教室に着き、後ろの扉から中を覗くと朝のHRの最中だった。
和泉とのやりとりで無駄に時間を食ったせいだ。そう後ろの彼女を睨みつけるも、なんのことだかさっぱりだという顔をしていた。
とりあえず扉を静かに開け、そっと忍び込もうとする。
バレないでくれと俺の願いに対し、ガララッと予想以上に音が立ち、一瞬で教室中の視線がこちらに集中した。
遅刻した不届きものは誰かという視線は、こちらを見てすぐに後ろの和泉の存在と、その異常に気づいたのだろう。瞬時に部屋に騒めきが広がる、とうとうあいつまでTSしてしまったのか。
すぐさま担任の前野が手を叩き、静かにするように促した。
「和泉、お前はとりあえず席についていい、田中はなんで遅刻したんだ」
「……なんで俺だけ残されるかわかりませんが、変態と間違われて通学路で時間を食ってしまいました」
腫れた左頬を指差しながらそういうと、担任は大きくため息をついた。
「……誰にやられた?」
「和泉さんです」
「大方自業自得だろうに……まあいい和泉は遅刻なし、お前は遅刻1だ」
「ちょっと待ってくださいよ!」
「またない、どうせキスしてくれとか言ったんだろ?」
図星であった。言葉に詰まっていると全員から生暖かい目を送られていた。変態、レズ拗らせ野郎、精神的ホモなどの暴言が微かに聞こえてくる。
それは別にどうでもいいのだけれども、あいつだけ許されて俺だけ許されないのは釈然としない。
和泉に助けを求めて目でSOSのサインを送るも、ごめん無理と、ぱちーんとウィンクを飛ばされた。
あいつ、後で覚えておけよ。
後ろに立たされたままHRは進められていく。
俺はというと、後ろから教室の男の数を数えて時間をつぶしていた。一人休みに俺を抜いて全員で18人、そのうち10人がTS済み、恐ろしく男の密度が低い部屋になってしまったなと誰に聞かせるわけでもなく、ひとりごちる。
何と無く見渡していて気になったのは教室内の活気の無さだ。
ここまでHRが静かに終わることがあっただろうか?いつもなら騒がしく、後ろから入ってきた奴も咎められなかったのに。
理由はなんだろうかと考えて、パッと目に付いたのは昨日TSした鈴木だった。
いつもなら仲の良いグループでどんちゃん騒いでいたのに、今あいつは机に伏せたまんまだった。
寝ているのだろうか、珍しい。
その思いは緑色のジャージに金髪ツインテールは合わないなと、取り留めもないことに移っていった。
そんな思考は担任の言葉で遮られた。
「和泉、とりあえず前で挨拶を」
「はい」
物怖じせず、堂々と前へ向かう。
昨日の鈴木と比べるとはるかに明るく、強く見えた。
「和泉です、TSしてしまいましたが、前と変わりなく接してくれるとありがたいです」
よろしくーとはにかみながら、周りに小さく手を振っていた。
かわいいーと周りから黄色い悲鳴が飛ぶ、率直に言ってあざとすぎる。まあ元は男だったし、どういう風にすれば可愛く見えるかは、お茶の子さいさいなのだろう。
ほどほどにしとけよと苦笑しつつも、こちらも教室の後ろから大きく手を振った。
丁度そこでチャイムがなり、HRが終わった。
一気に教室の喧騒が戻ってくる、俺も席について授業の準備をしないと。
ふと前を見るとまだ残っていた担任と目があった。こちらをじっと見ていたのか、こちらが気づいたのを見ると、すぐにちょいちょいとこっちに来るよう手招きをした。
またなんか怒られるのか。既にいやになりつつも机に鞄を置き、先生の後を追って廊下に向かう。
ふぁいとーと小声で励まされた気がした、振り返ることはなくひらひらと手を振る。
教室を出るとすぐ目の前で先生がじっと待ち構えていた。自分が出て来るのを見ると頷き、すぐに歩き出す。
教室の前で話しにくいことなのだろうな、つまりそれは和泉のことか。そう当たりをつけつつ後を追う。
一階にある職員室へと向かう階段で立ち止まり、ゆっくりと話し始めたものはまさにドンピシャだった。
「前野先生、それでなんの話でしょうか」
「あれだ和泉のことだ、あいつとこれからも仲良くやっていけそうか?」
「当たり前です、自分を差別する人間のように見えますか?」
「まあ見えないけどな……ビンタされたんだろそれ、お前がどう内心で思ってようと、あいつに嫌われたらどうしようもないだろ」
「あれは不幸な事故だったんですよ、冷静さを欠いていた、ただそれだけなんです」
今は違う、その言葉を前野先生は穏やかに笑いながら聞いていた。
「まあそう心配するのも朝のことがあってだな、お前は遅刻してきたから見てないかもしれないけど」
「鈴木ですか?」
適当に当たりをつける、昨日和泉が予想していたこともあって自信はあった。その予想を聞いて頷いた。
「そうだ、俺が教室に着いた時のことだ、あいつがいつも仲良くやっていた3人組があるだろ」
「ええ」
「手は出すような乱闘ではなかったが、あの3人が口喧嘩になってたのを見た、まあ俺が近づくとすぐにやめたが、あとはあの通りだ」
そうか、やっぱりあいつの昨日の予想は当たったか、少し暗い気持ちになる。まあ一歩間違えれば、俺も和泉とああいう風になっていたのかもしれない、そしてこれからも綱渡りの関係が続くのだろう。
