白い部屋でした。
白、白、白、白、淡色系統をいくつか挟んでまた白……。
ピッ、ピッ、と無機質な電子音だけが部屋に響き、蛍光灯が点滅する以外、何も変化がありません。
窓から見える外はすでに日が落ち、病室の様子を映し出していました。
不意に、ガラッ、と部屋の扉が勢いよく開けられました。
そして部屋に飛び込んできたのは、ベットに横たわる少年とよく似たと女性。
女性は、ベット脇の椅子に腰を下ろす二人の少女を見とめると、少し息を整え。
「あなたたちが、この子の世話をしてくれたのね。確か、そちらはこころさん、っていったわよね」
「あ、はい。あたし、奥沢美咲っていいます。こころの友人です」
少女らの片割れ——美咲が立ち上がり、入ってきた女性にぺこりと頭を下げました。
「……」
それに対し、もう一人の少女——こころは俯いたまま、微動だにしません。
その様子を見た美咲は、少し慌てたようにしてこころの肩に手を当てました。
「ちょっとこころ」
「いえ、いいのよ——私は、この子の母親です。今回はご迷惑をおかけしたみたいで……」
「いえ、迷惑なんてそんな……」
それっきり。
部屋には沈黙が落ち、少年の母親が部屋に来る前となんら変わらない状況が出来上がりました。
少年から伸びた
それはまるで、少年が
「あの……」
嫌な雰囲気の沈黙を破ったのは、美咲でした。
おずおずと、いたく気まずそうに。
ポツリと、しかし確かに。
少年の母親へと、意を決したように切り出しました。
「彼は、どうしてこんな……?」
「…………」
「あ、いえ、いいんです、ごめんなさい! 踏み込んだこと聞いてしまって!」
ベッドに向けられていた母親の瞳が少し揺れたのを目敏く見てしまった美咲は、慌てながら手を振ります。
家族のデリケートなことで傷つけてしまった。
そんな風にオドオドする美咲を見ながら、少年の母親は薄く笑いながら——まるで自虐するかのように——美咲の手をそっと握りました。
「……いいえ、ごめんなさい。そうよね、あなた達には迷惑かけたものね」
母親は、哀しげに目を伏せると、ポツリ、ポツリと少しずつ話し始めました。
「この子、昔から身体が弱くてね——」
初めて気づいたのは、確か……幼稚園のころだったかしら。
この子、よく仲のよかったお友達と遊んでいたのだけど、すぐにバテてしまうような子だったの。
私たちも最初は笑っていたのだけどね。
この子、ちょっと走ったり動いたりするとケホケホって、苦しそうに咳をするのよ。
そこで、おかしさ……違和感ていうのかしらね?
それは、感じてたのだけど……。
確か、秋と冬の間くらいの時期だったかしら。
その日もお友達と遊びまわってたこの子がね、これまでにないくらい激しく咳き込み始めたの。
そして、血を吐いた。
私もそんなこと初めてだったから、慌てて病院に電話して。
それで、お医者様に診てもらったの。
詳しい病名は私じゃ覚えきれなかったんだけどね……。
『
「この子のお父さんね、同じ症状で亡くなったの。でもまさか、こんな早くからなるなんて……」
そう、彼女は締めくくり、それっきり話さなくなってしまいました。
なんとなく予想はしていたのでしょう。
美咲は、驚きといった表情は浮かべていませんでした。
「あの……彼は入院は何度か……?」
「そうね。今回が初めてではないわ」
「じゃあ今後も……」
「でも、最近はなかったから、少し安心していたのだけど……無理な運動でもしなきゃ大丈夫のはずなのに……」
こころがバッと立ち上がり、振り向きます。
その瞳はなみなみと水を湛え、目元は赤く腫れていました。
母はもちろん、病院に来てから始めてこころの顔を見た美咲も、目を見開きました。
美咲の前でも快活な笑顔しか見せていなかったこころは、美咲にはさぞ珍しく感じたことでしょう。
「ごめんなさい! 私が、私が彼にあんなことを言うから!」
「こ、こころ……?」
堰を切ったようにこころの口から、ポロポロと暗い言葉がこぼれ落ちます。
「彼が、彼が死んじゃったら私……」
それは、さぞ悪夢でしょう。
こころが彼の家に遊びに行く頻度は、常軌を逸している。
それこそ、『ハロー、ハッピーワールド!』よりも、もはや多かった。
こころは、彼の前でしか見せない顔を、彼に見せる。
窮屈な仮面を、彼の前では取り外すようにありとあらゆる感情を彼にだけは——それこそ、家族にも見せないものを——見せる。
有り体に言って——
彼女の暗い部分を受け止めてくれた彼に、こころは猫のように懐いた。
足りない明るさを補うように、欠けたピースを彼で無理矢理埋めるように。
そんな依存相手がいなくなってしまえば?
僕は生憎とそんな気持ちを抱いたことなどないですし、それを推し量ることも或いは
ですが、自分には届きようのない光を見上げていたことなら、少々。
それを失うというなら——ああ、悍ましい。
惨いなどではあまりに足りない。
笑い話にもなりません。
そんなことがあってはいけない。
ありえてはいけない。
私が目指したソレが堕つるというなら、それこそその時が私の終わり。
それを失っては、どう正気を保てばいいのでしょう!
————いや、失礼しました。
今は、私の事など必要ない、些末でありました。
ええ、と……。
さて、そんな風に髪を振り乱していたこころの手首がガッと掴まれ、こころがビクリと身体を縮こませます。
「だぁれが、死ぬって? こころ」
少年がうっすらと目を開け、こころを抑えていました。
「あ……ぁ……」
「なに幽霊でも見たような顔しとんねん。こんなんいくらでも起こる事やろが。一回や二回起きたくらいで勝手に殺すな」
確かにこころの手首に伝わる熱は、彼が生きていることを示していて。
別の意味で堰を切ったように、ボロボロと涙がベッドに染みを作りました。
「う……」
「う?」
「うわぁぁぁん!」
大声を上げながらこころは少年の胸に飛び込み。
軟弱な少年はその勢いを殺せずベッドに倒れ込みます。
「お、おいなんやどうした!? ちょ、点滴の針痛いから身体動かすな!?」
「ばか、ばかぁ! あたし、貴方が死んじゃうと思って……!」
「……」
少年がそんなこころを見下ろし、フ、と優しい笑みを浮かべます。
「悪かったな、こころ」
そんな二人を見つめ、美咲と少年の母親はほう、とため息をつきました。
「よかった……ですね。彼がちゃんと戻ってきてくれて」
「ええ……あの子も幸せ者ね。あんなに心配してくれる娘ができたのだもの」
「あはは、あたしも初めて見ました、あんなこころ——あんな顔も、するんですね」
「うふふ。あら、嫉妬?」
「やっ、そういうことじゃ……!」
「はいはい、そういうことにしておきましょうか」
少年の胸に顔を埋め、今なお泣き続けるこころに、困ったように美咲と母親に助けを求める少年。
顔を朱に染める美咲に、ニコニコと笑う母親。
あんな事があった後だというのに、部屋には暖かい空気が満ちていたのでした。
……この一件以来、少年とこころの関係が少し変わることになるのですが、それはまた、別の機会にということで。