18.瘴気の中で出遭う異種
風馳ノ草原の北。
ずっとタルシスと世界樹を阻んでいた深い谷。その谷の中を気球艇で進んでいく。
北からの向かい風がやや強く、風馳ノ草原に吹く風は本当に世界樹からの風と思えてしまいそうだ。
そんな谷を抜けた先にある景色は、
「ずいぶんと違う景色ですね……」
大地は赤く、その上に草木が生い茂る。緑と赤の合唱である。ちょっと不気味。
そして四方には遥かに高い山が囲んでおり、それのせいで日の入りが少し悪い。日照時間が少なそうな土地だ。
とはいえ、植物は逞しく生い茂り、地上に何匹も生き物が走り回っている様子を見ると、決して悪い土地ではなさそうだ。
西側には川が流れている。きっと生き物たちの大事な水分補給場だ。となれば、人間にも大丈夫なはず。
気球艇ノアは北へ北へと進む。
たとえ見慣れぬ土地であっても、そもそもの目的地はずっと見えている状態なのだから。なんせ世界樹は大きいのだから。
しかし……
「……」
「……」
「……絶壁ですね」
「…………ノアの浮力ではこの高度が限界か」
どこから回り込もうとしても、壁が阻む。壁と言うか自然が作りし絶壁というか絶崖というか。
「ど、どうしましょう」
最悪崖をよじ登る、だろうか。
羊の魔物がひょいひょいと崖をよじ登っていく様を見ながら思う。
絶対無理だ。私には無理だ。
「アルメリア、舵をしばらく握っているのだ」
「へ」
「我は球皮の開口部を見てくる。虹翼の欠片の生み出す浮力で足りぬのであれば、熱を送り上昇を試みる」
「へ? いや、あの?」
「操舵しろというわけではない。ただ握っているだけでいい」
「え、あ、ちょっと!」
そう言ってイシュはノアの支柱をひょいひょいと登っていった。
……ま、まあ、声を出せば届く距離だ。
それに握っているだけでいいのだ。そんなすぐに墜落することはないはずだ。そうだ、だから大丈夫。
舵を握るのは交易長の指導以来だ。
結局私は操縦しないように、と言われたあの日だ。
「なんだか冒険譚の主人公みたい」
舵を握るだけでそんな気持ちになれてしまう。
まぁ冒険者だし、実際冒険譚とか作れそうだけど。
気球艇の球の方からいつものイシュの声が聞こえた。美しき陽光と言うのはお決まりなのだろうか。
その瞬間、気球艇が大きく揺れた。
「な、なに今の!? あ、やばっ」
なんかよくわからない杖っぽいのを動かしてしまった。なんだろこれ。聞いたことはあるはずなんだけども、なんだっけか。
必死に思いだそうと謎の物体を睨んでみたが、思いだせない。
思いだせないのなら仕方ないと、顔をあげれば、
「ひょぁ! い、イシューー!!! はやく、はやくー!!!」
「騒がしい、いったいどうし───何をしている!?」
景色が上へ上へと移動していく。
高度が下がっているのだ。そして目の前は絶崖の壁。
「なんか揺れて! 杖にあたって! そしたら気づいたら!」
「舵から手を離さぬか! ……おのれ、止むをえまい、一度着地させる!」
「深く反省しております」
「当然だ」
イシュは少し機嫌悪そうにしながらノアの点検を行っている。私はじっとしていろとのこと。
着地させた場所は暗い森だった。
崖に挟まれるように存在しており、ものの見事に日が当たらない。そして何よりも
「この森、臭い……」
ひどい臭いがするのだ。服とかに染みつかないか心配だ。
「イシュー……早く出発しましょう。ここすごく臭い」
「くさい? どのような匂いなのだ」
「どのようなって……ウッ、ってなるような……」
「……まぁよい。出発はまだだ。少しこの森を調べる」
「ええー!」
こんな臭い森を調べたくはない。ないけど、イシュが決めたことだし従うしかない。
鞄からとりあえず地形を描くためと、魔物がいる場合メモするためにと、二冊本を持ちだす。あとはワンドとナイフと……
準備ができたのでイシュに声を掛ければ、いつぞやの如く、近くの水場に手をつけていた。
「イシュ? 準備できましたよ」
「む? そうか。汝の引き起こした事故もなかなか面白い事態を呼ぶな」
「へ? っていうか、臭……」
どうやら今回はただ手を水につけていただけではないようだ。
イシュの手には小さな青い石がいくつか握られていた。
「やはりこれが臭いの原因か」
「なんですか、それ……」
「鉱石の一種だろう。ただの鉱石ではなく、虹翼の欠片と似た性質の鉱石だ。気体を発生させるようだが、その気体が臭いの原因であり、先ほどの大きな揺れの原因でもあるのだろう」
「はぁ……」
あの揺れってイシュの陽光のせいだと思ってた。
「なによりも重要なのが、発生させている気体の浮力が高い。これを気球艇に組みこめばより高く飛べるはずだ」
ということは、よじ登る必要はない?
