「くっ! どの道もまともに歩けない!! おのれ、あの芋虫が!!」
ウーファンの恨み節が廊下に響く。
シウアンの危機が迫っていることもあって、彼女は完全に冷静さを失っていた。
「っ! また魔物か! 邪魔だな!!」
他人事のように評したが、かくいう自分も冷静かと問われると怪しい。
最近やたらと生意気になったとはいえ、世話をしてきた少女なのだ。くそ生意気になったとはいえ。そんな少女の危機でもあるのだから自然と焦りが生じてしまう。
まぁそれでも俺はまだマシな方だろう。
二人に比べればまだ。
ウーファンと、イシュに比べれば、
「我の邪魔をする愚者どもが、死して灰燼となるがいい!!」
過剰なまでに炎を纏わせた剣によって大きな花の魔物を焼き刻むイシュ。あまり表情を変えないが心情は単純な奴だ。わかりやすいほどまでに怒っている。
だからこそ危険だ。こいつの体でも石化することがわかったのだから、暴走させるわけにはいかない。あの巨大な蟲は総攻撃を受けても暴れ回っていたんだ。戦力を落とすわけにはいかない。
遠くから大きな轟音が聞こえる。あの蟲がまた壁を破壊したのだろう。
壁破壊はやっぱり化け物の特許じゃないか、なんて無駄口も今は叩けそうにない。激しく移動を続けているということは、未だ彼女たちは追われている状態だ。
あの蟲が通った道はわかりやすい。そのため追跡は容易だが、蟲は大きな音を立てながら移動するせいで、周辺の魔物が興奮して姿を現す。そのせいで追いかけるのもままならない。
「ウーファン! あの羊の魔物は周囲にいるか!?」
「いない!」
一番危険なのはイシュをも石化させた魔物だ。それ以外も厄介なことには変わりはないが、いきなり全員石像になる事態は何がなんでも避けなくてはいけない。
「イシュ、突っ走りすぎるな! お前でも石化の危険があるんだ! ウーファンの索敵範囲からは出るな!」
だから勝手に飛んでいこうとするんじゃない。
こいつに心臓や脳はないから、石化しても後から治療して問題ないだろうがそれでもだ。
「……! ウーファン、アルメリアたちのいる方角を言え! 我が道を切り開く!」
切り開くというのは文字通りの意味だろう。ウーファンの能力を思いだしたあたり、少しは冷静さを取り戻したのかもしれない。
「南だ! ただし移動し続けている!」
「山行水行!」
聞くや否や、すぐさま壁の破壊が行われた。
壁を抜けると暗くてわかりづらいが、廊下ではなく広い部屋。床は重量ある物が通ったのか、ヒビや穴が開いていた。
「───」
今の音は……
「ここから南西! シウアンたちが向かってきている!」
「……! 吹き抜けじゃないか」
南西から俺も音が聞こえて、ようやく合流が叶うと思ったら邪魔するような大穴。
このままでは走っている彼女たちが気づかず落ちかねない。
どうする? イシュだけ行かせるか?
向こうはキバガミとアルメリアがいるとはいえ、シウアンを守りながらということを考えると戦力的には不安定だ。それに一番わかりやすいほどに危機が迫っている。
となれば、イシュだけでも行かせるべきだ。
「イシュ、アルメリアたちの元へお前だけでも───」
言い終わる前に、蟲から逃げる彼女たちの姿が見えた。
向こうもこちらに気づいたのか、アルメリアが大声をあげて呼ぶ。
「イシュー!!」
どうやら怪我などはないようだ。全員無事な姿が見れて少しだけ安心した。
っていうかキバガミに走らせて……抱えてもらってるだけじゃないかアルメリア……
「キバガミ! 吹き抜けだ! そのまま突き進んじゃダメだ!」
「ウム!」
「イシュ! あの蟲について! これを!!」
キバガミは止まり、アルメリアが赤いファイルを投げ飛ばした。
それは丁度イシュの手元へと向かっていく。
……本当にコントロールいいな。
「私たちは下に行きます! あの蟲、シウアンを狙ってるんです!」
「シウアンを!? どういうことだ! それに下にいくだと!? 貴様シウアンを守る気があるのか!?」
「今渡したやつに蟲の力を弱める薬について書いてます! たぶん!!」
興奮するウーファンを無視してアルメリアは赤いファイルの説明をした。完全に言いきれていないあたりが不安ではあるが、一応考えがあってのことのようだ。
「いかん、もうすぐそこまで来ている! 拙者らはアルメリア殿の言う通り下に降りて時間を稼ぐ!」
「薬などなくとも我が蟲を破壊すればよいだけだろう」
「あの蟲、変なんです!! そんな単純な話になりそうにありません!! とにかく薬をお願いします! それまではなんとか私たちで凌ぐんで!!」
