「遠慮しないで上がってね」
「……お邪魔します」
靴を脱いだところであたしは、廊下の向こうがイヤに静かなことに気がついた。
「そう言えば、おじさまは?」
「お父さんなら、今日は仕事で泊まり込みだから、帰って来れないって」
(蘭さん?何かすっごくいい笑顔なんですけど、もしかして計画的犯行?)
「えっと、一応、家に連絡入れていいかな?」
(予定、変更しないといけないし)
断って電話すると、やはり調整が幾つかあった。
何とか調整を終えると、最後に笠井が、
「それではお嬢様、……ご武運を」
と言って切れたけど、ここ戦場じゃないから!!
「園子?お話済んだんなら、こっち手伝ってくれる?」
「はいっ!!」
(やっぱり、そうなのかな?)
玉ねぎをみじん切りにしたら、あめ色になるまで炒め、冷ましたそれを挽き肉に混ぜて――
(ここまでくればもう分かりマスね。今晩のおかずは皆さん大好きハンバーグです!)
スパイスを入れて味を調える。
「蘭、これ量、多くない?」
「半分はお父さんとコナンくんの分よ。明日、出そうと思って」
付け合わせの人参とポテトを作りながら、蘭が答えた。
(……今は、まだ聞かない、ってことね)
表面上はいつも通りの蘭に、もちろんあたしも合わせることにした。
「はーい」
ハンバーグを焼く間に味噌汁も作っておく。
(具は何がいいかな。やっぱり豆腐と油揚げ?)
「蘭、お味噌汁は豆腐と油揚げでいい?」
「いいわよ」
(ふたりで作ると早いわ)
ほど良い焼き色がついたハンバーグに手作りソースをかけ、ご飯とお味噌汁を添える。
「「いただきます」」
(……美味しいはずなんだけど、この後のことを考えると、ね)
しぜん、口数も少なくなる。
(空気が、重い)
黙々と食べ進め、食後のお茶をいれようとしたとき、
「あ、お風呂入れておくから」
さっ、と、蘭が立ち上がった。
「じゃあ、お茶いれておくね」
「うん、ありがとう」
蘭がドアの向こうに消えたのを確認して、
(か、肩こった……)
思わずため息が洩れる。
(尋問タイムはいつ――)
これが世にいう『蛇の生○し』というものでしょうか。
「お風呂、沸いたよ。どうぞ」
「いや、いいよ。蘭が先に行って」
「え、だって園子がお客様なんだから――」
「いいって。正直に言うと、一番に入ると何か落ち着かない、っていうか」
はっきりいってこれは前世の影響。
一人暮らしが長かったせいか、最初に入るときの、何とも言えない寒々とした、もの悲しい空気を覚えていた。
(ふ、ふふ。そこ覚えてるってどれだけ、お一人様やってたのよ、自分)
「じゃあ、先に貰うね」
「いってらっしゃい」
と送り出してから、ふと気付く。
(『園子』はそうじゃなかったよね!?)
まだ実家に暮らしているお嬢様の園子にそんな記憶があるわけもなく。
(……やっちゃった)
がくり、と落ち込みながらも、やるべきことはやります。
「蘭ー!げん、……じゃなかった、ハンマーない?」
「え?その辺の引き出しにあると思うけど」
「悪いけど、開けていい?」
「いいわよー、そんな大したもの、入ってないし」
「わかった」
お風呂を蘭に譲ったのには、他にも理由があったりする。
(っと、ハンマー、ハンマー)
探しだしたハンマーを手に、あたしは床の上に広げた新聞紙に置いた『ソレ』に話し掛けた。
「ねえ、『ちかん』と『のぞき魔』、どっちで呼ばれたい?」
言い終わるのと同時にハンマーを叩きつけた。
「何!?今の音!?」
「やーねー、ちょっとムシがね」
「え?虫?そんなのハンマーで何とかなるの!?」
「大丈夫。園子さんなら、一撃必殺よ!!」
(粉々になったわね。盗聴器)
新聞紙の上で原型を留めない『ソレ』は、きっとコナンくんが仕掛けたのだろう。原作で見掛ける、丸いボタン型をしていた。
(ったく。何が『仕度してくる』よ。ちゃっかり仕事してるじゃない)
「「ごめんなさい」」
(あれ?かぶっちゃった?)
後は就寝のみ、となったところであたしは覚悟を決めてこの台詞を言ったのだけど。
(何で蘭まで?)
