提督をみつけたら三次創作〝君が提督を見つけたら〟 作:ジト民逆脚屋
いつ頃だって?
かなり昔だよ……!
木造平屋の小さくはないが、けして大きくはない日本家屋。その狭い庭に、一つの影が落ちた。
頭から落ちた影は、僅かに煙る土埃の中に倒れたまま動かない。
「なんや、どうしたん? 君が言うたんやで」
一本歯の高下駄で、倒れたままの頭を軽く踏みつければ、くぐもった呻きが漏れ出た。
「アホらし、やる気無いやったら終いやな」
懐から煙草を取り出し、所々錆の浮いた古ぼけたオイルライターで火を点ける。
晴天に紫煙が揺れて、煙羅煙羅と踊る。
「まだ、もう一回……」
「終いや。けど、解ったやろ? 自分が自惚れとったってな」
踊る紫煙を息で吹き消せば、何やら恨みがましい声が聞こえた気がする。
ああ、まったく。日の高い内から、地べたに寝転がる長身を杖で軽く小突けば、聞き覚えのある声がした。
成る程、あれは煙ではなくこやつであったか。
「で、君は何時まで寝てるん?」
「大婆様、私は……」
「まだ言うか」
深く溜め息と紫煙を吐き出し、倒れた長身に吹き掛ける。咳き込み、手で煙を祓う。
やはり、何処からか怨めしい声が聞こえる。
「ええか、ウチにしてみれば、君のソレは勘違いや」
「…………」
「間違うんやないで。……もう、そんな必要無いんやから」
長身は何も言わない。何も言わず、地べたに踞るだけだった。
「……はぁ、まあええわ。腹減ったやろ? 飯にしようや」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
もう何代になるか。息子は提督、そして娘は艦娘。これを繰り返し幾星霜、天高く聳える山脈の向こう側の島が、町になり始め形になりだした頃、一番最近の娘が馬鹿を言い出した。
両親は子の望んだ夢、応援はしたいが、それでも一度頭を冷やして考えてほしいと、己に言ってきた。
「ええとこの学校入って、ええ成績で開校以来の才女なんぞ謳われて、目玉曇ったか?」
「大婆様、そうではない」
「そうやなかったら、なんや? んン?」
ウチの機嫌がまだええ内に言えや。
汁物の入った碗を傾ける目は、そう言っていた。
「……私は、私の責任と義務を」
「君にそんな責任も義務もあらへん」
碗を置いた長身が言い切る前に、龍驤は言葉を断ち斬った。
何処からか、恨めしい声が聞こえた。
「しかし」
「しかしも駄菓子も無いわ。君にそんな責任も義務も、何もあらへん」
「なら、この身を焼く衝動はなんなのだ?!」
叫ぶ。龍驤は湯飲みを傾け、茶を啜る。
過去にも居たには居たのだ。嘗てあったとされる戦いから幾星霜、今となってはその影響しか残っていない。
しかし、その嘗ての戦いにて世界に刻み付けられた名前、逸話に縛られる娘は確かに居る。
今、己の目の前に居る己の血族がそうなのだ。
「それは君が名前に括られとるだけや」
「だが……」
「ええか。名前に括られとろうが括られてなかろうが、今の君にその道は勧めへんよ」
「大婆様……!」
激昂して立ち上がる彼女に、龍驤は目を細め、ただ静かに言った。
「ええか、長門。君にそんな責任も義務もあらへんし、君がその名に括られる事なんざ、もっとあらへん」
「…………」
「一度、頭を冷やしや。君なら他の道もあるわな」
「私は……、そこまで頼り無いのか?」
「何の話や」
震える程に握り締めた手を、卓袱台に叩き付け、長門は目の前の龍驤に叫んだ。
「私は〝長門〟だ! そう、あの逸話に語られ謳われる戦艦長門、それが私なんだ!」
「そうやな」
「それが、こうして両親に、そして大婆様に守られ、何も返す事が出来ない……。……だとすれば、私は誰なんだ……」
語られ謳われる戦艦〝長門〟の逸話は、実物を知らぬ者でさえ、目を輝かせ胸踊らせる。
龍驤も嘗ての幼き日々はそうだった。誇り高く威風堂々たる
憧れぬ者は居なかった。そして、憧れが焦がれとなる者も確かに居た。
「大婆様……、私は誰なんだ」
嗤う、嗤い声が聞こえる。
これは何処からか、何処からともなく聞こえる嗤い声に、眉をひそめて、龍驤は声を聞いた。
「君は長門や」
「大、婆様……?」