これはあれか。棚から牡丹餅か。なんにせよ躓いたと思った冒険が、案外スムーズに行くということだ。
「できるだけこの石を多く回収して持ち帰る。そのためにもこの森を探索する」
「はい!」
そうとわかればやる気もはるかに上がるものだ。
この程度の臭さなんてへっちゃらだ。
「この森は動物どころか魔物も全然いませんね。やっぱり臭いのは魔物にも辛いんでしょうか……って言ったそばから魔物……」
キノコ型の魔物を発見したが、イシュにとってたいした脅威ではない。
ていうかキノコが歩く姿って案外かわいいかもしれない。
そんな可愛い姿を見せようとも、イシュの剣は一切鈍らずキノコを斬った。
斬った途端にキノコから胞子が舞う。
「うげぇ……イシュ、大丈夫ですか? 胞子がすごかったですけど」
「問題はない。繁殖のための胞子というよりは、外敵を減らすための胞子のようだ」
「それって問題なんじゃ……いや、どっちもよくないけども、キノコが体から生えたりとかホラーなのはやめてくださいよ」
「我の体はこの程度の菌にどうしようもできぬ。汝の体では別だが───」
「絶対キノコには近づかないようにします」
可愛い姿であろうとやはり魔物は魔物だ。危険な存在だ。
危険な魔物として、キノコの姿をメモしなくては。
傘は水色と紫の毒々しい色で……大きさは膝くらい……胞子を使って攻撃?
ん。
んん…………?
視界が少しにじむ。まさかここの臭気に目でもやられたんだろうか。いや、胞子が実は届いていたとか?
「……ぅ」
お腹の方から何かせりあがってくる感覚。ダメだ。このままリバースしたら地図と図鑑が汚れてしまう。ちゃんと畳んで鞄にしまわないと。リバースするならそれからだ。
「イ、シュ……」
これをただの嘔吐と思うほど私は冒険不慣れではない。まだ数日だけしか冒険稼業してないけど。
いきなりこんな嘔吐感に襲われるのは異常だ。
視界が白く染まっていく。チカチカする。
なんだか頭から何かが離れていくような、考えることが難しくなってきた。
「アルメリア、何をしている」
ワンドを普通の杖のようにして体を支えていると、動かなくなった私にようやく気づいたのかイシュが声をかけてくる。
「───、──────」
ダメだ。イシュがなんて言ったかもわからない。
近づいてくる地面、いや、私が倒れているのか。
そこで私は意識を手離した。
意識を取り戻した時、気球艇の上だった。
舵を取っているのはイシュ。まるでいつもの光景だ。時間も夕暮れなのか、空は赤い。南下しているということは一度タルシスに戻るのだろう。まるでいつもの光景だ。隣には知らない人がロープで縛られている。手足を縛られている。
私はだいぶ体調が楽になったが、もう一度目を閉じた。
……隣の人、誰?
え、なんで縛られてるの?
え? 本当になんで?
「おい、貴様」
やたらと高圧的な声が聞こえる。知らない女性の声だ。イシュではない。
目を閉じながら考える。貴様とは誰を指しているのだろうか。声の主はきっと縛られている人だとしたら、私かイシュにだろう。だけど私とこの女性は初対面。縛ったのはイシュだとしたら、うん。イシュだ。イシュへの呼びかけだきっと。
だから私は寝たふりをしよう。状況がよくわからないし。
「寝たふりをするな。貴様のことだ、目を覚ましたのだろう。おい」
すごい不機嫌そうだ。
そりゃそうか。縛られてるんだものね。そして超怖い。
そして私のことか。そりゃそうか。さっき思いっきり凝視しちゃったし。
このまま目を閉じていたいけど、そうすると今より怖くなりそうだ。観念するしかない。
「な、なんでしょうか……」
でも、と声を出しながら思う。
イシュが意味もなく人を縛るなんてきっとないはずだ。うん。
この人はもしかしたら盗賊とか野盗の類で、毒とかを撒いていてそれによって私が倒れたとか。そしてイシュは犯人をとっちめた、とかはどうだろうか。そういう線もあるのではないか。
「この縄を解け」
頭が回ってきた私は、素直に言うことを聞くつもりはない。
危険人物の縄を解くなんてとんでもない。
「事情が全くわからないんで……その……」
「私が事情を知りたいくらいだ。そこの化け物が突然私を縛りだした」
「え」
女性はイシュのことを恨めしそうに、いや、憤怒の表情で睨んでいる。っていうか……
「人間じゃ、ない……?」
「何をおかしなことを言っている。当たり前だ。ここでは人間は貴様だけだろう」
女性は顔に長く白い髪の毛を垂らしているが、その皮膚の色はとても健康な人間のそれとは見えない。縛られている手足も異常に細く、下手したら枯れ木のように見えてしまう。首元はまるで植物の根が浮かびあがっているかのようだ。
