(いった~~、どこか打った)
あちこち打った気はするけど、体は動かせるから大丈夫かな、と思っていると、
「園子さんっ!!」
「お嬢様!!」
「園子君っ!!」
皆の声が上から響いてきた。
見上げると小さな光と、それよりは少し大きめの光が幾つか見えた。
(カメオブローチ型ライトと、後はライトかな)
辺りが暗くてよく分からないけど、思った程、深かった訳ではなさそう、とどこかのんびり構えていたら、
「よそ見しないで貰いたいな」
さっきの得物は落としたのか、今度はナイフを喉に突き付けられてしまった。
そしてもう片手にはミニライト、って七槻さん、準備良すぎです。
「向こうに通路があるね」
上の喧騒を余所に、あたし達は地下へと足を踏み入れて行った。
人ひとりがやっと通れるくらいの道幅、後ろから七槻さんがかざすミニライトだけではさすがに歩き辛いので、
「あの、逃げないので、そのライト、貸して貰えませんか?」
阿笠博士作のカメオ型ブローチライトのことは万が一のためにとっておく。
すると、不承不承という体でライトがあたしの手に押し付けられた。
「ありがとう」
「……こんな時によくお礼なんて言えるね」
固い声音に対し、あたしは殊更明るく答えた。
「怖がっていた方がよかったですか?」
「きみは何にも分かってない」
その後はお互いに口を開かないまま、歩き続けた。
幾つか階段(どう見ても人工物だよね?どうしてこんなところに?……考えない方がいいのかな、『鈴木家』だし)を降りると扉が現れた。
ドアノブを見ると、手の平大のプレートと何か精密機械らしいものが設置されていた。
(これってもしかして)
プレートに手の平を当ててみると、電子音がして扉が開いた。
扉の向こうを見やった七槻さんが、
「何だこれ……」
絶句していた。
(そうですね。まさか地下、しかも離島にこんなモノ作らないで欲しいですよね)
対してあたしは半目である。
ちょっとしたホール位の広さの室内は、明るい色調の調度品で調えられ、正面の壁には等身大と思われる妙齢の女性の肖像画が飾られ、その前にはグランドピアノまであった。
「……お祖母さま」
あたしがそう呟いた瞬間、あたしの中に隠れていた『園子』が暴れだした。
(違う、ちがう、チガウッ!!)
「ちょ、……ま」
「園子ちゃん!?」
(今はだめ!!七槻さんを説得しなくちゃいけないのに!!まって!!)
今は、『その時』ではない。
《あたしはお祖母さまではないっ!!》
(だから待って、今はまだ――)
『園子』の叫びが頭の中に響いていた。
無理やり、自我を総動員して『園子』を心の奥へ押し込める。
(ごめんね。でも今は――)
「きみ、そんな体調でよくここまで来たよね」
何とか落ち着いたころ、どこか皮肉げな七槻さんの声がした。
嫌味たらしく聞こえるように言っているようだけど、その目は全く違う感情を宿しているように思えた。
「すみません。まさかここにこんなものがあるとは思っていなくて」
「まあ、確かにね」
久々に見たお祖母さまの肖像画は若いころのものだろう、20代半ばと思われるそれは髪こそ長いが、そこを除けば、あたしとそっくりだった。
(これは言われるわ)
お祖母さまは余程、求心力のある人だったのだろう。
『高崎一族』のほとんどがお祖母さまを慕っていたらしく、そのほとんどの者がお祖母さまに仕えたがっていたらしい。
(似るんじゃなかった)
「さて、と。少しは落ち着いたかな」
再びあたしの前にナイフの刃が閃いた。
「私の計画を知っているのは、どの位いるのかな?」
(あ、もう『ボク』ッ娘、終わりですか。そうですか)
「どの位って……」
今、この島にいる全部の人達と、向こうで調査を頼んでいる人達も含めると、かなりな人数になると思うけど。
そう答えると、目に見えて七槻さんの体から力が抜けたようだった。
「調査って?」
「例の『変な喋り方をする高校生探偵』の素行調査と――」
「そいつを知っているのか!!」
(うわっ!!ナイフナイフッ!!)
