「なあ」
「ん?」
「俺も素手で大根を桂剥きできるようになれるかな」
「無理だと思うよ、俺は」
どこかぼーっとした様子の鈴木を見て、また似合うようなヘアピンを見繕っていく。
天才高校生マジシャンと銘打たれたポスターはあったけれども自分の知らない人であり、鈴木に聞いてみても、知らないと首を振った。
ふーんと相槌を打ちながらそのポスターを見て思ったことは、さっきの店員さんと顔が少し似ているようにみえる――それぐらいだった。
だから大して期待するわけでもなく、それはぞろぞろとステージの前に集まってきた人たちも同じだったのだろう。
席はギリギリ全部埋まった程度で立ち見も無く。手品に期待してるのか、はしゃぐ子供の声が少し大きく聞こえた。
それをマジシャンと呼ぶにはやってることが少々奇抜すぎた。
それは俺がマジシャンを手品師という捉え方をしているからで、奇術師と見たならばまさに正鵠を射抜いた言葉なのだろう。
やったことは至極簡単、大根を素手でバラバラに分解してくことだった。その奇術のクオリティの高さに舌を巻きつつ、素直に拍手を送った。
見る限り観客からの評判はかなり良いもののようで、子供達がおもしろかった! と素直に自分の気持ちを表してるのを見ながら俺たちはステージを後にした。
「あれが同じ高校生とは思えないよ俺は」
「別にあいつと比べても仕方がないと思うけどな」
映画前よりは歩調が合っていたけれども、それでも自分はなぜか前より距離感を感じている。
彼女はこちらを向きながら歩いている、それに少しの違和感を感じてふと気づいたのだ。
彼女はこちらを見ているのに、こちらを見ていない。
矛盾してるようでも胸中に浮かんだその言葉が一番的を得ているように自分には思えた。多分、何か他に考え事をしているのだろう、けれどもそれが何かとこちらがうかがい知れる術はない。
だから俺は前を向いて歩いていた、そのなんとも苦い現実から目を逸らして歩いていた。多分それは和泉がいった俺にいうべきでないと判断した問題についてなのだろう。
『前髪を止めるようなヘアピンが欲しいな』
どうしようもない無力感の中、今はマジックショーを終えたふらふらと彷徨っている途中にふと漏らした言葉に従いこの店に来たのだ。
何度か来たことのあるピンク色が目に優しくない店、妹に嫌々引っ張られながら来た経験がここに生きるとは思わなかった。
「あれほんとに大根だったのかなぁ」
「前に呼び出された時少し齧ったんだろ? 大根の味はしたか?」
「……めっちゃ辛かった」
「そりゃそうだろうな、なら大根だったってことだよ」
俺のその答えを聞いて何が面白いのか、彼女はふふっと笑った。
「何か面白いことでも?」
「いや別に、うん。なんでもないんだ」
「変なの」
映画の話をして、手品の話をして、悲しいことに自分の話の種は尽きかけで。無言で良さそうなものを見繕っていく。肝心の鈴木はというとこういう店に来たことがないのか、興味深そうに周りをキョロキョロとしていた。
「よくこういう店に入ろうと思ったな、元から知ってたのか?」
「妹と来たことがあったからな……こういうカエルをあしらったものはどうだ?」
「リアルすぎて気持ち悪いわ、せめてもっとデフォルメしたやつにしてくれ」
間髪入れずに第二候補のリアル路線から離れたものを差し出すと彼女はうっと呻いた。
「なんでそんなカエルばっか出してくるんだよ、好きなのかカエル?」
「いや別にそんなことないけど」
そう言って首を傾げる、俺はなんでこんなにカエルを推してるのだろうか?
