か、二分か。あるいはもしかしたら五秒くらいかもしれません。
少年が、頭を掻きながらのっそり口を開きました。
「あんなぁこころ。ありゃ悪いのは俺やろ」
「え」
「いや、あの誘いは至極真っ当なもんやし、俺には俺の事情があったとはいえあんな切り方したら怒られるのも当たり前や。それでなにお前が謝っとるん?」
「だって私、あなたに怒って……」
「お前が負の感情に嫌悪感を持ってるのはまあちょくちょく感じとったけどよ。それを他人に向けることのなにが悪い。真っ当に生きてきとらん俺が言うのもあれやけどな? それをせえへんのは機械だけやろが」
気恥ずかしのか目線がキョロキョロと定まらないながら、こころを諭すように話す少年。
今度は、惚けるのはこころの方でした。
少年でなくこころが呆然とするのは、二人の間では初めてのことでした。
「周りにそんな人がおらんかったんやと思うが。女一人で何でもかんでも抱え込んどるんとちゃうぞ? 俺でもええからなんか辛くなったら話に来いよ」
その一言だけは、少年はこころを見据えていて。
普段は髪に隠れて見えづらいその目も、今ははっきりと見えていて。
こころはどうしてか、ハッと息を呑みました。
そして、背後の夕陽にも負けないような笑顔を見せて。
「……うふふ! そうね! 私、これからあなたにもーっとお話ししにいくわ! だからお話し聞いてちょうだい!」
「……まあ、暇ならな——あークソ、ガラにもない事したわ! おら、さっさと帰れやお前! 友達心配しとるんやっつの!」
顔を真っ赤にした少年は、しっしとこころを追い払うように手を振ります。
しかし、ニコニコと大輪のひまわりを咲かせるこころはその場を離れず。
「本当に、ありがとう」
そう、少年の耳元で囁きました。
「あ、こころいた!」
その叫びを聞いた二人が見たのは、黒髪の少女——美咲が上ってきたところでした。
「あら美咲じゃない! こんなところまでどうしたの?」
「こころを探しにきたんでしょ……て、あれ。さっきの。というかなんでそんな顔赤く……?」
「……奥沢さんよ、こんなじゃじゃ馬しっかり手綱握っとけって話やぞ」
「いやー……私にはそれは荷が重いかなーって……」
少年と美咲が話していると、こころが間に割って入ります。
「ねえ、二人は知り合いなの?」
どことなくムッとした雰囲気を感じたのは、私の気のせいなのでしょうかね。
「お前を探しに来たのがこの奥沢さんなんや。迷惑かけんなっつの」
「さ、そろそろ帰るよこころ。あたしはこころの保護者じゃないんだからさ……」
「はぁい——あら? 一緒に行かないの?」
美咲に手を握られたこころは、ベンチに座った少年を見て首を傾げました。
それに対し少年は少しだけ顔を上げた後手をひらひら振って、
「俺は疲れた。少しここで休んでいく」
「あら、そう。それじゃまたね!」
「本当にご迷惑おかけして……」
「ああ、気をつけて帰れな」
美咲に手を引かれ、少年にひとしきり手を振ったこころが前に向き直り。
ドサッ。
その音を聞いて振り返った二人が見たのは、倒れた少年の姿でした。