今から行くから待ってて、待ち合わせ場所も聞かずに電話を切られて30分後ぐらいのこと。
重ねて遠慮の言葉を送ったとしても、多分黙殺されるんだろう。僕はそう思ったからショッピングモールにある喫茶店で待ってるとメッセージを送り、本を読みながらおとなしく待っていた。
「うわぁ……全然変わってない、元々の顔が良すぎたってことなの?」
TSしたにもかかわらず、誰が僕かとか迷うことなく、一直線にこちらに向かって開口一番のセリフがそれだった。とりあえず読んでいた本にしおりを挟み、鞄にしまう。
「そんな変わってないかな?」
「うん、胸が大きくなって声は確かに変わってるけど、あ 和泉お兄ちゃんだって思うぐらいには……もしかして今までも女の子で男装してたとか言わないよね?」
「そんなわけないじゃないか、胸はともかく声はどうしようもないさ」
「だよね……あー羨ましい、男の時も女の時もめちゃくちゃ可愛いって前世の時にどれだけ徳を積めばいいんですかー」
そうはいうけれど彼女だって世間からすれば、普通に可愛いともてはやされる部類だと僕は思う。TSした人が増え、可愛い女の子が増えたという理由があるにしても、この兄妹は自己評価がお互いに低すぎる、そんな気がする。
「それが良いことか悪いかとかはわからないけどね」
「多分いいことだと思う、元々の顔が女の子の中でも美少女だって格付けされてたってことでしょ」
「男としてそれはどうなんだろうと思うよ」
「ハハ……ま、まぁうちのお兄ちゃんはTSしたら原形なくなっちゃいそうだし、そうなると少し悲しいじゃん?」
何となくその気持ちはわかる気がした。前の姿は新しい姿に印象を上書きされて、あっという間に消えて行く。老化とかではなく一瞬にしてだ、過程を無視した変化は記憶を吹き飛ばす。
周りからすればたまったものじゃないだろう。記憶に残る彼はもうおらず、残ったのは同じ名前と記憶を持った他人に見えるのだから。
すぐさま新しい彼女に印象を上書きされていき、元の彼の記憶はどこへ行くのか。それを忘れることはある種の死なのかもしれない。
僕のようにTSした後の体に元の面影が見えるのはかなりの幸運なのだろう、何となくいるかもわからない神様に感謝した。特に新しく関係をやり直したい訳でもないのだから、元の繋がりを保てればいいのだから。
「和泉お姉ちゃんに合う服……スカート……ううん、悩むなぁ」
そう言ってるうちに何処からかグゥとお腹が鳴る音が聞こえた。顔を赤らめる彼女を無視して口を開いた。
「とりあえずここから出ようか、ご飯を食べるなら別のとこがいい」
「賛成賛成!」
もしかしたら死ぬ気で来るのを断った方が良かったのではと思いながら。
● ● ●
「お兄ちゃんに彼女ができたぁ?」
齧りかけのにんじんのグラッセを彼女はポロリと落とした。多分言ってないんだろうなと思いつつ、この話題に触れなければいけないと思っていた。
「嘘ですよね、和泉さん?」
「残念ながら本当だよ、紛れも無い事実さ」
その言葉を聞くや否や、スマホを取り出して猛スピードで何かを入力し始めた。
「何してるんだい……」
「いや、お兄ちゃん電話だと9割ぐらいの確率で出ないからとりあえず確認のメッセージを」
そう言ってこちらを向き直った妹さんの目に光がない。これは失敗だったかもしれない、背中に冷や汗がたらりと流れるのを感じた。
「そんな長文で送る必要あるかい?」
「長い文の方が圧力を伝えられるんですよ」
「ハハ……そっかぁ」
思わず頰が引きつるがそれに気づく様子はなかった。なぜ圧力を加えるかを聞く勇気はない、その間にもすごい勢いで文字が入力されていた。
とりあえず逆鱗に触れた分、最低限の対応はこちらでしておくべきだろう。
「そういうのは彼が立て直す隙を与えるだけだから、別のことにした方がいい」
「む、何かいい案があるんですか?」
「例えば朝に突然家族会議を開くとか、」
「それいいですね、採用します!」
「え、ちょ」
まさかそれを採用するとは思わなかったが、彼女はムフーと満足げに笑顔を浮かべていた。
拒否することは悪手である。そのことがわかってるからこそ絶対採用されないであろう案を出して、その次に程度を落とした本案をぶつけるつもりだったのだが。
どうやら彼女を見誤っていたらしい、期せずして彼を死地へと送る結果になってしまった。
「ま、いいか」
ポツリと呟き、ハンバーグをまた一口食べる。程よいお灸になることを祈ろう、ガソリンかぶって火をつけるようなものではという考えをすぐさま打ち消した。
そんなことを考えているとパシャリとスマホのカメラの音がした。
「無防備な和泉さんの写真ゲットー!」
「まあいいけどさ、悪用しないでね」
「ちょっとお兄ちゃんに送るだけだからヘーキヘーキ」
無言でこちらもカメラを向けると、嫌がることなくピースした。
「その写真あとで私にも送っといてー」
「ほいほい」
とりあえずその画像を兄妹二人に送る。ついでにだいぶ前に鈴木くんに送ったメッセージを確認するが、返信はおろか既読も付いていなかった。
ハンバーグに手をつけるのをやめ、ぼんやりとそのことを考えていると彼女の声が差し込んできた。
「和泉お姉ちゃんはさ、お兄ちゃんに彼女ができてもなんともおもわないの?」
「別になんとも思わないさ、僕としてはどうしてその考えに至ったのかが気になるけど」
