クリスマスプレゼントです(暗い)
知っているに決まっている、俺が知らないはずがない。
「知ってるさ」
「じゃ、説明する必要はもうないね! そこでお兄ちゃんに頼みがあるんだけど」
「……俺はもう動かないよ」
「なんとかそれを止めようと、今なんて言った?」
妹は何があったのか知らないのだ。
その前に同じような俺への頼みがあった事を、それをあいつ自身がバッサリと切り捨てたことも。
話の途中で遮られ、面食らった顔をした彼女にもう一度告げる。
「鈴木の陸上部の問題に関して、俺は口を出すことはできない」
鈴木妹にここまで足を運んでもらって悪いけれども。その彼女はといえば雲行きがあやしいことに気付いたのか、グラスを手に抱えたまま、ピタリと動きを止めていた。
妹に視線を戻せば、驚き、そして少しの怒りの感情がぐるりと巡って最後に残ったのは疑問だったらしい。妹は困惑しつつもそれを口に出した。
「どうして諦め、いやこれは違うな……なんでお兄ちゃんはそう結論付けたの?」
もう動かないと決めていたのだ、俺にはこの状況を好転させる可能性があるとは思えない。
「ただあいつの出した答えがこれだったから、俺はそれを尊重するだけだ」
「……らしくない、それはらしくないよ。お兄ちゃん」
そんな呟きに答えを返すことなく、ただ次の言葉を待っていた。けれども妹は目まぐるしく頭を回転させているのか無言のままで、カチカチと時計が進む音だけが響く部屋で沈黙を破ったのは妹でもなく、俺でもなかった。
「あのー、たっちゃんは少し勘違いしてると思うんですけど」
「あれ? 私なんか間違ったけ?」
「はい……私達の兄妹の話で私が頼むんだから、私が話さなきゃ。だからちょっとだけ待っててください」
そう妹にはっきり言って、こちらへ振り返る。
「どこから話しましょうか、最終的なお願いだけをいうなら一瞬ですけど」
ちょっと拙い話になるかもしれないが聴いてください、そう前置きしてすうっと一息吸い込んだ。
「鈴木 春は私の憧れであり、理想のお兄ちゃんなんです。たっちゃんにとってのお兄さんと同じように」
「ちょっといきなり何言ってるの!?」
「え? でも結構自慢してるじゃないですか」
俺のどこを自慢すると言うのだろうか?
それでもその言葉は正しいのか。何気ない台詞は妹の琴線に触れたらしく、ぷくーっと頬を膨らませて妹は彼女へ襲いかかった。
妹が鈴木妹をくすぐり倒すのを眺めながら、いつも学校ではこんな感じなんだろうかと、中学校での妹の姿を幻視する、あまり大差がないのは良いのか悪いのか。
一通り懲らしめて満足したのか、心なしか先程より頰をツヤツヤになりつつ、妹は犠牲者を放置してベッドに潜り込んだ。
「ひ、酷い目にあいました……どこまで話しましたっけ」
「自慢の兄だとしか聞いてないけど」
「そうです、自慢の兄なんです!」
くすぐり攻撃で息も絶え絶えに机に伏せていても、その言葉にはしっかり食いついた。
「いつも明るくて、速くて。子供の頃、私はずっとお兄ちゃんといました。小学校ぐらいの頃まではだいたい外で遊ぶのを好むじゃないですか。私が運動神経が悪くて足が遅かったとしても、必ず合わせてくれるんです。自分はずっと早く走れれるのに、ずっと先に行けるのに」
懐かしい記憶、しかし幾度となく思い返した記憶なのだろう。先ほどとは打って変わって吃ることもなく、俺は聞き惚れていた。
「今でもあの懐かしい鬼ごっこをたまに思い出すんです。兄の後を追いかけて仲間に入って、案の定年の差もあり、足の遅さもあり、私が鬼になるのは決まったことでした」
「そうしたら鬼の私にお兄ちゃんが近づいてきて言ったんです『俺が鬼を代わってやる』って」
周りから見れば理不尽の極みだと思いますけど、そう言ってくすりと笑った。
