鷺沢文香の新ジャンル開拓記   作:後菊院

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第一話 文圧と速筆

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 「探偵小説ですか?」

 346プロダクションの中にある数多くの更衣室の一つ。安斎都は、隣で着替えていた鷺沢文香のロッカーから落ちた一冊の単行本の表紙を見て呟いた。

「えっと……はい。一応、ジャンルで分けるなら探偵小説です。今読んでいるのですが――」

「へえ、文香さんも探偵小説なんか読むんですか――って、そりゃそうですよね。文香さん何でも読むもん」

 さっと小説を拾った都は、しかしすぐ文香に返すのではなく、「ちょっと見てみても良いですか?」と聞いた。

「は、はい。どうぞ」

 ぱらぱらと頁を捲る都を、文香はドキドキしながら見守っていた。どうだろう。果たして彼女はこれを見てどんな感想を抱くだろうか?

 もしかすると同好の士が増えるかもしれない。そんな文香の期待は、突如飛来したタコ型宇宙人を目撃した時の様な、或いは文化圏があまりにも離れた異国の珍妙な郷土料理を口にした時の様な調子で放たれた「……何ですかこれは」という都の感想の前に儚くも砕け散った。

「何ですかこれ……この……、これ小説ですか?」

 ネクロノミコンとかじゃないですよねとでも続きそうな台詞にしっかりダメージを貰いながら、文香は「すみません……」と消え入る声で呟いた。

「ああいえ! 別に貶してるんじゃないんですよ? ただちょっとその、何と言うか……ええと……驚いた? そう! 驚いただけで!」

 軌道修正を図ろうとする都だったが、時すでに遅し、文香の心はフジツボのように固く閉ざされてしまっていた。あはははは~と誤魔化しきれない雰囲気を強引に笑って押し流し、致死量の静寂を吸う前に「そ、それではお先に失礼します」と言って都は立ち去る。

「……はあ」

 文香の溜息が更衣室に溶けた。だが都の思っているほど深い傷を負ってはいないらしく、本を脇に挟み、空いた両手でロッカーから愛用の鞄を取り出すと肩に背負い、挟んでいた本を再び手に戻す。ロッカーの奥に何も忘れ物がないことを確認すると、パラパラと本を捲りながら入口に向かって歩き出した。

 本の表紙に描かれているのは可愛らしい少女のイラストと題名、作者名。

 『ディスコ探偵水曜日(上)――舞城王太郎』。

 

 

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 舞城王太郎という作家の小説に文香が初めて手を触れたのは、つい先日のことである。

 大学で知り合った友達に薦められたのがきっかけだった。そういう名前の小説家がいることは知っていたが、作品を手に取る機会は今まで一度も無かった。文香が読むのは古典と純文学が多く、探偵小説は優先順位が下がる。人の死をゲーム感覚で扱うスタンスが苦手なのが探偵小説を避けてきた一番の理由だったが、聞けばこの舞城なる作家は最近もっぱら純文学の世界に進出しているらしく、加えて、薦めてきた友達というのが中々面白い人物であり、彼のおすすめならば悪い本ではないだろうという経験則にも後押しされ、ついぞ読んでみることにした。

 探偵小説に馴染みが無いとは言っても、有名どころは押さえている。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行殺人事件』、コナン・ドイルの『緋色の研究』『四つの署名』、エラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』『Yの悲劇』、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』。『僧正殺人事件』、『長いお別れ』、『怪盗紳士』、『屋根裏の散歩者』……。大御所、それも古典の代表作程度ではあるが、教養として文香はひと通り読破していた。故に、意外な結末やどんでん返しの展開にもある程度の耐性は持っていた。

 だが、吹っ飛ばされた。

「鷺沢さんなら結構本読んでるし、舞城作品もいきなりディスコ探偵から入って大丈夫でしょ」っていやいやいやごめん買い被らないで。私こんな異次元の産物みたいなモン読んだことないから。なにこれ、これが推理小説?SFじゃなくて?SFにしてもヤベエの一言なんだけどさ。待ってなにこれ、ノックスの十戒をびりびりに引き裂いて屑カゴにポイしましょうキャンペーンでもやってんのって聞きたくなるんだけどなにこれ?私さっきから「なにこれ」しか言えてないんだけどどう落とし前つけてくれんの?もしかしてこれは読者の語彙力を全部吸い込んで怪文書に仕上げるお化け図書なんじゃないかみたいな妄想をガチで考察する程度には混乱している私を襲う更なる超展開の第二波第三波に脳みそが「助けて~」って悲鳴をあげるんだけど眼球君は一切休憩なしで雪崩の様な文章をがあああああって追ってく。つーか寧ろ追われてる。雪崩を背中に回してスノボーしてる勢いで文字列の山を駆け下りる。全然止まらない。読み終わったら深夜三時でビビったけれど、その時には日本語になんか翻訳できそうにない思念その他で頭ん中満杯になってて、ぎりぎりまともな部分を繋ぎ合わせてどうにかこうにか布団に潜った。

 私は一体何を読まされたんだ?