「あれーおかしいなぁ」
多分いつも通りに返せたと思う。先ほどの取り乱し具合は嘘のように、妹さんは落ち着きを取り戻していた。うーんと首を傾げてポツリといった。
「一言で言うならば女の勘?」
「出たな万能武器」
「いやー勝手な考えで悪いんだけど、もしTSしたら絶対お兄ちゃんとくっつくと思ってたからさ」
「なんで?」
「女の勘」
「それが全く当てにならないことが証明されて良かったじゃないか」
あくまで勘ですから、そう言って彼女はニヒヒと笑った。
● ● ●
「和泉お姉ちゃんは髪伸ばすの?」
「煩わしくなるようならこのままにしときたいかな」
店から出て、とりあえず行く先もなくふらりふらりと歩いていた。
「ちなみにお兄ちゃんはポニーテールが好きです」
「また唐突な……」
「と言うわけでシュシュ買いに行きましょうよ!伸ばすとしたらご飯作る時に後ろにまとめるのに便利だし、ファッションにも使えるから買っておいてそんはないですよ!」
その言葉に従って、彼女の後を追う。可愛い物を売っているところにアテがある、そういう情報なら彼女の方が詳しいのは確かだった。
ショッピングモールの一角にその店はあった。ものすごいピンク色の店、TSする前なら絶対に近づかないだろうなぁと言う店だった。中を伺えば何人かお客はいた、大体が学生服を着ている、多分そういう客層に人気がある店なんだろう。
店の前で立ちすくむ僕の背中をポンと押しこみ、妹さんは言った。
「は・や・く・は・い・れ」
「……ここ以外の店はないのかい?」
「ないです、ここが一番可愛いんです」
「あ、たっちゃん」
そんな風に入り口で押し問答を繰り広げていると他から声をかけられた。たっちゃん、つまり田中からとったあだ名なのだろう。そちらを見るとツインテールの女の子がいた。
「あ、ズッキーどうしたの?」
「ちょっと欲しいものがあって来たんだけど、その人たっちゃんがいつも言ってるお兄ちゃん? たっちゃんのお兄ちゃんもTSしたんだね」
「いや和泉お姉ちゃんは私のお兄ちゃんでは無いよ」
「ほえ!?」
慌てふためく彼女を見て、僕は何処か既視感を感じていた。最近同じ様子を何処かで見たような、そんな感じ。
「ねえ、ズッキーってもしかして鈴木って名前から取ってるのかい?」
「うん、そうだけどどうかしたの?」
「さらに尋ねるならば、彼女にTSしたお兄ちゃんとかいたりしない? 陸上部の」
「説明してないのによくわかったね」
彼女が驚きで目を丸くする一方で、僕はああそうかと一人納得していた。彼女はあの鈴木くんの妹なのだ、既視感があったのはツインテールと彼女の面影が彼にもあったからだろう。
「あの、お兄ちゃん知ってるんですか?」
「あぁ同じクラスメイトだからね」
「いつも兄がお世話になっています……」
礼儀正しくお辞儀する、あの兄からこの妹が来るとは驚きだった。
「お兄ちゃんにシュシュをプレゼントしてあげようと思って来たんです、今はツインテールですけどそれがいつも私がやりやすいからでして」
「走るならポニーテールとかの方がやりやすいから?」
「そうなんです、私が気が利かないせいで」
それでツインテールだったのかと頷いた。走るのなら他に適した髪型があるだろうにと思っていたけど、他の家族がやったのなら辻褄があう。
「いや、プレゼントしてあげようと思う時点でだいぶ優しいと僕は思うよ」
そうだそうだと僕の隣で妹がウンウンと首を振っていた。
● ● ●
「シュシュの色、何色がいい?」
「黒かな」
「却下」
あの後、鈴木くんの妹はハワワと言いながら店に突っ込んで速攻で買ってそのまま帰っていった。多分買う色とか見当はついていたんだろう。
「黒じゃダメな理由は?」
「おしゃれじゃ無い」
基準がわからない、正直たくさん種類はあるけれどどれも一緒に見えた。元から女の子にはこれはあり、なしとか即座に判断がつくのかも知れないけれど僕にはつかない。
「おすすめは?」
「ピンク色の」
「却下」
話は平行線をたどっていた。シンプルでいい僕と、是が非でも女の子らしい色をつけさせたい彼女。黒とピンク、イエローが堂々巡りをしている。
「話が終わらないので間を取ろう」
「間ってどこさ」
「あんまり蛍光色は嫌みたいなので青色のシュシュは如何でしょうか」
つっと差し出しシュシュはピンクとかイエローとかよりはだいぶマシに見えた。特に深く考えず返事をする。
「良いと思うよ」
「ここから私の主義の方に落とし込んで水色のシュシュにする」
「それはおかしくない?」
「淡い色の方が可愛いんですよ!!」
つっと差し出されたシュシュは青よりは僕の趣味から外れていたけれど、それでもピンクとかよりはだいぶマシに見えた。
だからこの延々と続くように見えた話が苦痛だった僕は特に深く考えず、これで良いよと言ってしまったのだ。
「じゃあこれ会計して来るんで、和泉お姉ちゃんは外で待っててください」
「いや、僕がお金出すよ」
「これは私から貴方へのプレゼントなので、なら良いでしょう?」
そう言われると僕は断る言葉を持っていなかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
その感謝の気持ちもこの後シュシュの水色を妥協したことで、水色の下着を猛プッシュされることで薄れることを僕はまだ知らない。