そう言い残して彼女たちは通路脇にあった階段へ向かって行った。
それを追うように姿を見せたのは、やはりあの蟲。
「あの蟲が!」
忌々し気にウーファンは叫びながら、蟲に向かって氷槍の印術を放つも距離が空きすぎているためか、届くことなく落下していく。
蟲は階段入口に一度頭を突っ込ませ、入ることができないと理解したのか吹き抜けから落下していった。
通路には何も残っていない状態。今の自分たちはどうするべきか。アルメリアの言う通り、薬とやらを調べていくか。それとも彼女たちの危機をすぐに救出するため、蟲へ即座に挑むか。
「イシュ、どうするつもりだ?」
薬については古代文字の解読ができるイシュしかできない。アルメリアも可能といえば可能だが、あの状況では悠長に調べることもできないだろう。だからこそイシュに託したわけだ。
託されたのはイシュのみ、ならばあとはこいつの選択次第。
赤いファイルに挟まれていた資料をペラペラとめくっていく。とても読んでいるような早さではないが、こいつのことだ。これでも読めているんだろう。
「……我も下へ降りる」
「下に降りて……薬を調べるのかい? それとも蟲を攻撃するのかい?」
「下にはあの蟲を捉えていた篭があるそうだ。そこを一度調べ、それから判断する」
らしくない行動に思えた。もっとも、それほどこいつとの付き合いが長いわけじゃない。勝手なイメージでは即断即決だった。
「飛ぶぞ」
「は?」
そう言ってイシュは自身の足を分離させ、その足を俺に渡した。
「我の足を持っていろ」
「は? うわ、意外に普通の足だ……」
「……貴様、こんなときに気色悪い触り方はやめろ」
「濡れ衣だ……」
ウーファンの目が今までにないほどひどく冷たいものだった。別に普通の触り方だと思うんだが……
イシュはその後、俺とウーファンの首を掴む。まさかこいつもキバガミみたいに投げるつもりじゃないだろうな。
「あまり暴れるな。持続力がないため一気に飛ぶ」
「な、何をする気だ」
「さっさと飛べ」
ウーファンの言葉と同時に世界がブレた。
正確には凄まじい速さでイシュが飛んだ。俺たちを持ったまま。ひとつ言えることは、急発進すぎて首が痛いということだった。
とにかくこれで俺たちも階段から下へと降りることができる。
薬を調べるにしろ、なんにしろ、もたもたはしていられない。
アルメリアたちと蟲を追って下へと降りるとそこは、より荒れたフロアだった。
渇き切っているが、壁や床にへばりついた夥しいほどの血痕。
だがそれよりも、気になる奇妙な点。
「なぁ、ここは換気はできていないのか?」
「……空気は澄んでいる。少なくとも害はない。今はな」
空気が澄んでいる。澄み切っている。
この澄み具合、それは煌天破ノ都で巨人を前にしたときと似た感覚。まるで深い森の中にいるかのような、濃厚な緑の空気。
だが周りは無機質な機材のみ。どこを見ても世界樹のようなものは見当たらない。根っこでも入り込んでいるのではと考えたがそうではないようだ。
遠くから振動が届く。蟲はまだ暴れ回っているようだ。
イシュは振動の発生源には向かわず、北へと足を進める。そこにはやはりよくわからない機材と頑丈そうな鉄格子、鉄格子の向こうには黄ばんだ硝子のように透明感のある壁で仕切られた一室があった。部屋の中には大きな穴が開いており、その穴はまるで溶かされて開けられたかのようだ。あそこから蟲が出たのか。
首のない石像が機材の前で椅子に腰かけている。
その手には紙が握られていた。
イシュは石の手を砕き、紙を取りだす。乱暴なやり方だが紙を取りだすためにはそれが一番か。
「何かわかったかい?」
「……蟲は世界樹を喰い終えた。この中には世界樹の本体、その核を入れて蟲の囮にしていたが、全て喰い終えたために暴れだしたのだろう」
「世界樹の本体か……私には関係のない話だ。私にとっての世界樹はあの世界樹だけ。他は知らん……それよりもどうするつもりだ」
蟲を捉えていた篭というのはこの部屋のこと。それを調べて何を思ったかはわからないがウーファンも俺も、こいつに選択を委ねるしかない。
「蟲が世界樹を喰ったというのは事実のようだ。世界樹を喰らうほどの力を持つのであれば、まずはアルメリアの要望通り薬を作り蟲を弱らせる」
世界樹を喰う蟲を弱める薬。聞くだけでも実体を捉えづらい話だ。
「世界樹は本来巨人みたいに動かないんだろ? そこまで警戒する相手なのか?」
「核は違う。ただ喰われるのを待つとは思えぬ。この施設が壊滅したのも、蟲から身を守ろうと魔物を作りだしたがためかもしれぬ。だが蟲は世界樹を喰らいきった。脅威度は未知数だ」