「そして鬼を代わったお兄ちゃんがあっという間に捕まえて、そしてまた私が鬼に代わって、それを兄に代わって、また捕まえる。そんなことがあってからしまいには私を狙ってはいけないと言うふうになって、あの頃お兄ちゃんから逃げ切れるような子はいませんでしたから」
「そうなれば私も察するんです、私の居場所はここじゃないんだって。私がいてもいなくても変わりはないんじゃないか? いても他人に縛りを付けるだけじゃないかって。あるときから一転して室内で遊ぶようになったんです」
「すぐにお兄ちゃんに聞かれました、『なんで外にこないんだ』って。私がいくとみんなが、そしてお兄ちゃんが楽しめないから。そんなことをいうとふーんと言ってすぐに引き下がりました。
これで一安心だと思いました。私がお兄ちゃんと遊べないことはほんのちょっぴり寂しいけど、それでもその分みんなが楽しめると」
一気に話して疲れたのか飲み物を飲もうとするも、グラスはすでにからだった。彼女は後ろを振り返り、ベッドをポンポンと叩けばのそのそと妹が這い出てきて、オレンジジュースを注いでまた戻っていった。
やはり俺のグラスに注がれる気配は全く無い。
暗い話だと思う、けれどもその言葉の内容に反して悲嘆の色は一切なく、その理由はすぐに明かされた。
「それでもお兄ちゃんはよく遊んでくれました、外ではなく、屋内でです。雨だからとかそんな理由ではなく、ただ私と遊ぶだけに、わざわざ遊ぶ誘いに断ってまで、自分も外で遊びたいだろうに」
「だから私はお兄ちゃんに甘えてしまった、そして私の分まで背負わせてしまったんです。私がいくら鈍臭くとも私の分までずっとずっと速く、速く。お兄ちゃんならどこまでも行けると信じてたんです」
「だけども私の思いをお兄ちゃんがどういうふうに背負ってるか知りもせず、気付こうともしなかった。それが私の罪なのです」
罪と言い切った彼女の瞳は暗く、一片たりともそれを疑うことなく私が悪いのだと決めつけているように俺には思えた。
● ● ●
「世の中TSの話題一色になろうとも、私はそれをなんとも思っていませんでした。私自身がTSするわけでは無いですし、世の中の女の子だいたいみんなそうだと思います」
「だから何も変わらないと信じていたんです、いやそう信じたかったのかもしれません。お兄ちゃんがTSしようと、変わりなくこんな日常が続いていくと信じたかった」
そこまで言って口を止めた。重苦しい空気、すぐにでも窓を開けてこの空気を吹き飛ばしたかった。
「……先週の火曜日のことです、私が朝ご飯を食べようと下に降りていくと、食卓の上にはまだ兄の分のも残っていました。変だなとその時私は思いました、いつもならば陸上部の朝練があるから食べ終わってるのが常でしたから」
「私が降りてきたのを見たママはすぐにお兄ちゃんを起こしに行きました。私はといえば寝起きで回らない頭で、そんなこともあるんだなと呑気にもしゃもしゃと食パンを食べていました」
結局、朝ごはんを食べ終わるまでママもお兄ちゃんも戻って来ずに私は学校に行きました、そう彼女は言った。記憶を思い返せば確かにあの日、鈴木は遅れてやってきた。
「お兄ちゃんがTSしたのを私が知ったのは家に帰ってきてからでした、家に金髪の知らないお姉さんがいると驚いて、けれどもそのツインテールは見覚えがあるものだったから」
私はお兄ちゃん? そう彼女に呼びかけたんです。
ぎこちない笑みで私にそうだ、そう返したのを見て私は言った、言ってしまった。
『綺麗な金髪ね、お兄ちゃん。それに私とお揃いのツインテール、嬉しいなぁ』って
「私の言葉に引きつった笑みを浮かべたのを見ながらも、わたしはそれについて深く考えなかった。どうしようもなく私はバカだったんです、お兄ちゃんの気持ちをちゃんと考えるべきだった。それを気づくチャンスはいくらでもあったのに、それを全部パァにしたのは私だった」
