戸塚彩加強化計画が始まって1日目。
俺たち奉仕部と戸塚は体操着に着替えて、総武高校のテニス場に訪れていた。
放課後なのに、戸塚以外のテニス部員の姿が一人も見当たらない。
「本当に誰も居ないな。部員は何人いんだ戸塚」
「20人くらいはいるんだけどね。ほとんどの日、誰も来ないよ。一応顧問の先生が来る金曜日だけはみんな来るんだけど」
そもそも顧問が金曜にしか来ない時点で部活として機能してないよな。
それじゃあサボるのも当たり前だ。
部活の意味がないだろ。
「とりあえず、体力作りから始めましょう。腕立て伏せ100回、腹筋100回、テニス場100周。まずはこれからね」
「え、そんなの無理だよ雪ノ下さん……」
この学校のテニス場の外周は一周150メートル。
平凡な学生がいきなり100周だなんて、普通に考えて無理だ。
「やる前から諦めていては何も成し遂げられないわよ」
「おい雪乃、無理を言うな。いきなりそんなの無理に決まってるだろ」
「これは戸塚くんのやる気を確かめようと思って」
「誰しもがお前みたいに強靭な精神力を持ってるわけじゃない、人には人に合ったやり方がある。とりあえず腕立て20回、腹筋20回、テニス場20周。多少キツイだろうが、これなら頑張ればできるだろ」
雪乃は昔から肺が弱く、体力が無いから有酸素運動が昔から苦手だ。
だから、こういった長時間の運転の過酷さをイメージできないのだろう。
「うん、頑張ってみるよ!」
「よし、じゃあ全員でこのメニューをやるぞ」
「え!?あたしもやるの!?」
「当たり前だろ。体力作りのいい機会だと思って頑張れ」
「うぇー。頑張ろうゆきのん」
「私は……」
「雪乃は喘息持ちだからあんまり激しい運動はできないんだ。まあついて来れる範囲でやってくれ、無理すんなよ」
「ええ、ありがとう……」
こうして体力作りのトレーニングが始まった。
俺は10分ほどで完走したが、戸塚はまだ12周目。由比ヶ浜に至っては今やっとランニングに入ったところだ。
ちなみに雪乃は、ランニング10周目までは俺の次に早く進めていたが、途中でダウンしてベンチで休んでいる。
完走するのに戸塚は17分、由比ヶ浜は30分かかった。
走りきった由比ヶ浜は膝をついて倒れる。
しかしよく走りきったものだ。
時間がかかったとはいえ、途中で投げ出すと思ってた。
「ぜぇ……ぜぇ……やっと終わった……」
「お疲れ由比ヶ浜、これ飲んで座って休んでろ」
「ありがとうヒッキー……」
買ってきておいたスポーツドリンクを由比ヶ浜に渡す。
由比ヶ浜はベンチに座り、スポーツドリンクを勢いよく喉に通した。
「ぷはぁ!生き返る〜」
「じゃあ戸塚、アップがてらラリーでもするか」
「うん、お願い!……って、さっきのアップだったんだ……」
戸塚と対角線上に立ってラリーを続ける。
やはり戸塚もテニス部なだけ合って、ラリーは問題なく出来るようだ。
「それで、お前は何を鍛えたいんだ?」
「うーん、全部かな……」
「全部と言ってもな、どこから教えればいいのか分からない。それこそ身体を鍛えれば根本的なパフォーマンスの向上に繋がるが、短期間で成果を望めるものじゃない」
「簡単じゃない、一度比企谷くんと戸塚くんで試合をすればいいのよ。私が戸塚くんの足りてない部分を探すから」
「一応言うけどお前の判断ではなく、あくまで戸塚の中で足りてない部分を探すんだからな」
「分かっているわ……」
そして俺と戸塚は試合をした。
大分手加減してやったが、結果は俺のストレート勝ちだった。
「比企谷くん、本当にテニス上手だね……僕もテニス部なのに……」