「そうか」
それなら薬のために動くとするか。といっても俺やウーファンにはわからないことばかりだ。
「薬の材料は大丈夫なのか?」
「このフロアは研究施設だ。蟲の計画は自分たちの安全に繋がる重要なもの。保管は厳重にされている」
「それじゃあ、早いところ動こうか。俺たちは門外漢だ。どうすればいいか言ってくれ」
「我の邪魔をする魔物を排除しろ」
何を言われるかと思えば、なんともまぁ……
「わかりやすくて助かるよ」
「早く済ませるぞ。これ以上こんな辛気臭い場所にシウアンをいさせたくない」
薬の制作。時代が変わればそのやり方も大きく変わるのだろう。
奇妙な物体から色濃い液体が出てきては、それを小さな瓶のようなものに混ぜていれていく。草木をすり潰したりするわけじゃないようだ。
「ローゲル、右奥からホロウと魔物だ」
「了解っと」
イシュは薬の調合中。それが終わるまで、俺たちは俺たちの仕事を全うするのみ。
幸いにもこの部屋から移動せずとも薬の制作はできるため、ウーファンが方陣を張り捕らえた魔物を俺が仕留めるだけという楽な作業だ。
「ローゲル」
「なんだ、薬ができたのか?」
ホロウと黄色いゲル状の魔物を撃破するとイシュから名前を呼ばれた。
「もうできあがる。だがひとつ問題がある」
「……なんだ?」
「薬の噴出はそこの部屋内にしかできぬ」
「直接蟲にそれをぶつけるじゃダメなのか?」
「無理だ。霧状にして内外に染みさせなくてはならぬ。そのため蟲を一度部屋にいれる必要がある」
さすがに楽な作業では終わらないか。
つまり、蟲をおびき寄せなくてはならない。
「アルメリアたちに薬の完成を知らせ、ここまで来るように伝えねばならぬ」
無表情だがきっと困っているのだろう。俺たちにそんなことをわざわざ言うあたり。合流する方法が思いつかないとかそんな感じで。
一方で俺はウーファンを見ると、同じことを考えているのかそれほど困っている表情は浮かべていない。
答え合わせも兼ねてウーファンに聞く。
「……お守り、案外使えるかもな?」
「そうだな」
「?」
イシュだけはわかっていないようだ。こいつはゲン担ぎとかそういうのは重要視しないだろうし、仕方がないか。
ウーファンも俺も、鞄から道具を取りだす。
アルメリアが出発前に用意した、彼女にとっての大事なお守り。
白い笛。
ギルド長がベルンド工房に作らせた特製の笛だ。本来熊騒動の作戦用に作られた笛。よく響くように調整されているのか、全力で吹けば耳が痛くなるものだ。
「二人で吹いていたら、まぁ聞こえるだろう」
「合図としては申し分ないな。お守りかどうかはともかく」
片手で耳を抑えながら、二人して笛を一斉に吹く。
甲高く響く笛の音は、無機質な施設の中に染みわたるように空気を震わせる。
当然この音に誘われるのは彼女たちだけではない。魔物も来る……が、今度はイシュに片づけてもらおう。
笛の音を響かせて数分ほどすると、大きな音がどんどんと近づいてくる。
あの音は蟲が立てる音だろう。音に引かれてやってきたのか、それとも彼女たちが誘導しているのか、それはこちらからはわからない。
いや、わかってしまった。
「……なんであいつも笛を吹いているんだ」
何をやっているんだとばかりにウーファンが呟いた。まぁ俺にも意味はわからないが、元気なことが伝わったしいいじゃないかとなだめる。
しかし本当に、何で吹いているんだ。こっちの音が聞き取りづらくなるだけだろうに……
間もなくして見えてきたのは相変わらずシウアンとアルメリアを抱えて走るキバガミの姿。さすがに彼もかなり疲れているのか、遠目から見ても呼吸が荒い。
「ロ、ローゲ、ル殿ォ!」
「お、おう! そのままこっちへ走れ!」
そういや薬は人体に影響があったりしないのかイシュに聞いていなかった。
まぁこいつもアルメリアにはかなり気にかけていることだし、きっと大丈夫なのだろう。
「薬、できたのですか!」
「ああ! 薬を使うにはこの奥の部屋じゃないとダメらしい! っていうかキバガミにばっかり走らせるのはどうかと思うぞ!」
「キバガミさん! あと少しがんばってください!」
「鬼か」
部屋へと駆け込むキバガミたち。そして次に見えてきたのはあの『蟲』
「おい、イシュ。あの蟲はどうやって入れさせるつもりだ!」
「勝手に入るだろう」
「適当な!?」
アルメリアの言う通り、シウアンを狙っているのか真っ直ぐ向かってくる。というかこのままじゃ、透明な壁をぶち破って入ることになるが薬の噴出に影響はないのかこれ?