 明かりを消した自室、暗闇に馴染んだ目で天井の一点をひたすら凝視し続けながら、文香は今読んだ小説の内容を思い出す。

 正直わけがわからないの一言で片づけてしまいたいのだが、しかし何故だろう、文香にはかの小説のテーマというか筋というか、何だかよくわからない何かが見えてしまった。勢いだけの考え無しシナリオなんかではないことが読み取れてしまった。故にどうしようもなく理解できた――今読んだアレは、まごうことなき傑作だと。

 『全てに意味がある』。

 言葉通りとは恐れ入った。

「凄い……」

 次の日、というか正確には既に日を跨いでいるので同日の朝いちばん、文香は目の下の隈をサングラスで隠して文香御用達の書店へと駆け込んだ。ディスコ探偵水曜日は上下巻に分かれている。友人が貸してくれたのは上巻だけだった。一刻も早く下巻を読みたい一心で新潮社の段を探すのだが、悲しいことにディスコ探偵水曜日は愚か、舞城王太郎の名前すらどこにも無かった。あれれと思い、顔馴染みである店の主人に聞いてみると、「あんなの小説じゃねえ」とご機嫌斜めな答えが返ってきた。この店の主人はどうやら舞城王太郎が嫌いらしい。基本的に彼の趣味で出来上がっているこの店に、かの覆面作家の作品は一冊も置いていないとのことだった。

「文香ちゃん、舞城の読んだのか」

 文香が頷くと、店主の顔は不機嫌そうな顔から微妙に申し訳なさそうな顔に変わり、「図書館ならあると思うよ」と教えてくれた。

 そんなこんなで上巻を読んだ直後には、めでたく下巻にも目を通すことができた。目を通すというか、目を貫かれるというか――まあとにかく、文香はたった二日でディスコ探偵水曜日を読了した。

「あああ~……」

 現在二度目の読み返し途中である。それなりに人が乗っている電車内で、それなりに嵩張る単行本を開きながら、文香は『文圧』と称される舞城王太郎の文章世界に呑み込まれていた。夢中になり過ぎて降りるべき駅を通り越してしまったのは秘密だ。

 

 

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「舞城王太郎って、何回か芥川賞の候補とかにもなってんだよな。『好き好き大好き超愛してる。』とかいうタイトルでよくもまあエントリーされたもんだぜ。審査員の一部には絶賛され、一部には酷評され、残りは皆ノーコメントっていうドーナツホール染みた評価をされて受賞は逃したんだけどね。純文学の界隈でもまあまあ有名なんだろう? 鷺沢さんが知らなかったってのが、俺にとっちゃあ意外だったんだが」

 名前は知っていた。が、今まで読んだことはなかった。改めて考えてみると、書店にあまり並んでいないのが一番大きな理由だったのだろう。まあよしんば並んでいたとしても、はたして『ディスコ探偵水曜日』とか『好き好き大好き超愛してる。』とか背表紙に書かれた本を文香が手に取っていたかどうかは怪しいが。

「でも気に入ってくれたんなら嬉しいね。ディスコ探偵水曜日、そんなに良かった?」

 二十一世紀のユリシーズと言っても過言ではない。

 少なくとも文香はそう思った。

「はっはっは。ユリシーズね。何だか褒めてんだか貶してんだかよくわかんないけど、言い得て妙っちゃ絶妙だな」

 文香としてはこれ以上ない賛辞のつもりなのだが……。

「わかってるさァ――へえ、それにしても鷺沢さんああいうのもいける口か。だったら他にもいくつかおススメあるぜ。今度貸すよ」

 願ってもない。これを機に新ジャンル開拓へ踏み出そうとも思っている。まだ見ぬ本の海にあんな怪作が漂っていたことは衝撃だった。船頭をつとめてくれる者がいれば尚良いだろう。

 

 

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 「……西尾維新?」

 346プロダクション敷地内の中庭。荒木比奈は、木陰で弁当箱を広げている鷺沢文香を見て呟いた。

 正確には、文香の座るベンチに置かれた本の表紙を見て呟いた。

 聞き覚えのある名前だった。週刊少年ジャンプを購読している比奈としては、『めだかボックス』の原作担当というイメージが一番強いのだが、『化物語』の作者であることも同時に思い出す。物語シリーズは普通のライトノベルより幾分割高なのもあって手を出したことはないが、アニメを観たことはあった。『十二大戦』とか『刀語』とかの原作者だということも知っていたが、あれらはアニメにも原作にも手をつけていない。

 文香の本は、刀語でも化物語でも十二大戦でもないし、無論めだかボックスでもなかった。

「……『悲鳴伝』」

「ええと……」

 自分の目の前でじっと立ち止まられるのに耐えきれなくなった文香が、とうとう比奈に声をかける。

「文香ちゃん、西尾維新なんて読むんスか」

 比奈の考える文香像と西尾維新はどうも合致しなかった。確かに、漫画好きやアニメ好きから見れば重い部類に入るのだが、がちがちの文学少女から見れば、西尾維新はライトな層に入るんじゃないだろうか?