「君は長門で、ウチは龍驤や。そして、ウチらは艦娘や」
「大婆様、何を?」
「そして、君はウチの血筋や。〝龍驤〟から〝長門〟へ、遥か嘗ての
紙巻き煙草を取り出し火を点ける。目の前の長門を見ている様で見ていない。紫煙が何かに絡み付く様に、嗤い声の聞こえる部屋に満ちた。
「ウチのせいやなぁ。君が誇りを持てんのは」
「違う……!」
叫んだ。その声量に、卓袱台が震え、硝子の引き戸が揺れる。
「何が違うんや? 現に君は誇りを持てんとおるやないか。それは君の大元、つまりはウチが情けないからやな?」
「違う……」
「何でや? なら、なんで君はそんなに小さく、嗤われとるん?」
「私は嗤われていない」
「そうやろか? なら、なんで君はそんなに辛そうなん?」
「辛くなどない! ただ……」
「ただ、何や?」
紫煙を吐き出し、ただ長門を見る。手には符と巻物があった。
「私の誇りに、何も誇れない事が苦しいんだ……」
「なら、言うてみい。君の誇りは何や? 戦場に出て、百鬼夜行と並ぶ敵を討ち祓う事か?」
「私の誇りは……」
声が詰まった。嗤う、嗤う、嗤う声が聞こえる。
何も言う必要は無い。
言ったところで、貴様の誇りはそこに無い。
あるのは
ほら、目を開けろ。
「喧しいな」
柏手が響いた。嗤う声に、笑う声が重なった。
嗤う
笑う
嗤う
笑う
もう一つ、柏手が声を打った。
「ウチの子や。お前に聞いてへん」
目を逸らすな。耳を塞ぐな。
そこに貴様の誇りは無い。
さあ、こちらへ来い。
貴様の誇りはそこに、水底だ。
「私は」
言うな。言うな。言うな。
貴様は水底だ。
水底だ。
「私は誇ってほしいんだ」
「誰にや?」
「貴女にだ」
ああ、嗚呼……!
何で?
何故?
何て事だ!
あの戦艦が
あの七に語られた戦艦が
かような矮小な小娘に誇られたい
恥を知れ
恥を知れ
恥を知れ
「貴女に私は誇られたい。流石はウチの子だと、貴女が胸を張って言える。そんな娘になりたいんだ……!」
「アホやな、そんなん当たり前や」
ええか
「君を誇らしく思わんかった。そんな日は無かった」
君はウチの子や
「嘗ての大戦艦、その名に恥じぬよう、真っ直ぐに生きとる君を、どうして誇らしく思えんと出来るか」
こっちへ
「ええか、長門。君はウチの誇りや」
「流石はウチの子や。君はウチの誇りや」
だから、今だけはこっちへ来いや
「ほら、こっちへ
長門の長身を胸に抱き止め、柔らかくその抱き締めた頭を撫でる。
「君は頑張っとる。君は大丈夫や。君はウチの子で、ウチの誇りの長門や」
「あ……」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫。大婆様が保証したる。君はちゃんと長門や。そんな名前に縛られんと、君の生きたい様に生きや」
それが、ウチの願いや
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「有難うな。偉い手え掛けさせたわな」
「いえいえ、かの龍驤先生の為なら、艦連は幾らでも手を貸すでありますよ」
眠る長門を居間に、龍驤は夜闇に佇む黒に煙草を一本差し出す。
黒は煙草を受け取ると、月夜の空に紫煙を吐いた。
「煙羅煙羅と、よく踊る」
「ずっと昔は、それに怪異に見たんや。煙羅煙羅、又は煙々羅。読みは違えど煙の怪異、煙は触れず掴めず、ただ火のある所に漂い踊る」
まとわり絡み、紫煙が踊る。
「
「ウチも驚いたわ。まさかウチの子か、とな」
「けど、どうにかしてしまうのが、龍驤先生でありますよ」
「買い被りやな。ウチが引退したの何時やと思ってるん?」
「確か、今より三世代前でありましたな」
「ああ、嫌や嫌や。歳がバレてまう」
二つの紫煙が絡み付き、夜闇に踊った。
「もうこの世に〝火〟は無いよ。君らも早く帰りや」
ゆっくりと煙を空に向けて吐いた。
火の無い所に煙は無い。火は煙を生み、煙は何も生まない。ただただ。漂い踊り消えるだけ。
なら、
「君もこうやって、煙草の煙を出せる様になったら来たらええ。まだウチは此処に居るからな」
夜空に煙が踊って消えた。
もう嗤い声は聞こえない。