「蟲が部屋に入ったら汝らは即座に出ろ。薬の噴射が終わるまでは誰も部屋に入るな」
「は、はい!」
イシュがアルメリアたちにそう告げた。しかし薬の噴射が終わるまでって、それまで蟲がじっとしているとはとても思えない。薬の効果が即座に出るのならまだわかるが……
「薬は即効性があるものなのか?」
「記録ではな。だが念のため、部屋での蟲の足止めは我が行う。我に薬の影響は出ない」
「そういうことか。じゃあ頼んだよ」
それ以上のやり取りはできなかった。節足を動かし生理的嫌悪を抱かせる蟲が今まさに部屋へと入る瞬間まで迫っていたからだ。
鉄格子ごと黄ばんだ透明な壁を壊し、部屋の中へと勢いよく入っていく。
その瞬間イシュは瓶のようなものを機材に差し込み、部屋へと駆けだした。
すれ違うようにアルメリアたちが部屋から出て、中には蟲とイシュだけとなった。
「イ、イシュ、殿が、中に入った、が……大丈夫なのか……?」
「お疲れキバガミ。薬の噴射が済むまで足止めするそうだ。少しの間だけど休んでおきなよ」
汗だくな彼を労わり、部屋の中を見ると壁中から確かに霧が吹き出ていた。あれが薬なのだろう。
蟲が壊した壁のせいでわずかに部屋から出てはいるが、効果範囲は広くないようで俺たちの場所までは届いていない。
そして肝心の効き目だが、
「───っ!」
「うるさっ!?」
蟲の苦痛に染まったおぞましい絶叫が響いてきた。
あまりの声に思わず顔をしかめたが、効果が出ているとわかりみんなの表情が和らぐ。
蟲は苦し気に体を震わせ、暴れ回っていたのが嘘のように弱り切っている。この分ならイシュだけで仕留めることができそうだ。
過去の遺した遺産によって、あの化け物もとうとう終わる。この辺りに残った過去の犠牲者は首のない石像だけ。感謝の念を込めてその石像に視線を向けようとしたとき、
「───そこに隠れてたんだね」
シウアンの小さなつぶやきが聞こえた。
隠れていた?
何のことだと聞く前に状況が変わる音が届く。
「え……」
アルメリアが呆然とした声をあげた。
何が起きたのか、部屋の中を見るとそこには
──────赤い双葉が蟲から出現し、その葉を追うように黒い触手のような蔦と大きな花弁が蟲の背中を喰い破り部屋の中で急成長を遂げた。
内部から裂かれた蟲の体から、茎を守るようにまた別の蔦が螺旋状に伸び始める。その先端は蠍の尾のような形状をしており、カチカチと硬質な音を立てている。
「なんなんだ……あれは」
巨人ほどの大きさではないにしても、今まで見たことのない巨大な化け物。
最上の赤い双葉がゆっくりと開かれ、人間の目のようなデザインの、それでいて虫の翅のような姿を見せた。
双葉の前には小さな隆起があり、その部分が横に開く。そこにあったのは赤い眼がひとつ。
その赤い眼が、シウアンを見た。俺たちを見た。
最後に近くにいた異物、イシュを見た。
ろくでもない戦いが始まると、予感せずにはいられなかった。
弱体薬使用します。
蟲終了、歪みし豊穣の神樹戦、開始です。
次回アルメリア視点になります。