鷺沢文香の新ジャンル開拓記   作:後菊院

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あの本の衝撃は忘れない。


第二話 大説

    1

 

 

 ちゅんちゅんと雀の声が聞こえてきた時にはもう全てが手遅れだった。

 しょぼくれた眼をよろよろと部屋の中空に漂わせる。

 カーテンが光っていた。

 いや、光っているのは窓の向こう側だった。

 今度は素早く眼球を動かして時計を見る。窓の上にかけてあるアナログ時計が指し示す時刻は七時二十分――たった今二十一分になった。あわててベッドから立ち上がった文香は、洗面所へと駆け込む。

 今日は朝一でレッスンがあるのだった。

「あぁ……拙い」

 間に合うか?

 お湯が出てくるのを待っていられず、蛇口から勢いよく噴き出る冷や水を手で掬い、顔にぶっかけながら規定の時刻までに346プロまで辿り着けるか計算する。文香がどんなに早く走っても駅までは七分以上かかる。遅刻しないためには、最低でも七時三十五分の電車に乗らなくてはならない。つまり残された時間はわずか五、六分。朝食はこの際仕方ないからコンビニでおにぎりでも買って歩きながら食べるとして、最低限やらなければならない朝の支度は着替えと、寝ぐせは無いからもう髪はこのまま行くとして――ぐじゅぐじゅぺっと口を濯ぎ、タオルに顔を埋め、寝間着から着替えるべくベッド横の引き出しを開ける。組み合わせは一式決まっているので服を選ぶのに時間はかからない。向こうで使うジャージやら汗拭きタオルやらは昨日の夜の内に用意していた。昨日の自分に感謝。本当なら水筒をつくりたいところだがこれも仕方ない。自販機かコンビニでスポーツドリンクを買おう。

 時刻は七時二十七分。

 財布とスマホをポケットに入れて玄関へ向かおうとした文香は、靴を履く前に部屋の中へ取って返し、ベッドの脇に積んである本の中の一冊を引き抜き、鞄にしまう。

 夜を徹して読んだ三冊の内の一冊。

 舞城王太郎の小説――『九十九十九(つくもじゅうく)』だった。

 

 

    2

 

 

 ――九十九十九って読んだことあります?

『あるよ。読んだの?』

 ――はい。

『へえ。鷺沢さん、舞城に嵌ったね』

 ――はい。

 ――これは何かの続編でしょうか? よくわからない部分が幾つかあったのですが。いえ、私の理解力が足りないせいなのかもしれませんけど。

『あの小説はJDCトリビュートなんだよ』

 ――JDC?

『清涼院流水って小説家、作中に出てたでしょ。あれ実在する作家なんだよ。その清涼院の「JDCシリーズ」ってのに登場する探偵の名前が九十九十九。舞城王太郎の「九十九十九」は、早い話がスピンオフ』

 ――なるほど。教えていただきありがとうございます。

『あれ、読む気あるの? 清涼院流水を?』

 ――はい。そのつもりですが。

 ――どうしました?

 ――あれ? 通信繋がっていますか? 見えていますか?

『繋がってる』

『清涼院は止めといたほうがいいと思う』

 ――何故でしょうか。

 ――あまり面白くないのでしょうか?

『面白いというか何と言うか』

『言葉にしづらいものがあるっていうか』

『鷺沢さん好みではないと思う』

 ――大丈夫ですよ。

『そうかなあ』

『じゃあ、とりあえずコズミックだけ読んでみると良いよ。それで合う合わないがわかるから』

 ――はい。ありがとうございます。

 

 

    3

 

 

 文香はスマホから顔をあげる。もうすぐ346プロダクションの最寄り駅だった。本は鞄の中である。満員電車の中でソフトカバーとはいえ分厚い単行本を広げる勇気は文香にはなかった。

 ボロボロと電車の扉から零れ出る客に混じってホームに降りる。一応は有名人である文香は、なるべく目立たないよう個性を消して周囲に溶け込むのが常である。

「おっはよー」

 本日から数か月間ユニットを組む予定の、個性の塊みたいな同僚に声をかけられたことで、文香の努力は露と消える。変装なんぞまったくする気のないいつも通りの、動きやすそうなとでも表現すべき、安っぽくも高そうにも見えないカジュアルな出で立ち。有名人は愚か、一般人も駅のホームでは絶対にやらないであろう、相手の肩に背中から手を置いてほっぺに指をさすイタズラ。宮本フレデリカは今日も平常運転だった。