勢い余ったように顔面に突き付けられたソレにあたしは頬をひきつらせながらも、
「知ってます、というか調べました」
「どっちっ!?」
(ああ、大体見当はつけてたんですね。この感じだと『西』か『北』かで迷ってた、ってところかな)
あたしは却って冷静になっていた。
「言えません」
「なっ、」
「もし話したら、仇を討ちに行くのでしょう?」
「当たり前じゃないか!愛理は――」
「ダメです」
「愛理は私の大切な親友だった!それをあいつら」
「だったら尚更だめです」
「ふざけるな!きみに何の権限があってそんなことを言うんだ!!」
振り上げられたナイフを視界の隅に収めながら、あたしは静かに答えた。
「自分を憐れんでの復讐なんて、止めて下さい」
ナイフが止まった。
「何だと?」
「あなたは、自分が彼女に何もしてあげられなかったと思っていませんか?『もう少し話を聞いてあげられれば』『もっと早く駆け付けらることができたら』――自分への悔いだけで、人を傷つけるのは止めて下さい」
「きみに何が……」
「一度目の調査のとき、何も見付からなかったのでしょう?それならあなたは役目を果たしたことになります」
あなたが何もかも背負うことはないと思いますよ。
(そうなんだよね。原作、読んだときからずっと引っ掛かっていたんだ。七槻さんみたいにこーんなに頼りになる友人がいて、何で自殺なんてしたんだ、って)
黙り込んだままの七槻さんを前にあたしは続けた。
「それに『自殺』なんてダメですよ。七槻さん」
「え、」
その一瞬の隙にあたしは、ある意思を持って七槻さんに近づいた。
「復讐を終えたら、死ぬつもりだったんでしょう」
わざと語尾に『?』がつかない言い回しをして、更に七槻さんが動揺したところで、ナイフを持った腕を軽く掴む。
「あなたみたいに友達思いで誠実な人が死ぬなんて、絶対ダメです」
本気で言ってる、と分かるように視線を外さないで言うと、
「何なんだよ、きみ……」
呆気にとられたように七槻さんが呟いた。
(もう、大丈夫かな)
心の中でほっと息をついた時、あたし達が来たのとは反対側の、つい今の今まで壁だと思っていた箇所がいきなり口を開いた。
「園子さんっ!!」
「園子君!!」
(え、ええ!?そこ、出入り口だったの!?というかこのタイミング……)
「ふうん。随分といい時に来るじゃないか」
あたしの喉元に再びナイフが突き付けられた。
「園子さん!」
「卑怯だぞ!ボクと勝負しろ!!」
「お嬢様!」
それらの叫びを全て無視してあたしをがっちりホールドしたまま、ゆっくり後ろへ下がる。
(あ、何か既視感)
さすがにもう落とし穴はないよね、と見ると安室さんと目が合った。
真剣な眼差しはきっとこの場の打開策を考えてくれているんだろうけど、あたしには七槻さんがこれ以上のことをするとは思えなかった。
そうしているうちに、先程あたし達が入って来た入り口の方へ戻っていた。
(何で)
喉を圧迫していたナイフが下げられる。
「ごめん、ね」
どこか諦めたような声がして、とん、と押された。
(まさか)
あたしは無理やり上半身を捻って振り返る。
「――だめっ!」
「なに、す」
それはほんの一瞬の出来事。
手元に戻したナイフを自分の喉に当てようとした七槻さんの腕に、あたしは全力でしがみついた。
「ちょ、離れて!」
七槻さんも探偵の例に漏れず、鍛えているらしくなかなかナイフを取り上げることができなくて、あたし達は床の上を転がってしまった。
「はな、せ!」
「だめ!!」
力負けしそうだったけど、その頃になってようやくあたしと七槻さんは引き剥がされた。
ナイフも何とか回収。
「何で。きみは邪魔ばかり」
「だめです!七槻さん。七槻さんが死んだら泣く人いるんですからね。……お友達が亡くなったとき、七槻さん、泣かなかったんですか?」
「何をばかな――」
と、そこであたしが言いたいことに気がついたらしい。
「七槻さんが死んだら、あたしが泣きます」
だから、『自殺』なんてしないで下さい。
「小学生の理屈だな」
「そうですね。でも事実ですから」
そう返してにっこり笑ってみせると、七槻さんは大きく息を吐いた。
