金曜日が過ぎるのはあっという間だった。
それは俺が早く土曜日になってほしいと思っていたのか、それとも来てほしくないと思っていたのか、自分でもよくわからなかった。
多分半々ぐらいだったのだろう。
遠足の前日で期待に目を輝かせる子供のように、さりとて天気予報を見ると雨マークが付いてることを知ったような、そんな感じ。
けれども約束した土曜日は来る。集中力がないと担任から叱られようとも、和泉からやけに冷たくあしらわれようとも――これが多分最後のデートになるだろうとわかっていたとしても。
それは至極当然の摂理だった、時間は止まることなどあり得ないのだから。
『鈴木君は君の事が本当に好きなわけではない、それを忘れてはいけないよ』
和泉の言葉が蘇る。
始まりがあれば、終わりは必ず来る。問題の解決が関係の終わりならそれは当然訪れるものだ。俺は鈴木の問題をまだ詳しくは知らなかったけど、あいつがもう少しで解決するといったらそうなのだろう。嘘だけはつかないあいつだから。
だから俺は映画を観に行かないかという彼女――いや彼の言葉に頷いたのだ。偽装とはいえ付き合ったからとか、お願いは断れないとか綺麗な御託ではなく、自分にも少し思い出が欲しいという欲があった。それを否定することだけはできない、だって人間だもの。
問題が解決しなくても、このままダラダラと付き合う関係も良かったのかもしれない。
けれどもここに立ち止まるという選択肢だけは既になかった、それだけは確かに言えるのだ。後になりそれでもいいんじゃないかと思ったとしても、俺に相談した時点で、そして俺が和泉に協力を願った時点でもう、スイッチは押されていた。
これが最後の羽休め場所だったのだろう。渡り鳥が無事に避暑地へ辿り着けるのか、それはまだ誰にもわからない。目の前に暗雲が立ち込めようとも、もう飛ぶしか道はないから。
――それは付き合い初めて二日後、問題解決四日前の事だった。
● ● ●
待つ、ゆっくりと。
町に一つあるショッピングモールの最寄駅、そこを出たところにあるベンチに俺は一人で座っていた。
ちらりと腕時計に目を落とす、時刻は9時40分。約束が10時のことを考えれば十分余裕があった。
映画を観にいくのは特に珍しいことではなく、思い立ったが即行動といく機会はあったけど、それは和泉とか妹とかとであり、こういう待ち合わせをして行くことはほとんど記憶にないことであった。
そういう訳で自分には待ち合わせの勝手がわからない。和泉ならば隣の家だし、遅ければ家に乗り込んでくる。妹は言わずもがな、同じ家。恨むべきは自分のあまりにも狭過ぎる交友関係だった。
帰宅部であるからそれは仕方のないことかも知れない、他のクラスにいく活力はない、幼馴染である和泉が同じクラスにいるなら尚更のこと他にいく必要もなかった。
ふと思う、もし和泉が居なかったらどうなるのだろうか、どうなっていたのだろうか。和泉は何も変わらなく他人とやっていけるかもしれないけど、自分はどうだろう。
どうなるのかという想像すらぼやけてよく見えない、これは少し不味いのかもしれない。交友関係を広げなければいけない、それも早急に。
上を見上げて考える。空は曇天、けれども昨日一昨日とは違い今日は雨が降っていない。
お陰でベンチに座ることができた。微かにひんやりとした冷気が下から伝わってくる。
交友関係を広げると決意したけれど、なかなか目ぼしい相手が見つからない。既に新しい面々との顔合わせも済んでグループが固まり始めて来る頃、そうなるとなかなか難しい。
「お、早いな 何見上げてんだ?」
ぼんやり考えていると声を掛けられた。
待ち人来たる。こんな今の俺に声をかけるなんて、考えるまでもなく一人しかいない。
視線を下ろせば空を見上げている鈴木が居た。一目見て女物の服を用意するまでもなく、TS前の服を使い回してきたんだろうとわかった。いつもと変わらぬツインテールに笑みを浮かべる猫のイラストが描かれたTシャツに藍色のジップパーカー、それに長ズボン。
女の子らしい服装とはいえないだろう、それでも俺にはそれがよく似合っているように見えた。
「いや今来たばっかりだ」
「今来たばっかにしてはジーパンのケツ慣れてるけどな」
テンプレ通りの返し。それにたち上がった自分の尻を指さされ、見破ったりと何処か自慢げに返された。
思わず笑みを零す。何となくいい一日になる気がする、そんな気がした。
● ● ●
待ち合わせが終わり、少し歩けばショッピングモールの映画館に着いた。
「さて、何を見るか」
「なんでもいいぜ、面白ければ」
「それが一番難しいんだよ……」
そう、何の映画を見るかまだ決まってなかった。てっきり映画を見ようというのだから何か見たいものでもあるのかと思ったけれど、そんなことはないらしい。
まるで何かから逃避する為に映画を観るかのように。
見たい映画がないと聞いてとりあえず俺は金曜日のうちに、今やってる映画からいくつかの候補を選んでおいた。