「強いて言うなら、季節感的に?」
「なんでだよ、女子っていうのは季節ごとにヘアピンを変える趣味でもあんのかよ」
「ハッ、カエルを変えるってな」
糞つまらないギャグに対して放たれたツッコミをすっと一足引くことで回避する。
「うーんなかなか難しいな、なんかこれが良いとかないの?」
「俺はシンプルな黒い奴でいいと思うけど」
「そんなことをするなんてもったいない! 素材が良いんだからそれを活かさなきゃ」
素っ気なくふんと鼻を鳴らして、彼女もようやく俺が見ている棚に向き直った。TSしたら世の中全員が全員自分の容姿に気を使うと思ったのに、彼女はそんなことないらしい。
「とりあえず3つぐらい買ってそれを使う回す感じでいいだろ」
「1つでよくないか?」
「無くすだろ、絶対。本当は7セット買って曜日ごとに使いまわすのがオススメなんだが……」
「うわ、面倒くさ」
慣れる慣れるといいながら、適当に見繕っていく。結局第二候補としてあげたカエルのものと、シンプルな赤いものと青いものを選んだことをここに記しておく。
● ● ●
駅のホームに電車が滑り込んでくる。
ヘアピンを買ったところで俺たちの目標は消失して、帰るかという提案に断る理由もなく、駅のホームへとやってきた。
来た電車は俺たちが行きたい方向と逆方向に向かう物で、駅名を告げる音をなんともなしに聞き流していた。話すことがないなと思いつつ、電光掲示板を確認する。何度見ても五分後、それを確認して鈴木の方をみやる。
彼女はぼんやりと買ったヘアピンを眺めていた。
「田中は将来の夢なんかあるか?」
唐突な質問が飛び出した。その質問に驚いたわけではないけれど、特に夢というものもなかったので言葉に詰まる。
「うん、まあなんだろうなぁ」
「無いのか?」
無い、というのはなんとなく悔しかった。
「正しい意味で彼女を作ること」
「それは夢じゃなくて目標だろ?」
「違うのか?」
「違うだろ、んーなんていうか目標っていうのは夢を叶えるために必要な過程みたいなもんだ。それをいくつも積み重ねて実現するかもわからない夢を目指してくんだよ」
それともお前は彼女ができっこない絵空事だと思ってるのか、そう聞かれて俺は首を横に振った。
「ならそれは夢じゃないんだよ、目標さ」
「と言われてもなあ」
そう言われると俺は返す言葉もなかった。
夢、夢ってなんだろうか。TSしたいというのは受動的に叶えられる夢だから真っ先に消していた。そうするとなかなか見つからない、ぼんやりと見下ろす線路は砂利ばかりだった。
「そこら辺に夢が転がってないかな」
「転がってるはずないだろ」
「じゃあお前はなんか夢があるのか?」
沈黙、答えは帰ってこない。
聞いといて自分も夢がないじゃないか、そう言おうとして口を噤んだ。
「無い」
そう言ってホームの最前列で待っていたというのに、ゆらゆらと前へ進んで黄色い線を踏み越えた。
「おい」
「
黄色い線の外を歩かないように、そう放送が流れているのが耳に入ってきて、警笛を鳴らしながら電車が近づいてくる。それが彼女の耳に入らないのか、さらにギリギリへと進んで行く。
「だからここが」
それからそれから――
警笛が鳴っている。
「おい、大丈夫か?」
目の前に鈴木が居た。
心配そうに顔を覗き込まれている。周りを見渡すと場所に変わりはなく駅のホーム。少し震える手で額の汗を拭う、来たはずの電車はまだやって来ていない。
白昼夢だったのだろうか? 電光掲示板を見上げると次の電車は五分後で、後ろを振り返れば丁度電車が発車するところだった。
「本当に顔色悪いけどどうしたんだ?」
「めっちゃ可愛いなと思って顔に見惚れてた」
呆れたようにため息を吐かれても、それですら少し安心だった。気まずい沈黙、一先ず俺はこのホームの淵から少しでも離れたかった。
「ちょっと気分が悪いからベンチの方行かないか?」
「やっぱり調子が悪いんじゃねえか」
そう言いながらも俺の背中をさすりながらついてくるのは、彼女なりの優しさなのだろう。
「さっきなんの話をしてたっけ?」
「なんだったか。なんも話してなかったと思うぞ、急に顔を青ざめて立ち止まったところで記憶が吹っ飛んでるからよくわからん
あー飲み物な、コーヒーでいいか?」
「それでいい、ありがとう」
コーヒーと引き換えにその金額分渡そうとすると、彼女はいらないと首を振った。その言葉に甘えて震える手でプルタブを開けた。
一気に胃に流し込んで行く、ブラックコーヒーの苦さが今はありがたかった。今はとにかく冷静にならなければならない。
白昼夢というものには絶対に理由がある。白昼夢は妄想の塊である、俺は妄想の中に一瞬溺れた。
自分が組み立てた情報の中で見るからこそ、途中までの出来事が絶対に起こり得ないとは俺には言えなかった。
俺が警笛を起点にそういう妄想をした、つまりそう思えるだけの仮定を既に組み立てている。
TSした事により鈴木は陸上を諦めた。
白昼夢という情報の集積の結論から読み取れた事は詰まる所これだ。それに気づいたのは多分あの映画のおかげだろう。
TSする前に最後の主演となった彼、あれはTSして夢を挫折するということをはっきりと気付かされた。
まさか本当に死ぬとは思えない、これは妄想の飛躍だろう。悪い夢は悪い方向に進んで行く、より悲観的に絶望的に。
ここまで考えて気づいた。
これは鈴木が抱える問題ではない、結末の話だ。
付き合ってくれというのはその陸上を諦めるという話に直接関わってくる話ではない。全く別方向に向いたベクトルの話だ、つまり――。
警笛が鳴らしながらホームに電車が滑り込んでくるも、今度はホームの淵に鈴木は居ない。彼女は未だに無言で背中をさすってくれている。
「いけるか?」
「さっきよりは全然マシだ」
そう言いながら思考を打ち切った。いずれにせよ和泉の協力もあってその問題が解決に向かってるのだから、深く考える必要はないだろう。
だから俺は話の矛盾点に気づかなかった、気づいた時には遅すぎた。