異性との友情は難しい、やっぱりその事実は変わらないみたいだった。
「鈴木とも多少仲がよかったよな?少し目を掛けてやってくれないか」
「言われなくてもそうしますよ、自分より適任者がいると思いますけど」
「和泉か……あいつはあまりに正しすぎる」
なんとも言い得て妙な言葉だった。少し笑いつつも、一時間目の授業の事を思い出して慌てて時間を確認する。
まだ間に合う時間だった。けれども、そろそろ教室に引き返さなければ1時間目も遅刻してしまうか。
少し安堵して、ふと疑問に思ったことを前野先生に問いかけた。
「どうして男みんな一斉にTSできなかったんですかね、そうすればいろいろ丸く収まったのに」
「さあな……神様がくださった、大してありがたくもない試練なのかもしれんな」
「そのダジャレはつまらないですし、神様がいるなら真っ先に自分の願いを叶えてくれてるとおもいますよ」
和泉からの受け売りだったが、前野先生は大きく笑って、咳き込みながらも言った。
「……まったくその通りだな」
そのネタの面白さに免じて遅刻は消しといてやると言われ、心の中で和泉様様だなと感謝した。
● ● ●
「被告人 田中 修也を磔刑に処す、異議は?」
「「「無し!無し!無し!」」」
その斉唱に掻き消されないように、大声を張り上げる。
「大有りじゃあ!!」
「では速やかに磔刑を……柱がないわね、そのまま椅子に縛り付けておきましょう」
「俺の異議を聞け!!」
離せと椅子をガタガタ許すも、なかなか固く結ばれていた。
教室に帰ってきた俺を襲って来たのは、委員長とクラスの何人かだった。
あれよあれよのうちにガムテープで縛られ、椅子に据え付けられ、今に至る。
「っていうか次の数学の教師はどこに行ったんだよ!」
「TS休暇らしいわ、今日は空きコマになるらしいって朝のHRでいってたじゃない、まあ遅刻してたから知らなかったのかもね」
「どんどんみんなTSしていくのな……」
溜息をついていると、目の前の机にドンと拳が振り下ろされた。
「で、したの?」
「何をだかさっぱりわからんが?」
「キスにきまってるじゃない」
「和泉に聞けばわかるだろ?してないに決まってる」
その言葉に和泉は遠くから苦笑いを浮かべていた。
説得は無駄だよ、そんな顔だった。おいおい諦めないでくれよ、お前が諦めたら俺はどうなるんだよ。
「もしかしたら脅されてるかもしれない、言ったらあんなことやそんなことするぞってね」
「絶対そんなことないぞ、脅されるとしたら力関係的に逆だろ」
呆れたように委員長ははぁと溜息をついた。
「TSして力関係が変わるのは王道中の王道よ、そんな常識も知らないの田中くんは」
「なんの王道だよ、いや言わなくていいわ!そんな常識あってたまるかよ!」
「ともかく和泉ちゃんを傷つけるようなことをしたことには変わりはないから」
「「「我ら和泉ファンクラブ!!」」」
「和泉様を傷付けるものを許しておくべきか!?」
「「「否!否!否!」」」
そんなファンクラブ初めて聞いたぞ。しかし、素晴らしく統制が取れてるグループだった。
俺が被害を食らってなければ、素直に感嘆するぐらいには。
そこでようやっと和泉から助け舟が来た。
「まあまあそこまでにしときなよ、君たち」
「でも罰をまだ与えてませんが」
「僕がビンタした分で十分だと思うけど、ほらまだ腫れてるだろう?」
「……まあ、しょうがないですね」
和泉の言葉に従って、速やかに拘束は解かれた。
ファンクラブの面々がめっちゃ舌打ちしてるのが、少し怖い。次は殺すと、委員長の口がパクパクしていた。
おおこわいこわい。
その後ろで、俺の席の斜め前の席の鈴木が、ゆらりと立ち上がるのが見えた。
「でも次同じことをしたら許さないからね」
その言葉を最後に、委員長達は速やかに席へと戻って行った。
彼女が離れるなり、和泉が近づいてきた。裏切り者めと視線を送るも、素知らぬ顔をしていた。
「災難だったね、君」
「いやまったく……お前ファンクラブあるの知ってたか?」
「噂には聞いてたけど、委員長がそれだとは知らなかったな」
どれだけ人気があったんだよと笑う。
TSした、それでもファンクラブは引き継がれるのかとか、それをさも当然に受け止めている和泉とか、少し面白かった。
「ん、鈴木くんどうしたんだい?」
「え?」
視線を追った先は、俺のすぐ後ろ。
そこにはTSした鈴木がいた。
さっき教室から出て行ったかと思ったけど、すぐに戻って来たらしい。手に持ってるのは缶コーヒーだった、自動販売機まで行ってたのだろうか?
つっとその缶コーヒーを差し出された。
「……ん」
「お、くれるのかサンキュー」
頬っぺたを指差す、缶コーヒーで頰を冷やすと良いということだろうか。その仕草に従ってハンカチに包んでから缶をヒリヒリとする場所に当てると、満足そうに自分の机に戻って行き、また腕を枕にして寝始めた。
喋れないのだろうか?しかし口喧嘩と言っていたし、そんなことはないだろう。昨日も自己紹介をしていたわけだし。
なぜか不満そうに鼻を鳴らし、和泉も俺の後ろの席へと戻っていった。