「落ち込むなよ戸塚、自慢じゃ無いが俺はかなりテニスが強い」
戸塚はありがとうと微笑むが、やはりどこか悲しそうだ。テニス部ではない俺にここまで実力の差を見せられて、落胆しているのは明らかだった。
「私が見る限り、戸塚くんはリターンが苦手のようね。体幹の弱さが原因だと思うけど」
「たしかに、僕は身体が細いし……」
「意識の違いだな、体の動かし方をまだ分かってない。腕じゃ無く体幹を回してラケットを引く、言葉では簡単だが無意識に実行できるようになるにはそれ相応の鍛錬が必要だ」
戸塚に正しいフォームと身体の動作を教えて、素振りをさせる。
時折実際にサーブをリターンさせたりして、この日の練習を終えた。
「みんな、今日はありがとう!久しぶりに充実した練習ができたよ」
「いえ、また明日も頑張りましょう」
「うん、さよなら」
「ばいばい彩ちゃん!」
「じゃーな戸塚」
全員で備品を片付けて、戸塚はテニス場の鍵を返しに職員室へ向かった。
それを見送り、俺たち奉仕部は先に帰る。
「テニス部の内情は想像以上にひどい状況だな」
「一人も部活来ないなんて……ありえないよね」
「いくら私たちが戸塚くんの練習に付き合っても、このままでは根本的な問題の解決にはならない。テニス部全体に改革が必要のようね」
雪乃が核心を突くことを言った。
その通りである。
俺たちがいくら戸塚の練習に付き合ったところで、俺たちが居なくなれば戸塚はまた振り出しに戻されるのだ。
「適当に近郊に住むテニスのインストラクターかOBを探して、テニス部に指導者として顔を出して貰えば部員も顔を出さない訳には行かなくなるだろ」
「でもそれじゃあ、今やる気ない部員はそのまま部活辞めちゃうかも」
「たしかに、そうね。……とりあえず、私は家に帰ったら指導に当たってくれそうな人を調べて見るわ」
「ああ、頼んだ」
「じゃあ私はそれとなくテニス部の人にラインで話し聞いて見るよ!」
「ああ、頼んだ」
……俺は何をすれば良いんだ。
雪ノ下が迎えの黒いセダンに乗って帰っていった。
……あの人はいないか。
由比ヶ浜のバス停の方角と俺の帰路が同じであるから、バス停まで一緒に歩く。
「そう言えば、ヒッキーとゆきのんって仲良いの?」
「藪から棒にどうした」
「だってさ、ゆきのんのこと呼び捨てにしてるの、ヒッキーだけだよ」
「お互い周りには言ってないけど、実はあいつとは小学校からの知り合いでな」
「え、そうだったんだ!いいなー、幼馴染って感じ……でも、知り合いって。友達じゃないの?」
「あいつと俺は、とても友人になれるような間柄じゃない」
少し、俺と由比ヶ浜の会話が途切れる。
バス停に着いたのと同時に、由比ヶ浜が口を開いた。
「なんか、よく分からないけど色々あるんだね。……ねえ、ヒッキー、良かったら今度どこか遊びに行かない?も、もちろんゆきのんも連れて!」
「別にいいけど」
「本当に!?約束だよ、ヒッキー!……あっ、じゃあライン交換しよ?」
「いいぞ」
俺は自分のQRコードを由比ヶ浜に見せる。
由比ヶ浜はそれを読み込んで、間も無く俺のラインに由比ヶ浜からのメッセージが入って来た。
『やっはろー!』と一言。
俺は由比ヶ浜をラインの友達に追加してやった。それを見て、由比ヶ浜は嬉しそうに微笑んだ。
「えへへ……。じゃ、じゃあ、後でラインするから!」
「おう、じゃーな由比ヶ浜」
「うん、ヒッキーばいばい!」
こうして、俺と由比ヶ浜は連絡先を交換した。
今更だけど、ヒッキーってあだ名、割と酷くないか。
まあいいんだけど。