「あー、もう!!分かった、分かりました!!私の負けだよ。これでいい?」
がっくりと項垂れた七槻さんを横目にあたしは何度目かのお説教タイムだったりする。
「何だってこんなに危ないトコにばっか、突っ込んで行くかなあ?」
(うっ、周りの視線がイタイ)
ナイフは取り上げられたものの、全くの無傷、という訳にもいかず、あたしと七槻さんは応急処置を受けていた。
「止めきれなかったこちらの責任も少しはありますけれどね」
(その笑みの奥に、オドロオドロしたものが見えたのは、気のせいですよね、安室さん)
「お嬢様、この度は誠に申し訳ありませんでした」
ラベンダー畑があんなふうになっていたのは、自分達のせいだと詫びる彼らに、
「不可抗力、でしょう?そこまで気にしていないってば」
わざと軽く答えておく。
あたしと七槻さんがここへ辿り着いたのは偶然だけれど、この部屋はやはり、お祖母さまを悼む場所らしい。
「どうしてこんな所に?」
あたしがそう聞くと、彼らの間にビミョーな空気が流れたようだった。
「別に怒らないから、教えなさい」
語尾を心持ち強めに言うとようやく、
「実は例の一件から後、お嬢様の前で怜子様のことを話すのは憚れまして……」
ああ、とあたしは嘆息した。
『例の一件』とは言うまでもない。お祖母さまフリークのじいやが、子供の頃の『園子』にぷっつん切れて誘拐してしまったことである。
ちなみに『怜子』とは、これも言うまでもないけれど、お祖母さまのこと。
「もしかして、あたしが気を悪くすると思ったから、ここに一切合切、持ってきたということ?」
「……」
(さいですか。そこまで気を遣わなくても。って、さっき『園子』が暴走しかけたけどね)
どうしたものか、と考えていると真純さんが、
「例の一件って?あ、聞いちゃいけなかったか?」
気まずそうに問いかけてきた。
「今さらだし。いいよ。お祖母さまって凄い人気者でね。亡くなった後、よく似たあたしにその面影探そうとして厳しくしてきた人がいてね。反発しまくってたら、そのお祖母さまフリークが切れちゃって誘拐されて……」
「園子さん!!」
「何、それ!!」
「そんな軽々しく話すことじゃないでしょう!?」
三者三様に怒られてしまった。解せぬ。
その後、何とか場が落ち着いたところで(なぜこんなにお説教が。七槻さんまで混ざってるし)、あたしは控えていた『高野』さんと『奥村』さんに話し掛けた。
「それで、わざわざこの島を舞台に選んだのには、どんな理由があったの?」
最初のうち、彼らの反応はあまり良くなかった。
なのに条件のひとつ、『ラベンダーがある島』を告げてから雰囲気が変わった。
何かある、と思うのは必然だと思うけど。
そう告げると彼らは観念したようだった。
「申し訳ありません。お嬢様が怜子様のことを気に病んでいることは、重々承知していたのですが」
そこで聞かされたのは少々意外な話だった。
遺品の整理をしている中、どうしても見当たらないものがあったのだという。
それはお祖母さまが長年書き記していた日記で、少なくとも数十冊はあるはずなのだが、不思議なことに一冊も見付からなかったという。
(それはちょっと気の毒かなあ。お祖母さまフリークの彼らからしたら、きちんと保存、管理しておきたいものだろうし)
「でもそれってプライバシーの侵害じゃないか?」
「そうですね。恐らく誰にも見付からない場所に厳重に保存されている、といったところでしょうか」
真純さんと安室さんはこのままそっとしておけば、という意見のようだ。
(うん、普通はそう思うよね)
「確かにそれはそうなのですが……」
幾分、歯切れの悪い答えが返ってきた。
彼らの意見をまとめるとこうだ。
お祖母さまの人脈はとてつもないもので、何が書かれているのかある程度、把握しておきたいというものと、お祖母さまを知る人達の中には、日記そのものを狙っている人がいるらしい。
そのため、安全な場所に移して保管しておきたいらしい。
(お祖母さまって、どんだけ……)
「何だ、そりゃあ」
「却って何が書いてあるのか、気になりますね」
そこに些か遠慮がちな声が続いた。
「できれば、その、日記を……」
あたしは即答。
「無理」
