……なんでウチの団に来てくれないんですか?
コンコン、と扉を叩く。
「カリオストロの部屋♡」と書かれたネームプレートが少し揺れて、扉の向こうでバタバタと人の動く気配がした。
しばらくして、今宵のターゲットが現れる。
部屋の主人と同じ、金色の髪を携えた人物。怨敵と似た顔立ちの少女。かのグランの姉貴、ジータである。
「お、おー……ヴァジラじゃないか。どうしたんだ? グランの部屋は向こうだぞ?」
「いやー、今日はジータに用があってな」
「そ、そっかー。じゃあ外に行って話そうか」
「いやいや、そこまでの用ではない。とりあえず中に入れておくれ」
「でもカリオストロもいるし……」
「まあまあまあ」
渋る彼女を遮るように、強引に部屋へと侵入する。
案の定、彼女は油断していた。それはそうであろう。この身体はヴァジラだが、中身は
無防備な彼女の背中を見つめ、ニタァと笑みが溢す。
……これで、いつも通りの平穏が取り戻せる……!
◇
私たちは、森にいる。
鬱蒼とした緑。こすれ合う葉の音。時折木漏れ日が差し込んで、小さな水溜りに反射する。
そんな自然そのままの地には原生動物のほかに、人々を襲う魔物たちが巣食っている。
……いや、正確には巣食って
「ガルぅ、見てみろー! 敵の大将を討ち取ったぞ! これでグランに褒めてもらえるかな?」
全身を返り血で真っ赤に染めた少女が勝鬨を上げる。無邪気な声と笑顔で。
私は黙って同意する。
ーーはぁ……どこで育て方を間違えちゃったのかなあ。
私の名前はガルジャナ、犬だ。正確には犬と闘いを司る干支神である。
焦げ茶色の毛並の巨大な土佐犬の姿をとってはいるが、これでも神である。
そして、この血まみれの少女――ヴァジラが我が犬神宮に仕える巫女だ。巫女装束のよく似合う可憐な少女。今は己の鍛錬のため、グランの旅に同行している。
今日はグランサイファーのメンテナンスのため、ある島に立ち寄ることになった。
小さな島だ。ほとんどを山と森で囲まれた島である。
旅の消耗品を補充しに村に訪れると、全体的に活気がない。困ったような顔をしている人間が多いことに気がついた。
「魔物が最近暴れていてね……でも、私たち村人にはどうにも出来ないし、こんな小さな村じゃ、騎空士を雇うお金も無いものですから」
彼女の言う通り、ここは細々とした村だった。
村人全員でのんびりと農業をしているだけで、人口も少なく、密度も低い。観光客を呼べるような物もなく、他の島との交流も少ないそうだ。おかげで、飢えもしなければ富むこともない。
何とかしよう、とグランが真っ先に手を挙げた。
団長の意見に異論は無かった。同行していた私たちは、その依頼を手助けする形で森へと入った。
その結果が、ご覧の有様である
ヴァジラの右手には、醜悪な魔物の首。この辺りを縄張りにしていたのだろうが、ご愁傷様である。今や首をはねられ、どす黒い血をドバドバ吹き出していた。
踏みしめる大地は、まさに死屍累々。斬り刻まれた大量の屍と血で黒ずんでいる。ヴァジラの周囲に構える残党も血にまみれていた。異臭で鼻がおかしくなりそうだ。
耐性がない者が見れば、間違いなく吐くか気が触れるかする光景。
しかしその中心で、少女は嬉しそうにはしゃいでいた。
ヴァジラの言葉を思い出す。
『一族のしきたりでさ、うーんと小さい頃に生まれたばっかりのガルと引き合わされたんだ。
それからずーっといっしょ。だからわしのことを一番知ってるのはガルで、
ガルのことを一番知ってるのもわしだな!』
……ごめん、最近お前のことが分からないよ。
「どうしたんだー、ガル。ケガしたのか? 元気ないぞー?」
心配するそぶりを見せたヴァジラの右手がブレる。
ヒュン、という風切り音。遅れて、一番近くの魔物が細切れになる。肉片が重力にしたがって宙を舞い、血を撒き散らす。
ついでに彼女の周囲に構えていた残党も、首と体がおさらばしていた。
「んーにしても、手応えがないなぁ。こんなんじゃ鍛錬にならないよー」
……描写不足なのは許してほしい。が、これが私の目に捉えられる限界である。
今のあの子の剣、どういうことか私には疾すぎて捉えられないのである。
私、闘神なのに。
あの子の主神なのに。
……まあまあそれは良い。なにはともあれウチの巫女なのだ。犬神宮の巫女が強い=犬神宮の闘神の価値も上昇!
