時間は既に午後6時。小学生達が夜食のカレーを作るのを俺たちは手伝う。
とは言え、二百人近く訪れている小学生全員が調理に参加するわけではない。
それぞれのクラスから五人ずつ選ばれたメンバーがカレーを作り、俺たちはそのフォローをする。
だから三十人の面倒を見るだけで済んだ。
どちらにしろ、高校生十人ほどと平塚先生一人に丸投げというのはどうかと思うが。
全員、この生徒達が通う小学校とは縁の無い余所者だぞ。
「ジャガイモ剥ける人、手あげて」
葉山が見ている班は大盛り上がりだ。
小学生の女の子達が葉山にメロメロである。
小学生からしたら高校生の、それもイケメンで優しい男なんてまさに王子様そのものだろう。
その他の班も、葉山グループの面々がしっかり面倒を見てくれてるようなので、俺は何もしないで済んで助かるが、由比ヶ浜だけはそこに居てはいけないと思う。
料理できないだろ、お前。なに包丁片手にやる気出してるんだ。
それと、何気に材木座は小学生から人気だった。まあ男子だけだけど。
あのうるさい感じが小学生のツボにはまったのだろう。
「暇そうだな比企谷、私と一緒にそれぞれの釜に火を起こして回るのを手伝え」
俺は平塚先生と一緒に火をつけて回る。
最後の一台に火をつける平塚先生を眺めていると、ある事に気付いた。
「随分火起こすの上手いですね」
「そうか?強いて言うなら、大学時代登山サークルの合宿で同じ事をやったからその時の経験が今生きてるのかもしれないな。他の奴らはカップル同士で……チッ、嫌な事を思い出した。何かあったらお前に任せだぞ比企谷、私は疲れたから少し休む」
先程までの楽しそうな笑顔は何処へやら、不貞腐れた様子で丘の上にある休憩場へと登って行ってしまった。
刃物と火がある場所に子供だけとかヤバいだろ。何かあった時に責任を取れる人間が誰も居ない。
まあなんかあったところで小学校教員側の監督不行届だしいいか。
特にやることもないから調理場から離れた木陰で休む。
雪乃もこっちにやってきて、隣の木陰で同じように休み始めた。
「こういうのは、彼女達の方が得意ね」
「子供が苦手なのか?」
「苦手ではないけど……好きでは無いわね。分かるでしょ、私騒がしい人があまり好きじゃ無いの」
「俺もだ気にすんな」
しばらく二人で料理する小学生と葉山や由比ヶ浜達の様子を眺めていると、一人の小学生の女の子が俺と雪乃の近くにやって来た。先程グループ内でハブられていた少女だ。
俺と雪乃はその少女を戻るよう注意する事なく、少女に特に触れずにカレーを作っている光景を眺めていると、少女が俺たちに問いかけてきた。
「怒らないの?私がカレー作りをサボってること」
「私達もサボってる様なものだし、人に言える立場では無いもの」
「義務でも無いし、嫌なら強要させたりしねぇよ。それに、俺やお前みたいなのが少し抜けたところで問題なく作業は進んでる」
「……二人は、あっちのみんなとは違う気がする。私も違う。あんな奴ら、みんなバカばっかり」
少女は、体育座りをしながら、自分の膝に顔を埋めて悲しげにそう呟く。
色々と闇がありそうだ。
少女は、横目で俺に視線を向けて来る。
「名前……」
「名前が何だよ」
「名前……!名前聞いてるの、分かるでしょ?」
俺が言うのも何だが、この少女は少し捻くれているようだ。
悪意を浴びる劣悪な環境にいたら、相応に性格が捻くれるのも仕方ない事だが。
だが、俺とは違い雪乃は少女の横暴な態度を見逃さなかった。
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るものよ」
「っ……私は、鶴見留美」
「そう。私は雪ノ下雪乃」
「俺は比企谷八幡だ、よろしく」
雪乃に少し怒られて怯えた様子の鶴見だったが、俺と雪乃の自己紹介を聞いて安心したのか、鶴見の表情が柔らかくなった。
俺たちが休んでいることに気付いた由比ヶ浜が、駆け足で俺たちの所にやってきた。
「もー、二人だけ休むなんてずるいよ!」
「やる事がないからな」
「小学生の手伝いとかいろいろあるじゃん」
