前の日に比べれば特に何事もない日曜日を終えて、やってきた月曜日の朝のこと。
和泉には先に学校に行くと断りの連絡を入れて、俺は一足先に学校に向かっていた。
日頃の登校時間に比べれば格段に早い時間、だから無理に付き合わせるのは悪いと思った。
なぜ早い時間にしなきゃいけなかったのかと言えば、理由は妹にあった。
簡単に言えば自分が妹の追求から逃げ続けているからで、朝の食卓が非常に居た堪れない空気になってしまうからだ。
そうなるのが嫌で俺はそそくさと逃げ出したのだ。
まあ一番手っ取り早いのは説明する事なのだろうけど、そうしたらしたでどんどん説明は増えていくのは見えていた。
故に逃げる。
朝靄たちこめる登校路。学校に近づくにつれて朝練に取り組む運動部の声が大きくなってくる。
憂鬱な月曜日が始まると分かっていたとしても、俺にはそれをただ受け入れることしかできない。
なんとなくそんな悲壮な決意を固めつつ、昇降口へ向かう。まだ人影は殆ど見えなかった。
流石に少し早すぎただろうかと思いながら下駄箱を開けてみると、真っ白いものが目に飛び込んできた。思わずほぅと息を吐く。
それは小さく折りたたまれたルーズリーフだった、金曜日の帰るときにそんなものが入っていた記憶はない。
下駄箱に手紙とシチュエーションと来たら、もうそれはラブレターに違いない。安易な決めつけであるけれども、俺にはとりあえずそうと考えた。
ラブレターは感情を押し付けるものである、というのは和泉の持論であり、ラブレターと言うものを貰ったことない自分からしてみればよくわからないけれども、まああいつみたいに大量に貰っていれば、そう思うのも無理はないだろうと俺は思っていた。
そんな俺にもとうとうラブレターが届いたのだ。
遅すぎる、既に偽りとはいえ鈴木という彼女が出た後にとは。
もう少し早ければなと思いつつ、とりあえずその裏表を見て名前がない事を確認した後。俺は手でそのルーズリーフ弄びながら、どうするか悩んでいた。
二つ、理由がある。第一に中身を確認したくないという個人的な感情、それはさておき二つ目の理由である。
ラブレターとはルーズリーフで済ませる様なものなのか? そういう疑念である。
あまりにも雑すぎる、こういうものは便箋を封筒に入れて送り出すものでないのだろうか?
何はともあれ開けずには始まらない。
えいやっと広げて、目を細めながら中身を確認する。
『放課後、体育館裏に来い』
そう可愛らしい字で書いてあった。
来い、となぜ命令形なのだろうか? 少し考えるも答えは見つからない。
「何突っ立ってんのよ」
「ん、おはよう」
振り返るまでもなく、委員長だと分かる声。
いつか遭遇した時よりもっと早い時間。何か用事があったのか、それとも前が少し遅い時間だったのかわからないけれども、今日はこの時間に来たらしかった。
「随分早いんだな、いつもこれぐらいに来てるのか?」
「いつもは前の木曜日と同じぐらいの時間よ、それよりあんたが早く来てる方が珍しいじゃない」
「考え事があってね」
「奇遇ね、私もよ」
そうかと適当に返しながら、すっと見えない位置にその手紙を隠す。
「……今何か隠さなかった?」
「……いや何も、気のせいじゃないか?」
「ならいいけど」
幸いにしてその行動には気づかなかったらしい、一人ほっとため息をつく。最近の委員長の傾向からして、見つかると無駄にせっつかれる気がした。
ふと気づく、何で俺はここで立ち尽くしているのだろう。手紙のことを考えてたとしても、ここでぼーっと立っていたら誰に見られるか定かではない。
特に待つ人もいないし、委員長に対して特に話すことも見つからないので、自分は大人しく教室に向かうことにした。
「じゃあまた後で、委員長」
そう一声かけて、先に行くことにした。
人影はなく、廊下に一つだけ自分の足音が響いている。偶にならばこういうのも新鮮でいいかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、途中で他の慌ただしい音が混ざってきた。
後ろを振り返れば委員長が駆足で追いかけてくるのが見える。
「なんか急いでるのか委員長?」
「委員長って呼ぶのやめなさいって言ったじゃない。あんたに用があるのよ」
「俺? 自分は特に用はないんだが」
「あんたになくても私は用があるの」
特に振り切る必要もなく教室に向かって一緒に歩いていく。用があると言ったのに、委員長は口を開かない。
こう言う細かい間合いの取り合いが自分は好きでは無い。しょうがないと思いながら、俺は言った。
「で、俺に用って何のこと?」
「……うん、よし」
何がよしなのかわからないけれども、一度深呼吸をしてようやく話を切り出した。
「じゃあズバッと聞くけど鈴木君と付き合ってるって本当?」
なるほど、そう心の中で呟く。
「何でそう思った?」
「内田君に鈴木君と付き合ったって言った時、その直前に彼女ができたことないって私に言ったわね?」
「言ったな」
