「……セラフィム?」
(ネオ・グリフォンじゃなくて?)
「セラフィムって確か、天使だよね?」
「うん。天使のかなり上の階級で、三対の六枚の翼があって、その内の四枚の翼で体を隠して、残りの翼で飛ぶんだって」
「で?」
それがどうかしたの?と聞くと、コナンくんは張り詰めた姿勢を崩した。
「……知らないの?」
「今、始めて聞いたけれど」
そっか、と力を抜いたコナンくんの様子に、今度はあたしから問い掛けようとしたとき、スマホの振動音が聞こえてきた。
「ごめん。ちょっといい?」
そう断るとコナンくんはスマホを耳にあて、
「もしも……てめーかっ!?」
(え?)
「は?いや……俺は関わってなんか、ああ、……まあ、そうだよな。けど」
ふう、とため息をついたコナンくんがあたしの方へスマホを差し出した。
「替われ、って」
「え、えっ!?」
スマホを受け取りながら、誰?と小声で聞くとコナンくんは神妙な表情をした。
「そいつが俺がこの事件に拘われなかった元凶だよ」
(はいぃぃぃっ!?)
「も、もしもし!」
――やあ、初めまして。『鈴木園子』ちゃん。それとも……。
場違いな程明るいトーンの声が、あたしに突き刺さる。
――『園子』ちゃんのなかの人、と言った方がいいかな?
思わず固まったあたしに、隣りからうろんげな眼差しがきたけど、構っていられなかった。
「なん、のことでしょうか?」
――あはは。まあ、普通そう返すよね。まあ、いいよ。本題はそこじゃないし。
(スピーカーモードじゃなくてよかった)
――僕はセラフィム。『あの方』の、――っとこれじゃ語弊が出るなあ。うーん、『あの人』の知り合い、とでも言えばいいかな。誰のこと言ってるか、分かるよね?
「……ネオ・グリフォン」
――せーかい!それでね、『あの人』からの伝言。……ほんとは僕、こんな役回り、好きじゃないんだけどなあ。
まあ、仕方ないか。
と、続けられた言葉にあたしは固まった。
――次の『原作』絡みの事件は、邪魔しない、ってさ。
「え!?」
――それじゃあ、伝えたよ。
「え、ちょ、――」
スマホを返すと、コナンくんの訝しげな視線があった。
「……俺が今回関われなかったのは、今の奴に例の『弱味』握られちまったからなんだけど、まさか、そいつ――」
「例の、仙台の――ネオ・グリフォンを知っているみたい」
「「なっ!!」」
「……ふたり共、この後は、付き合ってくれるよな?事情聴取」
運転席から、皆川さんがじつにいい笑顔で宣言してくれた。
結論からいうと、『事情聴取』は後日に持ち越された。
念のために、と立ち寄った警察病院で全身の打ち身と貧血(どうして黙ってた、と皆川さん達に怒られたけど、そんな空気じゃなかったじゃない)と診断されて、入院は必要ないものの、即行で迎えに来た笠井に鈴木家のベットへと送り込まれてしまった。
(みんな、仕事早い……)
『園子』の寝室でベットに横になりながら、ひとりごちる。
あれから、四日が過ぎていた。
(もしかして、だから安室さん達、深く突っ込んでこないのかなあ)
普通なら、ただの一般人がこんなに『情報』を持っていたら、怪しすぎて即、職質か、取調室か、軟禁……流石にそれはないと思うけど、怪しいには違いない。
(もしくは『組織』の一員と見なされちゃうか)
どちらにせよ、あまりいい展開とは言えなかった。
(ああ、そう言えば)
アルファロメオ、結局ダメになっちゃったなあ。
ほとんど原作と同じように空中分解した、と聞かされたあたしは顔が引きつるのを感じながら、
(原作の修正力って……)
腕を押さえていた安室さんの姿が浮かぶ。
バタフライ・エフェクトを恐れて、できる限り原作沿いとは思っていたけれど、やっぱりケガするのが分かっていて放置、というのは嫌だった。
(だから、先に行こうとしたのに)
上手くいかないなあ、とため息が出そうになったとき、内線が光った。
すぐに傍らにいたメイド――菅野さん、だっけ――が応対する。
こうして殆どの時間、側に人がいるのにも慣れてきた。
流石に寝るときは続きの間にだけど――ってどこの王族?
(……『鈴木財閥』でしたね。分かってました)
「園子お嬢様。警察の方がお目にかかりたいとのことですが」
「分かったわ。それじゃあ着替えをお願い」
「具合はもういいのかな?」
ソファに腰を下ろすなり、風見さんが問い掛けてきた。
(――ん?)