「そうしたい所だけど、そういうのは私の得意分野じゃ無いから」
「だからって二人でおしゃべりはずるいよー! あれ?君はお料理一緒にしないの?」
由比ヶ浜が俺と雪乃から少し離れた場所に体育座りしている鶴見に問いかける。
鶴見は、つんとした様子で由比ヶ浜の言葉をシカトした。
可愛くいうと知らんぷり。
「あんなバカ達と一緒にやってられない」
「バカとは言っても、楽しく学校生活を送りたいなら、あーいうバカ共と付き合って自分自身もバカになる必要がある」
「無理。どうせ後一年の我慢だし、中学に上がればやり直せるもん」
「それは無理よ。中学校に上がって多少環境が変わったとしても、今貴女を笑ってる人たちが別な人たちと手を組んで同じ事を繰り返すだけよ」
雪ノ下にそう言われて鶴見の表情が暗くなる。雪ノ下の言う通りだ。逃げることに期待したところで何にもならない。
高校デビューならまだしも、中学デビューなんてあり得ないだろう。余程生徒の数が多いマンモス校ならまだしも。
「このまま変わらないのかな……」
悲しそうに呟く鶴見に、誰も返事を返さない。カレーが完成し夕食の集合に向かう鶴見の背中は震えていた。
××××
小学生が夕食をとることになり、俺たちもそこから少し離れた所でカレーを食べていた。
「それで、何か困ったことはないか?」
平塚先生の言葉に葉山が手を挙げた。大方鶴見のことだろう。
「少し浮いてる子が居て……」
「あ〜、あの子ねー。顔は可愛いんだから軽くしてればいいのに」
スマホをいじりながら軽い感じに三浦は言った。明るくしてればいいと言っても、虐められてて明るくするなんて無理だろ。
弄られ役ならまだしもハブられてるんだから明るくした所で惨めなだけだ。
「何人かの子に話を聞いた感じだともともと瑠美ちゃんも虐める側の人で、順番にいろんな人を虐めているうちに次は瑠美ちゃん自身が虐められちゃったらしいです。あっ、ちなみに瑠美ちゃんってのはその子の名前です!」
さすが小町、単独で調査して既に状況をリサーチ済みだ。
「なら自業自得じゃない。自分も集団で弱者を排除してきたんだもの、因果応報よ」
「でも、可哀想だね……本当は楽しいはずのイベントなのに」
「楽しいか楽しくないかを判断するのは個人の問題だろ由比ヶ浜。鶴見瑠美以外にもこう言った問題を抱えてこの林間合宿を嫌に思ってる日陰者は複数居る。ちなみに俺もその一人だ」
「我もだ!」
「なにアンタら、楽しくないなら帰れば?」
「じゃあお前が駅まで送ってくれ三浦」
「は?なんであーしが」
「俺に帰って欲しいならお前が責任を持って俺を送れよ」
「落ち着け二人とも」
今にも暴れ出しそうな三浦を見て、葉山が仲裁に入った。三浦は俺を睨んでくるが、俺はそれを気にせずカレーを食べる。
……なんでネギ入ってんだよ。
「話し合いをさせてみたらどうかな?」
「話し合いをして何になるの?ハブるのを辞めて仲良くしなさいなんて言って無理やり一緒にさせたところで、余計に肩身狭い思いをするだけよ」
「なに?んじゃグループ変えればよくない?」
「班行動が決まってるからそれは無理だよ優美子」
結局具体的な解決策は浮かばずに俺たちは夕食を食べ終えた。
そりゃそうだ。いじめ問題には、解決策もなにも導き出す答えが存在しないのだから。
夕食を片付けた俺たちは今回宿泊する宿に向かった。木造のコテージが二つ。
「俺と小町は同じ部屋で寝るとして……」
「なに言ってんのお兄ちゃん、男女で別れるに決まってるでしょ」
「つっても、いきなり知らない人の中に放り込まれても困るだろ小町」
「雪乃さんも結衣さんもいるから大丈夫だよ。それに、小町はお兄ちゃんみたいに誰彼構わず敵対したりしないから」
そう言って、小町は雪乃たちと一緒に女子のコテージに入っていった。俺も男子のコテージに入り、布団を敷く。その後順番に風呂に入った。
ちなみに俺と戸塚は一緒に入った。
「てか、ヒキタニくんの妹ちゃんマジ可愛くね?」
「手出そうとか考えるなよ戸部」
「分かってるって〜。俺の狙いは海老名さんだしー。って、言っちまったべ!」
口軽すぎだろこいつ。誘導すればなんでも喋りそうだな。