その候補を興味なさげに立ち尽くす鈴木に説明する。
「候補は三つある、一つはアクション映画、二つ目はサスペンス、三つ目はホラー」
「ホラーは却下だ」
「なんでだよ、一番の候補だったんだけど」
一番俺が見たかった物は一瞬で却下された。
あぁ、俺が見たかったTSホラーよ。簡単にあらすじを説明するとおじさん幽霊がTSして、可愛い女の子の幽霊となったことで人を呪う力が増大したという話らしい。
TSモノの映画は増えた。初めはポツリポツリと、それでも次第に数を増やしていった。それがタイムリーであり経験者がかなりの数がいるからだろう。身近な話題だからこそ。ゆえに売れる、当然のことだった。
抗議のために良さを伝えるために言葉を続けようとして、鈴木の目から強い拒否の念を感じて素直に引き下がる。それでも悔し紛れに一言だけ俺は言いたかった。
「……怖い話、もしかして苦手なんですか?」
「!!」
瞬間、目の前に星が散った。
殴られた、それもグーで。思わず俺は膝をつき、揺れる視界の中に鈴木の声が聞こえた。
「俺は別にホラーが苦手なわけじゃない、いいな?」
「は、はい」
何も殴らなくてもいいじゃないかと思いつつ、上気した顔を見てそれを言うのを諦めた。多分ホラー系のやつ本当に苦手なんだろうな、そう心の中にメモした。
「残る二つどっちがいい?」
「田中はどっちの方が見たいんだ?」
「んー、俺としてはアクション映画の方が面白そうだった」
それを聞いて少し考え込んで少しの間の後、人差し指をピンと立てて彼女は言った。
「よし、じゃあサスペンス映画にするか」
「ちょっと、もしかして俺の意見と逆張りしてないですか?」
「お前の趣味と俺の映画の趣味、噛み合わない気がするからな。ついでに母さんからホラー映画を観ようとする奴は信用するなと言われてる」
「そんな今思いついたような言い訳しないであらすじ聞いて判断してくださいよ!」
「でもサメが出るならアクション映画でいいぜ」
「出るわけないだろ!」
なおもサスペンスの方を選ぼうとする鈴木にアクション映画の方の良さを必死に説く。どちらの題材もアメリカと北の王子様のあれそれを描いた話だった、主役を大統領に置くか、工作員に置くかの違い。大統領が大暴れすると聞いて、自分としては二番目に観たい映画だった。
結局、説得に応じてアクション映画を見ることになった。一番の後押しはその主演男優が最後に男を演じた作品になったと言うことだった。
その選択に後悔することを俺たちはまだ知らない。
● ● ●
映画の券を買ったはいいけれど、開演まで少し時間が空いてしまった。ならばと特に目的もなくぶらりぶらりと2人でショッピングモールを散策する。
本屋を通り過ぎ、女の子用の小物を取り扱う店を通り過ぎ、たどり着いたのはゲームの販売店だった。
『あなたも配信者になって見ませんか?』
そんなキャッチコピーが素足が眩しい現実の配信者の裏で踊っていた。たしか元祖TS配信者だった気がする。
ゲーム屋にはよくあるポスター、多分TSした人を狙い撃ちしたものだろう。
俺が配信したところで需要があるとは思えなかった、悲しいことに俺はイケメンではないから。ポスターをぼーっと眺めていると鈴木の声が聞こえた。
「田中はこう言うゲームやんのか?」
そう言って指差しているのはシリーズ累計10本以上出ている有名国産RPGだった。名前は知っている、けれども首を横に振る。
「いや、全然やらん」
「そうか」
そう言うと興味なさそうにパッケージをその棚に戻して、他の棚に目を移した。
「俺も昔はやったんだけどなぁ、しばらくやる時間がなくてそれからそのまま。まあやる時間は出来そうだけどもう最近のゲームについてけなさそうだ」
「へぇ、どういうゲームが好きなんだ?」
「RPG、コツコツとやった分だけちゃんとメリットが返ってくる」
才能など必要なく、時間さえかければ誰だってクリアできる。だから好きだと彼女は言った。
「苦労には対価があるべきだ、わかるだろう?」
「わからなくもない」
叶うかもしれないものに労力は掛けたくない、誰だって当然のことだろう。
その言葉をきいて一つ頷き、どんどん彼女は先に進んでいった。ゲーム屋に来たのにゲームを確認することなくただ真っ直ぐに進んでいく。慌てて俺もその後を追っていった。
RPG、RPGね。そう考えてそのいいところを1つ思いついた。
「セーブしとけば間違えても鍛え直してやり直せるしな」
「ハッ違いないね、まったく現実にもつけて欲しいよセーブ&ロードを」
立ち止まった先はゲーム屋の一番奥、そこで道は終わり袋小路だった。そこにあるゲームを確認することなく振り返り、彼女は言った。
「そろそろ時間じゃないか?」
「……今から戻ったらちょうどいいぐらいだな」
「じゃあいくか」
足並みはやっぱり揃わない、わざと合わないようにしてるのか俺には分からなかった。