どうしようもなく間抜け、そう自嘲的に彼女は笑った。
かける言葉はどうやっても見つからない、そもそもそんなものがあるかさえわからない。
「次の日学校が終わって私はショッピングモールに向かいました。兄へのプレゼントを買いに行くためです。1日なにが一番プレゼントに適してるのか考えて、私の出した結論は髪を纏めるシュシュを買おうということでした。我ながらいいアイデアだと思いました。私のお小遣いでも買えるぐらい、それでいて絶対に必要になるだろうというもの」
いいアイデアだと思ったんです、もう一度ぽつりと呟いた。
「お揃いのツインテールは嬉しいことですけど、けれどもその髪型はあまり走ることに向いてない。そう考えると必然的に髪型も買えると予想してひとまとめの髪型、多分ポニーテールにするというあたりまでつけていました。そこでお兄ちゃんに似合うようなものを選べればと」
「買いに行ったところで偶然お兄ちゃんのクラスメイトとたっちゃんにあったのは想定外でしたが、目的のシュシュはすぐに見つかりました。黄緑色の、芝生をイメージした色のもの、それを買ってすぐに帰りました。早くお兄ちゃんに渡そうと思って」
その言葉を聞いて振り返るも黄緑色のシュシュをつけていた記憶もなく、あいつがツインテールから髪型が変わった記憶もない、つまり。
おぼろげに見えてきた答えを口に出す。
「まだそのシュシュを渡すことができてない?」
「ええ、そうです。私はそのプレゼントを渡すことができなかった、今もまだ」
私が悪いと彼女は繰り返し言った。
「私が勝手に踏み込み過ぎたんです。
家に帰るとお兄ちゃんはどこかへ出かけていました。しばらく待っていると玄関が開く音がして駆けつければ、その待ちに待ったお兄ちゃんでした。
けれどもいつもの明るさはなく、それを取り戻そうと私は積極的に話しかけたんです。どうして落ち込んでるのかさえ考えようとせず。今思うに、私はそのプレゼントを買えたことで高揚してたんだと思います、だからお兄ちゃんの葛藤も知らず無遠慮に言ってしまった」
「いつもならポンポンと話も弾む筈でした、吃ることが多い私でもそれに合わせてくれたんです。けれどもその時は何か他のことを考えていたのか、途切れ途切れの会話でした。そこで一旦引き下がるべきだった、けれども私はプレゼントを早く渡したかった」
「そして言ってしまったんです、後ろ手にシュシュの包み紙を隠しながら『陸上部で走るときに』と言ったんです。その言葉の先は言うことができませんでした、お兄ちゃんにとってはその言葉だけで十分だったから。それを聞いて、無表情に、シンプルに『陸上部をやめる』とだけ。それだけ言って私を置いて部屋に戻ってしまった。それを追いかけることなんて私にはできなかった」
そこに至ってようやく私のアホさに気づいたんですと彼女は言った。
「私はお兄ちゃんならばTSしても何も変わりがないと勝手に思ってたんです。私のお兄ちゃんは無敵だって、そんなわけ無いのに。お兄ちゃんだって私と同じような人間なのに」
「もう、そこまででいい」
静止するのが遅すぎる、それでも止めずにはいられなかった。けれども彼女は止まらない、大きく被りを振って話し続けた。
「その弱さに気づくべきだったんです、けれども気づかなかったのは私が盲目だった、それから目を逸らし続けた大馬鹿だった。お兄ちゃんを理想のお兄ちゃんに縛り付けていたから」
私の頼みはお兄さんには私とお兄ちゃんの仲直りの手伝いをしてほしいんです。
彼女は痛々しい笑みを浮かべながら、そう言った。
他人の手を借りなきゃ、そんなことも出来ない卑怯者を助けてくれませんかと。
俺の答えは、言うまでもなかった。