今年中に纏めたい、後8話ぐらい?
ここは体育館裏、さっきまで話してた彼女はもう居ない。
やる事もなくぼんやりと手鏡を覗き込む。
ここにあちらの声はほとんど届かない。それでも雨音と、風に紛れて微かに聞こえてくる怒声が、僕の目標は殆ど達成したことを伝えてくれた。
鏡の向こうの僕に向かって微笑みかけると、同じ笑みを返してくる。いつもと変わらない笑みがそこにはあった。
「これで元通り」
その声を聞くものは誰も居ない。
● ● ●
「それじゃあ和泉、また明日」
「また明日」
ひらひらと手を振り返す。
部活に向かう者や家に帰る者、それぞれが待ち侘びた放課後がやってきた。
それは僕にとっても同じこと。この話の着地を決める時がやっと来たのだ。
彼の後ろ姿から視線を切り目的の人物、緑のジャージを着た彼女に声をかける。
「ねえ、鈴木君」
「……なんだよ」
帰る準備を中断して露骨に嫌そうな顔を向けてきた。何故だか知らないけども僕のことを快く思ってないらしい。
まあ僕としては彼女に嫌われようと痛くも痒くも無いのだけれども。
「放課後、暇だろう? ちょっと用事に付き合ってくれないか?」
「暇だけど、俺はいいや」
「なんでだい?」
「くだらなそうだし、お前は何か怪しい」
酷い言い様、けれども冗談ではなくいたって真面目にそう思っているようだった。
ただここで「はいそうですか」とすごすごと引き下がるわけにはいかない、この詰めを誤ったら一転こちらが窮地に立たされることになる。
けれどもここで失敗するヘマをする程、僕は馬鹿ではなかった。
元から出す予定だった一手がある、これに絶対の理由があるからこその計画だった。
彼に一歩詰め寄り、耳元でそっと囁く。
「実は彼、今日告白されるらしいんだ」
「……彼って誰だよ」
とんと軽く体を押され距離を離される。興味なさそうな口調、けれども手応えはあった。
勿体ぶりながらもう一押し。
「彼って言ったら、もう田中君しかいないだろう?」
だから彼がそれにどう答えるのか、見にいこうじゃないか。
その呼び掛けに対する答えは聞かれずともわかっていた。
● ● ●
「っていうかなんでお前、田中が告白されること知ってんだよ」
彼の後を追って二人仲良く体育館裏へ向かう途中のこと。二人で行動してはいるものの、対して仲良くもないので会話もなく、それに耐えかねたのかそんなことを尋ねてきた。
「それはともかく君が僕のことをお前って呼ぶのやめてほしいんだけどね」
「そうか、なら下の名前で呼ぼうか。たしか……」
「和泉君って呼んでくれるかな?」
一言、しっかりと釘を刺す。
その言葉に僕の拒絶する意思を感じたのか、彼女は黙り込んだ。
「……話が逸れてた、なんで和泉はあいつが告白されること知ってるんだ? あいつ自分でそんなことペラペラというようなやつじゃないだろ?」
「よくわかってるじゃないか、彼のこと」
まあ君との付き合いが嘘だってことは速攻でバレてしまったのだけれども、そう心の中で舌を出す。
それは僕と彼との関係性だからこそだろう、何があったのか尋ねれば嘘をつくことは殆どない。
ただ今回の話は別に彼に聞くまでもなく僕も知っていた、そうなることを予期していた。
「情報源は秘密、女の子は誰しも秘密の一つや二つ抱えてるものだよ」
「お前ももともと男だろうに……」
「まあね、でも君にも人には言えない秘密の一つや二つあるだろう?」
「……あるわけないだろ」
真っ赤な嘘じゃないかと肩をすくめる。
体育館裏に入るために校舎側ではなく、わざわざ遠回りをしてグラウンド側から回りこむのが今になってめんどくさくなりつつあった。
そうしなければ彼と鉢合わせする可能性があるからとはいえ、めんどくさいものはめんどくさい。
それは多分、もう一人連れ添ってる相手が鈴木君だからこそだろう。話す話題も無く、彼に対する好感度も殆ど無に等しいというのに、この無駄な時間はひどく苦痛だった。
これが彼ならと夢想するも、それもまた無駄であった。
僕の不機嫌さが伝わったのか、それとも話す話題が尽きてしまったのか、互いに無言のままようやく体育館に辿り着いた。
こっそりと体育館の脇へと入り込む、当然のことながら人影はない。
「それでどうするんだ? 俺たちが堂々と告白するところを眺めるわけにはいかないだろ?」
「こういう時のために手鏡があるんだよ」
えっ、と声を漏らす鈴木君をさて置き、ポケットの中から手鏡を取り出す。痴漢の盗撮道具として時たま人間の屑に使われるもの、まあ僕はそんなことには使わず、簡単に身だしなみを整えるために使ってるのだけれども。
僕としてもこんな風に隠れて監視に使うのは初めてのことだった。
「鈴木君は手鏡持ってないのかい?」
「いや持ってて当然みたいに言うなよ……」
「持つべきだよ、僕は男の時から持ってたよ?」
「確認するならトイレ行けばいいだろうが」
多分それが世間一般的な男の考えなのかもしれない、彼も確かおんなじことを言ってた気がする。
おかしいのは僕なのだろうか? そんな考えを頭の片隅に追いやりつつ、手鏡で体育館裏を映し出した。