「ええ。もう殆どいいです」
もう床払いをしてもおかしくない位なのだけれど、『園子お嬢様は安静にしていて下さい』と皆に言われて仕方なくベットの住人をしていただけなのだから。
あたしは、失礼します、と断って少し奥のスペースに作られたキッチンカウンターへ向かった。
「お嬢様、」
「すぐに終わるわ」
「園子さん?」
訝しげな風見さんの声を余所にコーヒー豆を手に取る。
(……ブルーマウンテン、それとも――)
少しだけ悩んでハワイコナを手に取った。
(うん。やっぱりこっちのイメージだよね)
渋い印象のブルーマウンテンよりも、ほがらかな酸味とフルーティーな甘さを思わせるハワイコナの方が、似合うと思う。
慎重にお湯を沸かし、湿らせたコーヒー豆にゆっくりと回し入れる。
「「「……」」」
(――できた)
細心の注意を払って、リチャード・ジノリのカップに移し、ゆっくりと彼の前へ運んだ。
「どうぞ」
先に運ばれていたカップを下げて、それを渡すと、
「……園子さん?」
再度、不思議そうに問われたので、対面のソファに腰掛け、あたしは控えていた菅野さんに、
「少し、外してくれないかしら?」
「お嬢様」
幾ら相手が警察の人間でも、流石にふたりきりにするのは、という表情になっていたので、
「大丈夫だから。少しだけ」
「……畏まりました」
何とか納得させ、菅野さんが扉を閉めた音を確認してから、あたしは口を開いた。
「ここに何の御用ですか?――ルパンさん?」
「とぼけても無駄です。先程から、煙草と匂い消しのミントキャンディの香り、しますし」
風見さんは煙草、吸いませんから。
そう続けると、風見さん(仮)の手がアゴの下辺りに伸び、直後――。
「やれやれ。敵わねぇなあ。お嬢ちゃんには」
ベリッ、という音と共に剥がされたマスクの下にあったのは、予想通りの顔だった。
――ルパン三世。
今回の事件でどうしても連絡を取りたかった人。
「それで、どうしてここに?」
平静を装って聞くと、ルパン三世は軽く肩を竦めた。
「つれないなあ。おじさんすねちゃうよ。あんな熱烈なラブコール、送ってくれたのに」
(ってことは――)
「……届いて、たんですか」
「もちろん。金庫の中に閉じ込められた、かわいそーな宝石ちゃんや、カゴの鳥してるお嬢様を解き放ってあげるのが、どろぼうの役割、ってもんでしょ」
ね、とウインクしてくる仕草も、その雰囲気も昔観た『ルパン三世』そのもので。
だからあたしは思い出してしまったのかもしれない。
「――」
「お、おい。どーした!?」
それは小学校に上がってすぐの頃。
まだみんなの話題は、昨日観たアニメがどうとか、言っていた頃。
他愛のない雑談のなか、ひとりの同級生がある曲を口ずさんだのだ。
「え?」
「何?」
最初のうちこそ、訝しんでいたけど、よく観ている自分も好きなアニメの主題歌だと分かると、すぐに周りのみんなも一緒に歌い出した。
音程もリズムもずれていたけれど、とても楽しかったことは覚えていた。
曲が終わり、そのアニメの話で盛り上がる姿を見ながら、『音楽の力』って凄い、と思った。
それと同時に、何か力になりたい、と思った。
なぜなら、話はとても盛り上がったのだけれど、くちさがない男子達に、『へたくそ!』『耳、くさるー!』などと野次を飛ばされてしまったから。
もちろん、一緒になって言い返したけど、その子があの曲を歌うことはもうなくて。
(……あたし本当は、教える側になりたかったんだ)
過酷なレッスンをこなすうち、忘れてしまっていた。
(なんだ。あたし、ちゃんとなりたいものになれていたんだ)
思うと同時に、もうそこへは戻れないのだと気付く。
「お、おいっ!?」
焦ったような声に顔を上げると、頬が熱い。
「や、だ。ごめんなさい!」
慌てて頬を拭うと、小気味の良い音がして、目の前にカラフルな造花が現れた。
「何があったか知らねーけどさ。お嬢ちゃんにそんな顔は似合わねぇぜ」
ほいよ、と渡された造花を反射的に受け取る。
(何か、昔観た映画のお姫様みたい)
こそばゆさを感じながら、笑みを浮かべてみた。
「有難うございます」
「そうそう。女の子はそーやってるのが、一番、ってな!」
おどけたように笑う、その顔を見ていたあたしはつい、
「あの」
「何だ?」
「おじさま、とよんでもいいですか?」
微妙な間があったが、
「何だっていいぜ。お嬢ちゃんが呼びたいので呼びな」
にやり、と笑ったその表情はよく見るもので、