「……おはようございます」

「うわぁ、どしたのフミカ。隈すごいよ? 大丈夫? 朝ごはん食べた?」

「……食べていません」

 うへえと、アイドルらしからぬ声――しかし至極フレデリカらしい呻き声をあげるフレデリカ。

「遅くまで本読んでて寝坊しちゃったとか?」

 文香はこくりと頷く。その所作が倒れる前兆に見えたらしく、フレデリカは文香を支えようと身構えた。

 フレデリカさんに心配されるなんて、私今相当ひどい顔してるんだな。

「大丈夫?」

「大丈夫、です」

 当然ながら大丈夫ではない。

 担当のトレーナーと会って最初に言われたセリフは「体調管理はアイドル業で一番大切な仕事だ!」だった。重たい瞼を強引に開けていようとコンビニで朝食と併せて買った栄養ドリンクは没収された。

「寝ろ! 午前中のお前の仕事は睡眠を摂ることだ!」

 向かわされたのは休憩室。毛布と枕だけを渡されて閉じ込められる。無論、本の持ち込みは却下された。

 まあこのままレッスンに参加しても効率最悪なのは文香にもわかる。フレデリカ達にとっても迷惑だろう。ここは早急に体力を回復させるのが良いと思い、備え付けのソファにどさりと倒れ込むと、午前中、文香は死んだように眠った。

 

 

    4

 

 

 「しっかり者の文香ちゃんにしては珍しいよねえ」

 346プロから程無く行ったところにある定食屋。四人席の一番奥に座る一ノ瀬志希は、運ばれてきた『ねばねばスペシャル丼』なる料理をグルグルと箸で混ぜながら呟いた。

「フミカちゃんらしいじゃん?」

 そう言ってすぐ、フレデリカはずずずと味噌汁を吸う。

「そう……かな? そうなのか? 確かに、文香さんはいつも本を読んでいるイメージだけど」

 フレデリカと同じ様に味噌汁に口をつけた神谷奈緒は、「あっちぃ!」と叫んで手前のお盆に汁をこぼす。

「あぁ大丈夫?」

「大丈夫大丈夫! お盆に零しただけだから」

 零れたのも僅か数滴だけだった。これなら大事ないと見た志希は、店員を呼ぶべく挙げかけた手を元に戻す。

 珍しいメンバーだった。

 フレデリカと志希のコンビはともかく、奈緒がそこに加わっている絵面は中々見ない。此度の新ユニットの人選は甚だ謎である。フレデリカと志希による暴走トークを律する自信なんて欠片もない奈緒は、ラジオその他、会話を主体とする仕事が回ってこないことを切に願っていた。

 文香さんもいるから何とかなるだろうと思っていたが、どうも彼女もあまり頼りにはできなそうだ。

「すっごく面白い本だったんだろうねー。二人はそういう経験あるー?」

「うーん、小説とかあんまり読まないからなー。クスリやって徹夜はよくやるけど」

「く、クスリ!?」

 覚せい剤、芸能界、麻薬、引退、密売、逮捕……と、奈緒の頭の中で危険な単語が嵐の様に飛び回った。が、志希が言っているのは彼女がいつも行っている薬品の調合的な何かであるとわかり、浮かせた腰を再び落ち着ける。

「奈緒ちゃんは?」

「私もそんな本読まないからあ……」

 夜明け頃までアニメを通しで観たことはあったが、それは黙っておく。

「フレちゃんは?」

「なーい!」

「だろうねー」

 まあそれが普通だろう。夜を徹して小説を読み続けるなんて、よほどの読書好きでもまずやらない。睡魔は偉大であり、明日の仕事は大事なのだ。こんな一週間のど真ん中の日に徹夜読書する人間など、鷺沢文香の他にはいない。

「よっぽど面白かったんだねー……」

 志希の呟きは、言葉以外のニュアンスが含まれているようなぼかしがあった。

 

 

    5

 

 