「……あいつ、いないじゃないか」
鏡に映し出されたのは知らない女子二人だった。
どうやら先客がいたらしい、食い入るように覗き込む彼女を無視して一旦鏡をしまい込む。
「もう少し時間がかかりそうだね」
「それ本当なのかよ……実はガセだったりするんじゃないのか?」
「それはない」
「実はお前、俺に告白するため二人っきりになれるここに連れ込んだとか?」
「あるわけないね」
僕の鈴木君に対する好感度がマイナスに突入しかけていた。それもまあ致し方ないことだろう。
「でもまあ時間が空いたし、少し話をしようか」
彼では無く、他の女子が場所を取っていたのは予想外の事態だった。だけどもただじゃ転ばない、彼の登場が少し遅れそうなのを逆に活かす。
彼と鈴木君が付き合ってから、僕との会話は極力避けていたし、避けられている気配があった。いつまでたっても既読のつかないメッセージからもそれは分かっていた。
だけどもいまならば彼自身で言った通り、期せず二人っきりなることができたのだから。
「まず鈴木君、彼と付き合ってると言うのは嘘だろう?」
躊躇いなく、僕は一直線に切り込んだ。
● ● ●
少しの硬直、彼女は大げさにため息をついてみせた。
「何を言うかと思えば、付き合ってるのは本当だ」
そう言いながら額のヘアピンを指差した。
「土曜日に田中と映画見に行った、その後にこれをあいつに選んでもらって買ったんだ。それでも嘘だと言うのか?」
「ああ、とびっきりの彼を縛る最低な嘘だね。映画に行ったのは本当だろうさ」
「偽装カップルだって言いたいのか?」
首肯、苦笑いする彼女に僕は問いを積み重ねていく。
「そもそもどちらが先に告白したんだい?」
「……俺があいつに告白した」
「TSしてすぐに? 拒否感はなかったの? そもそも彼のことが好きだったのか? 彼のどこが好きなんだい?」
「それに俺が答える義務はないね」
ああ無いだろう、けれどもここで一つネタバラシを彼にしてあげるとしよう。
「実はね保健室での君と彼との会話、僕も外から聞いてたんだ」
バツの悪そうな顔を浮かべ、彼女はぽつりと呟いた。
「……あれが聞かれてたか」
「君が彼に背負われて保健室に運ばれてるのを見たからね、たまたま聞くことができた」
「なるほど、じゃあなんで俺に聞く必要がある? もう答えを知ってるじゃないか、それをなんで俺に聞いた?」
彼の顔に浮かぶ感情は困惑一色だった、分かってることを何故聞くのか、全くわからない様子で。
僕としてはまさに否定することを期待していた、その否定を僕が聞いた事実で叩き潰すことで足がかりが出来る。
「僕は許せないんだよ、君のことが」
「何が許せないんだよ、田中と付き合ったことか? まさか和泉も田中と付き合いたかったのか?」
冗談まじりの彼女のその言葉に、ゆっくりとかぶりを振る。
「僕が許せないのはね、彼と付き合ったと嘘をついたことではなくて、彼を使ったことが許せないんだ」
「使う? 何に?」
「彼を陸上部を辞める理由として使うことさ」
今度こそ彼女は口を噤んだ。
それは彼女が彼に言わなかったことであり、一番の弱みであると分かってるからこそ。
「自分は女子として満足して生活してます、陸上部に悔いなどありません、それを示す為に彼と付き合う事にした」
けれども未練があるのはバレバレで、そのせいで内田君は必死に足掻いてるのだけれども。
「君は多分、まだ彼に偽装カップルの理由を言ってないだろう?」
「……」
「それにはちゃんと理由がある。彼がそれを聞いてお節介を焼こうとも、介入しようとしても辞める気持ちに揺らぎはない。けれども、もし陸上部をやめる為という理由を知ったらどうなるか」
「……」
「彼はその一端を自分も担いだと知って自分を責めるだろうね、どうして気づかなかったんだ……ってね」
けれども最初から最後まで自分が明かすことなければ、それを彼が知るすべはない、そういう訳。
ならば初めからそれに彼を巻き込むべきではなかったのだ。すっぱりと辞めると顧問に伝え、友達思いのお節介な二人とも話し合いで決着をつけるべきだった。
それができなかったのはTSした後、平静さを失った故にだろうか、無理だと諦めたところに周りからせっつかれて爆発してしまったのかもしれない、それで極めて婉曲的な方法をとる事になった。
まあ僕にはもう関係ない話なのだけれども。
ついでに言えば彼に偽装カップルの理由を言わなかったのは何故か、もう一つ意味があると僕は見ていた。
彼だけでも自分の気持ちも知らずにズカズカと踏み込んで欲しくなかったのだろう。
ごく普通の会話をして、ごく普通の関わり方をしてくれる彼を、彼女は失いたくなかったのかもしれない。
もしそんな彼を内田君が藁を掴むように、頼ることがあったのならば、その場面を鈴木君が見てしまったのならば。
それは最善とはいえない解決の仕方かもしれない、けれども一つの決着であるのは確かだった。
「そういえば前、君の妹がシュシュを買ってるの見たけれどそれは着けないのかい?」
返事は、ない。