「それじゃあ――」
ふっ、と某公国にいるお姫さまの顔が浮かんだ。
ウェディングドレスで車を操るお姫さま。
そして、撃たれたルパン三世をかばいながら、
『この人を殺すなら、私も死にます!』
『この人と不二子さんを助けなければ……この指輪は湖に捨てます!』
勇敢でどこまでも真っすぐなお姫さま。
『おじさま』
彼女はそう呼んでいた。
けれどあたしは――。
「どーした?」
「……すみません。やっぱりルパンさんで――」
あたしはあのお姫さまほど、まっ白な存在じゃない。
今のままで、この『鈴木財閥』を担う後継者のサポート役、なんて務まるハズがなかった。
(あたしとあのお姫さまじゃ、天と地ほど違うのに)
俯いたあたしの頭に、軽く手が乗せられた。
「なーに悩んでんだか知らねえけど、おじさまでも、おっちゃんでも、何でも構わねぇぜ」
顔を上げると、いつも観ていたゆるやかな表情のルパン三世がいた。
「ほーら!女の子は笑ってな、って!!ヘロヘロヘロ~~ッ!!」
突然始まった変顔につい、吹き出してしまう。
「何ですか、それ」
「おっ!笑った、わらった!やっぱそうじゃないとなあ」
(この人は……)
いつでもどこでもユーモアを忘れない、どんな難題でも軽くいなして行く、大どろぼうさん。
「――おじさま」
「ん?」
その時、勢いよく扉が開いた。
「ルパ~~ンッ!!逮捕だぁっ!!」
振り返ると、おなじみのトレンチコートで、ルパン一筋の銭形警部がいた。
「やべっ、とっつぁんっ!!」
(ああ、ここまでか)
そう思いながら見ていると、ルパン三世がこちらを向いた。
「?」
「っと。そんじゃあ、おいとましますぜ。お嬢さん」
嫌に気取って言うと、ばちん、とウインクして、あたしの手を取り――
(え、ええっ!!)
「「「「「……」」」」」
「じゃあな、とっつぁんっ!!」
あっという間に窓を開け、外へ身を乗りだすルパン三世に、
「嫁入り前のご令嬢に、何しとるんだ!!貴様という奴は~~っ!!」
銭形警部が追いかけるが、とっくにその姿は窓枠から消えていた。
(はやっ、)
遠く下の方から(ここ、三階なんだけど)、『あばよ~~』と、のんきな声が響いてきた。
「くそぅっ!ルパンめぇっ!!お嬢さん、失礼します!!」
敬礼して、銭形警部が廊下へ飛び出して行く。
(うん。これがテンプレってのね)
と、ほんわりしていたのがマズかったのだろう。
「どこを見てるんですか?」
「うえっ!?あ、安室さんっ!?」
なぜここに?と聞くより先に、
「風見が、……公安刑事がひとり、のされてね。あちこちに連絡を取ったら、ここへ彼とよく似た風貌の刑事が来た、と聞いたから」
髪をかき揚げながら話す安室さんはスーツ姿で。
(えと、これって公安のお兄さん!?)
疑問が顔に出ていたのだろう。
「ここの人達には話してありますから、大丈夫ですよ」
「え、」
「それよりも」
何故かあたしの手首を掴んで安室さんは、
「何故、あんな輩とふたりきりになったんですか?」
「え……」
だってルパンだし。
そりゃあ、不二子さんにル◯ンダイブしたり、美女には本当に目がない人だけど。
(流石に十代の女の子は範囲外でしょう)
そう告げると、何故か部屋のあちこちで、何かがぶつかったような物音がした。
(何?)
とそちらへ視線を向けるより先に、あたしの手の甲を渡されたウェットティッシュ(え?笠井?)で拭う安室さんがいた。
「何もないわけ、ないでしょう?」
その眼は全く笑ってない。
(こ、怖い……)
「あの、これは」
恐る恐る目線で手の甲を示すと、
「もちろん、消毒ですよ」
(え、ええっ!?)
凄くいい笑顔なんだけど、あたし的には全く意味が分からない。
(消毒、って……そこ、さっきおじさまが、おじさまは害虫じゃないと思うけど)
何故に、と遠い目をしているあたしの傍らで、
「当家にはエステルームも完備しておりまして」
「それはいいですね」
(え?笠井!?いつから安室さんとそんなに仲良くなったの!?)
「ちなみに通常は二時間コースですが、特別な行事用の四時間コースもございます」
(四時間、って……)
「では、その四時間コースにしましょう」
(へ!?あたしの意見はっ!?)
流石にそんな長時間の拘束は嫌なので、口を開きかけると、耳元に安室さんの声。
「どうして涙のあとがあるのか、今聞いても?」
あたしは何の抵抗もせず、四時間コースを受け入れたのだった。