やることもないため俺たちは横になる。葉山たちは四人でソシャゲをやってるようだ。
俺はあまりソシャゲをやらないから混ざらないでいたが、ゲームを介して材木座のような奴が自然と葉山のような奴の輪の中に入れるのは素晴らしいことだと思う。
「てかみんなの好きな人も教えてくんねー?恋バナするべ、恋バナ!」
「嫌だよ」
「えー、いいじゃん葉山くん。俺だって教えたしさー」
「それはお前が勝手に言っただけだろ……」
まったく、葉山の言う通りだ。戸部が勝手に口走っただけである。
「戸塚くんは誰か居ねーのー?」
「うーん、僕は居ないかな」
「そうかー。つーか戸塚くんは可愛いからあんまり女好きな感じしないもんな。逆にそれで肉食だったら超怖いべ」
「あはは……」
戸部はそう言うが、ショタ系で女を食いまくる男なんていくらでもいる。戸塚はそうじゃないどころか童貞だけど。
さっき一緒に風呂入った時に息子を必死に隠そうとしていたから分かる。
「あっ……」
「むっ?我か?」
「いや、何でもない」
……材木座にも聞いてやれよ。俺も全然興味ないけど。
「てか葉山くんの好きな人気になるわ。イニシャルだけでもいいから教えてくれないかな!誰にも言わんから!」
「はぁ……。Yだよ」
「えっ、それって……」
「俺は疲れたからもう寝るよ。おやすみ」
呆れたようにイニシャルを答えた葉山は、そのまま布団に入ってしまった。
困惑する戸部と、苦笑いする戸塚。
あんだけしつこくしてりゃそりゃそうなるだろう。
……それにしてもYか。候補は雪乃、結衣、優美子。
まあ興味はないが、もし仮にこいつの好きな相手が雪乃なら……雪乃の恋愛に俺がどうこう言う資格はないか。
葉山も戸部も戸塚も寝付いた深夜。いまいち寝付けずに居た俺は、新鮮な空気が吸いたくなって外に出る。
暗闇がわずかに月明かりに照らされる森の中を少し歩くと、綺麗な小川に出る。
そこで、雪乃が星空を眺めていた。
「何してんだ雪乃」
「っ……比企谷くん。びっくりさせないでちょうだい」
「いや逆に俺がびっくりするわ。こんなところで何してんだお前」
「いえ……三浦さんと少し言い合いになって、泣かせてしまって」
「それで居づらくなってコテージから出てきたのか」
無言で頷く雪乃。こう言う仕草は、本当に幼い子供みたいだ。
俺や陽乃さんみたいな、信頼してる人間には弱い姿を見せる。
「それにしても、お前は怖がりだろ。こんなところで平気なのかよ」
「別にっ、怖がりじゃないわ。……それに、こんなに綺麗な星空を観てれば、恐怖の感情なんて少しも湧かないもの」
空を見上げる雪乃につられて、俺も空を見上げた。空気が澄んだ田舎だからこそ見える、都会からは見えないような綺麗な星空。
「ねえ、比企谷くん」
「なんだよ」
「今年の冬、二人で星を見に行きましょう」
「二人でって……お前な」
「勝負が続く一年の間、近くにいる事を許して」
そう言って、雪乃は俺に抱きついてきた。誰も居ない、本当の二人きりだからって、大胆な行動に出たものだ。
こうやって体で来られれば、強く拒否することもできない。乱暴に引き剥がすわけにもいかない。
「雪乃、いつまでそうしてるつもりだ」
「時間が許す限り」
「一年後がタイムリミットだ。俺が勝負に勝ったらお前は俺から離れて行け」
「嫌よ。離れたくない、嫌……」
痛いほど強く俺を抱きしめて、俺の胸に顔を埋める雪乃。雪乃がそれ以上暴走してキスを迫って来ないように、雪乃の頭を優しく抑える。
雪乃は、今の俺にとって最大の問題だ。縁を切らなければならない相手なはずなのに、決して縁を切ることはできない。
俺は陽乃さんが好きで、雪乃は俺が好きで。
そして雪乃は陽乃さんの妹で。
俺と関わる限り雪乃は辛い思いをするが、陽乃さんといる限り俺は雪乃と縁を切れない。
この問題に解決策なんて無い。元から答えなんてないのだから。
「ねえ、比企谷くん」
「どうした」
「好きよ」
「……分かってる」
俺に抱きついて離れない雪乃。
二時間近く経ち、そのまま眠ってしまった雪乃を女子たちのコテージに連れて帰った。