蘭の方を見ると、目線だけで理解したのだろう、蘭が口を開いた。
「あのね。あの後私も考えてみたの。どうして園子が連絡寄越さなかったのか」
「それはコナンくんが――」
「うん。そうだよね。あの子よく一人で突っ走ちゃうから。心配だったんでしょ?」
あたしが頷くと、
「でも、それ以外にもあるんじゃないの?」
「え」
蘭は少し気まずそうに視線を逸らすと、
「例の、『仙台』の時はちゃんと電話してくれたよね」
「……あ」
「でね、幾ら大変な事態だったからって、あの言い方はちょっとなかったかな、って」
(確かあの時、蘭は『東都駅』の爆弾騒ぎのことを言って、でも)
「蘭は悪くないよ」
「でも」
「その時、コナンくんが飛び出して行ったんでしょう」
うん、と頷いた蘭を見ながらあたしは心の中で、そっとため息をついた。
(もう。『コナン』のキャラっていい人ばっかりだなあ)
本来なら、何も知らせなかったあたしが怒られる場面なのに。
「ずるいよ、蘭。それじゃああたしが謝れないじゃないの」
「園子」
「コナンくんのことがあったとはいえ、連絡しないで本ッ当にごめんっ!!」
かつての『園子』のように両手を合わせて謝ると、
「園子、あのね」
無理しなくていいよ。
「へ?」
「後になって、コナンくんに聞いたんだけど、あの時コナンくんも園子の話、聞かなかったんでしょ?」
それは思い出したくないことだった。
もともと、あたしは『園子』のような外交的な性格ではない。
だけどさすがにそのままでは、『園子』を知る人達から見れば違和感が半端ない訳で。
『園子』を演じられそうな時は敢えてそうしてきたのだけど。
「ごめんね。せっかく電話してくれたのに、あんな対応しちゃって」
怖くて話せなくなっちゃうよね。
そう続けられても、あたしはすぐに答えられなかった。
(なにこれ。蘭が天使なんですけど)
あの時あたしは怖かったのだ。
もう一度かけても、またそっけない対応をされてしまうのではないか、と。
(これはもう、アレだな)
「蘭、お願いがあるんだけど」
「なに?」
「あたし――園子との思い出で、とっても心に残っていることを全て、話してくれない?」
きっかけは例のラベンダー事件のとき。
お祖母さまの部屋に入ったときの『園子』の暴れ方は尋常ではなかった。
あの時は七槻さんを説得しなければいけなかったから、でも今は――
そう思ってあたしは話し出した。
今の『あたし』は『園子』の別人格のような存在である、と。
そして時々、『園子』本人が出て来ようとする時があること。
恐らく、例の風邪で高熱となった際、一時的に仮死状態となり、代理としてあたしができたのではないか、と思っていること。
これまでは折り合いが悪く、『園子』を表に出すことが出来なかったが、事件も片付いた今なら、『園子』が出て来ても大丈夫だろう。
あたしが話している間、蘭は真剣な面持ちで聞いてくれていた。
「それでね。蘭が『お祖母さま』と同じくらい、印象に残っている思い出を幾つか話してくれれば、きっと『園子』も――」
(え!?)
ぎゅ、と蘭に抱きしめられて、固まっていると、
「園子だよ」
「え?」
「だって、京極さんのために、頑張ったんじゃないの?」
(あれは……)
京極さんを空港へ迎えに行くために、一生懸命服を選んだことを指摘され、あたしは何も言えなかった。
「とっても、頑張ったよね」
「……う」
(そうだった。京極さんに嫌われたくなかったから、あたし――)
もともと原作での京極さんの印象は悪くなかった。
『園子』だけを見てくれる好青年。
その真っ直ぐな眼差しがあたしのことも見てくれたら、って。
(それなのに――)
やっぱり、京極さんの一番は『園子』で。
「ううっ、」
緊張の糸が切れた、ってこのことを言うのだろう。
情けないことに、泣いてしまった。
「ううっ、頑張ったのに、……京極さん」
「うん」
背中をさすってくれる手はとても優しくて、あたしの方がずうっと年上のはずなのに、まるでお姉さんのようだった。
しばらくして何とか落ち着いて、あたしは蘭に打ち明けることにした。
流石に『転生』と『コナン』世界については言えないけど。
この間の『風邪』から実は、事件に関する『予知』のようなものができるようになった、と話すと蘭は――
「……園子ってば」
どうしてもっと早く言ってくれなかったの、と言われてしまった。
「でも、その」
(蘭に嫌われたくなかったし……)
そう言うと蘭は呆れたように、
「何言ってるの!今更、それ位で友達やめたりしないよ!」
(え!?)
「……不気味だとか、思わない?」
嘘つき、とか。
無難なのは、その場しのぎに話だけ合わせて後でハブ……。
「怒るよ」
「すみませんでした。ごめんなさい」
「とにもう。何かこのところ態度がおかしいと思ってたら」
「でも、あのう……」
(やっぱり言っておかないと)
「あのね、この『予知』って何らかのワードがきっかけで起きるみたいで。それで、その、やっぱり」
「やっぱり……何?」
(ひいぃぃぃっ!!その笑顔の後ろに何か禍々しいものがっ!!)
だけど、ここで引くわけにはいかない。
(がんばれ!自分!)
「あたし、蘭が大切なのっ!」
だから――
「蘭とコナンくんには!絶対に安全なトコに居てほしいのっ!!」
「園子……」
(やっぱ『コナン』のヒロインは蘭だしね。それに工藤くんがいなかったら、『コナン』じゃないし)
とにかく、ここは押しまくろう。
「あたし、蘭がいなかったら……」
「園子、でもね、私も園子が大切なんだよ」
「だめだめだめ!!蘭は絶対に安全なところにいて!!」
「園子ってば」
(だって幾ら蘭が空手、強いからって、からめ手とかは弱いし)
とにかく蘭が大事だから、と主張していると蘭が大きくため息をついた。
「もう。それだったら園子、ひとつだけ約束してくれる?」
「何?」
こそっ、と耳元で囁かれた台詞にあたしは固まった。
――安室さんには連絡してね。
(えええぇぇぇっっ!!)
「ちょ、蘭!!」
「約束だから、ね」
(だからね、って、何でしょうか、その笑み)
「いやあの」
「や・く・そ・く」
「……はい」
蘭の説得は成功したけど、別の大きな問題が浮上してきたような気がするのは、気のせいでしょうか。
夜更け――
あたしはひとり、誰もいないキッチンで呟いた。
あたし――鈴木園子は、何があろうとも、蘭との友情を優先する、と。
昔、読んだ小説にあった誓いの言葉をそっと口に乗せた。
空が落ちぬかぎり
山が崩れ 無とならぬかぎり
海が干上がり 不毛の地とならぬかぎり
この誓い 破られることなし