 『今年、1200個の密室で、1200人が殺される。誰にも止めることはできない』――

 密室卿を名乗る謎の人物が発した予告状から始まる前代未聞の殺人事件。動きだす警察と『日本探偵倶楽部』――『JDC』と呼ばれる探偵集団たち。のっけからぶっ飛んだ展開が続き、文香は自分の頭がぐわんぐわんと揺れている感覚にとらわれた。いや、揺れているのは文香の頭にあった推理小説という概念だ。

 まずJDCの探偵達というのがおかしい。探偵役が複数人いる時点でだいぶ推理小説の基本から外れているが、一人一人が固有の特殊能力を持っているという能力バトル染みた展開がオカシイ。この、ええと、これは一体何? 『不眠閃光』って何だ。『超迷推理』? 『集中考疑』? いいのかこんなの。

 九十九十九なるキャラクターもちゃんと登場した。『神通理気』という、必要な推理材料が揃った瞬間に真相を悟る特殊能力を持った超絶イケメンキャラとして登場した。あれは舞城王太郎が後付けした設定じゃなかったのか……と、眼を小説からあげてしばし文香は絶句した。

 殺人は予告通り行われていく。密室卿の予告通り、1994年の一月一日から、一日三件のハイペースで密室が作られ人が殺されていく。初詣の人混みの中での密室殺人、スキー場のゴンドラの中での密室、鍵がかけられている筈の被害者自宅の密室……複数の目撃者がいる夜の山道での密室に、子宮の密室、宇宙ステーションの密室まで出現した。果たして大丈夫なのか、作者はこれちゃんと全部畳めるんだろうかと、コズミックを読んだ者全員が思ったであろう不安に文香も駆られた。デビュー作ということもあり、普段読み慣れている文章と比べるとかなり稚拙な表現が散見されたが、そんなものは最早気にならず、文庫版の上巻に当たるコズミック(流)を読了すると文香はすぐに下巻であるコズミック(水)に手を伸ばした。

「…………」

 清涼院流水。

 京極夏彦が創設のきっかけとなり、森博嗣が盤石にした講談社のメフィスト賞に、「ミステリ番外地」の烙印を押さしめた張本人。

 曰く、『二十一世紀最初の京大中退者』。

 曰く、『世界唯一の流水大説家』。

 曰く、『TOEIC満点ホルダー』。

 曰く、『四年に一回引っ越す男』。

 曰く、『清涼in流水』。

 新本格ミステリ界隈に投じられた一石――否、隕石。

 コズミックを読んで誰もが思った。

 誰もが叫んだ。

「いや、あり得ないから!」

 

 

    

 

 

 ここからネタバレがあります。未読の方は、まずコズミックを壁に叩きつけてからお進みください。

 できればジョーカーも。

 

 

    

 

 

 九十九十九が記者会見で語った真相は、至極あっさりというか、広げまくった大風呂敷の割には妥当な結末だった。まあ、ミステリ事情にそれほど精通していない文香は納得できた……納得した様な気にさせられた。九十九十九がイケメンすぎてテレビを見ていた十六万人が失神するというトンデモエピソードはともかくとして、「犯人は松尾さんです」というぶっ飛んだ真相は、わりとすんなり文香の胸に収まった。

 問題はその後である。

 作中で探偵の犬神夜叉と九十九十九が犯人の頭文字だけ教えあう場面がある。その時、犬神夜叉は「H」と、九十九十九は「S」と言った。松尾芭蕉の頭文字はHでもSでもない。するとこれは一体なんだ? と、そこで繰り出された「犯人は曹操」というカミングアウトに、しかもその根拠は被害者の名前の一番下の文字を繋げると『ひみこにみつしつおつたえたのはそうそう』になるからだという。この衝撃を前に、文香の考えていた「JDCが黒幕なんじゃない?」という可愛らしい予想は木っ端みじんに吹き飛ばされた。

 何だこれ。

 これ大丈夫なの?

 金曜日の夜、この結末は――というかこの作品は、推理小説的にアリなのかどうなのか、文香は布団にくるまりながら延々と考え続けた。

 




コズミックジョーカーで読むと長いので、それが嫌ならジョーカーをまず読むと良いです。
(2018/10/08編集済み)
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