「目を覚ましたか。アルメリアよ」
不機嫌な目の前の女性と比べ、どこか上機嫌なイシュの声が届く。
それは勘違いではないようで、こちらに向けた顔はすこぶるドヤ顔だった。反対に女性の形相は鬼のごとくだったが。
「イシュ、あの、この状況はいったい?」
「汝はあの森で意識を失ったのだ」
「あ、はい。それはわかります。あの、こちらの方は……?」
「うむ。里に案内せよと言ったのだが逃げようとしたのだ。そのためその者しか捕らえることができていない」
「えと? あの? いや、なんで捕らえたんです? 何か有毒なものをこの人が撒いてたとか、です……?」
「その種族から情報を得たいからだが? 汝が倒れたのは確かに毒だ。鉱石が作る気体だったが、その種族は関係ない」
「つまり……誘拐?」
「見方を変えればそうなる」
……どうしよう。
もう一度意識を手離したい。
「私が縛られる理由がないことを、貴様も理解したか」
「は、はい! すぐにほどきます! 本当にごめんなさい!」
この人からしたら、突然自分たちと違う種族がやってきて、里へ案内しろと言ってきて、怖くて逃げたら捕まって縛られて連行中だ。そりゃ不機嫌にもなりますよね。本当にごめんなさい。
それにしても、本当にほっそい……
見てると不安になってくる。ちょっとしたことで折れちゃったりしないだろうか。
「……」
「…………あ。ご、ごめんなさい! ジロジロ見てしまって」
「貴様は普通の人間だと思っていたが、少し奇妙だな。まあいい」
そんな怪奇そうな目で見ないでください。私は変じゃないです。ちょっと思わず凝視しちゃっただけなんです。
「人間よ。私はウロビトの方陣師を束ねる者。名はウーファン」
「わ、私は───」
「貴様の名などどうでもいい」
……
この人ちょっとイシュに似てるわ。
「人間は今でこそ我らとの絆を断ち切ったとはいえ、かつて我らを導いた者たちだ。そのため、私の判断で一度だけ忠告しよう」
「は、はあ」
ところどころ気になる言葉があるが、とりあえず一度話を聞いてからだ。
忠告ってなんだろうか。
「そこの悪魔はこの世に存在していいものではない。すぐにでも縁を切れ。姿こそ人間だが、命を持たぬ化け物だ」
「……イシュのことですか?」
「悪魔の名など知る気もおきない。どういう理由で悪魔と行動を共にしているのか知らないが、あれはこの世の摂理に反する存在だ」
イシュは随分と嫌われたようである。
まぁ突然縛られたりしたらそうなるか、と単純に納得していいものではないだろう。どういうわけかイシュが人の体でないことを見抜いているようだし。
「イシュは確かに人間の体ではないです。だけど、心はちゃんと人間ですよ。少し……いや、かなり……とても、変ですけど」
「心は、だと?」
「ま、まぁそりゃ、突然誘拐されたらそうは思えないのもわかりますけど……」
「随分と盲目的に信じているものだな。それが悪魔の狡猾さなのか、それとも貴様らの愚鈍さなのか。どちらであれ、忠告はしたからな」
なんとも頑なというか。まぁ彼女の状況から見たら当然だし、仕方ない反応だ。
とりあえずイシュにはこの人を元の場所に帰してあげるように言わないと。タイミング的に、あの森で出会ったんだろうし。
「……って、もうタルシスじゃないか……」
「うむ」
今から戻るのもあれだろうか。考えたら結構大事だよ今回の件。私たち個人でやっていいやり取りとは思えないよ。未発見の土地の一族との邂逅だよ。辺境伯の指示がほしい。
そう考えるともういっそ一晩タルシスに来てもらった方がいいかもしれない。そして謝罪を精一杯して、ウーファンさんの一族と橋渡しをなんとか……何とか……できる気がしないなあ。
「あの、ウーファンさん? 申し訳ないですけど、今から戻ると真っ暗になっちゃうでしょうし、今日のところは街でゆっくりしてもらってもいいでしょうか……?」
「……」
すっごい嫌そうな表情である。今まで見た人たちの表情の中で、一番の苦虫をかみつぶした表情である。
「今は貴様らに従う以外どうしようもないのだろう」
「す、すみません……」
寝泊まりの場所は……辺境伯に相談しよう。というか辺境伯に報告しないとだし、この件。
「イシュ、マルク統治院に行きますよ……」
「ふむ。確かにこの種族のことは報告するべきだな」
「……」
拉致したことも報告対象だよ。
第二章開始です。
書き溜めはたいして出来てないのに投稿開始です。
少しでも書き溜めリードを活かすため、三日おきの投稿でしばらくいきます。
その間に書き溜めをさらに増やすんだ……
大地探索は巻き展開。
君って立ち絵とステータス画面違わない?なウーファンさん登場です。