私が何をせずとも、信仰が手に入るのならば問題はなかろう。
……うん、大丈夫なはずだ。多分きっと。ただ気がかりがあるとすればそれはーー
「ヴァジラー! そっちは大丈夫かーって、おぉ……なんという地獄絵図」
「あ、グランだ!!」
そう、この騎空団の団長グラン。
そこらの一般人と何ら変わりない風貌であるが、その身に宿す才気は他を凌駕していた。
歴代の巫女の中でもかなりの才覚を持つヴァジラを打ち負かすどころか、「全空の脅威」と言われる十天衆と肩を並べる少年。
ヘンな匂いを漂わせていると感じてはおったが、まさかここまでの化け物だとは。
おかげでヴァジラは完全にホの字。私たち獣が強いオスに惹かれるのはわかるが、あそこまで傾倒されるとはなぁ……。
今にも「巫女辞めて騎空士になる!」なんて言い出しそうでおっかないのだ。
え、闘神なんだから巫女の鍛錬くらい付き合って、犬神宮への愛着を取り戻せって? バカ言うんじゃないよ。
「ガル~、殺す気で戦ってくれないと、わしも本気が出せないぞ!」
「ガルぅ、グランみたいに分身してくれないか? 1対1じゃ、イマイチ物足りなくてなぁ」
「よーし! じゃあ今日は【コロッサス・マグナ】が相手だ。ルリアの協力に応えるためにも、やるぞー、ガルー!」
「ガルっ! 今日は【フラム=グラス】? っていう強い相手を用意しておいたぞ! やるぞぉ!」
「今日はルリアに【シヴァーー」
ガルジャナさん、ちょっとついていけないです。
「流石だぜ、ヴァジラ。ありがとな」
「えへへ。すごいか、すごいか!?」
「ははは。はいはい、よくやったよヴァジラ。おつかれちゃん」
グランがヴァジラの頭を撫でる。
乱暴すぎず、優しすぎず。絶妙な力加減のそれは、彼への愛情も相まって官能的らしかった。
ヴァジラが吐息を漏らす。
(グランに褒められたグランに褒められたグランに褒められたグランに感謝されたグランに撫でられたグランの手グランの匂いーー)
そんな心の声が聞こえてくるようだ。少し怖い。いや、怖い。
というより、かの実力者であるグランが妙なところで鈍感なのが腹立たしい。彼女の恋狂いに気付いていないのだろうか?
彼女は嬉々を通り越し、恍惚とした表情を浮かべていた。
「ぁ……」
やがて離れていくグランの手を名残惜しそうに見つめるヴァジラ。
依頼達成を伝えてくる、と言い残し彼は村へと走ってゆく。
私たちも彼にならって帰ろうか。
腰を上げ、血まみれのまま悦に浸っているヴァジラを促すように帰路につく。が、彼女は一向についてこない。
どうしたものかと、振り返ってみるとヴァジラはある一点を見つめていた。グランが私たちを見つけ、走ってきた方向だ。何かあるのだろうか……?
しかし目を凝らしても何も見えない。すると唐突に隣にいたヴァジラが口を開いた。
「ーーなあ、ガル。わしの剣をどう思う」
うん、そうだね。君の太刀筋、早すぎて見えないと思うよ。
「そうだな、ガル……お前の言う通りだ。わしはまだまだ弱い」
弱くないよ。んなこと言ってないよ。話聞いて。
「今のわしでは、主神さまに顔向けできぬレベルだろう」
……うん。そうだね。むしろ私が今の君に顔を見せたくないよ。
「だが、グランのもとで修行すればわしはもっと高みに近づくことが出来る。今なら、グランとなら、どこまでも頑張れそうな気がするんだ」
そうヴァジラは言った。綺麗な笑顔を称えて。
……よくよく考えれば、ヴァジラはこれで成長? しているのだから、これでいいのかもしれない。
それにあの子の笑顔も久しく見ていなかった。神として、何世代もの子どもたちを見送る存在である以上、一人の子に感情移入するのは褒められたことではないが、ヴァジラには少々期待をかけすぎた。
修行と戦い以外を知らないなんて、今の時代にはそぐわないだろう。
恋する乙女。実に良い響きである。出会いは人を強くする。それは神として、何代もの営みを見てきたからこそよく分かる。
ならば受け入れなければならないのかもしれない。
狭い世界で考え、古い世界に行動していては見つからないことは山ほどあろう。これだけの才覚を持つヴァジラに、そんな一生はあまりにも不釣り合いだ。
……うむ。もしヴァジラに巫女を辞める、と言われたとしてもそれを承知するのが道理なのかもな。
それに犬神宮の親として、子の成長は喜ばねばなるまい。
「応援してくれるのか、ガル」
その問いに、私は無言で肯定する。
なるべくは私たちの犬神宮を忘れないで欲しいが、好きなように生きるのが一番であろうさ。私たちの根っこにあるのは、自由な野生なのだから。
「へへっ、ありがとう。ガル。これからもっともーっと強くなって
アレ? 壮大な計画?