「……全然そんなことないですよ? いや、別にライトな作品を蔑視しているんじゃなくて……、はい、面白いです」

 へえと頷きながら、比奈はしげしげと悲鳴伝なる小説を眺める。見れば見るほど分厚い本である。白い背景に赤くスタイリッシュな文字が踊っていた。『生きることは戦いだ』『人類』『正義』『切断王』『破壊丸』『戦いである以上、当然負けることもある』――何だかよくわからなかった。そういえば本屋の漫画コーナーに同じタイトルの漫画が置いてあったことを思い出す。あれはこの小説のコミカライズだったのか。

「どんな話なんスか?」

「……ええと……」

 文香は困り顔になる。はて、何故だろう。説明しにくいストーリーなのか?

 しばらく沈黙した後、文香は

「……ヒーローもの、です」

 とだけ答えた。

 

 

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 虚無感というか虚脱感というか、その手の読後感は文香の好むところである。例えるならば夏目漱石の『こころ』を読み終えた時のような気持ち――かの傑作と比べられる程の格調高さはないかもしれないが、悲鳴伝はその手の感慨を抱かせる作品だった。

 気味の悪さというか――

 後味の悪さというか。

 文香が普段慣れ親しんでいる作品と比べると、地の文が多くを語り過ぎていて、所謂「行間を読ませる」箇所が少ないという違和感はある。原稿用紙千枚超えの作品故の重さはあるが、しかし文香の様な読み手にとってはわかりきった説明を二重三重にしてくるので、ページ量そのままの情報量があるわけではなかった――まあそこはライトノベルの性というか形質というか、そういうものだと割り切って文香は読んだ。冗長な文章がこの小説独特の雰囲気をつくっているのも確かだったからだ。

 雰囲気――否。

 空気感、と言った方が正確だろうか。

 醸し出される空気が素晴らしい作品だった。

 「地方都市の一角にそびえるビルの飾り気ない屋上。水たまりに映る雨上がりの曇り空。天使の梯子が遥か霞の彼方に降り、一陣の風が吹く」みたいな。この比喩が果たして悲鳴伝を読んだ者の何パーセントに賛同されるかはわからないが。

 心に残り、心に刺さる作品を読み終わった時に感じるあの虚無感が、今回も文香を襲った。

 のめり込んだ。

 ああ、これだよ。これを味わう為に小説読んでるんだよ。

 心に穴を空けられたようなこの感覚になれば、人は普通、どうにかして穴を埋めようと動く。本をまた最初から読み返したり、続編が無いか探したり、或いは記憶からこの感覚を抹消しようと全く別のことをやってみたり。文香の読む作品は本一冊で完結するものが多いので、気に入ったらもう一度読み返すのが通例となっている。最初は家で読み、電車や事務所で読むのは二回目以降だ。

 ただ、悲鳴伝には続編があるらしい。

「いやあ、ぶっちゃけ続編に関しちゃ鷺沢さんにおススメできるほど面白くはないんだなァ。悲鳴伝単体で既に一つの作品として完成しちゃってるから、どうしても蛇足感が拭えないんだよね。スピンオフとして読むなら全然アリなんだけど」

 そうなのか。まあ確かに、あれほどの傑作を一人の作家がそう何度も生み出せはしないか。

「悲鳴伝気に入ったんなら西尾維新のデビュー作から連なる『戯言シリーズ』ってのも面白く読めると思うぜ。荒っぽくて尖ってんだけど、そこがまたイイ」

 知っている。読んだことはないが、一般的な書店には必ずあるので背表紙は何度も見たことがある。ライトノベルは今まで敬遠していたが、これを機に他のモノも手に取ってみよう。

「いやあ、西尾維新の、それも悲鳴伝とか戯言シリーズとかはライトノベルん中でもかなり異端だからなァ。あれと同じノリを他のラノベに期待するのは違うぜ」

 では、一般的なラノベとは?

「漫画――絵の無い漫画ってのが、昨今のラノベに対する俺の感想だ。いやまあ勿論挿絵はいっぱいあるんだけど。漫画のノリをそのまま小説に持ってきたことで、ページ数に気を遣わなくてよくなり、こまごました説明をみっちりやっても読みにくくなくなったのが漫画に対するラノベの長所。コマ割りと絵によるわかりやすさがなくなったのが短所――って、鷺沢さんにゃわかりにくい例えかこれ。漫画読まないもんな」

 ……。

「ざっくり言うと、ストーリーとキャラクターと設定で魅せるのがラノベだ。細かい心情の変化をウリにする作品もあるにはあるが、やっぱり少数派だな。あんまり鷺沢さんウケしないと思うぜ」

 ……。

 いや、読む。

「ええ?」

 何か勘違いしているようだが、私は繊細な心情描写だけを尊いと崇める文学少女ではない。まあ確かにいつも読んでいるのはそっち系だが、ハラハラドキドキの冒険小説だって好きだ。

 そういうのはもう子供の頃に読みつくしたと思っていたから。

「……『海底二万里』とか?」

 『トム・ソーヤの冒険』とか。

 

 

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