「じゃあ何で内田君と私と言ってることに差があるわけ?」
当然の疑問だなと思った。だが、それに対する答えはもう準備してある。
「そりゃバレてないのなら無駄に言う必要もなかったからな、誰とも付き合ってないと周りに思われてなくても、付き合ってることに変わりはない」
「なるほどね、じゃあ何で鈴木君と付き合うことになったの? どっちから告白したの? どこが好きなの?」
流石にそこまで細かくは詰める時間もなかったのだから、俺が言葉に詰まったとしても仕方のないことだろう。
それを見ながら委員長は言い放った。
「今回も嘘をついたのね」
「え?」
「はぁ、もういいわ。多分いい方向に向かうようにしてるんでしょうし、わたしはもう口を挟まない」
それじゃといって委員長は先に走って行った。自分たちの教室を通り過ぎてその先へ。
多分、彼女も部活で何かやってるのかもしれない。俺は苗字も委員長が入ってる部活も知らないけれど。
言いたいことだけ言っていったなぁと思いながら、俺は教室に入った。とりあえず考えたいことは下駄箱に入っていた手紙の対処だった。
名前が書いてない以上、行くか行かないかの判断しかできない。筆跡鑑定をする技術も時間もないのだから。
鞄を自分の机に放りなげて、一人っきりの教室でやることもなく校庭を眺める。
朝練をする運動部の姿は見えたけど、その中に鈴木の姿は無かった。
「置いていくなんてひどいじゃないか……」
俺が教室に入ってから数分後、何を急いでいたのか、息急き切って和泉が教室に飛び込んできた。
● ● ●
「最近、君は二股してると疑惑を建てられてるらしいね」
「なんでだよ、鈴木は確定としてもう一人は誰なんだよ」
「もう一人は僕だとさ」
そう呟いてふふっと和泉は笑い声を上げた。何故か少し嬉しそうで、けれども何が嬉しいのか俺にはさっぱりわからなかった。
結局二人とも普段より早く来るという結果になってしまっていた。
別に迷惑ではないのだから、そんな思い遣りはいらないとぴしゃりと言われた後。特にやることもなく前後の席で向き合って、最近の出来事について話していた。
「そう見えるもんかなあ」
「周りの目線と自分の目線が同じとは思わないということは大切だよ、特に君は」
「それ俺がおかしいって言ってるみたいじゃないか?」
「その自覚はなかったのかい?」
ないに決まってるじゃないか。しかしまさか和泉からおかしいとは言われるとは思っていなかったから、思わず言葉止める。
ごく一般的な高校生である、そう自覚してるし成績も普通だ。どちらかといえば和泉の方が普通の枠から外れてるのは誰から見ても明らかだろう。
「まあ君がそれを自覚することは一切ないだろうけどね」
「そりゃ普通だからな。普通のやつが異常に気がつくはずがない、だって普通だから、異常がないから」
「自分の行動をちゃんと振り返ってそう言えるかい?」
「言えるよ、胸を張ってね」
何かを考えているのか、和泉は目を細めながら上体をゆらゆらと揺らしていた。
「……まあいいか、それで土曜日はどうだった?」
「映画見て、ご飯食べて、マジックショー見て、鈴木のヘアピンを買った」
「……」
無言。先程の機嫌はどこへやら、一気に不機嫌ムードに突入したことを察知した。どこで地雷を踏んだのだろうか、マジシャンに何か恨みでもあったのだろうか?
確かに大根を取り出した時に大根役者じゃないですよーと言ったのには俺も殺意が湧いたけれど、和泉はそのことを知らない筈だろう。
「あー和泉さんや、1時間目の授業はなんだったけ?」
「……現代文」
「サンキュー」
一時的撤退。理由がわからない以上、下手に藪を突くのは危険である。無駄に時間をかけて机の上に教科書を並べて時計を見る。
やはりまだまだ時間がある。まだ周りにはちらほらとしか人が居ない、こういうところで朝早起きしたつけが回ってくると思っていなかった。
諦めて和泉の方を向き直ると、つーんとそっぽを向いていた。
「映画で思い出したんだけど、映画で面白そうなの見つけたから今度見に行かないか?」
「……そういうところだよ」
「え?」
「こう話してるとことか、そういう提案するから二股って勘違いされるんだよ」
そうは言ってもTSする前からこういう付き合いだったし、それでそう思われたのならもうどうしようもないじゃないか、そう思った。
何よりちゃんと約束を自分は覚えていた。
「でもまあ、約束してただろ? TSしても縁は切らないって」
「律儀だねえ」
「当然」
二股と蔑まれても仕方ないだろう、けれどもそれを辞める訳には行かないのだ。約束、そういう大義名分がある。
その行動を取ったって迷惑を被るのは自分だけだから、ならもう心配する必要はないのだ。
縁を切らないという事は、
「映画を見に行くことは別にいいよ、週末の予定は確認しておく。そういえばどんな映画なんだい?」
「TSホラー映画」
「行くって言わなければ良かったよ」
そう言いながらも、その言葉が喜色に染まっているように見えたのは俺の気のせいだろうか?