「夏樹君、このご飯冷たいよ。私に対する陰湿な嫌がらせ?」
「……さっきまで温かいご飯だったんですが、誰かのせいで冷たくなったんです」
ようやくリビングに起きてきた姉さんは開口一番に理不尽な不満をもらした。
けれど、言葉とは裏腹に姉さんはベーコンエッグを美味しそうに食べている。
遠くで鐘の音がした。
教会が死者を送る鐘の音。
姉さんは食事を中断すると、鐘が響き終わるまでじっと動きを止めた。
その鐘の音で、あることを思い出す。
「姉さん、これ」
シンク横に置いてあった封筒を姉さんに差しだした。
「なぁに?」
「姉さん宛ての手紙」
「ふーん……」
姉さんは興味無さそうに封筒を受け取って、無造作にそれを開いた。
そして中から飾り気のない真っ白な手紙を取り出す。
それに目を通した姉さんの顔が徐々に不機嫌になっていく。
「何て書いてあったの?」
僕が尋ねると、姉さんは無言で僕に手紙を差しだした。
受け取って、適当に目を通す。
「あぁ……」
意味のない言葉が口から漏れる。内容は要約すれば次の通りだった。
人間でありながら神の領域を穢す者へ警告する。文化の発達という大義を掲げ、神の領域に立ちいる者を神は決して許しはしないだろう。
「姉さん、これ……」
「教会の公式見解に於いて、生命操作は非難の対象になってるからね。でも、雇われ研究者にこんなの送られても困るんだけどな」
「五和のお仕事?」
「そう。かなり環境が良いから、どれだけ非難されようとも辞めるつもりはないんだけど」
姉さんはそう言って溜め息を吐いた。
人工生命。
姉さんの研究の一つ。
もちろん、人間を作るわけではない。
目的は微生物レベルの生命を作り出す事にある。
姉さんはどこか自嘲するように嗤う。
「神への冒涜、か。一体どの神様がお怒りなのかしら。少なくとも、この人は神道じゃないみたいだけど」
「宗教と科学の対立って昔から変わらないね」
それほど興味が無い話だった為、特に何も考えずに僕は相槌を打った。
途端、姉さんが眉を寄せる。
「宗教と科学は通常、対立しない。ここで問題なのは、無宗教や神道と競合する統合教会。つまり、これも宗教対宗教の思想的な対立でしかない。ただのツールでしかない科学とは関係しない」
普段の姉さんからは想像できないほど冷徹な声。
その変化に僕が言葉を失うと、姉さんは慌てたように普段の笑みを浮かべて言葉を繋げた。
「あー、ごめんね、こういうの聞き飽きてて少しうんざりしてて」
でもね、と姉さんは言葉を続けた。
「医療、農業、畜産。人の生命を繋いできたそれらは、いつも意図的な操作によって成り立ってきた。少なくとも、私はそれを間違いだとは思わない。そしてこれからも、こうした進歩は実際に生命の危険に瀕している人を助ける可能性がある。健康な人たちが自分には必要ないというだけで新しい技術を容易く排除しようとする言葉はとても軽く、考慮するに値しない」
そして、姉さんは言う。
「ご飯、食べよっか」
「え、あ、うん」
姉さんはそれだけ言って、再び食事に戻った。僕は少し考えてから、遠慮気味に口を開いた。
「姉さんは、統合教会が嫌いですか?」
僕の言葉に姉さんは食事を止めて、僕の目を真っすぐに見つめた。
その双眸には疲労のようなものが宿っていた。
「好きも嫌いもない。その教義自体に異論はない。存在可能性については反証不可能なのだから、信仰も好きにすればいい。ただ神の言葉を代弁を称し、相反する思想を排除しようとする人たちにうんざりしてるだけ」
その言葉に、少しだけ安堵する。
冷めたご飯に箸を伸ばした時、外から低い重低音が響いた。
米帝の輸送機だろう。
北方に於ける抵抗活動は、未だに終わりを見せない。
広島、長崎、そして小倉。
先の大戦に於いて三発目の原爆が投下された事によって大日本帝国は遂に抵抗を完全に放棄したが、大戦後のソ連はそうではなかった。
米帝の行った高層大気圏に対する同時核攻撃によって、元々不完全だった相互確証破壊戦略は完全に破綻した。
通信、生産、輸送、流通、発電、金融。あらゆる能力が一斉に喪失したソ連は、広大な領土に対する統治能力を完全に失い、米帝による統治指導が始まった。
それが十五年前の話。
それでも、各地で展開される組織的な抵抗活動は未だに終わらない。
「こういう手紙、これからもっと増えるかもしれない。嫌がらせになにかあるかもしれないから、封は切らなくていいからね」
「増えるって、どういうことですか?」
「すぐにわかるよ」
姉さんはそう言って微笑を浮かべた。