「実はな、誰よりも強くなって、悪いやつや凶悪な魔物を一匹残らず打ち果たして、この騎空団の名を世界中に知らしめて、最終的にはーー今の犬神の
そうヴァジラは言った。綺麗な笑みを称えて。
「そしてグランには、その後釜に座ってもらおうと思うんだ。なっ、良い考えだと思うだろ? ガル」
「……」
えっ、いや、えっ?
わかんないわかんない。文章つながってないよヴァジラさん。
いやいや、いや。どんな論理を辿った結果、主神殺して大好きな人を神にするって結論に至ったのさ!?
しかもこの暴走機関車、私じゃ止められないし!
「自分の巫女に切り捨てられたクソ雑魚干支神(苦笑)」
そんな文章が出回った日にゃ、犬神宮どころか十二神の危機である。
……。前言撤回。早急にヴァジラをなんとかしなければ!
◇
と、まあそんなわけで、私は今ジータのもとを訪れていた。
もちろん考えがあっての行動である。
作戦は以下の通り。
まずはヴァジラの身体を
もちろんヴァジラは責められるだろうが、それをやったのはヴァジラの身体の自由を奪った適当な“神様”のせいにすればよいのだ。
ヴァジラがその身に神を降ろすことが出来ることと、”カミオロシ”中、ヴァジラの意識はなく、記憶も共有されないことはこの団全体に認知されている。
だが無意識下で、仲間を襲う可能性がある人間。しかも、団長の血縁者を傷付けた。
そうなれば、あとのシナリオを想像するのは容易かろう。
身内を傷つけられ、グランがヴァジラから距離を取る
↓
グランを慕う他の団員も距離を取る
↓
ヴァジラの肩身が狭くなり、次第に孤独を感じるようになる
↓
見かねたガルジャナさんがヴァジラに寄り添う
↓
ヴァジラがグラン以上に私を慕うようになり、いつも通りの日々が戻る
↓
ハッピーエンド!
完璧だな。昔、腐れ縁の猿神から「お前ってホント脳筋だよな(笑)」とバカにされたが、今の私を見れば吠え面かくこと間違いなしである。
唯一の不安材料であるジータの戦闘力だが、グランの血縁者だ。念には念を入れて、背後からの不意打ちならば通るであろう。
「いやぁ、すまないな。急に押しかけて」
「? 別に気にしなくても、なあ?」
「……なんでオレ様に聞くんだ」
うむうむ。これは仕方のないことなのだ。私たち干支神には、星の民の監視という重要な責務がある。
痴情のもつれで巫女に殺されるとか、全空の恥である。
峰打ちで済ませれば、少々のケガこそすれど、死にはしないだろう。
許せ、ヴァジラ。そしてグランの姉貴よ。
怨敵に悟られぬよう、息を殺し、腰に納めた刀に手を掛ける。
狙いは未だ私に背中を見せるジータ。行ける、行けるぞ……!
「しねぇぇぇぇええええ!!」
◇ 5分後 ◇
「ずびばぜんでじだ……っえっぐ……もう、ヴァジラに酷いことは、いっぐ……しようとじません……」
「はあ。少しは考えなよ、仮にも神さまでしょうが。ヴァジラだって、悪気があってそんなこと言ってる訳じゃないんだから、そんな酷いことやっちゃダメだよ」
「はんぜいじばす……ごべんなざい……」
「はっ、神を名乗る奴が人間様に一捻りとは笑えるなぁ? 神はおとなしくサイコロでも振ってろ、アホ」
「ほらほら、そういうこと言わない」
「お前なぁ、テメェの命狙われたってのに何呑気なこと言ってんだよ。コイツぜってぇ性懲りも無くテメェを狙うぞ?」
「ま、まあまあ。その時はまたオレが相手すればいいだけだし、さすがにヴァジラに主神殺しはさせられないでしょ。……ちょっと、ヴァジラも本気で何とかしなきゃいけなくなったけど」
「だぁ、クソ! なんで次から次へと面倒ごとが湧いてくるんだ」
……畜生。闘神の私が手も足も出ないなんて……ヴァジラの身体まで借りてるのに、手も足も出ないなんて……。しかも相手にすらされてないなんて……。
この後、3日後くらいに反省を辞めた犬神様は、性懲りも無くジータを巻き込んだヴァジラ破局作戦(稚拙)を繰り返すとか、繰り返さないとか。