そうですか、と肩を落とす彼らが少し、気の毒になって、
「レクイエム代わりに何か、弾こうか」
「よろしいのですか、お嬢様」
「ま、お祖母さまほどじゃないけど、それでいいなら」
(お祖母さま、玄人はだしの腕前だったし……。『園子』がピアノのレッスン投げるの、分かる気がする)
ピアノの前に座り、用意する。
(ん、と)
軽く指ならし。
(やっぱり、調律はしてあるんだ)
これでも前世はピアノ教えてたのでそれほど心配はしていない。
(んー、何にしようかな)
一応楽譜は欲しいな、と持ってきてもらい、検討。
最初に弾いたのは、定番中の定番、『エリーゼのために』。
(いい調子)
弾き終って指が鍵盤を放れた瞬間、反射的に指が動き、ある旋律を紡ぎだした。
(おっと)
慌ててシューベルトの『子守唄』へ。
(どうしてか分からないけど、『コナン』の挿入歌、弾いちゃうとこだった)
この世界にはないはずの曲。
(危ないあぶない)
その後、小品を何曲か弾いて終わらせたけど、その時、安室さんが固い表情でこちらを見ていたことなど、気付かなかった。
――深夜。
あたしは再び地下に来ていた。
ちょっと気になることがあったのだ。
あれから、落ち着きを取り戻した七槻さんが平謝りしてきたり、真純さんと安室さんのタブルお説教タイム(ごめ、マジ勘弁して)があったりして、結局こんな時間だからと宿泊することに。
(七槻さんが何とか思い留まってくれて良かった)
まだ問題は幾つか残っていた。
例の『変な喋り方をする高校生探偵』こと、時津潤哉の処遇とか。
『ラベンダー屋敷』事件の再捜査とか。
ほとんどペテン師の高校生探偵の方はきっと他にもやらかしてくれているはずだから、余罪を調べてきっちり責任取らせる、という方向で話が進んでいた。
(何か、張り切ってたなあ。七槻さん)
任せてね、と言い切った際の笑顔が決まりすぎてて、却ってコワイ、と思ったのは秘密にしておこうと思う。
(――事件の再捜査か)
ケーサツって面子とかあるから、難しそうだなあ。
(イザとなったら、『鈴木家』の力、借りちゃいますか)
などと思案しているうちに、件の部屋に到着。
明かりをつけ、ピアノの前へ。
ちなみに今は『園子』の気配は感じられない。
(反動で奥に行っちゃったかな)
『記憶』に支障はないとはいえ、何とかした方がいいかも。
(確か、この辺り)
それはずっと古い記憶。
小さい頃会ったお祖母さまはとても朗らかな人だった。
「おいで。いいもの見せてあげる」
いたずらっぽい笑顔でお祖母さまが教えてくれた『秘密』。
ピアノの大屋根を上げ、突上棒で止める。
その側面、側板のゆるやかな曲線を覗き込む。
(あった)
よくよく見なければ分からない凹凸を、教えられた通りの順にスライドさせると、小さな空間が開き、その小さな場所に折り畳まれた紙片が収まっていた。
慎重に取り出し、先程とは逆にスライドさせて元に戻す。
(何なに……)
書かれていたのは、やはりというかお祖母さまの日記の所在、誰に託したのかだった。
(ここで、その名前出るかなあ)
高崎総司――かつて『園子』を誘拐したじいやだった。
(まあ、お祖母さまに一番近いところにいた、ということかな)
ひとまず戻ろうか、と顔を上げたときだった。
「夜更かしは体によくないですよ」
「あ、室さん、どうして」
(カメオ型ブローチは置いてきたのに)
「帰り際、ピアノを気にしているように見えたので」
(それだけで……)
「それもあるんですが、先程弾きかけた曲が気になりましてね」
(あ、コナンの挿入歌……)
差し支えなければ聴かせて欲しい、と続けられてあたしは軽くパニックになった。
(いやいやいや!!これはマズイでしょうっ!?何であの曲をコナンくんの次にBGMしてる人に聴かせなくちゃいけないの!?)
「すみません。とっさに浮かんだメロディーなので」
冷や汗ものでそう断ると、
「そうですか。残念ですね。よく知っている曲に似ていると思ったのですが」
「え、」
あたしから少しも視線を逸らさずに、
「確か、こんな曲でしたね」
と軽く口ずさんだのは――
(嘘、でしょ)
かの『名探偵コナン』の挿入歌、『キミがいれば』だった――。